世田工野球部出身でプロ野球に進んだOBは、今までにお二人居られる。
倉骨道広氏(世田谷工業ー東京農大ー読売巨人軍・捕手)
石川柊太氏(総合工科{旧世田谷工業}-創価大=ソフトバンク・投手)
このお二人の他に、平社達三郎氏が国鉄スワローズに入団されている。
在学中、野球部に所属されていなかったことから、平社氏を野球部OB
として認識できずにいた。このたび、5期OB白江隆夫氏のご逝去にあたり、
ご家族様から提供された資料に平社氏が白江氏と世田工5期自動車科で
ご一緒であったことが判明し、古い話で情報が乏しい中、5期野球部OB
からの聞き取り情報が得られたことで、
世田工今昔物語ー外伝・平社達三郎 として上载することとした。
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平社達三郎 ひらこそ・たつさぶろう 昭和11年生
身長 177cm 右投右打
世田谷工業高-東京理科大中退-国鉄スワローズ(S35)
東京理科大での在籍時期が明確ではないが、昭和30年代前半と思われ、所属は理学部物理学科。 プロ入りは昭和35年に24歳にて。入団発表のプロフィールで「球歴皆無、軟式野球出身の異色選手」と 紹介され、東京理科大学史にも「中退してプロ野球に進んだ者がいる」旨の記述がある。 プロでの在籍は1年間。当連盟およびプロでの実績は現在不明。 ポジションは大学時代には投手。プロでも投手と思われる。
大学卒ではないものの、同大硬式野球部に在籍していたことは濃厚であり (同部OB名簿に記載あり)、現在判明している限りでの、連盟出身の最初のプロ野球選手である(東京新大学野球連盟)
平社達三郎氏は、世田谷工業高校5期自動車科に在籍し、卒業後、東京理科大理学部
物理学科に進学された。在学中から学業に秀でておられて、勉強でわからないところ
は氏に教えを乞うなど自動車科同級生からは一目置かれる存在であったようだ。ご兄
弟が千歳高校で野球部に居られたことから、ご興味がなかったわけではなかろうが、
野球部からの勧誘もなかったようだ。
実際、5期野球部諸氏も、平社氏、国鉄スワローズ入団を報道で知り、驚いたほどだ。
世田工野球部史を語る上で、平社氏の国鉄スワローズ入団という偉業は避けて通るこ
とはできない。
本件は、今後情報が収集され次第、随時、加筆・訂正されるであろうことを、