写カットライフ

写真を通して人生を楽しみたい。
道具に凝るのもよし、撮影技術を磨くもよし、写真をテーマに楽しみ方を綴ったブログです。

インフルエンザの熱は夜襲型か

2013年01月23日 19時40分03秒 | 健康について

昨日の昼間がやっと36度台の平熱に下がったので、やっとイナビルが効果をもたらしたのか、熱が下がると昼間が暇だ。次の日(すなわち本日)ちょうどよいのでBCPで策定した自宅勤務の体験でもしようかと思っていた。
ところが甘くなかった。夜の10時過ぎから体の節々や皮膚が痛み出した。悪寒とはちょっと違う。一日横になったりしていたので体が凝ってしまったのかなとも考えたが、全くそうではなかった。発熱だ。38度4分まで上がった。そして、夜中中続いていた。
高熱が出るとピークまではひどい悪寒だが、ピークになると今度は体全体が熱くなる。このような状態ではないのだ。ずっと、一定の温度で高熱といった感じだ。おかげで熟睡などは出来ず、頭痛までしてきた。朝は37度台に下がったが、今日は一日寒気も感じながらぼわーんとした感じであった。

今日の写真は、テレビのニュースで河津さくらが咲いたと報じていたので冬のさくらを掲載してみた。場所は水元公園で2009年の2月松田。寒々としたメタセコイヤの林を背景に淡いピンクの桜は本当に美しい。希望を与えてくれる花だと思う。

今日も発熱の夜襲があるだろうか。熱に打ち勝つ時の感覚はぐっすり寝て大汗をかく時だ。次の日は体はふらつきながらも、頭もすっきりし病の終わりを感じることができる。速く、関ヶ原の決戦が来てほしいものだ。

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すごい熱が出た

2013年01月22日 14時18分13秒 | 健康について

インフルエンザに罹っているので仕方がないが、昨晩はこのところ経験をしたことのない熱が出た。39度7分。我が家の体温計の最高記録だと思う。インフルエンザの処方薬として薬局より出された薬はイナビル吸入粉末剤20mgである。この薬を2個出され、帰宅後すぐに使用した。
口で吸うタイプの薬で直接気管に作用して効果を早めるようだが、薬を摂取したという感覚がなかった。そのせいもあって、処方を間違えたかなと思った。
熱の上がる感覚は嫌なものだ。ものすごい悪寒が2時間ほど続いていた。布団に包まっていてもとにかく寒い。悪寒がピークの時が39度7分であった。
悪寒がしなくなると、今度は体全体がやたら熱くなってきた。アイスノンを使って頭を冷やす。40度以上になったら脳が解けそうな感じであった。意識障害を起こすとも言われていたので必死で頭を冷やす。 

今日の写真も暖かそうな写真だ。くりはま花の国に咲く菜の花だ。2010年1月10日撮影だ。今年は咲いているのだろうか。

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インフルエンザにかかってしまった

2013年01月21日 17時24分06秒 | 健康について

娘の結婚式が済んだ途端インフルエンザにかかってしまった。昨晩は体調が悪く、早めに寝たのだが、体の不調をずっと引きずって朝まで過ごした。
朝の体温計は38度4分を指していた。これは自力では無理だと判断し、かかりつけの耳鼻咽頭科に行った。すぐにインフルエンザの検査を受けた。10分ほど待ち結果はA型インフルエンザであった。
熱は下がっても外出禁止と申し渡される。社内規定でも5日間は出社できないことになっている。

こんな日には暖かみを感じることができる写真が欲しい。小石川後楽園の 福寿草だ。確か、寒い冬に咲き、雪の中からでも咲くような花だ。
冷えという環境に次第に順応できなくなっているようだ。 

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友人が心筋梗塞

2012年11月14日 22時09分56秒 | 健康について

夕方、田舎の友人から共通の友人が心筋梗塞で入院して治療中との電話が入った。彼は酒もたばこも取らない、中肉中背の中年であった。なぜ、冠動脈が詰まるようなトラブルに見舞われたのか。確か血圧なども年相応であったと聞いていた。
今年の夏休みにも会った。我々は酒を飲みながら焼き鳥を食べたが、彼はウーロン茶であった。お互いこの年になると最初の話題は病気などの話が出る。その時にも彼の話は全く病気とは疎遠な話題であった。

わからないものだ。原因は何かあったのだろう。幸いに初期治療が功を奏したようで来週には退院できるようだ。
初期の症状は話を聞くと自分のケースと似ていると思った。胸が苦しく胃がつかえているようで脂汗が出る。呼吸が浅くなり血圧は上が60ぐらいに下がる。瞳孔が開くのか視界が真っ白になる。そして、言いようのないものすごい不安・・・・・
今でもはっきりと覚えている。

この写真のようなすっきりとした、のどかな風景を、ゆったりと見たいなど思ったものだ。
人にはいずれ生命の終焉が訪れる。肉体を構成する細胞が活動をやめる時、のたうちまわるような苦しみではなく、安らかな覚悟と最後の一息を持って眠るような静かな心構えになるのではないかと思う。
今年になって自分の周りで心筋梗塞で逝った知人は数人いる。自分の友人では発症はしても逝ったものはいない。生かされた運命というものを感じてしまう。

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不安神経症

2012年09月08日 17時54分15秒 | 健康について

先月末に受けた冠動脈のアイソトープ検査の結果は良好であった。とりあえずホッとする。これで、夏の蒸し暑い時などに時々現れる動悸なども心筋梗塞の再発なのではと不安がる必要はなくなった。
健康を意識するうえで血管の状態は一番気になるところだ。動脈硬化が進行しないためにどうしたらよいのかいつも考えるようになってしまう。
いったん硬くなった血管はもとには戻らないようだ。血管を石灰化させないためにどうするか、石灰化してしまってもその進行をどうしたら止めることができるのか。日頃の生活習慣が大事といわれる。毎日のことなので考えると神経質になってしまうかもしれない。

好きな所へ行って、好きな写真を撮って、雄大な風景を見て過ごす毎日であったなら硬化のスピードはかなり減速するかもしれない。しかし、人生とはそんなに甘いものではない。いくつになっても問題は発生するものである。自分の体はいくつかの試練を超えてきたので、それなりの恐怖心に対して耐性ができていると思う。
しかし、その試練を迎えた人に対して大丈夫だからといって、どれだけ説得力があるのだろうか。不安な時はだれから何と言われようが不安なものなのだ。

お袋の動脈硬化が進んで入院をしなくてはいけなくなった。どの程度のものか医師の話を聞くため実家に戻ることになった。このような時、遠方の故郷は不便なものだ。

 

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心筋梗塞後の10年

2011年08月28日 19時11分26秒 | 健康について

今月の24日で心筋梗塞を患って10年が経過した。動脈硬化の進んだ血管は改善できないが、梗塞を起こす血管内部の状態は維持できているようだ。同期の友人も数人が狭心症でステントを入れる手術を受けており、人間とはつくづく生身の生き物なんだなと感じる。
この間、24時間テレビで徳光氏がマラソン(徒歩?)で24時間頑張っておられた。彼も10年前に心筋梗塞に倒れた人だ。その時の心臓のダメージはどうだったのだろう。軽かったのだろう。それで医者から許可も出たのだろう。
先日、定期検診があったので自分でも出来るかどうかドクターに聞いてみた。即座に"NO!"の返事であった。動脈硬化だらけの冠状動脈に覆われた心臓で、しかも心筋の1/3が動いておらず、血流の逆流もある状態で24時間のマラソン(ウォーキング)は論外と言われた。
徳光氏のチャレンジには頭が下がるが、命をかけてまで走るという行為は、それが皆に勇気を与えるチャレンジだろうかと疑問を感じていた。心筋梗塞経験者は皆同じように見られてしまう可能性がある。あなたもやればできるのではないの?と思われはしないかとちょっと不安になった。

病後の10年はマイペースを取り戻す10年であった。自分の好きなことを見つけたし、家族というありがたい最小社会も見つけた。この先の人生は見えないが、自分の足元は見えている。一歩一歩がマイペースだ。今踏んでいる地面や見えている光景をしっかりと把握して進んでいきたい。

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夏ばて到来か

2010年09月18日 15時55分48秒 | 健康について

数週間前に始めたウォーキングですが、突発性難聴発症で中断しています。難聴自体は治ったようですが若干の偏頭痛があるような気がします。
暑さは去ったと言っても日中の陽射しや電車の中の蒸し暑さなど不快感はぬぐい去れません。
体がだるい、気力が沸かない、休日でも写真を撮りに行きたいとも思わない。遅い季節の変わり目がやってきて、体がその変化に追従できていないようです。


この3連休の最後の日に急遽実家に帰ることになりました。親父が肺がんを発症し、ドクターと今後の治療方針を相談するためです。離れている郷里なので行き帰りは大変です。
85歳と高齢なので致し方のないことかもしれません。しかし、いつまでも元気にいて欲しいという気持ちはどうしようもありません。


気力の低下はこの心配も影響しているかもしれません。ストレスという見えないもやもやとした物体なのか気体なのか得体の知れないものは、本当に怖いものかもしれません。
自分はストレスには強いと思っていましたが、普通の耐性であったように思えます。



川辺でのんびりとつりでもして過ごしたいものです。暑いのはいやですが・・・・・

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突発性難聴

2010年09月10日 22時49分14秒 | 健康について

今年の夏の暑さは50代後半の体に確実にダメージをもたらした。
ブログでは書かなかったが、実は耳がおかしくなった。数週間前の週明けの月曜日、起床すると耳鳴りが片耳に発生していた。
耳鳴り自体はは別に珍しくはないが、キーンと発生しすぐに消えることが普通だ。
ところがこの時の耳鳴りは違っていた。ずっとキーンと鳴っている。
異常と感じたのは通勤の時にいつも聞いているiPodのイヤフォンを耳に当てた時だ。音が割れている?イヤホンが壊れたかと思った。
会社に着いてから電話を取ってみて完全におかしいと感じた。電話の声が割れていて内容が聞き取れないのだ。何を言っているのか分からないとこれは仕事に大支障である。
受話器を反対の耳の持って行くと普通に聞こえた。完全におかしい。このような経験は生まれて初めてだ。



人生はやはり超スピードで過ぎ去っている


即、仕事の合間に耳鼻科に直行。幸いに、数年前に何度も通った耳鼻科を知っていた。ドクターはそれなりに有名な先生だ。
即、聴力の検査を受けた。異常は的確に再現され、精密検査で1~2kHzの音が聞こえてないことが判明した。人の声はこの周波数帯にある。よって聞こえないのだ。
病名は突発性難聴だろうと言われた。この病気の原因は不明らしい。メニエール病、腫瘍、ストレスなどいろいろと可能性を持っているが大半が不明のようだ。
治る可能性は1/3とも言われた。この1/3に入る条件は、「出来るだけ早い治療」、「高音部が聞こえていること」、「めまいがないこと」らしい。
幸い条件は全て満たしていた。中でも治療開始の早さは重要らしい。聴覚を失うと言うことは耳の神経が死んでいくことらしい。神経細胞が死ぬ前に病原菌の除去や栄養補給などの何らかの手当を行うことが非常に重要らしい。心筋梗塞と同じだ。死んだ細胞は機能を戻さない。


すぐにステロイドの処方が始まった。血圧をコントロールしている身としては血圧上昇の副作用が心配であると言われた。しかし、今は聴覚の回復が第一だ。副作用の様子を見ながら対処していこうと言うことになった。
ステロイドの処方期間が終わっても改善が見られない場合は入院もあり得ると言われた。入院中はひたすら静養のみと言われた。

幸いなことにその日の夕方に耳鳴りは治まり聴覚が戻ってきた。電話で人の声が聞こえるようになった。
しかし、ステロイドの処方は始めたらやめてはいけないと聞いた。ステロイドとは副腎皮質ホルモンらしい。外部からこのホルモンを採ると体内の副腎がホルモンを分泌しなくなるらしい。よって、ある一定期間は摂取し徐々にホルモンを弱めて、副腎が自力でホルモンを分泌するようにしなくてはいけないようだ。よって、飲み始めると9日間は飲み続けなくてはいけないとのこと。副作用は他にもいろいろあるようだ。声がれ、頻尿、喉の渇きなど。全て出た。さらに血圧の管理で一番いけないことがアルコールの摂取と言われた。毎晩飲んでいたビールが飲めないということか。これが精神的に一番辛い副作用のように思える。


今ではステロイドの服用も終わり普通のビタミン剤のみを飲んでいる。聴覚の異常も起きていない。非常にラッキーであったと先生に言われた。


大病をして以来、何か体に変調や異常があるとすぐ病院に行く癖が出来ていたが、今回はそれが幸いしたようだ。


しかし、気分的な体力(イコール免疫力)は分からないものだ。疲れていないと感じていても疲れは確実に蓄積されているようだ。
だから心身ともリラックスする何もしない休日が必要のようだ。

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8.24という命日になりかけた日

2010年08月24日 19時36分06秒 | 健康について

今年も8月24日がやってきた。

自分の命日になりかけた9年前の夏の日は今年ほど暑くはなかったが、朝から胸のつかえが取れなくて病院へ行こうと交差点で信号待ちをしている時、周りの世界が真っ白な光に包まれかけたことを思い出す。

今朝のニュースで芸能リポーターである梨元氏が肺がんで亡くなったことを知った。自分は芸能ニュースはほとんど見ないが梨本氏は有名であったから知っていた。しかし、芸能リポーターとしての梨元氏だけではなく心筋梗塞から生還した梨元氏というのも知っている。

自分がこの病気になる前、体調的に何となく予感がしていたころテレビで彼の体験を知った。そして、このようになったらどうしようかなどと不安を感じていた。

その梨元氏がなくなっというニュースは自分にとってある種の警鐘のように感じるものであった。

原因が心臓ではなくて肺がんということなので全く違うことかもしれない。心筋梗塞から生還されて何年生きられたのだろうか。

 


梗塞を起こした箇所

 

心筋梗塞といっても人によって回復後の生活環境は様々だ。壊死した心筋の場所や程度で大きく違う。

自分の場合は下部の1/3が壊死したままだ。毎年検査は受けているが心筋に血流はないようだ。ただ、普通に生活できる。若干の血液の逆流はあるようだが、日常生活においては支障がない。手当が早かったのが幸いした。

しかし、普通の生活ができるようになるとどうしても気が緩み昔のような体質に戻ってきている。一番分かるのが体重だ。着実に少しずつ増えている。カロリーを気にして食べる量を調整しているのだが、新陳代謝が衰えてきたのか体重は落ちて行かない。

さらに運動は確実に減った。退院直後の数年は毎日必ず1時間のウォーキングをしていた。今でも仕事柄歩くことは多い。1万歩を超えることはしょっちゅうある。しかし、仕事での歩数は連続ではないのでウォーキングとは言えない。

8月24日を命日になりかけた日として毎年思い返していたが、今年も冷静に思い返すことができた。

集中治療室で一晩過ごし目覚めた時、もっと生きたいと切に思ったことを思い出す。

おかげで生活習慣が変わり仕事一辺倒から家族とのコミュニケーションや自分の趣味に目覚めて行った。

写真を知ったのも歩き始めて周りの自然界が見え始めてからだ。

2010年8月24日の気持ちとしては、涼しくなったらカメラ片手のウォーキングを再度始めてみようと思った。
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信濃町の青い空

2009年08月08日 17時07分21秒 | 健康について

昨日のことです。いつもの定期検診で病院に行きました。最近、体に異変が起きていました。頭痛と背中の違和感です。左目の上から左側頭部に当たる場所が夕方から寝るまで痛くなるのです。内部と言うより、表面的なひりひりとした痛みです。
背中の違和感は肩胛骨に沿った部分と背中の中央部にしびれのような感覚がたびたび発生していました。


症状から病気を推測すると素人は大病を考えてしまいます。
頭痛=脳腫瘍、くも膜下出血の予兆など。背中の違和感=心筋梗塞、大動脈解離、大動脈瘤など。


神経内科を受診して病名が分かりました。緊張型頭痛。肩こりなどから来る頭痛で一番多い頭痛のようです。自分は肩こりなどで痛みを感じたことはなかったので、肩こりではないと思っていました。ところがかなりひどい肩こりであったようです。先生が肩を触ってその堅さにびっくりしていました。
循環器でも血液検査のBNPの値も悪くなっておらず大動脈の病気ではないようです。BNPとは心臓などの組織が壊れていく時に出るホルモンの値のようです。心筋梗塞や大動脈解離を起こすととたんに値が高くなります。


午前中一杯かかりましたが、ほっと一安心をして外に出ると夏の青空が広がっていました。



空を青く、雲を白く感じる。当たり前のことですが、素直に感じられることは素晴らしいことです。

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