紫の落書き帳

唯、思った事を書き殴ってる丈の馬鹿馬鹿しいブログです。読者受けやアクセス数は全く意識してません。

J:COM『ココカラ』(2020年4月20日〜2020年4月26日分)

2020-04-21 20:53:42 | 映画・番組・CM
ターザン山下さんとスタッフが須磨浦公園を紹介。

須磨浦山上遊園のジュークボックス。

其の横のガラスケースには、ジュークボックスに入ってるレコードのジャケット。
イエロー・マジック・オーケストラの『君に、胸キュン。』

其れとアルファレコードのマークが描いて有るジャケット。
此れ何でしたっけ。多分此れもYMOの曲やった筈ですが。


然し、選曲したのは、スタッフが岩崎宏美の『シンデレラハネムーン』、ターザンさんがさだまさしの『案山子』でした。しょうも無い!!

立石電機元社長が支那肺炎で死去

2020-04-21 20:02:10 | 愚痴・ぼやき・怒り
私も毎日使わせて貰ってる体温計のメーカー。
学生の頃、御室の近くの古い住宅地で道に迷って、不図、『立石』と言う表札の掛かった民家を目にしました。
豪邸では無い極普通の一戸建てで、でも、庭には当時現行型の白い40系センチュリーが有りました(リムジンやLタイプは未だ出て無くて、普通のホイールベースの奴です)
下宿に戻って、同じ下宿の先輩に其の事を話したら
「其れ、多分立石電機の社長の家や。『オムロン』は『御室』から取った名前やしな」
と教えて貰いました。
有名企業の社長なのに、普通の民家なんて、謙虚な社長さんやなあ、と好感を持ったものです。
今回亡くなられた元社長さんは1987年に社長に就任されたと言う事なので、私が道に迷った年代と一致します。
御冥福を御祈り申し上げます。
勿論、此れも憎っくき支那人の所為です。

《本文》
新型コロナウイルスに感染し、入院して治療を受けていた大手電子機器メーカー「オムロン」の元社長で、京都商工会議所の会頭を務めた立石義雄氏が21日、京都市内の病院で亡くなりました。80歳でした。

立石氏は大阪市出身で、電子機器メーカーの「立石電機」、現在の「オムロン」を創業した立石一真氏の三男として生まれました。

昭和38年に入社。47歳で社長に就任し、社長を16年、会長を8年務め、駅の自動改札機や銀行のATMの普及などに力を注ぎました。

また、京都商工会議所の会頭をことし3月まで4期12年余り務め、技術革新を重ねながら成長してきた京都の産業を「知恵ビジネス」と名付けて、伝統産業の活性化やベンチャー企業の育成に尽力するなど、京都の産業の発展に力を注いできました。

立石氏は、今月6日に新型コロナウイルスに感染していることが確認され、京都市内の病院で治療を受けていましたが、21日、亡くなりました。

日商 三村会頭「誠に残念」
立石義雄氏は、日本商工会議所の副会頭を先月まで12年余り務めていました。

立石氏が亡くなったことについて、日本商工会議所の三村会頭がコメントを発表しました。

この中で、三村会頭は「わが国の産業政策の数々の分野に『中小企業』や『地域』の視点を盛り込む端緒を切り開くなど、中小企業の活力向上に果たされた役割は大きい。温かいお人柄で強いリーダーシップを発揮された立石さんには、今後もさらにご活躍いただきたかっただけに感染が拡大し続ける新型コロナウイルスの犠牲者のお一人となってしまったことは誠に残念でならない」としています。



NHKニュース

マスクもしないクソ外道 近付いてんじゃねえ!!

2020-04-21 12:13:45 | 愚痴・ぼやき・怒り
ウ◯ルシアに行ったら、タージンと相島一之を足して2:1で割った様な、うだつの上がらん50前位の眼鏡掛けた黒い服の男がマスクもせずに近付いて来やがった。
小走りに離れると、其のクソ野郎はしれっとして、人に付いて来やがった。
其奴を振り切り、レジに並んで居たら、暫くして其の外道が俺の直ぐ後ろに来やがった。
間隔を空ける様にテープを貼ってるのに、其の外道は其れを無視して俺の直ぐ後ろに来やがった。
態と移そうとしてるやろ!!此の塵芥屑が‼️
俺が振り返って睨み付けたら其の塵芥屑は一瞬怯んだが、しれっとして居座りやがった。
レジ係が呼ぶのでレジして貰った。咳は聞こえ無かったが、あの塵芥が俺の直ぐ後ろに来やがった数十秒の間に移されたかも知れない。
其れにしてもスーパーマ◯◯カは満車だった。だからウ◯ルシアに行ったのだが、マ◯◯カの混み具合やばいぞ。危機意識低いんちゃうか。