嵐を呼ぶ男ならぬ、嵐を巻き起こす男を、
一昨日、祖父母が天国に連れて行った。
私の父は4人兄弟の長兄で、長女、次男、三男の兄弟。
祖父母はいったいどういう子育てをしたのか…と思うほど、
父の兄弟は、浮世離れしていて、
うちの従兄弟達は、世間一般の親ではない親の元に生まれたが為、
それぞれに悩み多き幼少期、思春期を過ごし、大人になった。
その中でも一番の強者が、次男の伯父である。
親、兄弟、奥さん、子供、甥っ子、姪っ子、友達…
とにかく、周囲を振り回す破壊力が半端なく、
本当に、奔放に生きた人だった。
その伯父は15年ほど前に離婚して、岡山県で一人暮らしをしていたが、
伯母が電話をした時に異変に気付き、
娘である従姉妹に連絡をとって様子を見に行って…救急搬送された。
何を食べても飲んでも吐くようになってしまっていて、体重が32キロしかなかった。
運ばれた病院で、一番強力な栄養剤を首から点滴投与し、
色々と検査したところ、胃の下の方に大きなガンが見つかった。
栄養剤でオペに耐えれる体力がついて、
切開手術したけれど、ガンの根がとても深くて取り除く事ができなかった。
その代わり、食べたり飲んだりしても吐かないように、
胃と小腸をつなげる手術がされた。
それが7月の初旬…余命は長くて半年と言われたが、
食べたり飲んだりするとガンが刺激されて痛むようになって、
結局、重湯すら満足に食べることができず、
伯父は、どんどん弱って行った。
それでも伯父は持ち前の前向きさで、
退院したら何を食べるとか、ニトリにカーテンを買いに行くとか、
カタログを観たりして、明るく過ごしていた。
私が大阪に住む伯母達とお見舞いに行った時も、
退院したら、伯母の作るカツオの煮つけが食べたいと言っていたし、
痩せてはいたけれど、目にすごく力があった。
ただ一つ、すごく変わったと思ったのは、
それまで周囲の人を思いやったり、心配したり感謝したことがなかったのに、
とても思慮深い人になっていた。
伯父にはガンの告知をしなかったのだが、
大病と患うと言う事は、人をこんなに変えるのかと驚いた。
ガンの痛みは、日増しに酷くなったが、
伯父は弱音を吐かずに、この痛みを乗り越えたら、
飯が食えるようになる、退院できると従姉妹に言っていたそうである。
送り盆の15日、伯父の容体は急変した。
酸素マスクをつけても、呼吸もままならなくなった。
従姉妹達、孫達、そして姉である伯母に見守られて、伯父は旅立った。
今日の葬儀に参列する際、
食べたがっていた「カツオの煮つけ」を棺に入れようと持参した。
伯父の顔を見たら、まるで生きているみたいに、
今にも何か話しだしそうな表情をしていた。
棺の中に紙皿に入れたカツオの煮つけと、お箸を入れて、
「おっちゃん、向こうで食べてな」って言ったら、
「うん、やっと食えるわ」って返事しそうな気がした。
向こうでいつか再会したした時は、
「お前の味付けは、あんまりうまいことないな」
そう、もう一度悪態をついて欲しい…
おっちゃん、お疲れ様、じいちゃん、ばあちゃんによろしくね。
一昨日、祖父母が天国に連れて行った。
私の父は4人兄弟の長兄で、長女、次男、三男の兄弟。
祖父母はいったいどういう子育てをしたのか…と思うほど、
父の兄弟は、浮世離れしていて、
うちの従兄弟達は、世間一般の親ではない親の元に生まれたが為、
それぞれに悩み多き幼少期、思春期を過ごし、大人になった。
その中でも一番の強者が、次男の伯父である。
親、兄弟、奥さん、子供、甥っ子、姪っ子、友達…
とにかく、周囲を振り回す破壊力が半端なく、
本当に、奔放に生きた人だった。
その伯父は15年ほど前に離婚して、岡山県で一人暮らしをしていたが、
伯母が電話をした時に異変に気付き、
娘である従姉妹に連絡をとって様子を見に行って…救急搬送された。
何を食べても飲んでも吐くようになってしまっていて、体重が32キロしかなかった。
運ばれた病院で、一番強力な栄養剤を首から点滴投与し、
色々と検査したところ、胃の下の方に大きなガンが見つかった。
栄養剤でオペに耐えれる体力がついて、
切開手術したけれど、ガンの根がとても深くて取り除く事ができなかった。
その代わり、食べたり飲んだりしても吐かないように、
胃と小腸をつなげる手術がされた。
それが7月の初旬…余命は長くて半年と言われたが、
食べたり飲んだりするとガンが刺激されて痛むようになって、
結局、重湯すら満足に食べることができず、
伯父は、どんどん弱って行った。
それでも伯父は持ち前の前向きさで、
退院したら何を食べるとか、ニトリにカーテンを買いに行くとか、
カタログを観たりして、明るく過ごしていた。
私が大阪に住む伯母達とお見舞いに行った時も、
退院したら、伯母の作るカツオの煮つけが食べたいと言っていたし、
痩せてはいたけれど、目にすごく力があった。
ただ一つ、すごく変わったと思ったのは、
それまで周囲の人を思いやったり、心配したり感謝したことがなかったのに、
とても思慮深い人になっていた。
伯父にはガンの告知をしなかったのだが、
大病と患うと言う事は、人をこんなに変えるのかと驚いた。
ガンの痛みは、日増しに酷くなったが、
伯父は弱音を吐かずに、この痛みを乗り越えたら、
飯が食えるようになる、退院できると従姉妹に言っていたそうである。
送り盆の15日、伯父の容体は急変した。
酸素マスクをつけても、呼吸もままならなくなった。
従姉妹達、孫達、そして姉である伯母に見守られて、伯父は旅立った。
今日の葬儀に参列する際、
食べたがっていた「カツオの煮つけ」を棺に入れようと持参した。
伯父の顔を見たら、まるで生きているみたいに、
今にも何か話しだしそうな表情をしていた。
棺の中に紙皿に入れたカツオの煮つけと、お箸を入れて、
「おっちゃん、向こうで食べてな」って言ったら、
「うん、やっと食えるわ」って返事しそうな気がした。
向こうでいつか再会したした時は、
「お前の味付けは、あんまりうまいことないな」
そう、もう一度悪態をついて欲しい…
おっちゃん、お疲れ様、じいちゃん、ばあちゃんによろしくね。