思い付きブログ

天橋立と、自然と人工の違い

 日本三景の一つ、景勝地として有名な天橋立は、松林が美しいそうです。
 行ったこと、ないですけど。

 これが、100年もすれば広葉樹が多くなり、全く違う風景となるそうです。

 自然のなすがままにしておけば、ですが。

 現在の景勝を守るために人間が積極的に手を入れていくべきか。
 それって、大きな盆栽みたいなものでしょうか。
 それは、既に自然とは呼べるものではないのでしょうけど。

 それとも、人間は手を入れずに自然のなすがままにしておくべきか。




 そう言えば、何年前か忘れましたが、アメリカで、雷だったかで自然に森林火災が起きたとき、消防隊の消火活動を妨害する自然保護団体がいました。

 その結果、かなり広範囲が燃えました。日本の複数の市が入るくらいの広さが燃えたと思います。

 つまり、自然に起きた火事だから、人間が人工的に手を加えることは、自然に反する行為だというわけです。

 人間が手を入れたら、それは既に自然ではないということなのでしょう。

 これはこれで筋が通っています。




 で、天橋立をどうするか。
 自然かどうかなんていうことより、まず第一に、地域の大事な観光資源ですから、手を入れて整備すべきでしょう。

 しかも、既に、以前、松食い虫で松が全滅しそうになったのを人工的に救ったし、砂が波に浸食されたのを補うために砂を補ったようですし(尤も、人間が川にダムを作ったから、海への砂の供給が減ったのが主因らしいですが)。

 あっ、そもそも、松林が自然に出来たものなのかは、知りませんが。



 で、アメリカの森林火災ですが、森林はCO2を吸収するなど、木があった方が(基本的には人間にとって)役立つので、消火活動をすべきでしょう。





 なお、こんな考えもあります(下のは、何かに書いてあった記述の概要を思い出しながら書いたので、正確な記述ではありません。)。
 


 「人間も自然が作り出したものだから、人間自体も自然そのものである。
 よって、自然である人間が行うことは全て、他の自然が行うことと同じ程度に自然な行いである。」



 となると、そこから導き出される考えとして、次のことも言えます。

○ そんな、自然であるはずの人間が行うことを「人工的」として他の自然であるものが行うことと区別するなんて、人間はこの地球や宇宙で特別なものであると思っているからである。

○ 人間は他に比べて知的レベルが高度に発達しているから、その特別だという意識は自然とも言える面はあるものの、その意識は既に、人間は人間以外の自然のもの(地球含む)の上位に立つ支配者であるというレベルになっている。
 それは人間の傲慢さの現れである。







 キリスト教世界の欧米は、自然は敵であり、征服し支配すべきもの、という考えが強いです。

 一方、日本では、自然は味方でもあり敵でもあり、清濁併せ持ちつつ共存していくもの、という意識が強いと思います。
 それは、自然にはかなわないということを日本人が学んできた結果なのでしょう。
 そのため、上記の2つの○の感覚は、日本人には弱いと思いますが。


 世の中、難しいですね。

コメント一覧

shin
http://yaplog.jp/shin99shin/
>kameichi {ルンルン}さん、ザックさん

 自然の意味には2つあって、

 (1) 人工に対応(敢えて、「対立」とは書きません)するものとしての自然。
 つまり、人間と自然とを区別する考え。

 (2) まさに、自然が作り出したもの全て。人間も自然が作ったものだから、人間も自然な存在。
 これをもう一歩推し進めると、人間の行いは全て自然な行いである、という考えにもなる(図書館で見たものですが、20年位前に出された専門誌に書いてありました)。


 本文に上げた考えは(2)のものですが、自然の意味は、お二人が仰るとおり、普通は(1)の意味ですし、私もその方が妥当だと思います。


 ただ、私としては、人間は自然の上位に立つ優れた存在であり支配者であるという意識が強くなり過ぎないようにしたい、と思った次第です。

 人間は特別な存在なのでしょうけれど、だいぶ前から、人間は、自然を滅ぼせる、地球を滅ぼせる力を手にしたので、自らの力の強さに自覚的でないと、傲慢にならないかということも含めてちょっと心配だな、というところです。



 なお、欧米とかの争いの一因として、日本の多神教に対して、一神教であることがあげられることがありますが、概ね妥当だろうとは思いつつ、日本の仏教だって昔は宗派間の対立が強くあって、僧侶達が殺し合いをしていたので、もう少し考えてみようと思っています。


ざっく
http://yaplog.jp/rockgamer/
「自然」の意味が人為が加わっていない、あるがままの状態、現象を指してるから、「人間も自然が作り出したものだから、人間自体も自然そのものである」ってのは屁理屈ですよね。
人工的かそうでないか、区別するために便利だから作られた、単なる言葉にすぎないのに。

自然に起きた火事だから、人間が人工的に手を加えることは、自然に反する行為・・・ってのも、自然に反する行為ってのは悪いことなの?って感じです。
その自然保護団体は、自然保護の意味を完全に見失ってるね・・・バカばかりだったのかな?
kameichi {ルンルン}
http://yaplog.jp/kameichi/
こんにちは

さきほどは当ブログへのコメントありがとうございました。

なかなか難しい話ですね。

> 人間も自然が作り出したものだから、人間自体も自然そのものである。

屁理屈という感じがしますが、でも確かに一理ありますね。しかし、これに則れば人間は何をしてもよいということになってしまいますから、やはり間違いのように思います。

一神教に毒されていない日本人は、いい意味適当に済ませられるところがありますが、欧米人は白黒つけて、こうと決めたらとことんやるので、それによって良いほうと同時に悪いほうにも大きく振幅して、その結果ときとして大きな傷を作る傾向があるんじゃないかと思います。ちょっと偏見かな。
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