ビートルズのほうは訳詩集なんかが出ていたおかげで、訳の参考にすることができたが、ディランのほうは訳詩集もなく、頼りになるのがレコードの歌詞集だけだった。
この歌詞集の訳だが、あまりに言葉が飛びすぎて大変わかりづらい。英語圏に住む人しか理解出来ないことを、むりやり日本語に訳しているから、理解出来ないのだ。結局、その訳詞を見た時点で、突飛な歌詞の訳を参考にするのはやめることにした。。避けることにした。
そういった詩は、ディランがレコーディングに間に合わすためにタクシーの中で走り書きしたものが多いらしいから、別に訳しても何の意味もなかったと言える。やはり、ディランの詩は初期のフォーク時代のほうが、意味も通じるし、日本語の詩として体裁が整えやすかったので、その時期のものが中心になった。
君が北国に行くのなら
風が強く吹きつのる国境の町に
一人の女性を訪ねてほしい
彼女はかつて、ぼくの恋人だったんだ
もし吹雪の中を行くのなら
夏の遠ざかった町で
彼女が寒い思いをしていないか
それを見てきてほしい
長い髪はそのままにしてあるんだろうか
今でも胸の辺りまで伸ばしているんだろうか
教えてほしい
ぼくの知っている彼女かどうか
ぼくのことを忘れないでいてくれているんだろうか
いつもぼくは彼女のことを祈っている
星もない闇夜の中で
照りつける日差しの中で
だから君が北国に行くのなら
風が強く吹きつのる国境の町に
一人の女性を訪ねてほしい
彼女はかつて、ぼくの恋人だったんだ
(ボブ・ディラン『北国の少女』)
上の『北国の少女』も、そのころ訳した詩の一つだ。
『北国の少女』、ボブ・ディランの2枚目のアルバムに入っている歌で、この歌の歌詞の一部が、あるアーティストの有名な曲に使われている。
「She once was a true love of mine」
これを書いてピンとくる方は、かなりのS&G通だろう。そう、この歌詞はS&Gのあの『スカボロ・フェアー』で使われているのだ。後にディランが、S&Gの『ボクサー』を歌っているくらいだから、何らかの接点があるのだと思う。
のちにディランは、この歌を9枚目のアルバムの冒頭に入れている。ジョニー・キャッシュとのデュエットだが、各自が適当に歌っているように聞こえて、最初に聞いた時「何だ、この酷いデュエットは!」と思ったものだ。解説には、「さすが大御所同士の共演だ」というようなことを書いて褒めているのだが、ぼくは今でも酷いと思っている。