『敗北』本メモ⑧~⑩
白土kamui
2015年11月7日~12月19日
ブログ:「狂おしく悩ましく」から転載
http://blogs.yahoo.co.jp/hutagoyama_1
《管理者から一言》長文のため①~⑦と⑧~⑩の二つに分割して掲載します。また文中では、ブログ「狂おしく悩ましく」の当該箇所へのリンクが指定されていますが、再掲に当たってはリンク処理を省きました。悪しからず、ご了承ください。
(承前)
◆⑧ 節目に沿って
●堅実全面論文の棚上げの意味
桜 『前進』646号論文(「堅実・全面論文」73.08.06)にも触れているけれど、すう勢的「後退局面」の1文が削除されたというちまたの話は無視された。今が階級闘争の高揚局面か逆か?全体として運動にとって不可欠な議論をネグレクトしている感もある。74年=75年恐慌(オイルショック)を経て、清水さんの『現代戦争テーゼ』「恐慌⇒戦争」論に進まなかった現実。「豊かな社会」の出現。時代の変化への無関心と排斥。
梅 とはいえ,堅実論文が本多さん自身によって「棚上げされた」こと、『清水選集3』では参考文献からも削除されたことの暴露は意味がある。90年代の転換の混迷期には、多くの人がこの古証文を引き出して必死に読んだものだったけれどね。
●5回大会。内戦の「高次段階」と清水体制。単一基軸論
竹 「結節環」という点では「75年の転換」論は目新らしい?
81年の「5回大会」の実態は意外の感もある。PⅡ(先制的内戦戦略の高次段階への移行)とともに「清水時代」の正式な幕開けだった。けれども直前の政治局会議ですら、対革マルと対権力の戦争のいわば比重の置き換え(任務体系の組み換え)も三里塚の「基軸化」も確認されていなかったのだという。大会での政治局員たちの渋い顔!そしてすべての報告を清水さん一人で取り仕切る異例の進行。
桜「戦略的総路線」が廃棄され、「唯一単一の路線」化への逸脱の開始という(岸氏の?)指摘は今更ながらとはいえ当然過ぎる。
梅 とはいえ「(単一)路線主義」で当時を生きてきてしまった人間にとっては、実感として振り返られる当時の時代認識や社会認識はもうない。専従や学生、「忠実すぎるメンバー」にとっては「みんな虚構だった」という感しか残らない。日本の敗戦以降に、本当とウソの区別もつかない「アカ新聞」(表紙や文字の赤い暴露系)が溢れたというけれど、似たような経緯を経ないと「何が本当だったのか?」ということも分からないという悩みがある。
桜「80年代革命」という切り口は、当時も今も、共感する人と違和感を持つ人とに別れそうだ。本多さん虐殺で70年代革命が失われた論と併せてね。ただ確かに「正統本多派」論的ではありそうだ。
●天皇決戦と破防法。「戦後民主主義」
梅 『50年史』では90年天皇決戦そのものが史実から抹殺され、「ほんとうに何も無い」という。
松 他方で天皇決戦では「破防法を粉砕した」誇らしげに総括している。確かに組織適用の恐怖に打ち勝ったとはいえる。本多さんの悲願を貫いたとも言える。けれど実態としては「敗走の前の大攻勢」とでも言うべき感もある。
竹 「天皇絡みで破防法は無い」ともともと断言していた人もいる。
松 自衛隊の治安出動を阻んだ後藤田やそんな連中もいた。「戦中派」がまだ健在だった時代でもある。「治安維持法の再来」となれば社会全体に激震が走る。そんなぎりぎりの時代だったのかもしれない。他方ではゲリラやテロへの非難のキャンペーンが社会党を解党に追い込んだという議論すらないわけではない。矢面に立たされた動労千葉や国労にとって、浅草橋や「ケーブル切断」などが「良いこと」だったのかは大事な指標になる。中曽根の「左右のウィング」論がどう実現されたのかされなかったのかという面からも、ていねいに整理して議論するべき大きな問題だ。
梅 そうだね。直前や直後の評価とは別に、5年・10年を経て、より多くの関係者の体験や想いを集約すべき問題だよね。
●公非・合非の現実
桜 公然事務所に常任や活動拠点を集中して、「破防法と戦うなどおこがましい」という議論もあった。じっさいはここに本当の問題があったのかもしれない。地区のメンバーも非公然アジトを別に構える金もゆとりも無い。名簿もカネも権力に奪われた中で、すでに勝負はついたあとだ。ガラス張りの中での「公然・非公然」。「合法・非合法」の使い分けという面では、あまりに場当たり的だった気がする。
松 戦後民主主義論とその変容もしくは定着のしかたをめぐっては、ご都合主義的だったとしか思えない。「継承と断絶」という概念だけで、戦前的議論と戦後的なもののごった煮のような議論しかできなかった。その解明は今後の課題かもしれないね。浅田光輝さんの本でもこの辺は厳しい批判の的だ。
●85年蜂起について
桜 ほかにも結節環ごとにいろいろと。
竹 「85年蜂起」についてももう少し書いてほしかった。
偉大な闘いというだけではすまない多くの問題を抱えている。
松 「85年世代」という言葉があるけれど、みんな苦しんでいる。
梅 『狂おしく』の本体ではもう少しいろんな局面が多彩・多層に書かれている。せっかく読んだのなら、もう少しちゃんとした反応がほしいよね。
桜 総じて「不都合な事実」「不都合な真実」が多すぎて…。
自民党本部の炎上 85年蜂起 浅草橋のその後
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◆⑨ 「7・7」?
「あとがき」では水谷さんの「77自己批判」論がある。
それとは別に、「緒言」の注に解説もある。
どこかで「スルタン・ガリエフ」という言葉もある。「スルタン・ガリエフ」はレーニン民族論の再考でもある。白井さんが主要に追求した課題でもある。清水さんの「単一民族論」の暴露もある。
けれど、白井さんの事件でも高山問題でも「党内権力闘争」や「権勢の拡大」志向で片付けてしまった。この辺では清水政治局の忠実さを引きずったままだ。
白井さんの追放は「一国社会主義」と民族問題の関連でもあった。清水さんが民族問題を公然と無視・批判したひとつのメルクマールだ。私自身は本社の時代に、それとは知らずに水谷さんと議論したこともある。
ソ連崩壊と反スタの終り
そして白井さんへのテロ。
高山問題では、関東地方委員会(KC)での激論もあったと聞く。「労働運動路線」と「血債主義」が「動労千葉路線」とは別な意味合いで議論された。この時は木崎ほかも反乱分子に対して中央としての「血債主義」のスタンスを取った。そんな時もある。けれども水谷さんにとっては関心の外にあったのだろうか。
ついでに宣伝として 理論への渇望
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◆⑩ その他もろもろ
●スパイ問題が一定の大きさで語られている。
ここでは荒川スパイ事件への私のブログの記事を紹介する。
荒川スパイ事件について
何度か記事にしているので読んでほしい。
私としては、当初は「資料不足で推定無罪」の論を張った。荒川氏のパンフが発行されて以降は「より白に近い灰色の推定無罪」としている。
栗山スパイ事件については「事実」が公表されて修正も必要に思えるけれど、著書の姿勢への評価では変わらない。「神保スパイ事件」として、直前に、北小路さんへの「魔手」が及んでいたということは初めて聞いた。後手・後手の対応だったのだ。
与田の腐敗と浅尾(高杉)スパイ事件での議論の仕方は、その対策と基本的な姿勢では意外な論述もある。「再起」のチャンスを与えよ…という議論だ。へー意外だね、と思う。
宮崎学その他、今回はパスしたい。
●かつての偉大な人々
陶山さんへの対応のひどさや野島問題もある。
他方では秋山問題や松尾問題も一部だけれど触れられている。いまさら、という思いもないわけではない。こちらは清水側近の視点、清水べったりではある。故北小路さんの闘病。さらに白井問題・高山問題。与田問題から梶さん(高木さん)の失脚と除名。清水さんの闘病と卑劣さと「未熟さ」。もはや…。頂点に立つ人々が次々に壊れていく。いつ解散に踏み切るかという問題でもあった…。
80年代の諸問題の「松尾真の失脚」とはだいぶ事実関係がずれきっている。
●「党改革の歴史」
「組織は人」もひとつの名言だけれど、とりあえず三つの「党改革」にも触れて欲しかった。
80年代の三里塚実行委員会ほかでの青忠さんや三○さんたちの「楽しくやろうよ」運動。同末の吉羽忠さんの「党改革運動」、そして「常任の党」から「労働者の党」への再編について。
最後の問題は、「左派の基盤」を基礎から掘り崩したものでもあるはずだ。実際に効力を持って改革につながったかどうかは、これもまた実際の検討なしには語れない。県や地区のキャップを現場労働者に置き換えて、常任の元キャップは「担当常任」になった。とはいえ、産別や職種、そして地域の違いなどを取り込んだ「指導」には新たな膨大なエネルギーが必要だった。現場でそれぞれのやりかたで実績を伸ばしてきた他のメンバーの力を引き出すには、「指導と被指導」の関係をひっくり返すほどの一大転換が求められたはずだ。暗黙の「地下ルート」でつながりあう「現場」の力に、時には依存し時には「屈する」度量も必要らしい。結局は簡便な「新たな管理主義」への魅力が勝ったとはいえないだろうか?もはや「党の実勢と動態」を認識すること自体、不可能化していたのかもしれない。
●三里塚に関して
参考までに9.農地死守論 3・8分裂 土木作業員の死 ほか
中核派の農地守論
●ばらばらの一元化
首都圏の組織のばらばら感と地方組織のありかたには差異が大きい。ましてや解放同盟全国連においておや。
対革マル戦以来?中核派は少なく見ても2桁の分立した組織のあり方を続けた。政治局にあっては「一元化」かもしれないけれど、諸組織やメンバーにとっては、それぞれまったく別の蓄積を重ねてきたといえる。
まず、表と裏。主としてSOB(学生組織委員会)経験者たちを幹部とする「軍」は互いに旧知の仲であり「おれ・おまえ又は先輩・後輩」の中でもある。けれど「あれから20年」。違った経緯を経ることで中身は崩れることは当然至極だ。「一体感」など実質的にはないはずだ。そういう問題意識からのアプローチが感じられないのも特徴だ。
●事実上の「連合党」からの再出発
清水さんの東と野島さんの西。(それぞれ各地方代表者会議を持つ)。それぞれの元に地方委員会や県委員会など。
本社や支社の官僚機構と特に古参の労働者たち。
現場の古参にしてもいろいろで、現場では浮いてしまった人から、かなりの運動の蓄積を得てきた人に至るまで千差万別。大衆的には信望を得た人でも、中央に対して物言えるか否かではまた色々だ。
松尾の下の学生戦線も地方ごとに組織されていた。別格の位置を持つ三里塚。諸戦線の課題はじっさいに基本組織の諸活動にどう反映されてきたのだろうか。
特に解放戦線は大きくは独自の力と権限を持つ分立組織ともいえた。選挙のときを除いて、「セツルメント」や地域活動すらない関係。
「20年後の再統一」などあり得たろうか?という素朴な問いに思いを馳せることからしか始まらない。
●「アウンの仲」
しかも「脱落・離脱」や戦線移行が重なり、初期的な「旧知の関係の人間的アウンの心」という潤滑油・クッションもない。両氏の議論にもその課題の大きさへの認識の気配すら出てこない。
「ばらばらの一元化」。それは絶対主義や今の天皇制論議、「新たなファシズム」や「構造的差別」にもつながる大きなテーマだ。さらには「大衆社会化・都会の砂漠と絆の回復云々」。この課題にどう答えたらいいのだろうか?
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◆⑩ その他2
●編集の仕方
[注]が少なすぎて、像が浮かばないものも少なく
●分派・党内闘争
「分派」や「フラクション活動」が否定的な意味合いでのみ語られているのも特徴か?せいぜい「グルーピング」があいまいな姿勢ででてくる。「公然たる党内闘争」への希求や分派闘争への肯定的姿勢が欲しいところではある。分派を否定した統一戦線論など面白くも無い。で、追い出されてから「暴露」では…。
●統一戦線
67年10・8羽田前夜の解放派へのテロや3・8三里塚テロなどの自己批判にはけっこうな分量もある。ただ、全国全共闘以降も他党派への互いのテロ支配は続いた。法政の中核、明治のブント。互いに拠点大学内ではテロによる支配は定着してしまった。ま、革マルほどではない、という面もあるけれど。三里塚の統一戦線(共闘)も、「上からだけの」共闘にすぎなかった。そんなことに慣れっこになっていた。
松 「下からの」について。職場では、地域・産別それに諸個人によって千差万別のようだ。
いちど党派や社会党系の派閥に結集してしまうとお互いに党派から離れられないという問題がとても大きい。だからあらかじめ「囲い込み」が策されるのだけれど、生まれてしまえば共闘しかなくなる。仕事の上でも「できるやつ」か否かは互いの信頼感や実際の解決能力での差を生む。
猪 ある時青婦協に動労がやってきた。常任たちはボーとしていて対応できない。そのとき国労と川崎市職市職がスクラムを組んでたたき出した。後日知り合いの動労が来て、「まったく、青婦協には行きたくないね」とぼやいていた。わざわざ挨拶に来たわけだね。もちろん、青婦協の役員には事前にも事後にも話は通してあったのだけれどね。こんなこと誰も知らないんだろうけれどね。
桜 つまり〈革マルの勢力の大きさと広がりとの〉対峙の陣形をどう考えるのかという問題でもあった。テロ合戦や法政などの「大学戦争」の延長に、動労革マル(JR総連)との闘いを見る傾向に埋没していた気もする。
●ラディカル左翼?
中核派の常用語にはない「ラディカル」を多用している。「革命的左翼」でなく…。
ま、色んな思惑があるのだろうけれど、別な場所でということで。
●生活感の無さ
生活感のなさはもちろん、地区や現場の実態がゼロだというのも特徴のひとつだ。
婦民問題でかすってはいるけれどそこまで。
元・東京南部地区委員長の岸の実態ない。基本的になで斬りだからなおのこと。視点をそらした「コラム」や「解説」が欄外に欲しい。ま、分量が多すぎて…、ということだとしても。そして読者からすれば、なぜ第1部と第2部を切り分けて出版できなかったのかという思いだ。そして第3部(3冊目)で軍事・地区・産別・課題による実証的な検討があっていい。元編集局長にしては…。
●まとめとして、『狂おしく』から。
06年の「3・14」(関西の「党の革命」)と以降の中核派の分裂・対立は、ある面では過去を振り返ることで読み取ることもできた。91年の転換を「茫然自失と敗走の開始」と見ればいい。80年代の中核派の陣形を考えればいい。
「安田派中央」の変質ぶりは度肝を抜くほどだ。けれど、それとまともに対決も出来ずに敗退した清水さんにこそ、問題の核心があると思う。
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◆終りに 緊縛・解縛
●けっきょく、「シミタケ」信仰の極致を描いてみたということか?
ただ「左派」論には、「武装闘争」の貫徹に最後までこだわったということでもありそうだ。武装闘争からの撤退とは革命家としての死でしかないという想いはかすかに伝わってくる。「革命家として死にたくない」。それが「本当の想い」ともいえそうだ。
この世の不可解さと森羅万象を「暴力革命」「政治党派」と「政治」に収斂しようとすること自体が(いまだ何者でもないゆえに)怖れを知らぬ青年の過ちではある。どんな理論も信念も、その適用範囲・応用範囲があることをあらかじめ知るには、「政治の世界」は狭すぎる。「生活感の欠如」とは、こんな脈絡で語られるのだろう。優れた感性をもつ選ばれた青年の一人でもあった水谷さん。その悶えは伝わる。
75年の3・14直後の会議でのシミタケさんの黒田哲学批判への異常なのめりこみも、分かる気はする。「黒田哲学ののりこえ」は、第3次分裂以来の中核派の、中核派たらんとするかぎりの存在証明のひとつではある。ただ、「単一の哲学体系」を党派の基礎としようとする限り、それ自体がスターリン主義としかいいようがない。それに「時と所を選べ」。確かにそれほど「3・14」は重すぎたのか?!
岸氏の81年の三里塚への着任の経緯は短いけれどよく描かれている。断って離脱するか受け入れるか?「労働運動」へのかりそめの興味。もし別の道があったらという想い。その想いを振り捨てて三里塚の武装闘争に突入したその想いと「重責」「つけ」。「ルビコン」を渡り武装闘争にかけたその橋をはずされた無念…。
●お互いに「緊縛」されてきた経緯。 「解縛」には残る生涯を費やしてもなお短いのかもしれない。最後に水谷さんと岸氏の「共著」に無理があるという面もありそうだ。岸氏が本音・本性を現せば水谷さん的なナイーブな表現はたちまち大気に触れたミイラのごとく風に散る。「左派」の仮像と「二人の政治局員」という看板にこだわったことが、いっそう中身の薄さにつながったという面もありそうだ。両氏の食い違いをもっと率直に「併記」すればよかったとも思う。
●いろいろ思うことも無いわけではないけれど、そろそろまとめに入りたい。『敗北』本が見せた惨めな実態は、「恥ずかしい」とか「お粗末」どころではない。あまりにひどすぎる。
●他方で、昨今の安保関連法案での中央派の対応もまた、断末魔の域を超えていそうだ。なんの存在感も影響力もないままで、ひたすら「労働者集会へ」とするビラまきに終始した。「発信力ゼロ」。自滅というか革マル的「決戦後の決戦」論に逃げ道を求め閉じこもるというか。何よりも、小なりとはいえ生き生きとした息吹と価値創造性が感じられない。もはや「誰にも相手にしてもらえない旧・新左翼」か?
本書が書く「20労組」への中野さんのネガティブな対応(前述)は以外に根が深いのかもしれない。交流センター以来、「新たな労組のナショナルセンター」それ自体の母体かあるいはその一角を占めることを目指すのかをめぐって揺れた。そして前者に収斂されてきたように見える。「中核派主導・独裁の全運動の再編・統一の現実性」論は「左派・右派」を問わず共通していそうだ。「夜郎自大」が本書の特徴の一つでもある。
『敗北』本への「史上最悪のスパイ」云々論は恥ずかしい限りだ。
けれど、テロは無いということでもあるようだ。ま、現状ではそれが一番大事なことかも。
「査問中のスパイの本社からの転落・重態」事件もあるけれど…。
「危なくなったら本社への出頭に応ずるな」という話も。
「故郷」が消滅するのを見るのは辛い。同郷の士のみじめな議論には改めて情けない。
とはいえ、何であれ、出版したことの意義は充分にある。
ま、「散華」?? 殉死?? 諫死??
◆
『敗北』本の最大の効用は、「中核派のことなんかどうでも良いや」と思い切り突き放す気持ちにさせてくれたことでしょうか?
それを押して少しだけ踏み込んでみましたが、どうだったんだんべぇ?
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(おわり)
白土kamui
2015年11月7日~12月19日
ブログ:「狂おしく悩ましく」から転載
http://blogs.yahoo.co.jp/hutagoyama_1
《管理者から一言》長文のため①~⑦と⑧~⑩の二つに分割して掲載します。また文中では、ブログ「狂おしく悩ましく」の当該箇所へのリンクが指定されていますが、再掲に当たってはリンク処理を省きました。悪しからず、ご了承ください。
(承前)
◆⑧ 節目に沿って
●堅実全面論文の棚上げの意味
桜 『前進』646号論文(「堅実・全面論文」73.08.06)にも触れているけれど、すう勢的「後退局面」の1文が削除されたというちまたの話は無視された。今が階級闘争の高揚局面か逆か?全体として運動にとって不可欠な議論をネグレクトしている感もある。74年=75年恐慌(オイルショック)を経て、清水さんの『現代戦争テーゼ』「恐慌⇒戦争」論に進まなかった現実。「豊かな社会」の出現。時代の変化への無関心と排斥。
梅 とはいえ,堅実論文が本多さん自身によって「棚上げされた」こと、『清水選集3』では参考文献からも削除されたことの暴露は意味がある。90年代の転換の混迷期には、多くの人がこの古証文を引き出して必死に読んだものだったけれどね。
●5回大会。内戦の「高次段階」と清水体制。単一基軸論
竹 「結節環」という点では「75年の転換」論は目新らしい?
81年の「5回大会」の実態は意外の感もある。PⅡ(先制的内戦戦略の高次段階への移行)とともに「清水時代」の正式な幕開けだった。けれども直前の政治局会議ですら、対革マルと対権力の戦争のいわば比重の置き換え(任務体系の組み換え)も三里塚の「基軸化」も確認されていなかったのだという。大会での政治局員たちの渋い顔!そしてすべての報告を清水さん一人で取り仕切る異例の進行。
桜「戦略的総路線」が廃棄され、「唯一単一の路線」化への逸脱の開始という(岸氏の?)指摘は今更ながらとはいえ当然過ぎる。
梅 とはいえ「(単一)路線主義」で当時を生きてきてしまった人間にとっては、実感として振り返られる当時の時代認識や社会認識はもうない。専従や学生、「忠実すぎるメンバー」にとっては「みんな虚構だった」という感しか残らない。日本の敗戦以降に、本当とウソの区別もつかない「アカ新聞」(表紙や文字の赤い暴露系)が溢れたというけれど、似たような経緯を経ないと「何が本当だったのか?」ということも分からないという悩みがある。
桜「80年代革命」という切り口は、当時も今も、共感する人と違和感を持つ人とに別れそうだ。本多さん虐殺で70年代革命が失われた論と併せてね。ただ確かに「正統本多派」論的ではありそうだ。
●天皇決戦と破防法。「戦後民主主義」
梅 『50年史』では90年天皇決戦そのものが史実から抹殺され、「ほんとうに何も無い」という。
松 他方で天皇決戦では「破防法を粉砕した」誇らしげに総括している。確かに組織適用の恐怖に打ち勝ったとはいえる。本多さんの悲願を貫いたとも言える。けれど実態としては「敗走の前の大攻勢」とでも言うべき感もある。
竹 「天皇絡みで破防法は無い」ともともと断言していた人もいる。
松 自衛隊の治安出動を阻んだ後藤田やそんな連中もいた。「戦中派」がまだ健在だった時代でもある。「治安維持法の再来」となれば社会全体に激震が走る。そんなぎりぎりの時代だったのかもしれない。他方ではゲリラやテロへの非難のキャンペーンが社会党を解党に追い込んだという議論すらないわけではない。矢面に立たされた動労千葉や国労にとって、浅草橋や「ケーブル切断」などが「良いこと」だったのかは大事な指標になる。中曽根の「左右のウィング」論がどう実現されたのかされなかったのかという面からも、ていねいに整理して議論するべき大きな問題だ。
梅 そうだね。直前や直後の評価とは別に、5年・10年を経て、より多くの関係者の体験や想いを集約すべき問題だよね。
●公非・合非の現実
桜 公然事務所に常任や活動拠点を集中して、「破防法と戦うなどおこがましい」という議論もあった。じっさいはここに本当の問題があったのかもしれない。地区のメンバーも非公然アジトを別に構える金もゆとりも無い。名簿もカネも権力に奪われた中で、すでに勝負はついたあとだ。ガラス張りの中での「公然・非公然」。「合法・非合法」の使い分けという面では、あまりに場当たり的だった気がする。
松 戦後民主主義論とその変容もしくは定着のしかたをめぐっては、ご都合主義的だったとしか思えない。「継承と断絶」という概念だけで、戦前的議論と戦後的なもののごった煮のような議論しかできなかった。その解明は今後の課題かもしれないね。浅田光輝さんの本でもこの辺は厳しい批判の的だ。
●85年蜂起について
桜 ほかにも結節環ごとにいろいろと。
竹 「85年蜂起」についてももう少し書いてほしかった。
偉大な闘いというだけではすまない多くの問題を抱えている。
松 「85年世代」という言葉があるけれど、みんな苦しんでいる。
梅 『狂おしく』の本体ではもう少しいろんな局面が多彩・多層に書かれている。せっかく読んだのなら、もう少しちゃんとした反応がほしいよね。
桜 総じて「不都合な事実」「不都合な真実」が多すぎて…。
自民党本部の炎上 85年蜂起 浅草橋のその後
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◆⑨ 「7・7」?
「あとがき」では水谷さんの「77自己批判」論がある。
それとは別に、「緒言」の注に解説もある。
どこかで「スルタン・ガリエフ」という言葉もある。「スルタン・ガリエフ」はレーニン民族論の再考でもある。白井さんが主要に追求した課題でもある。清水さんの「単一民族論」の暴露もある。
けれど、白井さんの事件でも高山問題でも「党内権力闘争」や「権勢の拡大」志向で片付けてしまった。この辺では清水政治局の忠実さを引きずったままだ。
白井さんの追放は「一国社会主義」と民族問題の関連でもあった。清水さんが民族問題を公然と無視・批判したひとつのメルクマールだ。私自身は本社の時代に、それとは知らずに水谷さんと議論したこともある。
ソ連崩壊と反スタの終り
そして白井さんへのテロ。
高山問題では、関東地方委員会(KC)での激論もあったと聞く。「労働運動路線」と「血債主義」が「動労千葉路線」とは別な意味合いで議論された。この時は木崎ほかも反乱分子に対して中央としての「血債主義」のスタンスを取った。そんな時もある。けれども水谷さんにとっては関心の外にあったのだろうか。
ついでに宣伝として 理論への渇望
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◆⑩ その他もろもろ
●スパイ問題が一定の大きさで語られている。
ここでは荒川スパイ事件への私のブログの記事を紹介する。
荒川スパイ事件について
何度か記事にしているので読んでほしい。
私としては、当初は「資料不足で推定無罪」の論を張った。荒川氏のパンフが発行されて以降は「より白に近い灰色の推定無罪」としている。
栗山スパイ事件については「事実」が公表されて修正も必要に思えるけれど、著書の姿勢への評価では変わらない。「神保スパイ事件」として、直前に、北小路さんへの「魔手」が及んでいたということは初めて聞いた。後手・後手の対応だったのだ。
与田の腐敗と浅尾(高杉)スパイ事件での議論の仕方は、その対策と基本的な姿勢では意外な論述もある。「再起」のチャンスを与えよ…という議論だ。へー意外だね、と思う。
宮崎学その他、今回はパスしたい。
●かつての偉大な人々
陶山さんへの対応のひどさや野島問題もある。
他方では秋山問題や松尾問題も一部だけれど触れられている。いまさら、という思いもないわけではない。こちらは清水側近の視点、清水べったりではある。故北小路さんの闘病。さらに白井問題・高山問題。与田問題から梶さん(高木さん)の失脚と除名。清水さんの闘病と卑劣さと「未熟さ」。もはや…。頂点に立つ人々が次々に壊れていく。いつ解散に踏み切るかという問題でもあった…。
80年代の諸問題の「松尾真の失脚」とはだいぶ事実関係がずれきっている。
●「党改革の歴史」
「組織は人」もひとつの名言だけれど、とりあえず三つの「党改革」にも触れて欲しかった。
80年代の三里塚実行委員会ほかでの青忠さんや三○さんたちの「楽しくやろうよ」運動。同末の吉羽忠さんの「党改革運動」、そして「常任の党」から「労働者の党」への再編について。
最後の問題は、「左派の基盤」を基礎から掘り崩したものでもあるはずだ。実際に効力を持って改革につながったかどうかは、これもまた実際の検討なしには語れない。県や地区のキャップを現場労働者に置き換えて、常任の元キャップは「担当常任」になった。とはいえ、産別や職種、そして地域の違いなどを取り込んだ「指導」には新たな膨大なエネルギーが必要だった。現場でそれぞれのやりかたで実績を伸ばしてきた他のメンバーの力を引き出すには、「指導と被指導」の関係をひっくり返すほどの一大転換が求められたはずだ。暗黙の「地下ルート」でつながりあう「現場」の力に、時には依存し時には「屈する」度量も必要らしい。結局は簡便な「新たな管理主義」への魅力が勝ったとはいえないだろうか?もはや「党の実勢と動態」を認識すること自体、不可能化していたのかもしれない。
●三里塚に関して
参考までに9.農地死守論 3・8分裂 土木作業員の死 ほか
中核派の農地守論
●ばらばらの一元化
首都圏の組織のばらばら感と地方組織のありかたには差異が大きい。ましてや解放同盟全国連においておや。
対革マル戦以来?中核派は少なく見ても2桁の分立した組織のあり方を続けた。政治局にあっては「一元化」かもしれないけれど、諸組織やメンバーにとっては、それぞれまったく別の蓄積を重ねてきたといえる。
まず、表と裏。主としてSOB(学生組織委員会)経験者たちを幹部とする「軍」は互いに旧知の仲であり「おれ・おまえ又は先輩・後輩」の中でもある。けれど「あれから20年」。違った経緯を経ることで中身は崩れることは当然至極だ。「一体感」など実質的にはないはずだ。そういう問題意識からのアプローチが感じられないのも特徴だ。
●事実上の「連合党」からの再出発
清水さんの東と野島さんの西。(それぞれ各地方代表者会議を持つ)。それぞれの元に地方委員会や県委員会など。
本社や支社の官僚機構と特に古参の労働者たち。
現場の古参にしてもいろいろで、現場では浮いてしまった人から、かなりの運動の蓄積を得てきた人に至るまで千差万別。大衆的には信望を得た人でも、中央に対して物言えるか否かではまた色々だ。
松尾の下の学生戦線も地方ごとに組織されていた。別格の位置を持つ三里塚。諸戦線の課題はじっさいに基本組織の諸活動にどう反映されてきたのだろうか。
特に解放戦線は大きくは独自の力と権限を持つ分立組織ともいえた。選挙のときを除いて、「セツルメント」や地域活動すらない関係。
「20年後の再統一」などあり得たろうか?という素朴な問いに思いを馳せることからしか始まらない。
●「アウンの仲」
しかも「脱落・離脱」や戦線移行が重なり、初期的な「旧知の関係の人間的アウンの心」という潤滑油・クッションもない。両氏の議論にもその課題の大きさへの認識の気配すら出てこない。
「ばらばらの一元化」。それは絶対主義や今の天皇制論議、「新たなファシズム」や「構造的差別」にもつながる大きなテーマだ。さらには「大衆社会化・都会の砂漠と絆の回復云々」。この課題にどう答えたらいいのだろうか?
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◆⑩ その他2
●編集の仕方
[注]が少なすぎて、像が浮かばないものも少なく
●分派・党内闘争
「分派」や「フラクション活動」が否定的な意味合いでのみ語られているのも特徴か?せいぜい「グルーピング」があいまいな姿勢ででてくる。「公然たる党内闘争」への希求や分派闘争への肯定的姿勢が欲しいところではある。分派を否定した統一戦線論など面白くも無い。で、追い出されてから「暴露」では…。
●統一戦線
67年10・8羽田前夜の解放派へのテロや3・8三里塚テロなどの自己批判にはけっこうな分量もある。ただ、全国全共闘以降も他党派への互いのテロ支配は続いた。法政の中核、明治のブント。互いに拠点大学内ではテロによる支配は定着してしまった。ま、革マルほどではない、という面もあるけれど。三里塚の統一戦線(共闘)も、「上からだけの」共闘にすぎなかった。そんなことに慣れっこになっていた。
松 「下からの」について。職場では、地域・産別それに諸個人によって千差万別のようだ。
いちど党派や社会党系の派閥に結集してしまうとお互いに党派から離れられないという問題がとても大きい。だからあらかじめ「囲い込み」が策されるのだけれど、生まれてしまえば共闘しかなくなる。仕事の上でも「できるやつ」か否かは互いの信頼感や実際の解決能力での差を生む。
猪 ある時青婦協に動労がやってきた。常任たちはボーとしていて対応できない。そのとき国労と川崎市職市職がスクラムを組んでたたき出した。後日知り合いの動労が来て、「まったく、青婦協には行きたくないね」とぼやいていた。わざわざ挨拶に来たわけだね。もちろん、青婦協の役員には事前にも事後にも話は通してあったのだけれどね。こんなこと誰も知らないんだろうけれどね。
桜 つまり〈革マルの勢力の大きさと広がりとの〉対峙の陣形をどう考えるのかという問題でもあった。テロ合戦や法政などの「大学戦争」の延長に、動労革マル(JR総連)との闘いを見る傾向に埋没していた気もする。
●ラディカル左翼?
中核派の常用語にはない「ラディカル」を多用している。「革命的左翼」でなく…。
ま、色んな思惑があるのだろうけれど、別な場所でということで。
●生活感の無さ
生活感のなさはもちろん、地区や現場の実態がゼロだというのも特徴のひとつだ。
婦民問題でかすってはいるけれどそこまで。
元・東京南部地区委員長の岸の実態ない。基本的になで斬りだからなおのこと。視点をそらした「コラム」や「解説」が欄外に欲しい。ま、分量が多すぎて…、ということだとしても。そして読者からすれば、なぜ第1部と第2部を切り分けて出版できなかったのかという思いだ。そして第3部(3冊目)で軍事・地区・産別・課題による実証的な検討があっていい。元編集局長にしては…。
●まとめとして、『狂おしく』から。
06年の「3・14」(関西の「党の革命」)と以降の中核派の分裂・対立は、ある面では過去を振り返ることで読み取ることもできた。91年の転換を「茫然自失と敗走の開始」と見ればいい。80年代の中核派の陣形を考えればいい。
「安田派中央」の変質ぶりは度肝を抜くほどだ。けれど、それとまともに対決も出来ずに敗退した清水さんにこそ、問題の核心があると思う。
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◆終りに 緊縛・解縛
●けっきょく、「シミタケ」信仰の極致を描いてみたということか?
ただ「左派」論には、「武装闘争」の貫徹に最後までこだわったということでもありそうだ。武装闘争からの撤退とは革命家としての死でしかないという想いはかすかに伝わってくる。「革命家として死にたくない」。それが「本当の想い」ともいえそうだ。
この世の不可解さと森羅万象を「暴力革命」「政治党派」と「政治」に収斂しようとすること自体が(いまだ何者でもないゆえに)怖れを知らぬ青年の過ちではある。どんな理論も信念も、その適用範囲・応用範囲があることをあらかじめ知るには、「政治の世界」は狭すぎる。「生活感の欠如」とは、こんな脈絡で語られるのだろう。優れた感性をもつ選ばれた青年の一人でもあった水谷さん。その悶えは伝わる。
75年の3・14直後の会議でのシミタケさんの黒田哲学批判への異常なのめりこみも、分かる気はする。「黒田哲学ののりこえ」は、第3次分裂以来の中核派の、中核派たらんとするかぎりの存在証明のひとつではある。ただ、「単一の哲学体系」を党派の基礎としようとする限り、それ自体がスターリン主義としかいいようがない。それに「時と所を選べ」。確かにそれほど「3・14」は重すぎたのか?!
岸氏の81年の三里塚への着任の経緯は短いけれどよく描かれている。断って離脱するか受け入れるか?「労働運動」へのかりそめの興味。もし別の道があったらという想い。その想いを振り捨てて三里塚の武装闘争に突入したその想いと「重責」「つけ」。「ルビコン」を渡り武装闘争にかけたその橋をはずされた無念…。
●お互いに「緊縛」されてきた経緯。 「解縛」には残る生涯を費やしてもなお短いのかもしれない。最後に水谷さんと岸氏の「共著」に無理があるという面もありそうだ。岸氏が本音・本性を現せば水谷さん的なナイーブな表現はたちまち大気に触れたミイラのごとく風に散る。「左派」の仮像と「二人の政治局員」という看板にこだわったことが、いっそう中身の薄さにつながったという面もありそうだ。両氏の食い違いをもっと率直に「併記」すればよかったとも思う。
●いろいろ思うことも無いわけではないけれど、そろそろまとめに入りたい。『敗北』本が見せた惨めな実態は、「恥ずかしい」とか「お粗末」どころではない。あまりにひどすぎる。
●他方で、昨今の安保関連法案での中央派の対応もまた、断末魔の域を超えていそうだ。なんの存在感も影響力もないままで、ひたすら「労働者集会へ」とするビラまきに終始した。「発信力ゼロ」。自滅というか革マル的「決戦後の決戦」論に逃げ道を求め閉じこもるというか。何よりも、小なりとはいえ生き生きとした息吹と価値創造性が感じられない。もはや「誰にも相手にしてもらえない旧・新左翼」か?
本書が書く「20労組」への中野さんのネガティブな対応(前述)は以外に根が深いのかもしれない。交流センター以来、「新たな労組のナショナルセンター」それ自体の母体かあるいはその一角を占めることを目指すのかをめぐって揺れた。そして前者に収斂されてきたように見える。「中核派主導・独裁の全運動の再編・統一の現実性」論は「左派・右派」を問わず共通していそうだ。「夜郎自大」が本書の特徴の一つでもある。
『敗北』本への「史上最悪のスパイ」云々論は恥ずかしい限りだ。
けれど、テロは無いということでもあるようだ。ま、現状ではそれが一番大事なことかも。
「査問中のスパイの本社からの転落・重態」事件もあるけれど…。
「危なくなったら本社への出頭に応ずるな」という話も。
「故郷」が消滅するのを見るのは辛い。同郷の士のみじめな議論には改めて情けない。
とはいえ、何であれ、出版したことの意義は充分にある。
ま、「散華」?? 殉死?? 諫死??
◆
『敗北』本の最大の効用は、「中核派のことなんかどうでも良いや」と思い切り突き放す気持ちにさせてくれたことでしょうか?
それを押して少しだけ踏み込んでみましたが、どうだったんだんべぇ?
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(おわり)
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