友への手紙――イスラム国による「人質」問題、全責任は日本政府=安倍にある
今テレビが後藤健二氏殺害の臨時ニュースを報じています。そして安倍の「許しがたい行為であり、断じてテロに屈しない」との声明も。私は安倍に対する激しい憤りをおぼえます。と同時にマスコミ報道にも疑問を感じています。
今回のIS(イスラム国)による「人質」事件とは何か? そして、それを通して日本帝国主義はどこへ進もうとしているのか? 一連の事件を分析し、所見を述べたいと思います。
1)安倍には「人質」解放の気は全くなかった
これまでの日本政府には、「人質」問題に関して一貫するスタンスがありました。それは人命を最優先するとの立場です。古くは1970年、連合赤軍によるよど号乗っ取り事件から最近の中東での「人質」問題に至るまで、この姿勢は変わりませんでした。そして「人質」は全員無事解放されてきました。
ところが今回はそうでありません。全く異なる対応をしています。
1.なぜトルコに本部を置き、トルコルートを使用してイスラム国と交渉をしなかったのか?
ご存知のように、トルコ政府は「中立」の姿勢を堅持しています。再三にわたる米軍による基地使用申請を認めず、イスラム国潰滅作戦=侵略戦争に参戦する欧米諸国=有志連合国とも一定の距離を置いてきました。また、過去の「人質」事件においても仲介役を果たすなど「人質」解放への重要な役割を担ってきました。
また、トルコが大の親日国であることにも注意を喚起したいと思います。あのトルコ大地震の際、多くの日本人がボランティアとして駆けつけ、災害復興に協力しました。その中で2人の日本人がビル倒壊による重症を負い、内1人は死亡しました。その葬儀は国葬並みの扱いであり、国を挙げて死を悔やみ追悼しました。このようにトルコは大の親日国なのです。
ですから日本政府=安倍が真剣になって、本気で「人質」解放を考えていたならば、トルコをパイプ役としてイスラム国との交渉をしたはずです。それが人質解放の最も有効かつ現実的な方法であったことは明白です。
しかし日本政府=安倍が選択したのはヨルダンカードでした。ヨルダンはイスラエルと共に中東の中で最もアメリカ寄りの国家で、アラブ諸国にとっては不倶戴天の敵です。そこに本部を設置したというこの一点で、安倍の本気度が分かります。すなわち、安倍は湯浅遥菜氏、後藤健二氏の解放など毛頭望んでいなかったということです。
2.麻生財務大臣の挑戦的な発言
「テロ集団に渡す金などわが国にはない」との発言を麻生財務大臣がしています。また、安倍は「テロには断固として屈しない」との声明を幾度も幾度も発し、イスラム国潰滅作戦有志連合との連携を強調してきました。この麻生発言、安倍発言を聞いたイスラム国はどう感じ、どう判断するでしょうか? 交渉する意思はないと思うのは至極当然のことです。相手国を刺激しないようにと言葉を選んできたこれまでの政府と明らかに異なる安倍・麻生の対応。ここにも解放する意思は最初から無かったことがうかがえます。安倍は湯浅氏、後藤氏を見殺しにしたと言って過言ではありません。

▲「後藤健二さんの命を救え」「安倍首相は後藤さんを解放させよ」のデモ(1月25日、首相官邸前)
2)報道管制に屈したマスコミ各社
私が「おやっ、これはオカシイ。変だぞ」と最初に思ったのは「邦人2名が人質」との第一報でした。通常この種の記事は、人質の姓名と同時にその人物の素性・経歴・社会的地位を報道します。「○○商事の現地責任者」とか「○○大使館の事務官」とかのコメントです。しかし、今回はそれが無い。とりわけ湯川遥菜氏に関しては何も明らかにされない。私の疑問はここから始まりました。
「人質」になったのは何者だろう、何故この人物が「人質」としてターゲットになったのだろう。これはテレビも新聞も報道せず、たまたま聞いていたラジオから湯浅氏が民間軍事会社の経営者であることを知りました。所持していた荷物の中に武器があり、さらには身柄を拘束された時、銃を手にしていたことも知りました。テレビ・新聞がこれらの事実を報道しない中に、報道管制されていると感じました。
さらには「卑劣なテロは許されない」「テロに屈しない」との政府声明を繰り返し大合唱する報道各社の姿勢に、背筋が寒くなる想いがしました。かつて第二次世界大戦のさなか、「鬼畜米英」「聖戦遂行」の大合唱の下、全新聞社は競って戦争協力をしていきました。「鬼畜米英」を「鬼畜イスラム」と変え、「聖戦遂行」を「テロとの戦いの遂行」と置き換えれば、全く同じです。
マスコミ各社は何年か後、「戦争協力の痛苦なる反省」をまた繰り返すのでしょうか!
3)2億ドルの支援は、イスラム国への宣戦布告
安倍は再三「これは人道的支援であり、止めるつもりは全くありません」と声高に繰り返し言いました。しかし、これは全くのペテンであり、真っ赤な嘘であると言わざるをえません。
はっきりさせねばならないのは、「人道的支援」なる文言は今回交わした文書、演説のどこにも無いということです。そこに書かれてあるのは、「イスラム国の脅威を減ずるために2億ドルを供与する」「地道な人材開発、インフラ整備を含めイスラム国と闘う周辺各国に2億ドル支援する」なのです。「イスラム国の脅威を減ずる」とはどういうことでしょうか? それは現在の空爆を支持しイスラム国を抹殺することに他なりません。「地道な人材開発、インフラ整備を含めイスラム国と闘う周辺各国に2億ドル支援する」とは何でしょうか。「イスラム国潰滅作戦のために補給や後方支援をする」ということであり、狭義・広義の戦費を出すということになります。即ち「2億ドルの支援」は、日本帝国主義が自らの立場――有志連合国の一員として参戦する立場――を明言し、2億ドルを手土産にイスラム国に宣戦布告したものに他なりません。
4)日本政府=安倍の犯した2つの外交上の企み
1.日本人2人の拘束を、政府はかなり早い段階から掌握していました。湯浅遥菜氏の拘束を知り、対策本部を設置したのは昨年8月16~17日。その湯浅氏を救おうとイスラム国へ潜入した後藤健二氏が拘束され、家族(妻)への身代金請求があったのが11月。この時点で、政府・外務省は全事態を掌握し、緊急事態発生=猶予ならざる事態が生起したと確認していたはずです。のっぴきならぬ事態が進行しつつあるとの認識を有していたはずです。
にもかかわらず、今回1月の中東訪問ではエジプト、ヨルダン訪問とともに中東・イスラム人民の最大の敵=イスラエル訪問をあえて強行し、「テロとの戦いの支持」「2億ドルの支援」をぶち上げた。パレスチナ訪問もしたが、おざなりなものだった。これは通常の外交感覚からしてありえないことです。イスラエル・ヨルダン歴訪がイスラム国を刺激し、人質殺害の引き金になることが十分予測されたからです。多分、外務省官僚から「総理、この時期の訪問はお控え下さい。人質2人の生命を損なう大問題になる可能性があります」との具申は当然あったでしょう。それを無視して強行したことが第一の企みです。
2.第二の企みは、2億ドル支援です。この2億ドル支援の対象国は全てイスラム国と対立し、交戦中の国々です。いくら「難民キャンプへの医療援助・食料援助だ」と言い直そうとも、それは手前勝手な言い分であり、通用するはずがありません。狭義・広義の戦費という政治的意味合いを帯びた金銭援助なのです。イスラム国が「有志連合国に参戦した」と受けとめるのは当然なのです。
以上見てきたように、今回の事態は、日本政府=安倍の外交上の新たな踏み込みであることは間違いありません。全ての責任は安倍にあります。先ず安倍を断罪することから始めなければなりません。
5)「邦人救出」の名による集団的自衛権行使への策動
しかし、それだけで済ませて良いのでしょうか? 私は、それ以上の帝国主義国日本の意図=どす黒い野望を感じます。それを証明するかのように、この事件の真只中、1月28日の朝日新聞に「邦人救出のための自衛隊の派遣。政府はそのための法整備を急ぐ」なる記事が掲載されました。狙いはこれなのです。集団的自衛権の行使容認を閣議決定した次にくるのは、自衛隊の交戦地域=戦地への派兵です。しかしこのハードルは余りにも高く、容易なことではない。戦地派兵反対の大きな世論が巻き起こるだろう。どうすればよいか? 強行突破するには、不条理な劣情=愛国心と排外主義、とりわけ反イスラム感情に訴える以外にはない。――それが今回の「人質」事件の本質ではないのかと考えたのです。
ありていに言えば、今回のイスラエル、ヨルダンなど中東歴訪と2億ドル支援の発表が、イスラム国の怒りを引き出し、拘束していた「人質」の殺害にまでいたることはすべて想定内だったのではないかということです。すべては安倍の描いたシナリオどおりに進行し、今や国を挙げて「イスラム国を許すな」「テロを許すな」「テロに屈するな」の大合唱の渦中にあり、それに異を唱えるものは「非国民」「テロリストの一味」扱いの雰囲気さえあります。
今回の事態に関する各政党の声明を聞きましたか? 自民党は言うに及ばず、社民党、共産党にいたるまで誰一人として安倍を批判することなく、「断じて許せない暴挙」の一点で一致しています。まるで戦前の大政翼賛会の議会を見るようです。
日本帝国主義はこれまで事ある毎に他帝国主義から「後方の安全な所にいて、血を流していない」「われわれのように犠牲を払っていない」と冷ややかな眼で見られてきました。血の対価を支払わず利益だけを主張するあつかましい帝国主義だと見なされてきました。しかし今回の日本人2人の血で堂々と分け前を主張できます。アラブの原油を始めとした中東の地下資源の分捕り合戦に参戦できるわけです。そのための自衛隊派兵・出兵が具体的日程に上り始めたというのが私の結論です。
それは案外早いことかも知れません。今回の事件が日帝・安倍により仕組まれたものであり、新たな中東侵戦争の引き金を引いたことは明白です。
ここにおいて、やはり特定秘密保護法が重くのしかかっています。日本政府=安倍がどのような外交文書を作成したのか、人質解放へ向けてどのような交渉をしたのか、しなかったのか、これが分かれば良いのですが、残念ながら特定秘密保護法で最重要機密に指定されていることはほぼ間違いありません。集団的自衛権の行使にしろ、機密保護法にしろ、制定即実行というのが安倍政権の手法です。新たな戦時はすでに始まっていると言わなければなりません。ヨーロッパで高まっている「移民排斥」「反テロ=反イスラム」などイスラム侮辱のヘイトスピーチの大洪水を見る時、米欧日とイスラム世界との対立の構図がつくり出されています。これが現実です。本当に危機感をもって立ち向かっていきましょう。
これから日本でも生起するであろう「イスラム国憎し」「テロに屈するな」の凄まじい反イスラム排外主義の洪水のなかで、断固として日帝・安倍の責任を問い、ムスリム人民と連帯しよう、「反テロ」戦争反対、中東侵略戦争反対の声を上げていきましょう。
6)イスラム国への視座―ムスリム人民との連帯を求めて
イスラム国について一言します。こう書いてきたからと言って、私はイスラム国を支持するものでも評価するものでもありません。彼らの女性蔑視は断じて許せません。さらには、「カリフ」の権威で統治する彼らのイスラム国が、決して民衆の支持を得ないであろうことも明白です。人口の半分を占める女性の解放を願わない革命などありえません。
しかしイスラム国の成立の根底には、米帝によるアフガニスタン侵略戦争、イラク侵略戦争、イスラエルを先兵とするパレスチナ人大虐殺の長期にわたる戦争がもたらした言語に絶する戦禍、苦しみ、犠牲があります。アメリカをはじめとする帝国主義連合が「中東民主化」の名で暴力的に介入し、中東アラブ人民、イスラム人民が宗派を超えて共存してきた紐帯をずたずたにしてしまったのです。それに対してムスリム人民の解放、アラブの解放、イラク周辺地域全体の解放を求める切実な願いと、もうこれ以上我慢できないという巨大な怒りが渦巻いているのです。真の民族解放を求める強烈な意志があるのではないでしょうか。
イスラム国が展開する戦争、社会政策、さまざまな戦術のもっている現実の誤りや非人道性という問題と、帝国主義連合が遂行してきた侵略戦争の無差別虐殺、その残虐さ、非人道性ゆえに激しい怒りや復讐の情念が蓄積されているという問題とを複合的にとらえなければならないと思います。日本、日本人は今や否応なしに当事者となった立場から、自分自身の問題としてイスラム国が突き出した問題に向きあわなければならないと考えます。
このへんは、第一次世界大戦以来の歴史的背景や今年1月7日のフランスのシャルリー・エブド誌事件を含めて、さらに議論を交わし、深めていきたいところです。
2015年2月1日
竜奇兵(りゅう・きへい)
今テレビが後藤健二氏殺害の臨時ニュースを報じています。そして安倍の「許しがたい行為であり、断じてテロに屈しない」との声明も。私は安倍に対する激しい憤りをおぼえます。と同時にマスコミ報道にも疑問を感じています。
今回のIS(イスラム国)による「人質」事件とは何か? そして、それを通して日本帝国主義はどこへ進もうとしているのか? 一連の事件を分析し、所見を述べたいと思います。
1)安倍には「人質」解放の気は全くなかった
これまでの日本政府には、「人質」問題に関して一貫するスタンスがありました。それは人命を最優先するとの立場です。古くは1970年、連合赤軍によるよど号乗っ取り事件から最近の中東での「人質」問題に至るまで、この姿勢は変わりませんでした。そして「人質」は全員無事解放されてきました。
ところが今回はそうでありません。全く異なる対応をしています。
1.なぜトルコに本部を置き、トルコルートを使用してイスラム国と交渉をしなかったのか?
ご存知のように、トルコ政府は「中立」の姿勢を堅持しています。再三にわたる米軍による基地使用申請を認めず、イスラム国潰滅作戦=侵略戦争に参戦する欧米諸国=有志連合国とも一定の距離を置いてきました。また、過去の「人質」事件においても仲介役を果たすなど「人質」解放への重要な役割を担ってきました。
また、トルコが大の親日国であることにも注意を喚起したいと思います。あのトルコ大地震の際、多くの日本人がボランティアとして駆けつけ、災害復興に協力しました。その中で2人の日本人がビル倒壊による重症を負い、内1人は死亡しました。その葬儀は国葬並みの扱いであり、国を挙げて死を悔やみ追悼しました。このようにトルコは大の親日国なのです。
ですから日本政府=安倍が真剣になって、本気で「人質」解放を考えていたならば、トルコをパイプ役としてイスラム国との交渉をしたはずです。それが人質解放の最も有効かつ現実的な方法であったことは明白です。
しかし日本政府=安倍が選択したのはヨルダンカードでした。ヨルダンはイスラエルと共に中東の中で最もアメリカ寄りの国家で、アラブ諸国にとっては不倶戴天の敵です。そこに本部を設置したというこの一点で、安倍の本気度が分かります。すなわち、安倍は湯浅遥菜氏、後藤健二氏の解放など毛頭望んでいなかったということです。
2.麻生財務大臣の挑戦的な発言
「テロ集団に渡す金などわが国にはない」との発言を麻生財務大臣がしています。また、安倍は「テロには断固として屈しない」との声明を幾度も幾度も発し、イスラム国潰滅作戦有志連合との連携を強調してきました。この麻生発言、安倍発言を聞いたイスラム国はどう感じ、どう判断するでしょうか? 交渉する意思はないと思うのは至極当然のことです。相手国を刺激しないようにと言葉を選んできたこれまでの政府と明らかに異なる安倍・麻生の対応。ここにも解放する意思は最初から無かったことがうかがえます。安倍は湯浅氏、後藤氏を見殺しにしたと言って過言ではありません。

▲「後藤健二さんの命を救え」「安倍首相は後藤さんを解放させよ」のデモ(1月25日、首相官邸前)
2)報道管制に屈したマスコミ各社
私が「おやっ、これはオカシイ。変だぞ」と最初に思ったのは「邦人2名が人質」との第一報でした。通常この種の記事は、人質の姓名と同時にその人物の素性・経歴・社会的地位を報道します。「○○商事の現地責任者」とか「○○大使館の事務官」とかのコメントです。しかし、今回はそれが無い。とりわけ湯川遥菜氏に関しては何も明らかにされない。私の疑問はここから始まりました。
「人質」になったのは何者だろう、何故この人物が「人質」としてターゲットになったのだろう。これはテレビも新聞も報道せず、たまたま聞いていたラジオから湯浅氏が民間軍事会社の経営者であることを知りました。所持していた荷物の中に武器があり、さらには身柄を拘束された時、銃を手にしていたことも知りました。テレビ・新聞がこれらの事実を報道しない中に、報道管制されていると感じました。
さらには「卑劣なテロは許されない」「テロに屈しない」との政府声明を繰り返し大合唱する報道各社の姿勢に、背筋が寒くなる想いがしました。かつて第二次世界大戦のさなか、「鬼畜米英」「聖戦遂行」の大合唱の下、全新聞社は競って戦争協力をしていきました。「鬼畜米英」を「鬼畜イスラム」と変え、「聖戦遂行」を「テロとの戦いの遂行」と置き換えれば、全く同じです。
マスコミ各社は何年か後、「戦争協力の痛苦なる反省」をまた繰り返すのでしょうか!
3)2億ドルの支援は、イスラム国への宣戦布告
安倍は再三「これは人道的支援であり、止めるつもりは全くありません」と声高に繰り返し言いました。しかし、これは全くのペテンであり、真っ赤な嘘であると言わざるをえません。
はっきりさせねばならないのは、「人道的支援」なる文言は今回交わした文書、演説のどこにも無いということです。そこに書かれてあるのは、「イスラム国の脅威を減ずるために2億ドルを供与する」「地道な人材開発、インフラ整備を含めイスラム国と闘う周辺各国に2億ドル支援する」なのです。「イスラム国の脅威を減ずる」とはどういうことでしょうか? それは現在の空爆を支持しイスラム国を抹殺することに他なりません。「地道な人材開発、インフラ整備を含めイスラム国と闘う周辺各国に2億ドル支援する」とは何でしょうか。「イスラム国潰滅作戦のために補給や後方支援をする」ということであり、狭義・広義の戦費を出すということになります。即ち「2億ドルの支援」は、日本帝国主義が自らの立場――有志連合国の一員として参戦する立場――を明言し、2億ドルを手土産にイスラム国に宣戦布告したものに他なりません。
4)日本政府=安倍の犯した2つの外交上の企み
1.日本人2人の拘束を、政府はかなり早い段階から掌握していました。湯浅遥菜氏の拘束を知り、対策本部を設置したのは昨年8月16~17日。その湯浅氏を救おうとイスラム国へ潜入した後藤健二氏が拘束され、家族(妻)への身代金請求があったのが11月。この時点で、政府・外務省は全事態を掌握し、緊急事態発生=猶予ならざる事態が生起したと確認していたはずです。のっぴきならぬ事態が進行しつつあるとの認識を有していたはずです。
にもかかわらず、今回1月の中東訪問ではエジプト、ヨルダン訪問とともに中東・イスラム人民の最大の敵=イスラエル訪問をあえて強行し、「テロとの戦いの支持」「2億ドルの支援」をぶち上げた。パレスチナ訪問もしたが、おざなりなものだった。これは通常の外交感覚からしてありえないことです。イスラエル・ヨルダン歴訪がイスラム国を刺激し、人質殺害の引き金になることが十分予測されたからです。多分、外務省官僚から「総理、この時期の訪問はお控え下さい。人質2人の生命を損なう大問題になる可能性があります」との具申は当然あったでしょう。それを無視して強行したことが第一の企みです。
2.第二の企みは、2億ドル支援です。この2億ドル支援の対象国は全てイスラム国と対立し、交戦中の国々です。いくら「難民キャンプへの医療援助・食料援助だ」と言い直そうとも、それは手前勝手な言い分であり、通用するはずがありません。狭義・広義の戦費という政治的意味合いを帯びた金銭援助なのです。イスラム国が「有志連合国に参戦した」と受けとめるのは当然なのです。
以上見てきたように、今回の事態は、日本政府=安倍の外交上の新たな踏み込みであることは間違いありません。全ての責任は安倍にあります。先ず安倍を断罪することから始めなければなりません。
5)「邦人救出」の名による集団的自衛権行使への策動
しかし、それだけで済ませて良いのでしょうか? 私は、それ以上の帝国主義国日本の意図=どす黒い野望を感じます。それを証明するかのように、この事件の真只中、1月28日の朝日新聞に「邦人救出のための自衛隊の派遣。政府はそのための法整備を急ぐ」なる記事が掲載されました。狙いはこれなのです。集団的自衛権の行使容認を閣議決定した次にくるのは、自衛隊の交戦地域=戦地への派兵です。しかしこのハードルは余りにも高く、容易なことではない。戦地派兵反対の大きな世論が巻き起こるだろう。どうすればよいか? 強行突破するには、不条理な劣情=愛国心と排外主義、とりわけ反イスラム感情に訴える以外にはない。――それが今回の「人質」事件の本質ではないのかと考えたのです。
ありていに言えば、今回のイスラエル、ヨルダンなど中東歴訪と2億ドル支援の発表が、イスラム国の怒りを引き出し、拘束していた「人質」の殺害にまでいたることはすべて想定内だったのではないかということです。すべては安倍の描いたシナリオどおりに進行し、今や国を挙げて「イスラム国を許すな」「テロを許すな」「テロに屈するな」の大合唱の渦中にあり、それに異を唱えるものは「非国民」「テロリストの一味」扱いの雰囲気さえあります。
今回の事態に関する各政党の声明を聞きましたか? 自民党は言うに及ばず、社民党、共産党にいたるまで誰一人として安倍を批判することなく、「断じて許せない暴挙」の一点で一致しています。まるで戦前の大政翼賛会の議会を見るようです。
日本帝国主義はこれまで事ある毎に他帝国主義から「後方の安全な所にいて、血を流していない」「われわれのように犠牲を払っていない」と冷ややかな眼で見られてきました。血の対価を支払わず利益だけを主張するあつかましい帝国主義だと見なされてきました。しかし今回の日本人2人の血で堂々と分け前を主張できます。アラブの原油を始めとした中東の地下資源の分捕り合戦に参戦できるわけです。そのための自衛隊派兵・出兵が具体的日程に上り始めたというのが私の結論です。
それは案外早いことかも知れません。今回の事件が日帝・安倍により仕組まれたものであり、新たな中東侵戦争の引き金を引いたことは明白です。
ここにおいて、やはり特定秘密保護法が重くのしかかっています。日本政府=安倍がどのような外交文書を作成したのか、人質解放へ向けてどのような交渉をしたのか、しなかったのか、これが分かれば良いのですが、残念ながら特定秘密保護法で最重要機密に指定されていることはほぼ間違いありません。集団的自衛権の行使にしろ、機密保護法にしろ、制定即実行というのが安倍政権の手法です。新たな戦時はすでに始まっていると言わなければなりません。ヨーロッパで高まっている「移民排斥」「反テロ=反イスラム」などイスラム侮辱のヘイトスピーチの大洪水を見る時、米欧日とイスラム世界との対立の構図がつくり出されています。これが現実です。本当に危機感をもって立ち向かっていきましょう。
これから日本でも生起するであろう「イスラム国憎し」「テロに屈するな」の凄まじい反イスラム排外主義の洪水のなかで、断固として日帝・安倍の責任を問い、ムスリム人民と連帯しよう、「反テロ」戦争反対、中東侵略戦争反対の声を上げていきましょう。
6)イスラム国への視座―ムスリム人民との連帯を求めて
イスラム国について一言します。こう書いてきたからと言って、私はイスラム国を支持するものでも評価するものでもありません。彼らの女性蔑視は断じて許せません。さらには、「カリフ」の権威で統治する彼らのイスラム国が、決して民衆の支持を得ないであろうことも明白です。人口の半分を占める女性の解放を願わない革命などありえません。
しかしイスラム国の成立の根底には、米帝によるアフガニスタン侵略戦争、イラク侵略戦争、イスラエルを先兵とするパレスチナ人大虐殺の長期にわたる戦争がもたらした言語に絶する戦禍、苦しみ、犠牲があります。アメリカをはじめとする帝国主義連合が「中東民主化」の名で暴力的に介入し、中東アラブ人民、イスラム人民が宗派を超えて共存してきた紐帯をずたずたにしてしまったのです。それに対してムスリム人民の解放、アラブの解放、イラク周辺地域全体の解放を求める切実な願いと、もうこれ以上我慢できないという巨大な怒りが渦巻いているのです。真の民族解放を求める強烈な意志があるのではないでしょうか。
イスラム国が展開する戦争、社会政策、さまざまな戦術のもっている現実の誤りや非人道性という問題と、帝国主義連合が遂行してきた侵略戦争の無差別虐殺、その残虐さ、非人道性ゆえに激しい怒りや復讐の情念が蓄積されているという問題とを複合的にとらえなければならないと思います。日本、日本人は今や否応なしに当事者となった立場から、自分自身の問題としてイスラム国が突き出した問題に向きあわなければならないと考えます。
このへんは、第一次世界大戦以来の歴史的背景や今年1月7日のフランスのシャルリー・エブド誌事件を含めて、さらに議論を交わし、深めていきたいところです。
2015年2月1日
竜奇兵(りゅう・きへい)
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