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誰も知らない、ものがたり。

巡りの星 65


「大丈夫かい?」と私が顔を覗き込みながら聞くと、小さなアサダさんは、うつむいたまま、首を横に振った。そして、小さな声をやっと出して言う。

「・・・ここから離れたい・・・だって、家にいる人たち、誰もあたしのことに気づいてくれないもの」

 ―誰も気づいてくれない。そう言う小さなアサダさんの顔に「恐れ」というよりも「諦め」と言えるような表情を垣間見た。そして、私たちに話してくれた。悪夢の”この先の続き”を。

 小さなアサダさんは、もう何度も数え切れないほどこの光景を見てきたという。窓から漏れる明かりと人影。家族団らんの声。確かにそこにあるはずなのに、一度たりとも、その人達の姿を直接目にすることが出来ない。思い切ってチャイムを鳴らしながら呼びかけたことだって何度もある。でも、そうすると必ず部屋の明かりは消され、声も聞こえなくなってしまう。いくつ家を尋ねても結果は同じだった。すぐそこにあるはずなのに、自分が近づくと、消えてしまうもの。自分には、決して近づくことができないもの。小さなアサダさんにとって、家族の団らんは越えがたい大きな壁の向こうの別世界の光景だった。

 途方に暮れるような迷いの道に、わずかばかりに灯った家々の明かりにすがろうとしても、誰も自分の存在に気がついてくれない。そんな絶望感に心が徐々に削られるように、やがて街から全ての明かりが失われていく。そして、暗闇に沈みながら、意識が消えていく。・・・・そして、気がつくと、また友達と公園で遊んでいる。

 ・・・その繰り返しなのだそうだ。本当に、ずっと、ずっと、同じことの繰り返し。

 私とヒカルにぽつりぽつりと話しながらも、小さなアサダさんはどんどん不安になっていくようで、私の手を何度もしっかりと握り直すようにしていた。今にも私たちが消えてしまうのではないかと、きっと恐れているのだろう。

「・・・永遠にくり返される、悪夢」
 ヒカルが小さく独り言のようにつぶやいた。私は小さなアサダさんの寄る辺のない不安と繰り返す絶望感の深さを知り言葉を出せなかった。その代わりに、小さなアサダさんの手を、もう一度両手でしっかりと包み込む。
 そして、すぐに、なぜか怒りにも似た気持ちが、腹の底からふつぶつと沸き起こってくる。
 何でこんな小さな女の子が、これほど寂しい世界をずっとずっと一人ぼっちで彷徨ってなければならないのだ。
 小さな女の子が迷いながら困っているのに、どいつもこいつも気づいてやらずに、無関心のでくのぼうの窓に映る影の人間たち。
 挙句の果てには光が無慈悲にも全部消えて、しまいに暗闇になる街。
 なぜこんな虚しい街に、小さなアサダさんは囚われ続けなければならないのか。

ーくそっくらえ!
 私の腹の中で、何に向けてかわからないけれど、判然としない理不尽さに対する怒りのような、荒ぶる気持ちの塊が外に向けて放たれた時、にわかに身体を吹き付ける風を感じた。

「よーし、わかった!もうやめちゃおうぜ!」
 私は、わざとまわりの家々に聞こえろとばかりに、大きく声を張り上げた。
 ヒカルも小さなアサダさんも、その声に少しびっくりしながら私の顔を見る。

「やめる?」小さなアサダさんは不安げに私の顔を見上げた。
「そう。もう帰り道を探すの、やめちゃおう。もう、あそこがミキちゃんと俺たちのお家!」
 私はそう言って、指をさっき通り過ごした小さな公園に向けた。もちろん誰もいないその公園には、小山のように盛られた滑り台つきのコンクリート製の遊具がボツンと置かれていた。
「おいで!」そう言って、半ば強引に小さなアサダさんの手を引き、その公園へと向かう。戸惑う小さなアサダさんは、ちらっとヒカルの方を見やって顔色を伺った。ヒカルは何も言わずにニコリと笑って見せる。

 公園の小山の滑り台の前まで行くと、私はすぐに階段で小山の上まで登った。そして、振り返り下にいる小さなアサダさんとヒカルに「ほら!こっち!」といって、ふたりに同じように登るように手振りで促した。そして、大人二人と子供一人でちょうどいっぱいのスペースに皆が立ってから周りを見渡す。
 小さなアサダさんが言うように、街の家々の明かりがぽつりぽつりと消えていき、更に街は暗くなりつつあった。街灯も残りわずかしか光っていない。決して受け入れてはくれない、暗闇に飲まれていく寂しい街を見ながら私は言った。「さあ、もっと消えちまえ!はやく消えろ!あはは、そうだそうだ!消えてしまえ!」
 その言葉を誰が聞いているのかは知らないけれど、促されるようにしてどんどん光を失っていく街の景色が、愉快にさえ思えた。やがて、完全に暗闇に堕ちた街を目の前にしながら、私の中にある思いが確信となって、胸を満たした。私は小さなアサダさんの手をしっかりと握りながら言った。「さあ、上を見てごらん」

 同時に上を見上げる私たち。その中で誰よりも早く、周りの街に響き渡るような大きな、大きな声を上げたのは、他ならぬ小さなアサダさんだった。

「うわあ!きれい!」

 私たちの視界には、数え切れないたくさんの小さな星々の煌めきで埋め尽くされた、満天の夜空が広がっていた。

「光が消えて、真っ暗闇になるんだって?じゃあ、星を見るのに、こんないい街はないぜ!わおう!」
 私はこれもまた辺りに響き渡る大きな声を腹から出して、そして、大声で笑った。
「すごい綺麗!」
 いつも冷静沈着なヒカルも、思わず興奮するように目をきらきらと輝かせている。
 これまで見た中でも、一番鮮明な星の海だった。横で夢中になって顔を上げ、夜空を見つめている小さなアサダさんの、くりっとした瞳に映りこんだ星たちは、さらに輝きを増して見えた。
 文字通り、時間を忘れたように、私たちはしばしの間、星の光のシャワーを浴びていた。


・・・つづく。
















 
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