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私はアサダさんの家を知らなかった。勿論リンも。
でも、リンはだからクッキーを連れてきたのだと言っていた。
クッキーが私の家にあったアサダさんの写真から、アサダさんの“匂い”ならぬ“磁気”を嗅ぎ取り、それを辿ることでアサダさんの居る場所まで行けるということだった。
ここからは、クッキーの出番だ。
「頼んだぞ!」と私が白いクッキーの顔を見て言うと、「ワン!」と応えてくれた。
「じゃあ、クッキー、お願い。私たちをアサダさんのところまで、連れて行って」
リンはそう言うと、自分の身体に青白い光をもう一度まとった。そして、その光がクッキーの身体を包み始める。
「ワンワン!」
光がクッキーを包み込んだと同時に、クッキーが走り出した。
リードを握る私は走るクッキーに引かれて空中を移動する。私と手をつなぐリンもその後に続く。
クッキーは空気を蹴るように脚を運ぶと、景色がぐんぐんと変わって行く。
私たちが移動しているというよりは、景色の方が移動している、そんな感じがする不思議な感覚だった。
眼下には震災によって混乱した街の様子が次から次へと移り変わり見えた。相変わらず行列をつくって歩きながら帰宅の途につく朝の通勤客の姿。
道路には乗り捨てられた沢山のクルマ。そんな道路をなんとか迂回しながら進む、サイレンを鳴らした救急車。
「あ、いまここ、会社のある辺りだ」
見慣れたオフィス街の風景に、私は思わずつぶやく。
「ワン、ワンワン!」
クッキーは少しずつスピードを落としていき、やがて立ち止まった。
そこは、ちょうど私とアサダさんが勤める会社の真上にいた。
クッキーはそこで鼻を下に見えるオフィスに向けるようにしてクンクンとしたかと思うと、尻尾を振りながら再び顔を上げ、西の方角に向かって「ワン」と鳴いた。
向いた方向に進んで行くというのだろう。
アサダさんの家は、会社から北方向にある自分の家と違い、西側であることはなんとなく知っていた。
クッキーは再び元気よく走り出した。
西へ。
私とリンも続いていく。
この先に、きっとアサダさんがいる。
私の憧れの上司だったアサダさん。
綺麗で、どの部下に対しても面倒見がよくて、仕事ができ男勝りな性格の頼れる女性上司であるアサダさんは、私が海外から量子テレポーテーションで戻ってきたその日に、なぜか私の彼女になっていた。
その後、ヒカルと出会い、この不思議な現象のあらましについて聞き、夢のなかで「巡り」のつなぎ合わせを試みたが、出来なかった。結局私はこの変化した世界に相変わらず馴染め切れていないまま、今こうしてアサダさんの元へと慌てて向かっている。
私の知らない、アサダさんとの絆。その間に空いてしまった隙間を埋めることができていない私に、果たして彼女を救う権利があるのか・・・。
いや、そんな馬鹿なことを今思って、何になると言うんだ!
そんなことは関係なく、まさに今、アサダさんは次元の歪みの影響で、目を覚ませずにいる。
アサダさんが自ら意識の崩壊を防ぐための自己防衛反応だと、ヒカルは言っていた。
アサダさんをそんな状態にしてしまったのは、きっと私のせいなんだ!なんとかして、助けなければ!
アサダさんとの巡りをつながなかればならない。絶対に!
そうでなければ、この宇宙の全てが、消えてしまう。
人が、過去からずっとつないできた巡りが、沢山の絆の糸が、無くなってしまう・・・!
クッキーに引かれて移動する私の頭の中に、様々な思いが駆け巡っていた。
「ワン!」
今までで一番大きく吼えたクッキーの鳴き声で、私は我に返った。
クッキーと私たちは、空中で再び、立ち止まった。
下には白くて小ぶりなマンションが見えた。
「ここが、アサダさんのマンションなんだね」
リンがクッキーを見て言った。
クッキーは、お行儀良く空中にお座りしながら尻尾を振り、ちいさく「ワン」ともう一度鳴いた。
・・・つづく。
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