「上のタイトル」の前に「ちと寒すぎやせんか?」
私の人生で寒いな~と思ったのはこれで3回目。
1回目は小学校の登校時、これは1回と言うより、長い期間寒かった。
中堀全面に氷は張るわ刑務所の長~い塀による日陰も長~いわ、
そこに半ズボンの登校だし、これは寒かった。(昔、静岡の刑務所は
今の静岡文化会館のあたりにあったのさ)
その次、凍えそうに寒かったのが、大学のスケート&ゴルフ合宿。
ウチの大学はスキーも1週間合宿で(この時は寒さを感じなかった。白樺湖の
後ろの栂池とかいうところで3級以上取らないと卒業できない。)
スケートは富士急ハイランドだったと思うが、ホテルから出たら
寒さで手も足も動かない、それで私1人部屋に帰りサボり。
それ以来の寒さですね、本日も。バス停に5分以上立っていると寒いので、
ギリギリまで行かない。元々寒さには大変強い方なのですが、参ったね。
一昨日ブログを書いたあと驚きました。
静新夕刊の1面トップで特集として取り上げてたんだ、「満州」関係の話。
そして、産経新聞でも戦後70年経ってもどうしたこうしたで「イスラム国」絡みで
ツイッターが炎上で、本日も尾を引いているとか、憲法の問題ですね。
その昔、弱虫大和民族は、勇猛果敢な蒙古や中国・朝鮮に終われ
東南アジアの東の果てに追いやられて、大人しくアリのように集団で
行動を取っていましたが、あまりにも可哀想で神様が「知力を武器にしなさい」
と与えてくださいました。やがて地形の変動で四方が海に囲まれ、
もう、敵は攻めてこない、平和な国となりました。「知力」というものは
凄いものです。東大卒ですが静高卒では無い、Oさんという読売新聞の記者が
いまして、よく政治家の「囲み取材」がTVに映るとき、後ろ向きでペンを走らせて
いました。私と同じヘアスタイルの方でなので直ぐ分かりましたが、この方が
静岡支局時代、何時もいっていました。「ペンは剣より強し」
この方東京の方ですが、別れた奥さんが87期で静岡西武の社員でした。
高校時代、私がマークしていた隠れた美人だったのです。
話は変わって、私には3人の姉がおりまして、幼少時はいつもその姉たちと
遊んでおりました。途中から兄が「これではイカン!」と可愛い
弟がダメになってしまう、「強い子に\(○ `O´ ○)/トゥーー!!」の
作戦に出たわけですが。
「お手玉遊び」などもよくやりまして、その時の掛け声とかに面白いものが
ありました。正しくは覚えていませんでしたが、やたら「ロシアが野蛮な国だ」
のアピールのフレーズが出てきます。
http://www2.ocn.ne.jp/~happyman/mukasi.htm
↑これの79番をご覧下さい。
他のサイトでも
爺さんから聞いた「陸軍の、乃木さんが、凱旋す、進め、目白、ロシヤ、野蛮国、
くろばたきん、金玉、マグロフ、ふんどし、締めた、高じゃっぽ、ポンヤリ、
李鴻章のはげ頭~」こんなシリトリ歌知らないですよね。
こんなのがありましたが、
静岡では「すずめ、めじろ、ロシヤ、野蛮国、クロバタキン、金玉、マカロフ
ふんどし、しめた、高シャッポ、ポンヤリ、陸軍の、乃木さんが、凱旋す」
こんなシリトリだったと記憶しておりますが、ロシアの野蛮さは全国の子供たちにも
浸透していったわけです。
私が大学生の時に拝見させて頂いた、隣国の小学校1年生の教科書には
日本軍の悪口があちらにもこちらにも載っていました。子供に教えて
もらったのですが、1年坊主に「お前の国、悪いんだぞ~」と
言われてしまいました。摺りこみ学習ですね。
マナーのよいわが国ではそういったことは無かったと記憶しておりますが、
1人、アメリカの悪口ばかり言っている小学校の臨時の先生がいらっしゃいましたが、
この方、やがて校長先生になられたようです。
お手玉の歌というものもあります。これも姉たちが歌っていました。
♪1で談判破裂して 2・日露戦争始まった 3・さっさと逃げるはロシヤの兵
4・死んでも尽くすは日本の兵 5・5万の兵を引き連れて
6・6人残して皆殺し 7・7月8日の戦いに 8・ハルピンまでも攻め寄せて
9・クロパトキンの首を取り 10・東郷元帥万々歳
これになんと「新お手玉の歌」として、替え歌ができていたのです。
1・いきなりテポドン命中し 2・日本国中大騒ぎ 3・サッサと逃げるはアメリカ兵
4・死んでも目覚めぬ日本人 5・強姦・殺人大好きな 6.露・中・朝・韓連合軍
7・七里ガ浜(鎌倉の海岸)に上陸し 8・やっと反撃 自衛隊
9・「9条」見直し始めたが 10・とうとう日本は滅亡す
大人が作ったのか子供が作ったのかわかりませんが、凄いですね~~
一昨日と本日はこんな記事になってしまいましたが、偶然にも本日は
亡き父の誕生日でした。
私の人生で寒いな~と思ったのはこれで3回目。
1回目は小学校の登校時、これは1回と言うより、長い期間寒かった。
中堀全面に氷は張るわ刑務所の長~い塀による日陰も長~いわ、
そこに半ズボンの登校だし、これは寒かった。(昔、静岡の刑務所は
今の静岡文化会館のあたりにあったのさ)
その次、凍えそうに寒かったのが、大学のスケート&ゴルフ合宿。
ウチの大学はスキーも1週間合宿で(この時は寒さを感じなかった。白樺湖の
後ろの栂池とかいうところで3級以上取らないと卒業できない。)
スケートは富士急ハイランドだったと思うが、ホテルから出たら
寒さで手も足も動かない、それで私1人部屋に帰りサボり。
それ以来の寒さですね、本日も。バス停に5分以上立っていると寒いので、
ギリギリまで行かない。元々寒さには大変強い方なのですが、参ったね。
一昨日ブログを書いたあと驚きました。
静新夕刊の1面トップで特集として取り上げてたんだ、「満州」関係の話。
そして、産経新聞でも戦後70年経ってもどうしたこうしたで「イスラム国」絡みで
ツイッターが炎上で、本日も尾を引いているとか、憲法の問題ですね。
その昔、弱虫大和民族は、勇猛果敢な蒙古や中国・朝鮮に終われ
東南アジアの東の果てに追いやられて、大人しくアリのように集団で
行動を取っていましたが、あまりにも可哀想で神様が「知力を武器にしなさい」
と与えてくださいました。やがて地形の変動で四方が海に囲まれ、
もう、敵は攻めてこない、平和な国となりました。「知力」というものは
凄いものです。東大卒ですが静高卒では無い、Oさんという読売新聞の記者が
いまして、よく政治家の「囲み取材」がTVに映るとき、後ろ向きでペンを走らせて
いました。私と同じヘアスタイルの方でなので直ぐ分かりましたが、この方が
静岡支局時代、何時もいっていました。「ペンは剣より強し」
この方東京の方ですが、別れた奥さんが87期で静岡西武の社員でした。
高校時代、私がマークしていた隠れた美人だったのです。
話は変わって、私には3人の姉がおりまして、幼少時はいつもその姉たちと
遊んでおりました。途中から兄が「これではイカン!」と可愛い
弟がダメになってしまう、「強い子に\(○ `O´ ○)/トゥーー!!」の
作戦に出たわけですが。
「お手玉遊び」などもよくやりまして、その時の掛け声とかに面白いものが
ありました。正しくは覚えていませんでしたが、やたら「ロシアが野蛮な国だ」
のアピールのフレーズが出てきます。
http://www2.ocn.ne.jp/~happyman/mukasi.htm
↑これの79番をご覧下さい。
他のサイトでも
爺さんから聞いた「陸軍の、乃木さんが、凱旋す、進め、目白、ロシヤ、野蛮国、
くろばたきん、金玉、マグロフ、ふんどし、締めた、高じゃっぽ、ポンヤリ、
李鴻章のはげ頭~」こんなシリトリ歌知らないですよね。
こんなのがありましたが、
静岡では「すずめ、めじろ、ロシヤ、野蛮国、クロバタキン、金玉、マカロフ
ふんどし、しめた、高シャッポ、ポンヤリ、陸軍の、乃木さんが、凱旋す」
こんなシリトリだったと記憶しておりますが、ロシアの野蛮さは全国の子供たちにも
浸透していったわけです。
私が大学生の時に拝見させて頂いた、隣国の小学校1年生の教科書には
日本軍の悪口があちらにもこちらにも載っていました。子供に教えて
もらったのですが、1年坊主に「お前の国、悪いんだぞ~」と
言われてしまいました。摺りこみ学習ですね。
マナーのよいわが国ではそういったことは無かったと記憶しておりますが、
1人、アメリカの悪口ばかり言っている小学校の臨時の先生がいらっしゃいましたが、
この方、やがて校長先生になられたようです。
お手玉の歌というものもあります。これも姉たちが歌っていました。
♪1で談判破裂して 2・日露戦争始まった 3・さっさと逃げるはロシヤの兵
4・死んでも尽くすは日本の兵 5・5万の兵を引き連れて
6・6人残して皆殺し 7・7月8日の戦いに 8・ハルピンまでも攻め寄せて
9・クロパトキンの首を取り 10・東郷元帥万々歳
これになんと「新お手玉の歌」として、替え歌ができていたのです。
1・いきなりテポドン命中し 2・日本国中大騒ぎ 3・サッサと逃げるはアメリカ兵
4・死んでも目覚めぬ日本人 5・強姦・殺人大好きな 6.露・中・朝・韓連合軍
7・七里ガ浜(鎌倉の海岸)に上陸し 8・やっと反撃 自衛隊
9・「9条」見直し始めたが 10・とうとう日本は滅亡す
大人が作ったのか子供が作ったのかわかりませんが、凄いですね~~
一昨日と本日はこんな記事になってしまいましたが、偶然にも本日は
亡き父の誕生日でした。
確かにおばあちゃんは教えるように自分に歌っていた気がします。