先にお断りしておきますが、昔の話ですから、多少記憶違いもあります。
次にお会いした時、私に訂正を入れてください。
NHK朝の連ドラ、「おはなはん」「おしん」、このあたりはリアルタイムで見ていた
記憶がありますが、それ以来何十年も見ていません。
それが、「とと姉ちゃん」からまた見始めるようになりました。恐らく実在する企業や大店が
どんな経緯で有名店舗や企業になっていったかを知ることができるということ
からかもしれません。そして、夜は「真田丸」「井伊景虎」などの時代劇を見て
企業戦略が数百年経っても現在と殆ど変わっていない(押しどこ引きどこなど)のを
知ることができる。そして、現在の「べっぴんさん」もそうですが、戦争のちょっと前から
スタートし敗戦後の日本が次第に立ち直って行くところがよくわかるということでしょう。
父母兄姉に聞いてもよくわからない部分が見えてきました。
「べっぴんさん」非常に面白いです。ほぼ実話に基づいていて、名前や企業名も
ああ、あれだなと推測できるようなものになっています。
そんな中で、
岩佐栄輔役の松下優也さん、いま家内とちょっと注目しています。
たまたまですが、現在の私の上司と同姓同名です。
石津謙介さんのヴァンヂャケット。我が青春はこれ無しでは語れません。
私より5~10歳年上のお兄ちゃん達の時代から始まり、我々が中2~20歳位がど真ん中。
どこのVANショップも4時~6時頃は高校生の客で一杯でした。直営からコピーメーカーまで
静岡の街中あちらこちらにアイビーファッションを扱う店ばかり。静岡西武、電ビルの2階、
新静岡センター(現セノバ)、野澤屋さん。薄っぺらのカバンにはVANのステッカー、
お尻のポケットにはアルミの櫛、傘はこれ以上細くならないくらいに巻き込み、
ワイシャツはオックスフォード織りのボタンダウン。ズボンの裾は足首(くるぶしのあたり)
が出し入れしにくいくらいの裾幅16~17cm、ダブルは1.5cm。トラディッショナルですね。
「トラ」と呼んでいました。石津謙介さんの言葉は神の言葉で、「VANのワイシャツは
高い、高いが10年は着ることができる。アイロンなんかかけちゃダメだよ、パンパンパン
と叩いて干しとけばいいの。」VANに就職した幼馴染もいて、石津氏自ら制作したという
入試問題に、組み合わせていけないものにジーンズに茶系の革靴、一番おしゃれな組み合わせに
キャメルのジャケットに黒のパンツ、こんな話に感激をしていました。
VANの静岡営業所は何と現在のセノバの東側の館のところにあったのです。そして、
北街道のバス停の前にショップがあり、VANに就職したという幼馴染(50歳で亡くなりました)
の家はその前でした。倉庫が竜南にあり、倉庫でのバーゲンはちょっとしたイヴェント大会
でした。
それから何年か月日が経ち、1980年、ファッション的にVANの流れを汲む、青山通りの
ボートハウスさんの建物を模したマーガレットハウスがアートフラワーショップとして
鷹匠3丁目(清水銀行鷹匠町支店の東向かえ)にOPENしました。
その5年後の1985年マーガレットハウスは静岡西武に出店したのです。
今朝も栄輔君かっこよかったですね。