まめぞーです。
本日、戸田和次朗太は4歳になりました。
思い起こせば4年前の23時50分、静岡生まれだから2月23日の富士山の日に生まれたら素敵だなという親の願いを裏切り誕生したのであります。
2098グラムで誕生日。
生まれる前の検診では、確か2100グラムを越えてたはずなんですが(笑)
すべてを裏切ってくれます。
生まれてすぐに5分息をせずにかなり焦りましたが、医者がかけつけ吸引してウェッ~と泣き(ねこの日らしく)大丈夫か?と心配してたら、その後に変なニット帽を医者に被らされて大泣き。
そこでかよ!と突っ込みを入れてしまうくらいでした。
新生児重症仮死症という診断を受け、なにかしら残るかもと深夜2時頃呼び出されたのを今でも覚えています。
外は嵐のような大雨でした。
その後は保育器に1か月入りまして、その間もつらかった。
金曜日の夜の仕事終わりで静岡に向かい、病院で1時間くらいしか息子に会えない生活が1ヶ月。
その間に新生児スクリーニング検査で先天性難聴と、さらにクラインフェルター症候群(10万人に1人)の遺伝子異常も発覚。
それでも生まれた瞬間のあの時に比べれば、ふぅ~んという感じでした。
怒濤の1か月でしたが、退院して横浜に帰れた時の喜びはなんとも言えない嬉しさでした。
まあそれからも突き進む息子。
世界新記録?というくらい医療センターのいろいろな科に通い、療育、ろう学校にも通い、周囲に迷惑と心配をかけながら4歳を迎えたのであります。
両親が保育士だったからすべてを受け止められたのかもしれませんが、障害児をもつと悩んだり苦しんだりする人の方が多いと思います。
それが現実。
おとといの研修でも言ってました。
世間からの目を気にしたり、福祉国家とも言えない国の制度がたくさんある。
「みんな違ってみんないい」と認められる世の中に変わってきてはいるけれど、まだまだ冷たい目の方が多いのです。
個人情報の問題もあって、息子の情報をこんなに出して大丈夫と言われることもありますが、俺の方がたぶん先に死にます。
それまでに困ったら助けてと自然に手を差しのべられる世の中にしたいわけです。
それが息子のために自分が親として出来ることなのかもしれません。
という親の思いは気にせず、自分のペースで楽しくやって行くわと言っている息子を今後もどうぞよろしくお願いします(笑)
これからもゆっくりだけど、笑いと学びを与えてくれる息子との生活をたのしんでいきますよ。
障害児という同情は入りません。
障害児と呼ぶこと自体、息子に失礼だと思うくらいパワフルで生きる力を兼ね揃えている奴なんで(笑)
ちなみにパーティーは明日やります。
今日は両親共々帰りが遅く、みかんで満足でしたよ。
さらに今日は保育の輪を広げる会でしたが、息子の誕生日のためキャンセル。
テレビ電話で参加しました。
なんだ、この濃すぎるメンバー(笑)