あらすじ
北海道新幹線開業で消えるものを見に行きます。
前半は「海峡線の特急」と「知内駅」を紹介しました。
2013/12・26 9:52 木古内駅
木古内に戻り、2014年5月をもってなくなる江差線木古内~江差間に乗り換えます。
しかし、次の江差線の列車は11:48発までありません。
なので、次の列車までの約2時間、町を回ってみたいと思います。
木古内は北海道新幹線建設を機に「鉄道の町」としてPRしています。今回は木古内町が製作した『鉄道スポット』を記した地図を手に駅周辺を歩きます。木古内は駅を中心に町が広がっているので、スポットも駅周辺に集積しています。ちょっとした時間でも行けるのはいいですね。
駅北側にある陸橋を渡り、駅の北側に出ます。
歩くこと約20分。木古内の町の背後にそびえる薬師山の頂上に到着しました。標高約80メートルの小山からは、木古内の町を見渡すことができます。
木古内駅をアップで。シェルターになっている部分が北海道新幹線のホームです。
函館方面の景色。
薬師山を降りると、麓に木古内町中央公民館があります。体育館とセットになっているのですが、町の規模に似合わず大きいです。
その一角にあるのがこのコーナー。地元の方がコレクトしていた鉄道関連の品々を展示しています。かつて木古内から延びていた松前線(1989年廃止)のコーナーが多く占めています。タブレットや松前線の配線図・標高図(勾配を示した図)など貴重な品ばかりでした。これから向かわれる方のために、当ブログではこの程度の紹介にとどめておきます。
木古内駅に戻ります。新幹線の建設もいよいよ大詰めで、木古内駅の工事も急ピッチで進められています。さすがに年末に工事をする気はないらしく、クレーンがぽつりと残されていました。
まだ1時間ほどあったので、中心街にある「あおき」さんにて昼食を取ることにしました。
注文したのは「木古内海山(かいせん)丼"ほたて炙り丼"」。ホタテをメインにすえた中華丼です。炙った大きなホタテが3個も載った、見るからにボリューミィな一皿です。木古内町の新たな名物として売り出しています。
特筆すべきは、全てのお店で950円であること。この手のB級グルメでは材料を指定することはあっても、価格を指定しているのは珍しいと思います。
2013/12/26 11:30 木古内駅
おなかを満たしたところで駅に戻ります。
松前線代行バスが停車していました。松前から木古内を経由して函館まで走ります。
橋上駅舎の2階まで行く途中で、「木古内町民100人のメッセージ」というものを見つけました。北海道新幹線開業に当たって町民がメッセージを書いたものです。どのメッセージも新幹線に対する期待を感じました。
木古内が新幹線によってどう変わるのか。その答えが出るのは2016年のことです。
次に乗る予定の列車は、11:48発江差行きです。
海峡線ホームは狭いため、貨物列車が通過する際にはポールで仕切られて入れないようになります。
江差行きはキハ40-1812を先頭にして到着していました。
キハ40-1798を連結した2両編成です。
江差からやってきた4175D(右奥)との並び。
キハ40は未だにサボを使用する数少ない車両です。もっとも、このサボも江差線部分廃止で見られなくなるわけですが……
11時48分。江差行き122Dで江差を目指します。
[江差線 122D 函館10:27→江差12:55]
《木古内 11:48発》
木古内を出るとあっという間にあたりは原野に変わります。
一駅目・渡島鶴岡。
渡島鶴岡を出てすぐの地点に、『それ』はあります。
この地に構える禅燈寺というお寺の真ん中を江差線が通っています。そのため、山門(写真)から本堂に行くためにはこの踏切を通らなければいけないのです。
二駅目・吉堀。
窓の外には人気のない野原が広がります。
江差線は北海道一の閑散路線で、一日の利用者はわずか41人/日(2011年)。一日3往復しかない札沼線末端(浦臼~新十津川)よりも少ないというのですから、その少なさは際立ちます。
どうしてここまで利用が少ない路線が今まで廃止の俎上になかったのか。その答えを、江差線の歴史とともに紐解いて見ましょう。
江差線の前身は、1913年に開通した上磯軽便線です。五稜郭~上磯に開業したこの路線は、当初は函館近郊のローカル線でしたが、1930年に木古内まで延伸。渡島地域末端の主要交通に成り上がります。
ここで、向かう行き先は二つありました。一つは、日本海に面し、かつてニシン漁で栄えていた江差。もう一つは、津軽海峡に面した、北海道で唯一の城下町だった松前。日本海との間には山が控えているので、海岸線沿いに向かう松前の方が先に到達しそうですが、なぜか山越えになる江差の方が先に開通。1937年に江差まで到達しました。松前方面は小刻みの延長を繰り返し1953年に到達しています。
昭和末期。人口の多くない区間を走る両線は輸送量が減り、廃止が議論されるようになりました。おりしも全国的に国鉄ローカル線の廃止が進んでいた時代。廃止基準は路線での旅客輸送キロ(人/km)で一定基準を上回る必要がありましたが、その際の基準は『路線全体の』旅客輸送キロでした。両線ともに函館までの需要が大きかったため、松前線から函館に向かう人も木古内から江差線に乗ることになり、木古内~五稜郭はほかに比べて輸送量が大きい状態でした。
そう、江差線は木古内~江差の過疎区間を持ちながら、五稜郭~木古内の輸送量のおかげで基準をやすやすと達成してしまったのです。一方で、松前線は線内の需要は少なく片輸送状態(一方に向かう輸送量が反対に比べて多い状態。ここでは木古内・函館方面)のため、『路線の』輸送量は少なくなってしまいました。
このことが稜線の明暗を分けることになり、1988年に松前線は廃止されてしまいました。
1989年、海峡線が開通。五稜郭~木古内は本州直通の列車が走ることになり、各所で交換設備の整備や電化が進められました。一方、もともと輸送量の少ない木古内~江差は投資すらされず、利用は落ちる一方でした。
それでもなんとかやってきた江差線ですが、北海道新幹線建設で再び問題が浮上。五稜郭~木古内が並行在来線になるため、木古内~江差が取り残される可能性が出てきたのです。五稜郭~木古内は第3セクター設立で話がついたのですが、木古内~江差は既に日利用が100人を割っていたためにJR側も自治体側も受け皿を用意できませんでした。
2014年5月の木古内~江差間部分廃止が決まったのには、こうした背景があります。
次の神明との間は10kmあり、江差線は長い峠越えに入ります。
一山超えたところで神明。ホームが板張りです。
湯ノ岱に到着。廃止予定区間で唯一交換設備が残ります。以前は吉堀と上ノ国にもありました。全国でも数少ないスタフ閉塞を扱う駅ですが、列車交換は朝の2本しか見ることができません。
スタフ閉塞は江差線の実情とあわせると興味深いですが、ここでの説明は割愛。
湯ノ岱は、上ノ国町国民保養センター、通称『湯ノ岱温泉』の開発によって拓かれた場所です。
湯ノ岱付近は山が線路際に迫り、ところどころ法面補強が見られます。
木造の小屋が残る宮越。周囲に人家はありません。
次の桂岡は車掌車が駅舎になっています。北海道ではよく見られましたが、老朽化による解体や廃駅により数を減らしています。
中須田も車掌車が駅舎なのですが、写真が撮れず……
上ノ国町の玄関である上ノ国駅。かつては急行停車駅でもありました。今は公民館と合体した小さな駅舎になっています。
上ノ国の次は、終点・江差です。
《江差 12:55着》
約1時間で終点の江差に到着しました。
途切れた線路は開業以来変わりません。
檜山エリアでは大きな町ということもあり、駅舎もそれなりの風格があります。一日6本しか来ないにもかかわらず、日中は駅員が待機していますし、緑の窓口まで営業しています。本州だったら確実に無人化されていたでしょう。
駅前の案内図。江戸時代のような字体で書かれています。
駅に停車中のキハ40。
待合室。
並んでいるのは江差線の記念切符を買う人たちです。折り返し125Dは13:07発なので10分少々しかありません。木古内で買っておいて正解でした。
終着駅の証。
上ノ国方面の線路。
臨時改札のようです。
[江差線 125D 江差13:07→函館16:21]
わずか12分で江差を後にします。これに乗り遅れると4177D(江差16:16発)までありません。
行きもそうでしたが、ボックス席が埋まっているにもかかわらず、地元客はほとんど見ませんでした。大半が乗り納めに来た人たちです。皮肉にも、廃止が決まってから江差線沿線の観光客が増加したとか。もっと江差線を活用できたんじゃないかと思います。
江差を出てしばらくは、高台を走ります。眼下には江差の町並みと日本海が広がります。
江差線で海が最も近づくのが、江差~上ノ国の区間です。日本海との間をさえぎるものはありません。
宮越からは人家が途切れ、山中に入ります。
この川の名前は天野川。読みは「あまのがわ」。
これにあやかって、宮越~湯ノ岱には『天の川』という観光駅が作られています。列車が停車するわけではなく、本物に似せた駅名版とホームがあるだけですが(写真がなくて申し訳ありません)。
神明を過ぎ、列車はいよいよ山奥へ。
運賃表。隣の駅なのに260円もかかります。
警笛を鳴らしてトンネルへ。江差線のトンネルは内陸から海へと抜ける上磯~渡島当別と、山越えをする吉堀~神明の間に集中しています。
トンネルを抜けた先には青空が広がっていました。
新幹線の高架を過ぎると、まもなく終点。
《木古内 14:13着》
木古内に戻ってきました。
125Dはここでなんと1時間も待ち合わせをします。特急街道を走る鈍行の宿命です。
函館からキハ40の普通列車がやってきました。
後追い。
これにて、『消えるもの、みっつ』編は終了となります。
「スーパー白鳥34号」で、いよいよ本州に向かいます。
おまけ
そこは座るところじゃないですよ。
北海道新幹線開業で消えるものを見に行きます。
前半は「海峡線の特急」と「知内駅」を紹介しました。
2013/12・26 9:52 木古内駅
木古内に戻り、2014年5月をもってなくなる江差線木古内~江差間に乗り換えます。
しかし、次の江差線の列車は11:48発までありません。
なので、次の列車までの約2時間、町を回ってみたいと思います。
木古内は北海道新幹線建設を機に「鉄道の町」としてPRしています。今回は木古内町が製作した『鉄道スポット』を記した地図を手に駅周辺を歩きます。木古内は駅を中心に町が広がっているので、スポットも駅周辺に集積しています。ちょっとした時間でも行けるのはいいですね。
駅北側にある陸橋を渡り、駅の北側に出ます。
歩くこと約20分。木古内の町の背後にそびえる薬師山の頂上に到着しました。標高約80メートルの小山からは、木古内の町を見渡すことができます。
木古内駅をアップで。シェルターになっている部分が北海道新幹線のホームです。
函館方面の景色。
薬師山を降りると、麓に木古内町中央公民館があります。体育館とセットになっているのですが、町の規模に似合わず大きいです。
その一角にあるのがこのコーナー。地元の方がコレクトしていた鉄道関連の品々を展示しています。かつて木古内から延びていた松前線(1989年廃止)のコーナーが多く占めています。タブレットや松前線の配線図・標高図(勾配を示した図)など貴重な品ばかりでした。これから向かわれる方のために、当ブログではこの程度の紹介にとどめておきます。
木古内駅に戻ります。新幹線の建設もいよいよ大詰めで、木古内駅の工事も急ピッチで進められています。さすがに年末に工事をする気はないらしく、クレーンがぽつりと残されていました。
まだ1時間ほどあったので、中心街にある「あおき」さんにて昼食を取ることにしました。
注文したのは「木古内海山(かいせん)丼"ほたて炙り丼"」。ホタテをメインにすえた中華丼です。炙った大きなホタテが3個も載った、見るからにボリューミィな一皿です。木古内町の新たな名物として売り出しています。
特筆すべきは、全てのお店で950円であること。この手のB級グルメでは材料を指定することはあっても、価格を指定しているのは珍しいと思います。
2013/12/26 11:30 木古内駅
おなかを満たしたところで駅に戻ります。
松前線代行バスが停車していました。松前から木古内を経由して函館まで走ります。
橋上駅舎の2階まで行く途中で、「木古内町民100人のメッセージ」というものを見つけました。北海道新幹線開業に当たって町民がメッセージを書いたものです。どのメッセージも新幹線に対する期待を感じました。
木古内が新幹線によってどう変わるのか。その答えが出るのは2016年のことです。
次に乗る予定の列車は、11:48発江差行きです。
海峡線ホームは狭いため、貨物列車が通過する際にはポールで仕切られて入れないようになります。
江差行きはキハ40-1812を先頭にして到着していました。
キハ40-1798を連結した2両編成です。
江差からやってきた4175D(右奥)との並び。
キハ40は未だにサボを使用する数少ない車両です。もっとも、このサボも江差線部分廃止で見られなくなるわけですが……
11時48分。江差行き122Dで江差を目指します。
[江差線 122D 函館10:27→江差12:55]
《木古内 11:48発》
木古内を出るとあっという間にあたりは原野に変わります。
一駅目・渡島鶴岡。
渡島鶴岡を出てすぐの地点に、『それ』はあります。
この地に構える禅燈寺というお寺の真ん中を江差線が通っています。そのため、山門(写真)から本堂に行くためにはこの踏切を通らなければいけないのです。
二駅目・吉堀。
窓の外には人気のない野原が広がります。
江差線は北海道一の閑散路線で、一日の利用者はわずか41人/日(2011年)。一日3往復しかない札沼線末端(浦臼~新十津川)よりも少ないというのですから、その少なさは際立ちます。
どうしてここまで利用が少ない路線が今まで廃止の俎上になかったのか。その答えを、江差線の歴史とともに紐解いて見ましょう。
江差線の前身は、1913年に開通した上磯軽便線です。五稜郭~上磯に開業したこの路線は、当初は函館近郊のローカル線でしたが、1930年に木古内まで延伸。渡島地域末端の主要交通に成り上がります。
ここで、向かう行き先は二つありました。一つは、日本海に面し、かつてニシン漁で栄えていた江差。もう一つは、津軽海峡に面した、北海道で唯一の城下町だった松前。日本海との間には山が控えているので、海岸線沿いに向かう松前の方が先に到達しそうですが、なぜか山越えになる江差の方が先に開通。1937年に江差まで到達しました。松前方面は小刻みの延長を繰り返し1953年に到達しています。
昭和末期。人口の多くない区間を走る両線は輸送量が減り、廃止が議論されるようになりました。おりしも全国的に国鉄ローカル線の廃止が進んでいた時代。廃止基準は路線での旅客輸送キロ(人/km)で一定基準を上回る必要がありましたが、その際の基準は『路線全体の』旅客輸送キロでした。両線ともに函館までの需要が大きかったため、松前線から函館に向かう人も木古内から江差線に乗ることになり、木古内~五稜郭はほかに比べて輸送量が大きい状態でした。
そう、江差線は木古内~江差の過疎区間を持ちながら、五稜郭~木古内の輸送量のおかげで基準をやすやすと達成してしまったのです。一方で、松前線は線内の需要は少なく片輸送状態(一方に向かう輸送量が反対に比べて多い状態。ここでは木古内・函館方面)のため、『路線の』輸送量は少なくなってしまいました。
このことが稜線の明暗を分けることになり、1988年に松前線は廃止されてしまいました。
1989年、海峡線が開通。五稜郭~木古内は本州直通の列車が走ることになり、各所で交換設備の整備や電化が進められました。一方、もともと輸送量の少ない木古内~江差は投資すらされず、利用は落ちる一方でした。
それでもなんとかやってきた江差線ですが、北海道新幹線建設で再び問題が浮上。五稜郭~木古内が並行在来線になるため、木古内~江差が取り残される可能性が出てきたのです。五稜郭~木古内は第3セクター設立で話がついたのですが、木古内~江差は既に日利用が100人を割っていたためにJR側も自治体側も受け皿を用意できませんでした。
2014年5月の木古内~江差間部分廃止が決まったのには、こうした背景があります。
次の神明との間は10kmあり、江差線は長い峠越えに入ります。
一山超えたところで神明。ホームが板張りです。
湯ノ岱に到着。廃止予定区間で唯一交換設備が残ります。以前は吉堀と上ノ国にもありました。全国でも数少ないスタフ閉塞を扱う駅ですが、列車交換は朝の2本しか見ることができません。
スタフ閉塞は江差線の実情とあわせると興味深いですが、ここでの説明は割愛。
湯ノ岱は、上ノ国町国民保養センター、通称『湯ノ岱温泉』の開発によって拓かれた場所です。
湯ノ岱付近は山が線路際に迫り、ところどころ法面補強が見られます。
木造の小屋が残る宮越。周囲に人家はありません。
次の桂岡は車掌車が駅舎になっています。北海道ではよく見られましたが、老朽化による解体や廃駅により数を減らしています。
中須田も車掌車が駅舎なのですが、写真が撮れず……
上ノ国町の玄関である上ノ国駅。かつては急行停車駅でもありました。今は公民館と合体した小さな駅舎になっています。
上ノ国の次は、終点・江差です。
《江差 12:55着》
約1時間で終点の江差に到着しました。
途切れた線路は開業以来変わりません。
檜山エリアでは大きな町ということもあり、駅舎もそれなりの風格があります。一日6本しか来ないにもかかわらず、日中は駅員が待機していますし、緑の窓口まで営業しています。本州だったら確実に無人化されていたでしょう。
駅前の案内図。江戸時代のような字体で書かれています。
駅に停車中のキハ40。
待合室。
並んでいるのは江差線の記念切符を買う人たちです。折り返し125Dは13:07発なので10分少々しかありません。木古内で買っておいて正解でした。
終着駅の証。
上ノ国方面の線路。
臨時改札のようです。
[江差線 125D 江差13:07→函館16:21]
わずか12分で江差を後にします。これに乗り遅れると4177D(江差16:16発)までありません。
行きもそうでしたが、ボックス席が埋まっているにもかかわらず、地元客はほとんど見ませんでした。大半が乗り納めに来た人たちです。皮肉にも、廃止が決まってから江差線沿線の観光客が増加したとか。もっと江差線を活用できたんじゃないかと思います。
江差を出てしばらくは、高台を走ります。眼下には江差の町並みと日本海が広がります。
江差線で海が最も近づくのが、江差~上ノ国の区間です。日本海との間をさえぎるものはありません。
宮越からは人家が途切れ、山中に入ります。
この川の名前は天野川。読みは「あまのがわ」。
これにあやかって、宮越~湯ノ岱には『天の川』という観光駅が作られています。列車が停車するわけではなく、本物に似せた駅名版とホームがあるだけですが(写真がなくて申し訳ありません)。
神明を過ぎ、列車はいよいよ山奥へ。
運賃表。隣の駅なのに260円もかかります。
警笛を鳴らしてトンネルへ。江差線のトンネルは内陸から海へと抜ける上磯~渡島当別と、山越えをする吉堀~神明の間に集中しています。
トンネルを抜けた先には青空が広がっていました。
新幹線の高架を過ぎると、まもなく終点。
《木古内 14:13着》
木古内に戻ってきました。
125Dはここでなんと1時間も待ち合わせをします。特急街道を走る鈍行の宿命です。
函館からキハ40の普通列車がやってきました。
後追い。
これにて、『消えるもの、みっつ』編は終了となります。
「スーパー白鳥34号」で、いよいよ本州に向かいます。
おまけ
そこは座るところじゃないですよ。
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