前回のあらすじ

今や貴重な189系。

[ホリデー快速富士山1号 新宿8:14→河口湖10:36]
《八王子8:53発》
それでは、富士山を目指して出発進行!

これから向かう河口湖は、富士急行線にある駅です。
大月から分岐して河口湖に分岐する富士急行(富士急)は、古くから国鉄(JR)と直通運転を行ってきました。最も古いのは1934年の東京―富士吉田の臨時準急「銀嶺」です。この時は定期列車ではなく富士登山の季節のみの運転で、現在の「ホリデー快速富士山」につながるところがあります。
本格的な乗り入れは1962年の急行「かわぐち」から。当時中央本線はまだ非電化でしたが、電化済み(1921年)の富士急もキハ58に準じたキハ58000形を新製するほどの気合の入れようでした。その後165系→115系と移り、1989年に「ホリデー快速」化。2003年に現在の183・189系の運転となって現在に至ります。
以前に比べると落ち着いていますが、JRとのかかわりは深いです。2013年に富士山が世界遺産に登録されてからはさらに深くなっています。『北海道&東日本パス』に富士急が参加しているおかげで、新たに切符を買うことなくこの「ホリデー快速富士山」に乗っているのは、前回述べたとおりです。

《高尾 8:59着》
『中央線』としての終着駅・高尾駅に到着。

隣のホームでスカ色の115系が抜かれるのを待っています。

反対から長野色の115系が登場。長野支社は小淵沢から北の管轄ですが、一番長い列車では立川まで乗り入れてきます。多くは6両固定のC編成です。
いずれも東北・高崎線の211系が転用されるとの予想でしたが、2013年からついに長野の3両編成の一部が置き換え開始。タイムリミットが近づいてきました。
もっとも、今乗っている189系(+183系)も決して安泰ではありません。田町車両センターの4本は組み換えの上大宮に転属も1本を除き廃車。幕張車両センターの2本も2013年末に廃車。大宮車両センターの4本も、「あかぎ」「草津」で余った185系で置き換えられる予定で、残すは長野車両センターの4本となります。
《高尾 9:00発》

高尾からは打って変わって山岳路線になります。

私の乗った6号車(先頭車)の様子。窓側が埋まる程度の乗車率なので40パーセントぐらいでしょうか。
相模湖・上野原ではわずかながら乗降がありましたが、みなさん富士急まで乗りとおすようです。

今でこそほとんどが複線化されている中央東線(中央本線のうち、東半分に当たる東京~塩尻間のこと)ですが、山を通る路線のため複線化は容易ではありませんでした。明治時代に掘られたトンネルでは複線化できないので、大半がもう一本トンネルを掘り上下線で別のルートを採っています。

はるか遠くの上り線を走る115系。
ここでちょっと車内観察。

最後尾・1号車の運転台の入口。

「ホリデー快速富士山」は最後尾の1両が指定席になっています。行き(河口湖行)は1号車ですが、帰り(新宿行)は6号車になります。

指定席車の様子。心なしか自由席より混んでいる気もします。大きな荷物が多いからでしょうか。

洗面台。国鉄時代と変わらぬレイアウトです。


自由席の2号車の様子。結構空いています。

続く3号車もこんな感じ。

《トイレ使用中》
4~6号車も同じ内装なので省略します。編成は以下の通りです。
(編成:八トタM50)クハ189-14+モハ189-20+モハ188-20+モハ189-44+モハ188-44+クハ189-507 →河口湖

《大月 9:35発》
大月からいよいよ富士急行線に入ります。「ホリデー快速富士山1号」は富士急でも快速運転となります。この次の3号は上大月以外の各駅に停車します。

が、私の乗っていた4号車は大月で半分近くが降りてしまいガラガラになってしまいました。年末とはいえ、行楽臨時列車がこの乗車率で大丈夫なのでしょうか。189系の将来より心配です。

富士急大月駅の引き込み線に停車中の、元京王5000形の富士急1000形。1本が京王色に戻されています。

「ホリデー快速富士山」はJRのホームから発車します。大月を出てすぐ、富士急のホームからつながる線路と合流します。

大月市内を抜け、列車はくねりながら進んでいきます。終点・河口湖までの30キロ弱で500メートルも登るので、勾配を避けるためにカーブは仕方がないものですが……それにしても急すぎる気がします。
富士急行は大月から都留市・富士吉田市を経由して河口湖までを結ぶ鉄道線です。元は2つの馬車鉄道からなり、都留市内で接続していたのですが、1921年に合併・電化。現在の路線は、1929年に切り替えられた新線です。新線ととはいっても、馬車時代の併用軌道をなくした程度で、最急勾配40パーミル・最急カーブ半径200メートルと、電車でも厳しい条件となっています。

しばらくすると、霊峰・富士の姿が現れました。この日は雲ひとつない晴れ。絶好の富士日和でした。

田野倉駅で元JR205系の6000系普通列車で交換します。京葉線あたりを走っていた205系を、かの水戸岡氏がデザインしたものです。

奥に見える白の高架橋はリニア実験線です。現在本開業に向けて実験線を延長し、超高速運転の実験を日々行っています。

富士急屈指の難読駅・禾生で「フジサン特急」と交換。読みは「かせい」です。
実はこの「フジサン特急」、今年2月で引退し、「パノラマエクスプレスアルプス」色となった2002編成なのですが、シャッターチャンスを逃してしまいました。

《都留市 9:49着》
富士急線最初の停車駅・都留市駅に到着。名前の通り都留市の代表駅……のはずですが、実は富士急の優等列車では「ホリデー快速富士山」が唯一の停車です。

車内では検察が乗り越し清算を行います。ほぼ10分おきに止まるので大変そうです。

山間に建つ十日市場駅を通過。

東桂を出ると、左手に再び富士山が現れました。すかさずアナウンスが入り、乗客はみんな富士山の見える左側に移動します。

さえぎるものはほとんどないため、きれいな裏富士を拝むことが出来ます。

富士山川にカーブしたあとも、しばらく左手に富士山が見え続けます。カメラを向ける人の数は一人二人ではありません。

住宅街の合間からチラ富士。

《三つ峠 10:04着(約4分遅れ)》
西桂町の入口・三つ峠に停車。列車交換のため6分停車します。

後ろ3両は
富士急ではほとんどの駅のホームが3両分しかない(都留市・三つ峠のような優等列車停車駅でさえ!)ため、列車ははみ出して停車します。基本的に前3両のみドアが開く形です。最後尾の指定席利用者は、一部の駅を除くとわざわざ4号車まで移動する羽目になります。指定券を買っているのに (´・ω・`)
なお、交換設備はどの駅も6両ぎりぎりです。三つ峠ではこのようにポイントまではみ出ていますが……

で、これ以上前に出すと今度は構内踏み切りに引っかかってしまいます。つくづく面倒くさい駅です。



対抗列車待ちの間、いろんな角度から撮影。

10時8分。3分遅れで対向列車がやってきました。富士急色になった1200形1202編成です。

後ろに『富士登山電車』1205編成を連結していました。というか、こちらがメインです。1200形を水戸岡アレンジした観光列車で、この編成に乗るには座席整理券が必要になっています。

《三つ峠 10:09発(約3分遅れ)》
三つ峠を発車します。

住宅の影から富士山がのぞきます。

S字カーブになっているため、富士山が正面にやってきます。

この当たりは有名な撮影地であるらしく、雪の中に何人も撮影者がいました。

奥の踏み切りに並んでいる人たちはみんなこちらにカメラを構えています。多すぎ!

撮影者にはよくても、ここは最急勾配と最急カーブが同時に襲ってくる、富士急きっての難所です。

寿駅を通過し、ひと段落……のよう見えますが、実は駅をはさんで40パーミル勾配、構内は約30パーミルと、休む場所はどこにもありません。

東桂(三つ峠の一つ手前)を出てからというもの、富士山は常に左の車窓に付きまとっています。

葭池温泉前~下吉田で撮った、納得の一枚。

下吉田で再び6000系と交換。

富士山と一緒に富士吉田の街並みが近づいてきました。

《富士山 10:29着(約2分遅れ)》
10時29分。着いたのは富士山でした。
……といっても、富士山がそこにあるわけではありません。元は市名の通り富士吉田といっていたのを、富士山が近いことから2011年に『富士山駅』に改名したものです。
生まれた頃から富士山の見える街に育った身(※)としては、未だにこの名前が馴染めません。まるで「こここそが本当の富士山の玄関だよ!」と主張しているようで不快です。施設の名前とかならともかく、駅名ともなると知名度に関わるので本来タブーとされるべきものです。
まあ、一時期あった富士吉田市の「富士山市」改名運動に比べればましですが……
(※……平地であれば、基本的に島田市より東側のエリアであれば大体どこでも見えます)

《富士山 10:33発(約3分遅れ)》
富士山駅では進行方向が変わります。これは、富士急の前身の一つ・都留馬車鉄道が山中湖方面に路線を持っており、そこからスイッチバックする形で1950年に富士山~河口湖が開通したからです。一時は県境の籠坂峠で御殿場方面ともつながっていましたが、1927年に廃止。現在静岡方面との交通は東富士五湖道路がメインとなります。

富士山を正面に見ながら、列車はバックしていきます。河口湖までは6分少々なので、座席を回転させる人はいません。

富士急ハイランドの裏手にある富士急ハイランド駅。全列車が停車しますが、車の利用の方が圧倒的に多いです。

《河口湖 10:38着(約2分遅れ)》
10時38分。終点の河口湖に到着です。

みんなに人気の「ホリデー快速(略)」。最近はいろんな人が鉄道にカメラを向ける時代になりました。

ということで、「ホリデー(略)」の旅はここまで。

続く!

今や貴重な189系。

[ホリデー快速富士山1号 新宿8:14→河口湖10:36]
《八王子8:53発》
それでは、富士山を目指して出発進行!

これから向かう河口湖は、富士急行線にある駅です。
大月から分岐して河口湖に分岐する富士急行(富士急)は、古くから国鉄(JR)と直通運転を行ってきました。最も古いのは1934年の東京―富士吉田の臨時準急「銀嶺」です。この時は定期列車ではなく富士登山の季節のみの運転で、現在の「ホリデー快速富士山」につながるところがあります。
本格的な乗り入れは1962年の急行「かわぐち」から。当時中央本線はまだ非電化でしたが、電化済み(1921年)の富士急もキハ58に準じたキハ58000形を新製するほどの気合の入れようでした。その後165系→115系と移り、1989年に「ホリデー快速」化。2003年に現在の183・189系の運転となって現在に至ります。
以前に比べると落ち着いていますが、JRとのかかわりは深いです。2013年に富士山が世界遺産に登録されてからはさらに深くなっています。『北海道&東日本パス』に富士急が参加しているおかげで、新たに切符を買うことなくこの「ホリデー快速富士山」に乗っているのは、前回述べたとおりです。

《高尾 8:59着》
『中央線』としての終着駅・高尾駅に到着。

隣のホームでスカ色の115系が抜かれるのを待っています。

反対から長野色の115系が登場。長野支社は小淵沢から北の管轄ですが、一番長い列車では立川まで乗り入れてきます。多くは6両固定のC編成です。
いずれも東北・高崎線の211系が転用されるとの予想でしたが、2013年からついに長野の3両編成の一部が置き換え開始。タイムリミットが近づいてきました。
もっとも、今乗っている189系(+183系)も決して安泰ではありません。田町車両センターの4本は組み換えの上大宮に転属も1本を除き廃車。幕張車両センターの2本も2013年末に廃車。大宮車両センターの4本も、「あかぎ」「草津」で余った185系で置き換えられる予定で、残すは長野車両センターの4本となります。
《高尾 9:00発》

高尾からは打って変わって山岳路線になります。

私の乗った6号車(先頭車)の様子。窓側が埋まる程度の乗車率なので40パーセントぐらいでしょうか。
相模湖・上野原ではわずかながら乗降がありましたが、みなさん富士急まで乗りとおすようです。

今でこそほとんどが複線化されている中央東線(中央本線のうち、東半分に当たる東京~塩尻間のこと)ですが、山を通る路線のため複線化は容易ではありませんでした。明治時代に掘られたトンネルでは複線化できないので、大半がもう一本トンネルを掘り上下線で別のルートを採っています。

はるか遠くの上り線を走る115系。
ここでちょっと車内観察。

最後尾・1号車の運転台の入口。

「ホリデー快速富士山」は最後尾の1両が指定席になっています。行き(河口湖行)は1号車ですが、帰り(新宿行)は6号車になります。

指定席車の様子。心なしか自由席より混んでいる気もします。大きな荷物が多いからでしょうか。

洗面台。国鉄時代と変わらぬレイアウトです。


自由席の2号車の様子。結構空いています。

続く3号車もこんな感じ。

《トイレ使用中》
4~6号車も同じ内装なので省略します。編成は以下の通りです。
(編成:八トタM50)クハ189-14+モハ189-20+モハ188-20+モハ189-44+モハ188-44+クハ189-507 →河口湖

《大月 9:35発》
大月からいよいよ富士急行線に入ります。「ホリデー快速富士山1号」は富士急でも快速運転となります。この次の3号は上大月以外の各駅に停車します。

が、私の乗っていた4号車は大月で半分近くが降りてしまいガラガラになってしまいました。年末とはいえ、行楽臨時列車がこの乗車率で大丈夫なのでしょうか。189系の将来より心配です。

富士急大月駅の引き込み線に停車中の、元京王5000形の富士急1000形。1本が京王色に戻されています。

「ホリデー快速富士山」はJRのホームから発車します。大月を出てすぐ、富士急のホームからつながる線路と合流します。

大月市内を抜け、列車はくねりながら進んでいきます。終点・河口湖までの30キロ弱で500メートルも登るので、勾配を避けるためにカーブは仕方がないものですが……それにしても急すぎる気がします。
富士急行は大月から都留市・富士吉田市を経由して河口湖までを結ぶ鉄道線です。元は2つの馬車鉄道からなり、都留市内で接続していたのですが、1921年に合併・電化。現在の路線は、1929年に切り替えられた新線です。新線ととはいっても、馬車時代の併用軌道をなくした程度で、最急勾配40パーミル・最急カーブ半径200メートルと、電車でも厳しい条件となっています。

しばらくすると、霊峰・富士の姿が現れました。この日は雲ひとつない晴れ。絶好の富士日和でした。

田野倉駅で元JR205系の6000系普通列車で交換します。京葉線あたりを走っていた205系を、かの水戸岡氏がデザインしたものです。

奥に見える白の高架橋はリニア実験線です。現在本開業に向けて実験線を延長し、超高速運転の実験を日々行っています。

富士急屈指の難読駅・禾生で「フジサン特急」と交換。読みは「かせい」です。
実はこの「フジサン特急」、今年2月で引退し、「パノラマエクスプレスアルプス」色となった2002編成なのですが、シャッターチャンスを逃してしまいました。

《都留市 9:49着》
富士急線最初の停車駅・都留市駅に到着。名前の通り都留市の代表駅……のはずですが、実は富士急の優等列車では「ホリデー快速富士山」が唯一の停車です。

車内では検察が乗り越し清算を行います。ほぼ10分おきに止まるので大変そうです。

山間に建つ十日市場駅を通過。

東桂を出ると、左手に再び富士山が現れました。すかさずアナウンスが入り、乗客はみんな富士山の見える左側に移動します。

さえぎるものはほとんどないため、きれいな裏富士を拝むことが出来ます。

富士山川にカーブしたあとも、しばらく左手に富士山が見え続けます。カメラを向ける人の数は一人二人ではありません。

住宅街の合間からチラ富士。

《三つ峠 10:04着(約4分遅れ)》
西桂町の入口・三つ峠に停車。列車交換のため6分停車します。

後ろ3両は
富士急ではほとんどの駅のホームが3両分しかない(都留市・三つ峠のような優等列車停車駅でさえ!)ため、列車ははみ出して停車します。基本的に前3両のみドアが開く形です。最後尾の指定席利用者は、一部の駅を除くとわざわざ4号車まで移動する羽目になります。指定券を買っているのに (´・ω・`)
なお、交換設備はどの駅も6両ぎりぎりです。三つ峠ではこのようにポイントまではみ出ていますが……

で、これ以上前に出すと今度は構内踏み切りに引っかかってしまいます。つくづく面倒くさい駅です。



対抗列車待ちの間、いろんな角度から撮影。

10時8分。3分遅れで対向列車がやってきました。富士急色になった1200形1202編成です。

後ろに『富士登山電車』1205編成を連結していました。というか、こちらがメインです。1200形を水戸岡アレンジした観光列車で、この編成に乗るには座席整理券が必要になっています。

《三つ峠 10:09発(約3分遅れ)》
三つ峠を発車します。

住宅の影から富士山がのぞきます。

S字カーブになっているため、富士山が正面にやってきます。

この当たりは有名な撮影地であるらしく、雪の中に何人も撮影者がいました。

奥の踏み切りに並んでいる人たちはみんなこちらにカメラを構えています。多すぎ!

撮影者にはよくても、ここは最急勾配と最急カーブが同時に襲ってくる、富士急きっての難所です。

寿駅を通過し、ひと段落……のよう見えますが、実は駅をはさんで40パーミル勾配、構内は約30パーミルと、休む場所はどこにもありません。

東桂(三つ峠の一つ手前)を出てからというもの、富士山は常に左の車窓に付きまとっています。

葭池温泉前~下吉田で撮った、納得の一枚。

下吉田で再び6000系と交換。

富士山と一緒に富士吉田の街並みが近づいてきました。

《富士山 10:29着(約2分遅れ)》
10時29分。着いたのは富士山でした。
……といっても、富士山がそこにあるわけではありません。元は市名の通り富士吉田といっていたのを、富士山が近いことから2011年に『富士山駅』に改名したものです。
生まれた頃から富士山の見える街に育った身(※)としては、未だにこの名前が馴染めません。まるで「こここそが本当の富士山の玄関だよ!」と主張しているようで不快です。施設の名前とかならともかく、駅名ともなると知名度に関わるので本来タブーとされるべきものです。
まあ、一時期あった富士吉田市の「富士山市」改名運動に比べればましですが……
(※……平地であれば、基本的に島田市より東側のエリアであれば大体どこでも見えます)

《富士山 10:33発(約3分遅れ)》
富士山駅では進行方向が変わります。これは、富士急の前身の一つ・都留馬車鉄道が山中湖方面に路線を持っており、そこからスイッチバックする形で1950年に富士山~河口湖が開通したからです。一時は県境の籠坂峠で御殿場方面ともつながっていましたが、1927年に廃止。現在静岡方面との交通は東富士五湖道路がメインとなります。

富士山を正面に見ながら、列車はバックしていきます。河口湖までは6分少々なので、座席を回転させる人はいません。

富士急ハイランドの裏手にある富士急ハイランド駅。全列車が停車しますが、車の利用の方が圧倒的に多いです。

《河口湖 10:38着(約2分遅れ)》
10時38分。終点の河口湖に到着です。

みんなに人気の「ホリデー快速(略)」。最近はいろんな人が鉄道にカメラを向ける時代になりました。

ということで、「ホリデー(略)」の旅はここまで。

続く!
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