第5回へ戻る

周囲を山と森に囲まれ、人家も見当たらず、あまつさえ駅から出る道さえもないというとんでもない駅が北海道にあります。
その駅の名は小幌。はるか昔から人の流れをさえぎってきた礼文華にあります。

【TIME:2015/8/24 15:50】
さて、この駅には駅ノートのほかにいくつか置かれています。
一つはお手製のダイヤグラム。
そしてもう一つ、バケツにも書いてあるように「観光案内」も置かれています。
え? 秘境駅なのに観光案内? はい、「礼文華観光案内」というパンフレットです。
といっても公式のものではなく、同人的に作られたものです。
残念ながら写真はありませんが、他の方のブログやHPで紹介されているのでそちらを参照してください。
小幌駅周辺についてつぶさに書かれたその本は、まさしく小幌駅におけるバイブルといっても過言ではありません。
今回静サツ選手は小幌駅についてほぼ情報無しでやってきています。藪だらけなのは知っていたので長袖長ズボンで、荷物を極力減らしてはいますが、その他の備えはまったくなし。その静サツ選手にとっては、神の啓示にも等しいものだったでしょう。

礼文華観光案内を呼んだ静サツ選手。早速駅を出ます。

道がないといいましたが、それはあくまで舗装された道の話。獣道レベルの道が、小幌駅からは3方に向かって延びています。

静サツ選手はそのうちの一つ、「岩屋観音」と呼ばれる場所に向かうことにしたようです。

上り坂をまっすぐ突き進みます。この日は雨の次の日でしたが、駅を出てすぐの場所を除けば歩きやすい道でした――このあたりは。

ちなみに落ちたら死です。小幌は海に近い駅ですが、少なくとも50メートル以上の高さにあります。

10分ほどして、道は上りから下りに変わります。

九十九折がしばらく続きます。

途中で岩の裂け目を発見。その下には海水が流れ込んできています。もちろん落ちれば命はありません。

木陰になっている場所はぐちょぐちょです。スニーカー装備の静サツ選手。荷物を駅に置いたとはいえ苦戦しています。山道で怖いのは、踏ん張りの利かない下りのほうです。

あきらかに何かに捕まらないと歩けない道が出現。しかし幸いにもロープが用意されていました。

小幌駅からおよそ20分。前方が開け、海が見えてきました。

ここにきて最難関が出現。角度もあきらかに急です。

その難関を抜けた先の眺めはこんな感じ。ちなみに、足元は文字通りの崖っぷちです。足を踏み外しようものなら(以下略)。

最後の九十九折を下ります。

沢を渡ればゴールは間近。

そして静サツ選手、小さな入り江に到着。おお、これぞ秘境にふさわしい――
待て。
なんか変な構造物があるぞ。

なんだこれ。
よくわかりませんが、コンクリート製なのでそこまで古いものではないでしょう。少なくとも、小幌駅が誕生したときからあるとは思えません。

右を見ても、

左を見ても、

後ろを向いても、
あの構造物さえなければ『自分しか知らない小さな浜辺』感ばっちりなのですが……
気を取り直して、辺りを見渡してみましょう。

右手後方には鳥居が立っています。ここは岩屋観音と呼ばれるところで、実際にこの洞窟の奥に観音様が眠っています。
観音様は年に1回、9月の16・17日に開放されるそうです。例大祭のようなものですが、これも小幌駅が存続する理由の一つになっています。

岩屋観音のいわれには「この地を通過した僧が熊に襲われこの洞窟で難を逃れた(要約)」と書かれています。ええ、熊が出るんですよ。この駅。
まだ日のある時間だったからいいものの、熊よけの鈴どころか懐中電灯も持っていない静サツ選手。帰り道は戦々恐々だったといいます。
ちなみにここはアイヌ語で「ケウ・ポル」(死体・洞窟)といい、これが小幌の語源といわれています。

明らかに人の手が入った建物を発見。観音の管理小屋としてのほか、漁師の避難先にもなっているようです。ここに来るまでの道も、彼らが整備したのでしょう。
右も左も海岸線は岩場になっており、波打ち際を歩いていくのは不可能です。

一通り岩屋観音を満喫した静サツ選手、来た道を戻ります。
この沢沿いに上っていくと国道に辿り着けるそうですが、こちらはきちんとした装備が必要です。

20分かけて駅まで戻ってきました。途中下り道で止まれないため全力疾走になり、観音からの往復で大分体力を消耗しています。だからあれほど寝とけといったのに……
休憩もかねて、静サツ選手、撮影を始めました。

まずは16時40分。下り「スーパー北斗11号」が通過。この先も上り勾配が続いているので、たとえ駅だろうとフル加速で通過していきます。

16時42分。今度は上り線を「北斗12号」が通過していきます。下りホームと違い簡易なつくりになっているので、恐怖も倍増します。
列車が過ぎ去って静まり返ったところで、静サツ選手は再び歩き始めます。

岩屋観音への道から分岐して、森の中を進みます。こちらは一方的に下りです。

完全に木の葉の影となってしまいました。日が暮れる前に抜けないとやばそうです。

5分ほどで浜辺に到着。文太郎浜と呼ばれています。
ここは近世まで人が住んでいたとの記録が残されています。確かに、岩だらけの礼文華海岸において、まとまった浜辺を持っています。文太郎の名前も、住んでいた人の名前だとか。
写真は礼文方向(東側)の景色です。

こちらは静狩方向(西側)の景色です。延々と岩場が続いているのが分かります。
この先にピリカ浜と呼ばれる浜があり、その先も波打ち際を歩いていけるそうなのですが、日が落ちかけていることに加えて海面も上がってきているのでこちらは断念しました。

小幌駅の方向。この先数百メートルほど先に駅があると、誰が信じるでしょうか。

密漁禁止の看板。手付かずの自然が目の前にある小幌駅は、釣り人にも人気だそうです。

アイヌ語で「ポロ・ナイ」(大きな・谷川)と呼ばれる沢。決して大きくは見えませんが、あくまで小幌地区において大きいということなのでしょう。

前方の海に日が沈み始めました。撤収の頃合のようです。

帰り道はこの隙間にあります。静サツ選手によれば、見失わないために写真に撮ったそうです。

岩屋観音からの道に合流すれば小幌駅はもうすぐ。

小幌駅に戻ってきました。
真の秘境駅・小幌駅の話は、もう少しだけ続きます。
第7回へ続く

周囲を山と森に囲まれ、人家も見当たらず、あまつさえ駅から出る道さえもないというとんでもない駅が北海道にあります。
その駅の名は小幌。はるか昔から人の流れをさえぎってきた礼文華にあります。

【TIME:2015/8/24 15:50】
さて、この駅には駅ノートのほかにいくつか置かれています。
一つはお手製のダイヤグラム。
そしてもう一つ、バケツにも書いてあるように「観光案内」も置かれています。
え? 秘境駅なのに観光案内? はい、「礼文華観光案内」というパンフレットです。
といっても公式のものではなく、同人的に作られたものです。
残念ながら写真はありませんが、他の方のブログやHPで紹介されているのでそちらを参照してください。
小幌駅周辺についてつぶさに書かれたその本は、まさしく小幌駅におけるバイブルといっても過言ではありません。
今回静サツ選手は小幌駅についてほぼ情報無しでやってきています。藪だらけなのは知っていたので長袖長ズボンで、荷物を極力減らしてはいますが、その他の備えはまったくなし。その静サツ選手にとっては、神の啓示にも等しいものだったでしょう。

礼文華観光案内を呼んだ静サツ選手。早速駅を出ます。

道がないといいましたが、それはあくまで舗装された道の話。獣道レベルの道が、小幌駅からは3方に向かって延びています。

静サツ選手はそのうちの一つ、「岩屋観音」と呼ばれる場所に向かうことにしたようです。

上り坂をまっすぐ突き進みます。この日は雨の次の日でしたが、駅を出てすぐの場所を除けば歩きやすい道でした――このあたりは。

ちなみに落ちたら死です。小幌は海に近い駅ですが、少なくとも50メートル以上の高さにあります。

10分ほどして、道は上りから下りに変わります。

九十九折がしばらく続きます。

途中で岩の裂け目を発見。その下には海水が流れ込んできています。もちろん落ちれば命はありません。

木陰になっている場所はぐちょぐちょです。スニーカー装備の静サツ選手。荷物を駅に置いたとはいえ苦戦しています。山道で怖いのは、踏ん張りの利かない下りのほうです。

あきらかに何かに捕まらないと歩けない道が出現。しかし幸いにもロープが用意されていました。

小幌駅からおよそ20分。前方が開け、海が見えてきました。

ここにきて最難関が出現。角度もあきらかに急です。

その難関を抜けた先の眺めはこんな感じ。ちなみに、足元は文字通りの崖っぷちです。足を踏み外しようものなら(以下略)。

最後の九十九折を下ります。

沢を渡ればゴールは間近。

そして静サツ選手、小さな入り江に到着。おお、これぞ秘境にふさわしい――
待て。
なんか変な構造物があるぞ。

なんだこれ。
よくわかりませんが、コンクリート製なのでそこまで古いものではないでしょう。少なくとも、小幌駅が誕生したときからあるとは思えません。

右を見ても、

左を見ても、

後ろを向いても、
あの構造物さえなければ『自分しか知らない小さな浜辺』感ばっちりなのですが……
気を取り直して、辺りを見渡してみましょう。

右手後方には鳥居が立っています。ここは岩屋観音と呼ばれるところで、実際にこの洞窟の奥に観音様が眠っています。
観音様は年に1回、9月の16・17日に開放されるそうです。例大祭のようなものですが、これも小幌駅が存続する理由の一つになっています。

岩屋観音のいわれには「この地を通過した僧が熊に襲われこの洞窟で難を逃れた(要約)」と書かれています。ええ、熊が出るんですよ。この駅。
まだ日のある時間だったからいいものの、熊よけの鈴どころか懐中電灯も持っていない静サツ選手。帰り道は戦々恐々だったといいます。
ちなみにここはアイヌ語で「ケウ・ポル」(死体・洞窟)といい、これが小幌の語源といわれています。

明らかに人の手が入った建物を発見。観音の管理小屋としてのほか、漁師の避難先にもなっているようです。ここに来るまでの道も、彼らが整備したのでしょう。
右も左も海岸線は岩場になっており、波打ち際を歩いていくのは不可能です。

一通り岩屋観音を満喫した静サツ選手、来た道を戻ります。
この沢沿いに上っていくと国道に辿り着けるそうですが、こちらはきちんとした装備が必要です。

20分かけて駅まで戻ってきました。途中下り道で止まれないため全力疾走になり、観音からの往復で大分体力を消耗しています。だからあれほど寝とけといったのに……
休憩もかねて、静サツ選手、撮影を始めました。

まずは16時40分。下り「スーパー北斗11号」が通過。この先も上り勾配が続いているので、たとえ駅だろうとフル加速で通過していきます。

16時42分。今度は上り線を「北斗12号」が通過していきます。下りホームと違い簡易なつくりになっているので、恐怖も倍増します。
列車が過ぎ去って静まり返ったところで、静サツ選手は再び歩き始めます。

岩屋観音への道から分岐して、森の中を進みます。こちらは一方的に下りです。

完全に木の葉の影となってしまいました。日が暮れる前に抜けないとやばそうです。

5分ほどで浜辺に到着。文太郎浜と呼ばれています。
ここは近世まで人が住んでいたとの記録が残されています。確かに、岩だらけの礼文華海岸において、まとまった浜辺を持っています。文太郎の名前も、住んでいた人の名前だとか。
写真は礼文方向(東側)の景色です。

こちらは静狩方向(西側)の景色です。延々と岩場が続いているのが分かります。
この先にピリカ浜と呼ばれる浜があり、その先も波打ち際を歩いていけるそうなのですが、日が落ちかけていることに加えて海面も上がってきているのでこちらは断念しました。

小幌駅の方向。この先数百メートルほど先に駅があると、誰が信じるでしょうか。

密漁禁止の看板。手付かずの自然が目の前にある小幌駅は、釣り人にも人気だそうです。

アイヌ語で「ポロ・ナイ」(大きな・谷川)と呼ばれる沢。決して大きくは見えませんが、あくまで小幌地区において大きいということなのでしょう。

前方の海に日が沈み始めました。撤収の頃合のようです。

帰り道はこの隙間にあります。静サツ選手によれば、見失わないために写真に撮ったそうです。

岩屋観音からの道に合流すれば小幌駅はもうすぐ。

小幌駅に戻ってきました。
真の秘境駅・小幌駅の話は、もう少しだけ続きます。
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