山手西洋館巡りつづき。
ブラフ18番館から少し歩いて、山手公園には寄らずにベーリックホールへ。
↑ ベーリック・ホール(正面右側だけ)
イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計
設計したのはアメリカ人建築家 J.H.モーガンさん。
山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築物を残しているのだそう。
第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、
昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄贈
その後、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていた。
現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物
↑ 大広間
↑ コチラのテーマは「フィンランド」
↑ 玄関の装飾扉・アイアンワークが特徴的
ベーリックホールは、スパニッシュスタイルと言われる建築スタイルなんだそうだ。
イスラム様式を取り入れているので、エキゾチックな雰囲気もある。
お庭にソテツとかシュロが植えられているのもそうかな?
↑ 四角い飾り窓・クワットレフォイルが2階の窓のあちこちにある。
ベーリックホールの最大の特徴だね
↑ 2階寝室にも
↑ バスルームにも
このバスルームは2階の寝室に繋がる
ブルーのタイルを基調としてカワイイ(バスタブは白)
↑ コチラのバスルームはグリーン
バスタブは緑なの
ベーリックホールは見どころが多い。
パームルームというサンルームがあるんだけど、
そこは大きなアーチ窓がぐるりと配され、全面ガラス張り。
壁には獅子頭の壁泉まである。異国情緒満点。
(※椅子が配置されていて、人がたくさんいたので撮影せず)
あんまりのんびりしないで、どんどん行こう、
ということで、お次はエリスマン邸へGO!
大きな木に囲まれてる。
建設当時からの植栽なのかな
生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人フリッツ・エリスマン氏の邸宅。
大正14(1925)年から15(1926)年にかけて建てられ、
設計は「近代建築の父」といわれるチェコ人の建築家アントニン・レーモンドという人。
コチラのテーマはドイツ連邦共和国。
素朴な家庭的なデザインだった。
↑ クリスマスツリーの部屋の壁にある、引き出し(厚みが薄い)がたくさんある棚が、
アドベントカレンダーになっていた。
引き出しひとつひとつに日付が打たれ、
その中にお菓子や小物が入ってる。
コレは楽しい~
引き出しの棚は、「楽譜入れ」と記入してあった。
こんなに沢山の種類の楽譜を入れていたの?
エリスマンさんは音楽大好きだったのかな~
エリスマン邸は中を見るのもそこそこに、カフェが最大の目的だったので、
カフェ入口へ。
カフェの入口は、邸宅内から入るのではなく、庭の方から入る。
予約できないので並んで待つ。ワタシたちは3組目。
時間的にお茶の時間より少し早かったけど、ランチのお客さんが根っこを生やしているらしく
まー 待った。
人気があるから仕方ないけどさ
↑ 入店。一番眺めのいい席だった。
抹茶アイスとワッフルセットで。
ワッフルちっちゃいな~ でもドライフルーツが盛り合わせてある
美味しゅうございました
眺めも最高でした
記念撮影を友人にしてもらい、意外に映りが良かったんで、
近いうちに使うなら、コレ遺影にしよう と思った。
目もお腹も満足したので、早々にカフェを出る。
ワタシたちより30分以上も前に入ったテーブル席のおひとり様は、まったく動く気配がない。
待ち行列はどんどん増えていたけど。。。
まぁ、人それぞれよね。
西洋館のある山手の通りは、外国のようなたたずまいの建物が多い。
↑ えの木てい とか(スゴイ待ち行列ができていた)
↑ 山手聖公会
設計はベーリックホールと同じアメリカ人建築家 J.H.モーガンさん
↑ 山手234番館前にある公衆電話ボックス(「自働電話」と書いてある)
エリスマン邸から、外人墓地を横目に丘を下る。
港の見える丘公園まで行けば、イギリス館・山手111番館もあるのだけど、
それよりジャック・クイーン・キングの塔を回りたい、というのもあって
以下省略。。。
↑ アメリカ山公園に至る。マリンタワーが見える
次は日本大通りへ。
(つづく)
情報ありがとうございます。
もっと下調べしてから行けばよかった、といつも旅行してから後悔してます。
またゆっくり回りたいです。
次はぜひとも、エリスマン邸の裏側のブラフ80メモリアルテラスに寄ってくださいませ。
山手の洋館の私のいちおし。