この歌は「森繁久彌」さんと「伴淳三郎」さんが小児マヒ(ポリオ)に苦しむ少年、少女たちを救おうと
手を携えて結成した芸能人チャリティー団体「あゆみの箱」のテーマソングでもあったそうですが
元々は宮城県仙台市立多賀小・中学校療養所分校(現在の宮城県立西多賀支援学校)の
ベッドスクール歌として制作された曲でもあるとのことです。
水間摩遊美 薯「いのちの約束」(潮出版社)
1993年発行、脊髄性小児マヒ、(ポリオ)罹患者で右腕と左あしに後遺症をもち
右腕の機能を失っても引け目を感じることなく
左手1本で3人の子供を育て上げ、さまざまな差別に立ち向かい
「小児マヒの記憶を風化させてはいけない。日本でなくなっても今も世界の多くの子供たちが
苦しんでいる」と、
30年前のポリオワクチンの恩返しをと、ロシアに行かれた内容が書かれてあります。
本のなかで、このかたの体の障害の事を友人の子供が質問したことが書いてあり、
「私の歩き方、私の手を真似た女の子と、その子のしぐさを一緒になって笑った母親を
素晴らしい人、やさしい人と信じていただけに、淋しかった。
九十九譲っても、残る1を譲れない私。その人との交流は、それっきり途絶えた。
けれど、後悔はしていない。」と、綴られている。
親になった時にキチンと障がい者の事を子供たちに伝えなければいけないと思います…
あらたに読み直しても、こみあげてくる涙が、止まらない…
胸が締め付けられる思いでした。
友達を失うって本当に辛く悲しくて淋しいことだから。
ポリオの事はこのブログ「人生一路」の欄でも少し書かせていただきましたが…
日ソ合作映画「未来への伝言」という映画を観られた方はいらっしゃいますでしょうか?
その中で開発したワクチンを次々と自分の体で実験を行うシーンがあったそうですが、
日本向けワクチンを不眠不休で製造していた当時の所長チェマコフ博士は
その実験の後遺症で半身不随になられ、現所長のドロズドフ博士も、工場長のラシケビッチ先生
もその後遺症で、今も年に二回、ひどい発作に苦しんでいると書いてありました
(23年前の話ですが…)
人の一生、生命にかかわる問題を、卑劣な駆け引きに使うようなことはしなかった、
母たちはすくわれた・旧ソ連は人道的であったと書かれてありました。
このポリオワクチンのお蔭で日本は小児麻痺で苦しむ子供たちが少なくなり
(朝には元気で遊んでいた子供が急に高熱を出し、あっという間に生命を奪われ
運よく命をとりとめても、生涯にわたるマヒが体に刻みこまれてしまう怖い病気でした。)
今では小児マヒ(ポリオ)を知らない先生もいらっしゃいますよね。
ポストポリオになられた方はその診断が大変だと思います。
肌の色がちがっても、交わす言葉がちがっても、みんな、おなじ人間にはかわりないですから
助けあって支えあって生きていきたいですよね(^^♪
いじめは、いじめをする側が100%悪いですからね(^^♪