家庭の事情で小学校の1学期は伏見の板橋小学校、2学期は東山の六原小学校
3学期からは北区の鳳徳小学校と目まぐるしく転校いたしました・・・
1学期、2学期は母と二人暮らしでしたが、3学期からは祖母と暮らすように・・
北区の鳳徳小学校に来る、と云うより戻って来たのでした、幼稚園は北区の桃林幼稚園やったから
と云うのは祖母に育てられて、幼稚園の途中から母と暮らすようになり・・・
1年の3学期から祖母に引き取られることに・・だから板橋小学校も、六原小学校の事も
殆ど覚えていません!しかし鳳徳小学校に移って最初の頃小さないじめがありました
今のような悪質ないじめではありませんでしたけど・・私が泣き虫だったので面白がってのい・じ・め
或る時教室で泣いていると、6年生の【ショウちゃん】が「昭男ちゃん誰に泣かされたんや」と教室へ・・
そんなことが2回ほどあって、いじめもなくなりました・・そんな【ショウちゃん】の思い出話です
【ショウちゃん】は小学校の喧嘩大将でした、旭ヶ丘中学に移ってもいきなり喧嘩大将になったんです
皆には恐れられていた【ショウちゃん】も私には凄く優しかったんです、決して呼び捨てにせずに・・
「昭男ちゃん」「あきおちゃん」と呼んでくれていました、或る時の事です・・・
学校から帰ると、カバンを放り出して家には黙って【ショウちゃん】と沢蟹取りに行ったのです
加茂川の上流に森と云う場所があって・・そこは賀茂川から田圃の畦道を西に入った処でした
二人は夢中でした・・お腹の減ったのも分からずに・・夢中でした・・沢蟹取りに夢中でした
ふとお腹が減った事に気が付くと・・もう歩けないのでした
「ショウちゃん、ぼく歩けへん」とヘタリ込んでしまいました、五歳年上の【ショウちゃん】は
「僕がおんぶするは」と云って、ぼくを背負って畦道を歩きだしたときでした・・・
「あっ・・おばあちゃんや」・・そうなんです賀茂川の土手をこちらに向かって来る姿が
その一言で・・【ショウちゃん】も畦道にヘタリ込んでしまいました
【ショウちゃん】もお腹減らして歩けないのに、ぼくを背負って歩き出したんですね
二人の前に座ったおばあちゃんが、風呂敷包みを開けると、、ナントパンがいっぱい入っていました
今だに不思議でなりませんあの場所に何故来たのかが・・もちろん孫を思っての事ですが
その頃の【ショウちゃん】の消息は全く分かりません、ヤクザになったとかの噂もあったけれど
もう65年以上も前の話ですから、そのおばあちゃんが亡くなったのが昭和40年12月25日でした
あれから52年も経ってしまったんですね
私の心の中にある大きな思い出の一つです・・・その頃の賀茂川関係の写真ネットで見つけました
昔は賀茂川の水も美しかったので、このように友禅流しが行われていたのです
賀茂川のどの辺の橋なんでしょうね、この話の4年程後の風景です
チンチン電車ですね~、横は賀茂川でなくて堀川でしょうね
これも懐かしい、京阪電車ですね、今は地下に潜ってしまいましたけど、たぶん四条京阪の駅では??いや?七条京阪かな
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