札幌・東京・京都、と三会場目の京都が一番日本好みのゴッホに環境がぴったりでは
最終日の二日前に夜のゴッホ展に行ってきました・・・そして!
60年前の日本最初の【ゴッホ展】で観た「アルルの跳ね橋」との再会
と思ったのですが図録の「アルルの跳ね橋」は「ラングロアの橋」なんです
幻の水夫と恋人とラングロアの橋〈右下の素描〉を日本人が今回のために再現した
なるほどよく見ると・・・跳ね橋の上が
違うんですよ??
60年前、中学生だった私が京都市美術館で観た「アルルの跳ね橋」は
橋の上には幌付きの馬車が通過中??〈止まっているかも〉なんです
しかし、近代美術館で観てきた「ラングロアの橋」の素描には
日傘をさしている女性が描かれているんです・・油絵で再現すると
でしょう・・・この「ラングロアの橋」ゴッホがアルルに来て最初に気に入った場所とか
この他にも、ゴッホは、三・四枚のラングロアの橋を描いていたんです
私が60年前の中学生の時に一番観たかったのが「アルルの跳ね橋」でした
今でもはっきりと覚えています・・・入り口から「アルルの跳ね橋」を求めて・・・
なかなか出てこなかったんです??全体の半分の部屋をまわっても出て来ないのです
それから二部屋目だったような気がします、入って右側にあったんです
でも!思っていたよりも小さかったんです、エエ~、と声が出そうに・・・
そうなんですよ~「アルルの跳ね橋」の絵のサイズが、54㎝×65㎝なんです
まあでも・・一瞬、「アルルの跳ね橋」思い出させてくれたことには感謝です
此処にエミール・ベルナールに宛てた「アルルの跳ね橋」に関する手紙があります
~『この手紙の最初に、ちょっとしたデッサンを書き送りましたが、
ぼくはいまその習作をなんとかものにしようとして夢中です、
黄色い大きな太陽に照らし出された跳ね橋の奇妙なシルエット上に、
恋人たちを乗せた馬車が街へ向かっている図です、
ぼくは同じ跳ね橋で洗濯女のいる習作をこころみています』
最後に実際にあった「ラングロアの橋」の写真と「夜のカフェテラス」のモデルを
こちらは解体される前の貴重な、1902年のラングロアの橋です、ゴッホの絵に近いですね
下は 修復された現在のラングロアの橋で、観光名所になっているとか
最後に、ゴッホがアルルで描いたもう一つの名画「夜のカフェテラス」
そのモデルになった街並み
アルルの町の地図です、他に・・・マルセイユとかカンヌ、ニース、アヴィニョンもあるよ
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