松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

第115代【桜町天皇】は〖聖徳太子〗の再来か?と云われた!

2018-04-21 09:44:13 | 日記

何故??【桜町天皇】は「聖徳太子」の再来とまで言われたのでしょう

    

桜町天皇は、中御門天皇の第一皇子として享保五年〈1720〉に生誕される

生誕された年に、親王宣下を受けられ、享保十三年に立太子

同・二十年に父・中御門天皇の譲位により即位されている

さて聖徳太子の再来と云われている根拠は・・・

まずは、五歳で読書始めを行い、天子の学問を修めたとあります

しかし即位直後は朝遅く起きて、昼近くに朝食を召し・・

夜遅くまで起き、学問よりも「和歌」や「蹴鞠」を好んだと、

右大臣・一条兼香を嘆かせている〈『兼香公記』より〉

だがこの後、関白となった一条兼香の補佐や暴れん坊将軍??

いやいや、徳川吉宗の助力を得て、朝廷儀式の復活に力を入れた

肝心の聖徳太子の再来の件ですが、随筆集【翁草】に書かれている

江戸時代のさまざまな事柄を記したのが、神沢杜口の【翁草】です

ここには、天皇が元旦の生まれであり、その際に火事が起こった事

様々な点で、聖徳太子との共通点が多いと云う事・・

尚!神沢杜口は桜町天皇の在世中に、京都町奉行所の与力を務めていた

この噂は朝廷でもあったらしく「延喜・天暦の治以来の聖代である」・・

と、歴史家としても知られている公家の柳原紀光も評している

桜町天皇は孝心も大変に深く、中御門天皇の七回忌には、

七日間にわたり清涼殿で法講を行っていし、命日には追善の為に・・

紫紙に金泥で般若心経を書写し、仁和寺に納めています

即位から12年目で【桃園天皇】に譲位して院政を行いますが

その3年後、脚気が原因で突然の崩御でした・・・31歳の若さでした

「桜町」の諡〈おくりな〉は退位した天皇の住まいの【仙洞御所】の

宮名である「桜町殿」に因んで「桜町院」と追号された

葬られたのは、泉涌寺にある【月輪陵】〈つきのわのみささぎ〉

 

 

 

 

 

 

 


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