第116代【桃園天皇】は22歳で崩御されるという短い命でした
先帝・桜町天皇の第一皇子として寛保元年〈1741〉に生誕されました
親王宣下を受けたのち、延享四年〈1747〉に立太子されています
同じ年に、父・桜町天皇の譲位に伴って七歳で即位されています
僅か七歳で即位されたその上に、三年後には父・桜町天皇が崩御されます
この幼い天皇を支えるはずの摂関家に於いても、実力者が次々と亡くなり・・
スムーズな朝廷の運営が非常に難しくなっていきました
そこで、天皇の近習を含んだ中級・下級の若手公家たちが不満を募らせます
そこで登場するのが、儒教の影響を受け天皇を絶対的な存在にする神道を奉じるために
忽然と出現してくるのが、竹内式部〈たけのうちしきぶ〉でした
彼らの熱狂的な支持を得て、桃園天皇への進講が実現します
しかし、幕府との対立を恐れる摂関家の反撃にあって
多くの近習が追放されると云う「宝暦事件」が起こります
桃園天皇は失意の中で、僅か22歳と云う若さで崩御されます
「桃園」の諡〈おくりな〉は、姉の【後櫻町天皇】が定めたとか??
短命でかつ存在感の薄い天皇さんでした・・・
次期天皇は、後継者問題が難航する中で苦渋の選択となった
女性の天皇【後櫻町天皇】の登場です・・・お楽しみに
尚!亡骸は、泉涌寺内にある【月輪陵】に葬られています
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