今から14年前に【第九の怒涛】が東京富士美術館のあと関西へ上陸
会場は創価学会の関西国際文化センターで2004年2月1日より開催
この展覧会に際して、池田先生の寄稿が神戸新聞に掲載される
今回、この時の寄稿文を皆様に是非、お読み頂きたく全文を掲載いたしました
神戸新聞掲載〈2004年・1月25日付〉
『第九の怒涛展』に寄せて
東京富士美術館創立者 池田大作
「私を打つならば打て、ののしるならば、ののしれ、例え牢につながれようと、
目や耳をふさがれようとも、私は【第九の怒涛】を描きあげて見せる!」
画家アイヴァゾフスキーは、この一作にかける意気込みを、こう綴った。
これは目で見る抒情詩である。
生死をかけて運命と戦う人間の崇高さが描かれている。
あの大震災との闘いと重ね合わせてご覧になる方もいらっしゃると思う。
嵐の一夜に、もまれ続けて、疲れ果て、ぼろぼろになった人たち。
「なぜだ!なぜ我々だけが、こんな運命に見舞われたのだ!」
あまりにも多くの死があった。
命のはかなさを見た。
同時に、命の底知れぬ力も知った。
生き残った彼らの頭上に、さらに巨大な波が襲いかかろうとしている。
これでもか、これでもかと、打ち寄せる試練よ!
しかし彼らは屈服しない。
最後まで戦うのだ。
それが人間の栄光だ。
生きるのだ。
生き抜くのだ。
助からなかった友の分まで生きてみせるぞ!見守ってくれ!
折れたマストの上で、振られる紅い布。その紅は生きる希望の炎か、人間の絆の赤心か。
布が振られる向こうには、かすかに人間が見える。
木につかまりながら、敢然と大波に向かっている。
自分がどうなるかわからぬ極限状態にあって、なお友を助けようとする人々。
励まし合いながら、怒涛の向こうの「夜明け」を見つめる人々。
この絵は、勇気の讃歌である。
精神の勝利への熱願である。
「陽はまた登る」と告げている。
「あきらめるな!」と叫んでいる。
”乗り越えていってくれ、すべてを! 乗り越えられるのだ、勇気で!”
画家の渾身の祈りが聞こえる。
「海の画家」として有名である。
しかし、海を前にして描いたのではない。
観察をもとに、目と心に焼きつけた海を描いた。
彼は海を描くことで、わが心の真実を描いた。
海の千変万化を描くことによって、心の無限を描いたのである。
こうして「海の詩人」の心は大海となった。
ヒューマニストの彼は庶民を愛し、自由を求める他国の民衆をも支援していた。
しばしば権力のむごさ・冷たさに激怒し「人の命を何だと思っているのか!」
そう叫びたい場面もあったようである。
「第九の怒涛」にも、そんな彼の魂の轟音が鳴り響き、しぶきをあげている。
彼の情熱と人間愛に火をつけたものは何か。
励ましであった。
若き苦闘の日に、大詩人プーシキンから暖かな声をかけられたことが、生涯の宝となった。
神戸新聞のシリーズ「豊かさ漂流」で、児童自立支援施設のベテラン寮長の信条が取り上げられていた。
私は心を打たれた。
「私たち大人が子どもにできることは、懸命にかかわってやること」___。
時代の荒波に漂う青少年の魂に、私たちは、この絵のごとく、「君よ、再び決心して立ち上がれ!」と
希望の光の合図を送りたい。
アイヴァゾフスキーは大詩人の激励を胸に、驚異的な画業を重ねた。
それでも、「世界に出した六千点の作品の中に満足できるものは、まだない。
だから私は描き続ける」と言い切った。
「一番気に入っている作品は」と聞かれると、「きょう描き始めた未完の絵です」と応えた。
八十二歳で亡くなった時も、アトリエには、その日に取りかかったばかりの絵が残されていた。
最後の際母まで、今の自分を乗り越えようと、怒涛に立ち向かっていたのである。
ホイットマンは魂魄をこめた詩集「草の葉」について
「友よ、これに触れるものは『人間』に触れるのだ」と言った。
「第九の怒涛」についても、私は信じている。「この絵に触れるのは、人生の真髄に触れるのだ」と
いかがでしょうか【第九の怒涛】ごご覧いただく時の、道しるべになれば幸いです
最後にもう一度、アイヴァゾフスキーの渾身の大作をご覧ください
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