松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

【古事記】と〖日本書紀〗による歴代天皇並びにその≪御陵≫

2016-10-27 11:59:26 | 日記

何度も申し上げてきた事ですが今年の春までは全く関心のない事でした

大きな切っ掛けは・・・≪長慶天皇の御陵に遭遇してからでした

まさかここまで、歴代天皇に、又その御陵に嵌まってしまうとは??

まず・・最初から順序立てて調べてみようと思い立ちました・・〈笑わないでください

もちろん「古事記」も「日本書紀」も生まれて73年、自慢じゃないけど関心なかった

  

そこで、まず基本になる所の「古事記」と「日本書紀」の歴史からと思い立って・・・

その成立からネットで調べてみました・・・ああ私と同じような人、必見かも・・興味のある人に限る

              古事記】               日本書紀】

 【成立】         和同5年〈712〉             養老4年〈720〉

 【巻数】         3巻                  本文30巻、系図1巻

 【取り扱い範囲】     33代推古まで              41代持統まで

 【執筆】         太安万呂                舎人親王ほか数人共同

 【所要時間】      前年9月稗田阿礼に口誦を         天武10年川嶋皇子ら12名に

             命じてより4ヶ月              命じてより38年  

この様にかなりの違いがある事に気付く、この表を見ると古事記のあと8年して日本書紀が!

範囲も古事記が推古天皇までに対して、日本書紀は持統天皇までとなっている

しかしながら、共通点がある・・・どちらも、女性天皇までと云う事

成立時の天皇はと云えば「古事記」の成立時は41代持統天皇であり

「日本書紀」の場合は44代元正天皇の時に成立している

古事記と日本書紀との違いとは・・・上の表からしてもかなりの違いがある

歴代天皇はどちらも変わりはないのだけれど、・・・この表を現した人が次のように

①、両者は神話の世界観が全く異なり、編集目的も全く異なっている、本来両者は全く別のものである・・・と

②、古事記は語り部によって伝えられた、「日嗣ぎ」の伝承を、忠実にほぼそのまま記述したもので、

  要は大王家が歴代統治していくことの正当性を述べようとしたものである。

③、日本書紀は、白村江の大敗、二千人の唐軍の進駐と云う状況下、失われた我が国のアイデンティティを

  再構築するために、中国風の史書を作ることを目的としたものであり、原資料として多くのものを用いているが

  王権にとって都合の悪いことを隠蔽すべく、意図的な取捨・改竄が随所に行われている。

とまあ、このように指摘している、と云ってもわが国には、この二つしか文献がなく、従わないわけには??

まず初代天皇の神武天皇であるが、”神話と歴史をつなぐ謎の初代天皇” との見出しから入って行こう

 

私の手元に、歴代天皇と天皇陵に関する本が5冊ある、最初に述べた通り何れも今年の4月22日以降の購入である

その中の一冊に・・・神武天皇についてこの様な見出しで始まっている

日本書紀によると、四十五歳の時に日向〈ひむか〉の高千穂から『東に都に適した地がある』として東征を開始。

苦難の末に大和にたどり着き、初代天皇となった。・・・即位した二月十一日は現在も建国記念日とされる。

在位は紀元前660年~紀元前585年とある、神話の世界とされている一方、この本には続いてこの様に・・・

しかし、それ〈神話の時代〉と現実の天皇家の歴史とは全く異なったものである。

人間はどこまで遡っても人間である。神に到達することはない。

物語の中でも、神武は強敵・長髄彦〈ながすねひこ〉には敗北し、兄も亡くし、

展の使いである、八咫烏〈やたがらす〉の先導で、どうにか大和入りを果たすという弱さを見せている。

神武もまた人間として描かれているのである。≪歴代天皇125代の謎≫より

高城修三著≪神々と天皇の宮都をたどる≫にはこのような一説が・・・

 ~戦後の歴史学は神武天皇を架空の人物として、歴史から抹殺した。

  我が国の建国を古くするために、欠史八代の天皇などと共に、

  古事記・日本書紀編者が机上で創作した天皇だと云うのである。本当にそうなのだろうか。

  古代最大の内乱であった、壬申の乱〈672〉のさ中、大海人軍は事代主神〈ことしろぬしのかみ〉の

  託宣を受けて神武天皇陵に、馬や武器を奉っている。このころ神武天皇の御陵があった事は間違いない。

  大海人皇子はわずかの兵で近江朝に反乱を起こしたのである。のるかそるかの大事の時に、

  架空の皇祖の加護を信じたりするだろうか。それによって勝利した天武天皇の権威が高まるとは思えない

  むしろ、神武天皇が偉大な皇祖と信じられていたからこそ、その御陵に戦勝祈願をしたと考えるのが妥当であろう。~

神武天皇は実在したという説、中々おもしろい事になって行きそうです

もう一つ・・・私の無知さ加減を暴露しておきましょう、・・・・日本武尊〈やまとたけるのみこと〉なんですが

年代的に神武天皇と同時代、もしくは日本武尊の方が古いのではと思っていました

何故かと云えば・・・単純に天皇より、尊〈みこと〉が付いてる方が古いのではと、〈笑えよ~〉

このぐらいの知識しかない私が、これから天皇と天皇陵を取り上げていくのですから

あまり期待をせずに、お付き合いください

  

 

 

 

 



            

 

 

 

 

 



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