私が結婚した年の昭和43年12月10日午前9時30分頃、東京都府中市で起こった事件
今日で49年になるのですね、テレビにも映画にもなった国民的?事件
当時の三億円と云うと、現在に換算すると、20億~30億円とも云われるとんでもない金額
因みに当時の大卒の給料が3万円ぐらいとか
被害金額は3億円に少し足らず、2億9430万7500円なんですって
当時、この金額の語呂合わせで「にくしみのないごうとう」と呼ばれていたとか
事件当日の4日前に〈昭和43年12月6日〉日本信託銀行〈当時〉国分寺支店長宛てに脅迫状が届く
「翌7日午後5時までに指定の場所に300万円を女子行員に盛って来させないと支店長宅を爆破する」
当日、警察官50名が周辺に張り込んだが、犯人は現れなかった。
そして、3日後の12月10日午前9時30分頃に事件は起こった
日本信託銀行国分寺支店から東京芝浦電気〈現・東芝〉府中工場へ従業員のボーナス約3億円の入った
ジュラルミンのトランク3個を輸送中の現金輸送車〈セドリック〉が府中刑務所裏に差し掛かった時
白バイ隊員に変装した擬装白バイに乗った犯人が輸送車を追いかけてきて「支店長宅が爆破された」と
あとは、輸送車の下に潜り込み発煙筒に点火して「車が爆発するぞ!早く逃げろ」と銀行員を避難させ
その直後に、輸送車〈セドリック〉に乗って逃亡すると云う大胆な行為をたった一人で遣って退けた
これには、4日前の支店長宅爆破の脅迫状が、見事な効果としてこの事件を成功??させたのです
これが、後日に見つかった3億円が入っていたジュラルミンのトランク3個である
今回、私の云いたいことは・・・この事件のあった12月は谷藤家にとって忘れられない月になった
と申しますのは、この12月の何日か忘れましたが「嫁さん」が盲腸で入院したのを切っ掛けに
嫁さんが退院するのと入れ替わりに、今度は私が同じ盲腸で入院、私の方が早かったのですが
あまり痛くないので気が付かず嫁さんの退院の日に同じ病院で診察してもらったら即入院となった
手遅れで、盲腸が破裂寸前だったんですそして今度は4ヶ月の息子が私の退院の前日に緊急入院
息子はその日が生死の境目で、私も心配で寝てられませんでした・・翌日退院したその足で息子の病院へ
三億円事件の昭和43年12月10日を前後して我が家も大変な3連続入院やったんです
あれから49年・・・来年年が明けて1月14日が私たちの「金婚式」なんです
色々ありました・・・感無量です
此の時は、すでに詩吟は習っていました、三年後の昭和46年に
全国大会優勝して【文部大臣賞】を頂くことになるんです
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