私が天皇陵巡りを始めたのが、平成28年〈2016〉4月23日です
その年の11月3日の文化の日に京都の天皇陵を踏破しました
それから満二年が過ぎた昨日平成30年5月2日やっと行ってきました
初代神武天皇の【畝傍山東北陵】〈うねびやまのうしとらのすみのみささぎ〉へ
「古事記」や「日本書紀」によると、神武天皇はまさに初代天皇である
その名を【神日本磐余彦尊】〈かんやまといわれひこのみこと〉と云う。
「日本書紀」によれば紀元前七一一年に生誕され、前五八五年に・・・
齢・百二十七歳で崩御されたと伝えられているが、その実在を確認するは困難
天皇の生涯は、天孫降臨の神話や神武東征伝説によって彩られている。
さて神武天皇陵については色々と物議が醸しだされているようだ
まず橿原の地名は古くに失われていて、橿原宮の地も・・
その北にある、畝傍山の東北に葬られたと記録される神武天皇陵も
室町時代にはその存在が、分からなくなっていたと云うのです
江戸時代に入って、五代将軍徳川綱吉が天皇陵の治定と整備を進め、
一度はその北にある、現在の綏靖天皇陵を神武天皇陵と定めていた。
ただ畝傍山から離れていることに疑問の声が起こり・・
より畝傍山に近い場所に「ミサンザイ」という、天皇陵付近によく使われる
地名が残っていることから、幕末になって現在地が治定されたのです
そして明治に入って、宮跡が橿原神宮として整備されたのです
尚、昭和に入って神宮外苑の発掘調査が行われると、
約二千六百年前のものと推定される、大規模な縄文集落と、
橿の巨木が発掘され、西暦紀元前六百六十年に即位したとされる・・
神武天皇の神話が、荒唐無稽な伝承とは言えない可能性が出て来た。
さてお待たせしました昨日「バカ家族三人組」で御陵巡りをした・・
その一端である、神武天皇陵と畝傍陵墓監区事務所の御陵印を・・・
全国・陶器市が開かれていた橿原神宮の北200m程で神武天皇陵に着きました
拝所へ向かう参道です
前方に拝所が見えてきました
さすがに初代神武天皇の御陵ですね~他の御陵とは規模が違いました
さて、いよいよ御陵印を頂きに・・・
畝傍陵墓監区事務所は拝所から一分ぐらいの処でした入って左に御陵印が
30の御陵印がケースに入っています、許可を得て、自分で御陵印帖に頂きます
朝、8時20分に京の梅津を出発して、12の御陵と30の御陵印を頂き・・
大満足で帰途に就きました、快く運転して連れてくれた息子〈學凬〉に感謝です
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