松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

大原三千院の北隣に「後鳥羽天皇」「順徳天皇」のダブル陵が!

2017-11-04 12:19:23 | 日記

   京都・大原・三千院

      恋に疲れた女がひとり

        結城に塩瀬の素描の帯が

          池の水面にゆれていた

            京都・大原・三千院

              恋に疲れた女がひとり 

今から52年も前、1965年のリリース、デュークエイセスの【女ひとり】一番の歌詞です

その大原三千院の前を通って一・二分の所に後鳥羽・順徳両天皇の【ダブル陵】があります

  

この日、実は常照皇寺に【後花園天皇陵】に参拝に行った帰りにココ大原へ来たのです

第102代後花園天皇の【後山国陵】は後日に予定してますが下の制札

北朝の初代・光厳天皇が先に書かれていました??〈北朝の天皇は歴代の順位に入っていない

御陵の名称も北朝の天皇が【山国陵】で第102代後花園天皇の方が【後山国陵】になっていました

すんまへん、いきなりの寄り道でではダブル陵へ向かいましょう

  

三千院の石積みの壁を通り抜けると・・・前方に朱塗りの橋が見えてきました

  

この橋を渡ると、右側奥に、制札が見えてきました  いよいよ拝所に入って行きます

制札には、後鳥羽天皇も順徳天皇も同じ【大原陵】、将にダブル陵でした

更に奥へと進むと御陵が森の中にひっそりと佇んでいました

下の写真、向かって右側が【後鳥羽天皇】、左側が【順徳天皇】の御陵です

こちらが向かって右側の第82代後鳥羽天皇の御陵です

こちらが、向かって左側の第84代【順徳天皇】の御陵です

御陵の前は、大原の山々が優しく御陵を見守っているようでした

このお二人の天皇は共に、【島流し】に遭われます

後鳥羽天皇と云うより【後鳥羽上皇】としての方が親しまれています

瀬戸内海で源平合戦の最中に亡くなった【安徳天皇】の代わりとして

僅か四歳で即位されます、即位には三種に神器も無いままでした

事の起こりは、北条氏に反感を抱き、王政復古を願い挙兵し、敗れます

隠岐に流されますが、京に戻る夢は叶わないまま隠岐で崩御します

この時父【後鳥羽上皇】と行動を共にした【順徳上皇】は、佐渡に流されこの地で崩御

お二人とも、隠岐と佐渡で崩御され遺骨だけが京に戻り・・・

この様に京都の中心部から離れた、大原の里に奉られることになったのです

寂しさが漂っていたのも・・・無理もありません

改めて、ご冥福を祈らずにはいられませんでした

 

 


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