第105代【後奈良天皇】は後柏原天皇の第二皇子として明応5年〈1496〉誕生
下の後奈良天皇の木像が物語っているように〖慈悲の人〗であった
父・後柏原天皇の崩御に伴い践祚、30歳の時に即位、しかし即位の礼は10年後に
先帝が践祚を受けてから、即位の礼までに21年の歳月を要したように財政が逼迫していた
即位の礼に漕ぎ着けるまでに朝廷の行った事は全国に勅使を派遣し、上納金の調達に専念
北条、大内、今川などの地方豪族から資金が集まったおかげで、即位の礼が行われた
天皇の直筆がたやすく売り買いされていた事からも、皇室がいかに窮していたかがわかる
この様に荒廃していた時代にあっても、天皇は自己の役割を十分に踏まえていて・・・
疫病流行の際には、宸翰般若心経を諸国の寺社に納めるなど、民衆の平安を常に祈願した
上にあるのが、後奈良天皇の宸翰・般若心経〈宸翰とは天皇の直筆の事〉
天皇の治世中には度重なる洪水や飢饉が民の生活を圧迫したため、
天皇は伊勢神宮に宣命を奉り、聖徳の興隆と民生の安寧を祈願した。
後奈良天皇はこのように慈悲深く、学問にも大変に熱心であった
天皇は弘治3年〈1557〉9月に崩御され【深草北陵】に葬られます〈在位31年〉
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