長栄本社を北に向かって万寿寺通りを超えて
次の松原通りまでの間に建築中の烏丸五条ホテルがあります、更に行くと松原通りが前方に〈車が左折している〉
烏丸通りを左折して、松原通りを西に30メートル程行くと・・・石の鳥居が見えてきます・・・
小さな神社なので通り過ぎそうです 新玉津嶋神社〈にいたまつしまじんじゃ〉と石に刻んであります
左側の立て札を読んで、初めてここが由緒ある藤原俊成の〈藤原定家の父〉の屋敷があった処と分かった
ちょっと 読みずらいですが、頑張って読んで頂ければ、男の友情その美談がわかります
ここから本題に入ります・・・実は私も知らなかったのですが・・・平家が都落ちする時に、平忠度はこの場所に引き返します
それは、ここに住まいしていた藤原俊成が、平忠度の歌の師匠であり、【千載和歌集】の選者でもあったのです
忠度はこの中に自分の和歌をとの思いで、自分の和歌百余首が納められた巻物を俊成に託したのです
しかし、朝敵となった忠度の名前を出さずに、詠み人知らずで『故郷の花』と題した歌を掲載します
その歌が【さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな】
『新勅撰和歌集』以後は晴れて薩摩守忠度として掲載されている
今調べて分かったのですが・・・烏丸通りを東に渡ったところに・・・【俊成社】〈しゅんぜいしゃ〉があります
烏丸通り松原を東に渡って少し南に行くと俊成社があるんですって
これは今日は撮れなかったのでネットから拝借しました
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます