先日入っていた「きょうと市民しんぶん」の1月1日号から・・・
それは!やはり150年前の大政奉還が火種となっていた
千年王城の都と云われ、日本の都が京都に在ってのが・・
大政奉還と共に・・・都がそうです・・天皇様が東京へ行かれた
このままでは、京都が空っぽになってしまう、そこで市民しんぶん登場
見出しにはこのよう・・・
~1868年日本は「明治】に改元。武士の時代が終わり、
新たな政治体制の下で近代国家への道を歩み始めました。
しかし、京都にとっては困難な時代の幕開け・・・
今回の特集では、先人たちが京都の未来を思ってどう立ち向かい、
復興を果たしたのか、その軌跡をたどります。~
ここからが先人たちの奇跡とも云うべき快進撃が繰り広げられます
決して、簡単なものではありませんでした・・・つづいて新聞には・・・
幕末の混乱を経て「明治」へ
~江戸時代末期、京都が政治の舞台となり、諸大名や諸藩の家臣たちが次々と入洛。
京都は騒然たる雰囲気となりました。そして大政奉還により、幕府は政権を朝廷に返上。
樹立された新政府は、江戸から名を変えた東京に都を移したのです。
京都が都の地位を失うと、大半の皇室、公家、また有力商人たちも東京に移りました。
人口は34万人から20万人余りに減少。京都御所の周りは荒れ果て、
「京都はいずれキツネやタヌキのすみかになる」といわれるほどだったのです
都市は衰退し、最大の危機に直面しました~
いよいよ・・「あの時京都が動いた」に入って行くのですが
新聞は、四つの【あの時】を分かりやすく示してくれています
第一の「あの時」・・・まちづくりは人づくりから【西谷良圃】
第二の【あの時】・・・琵琶湖の水を京都へ【田辺朔郎】
第三の【あの時】・・・京都のまちを電車が走る【高木文平】
第四の【あの時】・・・京都の西郷さん【西郷菊次郎】
明治に入ると同時に、国から見捨てられた形になった京都
そこで我が京都の先人たちは基本中の基本から始めます
続きは次回に・・・四つの【あの時】を詳しく紹介します
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