松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

福井藩士【橋本左内】の実話?逸話?・・・!

2017-12-15 19:10:46 | 日記

今から40年ちょっと前・・・昭和50年前後だったと記憶している

岩手県盛岡市の夕顔瀬町にある谷藤家先祖の墓にお参りした帰りに

東京まで戻って来て・南千住の回向院へ橋本左内の墓参をしたのが懐かしい

        南千住回向院にある      橋本左内のお墓です

  

この回向院には、吉田松陰、頼三樹三郎、梅田雲浜や

「桜田門の変」の、佐野竹之助、関鉄之助、斉藤監物らと、

何と鼠小僧の次郎吉や高橋お伝なども葬られている

       

さて、私が橋本左内を知ったのは結婚する以前の事・・もちろん詩吟を習ってから

来年で金婚式を迎えるので、少なくとも50年以上前になる

京都寺町の古書店で橋本左内全集〈全一冊〉を見つけて購入したのもこの頃

この当時で、確か!5000円だったと思う、

他人に貸したらこの様な姿になって帰って来ました

 

3ページ目ぐらいに左内の有名な顔が      こちらは処刑される前日の左内の書簡

     この全集は明治41年に発行されています 

 

私が大切にしている、「お宝」 を見て頂いたところで、逸話を一つ・・・

50年以上前の事で、記憶も少し曖昧ですが・・・左内をよく知って頂きたいので

このお話は、少年時代の事だと思います・・・

或るときの事、学校?藩校?の友達が医者の息子である左内をからかって

ケガをした腕白坊主が「左内お前医者の息子やから、この傷を治してみろ」と

暫く考えていた左内は、「よし分かった」と云って、火鉢の傍へ行きました

帰ってきた左内の手には、真っ赤になった火箸がありました・・・そして

そのケガをした腕白坊主の前まで行き、傷口に真っ赤に燃えた火箸を近づけます

びっくりしたケガの少年は、先生の元に云い付けに走ります

慌てて先生がやって来て「なんで!そんな危ない事をするんや」・・すると左内は平然と

「私は父から火傷の治療法しか教えてもらってないので、傷を火傷にして直そうとしただけです」と

福井市の左内公園内にある橋本左内の墓です・・・10年程前に福井市の法務局へ行った帰りの墓参

 

また大阪は北浜にある、緒方洪庵の【適塾】にも橋本左内を訪ねて行った事が懐かしい

 

 

 


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