日本武尊の父「景行天皇」の第四子で、日本武尊が亡くなると
景行天皇51年に立太子、同60年に天皇の崩御に伴い、翌年即位さる
父・景行天皇の代とは対照的で、成務天皇の事績はほとんど伝わっていない
この様に成務天皇は実在性に乏しく日本武尊や神功皇后などの説話によって
応神天皇までの皇統を作為的に後代追加された可能性が高いと見られている
その陵墓は後世幾度となく盗掘された事で知られている・・・
狭城盾列池後陵〈さきのたたなみのいけじりのみささぎ〉奈良市山陵町
成務天皇の御陵は分りにくい処にあって、少し高台で素晴らしい環境であった
石段を上ると、道が開けて左奥に拝所が見えてきた
細長い参道を奥へと進むと、全長218mの大型・前方後円墳が・・・
どっしりとして、気品に満ちた気品漂う御陵であった
成務天皇狭城盾列池後陵の文字が刻まれているのが読めるでしょう
歴代順に紹介しているが、次の仲哀天皇から暫く大阪へ移動する
ただし大阪の巨大古墳にはまだ行けていないので・・・
第20代安康天皇陵からになります・・ご了承を
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