松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

50数年前の甘酸っぱい思い出を尋ねて・・日向大神宮へ!

2017-06-25 07:38:31 | 日記

何気なしに・・思いつく事ってありますよね~

南禅寺まではよく行くんですが、その先のにある此処・日向大神宮へは50数年ぶり

最近よく使う地下鉄東西線で太秦天神川駅を出発  蹴上駅に上がって来ました以前は京阪京津線が走ってた

それが地下に潜って、今地上へ上がって来ました、向かい側が蹴上の浄水場です・・この先左側に

 

浄水場の向かいに上り口があったんですね~南禅寺への入り口から100m程東なんです・・では

 

美しい紫陽花の横を「の石畳の坂道を    暫く行くと橋が?何で・・・琵琶湖疎水なんです 

 

このトンネルを通って琵琶湖の水が京都へ来ています  右・日向大神宮の方へ

 

左側には民家もあるんです           あれ何処から車が入って来ているのかな

 

駐車場の前に神社への石段が          厳かな雰囲気を醸し出せている、鳥居が前方に 

登り切ると・・・結婚式や~ びっくりポンのサプライズでした

この右側の建造物が外宮なんですって、50数年前にも『うあ~お伊勢さんやと云ってました

 

橋を渡ると正面が本殿があります・・・すなわち内宮なんですね

ここで、少しだけ日向大神宮の御由緒なるものを、調べてみましたので書き置きます

  御由緒

 当神宮は、第23代顕宗天皇の御代に筑紫日向の高千穂の峯の神蹟を移して創建されたと伝えられています

 天智天皇は、圭田をご寄進され、鎮座の山を日御山と名づけ給い、

 清和天皇は、日向宮の勅願を賜い、醍醐天皇は、延喜の制で宮弊社に列し給いました

 建武の戦乱中、新田義貞公は、戦勝を祈願され良馬と太刀一身を奉納されました。

 応仁の乱の兵火で社殿並びに古記録は焼失しましたが、松坂村の農、松井藤左衛門によって仮宮が造営され、

 禁中よりの修理料を賜り社殿の再興が行われました

 後陽成天皇は、内宮、外宮の御宸筆の額を賜いました。

まだまだ続くのですがこの辺で止め置きますがこの後、徳川家康公、後水尾天皇、中御門天皇、後花園天皇、光格天皇

の名前が出て来ます・・・因みに最初に出て来た、第23代顕宗天皇は、父を雄略天皇に殺されています

允恭天皇39年〈450〉の生まれで、38歳で崩御されています・・・この神社が京都で一番古いのが納得ですね

 

ここには、何故か知らないけれど天の岩戸があるんです、本殿の横の坂道を上りますと

入口から中へ、入ってみました、中には・・・ 何か お祀りしてありました

 

かぎ型になっている洞内を通り抜けると、 ここへ出て来ます

 

50数年前には、南禅寺へ下りて行ける道・・・ でも今回は元の道を降りて行きました

 

下に見えるのが、本殿の内宮です、        内宮の前を通って外宮へと降りて行くと

まだ、先程の結婚式の人たちが、残って居られた・・・でも私は先を急ぎます・・・

 

今回の、第二の目的が・・・ ここ蹴上インクラインなんです、続きは次回に

京都に生まれて、育って74年・・・50数年どころか、初めてのインクラインなんです・・・またね

 

 



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