南北朝時代に向かって、大覚寺統と持明院統の熾烈な争いが続きます
第93代後伏見天皇もその間真っ只中でした。
前回に記したように、伏見天皇は十一歳の胤仁親王〈後伏見天皇〉に譲位して上皇に
伏見上皇になって院政を敷きますが、持明院統が二代続いた事に不満を持った
大覚寺統の亀山法皇と後宇多上皇が瀑布を動かすのでした。
当時の執権・北条貞時の意向で後伏見天皇は僅か四年で譲位する事に
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今回の【伏見天皇】と次回の【後伏見天皇】と続いて【深草北陵】です
伏見天皇の時代も、大覚寺統と持明院統の対立が深まる一方です
大覚寺統が第90代亀山天皇、第91代後宇多天皇と二代続きましたが
後深草上皇の皇子〈伏見天皇〉が皇位を継ぐことで持明院統に戻ります
伏見天皇の即位の翌年には天皇の第一皇子胤人親王を皇太子に立てます。
これが益々大覚寺統の亀山上皇を刺激し、ついに事件が . . . 本文を読む
恒例にて・・京都市民しんぶん1月1日版より・・・
~当初、琵琶湖疎水の目的は水力・水運・生活水の確保にありました。
しかし、米国で始まったばかりの水力発電を視察した田辺朔郎が、
京都での実用化に向けて周囲を説得。明治24年、日本最初の事業用水力発電所が稼働したのです。
この電力の活用策として、電気鉄道を立案したのが京都商工会議所の初代会長でもあった高木文平です。
高木は . . . 本文を読む
京都市民しんぶんの1月1日号の記事から・・・
~明治14年、京都の産業に活力を呼び戻すため計画されたのが、
琵琶湖疎水の建設です。水力を活用した工場を稼働させ、
船で物資の行き来を盛んにしようという計画でしたが、
莫大な工事費が掛かることなどから着工には時間を要しました。
しかし先人たちは、京都の将来を一番に考え、
いかなる困難をも克服して完成させるという決意の下、
同1 . . . 本文を読む
ノルディック・ウォ―キングってご存知ですか
もちろん知ってますよね!知らぬのは私でした
私は糖尿病でして、夜の食事のあとや、
仕事の昼休みに40分から1時間ほど歩いています
それを見ていて、息子が今ひそかに流行りつつある
ノルディックウォ―キングのポールをプレゼントしてくれました
最近、猫背まではいかないが前かがみで歩くようになっていたが
このポールを使って歩くようになって姿 . . . 本文を読む