南北朝時代に向かって、大覚寺統と持明院統の熾烈な争いが続きます
第93代後伏見天皇もその間真っ只中でした。
前回に記したように、伏見天皇は十一歳の胤仁親王〈後伏見天皇〉に譲位して上皇に
伏見上皇になって院政を敷きますが、持明院統が二代続いた事に不満を持った
大覚寺統の亀山法皇と後宇多上皇が瀑布を動かすのでした。
当時の執権・北条貞時の意向で後伏見天皇は僅か四年で譲位する事に
後伏見上皇が政治に関与するのは、父・伏見上皇が出家して院政から引退した後です
後伏見上皇は幕府に、両統の皇統を交互に立てる決まりを進言しますが実りませんでした
【深草北陵】は第100代後小松天皇まで遠のきます・・・
この81年間の中に天皇が南と北に分かれると云う南北朝時代に突入します
制札を見て頂いたら分かりますが、四番目・五番目が北朝の天皇です
何故か南朝の天皇は【深草北陵】には入っておられません
後小松天皇で又【深草北陵】に戻って来ます
【深草北陵】は同じ写真ばかりで申し訳ありません
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