名鉄揖斐・谷汲線は、黒野~本揖斐・谷汲間が2001年廃止、忠節~黒野間が直通する岐阜市内線ともども2005年に廃止された。
1960~1970年代にかけて、モータリゼーション(要は自家用車社会推進)の影響で、全国的にローカル私鉄や路面電車がことごとく潰された時期があったが、これらを見直す動きが始まった1990~2000年代に、まるで逆行するかのようにモータリゼーションで鉄軌道路線を潰した市が全国に2市ある。ここの岐阜市(名鉄岐阜地区600V線全線)と、北九州市(西鉄北九州線砂津~折尾)がそう。この2市の幹部および所轄警察は頭悪いんか!?

モ755各停本揖斐行ワンマンカー(左)と、モ512急行新岐阜(現・名鉄岐阜)駅前行(右)@黒野駅

モ784急行新岐阜駅前行(左)と、モ755各停本揖斐行。ともにワンマンカー。

黒野駅の本揖斐・谷汲方。
揖斐・谷汲線電車の留置線があった。
モ510形が留置してある側が揖斐線本揖斐方面。

モ784急行黒野止まり。

モ784急行黒野止まり。
モ770形連接車とともに、架線電圧降下の激しい谷汲線には入れなかった。
揖斐・谷汲線唯一のVVVF車で、揖斐線内ではVVVF音と電鐘式踏切警報機音を同時に聞くことができた。
モ780形は揖斐線廃線後、全車豊橋鉄道東田本線(豊橋市内電車)に譲渡された。

モ754各停黒野行ワンマンカー@本揖斐駅。
当駅と近鉄養老線(現・養老鉄道線)揖斐駅は、バスで接続できた。


モ750形は、琴電1000・3000形相当のレトロ電車だが、琴電と違い正面非貫通、最後まで扇風機は設置されなかった。
モ754は廃車後、名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅近くの「瀬戸蔵ミュージアム」に静態保存された。同車はかつて、瀬戸線を走ったことがあるため。
この保存車は、ミュージアムの建物を建てる前に現地搬入し、後から建物を建てたという。