第9章 神様の摂理歴史
1.創始者、預言者と聖人たち
神様は宗教を立て、人間を救うための摂理を経綸される。宗教は、新文明の創造を先導しながら、人間の道徳性と倫理性を高揚させる。主要宗教は、それぞれの宗教創始者から始まる。文鮮明先生は、このような宗教の創始者を聖人と呼び、イエス、仏陀、孔子、ムハンマドを人類の代表的四大聖人の班列に立てる。
各創始者は、自分が創始した宗教の核心真理を宣布する特別な方である。キリスト教では、ほかの宗教創始者たちの際立った聖業がいくら偉大だとしても救援はイエス様を通してのみ成されると教える。ムスリムの信仰は預言者の「封印」、最後の預言者であるムハンマドのメッセージにより独特に定義される。
確固たる信仰者は、真理の基準であり、模範であり、真の道を具現する一人の人格体と対峙する。「私は道であり、真理であり、命である。だれでも私によらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ14・6)という宣言や、「仏陀の法の外に聖人なし」(法句経254)という宣言や、「ムハンマドは最後の預言者である」(クルアーン33.40)という宣言は、一様に同一な
脈絡である。
しかし、文鮮明先生は、すべての宗教創始者は、唯一なる神様が送った方だと教える。すべての宗教は、神様の真理を一様に証する。すべての創始者は、神様の一定の摂理的な経綸を中心として、各民族と文化を導き、神様の王国に至るように準備する。
したがって、文鮮明先生は、西欧の伝統がアベルとノアから始まり、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデ、ソロモンと預言者たち、そしてイエスに至るまで、神様の摂理歴史の中で選ばれた方たちの名簿に、仏陀、孔子、ムハンマドを加える。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラーム、すべて自分たちが伝統的血統の相続者だと主張する。ユダヤ教は、イエス以外の偉大なラビの継承を追加する。イスラームは、イエスをはじめ、イシマエルとイドリスなど、少数アラブの預言者をこの名簿に添加する。
一方、東洋ではヒンドゥー教が様々な時代にわたって犠牲になり、悪の勢力を退け、世界の正義を回復させたアバターの継承を認める。儒教は、独自的な聖人血統、すなわち禹王、文王、武王などを主張し、周公孔子を昔の聖人の知恵と伝統を回生させた方とみなす。ここでは、聖人の共通的特性に関して扱う。いかなる代価を払っても、真理を追究すること、人間と社会をより高い理想に止揚させようとする情熱、国籍と財産と社会的地位を全く差別しない普遍的省察、神様と天国、あるいはより高い存在の力に対する信仰、そして無知な社会の迫害と排斥に耐えようとする意志などがここで省察される。下の部分で、西欧の聖書的伝統に特に関心を置きながら、このような聖人と預言者を個別的に扱う。
①神様のチャンピオンとメッセンジャーたち
―宗教経典―
実に美徳(ダルマ、正法)が衰え、不徳(アダルマ、非法)が栄える峙、私は自身を現わすのである。善人を救うため、悪人を滅ぼすため、美徳を確立するために、私は世期(ユガ)ごとに出現する。(注1)バガヴァッド・ギーター4.7 ~ 8(ヒンドゥー教)
まことにわれは、ノアならびにかれ以後の予言者たちに啓示したように、なんじに啓示した。われはまた、アブラハム・イシマイル・イサク・ヤコブならびに諸氏族、またイエス・ヨブ、ヨナ、アロンならびにソロモンにも啓示した。
またわれはダビデには詩編を授けた。ある使者たちについては、先にわれはなんじに告げたが、ある使者たちは、まだなんじに告げていない。……使者たちに吉報と警告をもたらさせたのは、かれらのつかわされた後、神に対し人びとに論議の余地をなくすためである。神は、偉力者・英明者であられる。
クルアーン4.163 ~ 165 (イスラーム)
天のみ座のこの鳥たち(顕示者たち)がみな、神意の天の国から送り出され、彼らがみな、その方の不可抗力的な信仰を宣布するために起きることであるがゆえに、彼らは一つの霊魂として、同じ人格と見なされる。
なぜなら、彼らは皆、神の愛の杯から飲み、一つの同しじ木の果実を食べるからである。彼ら神の顕示者たちは、それぞれ二重の地位をもつ。一つは純粋な観念と本質的単一性の地位である。このような観点から、もし彼ら全員を一つの名で呼び、彼らに同じ属性があるとすれば、それが誤ったものではない。
その方さえも、「私達はその方の使者の間に差別をおかない」と明らかにされた。なぜなら、彼らはそれぞれ、そしてみな、神の単一性を知らせようと地上の民を呼んでいるからである。
もう一つは、区別する地位として、被造物の世界に属し、その世界の制限を受ける。このような観点から神の顕示者たちは、各自はっきりとした個性、一定の規定された使命、予定された啓示、そして特定の制限点をもつ。彼ら各自は、互いに異なる名で知られており、特別な属性があり、一定の使命を遂行し、そして特殊な啓示を受ける。
確信の書152、176(バハイ教)
世俗のことに心をわずらわされず、世間体を飾ることなく、他人をほどよくあしらうことをせず、衆人の心に逆らわず、天下が平安で民の生命が保たれ、自分も人もともに衣食がじゅうぶんに足りることだけを念願とし、この立場を守ることによって、自分の心を清らかにしようとするものがある。上古の道術のうちにも、このような立場を重んずるものがあった。
宋鋳(そうけい)や尹文は、このような教えを聞いて喜び、上下がひとしくて平らな華山の冠をつくり、これをかぶって自分の平等主義を表明し、万民に接するのにいっさいの差別から離れることを第一の任務とした。そして、人間の心がもつ性質について語り、「心がめざしている方向は、柔和をもとにしてたがいに喜びあい、これによって天下を和合させることにある」と定義した。
そして、この心をあらゆることの根本におくことを念願としたのである。こうして、かれらは人から侮られても恥とせず、怒りをしずめることによって、民のあいだの争いをなくそうとつとめ、また侵略行為をなくし、軍備を撤廃することによって、世のなかから戦争をなくそうとつとめた。
そして、この主義を奉じて天下をひろくめぐり、上は君主に説き、下は民衆に教えさとした。たとえ天下の人びとが採用しなくても、強引に大声で説きたてるという調子であった。だから「上下の人にいやがられても、強引に面会を求めてくる」という評判がたった。(注2)
I 荘子33(道教)
これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。信仰によって、この人たちは国々を征服し正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました。
女たちは、死んだ身内を生き返らせてもらいました。他の人たちは、更にまさったよみがえりに達するために、釈放を拒み、拷問にかけられました。また、他の人たちはあざけられ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄されるという目に遭いました。
彼らは石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩きました。世は彼らにふさわしくなかったのです。
ヘブライ人への手紙11.32 ~ 38(キリスト教)
誉れ高き人々をたたえよう、我々の歴代の先祖たちを。主は大いなる栄光を現し、世の初めからその威光を示された。先祖たちのある者は国々を支配し、武勇によって名を輝かせた。ある者は思慮に富んだ勧めを与え、預言の言葉を語った。……。
しかし、先祖たちの中には、後世に名を残し、輝かしく語り継がれている者のほかに、忘れ去られた者もある。彼らは、存在しなかったかのように消え去り、あたかも生まれ出なかったかのようである。彼らの子孫も同様であった。しかし慈悲深い先祖たちの、正しい行いは忘れ去られることはなかった。
シラ書〔集会の書〕44.1 ~ 10(キリスト教)
―み言選集―
天が人間たちにこのような摂理のみ旨に責任をもたせて立てる時には、中心人物を立てるのです。彼が置かれている時代全体を支配し、天の理念圏内に結びつけるために、ある一人を立てていくのです。
言い換えれば、神様は、この地に対して時代と世紀、あるいは歴史過程を通して何を取り戻そうとされるめでしょうか。時代を代表できる人、全世界を代表できる一人、世紀を代表できる一人を神様は求めていらっしゃるのです。さらには、天地の代身として主張できる一人の天の人を求めでいらっしゃるというのです。
(4-192、1958.4.20)
イエス、釈迦、孔子、そしてムハンマドなどを歴史的聖人と言いますが、歴史上のたくさんの人々がその人たちを標準とし、彼らの伝統を受け継ごうとしてきたので、宗教を中心とする文化圏が形成されているのです。それでは、その人たちはこの地に生まれて自分勝手に生きた人たちでしょうか。その人たちは地上で暮らしながら、幸せにそのようなことをした人たちなのかというのです。そうではありません。かえって私達より、平民よりもっと不幸な道を行ったのです。
それでは、彼らはなぜそのように生きたのでしょうか。彼らは自分の本意に従って生きたのではなく、神様が願う、神様の摂理が願う目的のために、神様が願うそのような世界のために、それに従って生きるためにそのような生活をしていった人たちです。
彼らは、個人が生きるとしても、神様の伝統を受け継ぎ得る個人の人格はこのようにならなければならない、人生の生き様がこうでなければならないということを、常に考えざるを得ない人生を生きたのです。
家庭を中心としてもそうです。神様の伝統から見るとき、家庭はこのような家庭にならなければならないということを彼らは常に考えたのです。その次には、社会生活もそうです。神様の伝統から見るとき、個人はこうで、家庭はこうで、社会生活はこうでなければならないということを常に考えたというのです。
(95-271、1977.12.11)
宗教の教主たちは、何を中心として教えたのでしょうか。神様の思想とみ旨を中心として教えたのです。自分のみ旨ではありません。彼ら自身が優れていたというのではありません。神様を中心とする世界観、神様を中心とする人生観、神様を中心とする宇宙観を宣布していった人たちです。
(41-329、1971.2.18)
宇宙的原理の根源は、神様であられます。宇宙の創造で、神様は自らの創造物のために、自らの全体を投入されました。また、歴史を通して自分勝手に生きる堕落した人類を救うために、絶えず犠牲になってこられた方が、正に神様です。神様のみ旨を知った預言者、聖者、そして哲人たちは、自分の人生の中で神様の原理に従いました。
そして、彼ら自身が真理を守ることで満足せず、ほかの人たちに教えるために犠牲の道を歩みました。モーセ、孔子、釈迦牟尼、ムハンマド、ソクラテス、そしてイエス様もすべて苦難を受け、人々に教えるときにも迫害を受けた聖賢たちでした。人類を目覚めさせ、解放させるために、彼らは自分の人生を犠牲にしました。
(234-222、1992.8.20)
聖人の「聖」の字は、「耳」と「口」と「王」です。それでは、耳が王で、口が王というのは何でしょうか。世の中のどんな話を聞いても、それをよく思って王のものとして解釈しなければならないということです。ですから、すべてのものを聞きますが、聞くやいなや、口が「ぱぱぱぱーん」と話すのではありません。それでは大変なことになります。すべてのことを聞きますが、話すにおいて王です。大王が一言話せば法になり、その国の運命が行ったり来たりするのです。一言言えば法になるというのです。
(118-44、1982.5.2)
聖人はどのような人でしょうか。聖人は国境を超越した人です。これを知らなければなりません。聖人は民族のために生きた人ではありません。自分の氏族のために生きた人ではありません。国境を超越して世界人類のために生きた人です。
私が死ぬのは万民のためであり、億兆蒼生のすべての人種と国境を超越し、超国家的であり、超宗派的であり、超人種的な立場で死ぬと思いながら、世界的な立場で全世界の人類と因縁を結び、死の道で勝負を決めていった人たちが聖人です。
(38-350、1971.1.8)
②預言者と聖人の苦難と迫害
―宗教経典―
イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。
マルコによる福音書6.4(キリスト教)
戦場の象が、射られた矢にあたっても堪え忍ぶように、われはひとのそしりを忍ぼう。多くの人は実に性質が悪いからである。
法句経320(仏教)
そのとき、ある律法学者が近づいて、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
マタイによる福音書8.19-20(キリスト教)
み使いは「主よ、まことに私の人びとは、このコラーンを忌むべきものとして、拒みます」と言おう。われはこのように、それぞれの予言者に、罪人の間から一つの敵をつくる。だがなんじの主は、指導者・援助者として万全であられる。
クルアーン25.30 ~ 31(イスラーム)
いずれの地を牧すべきか、牧するためにどこへ私は行くべきでしょうか。人々は自由民からも、アリヤびとからもわたくしを遠ざけ、わたくしが行を共にしようとするもろもろの労役民も、わたくしを満足させず、邦の不義なる暴君どもも、そうしてはくれません。いかにして御身を、マズダーよ、わたくしは満足させましょうか、アフラよ。
アヴェスター・ヤスナ46.1(ゾロアスター教)
先祖の神、主は御自分の民と御住まいを憐れみ、繰り返し御使いを彼らに遣わされたが、彼らは神の御使いを嘲笑い、その言葉を蔑み、預言者を愚弄した。それゆえ、ついにその民に向かって主の怒りが燃え上がり、もはや手の施しようがなくなった。
歴代誌下36.15 ~ 16(キリスト教)
かれらは、「祖先が、一つの道を踏んでいたのをわしらは見て、その足跡によって導かれているのだ」と、言うのである。同じように、われはなんじ以前にも、町に警告者をつかわすたびに、その地の富裕な者たちは「まことにわしらは、祖先が一つの教えを奉じているのを見ている、それでその足跡を踏んでいるのだ」と、言っていた。
使者は、「なんと、祖先が従っていた、おまえたちの知るものよりも、良い導きがもたらされてもか」と、言ったのだが。かれらは、「おまえが届けたものは、わしらは信じないのだ」と言う。それでわれは、かれらに報復した、見よ、信仰を拒んだ者の最後がどうであったかを。
クルアーン43.22 ~ 25(イスラーム)
かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。
使徒言行録7.51 ~ 52(キリスト教)
孔子は鄭国へ行ったが、門人たちとはぐれ、ひとりで城郭の東門に立っていた。鄭の或る人が子貢に言った。「東門に人が居て、その額は聖人堯帝に似ており、その首筋は舜の臣の犀陽に似ており……疲れたさまは、喪中の家の犬のようでした」と。
子貢がありのままを孔子に告げると、孔子は欣然と笑って言った。「容貌についてはどうかと思うが、喪家の犬とは、いみじくも言ったもんだなあ。そのとおりだわい、そのとおりだわい」と。
司馬遷史記47(儒教)
―み言選集―
人間世界で水準が高い人がいるでしょう。そのような人がいれば、その人は高い水準に立って全体を見て、それを同級にしたいと思うでしょう。そのような人が、私達が追求し願う尊敬できる偉大な人ではないでしょうか。
そうだとすれば、歴史的に誇り得る人たちは、どのような人たちでしょうか。高く、大きく考える人です。アメリカのために生きるという偉大なアメリカ人と世界のために生きるという偉大な世界人がいるとすれば、どちらの人がより偉大でしょうか。偉大な世界人です。一緒に暮らし、一緒に生活をしても、より高く、より大きいもののために生き、より大きなものを立てようとする人が偉大なのです。
皆さんは今、四大聖人に歴史的に侍っていますが、イエス・キリストや釈迦牟尼、孔子、あるいはムハンマド、彼らに家がありましたか。彼らに良い家がありましたか。彼らが村をもって生きてみましたか。行く所ごとに非難され、葬り去ろうとするので、追い回される立場だったです。その何が偉大なのですか。
イエス様は、「空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」と言いました。これが偉大な人ですか。孔子は、隣の家の犬だ、と言いました。恵んでもらいながら歩いているからです。いつ就職して大きな仕事ができますか。それで、もらい食いし、歩き回っているので、「村の犬だ」と言ったのです。
また釈迦牟尼は、その時、王の息子として国もあり、家もあり、すべてのものがありましたが、それをすべて嫌いました。それをすべて捨てて出てきて、山中修道をしたのです。山に行って隠遁生活を始めたそこから釈迦牟尼が出発しました。家もなく、国もなく死んでいったその人たちを、今になってなぜ仰ぐのですか。偉大な歴史的人物だと、なぜ誇らしく思うのですか。
彼らの偉大な正義は、過去と今では違うでしょうか。また、未来には変わるでしょうか。変わりません。
(115-14 ~ 16、1981.10.25)
この地に預言者たちが来てしたことは何かというと、世の中についていったのではなく、世の中についていくなととめるのです。国から行くことはできません。激しく打つのです。ですから、みなが「これは何だ」と蹴飛ばし、あらゆる迫害を受け、人扱いもされませんでした。それで人間世界の落伍者を……。
世の中の人たちがみな押しのけて逃げていくので、預言者たちは仕方なくついていかざるを得ないのですが、そのようについていく中でも、世の中の落伍者たち、病人、傷ついた人たち、世の中が嫌うこのような人たちを中心としていくのです。
「あなたはなぜそのようにしているのか」、「私は預言者だが、あの人たちに反対されたのでこのようにしている」と言いながら、新しい因縁を、
人間の落伍者たちを中心として新しい因縁をつくり始めるのです。「そのような国ばかりがあるのではなく、新しい国がある。落胆するな。絶望するな」と言いながら、落伍者を中心として新しい希望を引き起こすのです。
優れた人がみな過ぎ、愚かな人がみな過ぎていったあとに病人、ごみ箱のような人たちが、結局、「ああ、新しい世界があればどれほどよいだろうか!」と言いました。
これはどういうことかというと、優れた父母、優れた息子、娘をもった人、そのような家庭をもった人はなく、サタンにずたずたに、父も、母も、あるいは息子も、娘も、みな傷ついた人たちばかりがいるのですが、この人たちがこの世の中を拒否し、新しい世界があればうれしいと言っています。預言者たちを通してそのような話を聞き、そこから因縁が始まるということです。(注3)
(106-176 ~ 177、1979.12.30)
その時代の聖人はどのようにしたのかというと、人間たちが行くべき真の道を教えました。聖人は、その時代の民のために、これから訪れる世界を教えましたが、無知な民は理解できなかったのです。あまりにも差があったからです。ですから、その時代の主権者たちは、聖人を捕まえては殺害し、迫害し、追い出したのです。
だからといって、その聖人が国を売り、国を滅ぼすようにしたのではありません。その国を混乱の中から救い出し、未来の希望の国にしたり、どの国よりも高貴な国にしようと思っていたにもかかわらず、彼らはその人を理解できず、受け入れることができず、追い出したのです。しかし、聖人は万民が行くべき道に対する道理を備えていたので、世界の人々は、その道理をだんだんと受け入れ、世界的な文化圏を形成してきました。
(39-256、1971.1.15)
③宗教創始者の伝統固守
―宗教経典―
私が来たのは律法や預言者を廃止するためだと思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。(注4)
マタイによる福音書5.17 ~ 18(キリスト教)
聖バガヴァットは告げた。私はこの不滅のヨーガをヴィヴァスヴァット(太陽神)に説いた。ヴィヴァスヴァットはそれをマヌ(人類の祖)に告げ、マヌはそれをイクシュヴァーク(王名)に告げた。
このように、王仙たちはこの伝承されたヨーガを知っていた。しかしそのヨーガは、久しい時を経て失われた。私は今、まさにこの古(いにしえ)のヨーガをあなたに説く。あなたは私を信愛していて、友であるから。実にこれは最高の秘説である。
バガヴァッド・ギーター4.1 ~ 3(ヒンドゥー教)モーセはシナイ山で律法を受け、それをヨシュアに伝えた。ヨシュアは律法を長老に、そして長老たちは預言者たちに、預言者たちは会堂に集まった人たちに伝えた。(注5)
ミシュナ、アヴォート1.1 (ユダヤ教)
先生がいわれた、「〔古いことにもとづいて〕述べて創作はせず、むかしのことを信じて愛好する。〔そうした自分を〕こっそりわが老彭〔の態度〕にも比べている。」
論語7.1(儒教)
また、この経典の中で、アブラハムの物語を述べよ。まことにかれは誠実者であり予言者であった。かれが父にこう言ったときを思え「父よ、あなたは何ゆえに、聞きもせず見もせず、またいささかの益をも与えぬものを崇拝なさるのか」。
「父よ、あなたの授からない知識が、いま、しかと私に下った、それで私に従いなさい、私はあなたを正しい道に導くでしょう」。「父よ、悪魔に仕えてはなりません。まことに悪魔は、仁慈者に対するむほん者であります」。「父よ、まことに私は仁慈者からの懲罰が、あなたに下ることを恐れます、それであなたが悪魔の友になるのを恐れる」。……
アブラハムは言った「あなたに平安あれ、私の主に、あなたのためご寛容を祈る。まことにかれは、私に対し慈悲深くあられます」。「私はあなたがたから離れ、また神以外に、あなたがたが祈るものから離れて、私の主に祈ります。私の主にお祈りすれば、たぶん恵まれぬことはないでしょう」。
それでアブラハムが、かれらならびに神以外にかれらが仕えるものから、離れ去ったとき、われはかれにイサクとヤコブを授けた。そしてわれはかれらを、それぞれ予言者にした。われは、かれらの上に慈悲をたれ、また真理のことばで高い栄誉を授けた。
またこの経典の中で、モーゼのことを述べよ。まことにかれは、純潔な使者であり予言者であった。われはシナイ山の右がわから、かれに呼びかけ、密談のためわれの近くに招いた。またわれの慈悲により、その兄弟のアロンを、予言者としてかれに授けた。
またイシマイルのことを、この経典の中に述ベよ、まことにかれは約束したことに忠実で、使者であり予言者であった。かれはつねにその一族に、礼拝を命じ、主のおぼえめでたいひとりであった。
またイドリースのことを、この経典の中に述べよ、かれは真実な人物であり予言者であった。そしてわれは高い地位に上げた。これらの者は、神が恩恵を施された予言者たちで、アダムの後えい、およびわれがノアと一緒にはこ舟で運んだ者たち、ならびに、アブラハムとイスラエル「ヤコブ」の後えいのうち、われが選んで導いた者たちである。仁慈者のしるしがかれらに復唱されるたびに、かれらは伏して叩頭(こうとう)し涙を流す。
クルアーン19.41 ~ 58(イスラーム)
禹・湯・文・武の諸王や成王や周公たちは、この計謀や兵力を用いて、すぐれた功業を成したのである。即ちこれら六王はみな礼儀を守った人たちであり、礼儀を用いて各自の道を行い、人民の信望を集め、敵の罪過を明らかにし、仁愛礼譲を守り行い、道義の常法を世に示したのである。もしこの常法に従わない者があれば、たとい権勢を誇る者でも味方を失い、人々から災いと見られて、ついに滅びるであろう。(注6)礼記7.1.2(儒教)
もと、無数の仏に従って、さまざまの道を修めた。
甚だ深遠な、微妙な教えは、見ること難く、理解することも難い。無量億劫のあいだこのもろもろの道を修め終って、道場においてさとりをひらき、私はすでにすべてを知見した者となった。
(注7)法華経2(仏教)
―み言選集―
私達は、歴代の信仰の先祖たちが立てた伝統を尊重しなければなりません。天の伝統を尊重しなければなりません。
ノアおじいさんが120 年間天のために忠誠を尽くしたその精神、アブラハムがカルデアのウルを離れて異邦の荒れ地をさまよっていたその精神、ヤコブがカナンの地を捨ててエジプトに入っていったその精神、イスラエル民族が怨讐の地エジプトを捨て、荒野を経てカナンの地を目指して総進軍したその精神、イエスがこの地に来られてイスラエル民族を収拾し、新しいカナン福地、新しいエデンの福地に向かって走っていこうとしたその精神はどこに行ったのでしょうか。皆さんは伝統を通してこのような精神を継承しなければなりません。
(8-25、1959.10.25)
孔子が出てきて、時代を経て伝統的に伝わってきたものを無視し、歴史にない新しいものを創造したのかというと、それはできませんでした。その前にあったそのような類の思想をただ体系化させて一般化させたにすぎません。
(25-93、1969.9.30)
子孫たちは、偉人や聖人をなぜ追慕しなければならないのでしょうか。彼らの心の中には、精魂込めた歴史的なあらゆる事情が宿っていて、善の事情と曲折がその中に宿っているからです。善の目的を達成するためには、彼らのそのような土台を通して精誠(注8)を尽くさなければなりません。そうでなければ、目的に向かう道と関係を結べません。
たとえ堕落の子孫だとしても、人心は天心と通じるので、大勢の人たちが聖人を追慕し、聖人が歩んだ道を追い求めるのです。ですから、それは本然の価値を追求するものであり、自然なことです。
(17-268、1967.2.15)
復活摂理の歴史において、その使命的な責任をもった人物たちが、たとえ彼ら自身の責任分担を完遂できなかったとしても、彼らは天のみ旨のために忠誠を尽くしたので、それだけ堕落人間が、神と心情的な因縁を結ぶことができる基盤を広めてきたのである。したがって、後世の人間たちは、歴史の流れに従い、それ以前の預言者や義人が築きあげた心情的な基台によって、復帰摂理の時代的な恵沢をもっと受けるようになるのである。
原理講論、復活論2.1
「私」という個性体はどこまでも復帰摂理歴史の所産である。したがって、「私」はこの歴史が要求する目的を成就しなければならない「私」なのである。
それゆえに「私」は歴史の目的の中に立たなければならないし、また、そのようになるためには、復帰摂理歴史が長い期間を通じて、縦的に要求してきた蕩減条件を、「私」自身を中心として、横的に立てなければならない。そうすることによって、初めて「私」は復帰摂理歴史が望む結実体として立つことができるのである。したがって、我々は今までの歴史路程において、復帰摂理の目
的のために立てられた預言者や義人たちが達成することのできなかった時代的使命を、今この「私」を中心として、一代において横的に蕩減復帰なければならないのである。
そうでなければ、復帰摂理の目的を完成した個体として立つことはできない。我々がこのような歴史的勝利者となるためには、預言者、義人たちに対してこられた神の心情と、彼らを召命された神の根本的な目的、そして彼らに負わされた摂理的使命が、果たしてどのようなものであったかということを詳細に知らなければならないのである。
原理講論、後編緒論
歴史時代において、蕩減の使命を背負った先祖たちの気迫を相続するに不足のない息子、娘とならなければなりません。この時代にあなたは称賛し誇る息子の姿、娘の姿をどれほどお慕いになられたでしょうか。
お父様、あなたは内的に約束なさり、祝福して命令なさいましたが、歴史過程に来ては逝った私達の先祖たちは、いつもあなたの心にくぎを打ち、お父様を孤独の場に追放したのが二度、三度ではないことを、私達は知りますときに、私達がお父様の息子となり得る因縁は、喜ばしいことですが、使命的な面においては、悲しい内容が宿っていることを、私達は、先祖たちが歩んだ復帰の恨み多い道をたどってみる時ごとに、考えないわけにはまいりません。
(30-39、1970.3.15)
2.ノア
ノアは、聖書に現れた最初の信仰の祖である。洪水審判に関する神様の命令を信じながらノアが箱舟を造ったことは、いかなる人も肩を並べることのできない卓越した信仰を見せてくれたのである。
文鮮明先生は、妻や家族も理解し難いことをやり遂げたノアの驚くべき信仰を大変強調する。遠からず審判を受けるようになることを知るノアが、一般の人々への哀れみをもったこともまた驚くべきことである。
それで、ノアは神様の命令に従い、自分を嘲弄し迫害する、正にその人たちに神様の審判が迫っていることを宣布し、彼らを箱舟に呼び入れようとしたのである。
ノアの洪水審判は古い歴史的記録にさかのぽる。様々に形を変えて伝わったノアの洪水審判は、古代スメールとバビロンの時まで約5000 年をさかのぼる。約7500 年前、紅海地域に大規模な洪水が起き、すべての文明を一掃したという人類学的証拠から見て、ノアの洪水審判説は、歴史的事実に基づいていると信じる。
聖書のノアの話は、ノアの息子ハムの失敗で終わる。文鮮明先生は、これが神様の摂理を後退させた重要な事件とみなす。常に歴史を家庭の観点から扱う文鮮明先生は、ハムの失敗がノア家庭の一致を挫折させ、神様の摂理に致命傷を与えたことを明らかにした。
①ノアの洪水
―宗教経典―
主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛めちれた。主は言われた。
「私は人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。私はこれらを造ったことを後悔する。」しかし、ノアは主の好意を得た。
神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時が私の前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、私は地もろとも彼らを滅ぼす。あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。次のようにしてそれを造りなさい。箱舟の長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アツマにし、箱舟に明かり取りを造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい。
創世記6.5 ~ 8、13 ~ 16(キリスト教)
ノアにこう啓示された「すでに信仰する者のほかは、もうなんじの民は信仰しないであろう。それゆえかれらの行いについて悩んではならぬ」。
「そしてわれの目の前で啓示に従って箱舟を造れ、また不義を行なう者のために、このうえわれに歎願してはならぬ。かれらはおぼれさせるであろう」。
そこでかれは箱舟を造り始めた。かれの民の首領たちは、そのそばを過ぎるたびにかれらをちょう笑した。かれは言った「たとえおまえたちがいま私達をちょう笑しても、いずれおまえたちがちょう笑するように、私達もきっとおまえたちをちょう笑するのだ」。
「それで、恥辱ある刑がたれに来るか、永久の刑がたれの上に降りかかるかを、おまえたちはやがて知るであろう」。ついにわが命令は下って、大地の諸水がせきをきってほとばしり出たとき、われは言った「それぞれの生きものの一対、なんじの家人、宣告がすでに下された者を除き、信仰する者たちを、その中に乗らしめよ」。だがかれと共に信仰した者は少数にすぎなかった。
ノアは言った「神のみ名によって、これに乗れ、航行にも停泊にもそれによれ。まことに私の主は、寛容者・慈悲者であられる」。箱舟はかれらを乗せて、山のような波の上に動きだした。そのときノアはみなから離れていた。かれのむすこに叫んで「むすこよ、私と一緒に乗れ、不信者たちと一緒にいてはならぬ」と言った。
かれは答えて言った「私は山に避難しよう、それは洪水から救うであろう」と。ノアは言った、「きょうは神のご命令によって、かれの慈悲に浴する者のほかは、何者も救われないのだ」。その時かれらの間に波が来て、かれはおぼれる者のひとりとなった。
クルアーン11.36 ~ 43(イスラーム)
神は昔の人々を容赦しないで、不信心な者たちの世界に洪水を引き起こし、義を説いていたノアたち八人を保護なさったのです。
ペテロの手紙二2.5 (キリスト教)
まことにわれは、ノアをその民につかわし、「痛刑がなんじの民に下る前に、なんじは、かれらに警告せよ」(と命じた)。かれは言った「私の人びとよ、私はおまえたちへの公明な一警告者である」、「おまえたちは神に仕えまつり、かれを畏れ、私に従え」。「かれはおまえたちのもろもろの罪を許し、定められた時期までにおまえたちを猶予したもう。まことに神の時期が来たときは、猶予されない。もしおまえたちがわかっていたならば」。
ノアは申し上げた「主よ、私は夜となく昼となく、私の人びとに呼びかけました」、「だが、私の呼びかけは、ただ正道からの逃避を増すばかりであります」。「私がかれらに、“あなたが、かれらをお許しになるのだ”と、呼びかけるとき、かれらは指を己れの耳にあて、自分で外とうをかぶり、不信心を固執し、ひたすら高慢になります」。
クルアーン71.1 ~ 7(イスラーム)
―み言選集―
神様は命令をされるとき、信じる立場で信じられるように命令されるのではなく、信じることができないように命令されるのです。ノアには120 年後にこの世界を審判するから箱舟を造りなさいと命令しました。
ところが、箱舟を海辺や川に造りなさいと言えば納得するにもかかわらず、あの高い山の頂上に造
りなさいと命令しました。船を造ろうとすれば川辺に造らなければならないのに、山の頂上に造りなさいと言うので、それを信じられるでしょうか。
それは、人類始祖が不信することによって堕落したので、神様は絶対的に信じる立場に立てるために、絶対的に信じる者を立てようとしたのです。ですから、神様は絶対的に信じられる命令をされないのです。(注9)
(53-93、1972.2.10)
ノアの家庭について考えたことがありますか。ノアは、山の頂上で箱舟を造りました。平地ならともかく、山の頂上で箱舟を造ったということは、常識を超えた、常識を超えるどころか、度を超えるにも、とんでもなく度を超えたことです。
一般的に見る時、正常な立場で見る時に、ノアは狂った人間に近い行動をしたのです。舟を造ろうとするなら、川辺に造らなければならないのに、山に造ったのですから、これは常識を超えたことです。
これを命令した神様は、冗談で命令したのでしょうか。違います。生涯を捧げて耐え難い道を行かなければならないのが、ノアの路程であることを誰よりもよく知っておられた神様は、ノアの受難の道より平坦な内容をもって命令されたのではないのです。それよりもっと難しい内容があったので、それを条件として解決できる、一つの方便になることを願われる心をもって、ノアに120年の間、受難の道を行けと命令されたのです。そのような神様の心は、どれほど悲惨だったでしょうか。言うに言われぬほど、悲惨だったのです。ですから、ノアがその命令を受け入れるか、受け入れないかという緊張した瞬間において、ノアが順応する立場を取る時、ノアよりもっと喜ばれた方が神様ではないでしょうか。また、ノアよりもっと悲しまれ得る方も神様です。そのように、喜びと悲しみに対して責任をもてる、そのような主人の立場でなければ、神様の立場にはなれないのです。
(48-69、1971.9.5)
もしここに来られた夫人たちがノアおじいさんの夫人だったら、そのようなノアを歓迎するでしょうか。恐らく、そのようにできる夫人はいないと思います。神様の命令を受けたといって、毎日のように山を上り下りするので、昼食を包んであげなければならず、それから身支度や後始末をきちんとしてあげなければなりません。
最初は仕方なく。何日かはしであげるかもしれませんが、ひと月もたたずに問題が起きるのです。それが1年12 ヵ月でもなく、12 年でもなく、120 年間そのようにしなければならないという話を聞いたとき、そのおばあさんは間違いなく狂ったと思い、おじいさんは気が狂うにしてもちょっとやそっとの狂い方ではないと攻め立てざるを得ないというのです。
それでは、神様はどうして正常な環境に従って天のみ旨を進んでいくことができるように命令できなかったのかということを、私達はここで知らなければなりません。神様とサタンは一緒にいられません。サタンがこのように行けば、神様は180 度反対に行かなければなりません。神様は、サタン世界の人たちが信じてくれることさえも嫌われる神様です。サタンと仲良くしていた人たちが好むこと、認めることも、汚れが混ざると思うのです。私達人間においてもそのような心があります。怨讐がいれば、その怨讐がすることであれば、見るものまですべて嫌います。しかし、絶対的な神様が、悪の世界で良いとたたえるものを見て喜ぶでしょうか。ですから、全く信じられないように、全く見向きもしないように役事するのは当然だと思うのです。
(69-94 ~ 95、1973.10.21)
ノアの時を振り返つてみると、1600 年間、神様は言うに言えない悲しい心情が込み上げてきましたが、忍耐の道を歩んでこられました。一時、一瞬も忘れることができない人間に対する悲しみが込み上げてきましたが、それをすべて耐え、自分の悲しみを代わりに万民に、万物にすべて表すためにノアを選び立てたのです。
それでは、神様はどうしてノアを当時の人間たちが理解できない立場に立てられたのでしょうか。1600 年間、人間たちが神様を悲しみにくれさせたので、ノア一人を立てられ、彼が人間を代表し、天的な寂しさと悲しみを感じることができるようにするために、このような理解できない環境に立てたことを皆さんは知らなければなりません。
ノアは120 年間も、自分を不信し、反対し、嘲笑する人間たちの前に黙って現れるようになりました。また、120 年後にこの地を審判するという天の予告を受けたときも、彼は天に対する信仰の道理を尽くしたのです。当時、彼を見て義人だと言いました。義人だったがゆえに、彼は自分が生きていく当時の社会が反逆すればするほど、よりその社会のために心配し悲しんだのです。
大勢の人々が自分良身の安楽を得るために苦しんでいるとき、ノアだけは独り公義の法度を求めるために身もだえし、天倫を心配し、人が願わない環境で悲しんだのです。
(3-169 ~ 170.1957.10,25)
②ハムの失敗
宗教経典
さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作った。あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっでいた。カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。セムとヤぺテは着物を取って自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。ノアは酔いからさめると、末の息子がしたことを知り、こう言った。「カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」
創世記9.20 ~ 25(キリスト教)
―み言選集―
40 日審判が終わった直後のノアの立場は、天地創造後のアダムの立場と同様なのである。創造されたアダムとエバが、お互いにどれほど親しくまた近い間柄であったか、また、どれほど神に対しても、その前で隠し立て一つしない、水入らずの関係であったかということは創世記2 章25 節に、彼らはお互いに裸であっても、恥ずかしいとは思わなかったと記録されている事実から推察してみても、十分に理解できるのである。
しかし、彼らは堕落したのち、自ら下部を恥ずかしく思って木の葉で腰を覆い、また、神に見られるのを恐れて、木の間に身を隠した(創3・7,8)。それゆえに、彼らが下部を恥ずかしく思ったという行為は、下部で罪を犯し、サタンと血縁関係を結んだという情念の表示であり、下部を覆って隠れたという行動は、サタンと血縁関係を結んでしまったので、神の前にあからさまに出ることを恐れた犯罪意識の表現であったのである。
40 日審判によりサタンを分立した立場にあったノアは、天地創造直後のアダムの立場に立たねばならなかった。ここで神はノアが裸でいても、その家族たちがそれを見て恥ずかしがらず、また隠れようともしない姿を眺めることによって、かつて彼らが罪を犯す前に、どこを覆い隠すでもなく、ありのままに裸体を現していた、汚れのない人間の姿を御覧になって、喜びを満喫されたその心情を蕩減復帰しようとされたのである。
神はこのようなみ意を完成なさるため、ノアを裸で寝ているように仕組まれたのである。したがって、ハムも、神と同じ立場から、神と同じ心情をもって、何ら恥ずかしがることなくノアと対したならば、ノアと一体不可分のこの摂理の中で、罪を犯す前、恥ずかしさを知らなかったアダムの家庭の立場に復帰する蕩減条件を立てることができたはずなのである。
原理講論、復帰基台摂理時代2.2
ノアおじいさんは、独り孤独でした。そのようなことをするにおいて、絶対信仰をもちましたが、家庭が絶対心情一体にならなかったので崩れていきました。ハムもそうです。父と愛で一体になっていれば、なぜそれを恥ずかしく思いますか。心情が一体になっていれば、裸になっていても恥ずかしく思うことはないのです。自分も裸になって横で昼寝すればどれほどよいでしょうか。
ところが、恥ずかしく思ったのです。一つになっていません。心情一体になっていないのです。ノアおじいさんの横に裸になって一緒に寝ていれば、おじいさん起きてそれを見れば、「いやあ、この息子は私に似たなあ!」と祝福するでしょうか、しないでしょうか。
(268-294、1995.4.3)
3.アブラハム
アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの三つの唯一神宗教の源流である。アブラハムはユダヤ人の先祖であり、キリスト教徒には信仰の祖であり(ローマ4・1~3)、ムスリム(イスラム教徒)にはマッカ(メッカ)にカアバ神殿を建てた人であり、イシマエルを通してアラブ人の先祖になる。
アブラハムは偶像商の家庭で育ったが、神様の真理を信じる最初の唯一神信仰だった。彼は神様の命令に従って故郷を離れ、全く見知らぬ地に向かった。彼は神様が導かれるという信仰のもと、彼の生命と未来を神様の手に任せた。彼はカナンの民の中で異邦人だったが、彼らに対するアブラハムの哀れみは偉大だったのであり、特にソドムとゴモラの問題を仲裁するとき、それが表れた。
文鮮明先生は、神様がすべての摂理をアブラハムに任せたのであり、救援摂理を進行するための地上の条件を立てるためにアブラハムを同伴者としたと教える。したがって、アブラハムのすべての行為、すべての祭祀、すべての祈りは重要性をもつ。
アブラハムが神様の命令に躊躇せずに故郷を離れたとき、神様の摂理は進展した。アブラハムが創世記第15 章に記録された重要な燔祭で、はとを二つに裂かない過ちを犯したとき、神様の摂理は後退し、延長した。アブラハムの家庭でサラとハガルの間の反目が、今日のユダヤ人とアラブ人の憎悪として継続している。アブラハムは、自分の信仰路程で多くの試練を経験した。神様が息子を犠牲にせよと要求したとき、彼の試練は頂点に達したが、これに関しては次の部分で扱う。
①アブラハムの絶対信仰
―宗教経典―
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。
あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。
アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。
創世記12.1 ~ 5(キリスト教)
われは先にアブラハムに、方正な行いを授けた、われはかれをよく知っている。かれが父とかれの人びとに、こう言ったときを思え、「あなたがたが崇拝する、これらの偶像は何ものであるか」。かれらは言った「わしらは、祖先がそれらを崇拝するのを見た」。かれは「あなたがたとあなたがたの祖先は、確かに誤っていたのだ」と言った。
かれらは言った「おまえは真理をもたらしたのか、それとも戯れる者なのか」。かれらは言った「そうではない、あなたがたの主は、天と地の主、無から天地を創造された方であられる。そして私はそれに対する証人のひとりである」。「神によって誓う、私はあなたがたが背を向けて去ったあとで、あなたがたの偶像に対し、一つの策をめぐらすであろう」。こうしてかれは、ただ一体の巨像を除き、多分かれらがそれに返って来るであろうと思って、それらをたたきこわした。
かれらは「誰がわしらの神々をこうしたのであろうか、まことにかれは不義の者である」と言った。ある者が言った「わしらは、アブラハムという若者が、その方々をあげつらうのを聞いた」。いかれらは言った「それなら、その者を人びとの目の前に引き出せ、多分みなが証言するであろう」。「アブラハムよ、おまえか、わしらの神々に対しこんなことをしたのは」と言った。
かれは答えて言った「確かに誰かがかそれをしたのだ、かれらのかしらはこれである、かれらに口がきけるなら、かれらに問え」。そこでかれらは、自ら良心に顧みて心に言った「確かにおまえたち自身が悪いのだ」
間をおいて、かれらはまた翻意して言った、「おまえはこれら神々の、口がきけないのをよく知っている」。アブラハムは言った「それならあなたがたは、あなたがたをいささかも益せずまたそこなわない、神以外のものを崇拝するのか」。「ああ、情けないことだ、あなたがた、ならびにあなたがなの神以外を崇拝するものは。あなたがたはなお悟らないのか」。かれらは言った「もしおまえたちがやるのなら、かれを焼き殺せ、そしておまえたちの神々を救え」。そのときわれは「火よ、冷たくなれ、アブラハムの上に平安あれ」と命じた。かれらはかれに対しさらに策動しようとしたが、われはかれらをひどい失敗者にした。われはかれとそのおいのロトを、よろず世のために、われが祝福した地に救った。(注10)クルアーン21.51 ~ 71(イスラーム)
これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。私に何をくださるというのですか。私には子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」
アブラムは言葉を続けた。「御覧のとおり、あなたは私に子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」見よ、主の言葉があった。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継く。」主は彼を外に連れ出しで言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
創世記15.1 ~ 6(キリスト教)
信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。
ヘブライ人への手紙11.8 ~ 10(キリスト教)
―み言選集―
アブラハムも・父テラの家で革命的な要素を請求しました。そうでしょう?「父よ、この偶像は何だ」と言いながら足で偶像をけ飛ばしたではないでしょうか。家に入っていくたびに、「これはいつか私の手で.……」、何十回も心で決意したのです。
(151-62、1962.10.7)
アブラハムを考えてみてください。偶像商の愛らしい息子として、父母の膝元ですくすくと成長したのですが、神様が彼を呼び、「アブラハムよ、アブラハム! お前はテラの家から離れなさい。カルデアのウルに向かいなさい」とおっしゃったのです。
それは、予告して下された命令ではありません。呼んですぐに下された雷のような命令です。青天の霹靂のような命令が落ちたのです。そのときには、ぐずぐずしていてはいけません。出発するのを待っていたかのように、すぐに出発しなければならないのです。「ああ、少し待ってください」とためらってはいけません。出発が潔くなければなりません。出発が誤れば、千秋万代の歴史の恨になる汚点を残すようになります。それでは、それがサタンの讒訴条件になり、経てきたすべての歴史が否定されるようになるのです。このようなことを知っているので、天の命令に従っていった人たちは、命令を受けて即座に行動するのです。
(43-270、1971.5.1)
神様がアブラハムを導き出そうとするのですが、もしアブラハムの同労者がいれば、ついてくるかと心配せざるを得ない立場ではなかったかというのです。アブラハムは神様の命令を聞くのですが、一般の人も聞くことができますか。アブラハムだけが聞くのです。
また、自分の父母に、「お父さん、お母さん、神様が私にカルデアのウルに行きなさいと言うので、そのようにします!」と言えば、「お前はどうかしている」と言うでしょう。ですから、話もできなかったでしょう。
目指す所も、何十里、何百里ではありません。どこに行くのか分からないのです。アブラハムは、国境を越えてエジプトまで往来しました。アブラハムは自分の父母よりも、自分の故郷よりも、自分の親戚よりも、その何よりも神様のみ言を絶対に信じ、神様を絶対に愛する心があったので、その環境をかきわけて出発できたのではないかというのです。
アブラハムには、神様の命令以外にはないのです。命令を命よりもっと重要視しました。間違いなく夜逃げしたでしょう。こうしてアブラハムは、ジプシーのような行脚の路程、とどまる所なく流れていく生活を続けたのです。アブラハムは、このように世の中のすべてのものをきっぱりと断ち切った人です。完全否定を基礎として出発した人です。
(69-95 ~ 96, 1973,10.21)
アブラハムを見てみましょう。神様は偶像商である彼の父親から、彼を分立させました。彼は、家族、祖国、物質的な富、そして、すべてのものを捨てなくてはなりませんでした。そのように、サタン世界から彼を断絶させることにより、彼は、カナンに入っていくようになったのです。神様は、彼を鍛錬し、彼をして、彼自身の民族だけでなく他の民族、さらには怨讐のためにも泣くことができるようにさせながら、摂理を発展させました。
(52-53、1971.12.14)
天は、選んだアブラハムをカルデアのウルに導き出し、そのような場に送りました。荒れ地のような所に追い込んだのです。アブラハムは、そこで天が立てようとしていた天主権の国が建てられる一日が来ることを待っていました。
天が祝福した息子、娘が砂浜の砂粒のように、天の星のように増え広がり、悪の世の中を打つことができるその日を待ち焦がれながら私達の先祖たちは故国の山河を捨てた事実を私達は知らなければなりません。なぜでしょうか。
怨讐の国、怨讐の鉄条網の中に捕らわれているので、身の毛がよだつように感じられなければなりません。体に鳥肌が立つのを皆さんも感じなければなりません。このようなことを感じることができなければ、皆さんは天の前に完全な信仰者だと言うことはできないのです。
天がアブラハムを立てた目的は何でしょうか。遠い距離にいる人間、敵陣の中にいる人間、サタン世界(注11)にいる人間と連絡できる一つの基盤として、これを土台として横的に広げていこうとしたのです。しかし、もし間違えば天と地の関係が切れるので、仕方なくアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と言い、直系の血統を通して活動してこられたのです。皆さんはこれを知らなければなりません。
イサクとアブラハムが祝福を受けるとき、彼らがもったものは何だったでしょうか。選民だということしかありませんでした。「お前はサタン世界と妥協してはならない。和合してはならない。お前は選民なので、生活も異なり、感情も異なり、願う希望も異なり、お前が夢見る理想も異なる。お前は私を通して勝利の一日を迎えてこそ、お前の子孫が生きる」という観点から、神様はアブラハムを祝福しました。
したがって、アブラハムも、そのような観点からイサクを祝福しなければならなかったのであり、イサクもそのような観点からヤコブを祝福しなければならなかったのであり、ヤコブもそのように彼の後代を祝福しなければなりませんでした。
(7-215 ~ 216、1959.9.13)
②アブラハムの祭物失敗
―宗教経典―
主は言われた。「私はあなたをカルデアのウルから導き出した主である。私はあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。この土地を私が継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」主は言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とを私のもとに持って来なさい。」アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。荒い鳥がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた。すると、恐ろしい大いなる暗黒が彼に臨んだ。主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。創世記15.7 ~ 13(キリスト教)
―み言選集―
アブラハムを考えてみましょう。祭物を捧げるとき、牛と羊はすべて裂き、はとは裂かなかったのですが、なぜ裂かなかったのかというのです。もう一度公的に考えて……。
「これは私のためにするのではなく、神様のためにすることであり、人類のためにすることだ」ともう一度考えていれば、はとも裂かなければならないことが分かったはずであり、そうしていれば歴史に汚点を残さなかったでしょう。
(93-314、1977.6.12)
アブラハムは裂くべき鳩を裂かなかったので、その上に荒い鳥が降り、それによって、イスラエル民族はエジプトに入り、400 年間苦役するようになったのである。それでは、鳩を裂かなかったことが、どうして罪になったのだろうか。……
救いの摂理の目的は、善と悪とを分立させ、悪を滅ぼし、善を立てて、善主権を復帰しようとするところにある。ゆえに、アダムという一人の存在を、カインとアベルに分立したのちに、献祭させなければならなかったことや、また、ノアのとき、洪水で悪を滅ぼして善を立てた目的は、みな善主権を復帰せんとするところにあったのである。したがって、神は、アブラハムをして供え物を裂いてささげるようにし、アダムやノアが完成できなかった善悪分立の象徴的摂理をしようとされたのである。……
このように、アブラハムが鳩を裂かずにささげたことは、サタンのものをそのままささげた結果となり、結局、それはサタンの所有物であることを再び、確認してやったと同様の結果をもたらしてしまったのである。
原理講論、復帰基台摂理時代3.1.2
神様は、アブラハムの時に象徴的祭物条件を立てて転換しようとしたことができなかったので、イサクを通して、ヤコブを通して、3段階を経て象徴、形象、実体的過程を通して転換時点をつくったのです。(81-96、1975.12.1)
③アブラハム、イシマエル、そしてイスラームの根
―宗教経典―
アブラムの妻サライには、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。サライはアブラムに言った。「主は私に子供を授けてくださいません。どうぞ、私の女奴隷のところに入ってください。
私は彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」アブラムは、サライの願いを聞き入れた。アブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れて来て、夫アブラムの側女とした。アブラムがカナン地方に住んでから、十年後のことであった。アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。
ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。サライはアブラムに言った。「私が不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのは私なのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、私を軽んじるようにになりました。主が私とあなたとの間を裁かれますように。」
アブラムはサライに答えた。「あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい。」サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライのもとから逃げた。主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会って、言った。「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」「女主人サライのもとから逃げているところです」と答えると、主の御使いは言った。「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。」主の御使いは更に言った。「私は、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす。」主の御使いはまた言った。「今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシマエルと
名付けなさい。主があなたの悩みをお聞きになられたから。
創世記16.1 ~ 11(キリスト教)
アブラハムがこう祈って言ったときを思え「主よ、この町を安泰にして下さい、また私と子らを偶像崇拝から遠ざけて下さい」。「主よ、かれらは人びとの多くを迷わせました。私の道に従う者は、まことに私の一類であります。私に従わぬ者は....、だがあなたは、たびたび許したもう方・慈悲深い方であられます」。
「主よ、私は子孫のある者を、あなたの聖殿のかたわらの、耕せない谷間に住まわせました。主よ、かれらに礼拝の務めを守らせ、それで、ある人びとの心をかれらに引きつけさせ、またかれらに果実をお授け下さい、おそらくかれらは感謝するでありましょう」。(注12)
クルアーン14.35 ~ 37(イスラーム)
―み言選集―
アブラハムが「象徴献祭」に失敗しなかったならば、イサクと彼の腹違いの兄イシマエルが、各々,アベルとカインの立場に立って、カインとアベルが成就できなかった「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てるべきであった。
しかしアブラハムがその献祭に失敗したので、神は彼の立場にイサクを身代わりに立たせ、イシマエルとイサクの立場には、各々、エサウとヤコブを代わりに立たせて、彼らをして、「堕落性を脱ぐための蕩滅条件」を立てるように、摂理されたのである。
ゆえに、イサクを中心としたエサウとヤコブは、アダムを中心としたカインとアベルの立場であると同時に、ノアを中心としたセムとハムの立場でもあったのである。(注13)原理講論、復帰基台摂理時代3.2
アブラハムの妾を通して生まれたイシマエルを中心として、反対の立場でカインとアベルのように分かれてきたのです。アブラハムの妾であるハガルがサラと争って怨讐になりました。
本来は一つにならなければならないのです。二人が一つになっていれば、神様もそのようなことをしなかったのです。妾と本妻の争いが起きました。それでサラがハガルを追い出してしまったのです。
そのように分かれたものが、イエスの時代になっても一つになれませんでした。イエス様が死ぬことによって、左右は左右で、前後は前後で分かれたというのです。国で言えば、左翼的な国が生まれ、宗数的な面ではキリスト教と反対の宗教が出てきて中東世界を導いてきました。
(215-253、1991.2.20)
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