人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

世界経典-38

2022年05月29日 15時32分06秒 | 学習

 

③ラケルとレア

―宗教経典―

主は、レアが疎んじられているのを見て彼女の胎を開かれたが、ラケルには子供ができなかった。レアは身ごもって男の子を産み、ルベンと名付けた。それは、彼女が、「主は私の苦しみを顧みてくださった。これからは夫も私を愛してくれるにちがいない」と言ったからである。レアはまた身ごもって男の子を産み、「主は私が疎んじられていることを耳にされ、またこの子をも授けてくださった」と言って、シメオンと名付けた。レアはまた身ごもって男の子を産み、「これからはきっと、夫は私に結び付いてくれるだろう。夫のために三人も男の子を産んだのだから」と言った。そこで、その子をレビと名付けた。レアはまた身ごもって男の子を産み、「今度こそ主をほめたたえよう」と言った。そこで、その子をユダと名付けた。しばらく、彼女は子を産まなくなった。

ラケルは、ヤコブとの間に子供ができないことが分かると、姉をねたむようになり、ヤコブに向かって、「私にもぜひ子供を与えてください。与えてくださらなければ、私は死にます」と言った。ヤコブは激しく怒って、言った。「私が神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ。」

ラケルは、「私の召し使いのビルハがいます。彼女のところに入ってください。彼女が子供を産み、私がその子を膝の上に迎えれば、彼女によって私も子供を持つことができます」と言った。ラケルはヤコブに召し使いビルハを側女として与えたので、ヤコブは彼女のところに入った。やがて、ビルハは身ごもってヤコブとの間に男の子を産んだ。

そのときラケルは、「私の訴えを神は正しくお裁きになり、私の願いを聞き入れ男の子を与えてくださった」と言った。そこで、彼女はその子をダンと名付けた。ラケルの召し使いビルハはまた身ごもって、ヤコブとの間に二人目の男の子を産んだ。そのときラケルは、「姉と死に物狂いの争いをして、ついに勝った」と言って、その名をナフタリと名付けた。レアも自分に子供ができなくなったのを知ると、自分の召し使いジルパをヤコブに側女として与えたので、レアの召し使
いジルパはヤコブとの間に男の子を産んだ。そのときレアは、「なんと幸運な」と言って、その子をガドと名付けた。レアの召し使いジルパはヤコ
ブとの間に二人目の男の子を産んだ。そのときレアは、「なんと幸せなことか。娘たちは私を幸せ者と言うにちがいない」と言って、その子をアシェルと名付けた。

小麦の刈り入れのころ、ルベンは野原で恋なすびを見つけ、母レアのところへ持って来た。ラケルがレアに、「あなたの子供が取って来た恋なすびを私に分けてください」と言うと、レアは言った。「あなたは、私の夫を取っただけでは気が済まず、私の息子の恋なすびまで取ろうとするのですか。」「それでは、あなたの子供の恋なすびの代わりに、今夜あの人があなたと床を共にするようにしましょう」とラケルは答えた。夕方になり、ヤコブが野原から帰って来ると、レアは出迎えて言った。「あなたは私のところに来なければなりません。私は、息子の恋なすびであなたを雇ったのですから。」その夜、ヤコブはレアと寝た。神がレアの願いを聞き入れられたので、レアは身ごもってヤコブとの間に五人目の男の子を産んだ。

そのときレアは、「私が召し使いを夫に与えたので、神はその報酬をくださった」と言って、その子をイサカルと名付けた。レアはまた身ご
もって、ヤコブとの間に六人目の男の子を産んだ。そのときレアは、「神がすばらしい贈り物を私にくださった。今度こそ、夫は私を尊敬してくれるでしょう。夫のために六人も男の子を産んだのだから」と言って、その子をゼブルンと名付けた。その後、レアは女の子を産み、その子をディナと名付けた。

しかし、神はラケルも御心に留め、彼女の願いを聞き入れその胎を開かれたので、ラケルは身ごもって男の子を産んだ。そのとぎラケルは、「神
が私の恥をすすいでくださった」と言った。彼女は、「主が私にもう一人男の子を加えてくださいますように」と願っていたので、その子をヨセフと名付けた。
創世記29.31 ~ 30.24 (キリスト教)

―み言選集―

ヤコブがハランに行って21 年を経ながら、ラケルをもらうために7年間苦労したのですが、父のラバンがサタン側のレアを抱かせました。ヤコブが復帰できるアダムの使命を完遂するためには、アダムが堕落したために、レアを通して堕落した過程を経なければならないのです。レアを抱えて越えていって、初めてラケルを抱えるようになりました。

世界全体の摂理を見れば、神様を中心として二人の女性が現れます。堕落した女性と復帰された女性がいるのです。レアが妹ラケルの愛を奪いました。サタン側の代表であるラバンを中心として、救援摂理においてサタンがレアを抱え、ラケルの行く道までふさいでいたのです。その女性二人の愛の争いがヤコブ家庭の問題です。

エデンの園で愛を中心としてカイン・アベルとサタンが出発したように、神様の立場とラケル的な目的に従っていく本然の世界で、カインが現れて自分を中心とする愛を占領するためにしたことと同様の形態が展開するのです。愛を中心としてサタンが先に主導権を握ろうとします。それで、神様の理想を破壊させ……。これが2000 年後にヤコブ家庭に起きるのです。これが蕩減復帰です。

蕩減は、「目には目、歯には歯」のような形態で表れます。サタン側の父がレア側に立っていますが、母はサタン側に勝つためにレアとラケルを一つにしなければなりません。ところが、これを知らなかったのです。リベカ(注27)がアベル(ヤコブ)を立て、カイン(エサウ)の心を動かし、イサクを屈服させるために内的にどれほど苦衷を受けたでしょうか。


今まで歴史時代において、ヤコブがラケルとレアと一つになったところでラケルのみ旨が成し遂げられようとすれば、兄が自然屈服しなければなりません。

兄が100 パーセント屈服し、弟を長子のように侍り、兄のように侍らなければなりません。逆さまにならなければならないのです。(注28)
(244-239 ~ 240、1993.2.14)

今、アメリカ女性の中で幸福な女性がいますか。すべてレアとラケルのような関係になっているので、これが度数を超えて平準化され、フリーセックスまで出てくるようになったのです。サタンがそれを利用します。レアとラケルが妬み嫌うことを中心として、天と一つになるためには、互いが同じ立場に立たなければならない立場にいて、愛を中心として水平基準に置かれるので、フリーセックスのような概念が入ってくるのです。

愛の争いのためにレアを中心とする僕、三人の女性たちが十人の息子を生み、ラケルは二人の息子を生みましたが、これが北朝イスラエルと南朝ユダ、カイン世界とアベル世界に完全に分かれました。家庭での愛の紛争が、北朝イスラエルと南朝ユダに分けたのです。それで10 支派と2支派が互いに怨讐となり、争ってきました。それがイスラエルの歴史です。(注29)
(244-248 ~ 249、1993.2.14)

 

④タマル

―宗教経典―

ユダは長男のエルに、タマルという嫁を迎えたが、ユダの長男エルは主の意に反したので、主は彼を殺された。ユダはオナンに言った。「兄嫁のところに入り、兄弟の義務を果たし、兄のために子孫をのこしなさい。」

オナンはその子孫が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入る度に子種を地面に流した。(注30)彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。

ユダは嫁のタマルに言った。「私の息子のシェラが成人するまで、あなたは父上の家で、やもめのまま暮らしていなさい。」それは、シェラもまた兄たちのように死んではいけないと思ったからであった。タマルは自分の父の家に帰って暮らした。かなりの年月がたって、シュアの娘であったユダの妻が死んだ。ユダは喪に服した後、友人のアドラム人ヒラと一緒に、ティムナの羊の毛を切る者のところへ上って行った。

ある人がタマルに、「あなたのしゅうとが、羊の毛を切るために、ティムナヘやって来ます」と知らせたので、タマルはやもめの着物を脱ぎ、べールをかぶって身なりを変え、ティムナヘ行く途中のエナイムの入り口に座った。

シェラが成人したのに、自分がその妻にしてもらえない、と分かったからである。ユダは彼女を見て、顔を隠しているので娼婦だと思った。ユダは、路傍にいる彼女に近寄って、「さあ、あなたの所に入らせてくれ」と言った。彼女が自分の嫁だとは気づかなかったからである。

「私の所にお入りになるのなら、何をくださいますか」と彼女が言うと、ユダは、「群れの中から子山羊を一匹、送り届けよう」と答えた。しかし彼女は言った。「でも、それを送り届けてくださるまで、保証の品をください。」「どんな保証がいいのか」と言うと、彼女は答えた。「あなたのひもの付いた印章と、持っていらっしゃるその杖です。」ユダはそれを渡し、彼女の所に入った。彼女はこうして、ユダによって身ごもった。

彼女はそこを立ち去り、ベールを脱いで、再びやもめの着物を着た。ユダは子山羊を友人のアドラム人の手に託して送り届け、女から保証の品を取り戻そうとしたが。その女は見つからなかった。

友人が土地の人々に「エナイムの路傍にいた神殿娼婦は、どこにいるでしょうか」と尋ねると、人々は、「ここには、神殿娼婦などいたことはありません」と答えた。友人はユダのところに戻って来て言った。「女は見つかりませんでした。それに土地の人々も、『ここには、神殿娼婦などいたことはありません』と言うのです。」

ユダは言った。「では、あの品はあの女にそのままやっておこう。さもないと、我々が物笑いの種になるから。とにかく、私は子山羊を届けたのだが、女が見つからなかったのだから。」三か月ほどたって、「あなたの嫁タマルは姦淫をし、
しかも、姦淫によって身ごもりました」とユダに告げる者があったので、ユダは言った。「あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ。」ところが、引きずり出されようとしたとき、タマルはしゅうとに使いをやって言った。「私は、この品々の持ち主によって身ごもったのです。」彼女は続けて言った。「どうか、このひもの付いた印章とこの杖とが、どなたのものか、お調べください。」

ユダは調べて言った。「私よりも彼女の方が正しい。私が彼女を息子のシェラに与えなかったからだ。」ユダは、再びタマルを知ることはなかった。

タマルの出産の時が来たが、胎内には双子がいた。出産の時、一人の子が手を出したので、助産婦は、「これが先に出た」と言い、真っ赤な糸を取ってその手に結んだ。ところがその子は手を引っ込めてしまい、もう一人の方が出てきたので、助産婦は言った。「なんとまあ、この子は人を出し抜いたりして。」そして、この子はペレツ(出し抜き)と名付けられた。その後から、手に真っ赤な糸を結んだ方の子が出てきたので、この子はゼラ(真っ赤)と名付けられた。
創世記38.6 ~ 30(キリスト教)

タマルは祭司長の娘だった。彼女の性稟が純潔で自制力があったことを考えるとき、義父と関係をもつことをわざわざたくらんだことは理解し難いことだ。

結局、タマルは徳のある女性だったのであり、娼婦ではなかった。彼女が義父ユダに接近したのは、深奥な志と知恵から来たものである。また、死んだ夫たちに対する衷心からした行動だった。天が彼女を助け、すぐに妊娠できたのは、深い志をもってした行動だったからである。……

ダビデ、ソロモン、さらにメシヤの先祖となるユダヤ王国の種が蒔かれた2人の女性がいる。彼女たちはタマルとルツだ。この2人の女性には共通点がある。2人とも最初の夫を失い、夫に代わるために同じような道を歩んだ。タマルはユダが死んだ夫たちの最も近い近親だったために、ユダを誘惑した。……

ルツはボアズを誘惑したが、ルツ記3章7節に、「ルツは忍び寄り、彼の衣の裾で身を覆って横になった」と記録されている。この2人の女性からユダヤ王国の種が受け継がれ、完成に至るようになった。2 人の女性とも、信仰心が発露となってした行動だったのであり、死んだ夫たちに対する礼を守った。彼女たちは共に血統を受け継ぎ、これから訪れる天の世界を準備するための行動だ
ったのである。
ゾハール1.188ab (ユダヤ教)


―み言選集―

ヤコブの息子の中にユダ支派がいます。ユダは4番目の息子です。ユダの最初の息子が結婚したのですが死にました。イスラエル民族は、兄が死ぬとその弟が兄嫁を引き継いで代をつなげてあげるようになっています。

ところが、その下の息子がどうなったかというと、兄嫁を受け入れないと言いました。それで神様が罰を与えて死にました。その次に、3番目の息子は子供です。3番目の息子は幼いため、この兄嫁がユダ支派の代を引き継ぐ可能性がなくなったの
で大変なことになったのです。

ですから、タマルが代を引き継ごうとすれば、どの系統を引き継がなければなりませんか。ユダ支派の系統を引き継ごうとすれば、幼子しかいないので、自分はすっかり老いて死ぬというのです。ここで革命をするのです。


そして何をするのですか。神様の代を引き継ぐためには、自分の家の恥であろうと、自分がどうなろうと考えない、このような決心をするようになりました。

それで、しかたなく娼婦の服に着替え、自分の義父が農作業で往来する道端に出ていき、自分の義父ユダを誘って関係を結びました。このように関係を結んでから記念品がほしいと言いました。その時、杖をくれ、印と印のひもをくれ、やぎをくれたので、その記念品をもらって赤ん坊を宿して育てるのです。

それはすべて意味がありました。その後、5、6ヵ月たってタマルのおなかがだんだんと大きくなってくるので、村の人たちがユダに「あなたの嫁は寡婦なのに、赤ん坊を宿している。石で打ち殺さなければならない」と言いました。

そのとき、「その赤ん坊の父親は誰か」と言うと、この杖の主人であり、印と印のひもの主人であり、この記念品をくれた人だと言い、ユダのところにもっていって赦しを受けるのです。それで生きながらえました。非正常な道を行く女性たちを通して神様のみ旨が、新しい血統が受け継がれてきたという事実をここで知ることができます。

それはなぜそうなのかというのです。体を先に捧げれば、それは純粋に100 パーセントサタンのものです。100パーセントサタン側にいます。それを否定する立場に立てば、それがかえって……。

ですから、そのような女性、サタン側の女性ではなく、天の側の女性が必要なのです。サタンのものをすべて否定してしまい、天の側に帰ってくることのできる女性が必要です。

このような道理に一致するので、神様はタマルを通して……。タマルはどのようにしたかというと、このような分岐点に立っても神様のみ旨を立てようとしたのです。エバが自分の父をだまし、自分の夫をだましたのと同じように、タマルは自分の父ユダと自分の未来の夫、3番目の息子を否定してそのようなことをしました。ちょうど同じ道を行ったのです。死を覚悟して……。
(92-286 ~ 288、1977.4.18)

「神様、あなたの祝福圏を欽慕し、またあなたの祝福の代を引き継ぐために、私がこのようなことをしでいるので、神様! お赦しください。私がたとえ千万回死ぬことがあっても、この不倫の素行を基盤として神様から祝福を受けることのできる基盤がユダ家門に成し遂げられさえすれば、私は何の遺恨もありません」と、タマルは間違いなくこのように祈祷したでしょう。

そのような切実な内容があったために、タマルは生死を意に介さず、ただ神様の恨が宿ったみ旨を成し遂げてさしあげるために、その死の状況までも克服することができたのです。このように、タマルのみ旨に対する忠節は実に驚くべきものですが、正にこのような場でこそ、摂理歴史を展開できたというのが神様の復帰摂理の事情でした。
(110-222 ~ 223、1980.11.18)


サタンの偽りの愛の種がエバの胎中に蒔かれて悪の生命が生まれたので、神様は母の胎中まで入っていって分別しておかなくては、天の息子が胎中で誕生することができないのです。

ですから、ヤコブの勝利によっても、まだ分別さ
れていない妊娠から40 代までの期間も、サタンの分立がなされなければなりません。結果的にこの責任を任された偉大な母がタマルです。

タマルは選民の血統を続けなければという一念から、売春婦に変装して、舅であるユダを迎え、双子の赤ん坊を身ごもりました。赤ん坊たちが生まれる時、先に手を突き出して出ようとした長子の赤ん坊が再び入り、弟になるべき次子の赤ん坊が兄になって先に生まれたのですが、彼がペレツです。タマルの胎中で長子と次子が争って、分立される胎中復帰がなされたのです。

このような条件の上に、選民の血族を集め、2000 年後にローマ帝国の国家基準に対峙するイスラエルの国家的土台の上に、メシヤを身ごもることができたのです。神様の息子の種が準備された母親の胎中に、サタンの讒訴のない立場を探すことが
できるようになった国家的勝利の土台が造成されたのです。このような基盤の上に、聖母マリヤが摂理の主流に登場するのです。
(277-205 ~ 206、1996.4.16)

 

⑤ラハブ

―宗教経典―

アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロ
モンをもうけ……
マタイによる福音書1.1 ~ 6(キリスト教)

ヌンの子ヨシュアは二人の斥候をシティムからひそかに送り出し、「行って、エリコとその周辺を探れ」と命じた。二人は行って、ラハブという遊女の家に入り、そこに泊まった。ところが、エリコの王に、「今夜、イスラエルの何者かがこの辺りを探るために忍び込んで来ました」と告げる者があったので、王は人を遣わしてラハブに命じた。「お前のところに来て、家に入り込んだ者を引き渡せ。彼らはこの辺りを探りに来たのだ。」

女は、急いで二人をかくまい、こう答えた。「確かに、その人たちは私のところに来ましたが、私はその人たちがどこから来たのか知りませんでした。日が暮れて城門が閉まるころ、その人たちは出て行きましたが、どこへ行ったのか分かりません。急いで追いかけたら、あるいは追いつけるかもしれません。」

彼女は二人を屋上に連れて行き、そこに積んであった亜麻の束の中に隠していたが、追っ手は二人を求めてヨルダン川に通じる道を渡し場まで行った。城門は、追っ手が出て行くとすぐに閉じられた。

二人がまだ寝てしまわないうちに、ラハブは屋上に上って来て、言った。「主がこの土地をあなた達に与えられたこと、またそのことで、私達が恐怖に襲われ、この辺りの住民は皆、おじけづいていることを、私は知っています。あなた達がエジプトを出たとき、あなた達のために、主が葦の海の水を干上がらせたことや、あなた達がヨルダン川の向こうのアモリ人の二人の王に対してしたこと、すなわち、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、私達は聞いています。それを聞いたとき、私達の心は挫け、もはやあなた達に立ち向かおうとする者は一人もおりません。あなた達の神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。私はあなた達に誠意を示したのですから、あなた達も、私の一族に誠意を示すと今、主の前で私に誓ってください。そして、確かな証拠をください。父も母も、兄弟姉妹も、更に彼らに連なるすべての者たちも生かし、私達の命を死から救ってください。」

二人は彼女に答えた。「あなた達のために、我々の命をかけよう。もし、我々のことをだれにも漏らさないなら、主がこの土地を我々に与えられるとき、あなたに誠意と真実を示そう。」ラハブは二人を窓から綱でつり降ろした。彼女の家は、城壁の壁面を利用したものであり、城壁の内側に住んでいたからである。
ヨシュア記2.1 ~ 15(キリスト教)


―み言選集―

お母様が2番目になることも、原理的立場から妥当だという理論が成立することを皆さんは知らなければなりません。責任を果たせないので、神様も仕方なく切ってしまうのです。

マタイによる福音書の第1章を見れば、タマルが出てきて、ルツが出てくるのですが、タマルも妾の行動をしたのであり、ルツも妾の行動をしました。その次に、ソロモンの母バテシバも妾の行動をしたのです。その次に遊女のラハブは娼婦です。娼婦のような部類の人が歴史的背後で、このような局面になっているという事実がマタイによる福音書の第1章に出てきます。
(92-292、1977.4.18)

マタイによる福音書にラハブが出てきます。ラハブはどのような人ですか。遊女でしょう? ところが、彼女が誰を助けてあげましたか。スパイを助けてあげました。それは、現実的には怨讐国家のためになることですが、冒険をしたのです。天の公義のみ旨のためには冒険をしなければなりません。自分の生命とすべての環境、そして自分の特権的なすべてのものを否定しなさいというのです。そのようにするとき、歴史はそこで発展するのです。
(39-196、1970.3.22)

⑥バテシバ

―宗教経典―

ある日の夕暮れに、ダビデは午睡から起きて、王宮の屋上を散歩していた。彼は屋上から、一人の女が水を浴びているのを目に留めた。女は大層美しかった。ダビデは人をやって女のことを尋ねさせた。それはエリアムの娘バテシバで、ヘト人ウリヤの妻だということであった。ダビデは使いの者をやって彼女を召し入れ、彼女が彼のもとに来ると、床を共にした。

彼女は汚れから身を清めたところであった。女は家に帰ったが、子を宿したので、ダビデに使いを送り、「子を宿しました」と知らせた。ダビデはヨアブに、ヘト人ウリヤを送り返すように命令を出し、ヨアブはウリヤをダビデのもとに送った。ウリヤが来ると、ダビデはヨアブの安否、兵士の安否を問い、また戦況について尋ねた。それからダビデはウリヤに言った。「家に帰って足を洗うがよい。」ウリヤが王宮を退出すると、王の贈り物が後に続いた。しかしウリヤは王宮の入り口で主君の家臣と共に眠り、家に帰らなかった。

ウリヤが自分の家に帰らなかったと知らされたダビデは、ウリヤに尋ねた。「遠征から帰って来たのではないか。なゼ家に帰らないのか。」ウリヤはダビデに答えた。「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、私の主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、私だけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。あなたは確かに生きておられます。私には、そのようなことはできません。」

ダビデはウリヤに言った。「今月もここにとどまるがよい。明日お前を送り出すとしよう。」ウリヤはその日と次の日、エルサレムにとどまった。ダビデはウリヤを招く食事を共にして酔わせたが、夕暮れになるとウリヤは退出し、主君の家臣たちと共に眠り家には帰らなかった。翌朝、ダビデはヨアブにあてて書状をしたため、ウリヤに託した。
書状には、ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」と書かれていた。町の様子を見張っていたヨアブは、強力な戦士がいると判断した辺りにウリヤを配置した。町の者たちは出撃してヨアブの軍と戦い、ダビデの家臣と兵士から戦死者が出た。ヘト人ウリヤも死んだ。

ヨアブはダビデにこの戦いの一部始終について報告を送り、使者に命じた「戦いの一部始終を王に報告し終えたとき、もし王が怒って、『なぜそんなに町に接近して戦ったのか。城壁の上から射か
けてくると分かっていたはずだ。昔、エルベシェトの子アビメレクを討ち取ったのは誰だったか。あの男がテベツで死んだのは、女が城壁の上から石臼を投げつけたからではないか。なぜそんなに城壁に接近したのだ』と言われたなら、『王の僕ヘト人ウリヤも死にました』と言うがよい。」

使者は出発し、ダビデのもとに到着してヨアブの伝言をすべて伝えた。使者はダビデに言った。「敵は我々より優勢で、野戦を挑んで来ました。我々が城門の入り口まで押し返すと、射手が城壁の上から僕らに矢を射かけ、王の家臣からも死んだ者が出、王の僕ヘト人ウリヤも死にました。」

ダビデは使者に言った。「ヨアブにこう伝えよ。『そのことを悪かったと見なす必要はない。剣があればだれかが餌食になる。奮戦して町を滅ぼせ。』そう言って彼を励ませ。」ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだと聞くと、夫のために嘆いた。喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、妻にした。彼女は男の子を産んだ。ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。……

ナタンは自分の家に帰って行った。主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。ダビデはその子のために神に願い求め、断食した。彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。王家の長老たちはその傍らに立って、王を地面から起き上がらせようとしたが、ダビデはそれを望まず、彼らと共に食事をとろうともしなかった。


七日目にその子は死んだ。家臣たちは、その子が死んだとダビデに告げるのを恐れ、こう話し合った。「お子様がまだ生きておられたときですら、何を申し上げても私達の声に耳を傾けてくださらなかったのに、どうして亡くなられたとお伝えできよう。何かよくないことをなさりはしまいか。」

ダビデは妻バテシバを慰め、彼女のところに行って床を共にした。バテシバは男の子を産み、ダビデはその子をソロモンと名付けた。主はその子
を愛された。
サムエル記下11.2 ~ 27、12.15 ~ 18、24(キリスト教)

故人となったダビデ王は偉大な賢人だったのであり、転生を信じていた方だ。彼がヒッタイト人のウリヤを見たとき、彼はウリヤがエバを誘惑した蛇であると思った。そして、バテシバを見て彼女がエバであり、自分がアダムであることを悟った。そうして、自分の伴侶として運命づけられたバテシバをウリヤから奪ってこようとした。
預言者ナダンがダビデを非難した理由は、ダビデが性急で待つことができなかったからである。せっかちなためにダビデは復帰の過程なく彼女に接近してしまった。ダビデはまず、バテシバについている蛇によって汚された内容を取り除かなければならなかった。

その後に彼女に近づいていかなければならなかったが、そうすることができなかった。そうして最初の息子が蛇によって不潔なものとなって生まれ、そして死んだ。しかし、その後には、サタンや他の悪の現象は起きなかった。(注31)
セーフェル・ペリア(ユダヤ教)


―み言選集―

バテシバはソロモンの母ですが、そのバテシバは最後までダビデ王を憎んだでしょうか。もしそうであれば、彼女はソロモンの母になれません。ダビデ王が夫ウリヤを戦場に追い出し、計画的に自分を占領しましたが、そのようになったことを運命と受け取ると同時に、それをかえって天の大いなるみ旨があるものとして受け入れたのです。

ダビデ王がこのようにすることは、悪い意味でするのではなく、何かの大いなるみ旨があったためではないかと考えて受け入れました。また、彼女は自分の夫が犠牲になっても国がよくなることを願い、祈祷した烈女だったのです。

バテシバは、自分の夫が死にましたが、その夫が忠臣になるためには、その一身が滅びるのはもちろん、妻である自分までも君王のために捧げられることを喜びとしなければならないという高次的な考えをしたのです。
それで、バテシバは、夫がそのような意味で、「私が君王のために一身をすべて捧げ、精誠と志操をすべて捧げていくのが夫に対する義理ではないか」と考えてダビデ王に接しました。ですから、ここからソロモン王が生まれることができたのです。
(40-97、1971.1.24)

ソロモンの母は誰でしたか。バテシバです。バテシバはどのような女性でしたか。ウリヤの妻でした。ダビデ王がウリヤの妻を奪ったのです。その子供がどのようにしてソロモンになったのですか。

ウリヤの妻はどのような立場かというと、2番目の夫人です。彼らを堕落する前のエデンの園の位置に立ててみるとき、ダビデはアダムの立場、ウリヤは天使長の立場になります。天使長の妻は復帰しなければならないエバの立場です。天使長がアダムの相対者であるエバを堕落させ、引っ張っていきました。愛で占領して盗んでいったのです。
それを蕩減しようとすれば、そのような三角関係に再び戻るようにしなければなりません。そのような原理的基準に立脚した条件を立てた基台の上で生まれたなら、その子供は天の愛を受ける栄光の子供になります。したがって、ソロモンは栄光の子供なのです。(注32)
(35-168、1970.10.13)


⑦マリヤ

―宗教経典―

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。

天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベツも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」

マリアは言った。「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリザベツに挨拶した。マリアの挨拶をエリザベツが聞いたとき、その胎内の子がおどった。。エリサベツは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。」……

マリアは、三か月ほどエリサベツのところに滞在してから、自分の家に帰った。
ルカによる福音書1.26 ~ 42、56(キリスト教)

また天使たちがこう言ったときを思え「マリヤよ、まことに神はじきじきのおことばで、あなたに吉報を伝えたもう。マリヤの子、その名はメシヤ・イエス、現世でも来世でも高い栄誉を得、また神の側近のひとりであころう」、「かれは揺りかごの中でも、また成人してからも人びとに語り、正義者のひとりであろう」。

かの女は「主よ、何人も私に触れたことはありません。どうして私に子があり得ましょうか」と言った。天使は言った。「このように、神はお望みのものをつくりたもう。かれが一事を決めたまい、有れと仰せになれば、すなわち有るのである。」
クルアーン、3.45 ~ 47(イスラーム)

イムラーンの娘マリヤ、われはかの女の体内にわが精霊を吹きく込んだ、それでかの女は、主のおことばと、その経典を実証し、敬謙なしもべのひとりであった。
クルアーン66.12(イスラーム)


―み言選集―

リベカとタマルの伝統を受け継ぎ……。そして2000 年後にそのみ旨を受け継いだのが誰かというと、マリヤです。聖母マリヤです。み旨のために革命する女性が出てこなければなりまぜん。

天使によって堕落したので、天使長が来てエバを協助するのです。蕩減復帰するのです。その言葉を信じます。絶対的に信じるのです。サタンの言葉を絶対的に信じて堕落したので、この天使長の
言葉を絶対的に信じ、神様のみ旨に従っていきます。ですから、「彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい」というその言葉を信じ、冒険をしたのです

そのときマリヤの立場はヨセフと約婚した立場だったのですが、それはエデンの園でアダムとエバが約婚した立場にいたのと同様の立場でした。アダムとエバは兄と妹ですが、将来結婚する約婚関係にいたのと同じなのです。天使が引っ張っていって堕落したので、天使が引っ張っていって神様の前に復帰するのです。ぴたっと同じです。それで、歴史的伝統を受け継いだので、エバが堕落するときに行動したその内容と同じように、自分の父をだまし、自分の夫をだますことをしなければならないのです。

マリヤは夫と相談しませんでした。父にも分からないようにしました。そのときには、未婚の女性が赤ん坊を宿せば、石の小山ができて……。マリヤは、命を懸けて赤ん坊を宿したということを知らなければなりません。

リベカから、タマルから受け継いだ心情的基台を中心としてイエス様を宿したので、歴史的なすべての蕩減起源を完成した、その腹中から生まれる息子に対しては、サタンが讒訴しようとしても讒訴する道が何もないというのです。ですから、イエス様は、腹中にいるときから神様の息子なのです。
(92-289 ~ 290、1977.4.18)


ヨセフと婚約したマリヤは、自分の身を通してメシヤが生まれるという(ルカ1:31)ガブリエル天使長の驚べきメッセージを受けました。処女の立場で赤ん坊を身ごもれば、死ぬしかないという当時の規則でしたが「私は主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ1:38)と言いながら、絶対信仰で神様のみ意を受け止めました。

マリヤは親族であり、尊敬される大祭司長のザカリヤに相談しました。ザカリヤの家庭では、その夫人のエリサベツが神様の能力によって、妊娠した洗礼ヨハネを胎中に身ごもったまま、マリヤに対して「あなたは女の中で祝福された方、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上が私のところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう」(ルカ1:42、43)とイエス様の懐胎を証しました。

このように神様はマリヤとザカリヤとエリサベツをして、メシヤの誕生を一番先に知らせました。彼らはイエス様によく侍り、神様のみ旨によく従わなければならない重大な使命をもった者たちでした。ザカリヤ夫婦はマリヤを自分たちの家にとどまらせました。イエス様をザガリヤの家庭で懐胎しました。

エリサベツとマリヤの間柄は母親側のいとこの関係でしたが、摂理上では、姉(カイン)と妹(アベル)の関係でした。ザガリヤの前でエリサベツの助けを受けたマリヤは、レアとラケルがヤコブの家庭で母子が一体になれなかったのを、国家的基準でザカリヤ家庭を通して蕩減する条件まで立てながら、イエス様を誕生させなければなりませんでした。歴史始まって以来、初めて神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中に、サタンの讒訴条件なく着地したのです。それによって、地上に初めて、神様の初愛を独占することのできるひとり子が誕生するようになったのです。

当時の法によって、容認されるはずもなく、また、常識でも考えることのできないことを、マリヤが成し遂ければなりませんでした。三人がすべて霊的に感動し、神様から来た啓示に従い、それが神様のみ旨であり、願いであることを無条件に信じ従わなければならなかったためでした。
(277-206 ~ 207、1996.4.16)


⑧マグダラのマリヤ

―宗教経典―

過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。

ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。

弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
ヨハネによる福音書12.1 ~ 5(キリスト教)


イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。私に良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、私はいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。

つまり、前もって私の体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
マルコによる福音書14.6 ~ 9(キリスト教)

週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペテロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、私達には分かりません。」そこで、ペテロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペテロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペテロも着いた。

彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。

それから、この弟子たちは家に帰って行った。マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。
天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「私の主が取り去られました。どこに置かれているのか、私には分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。

イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が、あの方を引き取ります。」

イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意昧である。イエスは言われた。「私にすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。私の兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『私の父であり、あなたがたの父である方、また、私の神であり、あなたがたの神である方のところへ私は上る』と。」
マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「私は主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。
ヨハネによる福音書20.1 ~ 18(キリスト教)


―み言選集―

どうしてキリスト教の中でマグダラのマリヤの名前が残されたのでしょうか。千秋万代に彼女の名前が伝えられてきたのは何ゆえでしょうか。それは、イエス様が彼女の名前を紹介しなさいと言ったからです。

その当時には、一介の貧しい女性の身で300 デナリにもなる香油を若者イエスの足に塗り、髪の毛
でふいたという事実を誰が容認するでしょうか。
弟子たちまであざ笑い、イスカリオテのユダが抗議し、全体が反対するのに、イエス様はどうして福音が紹介される所にマグダラのマリヤの名が記念として語られるとおっしゃったのでしょうか。

イエス様には、愛する弟子、または大勢の人たちよりも、その時間にマグダラのマリヤの精誠が、自分が神様にあらゆる精誠を尽くして捧げたものと同じ条件になったので、そのように語られたのです。
イエス様が十字架で亡くなると、従っていた弟子たちはすべて逃げていきました。しかし、マグダラのマリヤとイエス様の母はイエス様の墓を訪ね
ていきました。彼女たちにも、家庭と夫がいたのであり、固有の旧約思想を中心とするユダヤ教の風習がありました。

ところが、そのようなすべてのものを度外視して、すなわち自分の社会的な威信や体面を考えずに、死んだイエス様の墓を探し回りました。それでマグダラのマリヤはイエス様に出会ったのです。
(4-107、1958.3.16)

イエス様がゲッセマネの園で天に向かって訴えるとき、その声を聞くことができずに居眠りしていた三弟子の姿と、マグダラのマリヤがイエス様の天的な価値を知って、その方の足に香油を塗り、髪の毛でふいてさしあげることによって復活される主の栄光を確認してさしあげるとき、そのマリヤの行為をあざ笑い、遮った弟子たちの姿をご覧になったその心情がイエス様の怨恨になったことを、今日もイエス様に従う聖徒たちは知らずにいます。イエス・キリストは、誰も理解してくれない孤独な道を行かれながら、悲しい心情を感じられました。

ところが、マグダラのマリヤだけはそのようなイエス様を慰労し、心配しながら、過去と現在と未来を代表したイエス様の天的な内的心情を体恤できたために、イエス様は彼女に祝福を下さり、歓喜の恩賜により彼女を神様のみ旨の前に立てることができたのです。
(2-212、1957.5.26)

亡くなったイエス様の墓を訪ねていった人は誰でしたか。その人は、人々が見て微弱な存在でしたが、その人が正にマグダラのマリヤでした。この村から追い出され、あの村で非難され、あちこちで一身に嘲笑を受けていくイエス様を誰よりも愛する心をもってついていったマリヤでした。このように懇切なマリヤの前にイエス様は復活の身で現れたのですが、これは、終わりの日に全世界のキリスト教徒たちに、彼らの行く道を見せてあげた象徴なのです。
マグダラのマリヤはどのような生活をしたでしょうか。イエス様を愛することに、着ること、食べること、すべてを忘れて一片丹心、それだけのために生きました。生死を超越し、体面を考えずについていった彼女の行路は、終わりの日の聖徒たちが歩むべき路程だったのです。

もし今もこの地上にマグダラのマリヤのような心情をもっている人がいるとすれば、その人の目には神様の6000 年摂理にしみ込んだ涙が流れ、天の前に無限に負債を負った自分であることを分かるようになるでしょう。
(4-258 ~ 259、1958.6.29)

 

9.仏陀

文鮮明先生は、仏陀をアジアで最も偉大な聖人として認めている。仏陀の生涯は、真理を探し出すために、家族や友を捨てて旅立ったすべての人たちの典型的なモデルである。

仏陀は悟りのために自分の夫人と子女、家庭、そして富と権勢を捨てて修養の道を求めていったのち、若い人たちを教化する過程で迫害を受けることもあった。仏陀と大勢の仏教信者たちが経験した至福の状態が、仏陀を宇宙の頂上に導いた。すべての人たちは、仏陀の霊的修行を見習えば、幸福な状態を見いだすだろう。

 

①真理修行のために俗世を離れた仏陀

―宗教経典―

皆さん、道の人ゴータマは、母と父が同意せず、涙を流し、泣いているにもかかわらず、髪と鬚を剃り、黄色い衣をまとって、家を捨てて出家された方です。
阿含経長部i.115 (仏教)

太子は音楽を聞いて、その庭園や森をたたえ、こころのなかで、大いに喜び、ぜひとも外へ出かけたいという思いが湧いてきた。……父王は太子が庭園に出かけて楽しみ遊ぼうとしていることを聞き、家臣たちに命じて、飾られた行列を準備させた。王は歩む道々を綺麗にして、みにくいものや、老人や病人、形の悪いもの、おとろえたもの、貧しいもの、苦しんでいるものなどを除きさり、これらを見て、嫌悪感を起こさないようにさせた。

……太子はこの老人を見て、不思議に思い、御者に尋ねた。「いったい、この者はどういう人か。頭が白く、背中はまるくなって曲がっている。目もくぼんで、よく見えないようであり、体はふるえて杖に頼って、弱々しく歩いている。このような人の体は急に変わったのか。この人は生まれ
つき、こうなっていたのか」と。

御者はためらって、ほんとうのことを答えなかった。ところが、シュダアデイヴァーサ天は神通力で、かの御者に真実のことを語らせてしまった。「容貌もで悪くなり、気持ち心うつろに、ほそぼそと、憂い多く、喜び楽しむことも少なくなり、ついには喜びも忘れ、機能も衰微してしまう。これを年老い衰えたすがたというのである。この人ももとは幼児であって、長い間、母の乳で養われた。少年となって大いに楽しみ遊び、やがて青年となって、五官の欲望をほしいままにしていた。しかも、年をとり、すっかり形も衰えて、ついに老人となり……世の中の人はみなこのことを知っていても、若さを求めているのである」と。

……太子は御者に語った。「すぐに車を戻して城に帰るように。刻々と老い衰えるのがやってきている。どうして森のある園に遊び喜ぶことができようか」と。王は太子が喜ばなかったことを聞いて、さらにもう一度ぜひ城を出て遊びに行くよう勧めた。……

天の神はまた病人になって……太子は、この話を聞いて、……ただ驚きおめのくのみであった。……シュダアデイヴァーサ神は、またもや死人となって、四人の者が持つ輿に乗せられて太子の前に現れた。神々は御者に教えて答えさせた。「これは死人です。……」御者は答えた。「みなことごとく死に至る。生というはじめがあれば、かならず死という終りに至るのである。年長者であろうと若かろうと中年であろうと、いつでも、その人間の身体が破壊されて、死に至らない者はいないのである」と。

太子は驚き悲しんで、自分の身を車の横木にもたれかけ、息もたえだえに嘆くのであった。「世の人はどうしてこの誤りをおかしているのであろうか。……世の無常であることを考えようとはしないとは」と。
そこで、すぐさま命じた。「車をもとに引き返せ。このうえ遊び楽しむ時ではない。命も絶え、死が
いつくるかわからないのに、どうしてほしいままに遊ぶことができようか」と。……

従ってきた者たちを安んじなぐさめて、それぞれの場所に座らせた。自身は木陰を作っているジャンプー樹の下に正しく座って、正しく考え、あらゆるものの生死や世界の興起と終滅、ならびに無常なる移り変りを観察した。

太子の心は安定して動ずることなく、五官によって起る欲望の広大な雲は消えさり、……静寂な瞑想状態に入ったのである。「世のなかはきわめて辛く苦しく、老い、病気になり、死によって破壊され、終生、大きな苦しみを受けながらも、自身で覚ろうとはしない。しかも、他人が老い、病気になり、死に至ることを
きらっている。……」

太子は……ただ静寂な境地で、あらゆる煩悩を離れ、真実の知恵の光りはますます明るく輝いていた。そのとき、シュダアデイヴァーサ神は出家者の姿になって、太子のところにやってきた。太子は……尋ねた。「あなたはどなたであるか」と。

神は答えていった。「私は沙門である。老・病・死を畏れ厭うて、出家し解脱を求めている。……永遠なる楽しみと消滅変化することのない境地を求め、……平等に憐れみ愛せる心を抱き、ただ、安らいの場として、山林におもむき、静寂な
気持ちにひたり、欲をもたず……場所のよしあしなど考えもせず、ただ乞食しながら暮らしているだけである」と。……

どういう手段で、望みどおりに出家することができるであろうか。……太子は……いままさに世俗をこえたいという気持ちが生じた。
仏所行讃、厭患品3-5(仏教)

その時摩竭(まかつ)国の著名なる族姓子等、世尊のみ許に於て梵行を行ぜり。人々は呟き憤り毀(そし)れり、「沙門瞿曇(しゃもんくどん)来りて子を奪ふ。沙門瞿曇来りて夫を奪ふ。沙門瞿曇来りて族姓を断絶せしむ。……今又誰を誘ふや」
律蔵i.43 (仏教)

釈尊がコーサンビーの町に滞在していた時、釈尊に怨みを抱く者が町の悪者を買収し、釈尊の悪口を言わせた。釈尊の弟子たちは、町に入って托鉢しても一物も得られず、ただそしりの声を聞くだけであった。

そのときアーナンダは釈尊にこう言った。「世尊よ、このような町に滞在することはありません。他にもっとよい町があると思います。」「アーナンダよ、次の町もこのようであったらどうするのか。」「世尊よ、また他の町に移ります。」

「アーナンダよ、それではどこまで行ってもきりがない。私はそしりを受けたときには、じっとそれに耐え、そしりの終わるのを待って、他へ移るのがよいと思う。アーナンダよ、仏は、利益・害・中傷・はまれ・たたえ・そしり・苦しみ・楽しみという、この世の八つのことによって動かされることがない。こういったときは、間もなく過ぎ去るであろう。」
法句経註(仏教)


―み言選集―

釈迦のような人も同様です。出家して真の道理を求め、すべてのことを克服していきながら、世界の人類と共に生き、公義の法度である天倫を立てようとする神様と共に生きようと、一人孤独に歩んでいったのです。その歩みの前には、個人の涙の海が遮り、家庭の涙の海が遮り、国の涙の海が遮り、人類の涙の海が遮っていたことを皆さんは知らなければなりません。これを克服する修養の道を求めていく聖人の歩みは、最も悲惨だということを知らなければなりません。(注33)
(101-151、1978.10.29)

肉身の快楽にふける俗人の喜びと、清貧を楽しむ道人の喜びとは、全く比べものにならない。王宮の栄耀栄華をかなぐり捨てて、心の住み家を探し求め、所定めぬ求道の行脚を楽しむのは、釈迦一人に限ったことではない。
原理講論、総序


釈迦はどうでしょうか。王子の地位を捨てたので、王族から迫害を受けました。その王族を崇拝する国家から迫害を受けたのです。
(258-87、1994.3.17)

聖人でその国から迫害を受けていない人はいません。インドの釈迦は、その国の王子として生まれましたが、人生は苦海だと言い、真理の道を求めるために王子の地位も捨てたのです。このようにして仏教がインドから出てきましたが、インドには仏教人が多くないのです。聖人でその国から歓迎された聖人はいません。聖人を歓迎してくれた国がなかったのです。いつも迫害しました。
(39-255 ~ 256、1971.1.15)

 

②仏陀の覚醒

―宗教経典―

菩薩は正しいさとりをことごとく体得され、この正しいさとりを不動のものとされた。「生という現象が究め尽せば老いと死とが消滅する。行為としての生存が消滅すれば生が消滅する。執着が消滅すれば生存が消滅する。愛着が消滅すれば、執着が消滅する。感受が消滅すれば、愛着が消滅する。接触が消滅すれば、感受が消滅する。六つの感官が消滅すれば、接触が消滅する。一切の感官が消滅しつくすのは、名称と形態が消滅することによる。認識作用が消滅すれば、名称と形態が消滅する。形成作用が消滅すれば認識作用が消滅する。愚かさ(無知、無明)が消滅すれば、形成作用が消滅するのである」と。

このように偉大な聖仙である太子は完全なさとりを完成したのである。(注34)このように完全なさとりを完成して、ブッダとなられて、この世に出現したのである。正しく道理を見きわめること(正見)をはじめとする、理想に達するための八つの道は平らで、まっすぐの道である。結局、わがものという観念がまったくないからである。まさに薪は燃え尽きて消火したように(煩悩の火は完全に消滅しているからである)。ブッダはなすべきことをすべてなしおわって、完全なさとりを体得したのである。
仏所行讃、阿惟三菩提品14(仏教)

わたくしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益にめぐって来た、家屋の作者をさがしもとめて。あの生涯、この生涯と繰り返すのは苦しいことである。家屋の作者よ! 汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。
心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼし尽くした。
法句経153 ~ 154(仏教)
天と地において、ただ私だけが尊貴な者である。(注35)
阿含経長部2.15 (仏教)


完全な人がこの世に出現する。如来は、敬われるべき人、悟りを開いた人、知恵と行いの備わった人、よく行った人、世間を知る人、最高の人、人間の御者、神々と人間の指導者、目覚めた人、尊き師である。

この完全な人は、自ら知りつくし、悟り、この世、神々、悪魔の世界、梵天の世界、修行者・バラモ
ンたち、人々、神々・人間に教えを説く。かれは、初めも、中程も、終りもよく、意義も文字もよく備わっている教えを説き、完全な清らかな行いを解き明かす。
阿含経長部xiii、三明経(仏教)

 

―み言選集―

皆さんが90 度の角度になり、このような位置にいる自分になって、宇宙に共鳴する真の愛、内的な神様、外的な神様の愛を慕って一つになるとき、宇宙がすべて私のものになり、私は偉大な人になり、すべての全体が私にぶらさがっていると思うようになるのです。釈迦牟尼のような人も、そのような立場で感じたので、天上天下唯我独尊という言葉も可能なのです。
(178-299、1988.6.12)

道に通じるようになれば心から強力な力が出てきます。ですから、体がしようということをすればするほど、むかむかと気分の悪いにおいがするのです。考えただけでもとても気分が悪いというのです。道に通じた人は、心に強い力が来ることによって、そのままにしておいても体は心がしようというとおりにするというのです。このような二つの方案以外には、体を調整する方案がありません。
それで神様は、体の支配を完成するために、このような作戦を繰り広げていらっしゃるということをはっきりと知らなければなりません。これが今
までの宗教の教えです。したがって統一教会も今そうした公式どおりに行くのです。このようにするようになれば、自然に人間として行くべき高次的な立場、神様の愛を中心とした神様の息子であることを自ら自覚する立場に入るようになるのです。

そのような立場に入るようになれば、一つしかない神様の愛を受けることができるために、釈迦が「天上天下唯我独尊」と言ったように、自分の権威に及ぶ人がいません。独りで自らの価値を称賛できる栄光の立場に入るようになるのです。

もう一度言うならば、神様の愛を独りで受けることができる息子になり、神様が造った被造世界と神様と関係しているすべてのものを自分のものと
して相続できるようになったので、独りで高いと自覚する立場に入るのです。

このような立場にまで行って神様の愛の圏内で生きるために探していく道が、人間が行かなければならない道です。
(38-270 ~ 273、1971.2.8)

 

10.孔子

途絶えることのない戦乱の時期に生まれた哲人、孔子は、当時の苦痛を越えて平和の世界の基礎となる普遍的道徳原理を追究した。彼は弟子たちを呼び集め、あちこちの国々を流浪しながら、彼の理想に関心をもつ統治者を探し求めた。

彼は拒絶され続けたが、天は自分をより高い目的のために用いるという信仰をもち、肯定的な姿勢を常にもっていた。彼が生きている間に自分の志は受け入れられなかったが、孔子の教えは東アジア文明の土台となった。

文鮮明先生は、「天」と呼んだ神様に対する孔子の信仰と、見るべき価値のない環境を飛び越え、より高い真理を一心に追究する孔子を尊敬する。文鮮明先生は、孔子をイエスと同等の聖人とみなす。孔子は、天国の社会的関係の外的形態について教えたのであり、イエスは天国の内的精神を教え、体現した。

①召命意識をもったまま苦難と挫折を経た孔子

―宗教経典―

儀の国境役人が〔先生に〕お会いしたいと願った。「ここに来られた君子がたには、私はまだお目にかかれなかったことはないのですよ。」という。供のものが会わせてやると、退出してからこういった、「諸君、さまよっているからといってどうして心配することがありましょう。この世に道が行なわれなくなって、久しいことです。天の神さまはやがてあの先生をこの世の指導者になされましょう。」
論語3.24(儒教)

お前はどうしていわなかったのだ。その人となりは、〔学問に〕発憤しては食事も忘れ、〔道を〕楽しんでは心配事を忘れ、やがて老いがやってくることにも気づかずにいるというように。
論語7.18(儒教>


孔子は鄭国へ行ったが、門人たちとはぐれ、ひとりで城郭の東門に立っていた。鄭の或る人が子貢に言った。「東門に人が居て、その額は聖入堯帝に似ており、その首筋は舜の臣の犀陽に似ており……疲れたさまは、喪中の家の犬のようでした」と。

子貢がありのままを孔子に告げると、孔子は笑って言った。「容貌についてはどうかと思うが、喪家の犬とは、いみじくも言ったもんだなあ。そのとおりだわい、そのとおりだわい」と。

そこで、共同して兵員を出して、孔子を広野で包囲した。孔子は行<ことができなくなり、食糧か無くなった。……孔子は弟子たちに憤りの心が有るのを知ったので、子路を招いて問うた。「詩に『野牛でもなく、虎でもないのにどうしてこの広野にひき廻さるる!』と、歌っているが、わが道が悪いのであろうか。われはどうしてここに苦しまなければならんのか」と子路が言った。


「思いますに、私達はまだ仁者ではないのでしょう。人がわれわれを行かせないのは!」と。孔子が言った。「どうして、そんなことがあるものか。

由よ、たとえば、仁者が必ず人に信ぜられるものなら、どうして伯夷・叔斎のような仁人が餓死することが有ろうか。智者が必ず行きたい所へ行きうるなら、どうして王子比干が腹を剖かれるようなことがあろうか」と。子路は退出した。

子貢が入ってきて孔子にお目にかかった。孔子が言った。「賜よ、詩に歌っている、『野牛でもなく、虎でもないのに、どうしてこの広野にさまようのか!」と。わが説く道が悪いのか、われはどうしてさまよわなければならなんのか!」と。子貢が言った。「先生の道は至大であります。だから、天下は先生を容れることができないのです。どうして少しくその道を小さく低くなさいませんか」と。

孔子が言った。「賜よ。良農はうまく種を播くが、よく収穫できるとは限らない。良工は器物は作ることは巧みでも、よく人の好みに順うとは限らない。

君子はよくその道を修め、大綱をたてて、それを道筋とし、これを統理することはできるが、必ずしも世人に容れられるとは限らない。今、おまえは、おまえの道を修めないで、世人に容れられんことを求めている。賜よ、おまえの志は遠大でないよ」と。子貢は退出した。

顔回が入ってきて孔子にお目にかかった。孔子がいった。「回よ、詩に歌っている、『野牛でもなく、虎でもない。だのにどうしてこの広野にさまようのか!』と。わしが説く道は間違っているのか。どうして、ここにこの困厄にかかるとは!」顔回が言った。「先生の道は至大でございます。ですから、天下によく容るるものがないのでございます。でありますが、先生には是非ともその道を推して行っていただきたいのであります。世人に容れられないことなどは、どうして憂うる必要がありましょうや。容れられないでこそ、初めて君子たることがわかるのでございます。道の修まらないことこそ、これはわれわれの恥でございます。道がすでに大いに修まっていて、用いないのは、国を有する君主の恥であります。世に容れられないことは、どうして憂うべきことでございましょうや。むしろ、世に容れられなくてこそ、しかる後に初めて君子たることがわかるのでございます」と。

孔子は欣然として笑って言った。「そうあるべきだ、顔氏の子よ。もし、お前が財産家だったら、わしはおまえの家の取締役になろうものをなあ!」と。
司馬遷史記47(儒教)


―み言選集―

孔子は、数千年前、春秋戦国時代の魯の国の人でしたが、彼は数カ国だけを考えたのではありません。そして、自分が生まれた困難な環境、混乱した社会像を見つめながらも、不平を言いませんでした。父母を中心として、兄弟がいなくても感謝の心で自分が助けることができる真の道を模索したのです。

そのような心でその時代に追われながらも感謝し、未来のために、世界のために生きたので、彼は戦国時代を超え、思想的に中原大陸を統一するようになったのです。それだけでなく、アジアを超えて世界万民のために残すことができる一つの道を築くようになりました。与えることができるものは何かという心、真のものを与えたいと思う彼の渇望と欲望が、結局、彼の人格を形成するようになったのです。そこから孔子の教えが出てきたのです。
(33-290、1970.8.21)

孔子の道理は、魯の国の混乱した時代において、その国の処理方法にもなりますが、自分の国と同じ混乱した世界を見つめながら、後代の万民たちが経ていかなければならない人生の道理を模索した教えだったのです。
(32-260、1970.7.19)

歴史時代の聖人たちの中で、イエスも迫害を受け、孔子も喪家の犬と言われながら迫害され、仏教の釈迦牟尼も迫害され、ムハンマドも迫害を受けたのです。そのような迫害されたすべての人たちが聖人になったのは、この原則において……。

歴史が、時間と時が過ぎていくに従って、自然に自分の時として来ることによって勝利するようになるのです。この原則から歴史が動いていくということを知らなければなりません。
(189-205 ~ 206、1989.4.6)

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世界経典-37

2022年05月29日 15時28分36秒 | 学習


②監獄から王宮へのヨセフ路程

―宗教経典―

かれが成年に達したころ、われは識見と知識とをかれに授けた。このようにわれは正しい行いをなす者に報いる。かれの起居する家の婦人が、かれを本心から惑わそうとして、戸を閉めて言った「さあ、おいで、おまえさん」と。かれは祈って言った「神よ、私をお守り下さい、まことにかれ(あなたの夫)は、主人であります、私を気持ちよく住ませていただきます、ほんとうに
不義者は、成功いたしません」。確かにかの女は、かれに求めたのである。

主の明証を見なかったならば、かれもかの女を求めたであろう。このようにしてわれは、かれから罪悪と醜行を遠ざけた。まことにかれは、謙虚で純真な選ばれたわがしもべのひとりである。

そのとき両人は戸の方にあい競い、かの女は、後ろからかれの下着を引き裂き、かれら両人は、戸口でかの女の夫に出会った。かの女は「あなたの家人に悪事を行おうとした者には、投獄されるか痛刑のほかにどんな応報がありましょう」と言った。かれは言った「奥さまこそ、私の意に反して、私をお求めになりました」。

そのときかの女の家人の中の1証人が証言した。「もしかれの下着が前から裂けておれば、奥さまが真実でかれはうそであります」。「だがかれの下着が、もし後ろから裂けておれば、奥さまがうそをおつきになったので、かれは真実であります」。

主人は、ヨセフの下着が後ろから裂けているのを見て言った「これはおまえたち婦人の悪だくみだ。まことにおまえたちの悪だくみは、すさまじいものである」。「ヨセフよ、これを気にしないでくれ。それから妻よ、おまえの罪のお許しを願いなさい。まことにおまえは罪深い者である」。

町の婦人たちは評判して言った貴人の奥方が、青年の意に反し、かれに求めたのは、きっとかれの愛で、奥方がたきつけられたのであろう。私達は、明らかに奥方の誤りだと思う」。かの女は婦人たちの悪意ある陰口を聞くと、使いをつかわし、かの女らのために宴席を設け、めいめいにナイフを渡し、それから(ヨセフに)「かの女らに出て行きなさい」と言った。

かの女らがヨセフを見ると驚ろいて、興奮してその手を傷つけて言った「神の造化の完全無欠なことよ、これは人間ではない。これは貴い天使でなくて何であろう」。かの女は言った「これよ、あんたがたが、私をそしる人よ。たしかに私がひっぱってかれに求めたが、かれは貞節を守ったのよ。もしかれが私の命ずることをしないなら、きっと投獄されて汚名を被る者になるでしょう」。(注24)
クルアーン12.22 ~ 32(イスラーム)

そのとき、例の給仕役の長がファラオに申し出た。「私は、今日になって自分の過ちを思い出しました。かつてファラオが僕どもについて憤られて、侍従長の家にある牢獄に私と料理役の長を入れられたとき、同じ夜に、私達はそれぞれ夢を見たのですが、そのどちらにも意味が隠されていました。そこには、侍従長に仕えていたヘブライ人の若者がおりまして、彼に話をしたところ、私達の夢を解き明かし、それぞれ、その夢に応じて解き明かしたのです。そしてまさしく、解き明かしたとおりになって、私は元の職務に復帰することを許され、彼は木にかけられました。」

そこで、ファラオはヨセフを呼びにやった。ヨセフは直ちに牢屋から連れ出され、散髪をし着物を着替えてから、ファラオの前に出た。ファラオはヨセフに言った。「私は夢を見たのだが、それを解き明かす者がいない。聞くところによれば、お前は夢の話を聞いて、解き明かすことができるそうだが。」

ヨセフはファラオに答えた。「私ではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」ファラオはヨセフに話した。「夢の中で、私がナイル川の岸に立っていると、突然、よく肥えて、つややかな七頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。すると、その後から、今度は貧弱で、とても醜い、やせた七頭の雌牛が上がって来た。あれほどひどいのは、エジプトでは見たことがない。そして、そのやせた、醜い雌牛が、初めのよく肥えた七頭の雌牛を食い尽くしてしまった。ところが、確かに腹の中に入れたのに、腹の中に入れたことがまるで分からないほど、最初と同じように醜いままなのだ。私は、そこで目が覚めた。

それからまた、夢の中で私は見たのだが、今度は、とてもよく実の入った七つの穂が一本の茎から出てきた。すると、その後から、やせ細り、実が入っておらず、東風で干からびた七つの穂が生えてきた。そして、実の入っていないその穂が、よく実った七つの穂をのみ込んでしまった。わた
しは魔術師たちに話したが、その意味を告げうる者は一人もいなかった。」ヨセフはファラオに言った。


「ファラオの夢は、どちらも同じ意味でございます。神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。七頭のよく育った雌牛は七年のことです。七つのよく実った穂も七年のことです。どちらの夢も同じ意味でございます。

その後から上がって来た七頭のやせた、醜い雌牛も七年のことです。また、やせて、東風で干からびた七つの穂も同じで、これらは七年の飢饉のことです。これは、先程ファラオに申し上げましたように、神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお示しになったのです。

今から七年間、エジプトの国全体に大豊作が訪れます。しかし、その後に七年間、飢饉が続き、エジプトの国に豊作があったことなど、すっかり忘れられてしまうでしょう。飢饉が国を滅ぼしてしまうのです。この国に豊作があったことは、その後に続く飢饉のために全く忘れられてしまうでしょう。飢饉はそれほどひどいのです。

ファラオが夢を二度も重ねて見られたのは、神がこのことを既に決定しておられ、神が間もなく実行されようとしておられるからです。このような次第ですから、ファラオは今すぐ、聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を治めさせ、また、国中に監督官をお立てになり、豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように。

このようにして、これから訪れる豊年の間に食糧をできるかぎり集めさせ、町々の食糧となる穀物をファラオの管理の下に蓄え、保管させるのです。
そうすれば、その食糧がエジプトの国を襲う七年の飢饉に対する国の備蓄となり、飢饉によって国が滅びることはないでしょう。」

ファラオと家来たちは皆、ヨセフの言葉に感心した。ファラオは家来たちに、「このように神の霊が宿っている人はほかにあるだろうか」と言い、ヨセフの方を向いてファラオは言った。「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにはいないであろう。お前をわが宮廷の責任者とする。わが国民は皆、お前の命に従うであろう。ただ王位にあるということでだけ、私はお前の上に立つ。」ファラオはヨセフに向かって、「見よ、私は今、お前をエジプト全国の上に立てる」と言った。
創世記41.9 ~ 41(キリスト教)


―み言選集―

メシヤは、必ず国を中心として来なければなりません。サタン世界が国を単位としているからです。それで、アベルの国を中心としてカインの国々を屈服させなければなりません。これは、ヤコブ家庭において、ヨセフの歴史と同じです。

11 人の兄弟がすべて彼を殺そうとしたのであり、エジプトに売り飛ばしたのです。ところが、彼は、エジプトに行って総理大臣になり、父母からその一族がすべて滅びそうになるときに助けてあげると、彼らがみな屈服することによって、イスラエル圏の家族基盤が復帰されたのです。
(139-300、1986.1.31)

監獄に行く人たちは、サタン世界で誰の利益を追求した人たちですか。自分の利益を得るために公的なものを破壊した人たちです。そのような人たちが行く所です。サタン世界ではそのような人を嫌い、もう一つ嫌うのが何かというと、もともと神様と怨讐なので、天の側の人が来るのを嫌います。2種類しかありません。今までこの2種類の人がその主権下で、体制下で反対を受け、監獄に行って死に、犠牲になってきたのです。このような歴史的な事実を私達はよく知っています。

天は天の側の人を立て、サタン世界の網を断ち切って天の世界の網をつくり、愛の綱にすべてつなごうとするのです。それでは、サタン世界がいくらどうにかしようとしても、びくとも動けずに手を出すごとができない天の側の人はどのような人でしょうか。そのような人がいればよいでしょう? 手を出せば損害賠償せざるを得ない、そのような種類の人はどのような人かというのです。

「サタン世界の民(注25)を、お前(サタン)が愛する以上、天の愛の基準で愛そう」という人を捕まえれば問題が生じます。何千万倍の損害賠償を支払うことが起きるのです。なぜそうなのでしょうか。

本来サタンは真の神様の愛圏の支配を受け、そこに属している自分であることを知っているので、その愛の前では神様が生きている限り、神様の目の前に出てくることはできません。そのような立場でもし被害を与えれば、歴史を通して永遠に弁償しなければなりません。

それで、歴史時代に神様はそのような天の愛をもった人を天の公義の位置に立て、この地上のサタン世界で故意に問題を起こさせて死ぬような境地に追い込むのです。打たれて死ねば、千年、万年歴史を通して損害賠償を支払わなければならないので、打たれるこの基盤を通して宗教という基盤を世界的に拡大することができたのです。そのような論理的根拠を知らなければなりません。
(167-305 ~ 306、1987.8.20)

 

③ヨセフと兄弟たちの出会いと和解

―宗教経典―

ヤコブは、エジプトに穀物があると知って、息子たちに、「どうしてお前たちは顔を見合わせてばかりいるのだ」と言い、更に、「聞くところでは、エジプトには穀物があるというではないか。エジプトヘ下って行って穀物を買ってきなさい。そうすれば、我々は死なずに生き延びることができるではないか」と言った。

そこでヨセフの十人の兄たちは、エジプトから穀物を買うために下って行った。ヤコブはヨセフの弟ベニヤミンを兄たちに同行させなかった。何か不幸なことが彼の身に起こるといけないと思ったからであった。

イスラエルの息子たちは、他の人々に混じって穀物を買いに出かけた。カナン地方にも飢饉が襲っていたからである。

ところで、ヨセフはエジプトの司政者として、国民に穀物を販売する監督をしていた。ヨセフの兄たちは来て、地面にひれ伏し、ヨセフを拝した。ヨセフは一目で兄たちだと気づいたが、そしらぬ振りをして厳しい口調で、「お前たちは、どこからやって来たのか」と問いかけた。

彼らは答えた。「食糧を買うために、カナン地方からやって参りました。」ヨセフは兄たちだと気づいていたが、兄たちはヨセフとは気づかなかった。ヨセフは、そのとき、かつて兄たちについて見た夢を思い起こした。

ヨセフは彼らに言った。「お前たちは回し者だ。この国の手薄な所を探りに来たにちがいない。」彼らは答えた。「いいえ、御主君様。僕どもは食糧を買いに来ただけでございます。私どもは皆、ある男の息子で、正直な人間でございます。僕どもは決して回し者などではありません。」

しかしヨセフが、「いや、お前たちはこの国の手薄な所を探りに来たにちがいない」と言うと、彼らは答えた。「僕どもは、本当に十二人兄弟で、
カナン地方に住むある男の息子たちでございます。末の弟は、今、父のもとにおりますが、もう一人は失いました。」すると、ヨセフは言った。「お前たちは回し者だと私が言ったのは、そのことだ。その点について、お前たちを試すことにする。ファラオの命にかけて言う。いちばん末の弟を、ここに来させよ。それまでは、お前たちをここから出すわけにはいかぬ。……

では、弟を連れて、早速その人のところへ戻りなさい。どうか、全能の神がその人の前でお前たちに憐れみを施し、もう一人の兄弟と、このベニヤミンを返してくださいますように。この私がどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい。」

息子たちは贈り物と二倍の銀を用意すると、べニヤミンを連れて、早速エジプトヘ下って行った。さて、一行がヨセフの前に進み出ると、ヨセフはベニヤミンが一緒なのを見て、自分の家を任せている執事に言った。「この人たちを家へお連れしなさい。それから、家畜を屠って料理を調えなさい。昼の食事をこの人たちと一緒にするから。」……

ヨセフは執事に命じた。「あの人たちの袋を、運べるかぎり多くの食糧でいっぱいにし、めいめいの銀をそれぞれの袋の口のところへ入れておけ。それから、私の杯、あの銀の杯を、いちばん年下の者の袋の口に、穀物の代金の銀と一緒に入れておきなさい。」執事はヨセフが命じたとおりにした。

次の朝、辺りが明るくなったころ、一行は見送りを受け、ろばと共に出発した。ところが、町を出て、まだ遠くへ行かないうちに、ヨセフは執事に命じた。「すぐに、あの人たちを追いかけ、追いついたら彼らに言いなさい。『どうして、お前た
ちは悪をもって善に報いるのだ。あの銀の杯は、私の主人が飲むときや占いのときに、お使いになるものではないか。よくもこんな悪いことができたものだ。』」執事は彼らに追いつくと、そのとおりに言った。
すると、彼らは言った。「御主人様、どうしてそのようなことをおっしゃるのですか。僕どもがそ
んなことをするなどとは、とんでもないことです。袋の口で見つけた銀でさえ、私どもはカナンの地から持ち帰って、御主人様にお返ししたではありませんか。その私どもがどうして、あなたの御主君のお屋敷から銀や金を盗んだりするでしょうか。僕どもの中のだれからでも杯が見つかれば、その者は死罪に、ほかの私どもも皆、御主人様の奴隷になります。」

すると、執事は言った。「今度もお前たちが言うとおりならよいが。だれであっても、杯が見つかれば、その者は私の奴隷にならねばならない。ほかの者には罪は無い。」

彼らは急いで自分の袋を地面に降ろし、めいめいで袋を開けた。執事が年上の者から念入りに調べ始め、いちばん最後に年下の者になったとき、べニヤミンの袋の中から杯が見つかった。彼らは衣を引き裂き、めいめい自分のろばに荷を積むと、町へ引き返した。ユダと兄弟たちがヨセフの屋敷に入って行くと、ヨセフはまだそこにいた。一同は彼の前で地にひれ伏した。「お前たちのした
この仕業は何事か。私のような者は占い当てることを知らないのか」とヨセフが言うと、ユダが答えた。「御主君に何と申し開きできましょう。今更どう言えば、私どもの身の証しを立てることができましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです。この上は、私どもも、杯が見つかった者と共に、御主君の奴隷になります。」

ヨセフは言った。「そんなことは全く考えていない。ただ、杯を見つけられた者だけが、私の奴隷になればよい。ほかのお前たちは皆、安心して父親のもとへ帰るがよい。」ユダはヨセフの前に進み出て言った。「ああ、御主君様。何とぞお怒りにならず、僕の申し上げますことに耳を傾けてください。あなたはファラオに等しいお方でいらっしゃいますから。

御主君は僕どもに向かって、『父や兄弟がいるのか』とお尋ねになりましたが、そのとき、御主君に、『年とった父と、それに父の年寄り子である末の弟がおります。その兄は亡くなり、同じ母の子で残っているのはその子だけですから、父は彼をかわいがっております』と申し上げました。

すると、あなたさまは、『その子をここへ連れて来い。自分の目で確かめることにする』と僕どもにお命じになりました。私どもは、御主君に、『あの子は、父親のもとから離れるわけにはまいりません。あの子が父親のもとを離れれば、父は死んでしまいます』と申しましたが、あなたさまは、『その末の弟が一緒に来なければ、再び私の顔を見ることは許さぬ』と僕どもにおっしゃいました。

私どもは、あなたさまの僕である父のところへ帰り、御主君のお言葉を伝えました。そして父が、『もう一度行って、我々の食糧を少し買って来い』と申しました折にも、『行くことはできません。もし、末の弟が一緒なら、行って参ります。末の弟が一緒でないかぎり、あの方の顔を見ることはできないのです』と答えました。

すると、あなたさまの僕である父は、『お前たちも知っているように、私の妻は二人の息子を産んだ。ところが、そのうちの一人は私のところから出て行ったきりだ。きっとかみ裂かれてしまったと思うが、それ以来、会っていない。それなのに、お前たちはこの子までも、私から取り上げようとする。

もしも、何か不幸なことがこの子の身に起こりでもしたら、お前たちはこの白髪の父を、苦しめて陰府に下らせることになるのだ』と申しました。今私が、この子を一緒に連れずに、あなたさまの僕である父のところへ帰れば、父の魂はこの子の魂と堅く結ばれていますから、この子がいないことを知って、父は死んでしまうでしょう。

そして、僕どもは白髪の父を、悲嘆のうちに陰府に下らせることになるのです。実は、この僕が父にこの子の安全を保障して、『もしも、この子をあなたのもとに連れて帰らないようなことがあれば、私が父に対して生涯その罪を負い続けます』と言ったのです。何とぞ、この子の代わりに、この僕を御主君の奴隷としてここに残し、この子はほかの兄弟だちと一緒に帰らせてください。この子を一緒に連れずに、どうして私は父のもとへ帰ることができましょう。父に襲いかかる苦悶を見るに忍びません。」

ヨセフは、そばで仕えている者の前で、もはや平静を装っていることができなくなり、「みんな、ここから出て行ってくれ」と叫んだ。だれもそばにいなくなってから、ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かした。ヨセフは、声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、ファラオの宮廷にも伝わった。

ヨセフは、兄弟たちに言った。「私はヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか。」兄弟たちはヨセフの前で驚きのあまり、答えることができなかった。ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか、もうと近寄ってください。」兄弟たちがそばへ近づくと、ヨセフはまた言った。「私はあなた達がエジプトヘ売った弟のヨセフです。しかし、今は、私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなた達より先にお遣わしになったのです。この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。

神が私をあなた達より先にお遣わしになったのは、この国にあなた達の残りの者を与え、あなた達を生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなた達ではなく、神です。神が私をファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。

急いで父上のもとへ帰って、伝えてください。『息子のヨセフがこう言っています。神が、私を全エジプトの主としてくださいました。ためらわずに、私のところへおいでください。』
創世記42.1 ~ 45.9 (キリスト教)


―み言選集―

神様は、ヤコブの息子12 兄弟の中で11 番目のヨセフをエジプトに売られていくようにして、死ぬような苦労をさせてイスラエルを救いました。同じように、今日この統一教会がダビデと同じ位置で、ヨセフのように犠牲になる立場で冷遇されていますが、天は彼らを立てて国と世界を救おうというのです。

神様のみ旨のためには、自分の生命やすべてのものを犠牲にして国と世界を救おうというのです。
神様のみ旨のためには、自分の生命やすべてのものを犠牲にして国と世界を復帰してさしあげようとしなければなりません。そのような群れだけが神様のコンセプトと一致するのです。

そのようなことを知っているので、先生は迫害を受けながらも恨むことなく、不平を言わず、へたばらず、最後まで撃破したのです。ヨセフが自分の兄弟たちを赦したのは、父母を赦したのと同じです。
私と統一教会がヨセフの立場で見るとき、アメリカは怨讐ですが、神様を信じるので、神様のことを考えても赦さざるを得ないのです。
(146-124 ~ 125、1986.6.8)

ヨセフは、兄弟たちにねたみ嫌われてエジプトに売られていき、ボテパルの妻の謀略で監獄に行くようになりますが、そこでパロの夢解きをしてあげ、エジプトの総理大臣になります。このとき、全世界が凶年に入り、エジプト人だけでなく、各国の人たちが穀物を買いに来るのですが、その人たちの中に自分の兄たちもいました。

自分を殺そうとしていた怨讐であるその兄たちを見たとき、ヨセフはどれほど苦しかったでしょうか。しかし、ヨセフは、彼らが自分と同じ血筋を受け継いだ兄弟の関係であり、自分が父母のそばを離れて外地で生活しているとき、それでも父母に侍り、父母の愛の対象になり、父母の愛する心が彼らを経ていったということを考えて彼らを赦したのです。
(48-312、1971.9.26)
ヨセフも11 人の兄弟が反対しました。殺そうとしましたが、それを一つにしなければエジプトの父母を助ける道がなかったのです。同様の歴史が展開するのです。先生がちょうどヨセフと同じです。ヨセフはエジプトに入っていってすべての基盤を築き、11 人の兄弟を助けてあげました。先生も、キリスト教が滅びるのを助けてあげているのですが、これがちょうどイスラエル民族を代表したヨセフと同じ責任を果たしているのです。
(137-27、1986.1.1)

ヨセフが、エジプトに訪ねてきた11 人の兄弟を許すことができたのは、なぜですか。自分がいない間に父母を養った兄弟たちであることを思えば、許さざるを得なかったのである。それと同じように、我々に反対してきた既成教団を祝福せざるを得ないのは、統一教会が現れる以前に神様に侍ってきた基準があるからである。
御旨の道、指導者


7.モーセ

モーセは、宮中の安楽な生活からミデヤン荒野の困難、そしてイスラエルの民を導いてエジプトから脱出する日から、荒野で長い間さまよいながらイスラエル民族を一つにまとめるために苦痛の闘争をするとぎまで、冒険的な人生を体験した。イスラエル同族へのモーセの熱烈な愛と全能であられる神様への確固たる信仰、この二つが常にモーセのあらゆる歩みを導いた。

聖書は、モーセが独り神様を真正面から理解していたという。文鮮明先生は、モーセの内的生活を特に注目する。イスラエルの民が苦境に直面しているとき、神様の悲痛な心情をモーセははっきりと知っており、彼らを解放しでカナンに国家を建設しようとする神様の燃える意志も感知した。したがって、モーセは神様の苦痛を減らしてさしあげるためのいかなる犠牲も克服し、イスラエル民
族が神様を受け入れられるように尽力したのである。

①モーセの民族解放への熱望

―宗教経典―

モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。翌日、また出て行くと、今度はヘブライ人どうしが二人でけんかをしていた。モーセが、「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめると、「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、この私を殺すつもりか」と言い返したので、モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。

ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき、とある井戸の傍らに腰を
下ろした。出エジプト記2.11 ~ 15(キリスト教)
モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは言った。

「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」

神は続けて言われた。「私はあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。主は言われた。「私は、エジプトにいる私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、私は降りて行き、エジ
プト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。

見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、私のもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。今、行きなさい。私はあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」

モーセは神に言った。「私は何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」神は言われた。「私は必ずあなたと共にいる。このことこそ、私があなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなた達はこの山で神に仕える。」
モーセは神に尋ねた。「私は、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなた達の先祖の神が、私をここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべ
きでしょうか。」神はモーセに、「私はある。私はあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『私はある』という方が私をあなた達に遣わされたのだと。」

神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなた達の先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が私をあなた達のもとに遣わされた。これこそ、とこしえに私の名、これこそ世々に私の呼び名。さあ、行って、イスラエルの長老たちを集め、言うがよい。

『あなた達の先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主が私に現れて、こう言われた。私はあなた達を顧み、あなた達がエジプトで受けてきた仕打ちをつぶさに見た。あなた達を苦しみのエジプトから、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む乳と蜜の流れる土地へ導き上ろうと決心した』と。
出エジプト記3.1 ~ 17(キリスト教)

主はミデアンでモーセに言われた。「さあ、エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった。」モーセは、妻子をろばに乗せ、手には神の杖を携えて、エジプトの国を指して帰って行った。

主はモーセに言われた。「エジプトに帰ったら、私があなたの手に授けたすべての奇跡を、心してファラオの前で行うがよい。しかし、私が彼の心をかたくなにするので、王は民を去らせないであろう。あなたはファラオに言うがよい。
主はこう言われた。『イスラエルは私の子、私の長子である。私の子を去らせて私に仕えさせよと命じたのに、お前はそれを断った。それゆえ、私はお前の子、お前の長子を殺すであろう』と。」途中、ある所に泊まったとき、主はモーセと出会い、彼を殺そうとされた。ツィポラは、とっさに石刀を手にして息子の包皮を切り取り、それをモーセの両足に付け、「私にとって、あなたは血の花婿です」と叫んだので、主は彼を放された。彼女は、そのとき、割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。

主はアロンに向かって、「さあ、荒れ野へ行って、モーセに会いなさい」と命じられたので、彼は出かけて行き、神の山でモーセと会い、口づけした。モーセは自分を遣わされた主の言葉と、命じられたしるしをすべてアロンに告げた。モーセはアロ
ンを伴って出かけ、イスラエルの人々の長老を全員集めた。

アロンは主がモーセに語られた言葉をことごとく語り、民の面前でしるしを行ったので、民は信
じた。また、主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になったということを聞き、ひれ伏して礼拝した。
出エジプト記4.19 ~ 31(キリスト教)
それからかれらの後、わがしるしを持ってモーゼとアロンを、ファラオならびにその首領たちにつかわしたが、かれらは、高慢で罪深い民であった。真理がわがもとからかれらに来たとき、かれらは「これは明らかに魔術である」と言った。……

かれの民のうち末輩(まっぱい)を除いては、モーゼを信ずる者はなかった、かれらはファラオ、ならびの首領の迫害を恐れていたのである。ファラオは国内において権勢をほしいままにし、まことに暴君であった。

モーゼは言った「私の人びとよ、あなたがたが、神を信仰するのであり、ムスリムであるのならば、かれにおすがり申せ」と。かれらは祈って言った「私達は神に、おすがり申す。主よ、私達を不義の民のための、一試練となされず」、「あなたのお慈悲をもって、私達を不信心の民から救い出したまえ」。……

モーゼは申し上げた、「主よ、まことにあなたは、ファラオとその首領たちに、現世の生活の栄華と裕福をお授けになります。主よ、かれらはそれで人びとをあなたの道から迷わせます。主よ、かれらの富を壊滅され、かれらの心をかたくなにしたまえ、それで痛刑を見るまで、彼らは信じないでありましょう」。

かれは仰せられた「なんじら両人の祈りは受人れられた、それゆえ、姿勢を正し、無知な者の道に従ってはならぬ」。われは、イスラエルの子らをして海を渡らせ、ファラオとその軍勢に、暴虐
と敵意にみちてかれらを追わしめた。おぼれ死にそうになったとき、「私は信仰いたします、イスラエルの子らが信仰する方のほかに、神はございません。私はムスリムのひとりであります」と言った。(かれに仰せられよう)「なんと、いま信仰するのか、ちょっと前までなんじは反抗していた。しょせんなんじは害悪をなす者のたぐいであった」。
「だが、きょうのところ、われは後の者へのしるしとするため、なんじのからだを救うであろう。だが人びとの多くはわがしるしをおろそかにする」。クルアーン10.75 ~ 92(イスラーム)
―み言選集―

モーセは、豪華絢爛なパロ宮中にとどまっている間、華やかに着飾り、食べ、歓喜にあふれる生活をしていたのではありません。彼が宮中にとどまっているとき、始終一貫、食べて、着て、寝る、その生活のどの一瞬においてもイスラエル民族を心配していないときがありませんでした。

エジプトにいるイスラエル民族の中でモーセだけが、その民族が知ろうと知るまいと、天に対する忠誠心が変わらなかったのです。皆さんには、モーセが血気盛んな人に見えるかもしれませんが、事実はそうではありません。エジプト人とイスラエル人が争うのを見てエジプト人を葬り去ったモーセの義憤心は、その瞬間に衝撃を受けて生じたものではなかったのです。

その光景を見たとき、モーセは40 年間天に向かって悲しい心で民族のために訴えた内的悲しみの心情が爆発したのです。すなわち、イスラエル選民がひどい目に遭っているのを見て、抑えられない義憤心がわき上がってエジプト人を殺しました。このように、イスラエル民族に対する愛とエジプトに対する義憤心が、そのようなモーセの行動の内的な原因だったのです。そして、そのようなモーセの行動には、摂理的なみ旨が内包されていました。

モーセが怒りに勝てずエジプト人を葬ったのは、このイスラエルの運命を心配して責任をもった立場で葬ったのであり、それはエジプト人がイスラエル民族を迫害した罪に比べれば小さなことだったので、神様は誰よりも民族のために心配するモーセを民族の指導者として立てられたのです。

しかし、イスラエル民族は、モーセを誤解し、エジプト人を葬ったことを暴露することによって、
モーセは自分の行動が露見したことを知って、仕方なくミデヤン荒野に身を隠すようになったのです。
(1-141 ~ 142、1956.7.1)


ミデヤン荒野で生活していたモーセは、パロ宮中で豪華に暮らしていたことを恥ずかしく思い、パロ王の娘が自分のためにすべての願いを聞き入れてくれた自由な環境で暮らしていた過去の富貴、栄華をすべて忘れました。

そして、羊飼いの服を着て羊の群れを追い回す無名の牧童の立場でしたが、その羊の群れを見つめて、昔の先祖アブラハムに約束されたカナンの地を慕いました。

今はたとえ羊の群れを追い回しているとしても、いつかは羊の群れを追い立てていくように民族を導き、カナンの地に入っていこうという切なる思いで天に訴えたモーセでした。モーセは、食べても飢えても、寝ても覚めても、労心焦思(心を痛め気をもみ)、そのすべての精誠を尽くして、アブラハムがソドムとゴモラの人が知らない中で彼らのために祈祷していたのと同じように、民族のために心配して祈祷したのです。


モーセは、エジプトの迫害と塗炭の中で苦役を受けているイスラエル民族を見つめるとき、骨が溶けるほどの悲しみを感じたのであり、天に向かって、「主よ! 私を御覧になってこの民族を哀れんでください!」と訴えたのです。

それで、神様は、このようにこの上ない精誠で訴えるモーセを60 万の大衆をエジプトの地から導き出す指導者として立て、人が見るとき取るに足らない、ミデヤン荒野で一介の牧童生活をしていたモーセを、先祖から伝わってきた隠れた根の貞節を継承させ、民族の代表者として立てたのです。
(1-142 ~ 143、1956.7.1)

荒野のあらゆる雨風に苦しむ悲しみを味わったとしても、それをすべてかきわけ、民族から追われたとしても、神様をつかんでいたモーセの変わらない決心があったがゆえに、民族が困難な事情に置かれ、モーセがそのような苦難の環境に入っていったとしても、民族が団結できたのであり、天はモーセを立てて摂理することができたのです。
(4-39、1958.2.23)
その後、モーセが始めた歩みは、すべて冒険的なものでした。現実を超越した神様の摂理の中心を抱いたために、彼の人生全体も超現実的なものであり、見つめるものも、出ていって闘うことも、超現実的なものでした。

神様の命令を受け、モーセがパロ宮中に行くようになるとき、神様が行きなさいと言われたその道を行くモーセを祝福してあげ、保護してあげなければならないのですが、神様はかえってモーセの行く道を妨げ、モーセを殺そうとしました。神様はどうして自分の命令を受けて行くモーセを妨害して殺そうとされたのでしょうか。現実的には到底あり得ないことでした。ここに私達人間が知り得ない内容があります。

現実的に考えてみれば、到底越えることのできない峠でした。しかし、モーセは既に覚悟した身だったので、死のうと生きようと、み旨一つだけが成し遂げられることを願う心情で、神様が妨げ、サタンが妨げる試諌の条件を越えたのです。そうして、パロ宮中で超現実的な神様の実存を確信し、10 度以上の奇跡を起こしたモーセは、4000 年の歴史上にいなかった宇宙的な冒険の革命家だったことを知らなければなりません。このようにモーセは、いかなる人の反対にも屈せず、み旨に対する超現実的な信仰で60 万のイスラエル民族を導きました。このようなことを考えてみるとき、モーセの生涯全体は超現実的な冒険の行路だったことを知らなければなりません。
(1-267、1956.12.2)


②律法を伝授し、ヘブライ人の荒野路程を導いた
モーセの苦難

―宗教経典―

主が、「私のもとに登りなさい。山に来て、そこにいなさい。私は、彼らを教えるために、教えと戒めを記した石の板をあなたに授ける」とモーセに言われると、モーセは従者ヨシュアと共に立ち上がった。

モーセは、神の山へ登って行くとき、長老たちに言った。「私達があなた達のもとに帰
って来るまで、ここにとどまっていなさい。見よ、アロンとフルとがあなた達と共にいる。何か訴えのある者は、彼らのところに行きなさい。」

モーセが山に登って行くと、雲は山を覆った。主の栄光がシナイ山の上にとどまり、雲は六日の間、山を覆っていた。七日目に、主は雲の中からモーセに呼びかけられた。主の栄光はイスラエルの人々の目には、山の頂で燃える火のように見えた。モーセは雲の中に入って行き、山に登った。モーセは四十日四十夜山にいた。
出エジプト記24.12 ~ 18(キリスト教)

モーセがイスラエルの民に言った。「あなた達は、私が律法を得るためにどれほど苦労したかを知らない。どんな苦労、どんな努力でも、私は律法のために耐え抜いた。四十昼夜を私は神と共に過ごした。私は生きている被造物である天使たち、セラフィムと共にいた。私は喜んで彼らに律法を与えた。私が苦労を通して律法を学んだように、あなた達も苦労しながら律法を学ばなければならない。そして、あなた達が苦労して律法を学んだように、あなた達の子孫にも苦労の中で律法を教えてあげなければならない」。
申命記スィフレイ(ユダヤ教)

荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。イスラエルの人々は彼らに言った。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなた達は我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」
出エジプト記16.2 ~ 3(キリスト教)

四十日四十夜が過ぎて、主は私にその二枚の石の板、契約の板を授けられた。そのとき、主は私に言われた。「すぐに立って、ここから下りなさい。あなたがエジプトから導き出した民は堕落し、早くも私が命じた道からそれて、鋳像を造った。」……

「私はこの民を見てきたが、実にかたくなな
民である。私を引き止めるな。私は彼らを滅ぼし、天の下からその名を消し去って、あなたを彼らより強く、数の多い国民とする。」

私が身を翻して山を下ると、山は火に包まれて燃えていた。私は両手に二枚の契約の板を持っていた。私が見たのは、あなた達があなた達の神、主に罪を犯し、子牛の鋳像を造って、早くも主の命じられた道からそれている姿であった。私は両手に持っていた二枚の板を投げつけ、あなた達の目の前で砕いた。主の目に悪と見なされることを行って罪を犯し、主を憤らせた、あなた達のすべての罪のゆえに、私は前と同じように、四十日四十夜、パンも食べず水も飲まず主の前にひれ伏した。……

主があなた達を滅ぼすと言われたからである。私はひれ伏して、主に祈って言った。「主なる神よ。あなたが大いなる御業をもって救い出し、
力強い御手をもってエジプトから導き出された、あなたの嗣業の民を滅ぼさないでください。あなたの僕、アブラハム、イサク、ヤコブを思い起こし、この民のかたくなさと逆らいと罪に御顔を向けないでください。我々があなたに導かれて出て来た国の人々に、『主は約束された土地に彼らを入らせることができなかった。主は彼らを憎んで、荒れ野に導き出して殺してしまった』と言われないようにしてください。彼らは、あなたが大いなる力と伸ばされた御腕をもって導き出されたあなたの嗣業の民です。」
申命記9.11 ~ 29(キリスト教)
こう言った。「私は今日、既に百二十歳であり、もはや自分の務めを果たすことはできない。主は私に対して、『あなたはこのヨルダン川を渡ることができない』と言われた。あなたの神、主御自身があなたに先立って渡り、あなたの前からこれらの国々を滅ぼして、それを得させてくださる。

主が約束されたとおり、ヨシュアがあなたに先立って渡る。主は、アモリ人の王であるシホンとオグおよび彼らの国にされたように、彼らを滅ぼされる。主が彼らをあなた達に引き渡されるから、私が命じたすべての戒めに従って彼らに
行いなさい。

強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」

モーセはそれからヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの前で彼に言った。「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、主が先祖たちに与えると誓われた土地にこの民を導き入れる者である。あなたが
彼らにそれを受け継がせる。主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」
申命記31.2 ~ 8(キリスト教)


―み言選集―

モーセがした、命を掲げて全民族の命を救援する生きた祭物になろうと身もだえしたことを、その民族は知らなかったのです。ただ神様だけが御存じでした。神様だけが友人になってくださったのであり、神様だけが父として彼に対してくださったのです。

モーセはそのような神様であられることを知ったので、40 日間食べることを忘れながら、二度とお父様に悲しみと悲運の心情をもたないようにしてさしあげようという責任感を感じ、あらゆる精誠をすべて尽くして訴えることによって、イスラエル民族を復活させることのできるみ言を受けるようになったのです。

これは喜ばしいことでした。ところが、喜びを紹介するためには、人知れず背後で悲しみの祭物となった者がいたことをイスラエル民族は知らなかったのです。もし彼らがこれを知っていれば、荒野で60 万の大衆が倒れることは避けていたでしょう。そのあとにでも、彼らがモーセの十戒に従い、天の悲しい心情を解怨してさしあげるために、自分たちの体は祭物になるとしても屈せずに進んでいこうという信仰があれば、彼らは荒野で倒れなかったのです。
(3-287、1958.1.19)

エジプトで苦難を受けているイスラエル民族を導かなければならなかったモーセは、パロ宮中で40 年間、人知れず心で悩みながら民族を愛する民族精神に燃え上がっていました。

ところが、エジプト人を殺害したことが、荒野で寂しい牧童の生活をするようになった動機になりました。そのような立場にいたモーセは、エジプト宮中の豪華なすべての栄光を一切捨て、ミデヤン荒野での苦役生活が迫ってきたとしても変わらない心を抱き、自分を愛する心よりも神様のみ旨を心配する決心をもつようになりました。

荒野のあらゆる風雨に苦しむ悲しみを味わったとしても、それをすべてかきわけ、民族から追われたとしても、神様をつかんでいたモーセの変わらない決心があったがゆえに、民族が困難な事情に置かれ、モーセがそのような苦難の環境に入っていったとしても、民族が団結できたのであり、天はモーセを立てて摂理することができたのです。
(4-38 ~ 39、1958.2.23)

モーセが天から許諾されたところの約束を受けてエジプトに入っていくようになったとき、彼は喜びにあふれていました。しかし、モーセは決してその喜びだけで満足していませんでした。

彼は、自分の民族をカナンの地に導くために生涯を捧げると天の前に訴えたその志が成し遂げられ、民族の生きる道を開拓するようになりましたが、そのような喜びだけに満足せず、これから第2
の責任を忠実に果たそうという使命感と責任感をもつようになりました。そのときからモーセは、自分を中心として行動せず、小さなことも大きなことも、どれ一つとして神様と因縁を結ばずに遂行したことがありませんでした。

こうしてモーセが暴虐なパロ宮中に入っていき、彼らの神に10 回以上の奇跡を行い、イスラエル民族を険しい荒野に導きだすようになりました。ここでイスラエル民族は、モーセと一つにならなければなりませんでした。

すなわち険しい荒野ですが、自由な環境に脱出してきたイスラエル民族は、カナンの福地に向かうにおいて、モーセの心がすなわち自分たちの心にならなければならなかったのです。彼らは、自分たちをパロ宮中から救出してくれたモーセと心が違ってはいけなかったのです。ところが、彼らはモーセと一つになれず、天倫に背く道を行くことによって滅亡するようになりました。それでは、彼らがこのように滅亡するようになった原因はどこにあったのでしょうか。

彼らは、モーセが民族の指導者になる過程で天に訴えた隠れた精誠の足場を知らなかったのです。そして、彼らは、モーセが自分たちを導いてエジプトを出発したその日からあらゆる困難を経験し、自分たちのために与えたにもかかわらず、このようなモーセの苦労と努力を理解できませんでした。それで、彼らとモーセは荒野で分かれ、結局、彼らは荒野に伏す立場になってしまいました。このように、イスラエル民族がモーセを不信した歴史的事実が、今日終わりの日の聖徒たちにも再び現れているのです。

イスラエル民族と自分か一つになれない事実に直面するようになるとき、モーセは不信する民族を叱責する前に、自分自身の不足を天に訴えました。すなわち、彼はシナイ山に登り、40 日間断食祈祷しながら、「お父様、この民族がどうして許諾された地が目の前に見えるのに、入っていくことができないのですか。その責任は誰にあるのですか。その責任は私にあります。私が責任を果たせなかったからです。ですから、私を祭物として民族の滅亡の道をふさいでください」と訴えたのです。このようなモーセの隠れた精誠の期間があったこ
とを皆さんは知らなければなりません。

もしイスラエル民族が、モーセが人知れず悲しい心で断食することが、モーセ自身のためではなく、自分たちのためであることを知っていたら、彼らはモーセの40 日断食期間に金の子牛をつくって崇拝する不信の行いはしなかったでしょう。また、彼らが民族の祝福を身代わりしたモーセが、一つの隠れた祭物として天に捧げられるようになるとき、モーセの心に同情し、彼の苦労を心配してシナイ山にいるモーセと一緒に涙を流し、天に訴えることができていれば、彼らは神様の懐を離れなかったでしょう。

このように、モーセが独りで民族を代表し、義の道を行ったように、イエス様もそのような道を行かれました。つまり、アブラハムの歴史的な犠牲とモーセの民族を代表した祭物の路程を通して、世界の中心に立てられたイエス・キリストは、アブラハムが家庭を代表してサタンの讒訴条件を防ぎ、モーセが民族を代表してサタンの讒訴条件を防いだのと同じように、世界人類を身代わりして独りでサタンのあらゆる讒訴条件を防がなければならず、勝利的な蕩減の足場を築かなければなりませんでした。
(1-143 ~ 145、1956.7.1)
カナンの地に入っていかなければならないのに、ヨルダン川で天幕をはり、「もう着いたので、ここで千年、万年暮らさなければならない」と言っているので、この天幕を破って外し、川にほうり込まなければなりません。

そのようにするときは、モーセが来て火をつけ、すべて蹴飛ばしてしまわなければなりません。ほうり込まなければならないというのです。水にほうり込むのです。ヨルダン川の水が深いと思っていたら、目を開けてみると深くありません。ひざまでしか上がってきません。川を渡っていって死ななければならないのです。体の3分の2が地についてそこで休んでもかまいません。それはサタンがもっていけません。死んでもかまいません。死んでも成功です。私達の地に入っていって……。それが長い長い40 年間の路程の目的です。……

ヨルダン川も見えない荒野の真ん中では、モーセより先に行けば死にます。そのときはモーセが「私についてきなさい」と言いましたが、ヨルダン川が見えるときは、「先に行きなさい」と言うのです。これが素晴らしいのです。ところが、イスラエル民族はすべて越えていき、モーセだけ越えられませんでした。

どうなったのですか。モーセが、「ああ、呪われる群れだ! 私を捨てて行った。死んでしまえ! 滅んでしまえ!」とは言いません。「おお、私は死んでもよいので、あなた達は永遠に祝福を受けなさい」と言うのです。モーセが手を挙げて、「神様、私より勇猛なあのイスラエル民族を御覧ください。彼らの将来を保護してください! どれほど希望に満ちた彼らだろうか!」と祈るのです。神様は、「ああ、立派な指導者だ! あなたの祈りどおりにしてあげよう! お前は平安に永眠しなさい」と言うというのです。どれほど素晴らしい死でしょうか!
(189-249 ~ 250、1989.4.9)


8.聖書の女性たち

神様の摂理の経綸において、女性たちの偉大な信仰と献身が重要な役割を果たした。イスラエルの母たちからイエスの生涯の中の重要な女性たちに至るまで、聖書は、相当な個人的代価を払いながら神様のみ旨のために努力した女性たちに関して記録している。昔の女性が生きていくのは簡単ではなかったが、このような女性たちは、神様への強い信仰を維持しながら、環境を克服するために努力してきた。

夫アブラハムを助けるために、サラは多くの逆境を克服したのであり、さらにはパロの女性になる冒険もした。バテシバは、自分の夫を殺したダビデ王の妻になったが、ダビデ王に忠誠を尽くすごとによって死んだ夫が栄誉を受けるようにしなければならないという一貫した態度で苦痛に耐えた。

一方、リベカは、息子のヤコブが神様のみ旨を具現するために選ばれたことを知ったために、息子を助けるために夫をだました。ヤコブとエサウのような立場にいたラケルとレアは、姉妹間の競争関係で互いに争った。タマルとマリヤは、神様が願われる婚外の子女を生むために自分の人生を黙って捧げた。マグダラのマリヤは、イエスヘの献身的模範を見せたが、これは12 弟子たちの人生よりも優れた事例として数えられる。

文鮮明先生は、このような女性たちの格別な人生を貫く脈絡を読み取る。彼女たちは、神様の真の血統を準備するために神様の摂理に選択された女性たちである。したがって、神様は、彼女たちの偉大な信仰的基盤を通して、女性エバの失敗を復帰できるよう、彼女たちを現実に挑戦する環境に置いたことを私達は読み取ることができる。


①サラ

―宗教経典―

その地方に飢饉があった。アブラムは、その地方の飢饉がひどかったので、エジプトに下り、そこに滞在することにした。エジプトに入ろうとしたとき、妻サライに言った。「あなたが美しいのを、私はよく知っている。エジプト人があなたを見たら、『この女はあの男の妻だ』と言って、私を殺し、あなたを生かしておくにちがいない。どうか、私の妹だ、と言ってください。そうすれば、私はあなたのゆえに幸いになり、あなたのお陰で命も助かるだろう。」

アブラムがエジプトに入ると、エジプト人はサライを見て、大変美しいと思った。ファラオの家臣たちも彼女を見て、ファラオに彼女のことを褒めたので、サライはファラオの宮廷に召し入れられた。アブラムも彼女のゆえに幸いを受け、羊の群れ、牛の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだなどを与えられた。
ところが主は、アブラムの妻サライのことで、ファラオと宮廷の人々を恐ろしい病気にかからせた。ファラオはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたは私に何ということをしたのか。なぜ、あの婦人は自分の妻だと、言わなかったのか。なぜ、『私の妹です』などと言ったのか。だ
からこそ、私の妻として召し入れたのだ。さあ、あなたの妻を連れて、立ち去ってもらいたい。」ファラオは家来たちに命じて、アブラムを、その妻とすべての持ち物と共に送り出させた。
創世記12.10 ~ 20(キリスト教)


―み言選集―

アブラハムが出発しようと言うとき、「早く行きましょう」と言ったサラのような人を考えてみてください。アブラハムがサラに、パロの前では兄と妹の関係にしようと言ったとき、サラがどのように思ったでしょうか。「この夫は、これほど苦労させて引っ張り出してきたと思ったら、今度は妻をやめて兄と呼べと言う」、このように思うこともできたのです。

彼らは道を行く途中で夕立が来てもそのまま行ったでしょう。ジプシーの群れになった彼らに、誰が一皿の食事でももっていってあげたでしょうか。きょうはこっちに、あすはあっちにとさまようそのような生活をしたのですが、そのように苦労したことを思えば、サラはアブラハムに対して、「この夫は、夜見ても、昼見ても、朝見ても、運のない夫になった。それなのに、夫の自分を兄と言えとは……」、このように思うこともできたのです。

そのような受難を経てくる中でも、サラはアブラハムの希望の道と一致することができ、何の衝突もなく一つになることができました。理想的な主体がいても、理想的な相対がいなければなりません。理想的な主体であるアブラハムの前に理想的な相対が出てきたのですが、その理想的な相対を打とうとするときは、完全な理想的主体の前に完全な理想的相対型がいるのに、これを打とうとするときは、神様が「おい、こいつ!」とおっしゃることができるのです。
(49-144、1971.10.9)

アベルよりも劣ったノアになってはいけないのであり、ノアよりも劣ったアブラハムになってはいけないのです。それでは、アブラハムの何がノアよりも優れているのでしょうか。アブラハムの妻は、アブラハムが兄と妹のように振る舞おうと言ったときも、「はい!」と言って従いました。

ところが、ノアが「妻よ、あなたと私は兄と妹のように振る舞いましょう」と言うとき、彼の妻
は反対する立場に立ったのです。そのような点からアブラハムの家庭はノアの家庭よりも優れていたのです。ノアの家庭は反対する立場でした。ノアの息子ハムは、そのように不平不満でいっぱいの母親から教育を受けたので、自分勝手に行動するようになったのです。しかし、アブラハムと一つになった母サラの懐で育ったイサクは、命が断ち切られる場でも父の命令に従いました。そのような点で、アブラハムの家庭はノアの家庭よりも優れていました。
(46-322、1971.8.17)

アブラハムは自分でも知らずに、アダムの家庭の立場を蕩減復帰する象徴的な条件を立てるために、このような摂理路程を歩まなければならなかったのである。アダムとエバが未完成期において、まだ兄妹のような立場にいたとき、天使長がエバを奪っためで、その子女たちと万物世界のすべてが、サタンの主管下に属するようになった。

したがって、アブラハムがこれを蕩減復帰するた
めの条件を立てるためには、既に明らかにしたように、兄妹のような立場から、妻サライを、いったんサタンの実体であるパロに奪わせたのち、彼の妻の立場から、再び彼女を取り返すと同時に、全人類を象徴するロトと、万物世界を象徴する財物を取り返さなければならなかったのである(創14・16)。このようなアブラハムの路程は、後日イエスが来て歩まなければならない典型路程とな
るのである。(注26)
原理講論、復帰基台摂理時代3.1.2.1

 

②リベ力

―宗教経典-

リベカは、イサクが息子のエサウに話しているのを聞いていた。エサウが獲物を取りに野に行くと、リベカは息子のヤコブに言った。「今、お父さんが兄さんのエサウにこう言っているのを耳にしました。『獲物を取って来て、あのおいしい料理を作ってほしい。私は死ぬ前にそれを食べて、主の御前でお前を祝福したい』と。私の子よ。今、私が言うことをよく聞いてそのとおりにしなさい。家畜の群れのところへ行って、よく肥えた子山羊を二匹取って来なさい。私が、それでお父さんの好きなおいしい料理を作りますから、それをお父さんのところへ持っで行きなさい。お父さんは召し上がって、亡くなる前にお前を祝福してくださるでしょう。」

しかし、ヤコブは母リベカに言った。「でも、エサウ兄さんはとても毛深いのに、私の肌は滑らかです。お父さんが私に触れば、だましているのが分かります。そうしたら、私は祝福どころか、反対に呪いを受けてしまいます。」母は言った。「私の子よ。そのときにはお母さんがその呪いを引き受けます。ただ、私の言うとおりに、行って取って来なさい。」
創世記27.5 ~ 13(キリスト教)

エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」

ところが、上の息子エサウのこの言葉が母リベカの耳に入った。彼女は人をやって、下の息子のヤコブを呼び寄せて言った。「大変です。エサウ兄さんがお前を殺して恨みを晴らそうとしています。私の子よ。今、私の言うことをよく聞き、急いでハランに、私の兄ラバンの所へ逃げて行きなさい。そして、お兄さんの怒りが治まるまで、しばらく伯父さんの所に置いてもらいなさい。そのうちに、お兄さんの憤りも治まり、お前のしたことを忘れてくれるだろうから、そのときには人をやってお前を呼び戻します。一日のうちにお前たち二人を失うことなど、どうしてできましょ
う。」

リベカはイサクに言った。「私は、ヘト人の娘たちのことで、生きているのが嫌になりました。もしヤコブまでも、この土地の娘の中からあんなヘト人の娘をめとったら、私は生きているかいがありません。」

イサクはヤコブを呼び寄せて祝福して、命じた。「お前はカナンの娘の中から妻を迎えてはいけない。ここをたって、パダン・アラムのベトエルおじいさんの家に行き、そこでラバン伯父さんの娘の中から結婚相手を見つけなさい。
創世記27.41 ~ 28.2 (キリスト教)


―み言選集―

歴史時代に神様のために自分の生命、財産、歴史的伝統やすべてのものを断ち切り、大々的な革命、天の愛の道を取り戻すために大革命をする一人の女性が必要だという結論が出てきます。

ヤコブがイスラエルになるにおいて、自分の母の後援がなかったならば、イスラエルという名前さえ、祝福さえ受けることができなかったのです。長子の特権を奪って祝福を受けることができる位置に立つことができないのです。その母は、自分の上の息子をだまし、夫をだまし、下の息子と一つになりました。

神様のみ旨のためにだましたのです。これが違うのです。長子の特権を奪うということが世の中にありますか。それを見れば、ヤコブも詐欺師であり、母もうそつきです。これがなぜ聖書にあるのですか。神様のみ旨がなぜこのように出発しなければならないのかというのです。これを今まで知らなかったのです。
サタン世界で神様の息子、娘が祝福を奪い、長子の特権を奪ったというのは、すべての世の中を取り戻してくる条件として神様が許諾したのです。ところが、サタン世界に行って公に「おいおい、お前、私はすべての特権を奪いにきたのだから、私と相談してサインしなさい」、このようにしてよいのですか。いけません。それではどのようにしなければなりませんか。「あなたがしたとおり
に私もしなければならない。あなたがしたとおりに私もする」と言うのです。

もともとあなたがしたとおりに私もするというのです。あなたがそのように奪っていったので、私もそのように奪ってくるということです。

それでは、サタンがどのようにして奪っていきましたか。うそをついたのです。その次には、アダムをだましました。息子をだまし、父をだましました。息子と父をだましたのです。さらには、夫までだましました。ですから、「あなたがそのようにしたので、私もそのようにする、こいつ!」と言って奪ってくるのです。天のお父様が天の側なので、天のお父様を中心として女性が一つになります。サタンとエバが一つになって堕落したので、神様と女性が一つになって復帰しなければなりません。女性がサタンと一つになり、アダムを引っ張っていって堕落したので、神様と女性が一つになって男性を引っ張ってくるのです。

その場とは何かというと、神様を中心とするリベカとヤコブが一つになってここに引っ張ってくる場です。自分の息子と夫を引っ張ってくるのです。このために、このようなことがあったというがすべて理解できました。
(105-18 ~ 120、1979.10.4)

エサウが母とヤコブに対して死ぬまで不満をもっている限り、その家庭は永遠に一つになれません。エサウと父を屈服させなければなりません。自然に「称賛します」と言うようにしなければなりません。息子のエサウも、父のイサクも称賛する場に立たなければ本然の位置に戻れません。


ですから、息子と父から母が精誠と苦労で涙を流し、間違っていたと悔い改め、100 回謝罪し、1000 回謝罪して赦されたとしても、ヤコブが現れるとき、その父の心、エサウの心が母の心と同じになれるかが問題です。ここから自然屈服という論理が生まれるのです。カインの立場であるエサウとサタン側の立場である父を自然屈服させなければ、復帰がなされません。

そのようにしようとすれば、その母親がヤコブの何百倍をしなければなりません。それでエサウが、ヤコブが帰ってきても殺さないと何度も約束し、何度も繰り返し誓って実行できるようにするために、母親がエサウをどれほど内外に感化させたでしょうか。母親がそのような責任を果たしたことを皆さんは知らなければなりません。
(244-240 ~ 241、1993.2.14)

エバが堕落するとき、サタンを中心として一つになりました。それでは、エバはどのような存在であり、どのような立場に立ったのでしょうか。神様を否定し、夫を否定する立場に立ったのです。ですから、戻っていくときは、男性が先に戻っていくことはできません。このようなことを蕩減復帰するためには、サタン世界の父と同じであり、サタン世界の夫と同じこのようなものに反対する女性がいなければなりません。そのような女性でなければ、こちらに戻ってくることはできないという結論が出てきます。この公式を中心として、宗教は発展してくるのです。

本来の宗教は、男性の宗教ではなく、新婦の宗教だということを知らなければなりません。ですから、女性たちが宗教生活することに、いつも男性たちは反対するのです。女性たちが神様を求めていく道では、いつもサタンが反対し、男性たちが反対するというのです。
(89-208、1976.11.22)

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世界経典-36

2022年05月29日 15時24分46秒 | 学習


④ソドムとゴモラのためのアブラハムの嘆願

―宗教経典―

主は言われた。「私が行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。私がアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」
創世記18.17 ~ 19(キリスト教)

主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。私は降りて行き、彼らの行跡が、果たして、私に届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」

その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。アブラハムは進み出て言った。「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきでばありませんか。」

主は言われた。「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」アブラハムは答えた。「塵あくたにすぎない私ですが、あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」

主は言われた。「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」アブラハムは重ねて言った。「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その四十人のために私はそれをしない。」アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」

主は言われた。「もし三十人いるなら私はそれをしない。」アブラハムは言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その二十人のために私は滅ぼさない。」

アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その十人のために私は滅ぼさない。」主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った。
創世記18.20 ~ 33(キリスト教)


―み言選集―

ソドムとゴモラの城は、神様から審判の刑罰を受けて当然の所だったのであり、アブラハムがいる所とは関係のない地域でした。しかし、アブラハムはソドムとゴモラの城が天のみ旨を知っていようと知るまいと、その民族が打たれようと打たれまいと何の関係もない人でしたが、天の前に摂理的な使命感をもっただけではなく、果たさなければならないという責任を感じたので、昼も夜もソドムとゴモラの城に対して残念に思い、心配したのです。そのようなアブラハムの内的心情が表れているのがここに書かれたみ言です。

6000 年歴史の終結時期を迎えた今日、皆さんが安らかに眠り、良い服を着て、おいしいものを食べるのは、自分が優れているからではありません。皆さんがそのように思っていては大変なことになります。

今日の世の中がこのようになっても維持し続けていくのは、皆さんの知らない人たちが背後で隠れた根になり、血涙を流す訴えの祭壇を積んでいるからです。皆さんはこのような事実をすべての人たちに知らせてあげるべき使命があるのです。

もしソドムとゴモラの城の中に、アブラハムの懇切な祈祷が天上に届き、神様と一問一答していた事実を知る群れがいたら、また、その群れの中に、アブラハムが認める義人が何人かでもいれば、アブラハムは天に懇切に訴え、ソドムとゴモラに下される審判を避けることのできる条件を提示したでしょう。

アブラハムはソドムとゴモラの城がいくら悪かったとしても、そこには何人かの義人がいることを条件として、神様に「公義で判断され、審判される父よ、義人と悪人を共に火で審判するのはお父様のみ旨ではないではないですか」と訴えることができたでしょう。

しかし、自分自身だけが、自分独りだけがソドムとゴモラを代表し、祈祷するようになることを感じたとき、アブラハムの寂しさは言い表せないほど大きかったことを皆さんは知らなければなりません。
(1-139 ~ 140、1956.7.1)

このソドムとゴモラのような地獄! これに着手してすべて解決できない日には、地上天国が滅びるのです。現在の世界の若者たちを滅ぼし得るものをアメリカがもっているというのです。麻薬の巣窟であり、淫乱の巣窟であり、あらゆる腐敗の巣窟です。それを私の手で収拾しようと思います。
(105-324、1979.10.28)

これからは、日記帳に先生が自分を何度プッシュしたか記しておいてください。100、200、2000、2 万、これが多ければ多いほど先生と同じ役事が続くのです。先生が役事する上に皆さんの名前が残り得るのです。……

それで、アメリカに来て、できる限り多くのことをしながら、多くのアメリカの人たちを苦労させるのです。そのようにして発展すれば、アメリカの福になるのであり、アメリカが神様の下さった責任を果たせなかったことを終息させることができる一つの蕩減条件になります。

そうすれば、私が、「この人たちを見てお赦しください」と祈祷できます。「神様! アメリカは滅んでも、彼らを見て滅ばないように……」。ソドムとゴモラが滅びるとき、義人が10 人いれば赦すと言われたのと同じように、「このアメリカは滅んで当然ですが、このような彼らを中心としてお赦しください!」と祈祷できるのです。
(103-200、1979.2.25)


4.イサク

アブラハムが直面した信仰の試練の中で、息子を燔祭の祭物として捧げなさいという命令より困難なことはなかった。しかし、アブラハムは、神様の命令に従った。

彼は、息子と共にモリヤ山に登っていき、息子を縛って祭壇にあげたのち、葬ろうとした正にその瞬間、天使が現れて止めた。イスラームの伝統では、この息子がイシマエルだとしているが、聖書はこの息子がイサクだと明らかにしている。

モリヤ山に行く途中、イサクの信仰も、アブラハムの信仰のように試練を受けた。イサクはこれから何が起きるか理解できるだけの年齢になっていた。しかし彼は、たとえ命を捧げても、父の願いに従うことを決心した。このような点から彼は模範的な息子である。

文鮮明先生は、私達に問う。あなたは神様の祭壇で死ぬ準備をしたイサクの信仰をもっているか。神様のみ旨のために必要であれば愛する息子を死に追いやるアブラハムの信仰をもっているか。私達は、父母の信仰を協助する準備ができているイサクの信仰をもった子女として育てているか。

―宗教経典―

これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。私が命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」

次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。私と息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」

アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物
を手に待った。二人は一緒に歩いて行った。イサクは父アブラハムに、「私のお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。私の子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」アブラハムは答えた。「私の子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。

神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。(注14)そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。

そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、私にささげることを惜しまなかった。」

アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。

アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。

主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。御使いは言った。「私は自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたが私の声に聞き従ったからである。」アブラハムは若者のいるところへ戻り、共にベエル・シェバヘ向かった。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。
創世記22.1 ~ 18(キリスト教)

アブラハムとイサクがモリヤ山に行く途中、老人に扮装したサタンに出会った。サタンは、「アブラハム、あなたはどこに行かれる途中ですか」と尋ねた。アブラハムは、「私は今、祈りに向かう途中です」と答えた。

「それでは、たきぎと火と剣はなぜもっていくのですか」、「私達はモリヤ山で何日が過ごすの
で、そこでそれらを使って食べ物をつくる予定です」、「あなたは年を取っており、またあなたの妻サラが生んだひとり息子、イサクを連れていますが、それでもあなたの息子を喜んで祭物として捧げるつもりですか」とサタンが嘲弄して尋ねた。
「神がそのようにせよと私に命じられたので、そのようにしなければならない」とアブラハムが答えた。
今度はサタンがイサクに近づき、「イサクよ、おまえは今どこに向かっている途中か」と尋ねた。「神の知恵を学びにいく途中です」とイサクが言った。「おまえは死んでからそのような知恵を学ぶつもりか。あなたの父はおまえを祭物として捧げようとしているのに」。「もし神が、私を祭物として捧げられることを願われるのなら、私は喜んでそのみ意に従います」。……

彼らが天のみ意に従っていこうとする道でイサクが父に尋ねた。「お父さん、私はまだ幼いので、剣を見て祭壇で震え、もしやお父さんを動揺させてしまうか心配です。完全な祭物を捧げたいのですが、私のために祭物が完全なものにならないか恐れています」。(注15)
創世記ラッバー56(ユダヤ教)

それでわれは、優しい思いやりのある一男児の吉報を伝えた。この子がかれと共に働く年ごろになったとき、かれは言った「むすこよ、わしはおまえを、犠牲にささげるのを夢に見る、さあ、おまえは何んと考えるか」と。かれは答えて言った「父よ、あなたが命ぜられたようにして下さい。もし神のおぼしめしならば、私は耐え忍ぶ者であることが、あなたにおわかりでしょう」。

そこでかれら両人は命に服し、かれが額で地にうつぶせになったとき、われはかれに告げた「アブラハムよ」、「なんじは、確かにあの夢を実践した」。まことにわれは、このように正しい行いの者に報いる。これは明らかに一試練であった。われは大きな犠牲で、かれをあがない、われは後の幾世代にわたり、かれのためこの祝福をとどめ、「アブラハムの上に平安あれ」とたたえさせた。

このようにわれは、正しい行いの者に報いる。まことにかれは、わが信心深いしもべであった。またわれは正しい人物、予言者イサクの吉報をかれに伝えた。そしてわれは、かれとイサクを祝福した。(注16)
クルアーン37.101 ~ 113 (イスラーム)

信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。

アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。
ヘブライ人への手紙11.17 ~ 19(キリスト教)

アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。息子イサクとイシマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った。その洞穴はマムレの前の、ヘト人ツォハルの子エフロンの畑の中にあった。(注17)
創世記25.8 ~ 9(キリスト教)


―み言選集―

アブラハムは、祝福を成し遂げるために100 歳で得たイサクまで神様に燔祭として捧げなさいという命令を受けたとき、それに従いました。その命令は歴史上になかった一つの冒険的な条件になる命令でした。

それは天地の代身として、天上のことや地上のことなど、億千万事を左右する条件でしたが、これを知らなくてもアブラハムはイサクを祭物として捧げなさいというその命令を受けたあと、息子を祭壇に置いて祭祀を捧げようとしたのです。

愛する息子を祭物とし、剣を上げて切りつけようとしていたアブラハムを、皆さん考えてみてください。これは、それこそ超現実的な儀式でした。その当時に誰がアブラハムのそのような信仰を認めることができたでしょうか。アブラハムが提示したこの冒険的な行動は、すなわちアブラハムが天に属した体であり、アブラハムの家族が天に属した体なので、アブラハムはもちろん、彼の家族と彼のすべての物質までも神様の命令に従わなければならないことを示しているのです。このような事実をアブラハムは、一人しかいない息子を燔祭として捧げる過程で悟りました。

それでアブラハムは、「この息子は私が生みましたが、あなたのものなので、あなたに捧げます」という心でイサクを献祭しようとしたのであり、現実的な環境を打開したのです。このような歴代の先祖たちの信仰の中心を皆さんは悟らなければなりません。
(1-265 ~ 266、1956.12.2)

アブラハムが「象徴献祭」に失敗したのち、再び神はアブラハムにイサクを燔祭としてささげよと命令された(創22・2)。それによって、「象徴献祭」の失敗を蕩減復帰する新たな摂理をされたのである。……

神のみ旨に対するアブラハムの心情や、その絶対的な信仰と従順と忠誠からなる行動は、既に、彼
をしてイサクを殺した立場に立てたので、イサクからサタンを分離させることができた。したがって、サタンが分離されたイサクは、既に天の側に立つようになったので、神は彼を殺すなと言われたのである。

「今知った」と言われた「今」という神のみ言には、アブラハムの象徴献祭の過ちに対する叱責と、イサク献祭の成功に対する神の喜びとが、共に強調されていることを、我々は知らなければならない。

このように、アブラハムがイサク献祭に成功することによって、アブラハムを中心とする復帰摂理は、イサクを通じて成し遂げていくようになっていたのであった。(注18)
原理講論、復帰基台摂理時代3.1.2.2

イサク献祭のときのイサクの年齢は、明らかではない。しかし彼が燔祭の薪を背負って行ったばかりでなく(創22・6)、燔祭の小羊がないのを心配げに、それがどこにあるかと、彼の父親に尋ねてみているところから(創22・7)推測すると、彼は既にみ旨が理解できる年齢になっていたことは明らかである。

そこで、我々はアブラハムが燔祭をささげるとき、イサク自身も、それを協助したのであろうということが推測できるのである。このように、み旨に対して物事の道理が分別できる程度の年齢になっていたイサクが、もしも、燔祭のために自分を殺そうとする父親に反抗したならば、神はそのイサク献祭を受けたはずがないのである。

ゆえに、アブラハムの忠誠と、それに劣らないイサクの忠誠とが合致して、イサク献祭に成功し、サタンを分立することができたと見なければならない。したがって、献祭を中心として、イサクとアブラハムとが共に死んだ立場からよみがえることによって、第一に、アブラハムは、「象徴献祭」の失敗によって侵入したサタンを分立し、失敗以前の立場に蕩減復帰して、その立場から自分の摂理的な使命をイサクに継がせることができ、つぎにイサクにおいては、彼がみ旨の前に従順に屈伏することにより、アブラハムからの使命を受け継ぎ、「象徴献祭」をささげるための信仰を立てることができたのである。(注19)
原理講論、復帰基台摂理時代3.1.2.3

お父様の前に祭物として捧げられるべき、私達自身であるにもかかわらず、そうできませんので、
お父様が追いやってでも、引っ張ってでも、あなたの祭壇まで私達を導いてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

分別のつかないイサクを連れ、モリヤ山に向かっていくアブラハムに、その子供のイサクが、祭物として使う羊はどこにありますかと聞いたときに、
「それはお前が心配することではない」と言った
アブラハムの心を察する時ごとに、その父母の心を察する時ごとに、私達を導いてくださるお父様の心に、そのどれほど悲しみが前に立っているかを感じるものでございます。
(48-57、1971.9.5)


5.ヤコブ

ヤコブは、聖書で最も偉大な勝利者であると同時に、最も多くの問題を起こした人である。彼は、賢く野心をもっていたが、兄エサウをだまして長子権を奪い、父イサクをだまして兄の祝福を横取りした。しかし、ハランで苦難を経験し、おじのラバンにだまされて不当な待遇を受けながら彼は成熟していった。

こうして彼は、彼に敵対する兄を贈り物と謙遜さで克服できたのである。ヤコブの人生の反転を通して私達は、神様に対するヤコブの純粋な信仰と、ヤコブの先祖アブラハムとイサクの神様に対する伝統を守り、永続させようとする熱望を悟ることができる。

文鮮明先生は、ヤコブが旧約聖書で最も成功した摂理的な人物であると高く評価する。彼の兄エサウと和解することによって、ヤコブは聖書の歴史で敵を愛と犠牲で屈服させた最初の人物になった。
文鮮明先生は、ヤコブの行跡を神様の摂理(人間の堕落によってすべてのものが逆さまになったことを立て直すための復帰過程)と規定される。このような見解によれば、ヤコブは摂理的な次元で多くのものを復帰した人物だった。

天使を屈服させることによってヤコブは、天使長ルーシェルに屈服したアダムの失敗を初めて復帰したのであり、彼の兄エサウから勝利することによってヤコブは初めてカインとアベルの失敗を復帰した。ヤコブは、文鮮明先生のモデルの役割となる人物であり、また逆境を克服し、過去の過ちを回復しなければならないとき、神様は私達に
ある責任を賦与されるという事実を感知する大部分の摂理的な人物にも、モデルの役割となる人物である。したがって、彼は「神様と共に戦う人」の意味で「イスラエル」の称号を受けるにふさわしい人物である。


①ヤコブとエサウの競争

―宗教経典―

イサクは、妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った。その祈りは主に聞き入れられ、妻リベカは身ごもった。ところが、胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、「これでは、私はどうなるのでしょう!と言って、主の御心を尋ねるために出かけた。主は彼女に言われた。「二つの国民があなたの胎内に宿っており、二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり、兄が弟に仕えるようになる。」

月が満ちて出産の時が来ると、胎内にはまさしく双子がいた。先に出てきた子は赤くて、全身が
毛皮の衣のようであったので、エサウと名付けた。その後で弟が出てきたが、その手がエサウのかかと(アケブ)をつかんでいたので、ヤコブと名付けた。リベカが二人を産んだとき、イサクは六十歳であった。創世記25.21 ~ 26(キリスト教)
二人の子供は成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした。イサクはエサウを愛した。狩りの獲物が好物だったからである。しかし、リベカはヤコブを愛した。

ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。エサウはヤコブに言った。お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。私は疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも
呼ばれたのはこのためである。

ヤコブは言った。[まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、ヤコブは言った。「では、今すぐ誓ってください。」エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。創世記25.27~34(キリスト教)
イサクは年をとり、目がかすんで見えなくなってきた。そこで上の息子のエサウを呼び寄せて、「息子よ」と言った。エサウが、「はい」と答えると、イサクは言った。「こんなに年をとったので、私はいつ死ぬか分からない。今すぐに弓と矢筒など、狩りの道具を持って野に行き、獲物を取って来て、私の好きなおいしい料理を作り、ここへ持って来てほしい。死ぬ前にそれを食
べて、私自身の祝福をお前に与えたい。」

リベカは、イサクが息子のエサウに話しているのを聞いていた。エサウが獲物を取りに野に行くと、リベカは息子のヤコブに言った。「今、お父さんが兄さんのエサウにこう言っているのを耳にしました。『獲物を取って来て、あのおいしい料理を作ってほしい。私は死ぬ前にそれを食べて、主の御前でお前を祝福したい』と。私の子
よ。

今、私が言うことをよく聞いてそのとおりにしなさい。家畜の群れのところへ行って、よく肥えた子山羊を二匹取って来なさい。私が、それでお父さんの好きなおいしい料理を作りますから、それをお父さんのところへ持って行きなさい。お父さんは召し上がって、亡くなる前にお前を祝福してくださるでしょう。」

しかし、ヤコブは母リベカに言った。「でも、エサウ兄さんはとても毛深いのに、私の肌は滑らかです。お父さんが私に触れば、だましているのが分かります。そうしたら、私は祝福どころか、反対に呪いを受けてしまいます。」

母は言った。「私の子よ。そのときにはお母さんがその呪いを引き受けます。ただ、私の言うとおりに、行って取って来なさい。」ヤコブは取りに行き、母のところに持って来たので、母は父の好きなおいしい料理を作った。

リベカは、家にしまっておいた上の息子エサウの晴れ着を取り出して、下の息子ヤコブに着せ、子山羊の毛皮を彼の腕や滑らかな首に巻きつけて、自分が作ったおいしい料理とパンを息子ヤコブに渡した。
ヤコブは、父のもとへ行き、「私のお父さん」と呼びかけた。父が、「ここにいる。私の子よ。誰だ、お前は」と尋ねると、ヤコブは言った。「長男のエサウです。お父さんの言われたとおりにしてきました。さあ、どうぞ起きて、座って私の獲物を召し上がり、お父さん自身の祝福を私に与えてください。」

「私の子よ、どうしてまた、こんなに早くしとめられたのか」と、イサクが息子に尋ねると、ヤコブは答えた。「あなたの神、主が私のために計らってくださったからです。」

イサクはヤコブに言った。「近寄りなさい。私の子に触って、本当にお前が息子のエサウかどうか、確かめたい。」ヤコブが父イサクに近寄ると、イサクは彼に触りながら言った。「声はヤコブの声だが、腕はエサウの腕だ。」

イサクは、ヤコブの腕が兄エサウの腕のように毛深くなっていたので、見破ることができなかった。そこで、彼は祝福しようとして、言った。「お前は本当に私の子エサウなのだな」ヤコブは、「もちろんです」と答えた。イサクは言った。「では、お前の獲物をここへ持って来なさい。それを食べて、私自身の祝福をお前に与えよう。」

ヤコブが料理を差し出すと、イサクは食べ、ぶどう酒をつぐと、それを飲んだ。それから、父イサクは彼に言った。「私の子よ、近寄って私に口づけをしなさい。」ヤコブが近寄って口づけをすると、イサクは、ヤコブの着物の匂いをかいで、祝福して言った。

「ああ、私の子の香りは、主が祝福された野の香りのようだ。どうか、神が天の露と地の産み出す豊かなもの、穀物とぶどう酒を、お前に与えてくださるように。多くの民がお前に仕え、多くの国民がお前にひれ伏す。お前は兄弟たちの主人となり、母の子らもお前にひれ伏す。お前を呪
う者は呪われ、お前を祝福する者は、祝福されるように。」

エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」

ところが、上の息子エサウのこの言葉が母リベカの耳に入った。彼女は人をやって、下の息子のヤコブを呼び寄せて言った。「大変です。エサウ兄さんがお前を殺して恨みを晴らそうとしています。私の子よ。今、私の言うことをよく聞き、急いでハランに、私の兄ラバンの所へ逃げて行きなさい。そして、お兄さんの怒りが治まるまで、しばらく伯父さんの所に置いてもらいなさい。」
創世記27.1 ~ 29、41 ~ 44(キリスト教)


―み言選集―

本来、神様の祝福を受けるためには、神様の祝福と愛を立てるにおいて長子でなければなりません。次子が神様のみ旨を相続するようにはなっていません。

堕落することによってどのようになったかというと、長子の位置にサタンの息子が先に生まれたのです。ですから、神様は、次子の位置から長子と入れ替わらなければ、神様のみ旨を相続できる道がないので、ヤコブとエサウにあったことのような、歴史にない矛盾したことを経綸せざるを得ないのです。(注20)
(102-177、1978.12.24)

神様の世界では、元から長子が祝福を受けるようになっているのであって、次子が祝福を受けるようになっていません。したがって、次子の立場で長子権を取り戻してこなければ、天の国の息子の位置に立てないだけでなく、祝福を受けることのできる原理基準を身代わりできないので……。
ヤコブが知恵深いのはどういうところですか。兄が狩りに行ってきたあとにおなかがすいていることを知り、パンどレンズ豆のあつものを与えて長子権を買ったという事実は驚くべきことです。それは、父をだましてでも、父が反対しても長子の権限を取り戻す権利があるので、そのようにしたのです。堕落したことを蕩減復帰するためには不可避だったのです。
(131-180 ~ 181、1984.5.1)

ヤコブは、「私がエサウ兄さんより何倍も粘り強く、父や母、神様に兄弟たちよりもよく仕えれば長子になる」と考えました。父母に仕えたり、神様に仕えるにおいて、兄弟を愛し、一族を接待するにおいて、エサウよりヤコブが優れているというときは、すべての人が兄エサウをほうり出してでも、ヤコブを兄にするという理論が成立するのです。

ヤコブはそれを望みました。ヤコブは本当に賢い人です。それは何かというと、ヤコブは出発と最後を見て闘う人です。ヤコブは最後を見て、遠い所を見つめて闘う人であり、エサウはその場の
現実を見て闘う人だということです。
(108-96、1980.6.29)

それで、兄の長子の特権をパンとレンズ豆のあつものを与えて買い、それをすべて奪ってこなければならないのです。羊の皮を腕に巻き、自分の父親をだまして祝福を受けたのですが、これがなぜ神様の経綸の中にあったのかということを、今まで誰も知りませんでした。

それは、なぜそのようにしなければならないのですか。神様の相続を受けるためには、長子の位置に行かなければならないというのが本来の創造理想の原則なのです。創造原理がそうです。それで、これを奪うには、ただそのまま奪うことはできません。兄が弟に売りました。売ったものを弟がもっていくのです。

ヤコブが悪いのではなく、エサウが悪いのです。長子の特権を売ったのです! ですから、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と言いました。そのように代を連結して相続することをヤコブは何よりも願ったのであり、貴く思いました。

それは何かというと、長子の位置に行かなければならないというのです。それで、20 年間死ぬほど苦労したのちにエサウ(注21)に会ったのですが、エサウはヤコブを殺そうとしました。

しかし、エサウはヤコブを殺さず、歓迎することによって、この地上に長子の特権を受け継ぐことのできる横的なイスラエル圏が成立したのです。

それでは、この堕落世界がどのようになったのかというと、長子として堕落した世界が生まれたのですが、次子である天側のヤコブが現れて長子の特権を奪ったので、また別の長子がこの地上に生まれたのと同じだというのです。

世界を中心として見るとき、イスラエルは長子圏世界において、神様のみ旨を中心としてまた別の長子と同じ立場で生まれたのです。二人の長子がいるのです。
国家的にそうです。ですから、このユダヤの国、選民圏とサタン世界のローマを中心とする全世界が、いつも対決するのです。長子の位置で闘います。それでは、選民圏とは何でしょうか。個人から、家庭から、すべてエサウの長子権を奪ったものです。
(102-177 ~ 178、1978.12.24)

長子権は復帰され、父親からの祝福はヤコブに与えられました。しかし、エサウはあまりにも怒り、前にカインがしたようにヤコブを殺そうとしたのです。
(55-112、1972.4.1)


②おじラバンの家でのヤコブの苦役

―宗教経典―

ラバンはヤコブに言った。「お前は身内の者だからといって、ただで働くことはない。どんな報酬が欲しいか言ってみなさい。」ところで、ラバンには二人の娘があり、姉の方はレア、妹の方はラケルといった。レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた。ヤコブはラケルを愛していたので、「下の娘のラケルをくださるなら、私は七年間あなたの所で働きます」と言った。

ラバンは答えた。「あの娘をほかの人に嫁がせるより、お前に嫁がせる方が良い。私の所にいなさい。」ヤコブはラケルのために七年間働いたが、彼女を愛していたので、それはほんの数日のように思われた。

ヤコブはラバンに言った。「約束の年月が満ちましたから、私のいいなずけと一緒にならせてください。」ラバンは土地の人たちを皆集め祝宴を開き、夜になると、娘のレアをヤコブのもとに連れて行ったので、ヤコブは彼女のところに入った。ラバンはまた、女奴隷ジルパを娘レアに召し使いとして付けてやった。

ところが、朝になってみると、それはレアであった。ヤコブがラバンに、「どうしてこんなことをなさったのですか。私があなたのもとで働い
たのは、ラケルのためではありませんか。なぜ、私をだましたのですか」と言うと、ラバンは答えた。

「我々の所では、妹を姉より先に嫁がせることは
しないのだ。とにかく、この一週間の婚礼の祝いを済ませなさい。そうすれば、妹の方もお前に嫁がせよう。だがもう七年間、うちで働いてもらわねばならない。」

ヤコブが、言われたとおり一週間の婚礼の祝いを済ませると、ラバンは下の娘のラケルもヤコブに妻として与えた。ラバンはまた、女奴隷ビルハを娘ラケルに召し使いとして付けてやった。こうして、ヤコブはラケルをめとった。ヤコブはレアよりもラケルを愛した。そして、更にもう七年ラバンのもとで働いた。

主はヤコブに言われた。「あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。私はあなたと共にいる。」ヤコブは人をやって、ラケルとレアを家畜の群れがいる野原に呼び寄せて、言った。

「最近、気づいたのだが、あなた達のお父さんは、私に対して以前とは態度が変わった、しかし、私の父の神は、ずっと私と共にいてくださった。あなた達も知っているように、私は全力を尽くしてあなた達のお父さんのもとで働いてきたのに、私をだまして、私の報酬を十回も変えた。

しかし、神は私に害を加えることをお許しにならなかった。お父さんが、『ぶちのものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみなぶちのものを産むし、『縞のものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみな縞のものを産んだ。神はあなた達のお父さんの家畜を取り上げて、私にお与えになったのだ。群れの発情期のころのことだが、夢の中で私が目を上げて見ると、雌山羊の群れとつがっている雄山羊は縞とぶちとまだらのものばかりだった。

そのとき、夢の中で神の御使いが、『ヤコブよ』と言われたので、『はい』と答えると、こう言われた。『目を上げて見なさい。雌山羊の群れとつがっている雄山羊はみな、縞とぶちとまだらのものだけだ。ラバンのあなたに対する仕打ちは、すべて私には分かっている。私はベテルの神である。かつてあなたは、そこに記念碑を立てて油を注ぎ、私に誓願を立てたではないか。さあ、今すぐこの土地を出て、あなたの故郷に帰りなさい。』」

ラケルとレアはヤコブに答えた。「父の家に、私達への嗣業の割り当て分がまだあるでしょうか。私達はもう、父にとって他人と同じではありませんか。父は私達を売って、しかもそのお金を使い果たしてしまったのです。神様が父から取り上げられた財産は、確かに全部私達と子供たちのものです。ですから、どうか今すぐ、神様があなたに告げられたとおりになさってください。」
創世記29.15 ~ 30、31.3 ~ 16(キリスト教)


―み言選集―

ヤコブは兄から長子権を買い、あとで神様の祝福を奪いました。そして、家を出ました。彼はハランの地に行き、おじの家で21 年間僕のように働きました。おじは彼にラケルをあげると約束しました。

しかし、7年後にヤコブをだましレアを与えました。皆さんであれば、すぐに飛びかかったでしょう。しかし、ヤコブは何も言わずにまた7年働き、結局、ラケルをもらいました。その後、おじラバンは、神様がヤコブに与えたすべてのものを奪おうとヤコブをだましました。それでもヤコブは不平を言わなかったのです。ここで私達は、ヤコブが最も孤独な境地でも神様のみ旨だけを考えたことを知らなければなりません。

彼の人生でほかのことは問題にならなかったのであり、重要なことは神様のみ旨を成し遂げることでした。それで彼は世の中からだんだんと遠くなりましたが、より多くの神様の愛を受けるようになりました。そして、21 年後には、神様が祝福してくださったすべてのものを再び取り戻し、カナンに帰ってきたのです。
(52-64、1971.12.22)

それでは、家族と親戚から追い出され、拒否される立場に立ったヤコブがその困難にどのように打ち勝てたのでしょうか。天から受けた祝福を忘れず、世の中が変わろうとどうなろうと私は変わらないという天に対する確固たる信仰があったからです。

ヤコブは、天が信じてくれなくても、私は私の家庭が全員信じるようにしよう、また祝福の遺業を取り戻し、天が摂理できる基盤をつくってさしあげようという信仰を提示したのです。そうしてヤコブは、アブラハムの家庭を通して立てようとしていた、その天倫のみ旨を継承しようという思いがあったので、21 年目に信仰の家庭を築いて帰ってくるようになりました。
(4-139 ~ 140、1958.330)

今皆さんは、ヤコブと同じ立場で「神様の祝福は私達にある」という立場に立ち、父母、兄弟の反対を受けて家から出てきたのです。ここで父母たちが反対し、兄弟たちがそれほど喜んでいない人は手を挙げてみてください。

それでは、どこに行くのですか。どこに行くのかというのです。ここではありません。ここには来られません。ヤコブが家を出て神様の前に行くことができましたか。ハランに行ったのです。故郷を離れて他の所に行くのです。
(67-123、1973.5.27)


③ヤコブと天使の格闘

―宗教経典―

皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。

「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」

「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、私の名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。ヤコブは、「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。(注22)
創世記32.24 ~ 31(キリスト教)


―み言選集―

天使が来た時ヤコブは、神様の使者として来たことを知りました。ですから、「私を滅ぼすための使命をもって来たのか、でなければ福を与えるための使命をもって来たのか」と問えば、「福を与えるために来た」と答えたので、「福をくれるならくれればいいのに、なぜくれないのか」と言えば、「責任分担が残っているのでそのままでは与えられない」と言うのです。

すなわち、ヤコブが相撲をして勝たなければ福を与えることができないというのです。言い換えれ
ば、命を懸けて闘わなければ与えられないというのです。そのような条件を懸けていて立った時、ヤコブは「よし、私の指が抜けても、私の腕が抜けても、絶対に負けはしない」と決心し、刀で打たれても放さず、首を切られても離れないという心をもって相撲をしたのです。どれくらい闘ったでしょうか。一晩中闘ったのです。お前が死ぬまで放さないという心で闘ったのです。

ここには、神様も立ち会い、サタンも立ち会っていました。それでは最後の決定をするその場で、ヤコブはどれだけ切ない思いだったでしょうか。天使が腰の骨を打ち、足の骨を折ってしまってもヤコブは放しませんでした。お前が死に、私が死に、二人とも死んだとしても、絶対放さないという思いだったのです。そのように何時間闘ったと思いますか。7 時間以上闘ったというのです。

それでもヤコブは絶対に譲歩できないというのです。そのような中で、ヤコブを見つめる神様の心はどれほど息詰まる思いだったでしょうか。神様は、「天使が今サタンを代表して闘っているので屈服してはいけない」と知らせてあげたかったのですが、そのようにできないので、どれほどあせるような思いでその時間を過ごしたか考えてみてください。

時間が過ぎて最後の決断を下すようになったとき、天使がいくら振り払おうとしても放さないので、そこで神様も公認し、サタンも公認したのです。ヤコブがそのような立場に立って、初めて天使が公認し、ついにイスラエルという名前をもつようになりました。

ヤコブが天使に勝利してイスラエルという名前をもらうようになったとき、天上世界ではどうだったでしょうか。やきもきしていた心が解放されて歓声をあげました。心に積もり積もった悲しみの深いため息をつき、「お父様!」と叫ぶその声の中には、2000 年の積もり積もった事情が問題ではありませんでした。

ヤコブが神様のために20 年間涙を流し、神様の首を抱きかかえる心情の因縁が、アダムとエバが堕落したその因縁を越えることができたので、イスラエルという称号を受けるようになったことを皆さんは知らなければなりません。
(20-229 ~ 230、1968.6.9)

ヤコブがハランでそのように粘り強く21 年間耐える訓練をしていなければ、ヤボク川で負けていたのです。21 年間闘ったすべてのことが、今日この時間に勝敗が決定することを知ったので、ヤコブは粘り強く最後まで……。底力をそこで養いました。その後、エサウを屈服させてこそ父母に会うようになるのです。これが復帰路程です。
(67-126 ~ 127、1973.5.27)

堕落とは何ですか。天使に屈服したことです。ですから、人間が天使を屈服させなければなりません。これに勝っておけば、霊的サタンの支配を受ける天使長の実体も屈服させることのできる道ができるのです。

ですから、神様は天使を送り、ヤコブを打つようにしたのです。それで、ヤコブはその闘いをする
とき、21 年分以上の力を尽くして闘いました。21 年間祝福された以上の精力を尽くし、力を尽くして闘ったのです。足が折れ、死んでも私はみ旨を成し遂げなければならないという、体は犠牲にしてもみ旨を成し遂げなければならないという信念が強かったのです。

このようにして、サタンが祝福してくれました。イスラエルという名前がここから出てきたのです。何に勝ったのですか。天使です。全天使世界に勝ったのです。そうすることによって、これかちヤコブが行く道は神様が協助するだけでなく、天使世界も屈服して協助しなければならないのです。このように霊的に勝ったので、霊的サタンが支配できなくなりました。ですから、エサウも屈服するようになるのです。
(92-285、1977.4.18)

それでは、なぜ天使はヤコブを祝福する前に、彼の腿を打ったのでしょうか。人間の堕落行為は、体のその部分、腿の誤用からもたらされたものでした。ですから、その罪ある部分を打つことにより、償いの法則は全うされたのです。

すなわち、旧約聖書にある「目には目を、歯には歯を」という法則からなされたのです。ですから、天使はヤコブを祝福することができたのです。
(55-113、1972.4.1)


④ヤコブとエサウの和解

―宗教経典―

ヤコブは、あらかじめ、セイル地方、すなわちエドムの野にいる兄エサウのもとに使いの者を遣わすことにし、お前たちは私の主人エサウにこう言いなさいと命じた。

「あなたの僕ヤコブはこう申しております。私はラバンのもとに滞在し今日に至りましたが、牛、ろば、羊、男女の奴隷を所有するようになりました。そこで、使いの者を御主人様のもとに送って御報告し、御機嫌をお伺いいたします。」

使いの者はヤコブのところに帰って来て、「兄上のエサウさまのところへ行って参りました。兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」と報告した。


ヤコブは非常に恐れ、思い悩んだ末、連れている人々を、羊、牛、らくだなどと共に二組に分けた。
エサウがやって来て、一方の組に攻撃を仕掛けても、残りの組は助かると思ったのである。

ヤコブは祈った。「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神、主よ、あなたは私にこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。私はあなたに幸いを与える』と。私は、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつて私は、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでにな
りました。どうか、兄エサウの手から救ってください。私は兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、私をはじめ母も子供も殺すかもしれません。あなたは、かつてこう言われました。『私は必ずあなたに幸いを与え、あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くする』と。」


その夜、ヤコブはそこに野宿して、自分の持ち物の中から兄エサウヘの贈り物を選んだ。それは、雌山羊二百匹、雄山羊二十匹、雌羊二百匹、雄羊二十匹、乳らくだ三十頭とその子供、雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十頭であった。それを群れごとに分け、召し使いたちの手に渡して言った。

「群れと群れとの間に距離を置き、私の先に立って行きなさい。」また、先頭を行く者には次のように命じた。「兄のエサウがお前に出会って、『お前の主人は誰だ。どこへ行くのか。ここにいる家畜は誰のものだ』と尋ねたら、こう言いなさい。

『これは、あなたさまの僕ヤコブのもので、御主人のエサウさまに差し上げる贈り物でございます。ヤコブも後から参ります』と。」ヤコブは、二番目の者にも、三番目の者にも、群れの後について行くすべての者に命じて言った。「エサウに出会ったら、これと同じことを述べ、『あなたさまの僕ヤコブも後から参ります』と言いなさい。」ヤコブは、贈り物を先に行かせて兄をなだめ、その後で顔を合わせれば、恐らく快く迎えてくれるだろうと思ったのである。こうして、贈り物を先に行かせ、ヤコブ自身は、その夜、野営地にとどまった。

その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。

ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」
「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、私の名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。ヤコブは、「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。

ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。

ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えた。ヤコブは子供たちをそれぞれ、レアとラケルと二人の側女とに分け、側女とその子供たちを前に、レアとその子供たちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置いた。ヤコブはそれから、先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した。

エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。やがて、エサウは顔を上げ、女たちや子供たちを見回して尋ねた。「一緒にいるこの人々は誰なのか。」、「あなたの僕である私に、神が恵んでくださった子供たちです。」ヤコブが答えると、側女たちが子供たちと共に進み出てひれ伏し、次に、レアが子供たちと共に進み出てひれ伏し、最後に、ヨセフとラケルが進み出てひれ伏した。

エサウは尋ねた。「今、私が出会ったあの多くの家畜は何のつもりか。」ヤコブが、「御主人様の好意を得るためです」と答えると、エサウは言った。「弟よ、私のところには何でも十分ある。お前のものはお前が持っていなさい。」

ヤコブは言った。「いいえ。もし御好意をいただけるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取りください。兄上のお顔は、私には神の御顔のように見えます。この私を温かく迎えてくださったのですから。どうか、持参しました贈り物をお納めください。神が私に恵みをお与えになったので、私は何でも持っていますから。」ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。
創世記32.3 ~ 33.10 (キリスト教)


―み言選集―

長子の位置に行かなければならないというのです。それで、20 年間死ぬほど苦労したのちにエサウに会ったのですが、エサウはヤコブを殺そうとしました。しかし、エサウはヤコブを殺さず、歓迎することによって、この地上に長子の特権を受け継ぐことのできる横的なイスラエル圏が成立したのです。
(102-178、1978.12.24)

彼は、兄エサウが自分を殺そうとしていることを知っていました。それでヤコブは、自分のすべての僕と財産を兄エサウにあげようと決めました。彼は、生涯かけて稼ぎ集めたすべてのものを兄エサウに与えようとしたのです。彼の心は、神様が兄エサウを罰せず、自分に祝福されたように兄を祝福してほしいと祈る思いでした。そのような理由でエサウはヤコブを殺そうとしなかったのであり、それでエサウもやはり神様から祝福を受けたのです。
(52-65、1971.12.22)
アベルが家庭に帰ってきて長子の職分を受け、神様の祝福を受けようとすれば、誰が公認しなければなりませんか。「あなたが長子の特権を私の代わりにもっているので、あなたが天の祝福を受けなければならない」という、このようなサインを誰がしてあげなければならないかというと、カインがしてあげなければなりません。カインがサインしなければ、カインが認めなければならないのです。同じように、エサウが認めなければヤコブが祝福を受けられないということです。

ヤコブが出ていって21 年間何をしたのでしょうか。自分の基盤をつくりました。氏族をつくり……。これをやらなければならないのです。すべての面においてエサウより優勢な基盤を築き、エサウを消化させなければなりません。

そのような運動をしなければなりません。そうしてこそ、神様が祝福してくださいます。イスラエルと祝福してくださったのと同じように、継続して祝福してくださるのです。それでお金もたくさんあり、羊もたくさんいて、すべての面でもっているものがエサウよりも多いというのです。母親との因縁をもち、父親との因縁をもち、物も送ってしきりにそのようにしました。兄にどんどん物を送ったのです。

それで、エサウが、「弟は恐ろしい。神様が本当に弟を祝福したのだなあ。長子の特権を売ったのは私の過ちだった。そうだ、私か間違ったのだから、私は弟に及ばない。これから弟が来たら反対してはいけない。歓迎しなければならない」と思ったのです。神様がアベルと同じようにされるのだなあということを分かったのです。これが私達の行くべき伝統の道です。このような公式は、どの時代にも適用されるのです。(注23)
(106-183 ~ 184、1979.12.30)

エサウは、ヤコブがハランで21 年間の苦役を終えて、天の側の妻子と財物とを得てカナンヘ帰ってきたとき、彼を愛し、歓迎したので(創33・4)、彼らは「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることができたのである。

このように、彼らは、アダムの家庭のカインとアベル、ノアの家庭のセムとハムが、「実体献祭」に失敗したのを蕩減復帰することができたのである。このようにエサウとヤコブが「実体献祭」に成功した結果、既に、アダムの家庭から「実体基台」を蕩減復帰するために続いてきた縦的な歴史路程を、アブラハムを中心とする復帰摂理路程の中で、イサクの家庭で初めて、これを横的に蕩減復帰するようになったのである。

神はエサウを胎内より憎んだとロマ書9章11 節から13 節までに記録されているが、このように彼はヤコブに従順に屈伏して、自分の責任分担を果たしたところから、復帰したカインの立場に立つようになり、ついに、神の愛を受けるようになった。

したがって、神が彼を憎んだと記録されているのは、ただ、彼が復帰摂理の蕩減条件を立てていく過程において、サタンの側であるカインの立場であったために、憎しみを受けるべきその立場にあったということをこう表現されたものにすぎない。原理講論、復帰基台摂理時代3.2
ヤコブが希望の父母に会い、兄弟に会って平和の理想を求めていったのと同じように、私達もそのような世界的な理想世界を求めていくために、カイン・アベルを復帰するための、あるいはエサウとヤコブが一つになる路程を経て、父母に会い、神様に会って世界的な主権国家の世界に入っていこうというのです。
(67-136、1973.5.27)

 

6.ヨセフ

ヨセフは、兄たちに憎まれ、エジプトに奴隷として売られていった。しかし、数年が過ぎたのち、ヨセフは高い地位に登り、自分の兄たちが食糧を求めるためにエジプトに来たとき、彼らの悩みを解決してあげる機会が生じた。

ヨセフが兄たちに憎まれて追い出され、彼らと決定的に和解した事件は、弟ヤコブと兄エサウの一生の間の反目をそのまま反映したものである。しかし、ヨセフの場合は、天の人物が強大な権力の座に登った事例である。ヤコブとは違い、ヨセフは兄たちに報復できる権力をもっていたのであり,
実際にその権力で自分の兄たちをたじろがせ、過去の彼ら自身の犯罪を自認させ得る権力を行使できた。

しかし、結局、ヨセフは、自分の兄たちを赦して助けてあげた。それは、ヨセフの兄たちが自分の父ヤコブを心から保護する善の側面を看破したからである。

文鮮明先生は、ヨセフの数奇な人生、そしてヨセフと自分の兄たちとの偶然の出会い自体が、神様の大いなる摂理的な経綸の一部だったことを明かしている。特に、兄たちに寛容を施したヨセフの動機を重視しながら、文先生は宗教指導者としてキリスト教の「兄たち」に受けた自身の迫害に適用した。


①夢見る者ヨセフ

―宗教経典―

ヨセフがその父ヤコブに、「父よ、私は夢で十一の星と、日と月を見た、私は、それがみな私に、ひれ伏しているのを見ました」と、言った。

かれは言った「むすこよ、おまえの夢を兄たちに話してはならない、そうでないとかれらはおまえに対して策謀をたくらむであろう。まことに悪魔は、人間にとっては公然の敵である」。

「このように主は、おまえをお選びになって、物語や事物の解釈を教えたまい、かれが先におまえの祖先のアブラハムやイサクに、お恵みを全うされたように、おまえとヤコブの子孫にそれを全うしたもう。まことにおまえの主は、全知者・英明者であられる」。


まことにヨセフとその兄弟の物語の中には、真理を探求する者への種々のしるしがある。兄たちが、「ヨセフとその弟は、わしらよりも父にちょう愛されている。だがわしらは勇壮な仲間である。父は明らかに間違っている」と言った。

(ひとりが言った)「ヨセフを殺すか、それともかれをどこか他の地を追え、そうすれば父の好意はおまえたちに向けられよう、その後に、おまえたちは正しい者になれるであろう」。かれらのひとりの者が「ヨセフを殺害してはならぬ、もしおまえたちがどうしてもするなら、むしろかれを井戸の底に投げ込めば、どこかの隊商に拾いあげられることもあろう」と言った。

かれらは言った「父よ、なぜあなたはヨセフを、私達にお任せにならぬのか。私達は、ほんとうにかれに好意を寄せる者ではありませんか」。「あした、私達と一緒にかれを野に行かせれば、かれらは遊んで気を晴らし、私達はかれをきっと十分に守ります」。

ヤコブは「おまえたちがかれをつれて行くのは、私にはどうも心配だ。おまえたちがかれに気をつけないあいだに、オオカミがかれを食いはしないかと恐れている」と言った。

かれらは言った「わしらは勇壮な仲間だから、もしオオカミがかれを食うなら、そのときは、わしらはほんとうに身の破滅であります」。

こうしてかれらは、ヨセフを連れて行った、そしてかれを、井戸の底に投げ込むことに決った時、われはヨセフに啓示した「なんじは必ずかれらのするこの事を、かれらに告げる日があろう。そのときかれらはなんじに気づくまい」。

日が暮れてかれらは泣きながら父に帰って来た。
「父よ、わしらは互いに競争して行き、ヨセフをわしらの品物のかたわらに残しておいたところ、オオカミが来てかれを食いました。わしらは真実を報告しても、あなたはわしらを信じて下さらぬでしょう」と言った。

かれらは、ヨセフの下着を、偽りの血で汚して持って来た。ヤコブは言った「いや、いや、おまえたちが己れのために(大変なことを安易に考えて)、一事件を作ったのだ。それで私としては耐え忍ぶのが穏当だ。、おまえたちの述べることについては、ただ神にお助けをお願いする」。

そのうちに、隊商が来て水くみ人をつかわし、かれは釣瓶(つるべ)を降ろした。かれは言った、「ああ吉報だ、これは少年だ」と。そこでかれらは一つの財貨としてかれを隠した、だが神は、かれらのしわざのすべてを熟知したもう。

かれらは安価にわずかの銀貨でかれを売り払った。かれらは、かれについて多くをむさぼらなかった。
クルアーン12.4 ~ 20(イスラーム)


―み言選集―

ヨセフが夢を見るとき、「日と月と11 の星とが私を拝みました」と言ったでしょう? 未来に起きることが夢の中に現れました。それがそのとおりになりました。そのようになったでしょう? 皆さんにもそのような夢があります。

夢を見ない人はいません。夢を見た人、手を挙げてください。夢を見て、今まで忘れない夢、3年以上たっても忘れない夢は天の啓示です。それを知らなければなりません。そのような夢を見た人、手を挙げてみてください。

皆さんが統一教会に入ってくるときも、レバレンド・ムーンを知らず、統一教会を知りませんが、皆さんは既に統一教会に入ってくる前に、昔東洋の人が来て五色人種がすべて集まり、レバレンド・ムーンについていくのを見ました。

見た人がたくさんいます。そのような人たちが統一教会に入ってきた人には多いのです。
そのようなことがなぜ起きるのでしょうか。それはすべて霊界で人間を教育するための方法が残っているというのです。そのような段階で教育するための方法が残っているので、そのようなことが起きるのです。教えであげる方法も神様が教えてくれるのでしょうか、天使たちが教えてくれるのでしょうか。階級によってすべて違います。様々な階級を通して教えてくれます。自分の先祖が現れて教えてくれることもあります。ですから、昔さんがこれを見分けるのは難しいのです。
(91-274、1977.2.27)

 

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