人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

御言葉選集1(5、6、7)

2023年05月04日 14時30分42秒 | 学習
文鮮明先生御言葉選集 1 - 5. イエスの様に復活の栄光を神様に向けよう (1956年5月27日)

1956年5月27日(日)、元本部教会 
聖書拝読 マタイによる福音書22:34-40


<祈祷>
 愛するお父様、イエス様は信仰のないイスラエル民族に対して、パリサイ人とユダヤ人達に対して悔い改める事を何度望んだのでしょうか。

 安息の睡眠を成せなかった程に追い込まれたイエス様の路程が私達の心の中で、イエス様の心情を解らないと言う事が言えず、その心情に似なくては行く事ができないこの時間になる様に許して下さい。また、そのような心が私達の中に現れれる事が、お父様が求められる事です。また私達が望む願いではないでしょうか。

 今イエス・キリストが歩んできたその路程を、イエス・キリストが残して行った神の福音の御言葉を代わりに背負って億千万のサタンと戦って勝利の栄光をお父様の前に返す責任が私達にある事を、この時間心の中に感じる様にしてください。そうして、イエス様が天に対して切実な心情を抱いた様に、今日私達も天に向かった切実な心を持たせてくださいます様に。

 天を信じて集まった全ての群れに対して堂々と出てきたイエス様の凛々しい態度の様に、私達もお父様の命の御言葉、真理の御言葉を信じ、堂々と出ていける子供達になる様に許してください。

 今日の私自身をイエス様の前に誇らない様にしてくださり、今日の私の事情をお父様の前に示さない様にしてください。この時間、お父様の前に不平を言う者が多いので、恥ずかしい者にならない様にしてください。
   1
 イエス様のような立場を取る事ができ、お父様の心に代わる者と成れる様に導いてください。イエス・キリストのご意志に代わって、万民の前にいつでも、いつまでも恐れずに現れる事を望むのが、お父様の願いであると言われる様に、お父様、ここに復活した子供達を覚えてください。毎日呼んでくださり、毎日命令してください。

お父様の御心を成し遂げる為に、イエス・キリストの代わりに戦っていく事ができ、父の御心の前に同行する聖徒達になるよう導いて下さる様に、私のお父様、導いて下さる様にと願っています。

お父様、イエス様は反論を受けた時にも天の為に言われました。いつお父様を置いて反論した時がありましたか? 父の意志一つを握って心配しながら、その意志を立てるために戦われました。

お父様、これらの私達を許してください。今、私達のお父様の意志を万民の前に堂々と叫びましょう。お分かりください、お勧めし、探して来て、自慢できる場所に立ててください。それを愛してくださり、導いて下さる様に、お父様、切にお願い致します。

この時間の初めから終わりまで、父の力ある御手が一緒にいてくださり、私達が優しく謙虚な子供のような心を持たせてください。尊厳のある父の前に生きた供え物としてささげられる子どもになり、本来の自我で再創造できるこの時間になる事をお許しください 。

   2

この時間多くの御言葉が必要ではありませんので、命の感動の歴史が心の中全体に響く様にしてくださり、父の喜びを歌う事ができ、父の栄光を証しできるよう、御言葉で私達の体の中心を目覚めさせてください。懇切にお願いし、主の御名によってお祈り申し上げました。アーメン。


<御言葉>
 この時間の皆さんと考えようとする御言葉のタイトルは、「イエス様の様に復活の栄光を神様に向けよう」です。イエス様の様に復活の栄光を神様に向ける為に、このような題名でしばらくお話しします。

エデンの園は永遠の神様が栄光を享受し、被造万物が神様に歓喜の崇拝をささげて喜んで生きる園です。このような園を作る事が神様の創造目的でした。また人間は神様が望む希望の栄光を地上に現わさなければなりませんでした。この様に、神様の栄光を実体で表さなければならないのが、私達の先祖アダム・エバの責任でした。

神様が創造理想を成し遂げて喜ばれようとした本然のその園は、人間が堕落する事によって成し遂げられませんでした。それで、これまで全人類は復活の栄光を願いながら闇の勢力と対決し、戦いの道を経ているのです。これが6千年の歴史の路程でした。

神様はこれまでの歴史を経過しながら、全体的な復活の栄光と全体的な復活の大業を成し遂げ、この地上の被造創生と霊界の千千万天軍天使、そして被造万物までも神様の栄光を歌って感謝の礼拝の日を迎えようとしました。その一日を迎える為に、神様は数多くの預言者達をこの地上に送られ、4千年の歴史が経過した後に神様自身の内的心情と外的実体を備え栄光の実体に送ってくださった彼がまさに独り子イエス・キリストだったのです。

   3

この様に、神様の栄光の存在が現れたので、全世界は楽しく感謝を返さなければなりませんでした。その結果、イエス様は悲しみの嘆きと恨みの嘆きを残さなければならなかった事を皆さんはよく知っています。

イエス様が残した御言葉を今日私達が見る様になる時、彼の御言葉を信じない民のみについて叫んだ御言葉ではありません。万民について仰ったのです。イエス様は神の為に死を覚悟しました。残りの道ではなく、行く事ができない運命の道である事を知り、堕落した人間が、ある時、ある歴史の過程で神様の為に心を尽くし、精誠を尽くし、愛を尽くせませんでしたが、これを知ったイエス様は堂々と叫びました。「皆さんの心を尽くし、愛を尽くし、思いを尽くして皆さんの神を愛してください」と堂々と言われました。皆さんはこの一言の言葉が皆さん一身のみに該当する御言葉としか考えてはいけません。

それでは、この一言の言葉は何を表す言葉ですか? イエス様は4千年の歴史の過程に染み込んだ神様の切ない内的心情を切実に感じました。そうして、自分が神様を解放しなければならない責任を感じ、いつの時でも、自分は今まで4千年の歴史過程になかった心を尽くす代表者にならなければならず、命を尽くす代表者にならなければならず、心を尽くす代表者にならなければならない事をここで改めて天の前に明らかにされたのです。

天の栄光がイエス様の栄光として現れ、イエス様の栄光が万民の栄光として現れ、万民の栄光が生きた被造万物のどれにも及ばなければならなかったのです。ところが、イエス様とイスラエル民族が断たれた事で、イエス様一身になされるべき復活の栄光、感謝の栄光は、今日人類の希望として残された事を皆さんは知らなければなりません。

イエス様は神の栄光に代わって現れました。神様の為に自分の心を尽くして思いを尽くし、御心を尽くされた一つの存在、歴史の過程になかった勝利の結果が、まさにイエス様だったのです。ですから、イエス様一身には神様の心情が籠っている事を知らなければなりません。さらに、皆さんはイエス様が心を尽くす前に、まず神様が心を尽くされた事を知らなければなりません。イエス様が御心を尽くす前に、まず神様が御心を尽くされた事を知らなければなりません。そしてイエス様が精誠を尽くす前に、まず神様が精誠を尽くされた事を知らなければなりません。この様に、福音として貴重な存在として現れた方がイエス様であったと言う事です。

   4

ですから、イエス様のこの真理の御言葉は、絆で感じられる事を通じた言葉ではなく、人間創造理念を通じた御言葉でした。これを皆さんは知る必要があります。

今日、皆さんは神様が送られた御言葉が自分だけを愛して下さったと考えてはなりません。そしてイエス様がそのような御言葉を下さったのは、神様が自分を立てる為に苦労されたその御心を自分が今実体的に成し遂げなければならないと考えました。神様がイエス様を尽くしたのと同様に、人間が神様に対して尽くす責任があると証したその御言葉をまだ成し遂げられないまま残っているのです。

したがって、今私達は心を尽くし、愛を尽くし、精誠を尽くして神様を敬う必要があり、神様自身がまず心を尽くし、心を尽くし、精誠を尽くして私達を見つけ出された事を知らなければなりません。

神様は4千年間、人間についてどんな心を持って来られましたか? 自分の為に心を持ってこなかったのです。すぐに死んでしまう人であり、苦しんでいる人間でしたが、神様は人間達に対して心を尽くす立場から、我慢の4千年の歴史路程を歩んできた事を皆さんは知らなければなりません。

この様に不変の愛の心を持って4千年間我慢し、戦い、愛して来られた神様の心情を知らなければなりません。このような神様の前に現れたイエス様は、イスラエル民族を中心とした神様の国を築く為に、自分の心を尽くしました。ですから、イエス様の30余年の路程は、心を尽くす犠牲の期間だったのです。30余年の路程において、民族の前に自分を表わさず、黙々と4千年間我慢してきた天の心情を掴もうとしてきました。

   5

こうしてイエス様は4千年の歴史過程においてサタンと関係した紆余曲折の歴史事実を感じ、それを霊界で内的に証拠を受けて明らかにされたのです。さらに、4千年の歴史の中に隠されている天倫の秘密を明らかにし、神様の内的な我慢の実体を成し、外的な実体を30余年に立てなければならない責任を担ったイエス様であった事を皆さんは知らなければなりません。

ですから、イエス様は難しい立場に置かれれば置かれるほど自我を求める立場にありましたが、探して考える事はできませんでした。イエス様は、神様が4千年の歴史を経てイエス様自身を探す為に忍耐して来られたその一つの心、人間一人一人を探す為に忍耐されたその神様の心を感じ、その心を解放するための実体として現れる為に30余年準備の生活をされた事を皆さんは知らなければなりません。

神様はこれまで誰に対しても自分の立場を言い表しませんでした。万民に対して言い訳ができず、敵のサタンについても言い訳をしませんでした。神様のこのような全体の心情を相続しようとするイエス様であったので、孤独な立場に置かれても、誰にも言い訳せず忍耐されました。このようなイエス様の忍耐の生活を皆さんは学ばなければなりません。

ところが、神様はイエス様の為に忍耐され、イエス様は自分の為に忍耐されたのではなく、お父様の為に忍耐されたのです。つまり、イエス様は神様が自分を探す為に時間を掛けて歩んできた事を感じ、自分の為に忍耐されたのではなく、神様の為に忍耐されたと言う事です。

この様に、イエス様が30余年間自身を離れ、神様の為に忍耐された天使長サタンの忍耐を上回りました。サタンはこれまで神様が4千年間我慢してきた道、その道を破壊する為に活動してきました。しかし、サタンが忍耐した以上のお父様の心情があった事を知っていたイエス様は、そのお父様を信じてお父様の様に忍耐したため、心情の化身となったのです。

   6

この様にイエス様自ら神様が4千年間我慢してきた心情の基台の上に立って、それを勝利の基台としてサタンと戦うにあたって、忍耐心を持って戦って勝ったが、実体的な勝利の基盤を持てなくなったときには、神様が4千年間我慢して来られた心情は破壊される様になった事を皆さんは知らなければなりません。

イエス様が30余年の寿命を通して自分が我慢できない環境に置かれる様になっても神様の御心をめぐって忍耐したので、またサタンが我慢できない立場から神様の御心を受けたので、また我慢した者の表象として立てられました。ですから、イエス様はサタンに対して戦う事ができる主人公になったと言う事です。

神様はイエス様を探すのに4千年の歴史の流血の路程を経られました。また、人間は自分の個人の欲望を成し遂げる為に生きる様な中でも、神様は人間の為に戦いの歴史路程を歩んできました。この様に神様は4千年間サタンと戦ってきましたが、神様は自分を中心に戦わなかったのです。

ところが、サタンが今日まで戦ってきた目的は、自分の栄光のためでした。また、これまでも自分を中心に神様と戦ってきていると言う事です。しかし、神様は自分の為に戦わなかったのです。神様が戦う目的は、サタンの下にある貧しい人類のためであり、選ばれた民族を通してイエス様を打ち出す事でした。

それではイエス様はどのような存在として現れましたか。神様が4千年間サタンと戦って勝った勝利の代わりの実体であり、化身として現れたのです。イエス様はこの様に神様に代わる戦いの主人公としてこの地に来られたのです。それでイエス様が内的に勝利の基準を立てた神様の御心を継承し、外的に勝利の基準を地上に立てなければならない責任を負い、実践していた路程がまさに3年共生の愛の路程でした。

   7

 この3年の愛の期間において、サタンは自分一人の勝利の為にイエス様と戦ったが敗北したので、再び民族を動員してイエス様と戦わせたのです。

 しかしイエス様は、3年の愛の期間に、いかなる困難な戦いの場にも決して自分を中心として戦った時が無かったと言う事です。イエス様は「父が行った事を見て行なう」と言われました。神様の代わりに戦う化身であり、神様の内的な心情を吐露する、神様の代わりの実体として3年の生涯路程を歩んだのです。イエス様は自分を言い訳する様な戦いをしませんでした。

 神様が自分の為の言い訳をする事ができなかったのと同じ様に、イエス様自身も万民の前でサタンと戦う立場では自分の為の言い訳をしませんでした。神様が4千年間摂理して来られたその苦労について変わらない心を持って神様を受けいれたイエス様でした。

 神様の御心の摂理の戦いの路程で現れたこの事実を悟ったイエス様は、神様が内的に立てられたその全体の御心を外的にも成し遂げる為に戦いを展開されたのです。ところがイエス様とサタンの戦いにおいて、サタンは自分の為に戦いましたが、イエス様は天の為に戦ったと言う事です。ここで勝利の基準が立ったと言う事です。

 それでは、サタンが敗北した原因は何ですか? 自分の為に戦ったからです。サタンの戦いの目的は自分にありました。しかし、イエス様は戦いの目的を天に置きました。そしてイエス様は、「神様が変わらないこの摂理の終わりまで変わらない」という心を持って精誠を尽くして戦ったので、勝利の基準を立てたのです。また、神様が心を尽くし、精誠を尽くしたのと同様に、イエス様も人類の前にそのような姿勢を見せてくださったというのです。

   8

 そして、イエス様は神様の内的な心情に代わって、すべての困難と悲しみに耐えながら愛された神様の心情を引き継ぐ事ができました。ですから、イエス様は自分がどこにいても、神様の御心、神様の愛に代わる実体としてサタンと戦っていきました。

 イエス様はサタンとの戦いの過程で、サタンが自分の目的を中心に攻撃する様になったとき、その影響はイエス様だけに及ぶのではなく、神様にまで及ぶ事を知っていました。ですからイエス様はどんな受難に遭われても神様が私の為に我慢された様に、また万民の為に我慢された様に、そして当時までの摂理路程でサタンに対して神様が戦ったのと同じ様に、30年余りの生涯を一人で忍耐しながらサタンに対して戦ったのです。この様に、十字架上で亡くなるその瞬間までのイエス様の生涯は、神様の実体として、ずっと神様の愛を体恤し実践して示された生涯なのです。イエス様の生涯路程、神様の愛を実践された路程は、サタンと戦いながら歩いた試練の路程だったと言う事です。

 しかし、なぜ神様はイエス様をサタンに与えたのでしょうか。それは神様がイエス様を愛していなかったからではありません。神様がイエス様を愛しているのに、どれくらいまで愛されたのか、皆さんは知っていますか? 神様の最高の愛は実際の死を越えた場で受ける事を皆さんは知らなければなりません。ですから皆さんは神様の代わりに来られたイエス様の愛を受ける為には、死の峠も越える事ができるという切実な心を持たなければなりません。そんな時にはサタンが屈服しなければならないからです。

 4千年の間、神様は一人で全世界を眺めながら悲しみ、心配されてご苦労されました。それでイエス様は自分のすべてを忘れて神様の為に戦っただけでなく、死の場でも自分のための欲望を持たなかったため、復活の力を表わす事ができました。今日、私達もイエス様のような勝利の過程を経なければなりません。

 イエス様は神様の永遠の命を所有し、神様の栄光を示す為に自分のすべてを捧げました。そして罪ある人間の為に自分の命を供え物として捧げました。私達は、サタンが反対する事を忘れるほどの立場で、人類の為に手を挙げて祈ったイエス様の愛を知る必要があります。
   9
 サタンの世界で表現できない愛をイエス様は示したので、サタンが彼の愛の前に屈服しなければならなかったのです。サタンは自分を表すばかりでしたが、イエス様を通して恥ずかしさを感じる事になったのです。その様にして、十字架によって4千年間摂理されてきた神様が苦しくなり始めたばかりでなく、人間も堕ち始め、そしてサタンも苦しみ始めたというのです。これを皆さんは知っておくべきです。

 イエス様が亡くなった事をめぐって、神様と人間だけが悲しんだわけではありません。 イエス様の愛の死をめぐってサタンも悲しむ様になったというのです。ですから、サタンの悲しみが大きくなればなるほど、イエス様の愛の実はより多くなる事でしょう。

 イエス様は、自分の愛を実証して十字架の勝利で、最後に4千年の間摂理してくださった神様と不変の縁を結び、不変の勝利、不変の愛の実体となったのです。イエス様は天と地、人間の代わりに神様と一つになったので、神様が変わらない限り、イエス・キリストも変わる事ができなかったと言う事です。

 神様は4千年間栄光を示そうとされましたが、その御心が成されなかった為にイエス様を立てて初めてその御心を成し遂げようとされたのです。それでイエス様は人間を通して、その意志をこの地上に表わそうとされました。そのような神様の4千年摂理の証拠としての実体として現れなければなりませんでした。

 しかしイエス様は神様の永遠の実体であり、4千年の間摂理してきた神様の栄光を見せてくださったのですが、それが何かというと復活の栄光だったというのです。これを皆さんは知る必要があります。

   10

 その復活は4千年の歴史において初めて天の栄光に代わったものであり、4千年間のサタンとの戦いに勝利した栄光に代わったものでした。イエス様がこの様に勝利的な基準を霊的にも実体的に見せてくださったので、神様は死んだイエス様を再び起こし、新しい摂理を展開する様になったのです。イエス様が十字架に掛けられる事によって4千年の摂理歴史の責任を引き受け、先祖達の責任を引き受けて天の栄光に代わって霊界に行ったのが復活昇天だったと言う事です。

 この様に、イエス様は内なる神様の栄光をこの地上に実体的に成し遂げるため、すなわち神様の完全な栄光を示す為に来られた方です。なぜなら、完全な栄光は内的な栄光と外的な栄光が一体とならなければならないのです。イエス様はまさにこの使命を完成する為に来られたのです。

 神様の栄光が完全に成し遂げられる為には、神様の内的な栄光の実体として来られた独り子イエス様とユダヤ民族が離れず一つになって、イエス様の中にある神様の内的な栄光が地上の栄光にならなければなりませんでした。しかし、神様の4千年の摂理歴史を引き受けて、神様の栄光を地上で実現させなければならないイエス様がユダヤ人の不信によって十字架に掛かる事によって、天の内的な栄光は霊的な栄光になったと言う事です。ですから、イエス様は未完の栄光を持って昇天されたのです。

 イエス様は昇天した後、霊界で神様が4千年間サタンに対して繰り広げられた天の戦いと、人間を復帰する為に繰り広げられた地の戦いと、御心を成し遂げるための摂理の戦いを聖霊に代わって愛の戦いをしておられるのです。つまりイエス様は霊界に行って神様がしてくださったこの戦いを引き継いで神様の代わりに戦っておられるのです。

 それでは、4千年間摂理してきた神様の前に人間に代わって万物に代わって、天の愛に代わられたイエス・キリストが真に勝利しなければならないのはどこですか。変わらずこの地だと言う事です。

   11

 それでは、今日地上に残っているこの戦いの路程を誰が責任を負わなければならないのでしょうか。イエス様が霊界で神様の内的な戦いを引き継ぎ、戦っておられますが、聖霊と私達は地上で力を合わせ、内的な戦いと内的な摂理を実体的に完結するための愛の戦いで勝利する為に全部が協力しなければならないと言う事です。

 この戦いは精神的にしか戦えない戦いではありません。霊界と共に戦わなければならないと言う事です。そして、その戦いで勝つべき運命が私達人間に残っている事を皆さんは知る必要があります。つまり、イエス様が霊界で神様の内的な戦いを引き継ぎ、これまで戦ってきた事と、この地で30余年の命を犠牲にして、人類の救いの為に戦って来た事を、私達が引き継がなければならない事が私達の運命であると言う事です。

 だから今、皆さんは、「父よ!イエス様よ!聖霊よ、私に力を与えてください。」と祈り、叫びながら、地上で天の歴史的な願いを叶える為に全力を尽くさなければなりません。

 イエス様はこの地上に神様の4千年の苦労の結実体として来られ、神様が望んでいた最初の完成体として来られた方です。しかし、イエス・キリストは約30年の生涯にわたって成してきた道が残っていました。そして3年の期間、共に生きて愛で戦った路程にも、神様の栄光を完全に果たせなかった恨が残り、また十字架で血を流された愛の心情が地上に残っていると言う事です。そのような中で、今日、私達はイエス様が地上でできなかった使命を引き継ぎ、神様とともに行かなければならないと言う事です。そして私達は私達の生涯の努力をすべて捧げ、イエス・キリストの道を継承していかなければならないと言う事です。

 それでは、今日私の一人の人生をお父様の前に立てて批判してみるとどうなりますか?イエス様は神様の御心を成し遂げる為にサタンと戦いました。そのようなイエス様に皆さんは似ていかなければなりません。そしてイエス様はお父様の前に自分の一生を立てて勝利の戦いを展開したのがある一日ではなく、30余年の命の期間であった事を知らなければなりません。6千年間摂理されたお父様の心とその意志を成し遂げる為に切なくなっていたイエス様の心、聖霊の心を知らなければなりません。
   12
 そうして今日、皆さんが忍耐しなければならない路程に心を尽くして忍耐できないなら、皆さん一人の故に、6千年間悲しんでいた神様の御心、イエス様が生涯捧げられた事、イエス様が亡くなって以来、聖霊が2千年間苦労した意味がすべて挫折してしまいます。これを皆さんは確かに知っておくべきです。ですから今、皆さんはこのみ旨のための戦いを展開しなければなりません。

 イエス様は敵の反論をたくさん受けました。その城から追われたら別の城に訪ねて行き、ここで説教をすると言うようにあちこちに避けて行きました。そのような中でもイエス様は自分の一身を言い訳する事ができませんでした。天の運命全体を持って来られた為に、そのような事を示す事はできなかったのです。そうして、無言の戦いの路程を経てきたイエス様、さらに十字架に掛けられても自分の働きを忘れて神様の御心と愛を中心として証しする為にサタンと戦われたイエス様でした。

 ですから、今あなた方がイエス様を探し求めて愛する心があるなら、それはイエス様を悲しませるものではなく、喜ばせるものです。あなた方はこのような事を思い浮かべて、今日、あなた方がイエス様の代わりに30年以上の使命を果たし、そして今日まで耐え続けてこられた神様の心を代わりに感じ取らなければなりません

 4千年間、神様の御心を実現するために祭壇を築き、民族を通じて使命を果たしてきた預言者たちの心を代わりに感じ取らなければならず、また人間を愛したイエス様の心を見習わなければなりません。そうして今日あなた方はイエス様が自身を立てず、自分を愛せず、勝利の基準を立ててサタンを屈服させたことと同じ行動をする必要があります。そして、6千年にわたるすべての闘いを終わらせなければなりません。

 皆さんは、真理のすべての戦いの路程で勝利しなければなりません。また、天の御意を証する戦いで勝利しなければなりません。皆さん自身がイエス・キリストに代わらなければなりません。4千年の間、神様が忍耐された御心、忍耐された栄光、忍耐された愛の勝利の心情を支えなければなりません。イエス様が自分自身を忘却し、ただ天の御心だけを成し遂げる為に苦労された様に、皆さんも自分自身を忘却し、神様が望む全体の栄光を実らせなければなりません。心と体で勝利の結実を結ばなければならないと言う事です。
   13
 そうしてこそ心ではイエス様の栄光を歌う事ができ、体では聖霊の栄光を歌う事ができると言う事です。そして私達が心ではイエス様の復活の栄光に代わって、体では聖霊を通した復活の栄光に代わらなければ、聖霊は復活の栄光の場に出る事ができないと言う事です。イエス様は復活昇天できる栄光を備えましたが、聖霊はまだ復活昇天できる栄光を持っていません。

 今日まで6千年間摂理してきた神様の栄光に代わる、栄光を備えた一人の実体が出てこなかったのです。今はイエス様の愛による勝利の栄光に代わる人が出てこなければならず、聖霊によってイエス様が復活の栄光の場に立つ事ができる人が出なければなりません。皆さんがイエス様が神の4千年の摂理の目的を成し遂げる為に体と心で戦う一つの実体として現れなければ、6千年間摂理してくださった神様の御心は栄光として現れない事を知るべきです。

 それでは、今後私達はどうすべきか。皆様の意志と、皆様の心と、皆様の愛を備えた聖霊がこの地に来られた事を知らなければなりません。ですから、天の御心に代わっていたイエス・キリストの代わりに実体、 聖霊の代わりに実体がこの地に現れなければ、神様の御心は成されません。皆さんはこれを知る必要があります。今日、皆さんは命を与えてくださったお父様の前に感謝しなければなりません。そして皆さんはこの地上で聖霊まで解放させなければならない責任を担っている事を知らなければなりません。

 ところが今日この事が成されなければ、神様の6千年摂理の目的は成されません。ですから今日皆さんは神様とイエス様、聖霊が望む御心を成し遂げる為に、すべての戦いの路程に勝利しなければなりません。三位神の復活の栄光を示す為に、その戦いの限界、忍耐の限界を越えなければならないと言う事です。





文鮮明先生御言葉選集 1 - 6. 統一しようとする神様の愛の御心を成し遂げよう (1956年6月6日)
1956年6月6日(水)、元本部教会。

 今日ささげようとする御言葉のタイトルは、「統一しようとする神様の愛の御心を成し遂げましょう。」です。このようなタイトルでしばらくお話しします。この御言葉は皆さんが自分の信仰生活で最も重要な御言葉としてよく知り、よく覚えており、よく暮らすための生活の中心と考えている御言葉です。
   14
 アダムの堕落によって神様の御心が成し遂げられなかったため、今日まで歴史の路程を経て復帰摂理は繰り返されています。

 神様と人間が一つの御心を中心とし、一つの愛に調和して生き、全天地が神様の愛を受けながら、その愛を実際の命の中心に立てて全てが一つになって生きる事が神様の創造本然の願いでした。ところがアダム・エバが堕落する事で、神様の愛は神様の愛だけに残る様になりました。つまり、人間と関係を結ばなければならない神様の愛は、人間と関係を結べず、人間から離れる様になり、全被造界から去る事になりました。

 それで、神様は皆さんが立てようとするその愛を中心にしてきた万物を統一し、神様と万物が一緒に楽しむ事ができるその一日を望みながら、今まで6千年の歴史を経てきました。しかし、まだ神様の愛を中心として被造万物が一つに統一されていないまま、その神様のこの理念は理念通りに残り、探さなければならない希望の愛もそのまま残っていると言う事です。ですから、神様はその御心の願いを成し遂げる為に、これまで摂理されておられます。

 この様に、神は人間の堕落以来、これまである時代を問わず、神の希望を成し、人間を信じる事ができる心と愛する事ができる一つの心を探す為に長い間摂理されて来られましたが、まだそれらを成し遂げられず、見つけられずにいらっしゃると言う事です。

 私達が天の摂理歴史を振り返ってみると、神様はアブラハム一人を立て、人間に対する希望と理想と愛の変わらぬ基準を立てようとされた事が分かります。このような神様の御心が成し遂げられる日が来なければなりません。そのような愛の中心が立てられる日が来れば、神様と人間と関係が結ばれる様になり、その結ばれた関係の土台によって神様は新しい理想の喜びを味わう事ができるのでアブラハムを選んで立てたのです。ところが、アブラハムが愛の中心を立てる事ができなかった事により、神様はそれ以来イエス様の時代に至るまで、天の愛の意志を立てるための足場を作って来られたのです。
   15
 ですから、イエス様までの4千年の歴史は、全摂理の御心の前において、神様の願いと信仰と愛を成し遂げた一つの実証的な存在を立てなければならない期間でした。そのような存在を立てなければ、神様の願いと信仰と愛はそれぞれ別々に分離され、いつの時期にも統一が見られない働きになるので、神様はまず希望の基盤を準備されました。そうして、その基地の上に信仰の基地を置き、その信仰の土台の上に愛の地位を置こうとしたのです。

 それで後にはこのすべてを結実した一つの実体、すなわち、全体の希望の実証体、全体の信仰の実証体、全体の愛の実証体を天の地の前に立てる事ができる一日を迎えようとしたのです。しかし、もしそうした一日を迎えられなければ、神様の愛を中心として統一の理念は、この地上に成就する事ができなくなるのです。

 その一日を立てる為に、神様はアブラハムから始まり、モーセを経て洗礼ヨハネに至るまで、4千年の摂理歴史を3段階に分け、願いの場を準備しながら苦しんだのです。そのような希望の土台の上に一つの実体として現れた方が誰だったのか、まさにイエス・キリストでした。イエス・キリストは、神が4千年にわたって望まれた一つの実体として現れた存在であったので、神様が4千年間にわたって希望を持って摂理してきた総ての実体でした。

 それからイエス様がそのような結実体でこの地上に来られたのは何か、それは神様が路程で建てられた新約の福音、すなわち信仰の福音でした。その後、この信仰の福音を中心として、今日まで2千年の歴史が経過しました。

 そうすると、その信仰の福音を失した基盤の上に天の地に代わって、全体の愛の実体として現れる一つの存在が誰なのかとすれば、すぐに来ると言われた再臨主である事を皆さんが知らなければなりません。では、神様は再臨時代に何をされますか。来られる再臨主を中心として、これまで準備してきた信仰の土台の上に一つの命の種を蒔いて結実させるためのものが、神様の6千年摂理歴史の目的である事を皆さんが知っておくべきです。
   16
 今日、私達は神様を自分の希望の主人公として見ており、信仰の主人公として見ています。また、私達の愛の主人公として見ています。この希望と信仰と愛の主人公としておられる神様は、人間が歴史の過程で希望に代わる旧約時代、信仰に代わる新約時代を経たので、今後は愛に代わる成約時代を経なければなりません。

 では、そのような成約時代、すなわち再臨時代において永遠の不変の一つの中心要素として残る事ができるのは何ですか? それは神様の愛なのです。それは全体の中心要素であると同時に全体の理想要素になるのです。

 そのため、これまで人間はこの愛の為に希望の摂理路程と信仰の摂理路程を経てきました。しかし今愛の摂理路程を皆さん一人が歩まなければ、神様がこの地上に愛を中心として、この地上に築かなければならない統一の足場は崩壊してしまうという事実を皆さんが知らなければなりません。

 希望の基盤の上に信仰の中心として現れたイエス・キリストは、この地上に信仰を立てるための御言葉を伝えました。もしこのようなイエス・キリストをその当時人間が信仰の実体として受け入れたならば、すなわちイエス様を神様の4千年摂理歴史の望みの結実体、永遠無窮な信仰路程における信仰の中心存在、また永遠な神様の愛を証し統合する事ができる一つの実体として知られていたら、その当時の人間達はイエス様の様に一人の人として永遠に愛の神様の願望を持つ事ができ、永遠に無窮な神様の信仰を持つ事ができ、永遠に無窮な神様の本然の愛を体恤できたでしょう。

 ところがユダヤ民族の不信でイエス・キリストが亡くなったので、今日、私達は信仰路程で霊的な希望の実体だけを完成し、霊的な信仰の実体だけを完成し、霊的な愛の実体だけを完成する様になったというのです。
   17
 それでは、神様の愛の勝利の基準は何ですか? 天上天下のどんな人物でも神様の愛を中心に動かすのです。ところが、その神様の愛の実体として来られたイエス・キリストが十字架で亡くなられて、そのすべての御志が崩れてしまいました。

 イエス様は、神様が4千年間のご苦労を伴った希望の存在です。もともと人間の先祖が神様と一体になる事を望んだのが、アダム・エバの堕落で目が覚めました。ですから、イエス・キリストを中心として神様の理念と一つになって、霊的に大切な信仰の実体として現れるべきだったのですが、霊的な面でのみ完結しました。

 ですから今日、私達はもうイエス様が残していったそのみ旨を受け継いで成し遂げなければなりません。イエス様の一身が霊肉を持った一つの希望の実体になったのと同じ様に、私がそのような人になって彼に代わる事ができなければなりません。また愛を中心とした一つの実体だった様に、私がそのような人にならなければなりません。そうして、神様の前に立ってイエス様の希望と信仰と愛に代わって進み、聖霊の希望の実体として、聖霊の信仰の実体として、聖霊の愛の実体として、その使命に代わらなければなりません。

 これがイエス様が来た道の後の、今日この地上の人間がお父様の前に成し遂げなければならない使命であると言う事です。したがって、私達がその使命を果たす様になると、イエス様の希望の終結、聖霊の希望の終結を見る事ができます。さらに、イエス様の信仰と聖霊の信仰、イエス様の愛と聖霊の愛の終結を見る事ができると言う事です。そうすれば、皆さんがそのすべてを終結する事ができるその日を成してこそ、この地上に再臨主が現れるのです。

 神様の希望は神様自体のものではなく、人間のための希望でした。神様の信仰も神様のものではなく、人間のための信仰でした。また、神様の愛も、神様自身のための愛ではなく、人間のための愛だったと言う事です。そのため、人間がそのような神様の願いに代わり、信仰に代わり、愛に代わる事ができなければなりません。そんな時に、そのような人間一人自体を、全体の希望、全体の信仰、全体の愛に代わる存在として、神様が万物万象の前に誇る事ができるというのです。
   18
 言い換えれば、それ自体を、このすべての物が望む希望の中心体である事を誇る事ができると言う事です。また、被造万物、つまり天地にあるどんな存在物でも信じて生きる事ができる主人公として自慢できると言う事です。それだけでなく、すべての存在が愛する事ができる一つの個の中心体として誇る事ができると言う事です。

 イエス・キリストが神の愛に代わる中保的な存在として現れたのと同じ様に、今日私達はイエス・キリストの希望と信仰と愛を受けて、この地上のあらゆる邪悪な人の前に一つの希望の実証体、信仰の実証体、愛の実証体として現れなければなりません。

 そのような存在にならなければ、どこに行ってもイエス・キリストの希望の基準、信仰の基準、愛の基準を蕩減する条件を成立させる事ができないと言う事です。ですから今日、私達はこのサタン世界の前に神様の願い、神様の信仰、神様の愛の実体として現れたイエス・キリストに報いなければなりません。

 しかし、イエス・キリストの部分的な願いについて答えるのではなく、イエス・キリストの部分的な信仰について答えるのでもありません。全体に応えることができなければなりません。人々は今まで、この地上にひとつの基準を見つけて建て、それに応えようとしてきましたが、全体に応えることができませんでした。しかし、イエス様は三人の弟子を通してそのような過程的な形を表現したかった事を皆さんが知らなければなりません。

 それでは、信仰の結実体として現れた人は誰だったのか。それはペテロでした。また希望の結実体として現れた人は誰だったのか? これはヤコブだったのです。そして愛の結実体として現れた人は誰だったのか? これはヨハネでした。
   19
 この三人がイエス・キリストの福音の一部の部分を責任を持って持つ様になって進み、今日私が希望の実を譲り受け、信仰の実を譲り受け、愛の実を譲る事ができる様になり、そして摂理歴史はその様に流れてきたと言う事です。そのため、三人が和合して一つの完成体で完結しなければならないのが最後の道です。これがイエス・キリストがこの地上に残した最後の教えだったと言う事です。

 ですから、今日皆さんが最後の完成者として現れる為には、イエス・キリストの代わりにならなければなりません。ところで、もし皆さんがキリストの三弟子を根にした一つの不変の実体として立たなければ、三弟子を立てて行かれた新郎になったイエス様の前に出る事ができなくなります。これを考えると、今日私達は私一人でペテロを建てた信仰の希望を成し遂げなければなりません。ヤコブを立てた希望の実を出した自らで成し遂げなければなりません。ヨハネを立てたその愛の実を出した自分自身で収めなければなりません。

 このような皆さんになるならば、つまり皆さんが終わりのイエスの前に立つ一つの花嫁になるならば、皆さんは神様が6千年間にわたって憂いて来たみ旨が自分自身で結実されたと言う喜びを感じる様になり、父の前に感謝を捧げる様になるでしょう。

 さらに皆さんは、神様がこれまで6千年間望んできたみ旨が、イエス様の愛を中心に成し遂げられたという、全宇宙に代わって成し遂げられたというその喜びの事実を示さなければなりません。そうして神様が喜んで愛する中で、その愛の喜びを感じ、父の前に感謝できる皆さんにならなければならないというのです。この事が今日の皆さんに歴史的な責任として残っている事を知る必要があります。

 では、皆さん自身が「アバ、父よ!」と呼びながら希望の結実を備えなければならない時、信仰の結実を備えなければならない時、愛の結実を備えなければならない時となりましたが、今皆さんに求めるものは何ですか? 神様は6千年にわたって希望を抱き続けました。その愛情を感じることが大切です。また、6千年にわたって信仰を築くために努力されたその努力を感じることが大切です。そして、神様が愛を実現するために繰り返し犠牲を払われた6千年の苦労を感じなければなりません。
   20
 イエス・キリストによって、神の4千年にわたる希望の実現にかわって実践的な功績を打ち立てたことが信仰の歴史であり、その信仰を実践的な業績に置き換えたものが霊的な歴史でした。そして、その後に愛を実践的な業績に置き換えたものが統一の歴史でした。

 この様にイエス様は希望として摂理の道を立て、神霊としてそこに種を植えて繁殖させ、それを統合しようとしたのです。

 従って、今皆さんは神の愛、イエスの愛、聖霊の愛を実現しなければなりません。そしてイエス様の希望が神の希望に変わる時代が再臨時代であり、イエス様の信仰が神の信仰に変化する時代が再臨の時代である事を知る必要があります。

 もしもイエス様の希望の結実、イエス様の信仰の結実、イエス様の愛の結実が皆さん自身で果たされていないとするならば、皆さんは再び神の新たな希望の中心を探し出して建てなければなりません。神様の新しい信仰の中心を見つけ、神様の愛の中心を見つける必要があります。これが皆さんに与えられた課題です。

 それでは、それらを見つけるために、あなたたちはどうすればいいですか?あなたたち自身がイエス様の希望を実現し、聖霊の希望を引き継ぎ、イエス様と聖霊の信仰を引き継ぎ、イエス様と聖霊の愛を引き継がなければなりません。そして、「父よ、私たちは聖霊の苦労を知っています。聖霊の希望を知っています。聖霊からの信仰を受け入れてきた歴史を知っています。」と言えるようにならなければなりません。
   21
 そうなのです。私たちは、イエス・キリストの希望、信仰、そして愛を理解し、その教えに従って生きることが重要です。これによって私たちは、自分自身と周りの人々に対してより良い影響を与え、神との関係を深めることができます。このように、父なる神の前に立つことができる唯一の存在が今日この地上に現れなければならないことを、皆さんは知る必要があります。

 その唯一の存在はどのような存在でしょうか?その唯一の存在が持つ希望はキリストの希望であり、信仰はキリストの信仰であり、愛はキリストの愛です。しかし、その唯一の存在がこれらを神の希望、神の信仰、神の愛によって終結させるとき、神はキリスト・イエスの希望として残された目的を達成し、その意志を確立することができます。

 それ故、その唯一の存在は神の代わりに、イエス・キリストが祈っていた歴史、そして今でも私たちのために神の右側に立って祈っている方のそのような歴史を超越し、更に肉体を持った完成体として天の前に立つことができなければなりません。また、そのような存在がキリストを通して天国の喜びを共有することで、ようやく神と人が一つになれるのです。実体を完結する必要があることを知る必要があります。

 そのため、今日私たちは、神が4千年間苦労して建てられたキリストの心、またキリスト以降2千年間苦労された再臨主を建てようとした心を知らなければなりません。

 そして今日、私たちは、イエス・キリストが精神的な完成の立場を超えて、肉体的に完成させなければならない希望の実体を完成させられず、信仰の実体を完成させられず、また愛の実体を完成させられなかったその実体を完成させる責任があることを知る必要があります。
   22
 イエス・キリストの愛を中心にして来られる再臨主を立てておき、神様と関係を結ばなければならないと言う事です。それでは、今日私達はこの為にどの様にすべきですか? 実証的な 希望の実体として現れ、信仰の実体として現れ、愛の実体として存在しなければなりません。そのような皆さんの土台の上に再臨主が来られるなら、神様がイエス・キリストを立てて望んでいたその望みが皆さんで決まる事になります。ですから、その再臨主は私の全体の希望として現れ、私の全体の信仰として現れ、私の全体の愛として現れると言う事です。

 ところが、再臨主がその様に愛と望み、信仰として現れる様になったとき、皆さんは皆さん一人で喜べる事ではありません。その喜び、希望がイエス様であったので、イエス様に感謝しなければなりません。私が信仰の実体となったと言う事に感謝しなければなりません。その時、天地全体が皆さんに応え、皆さんは愛の実体となることができるようになります。これによって、天地全体が動いているという感覚を皆さんは持つ必要があります。

 そのような状況の中で、あなたたちは神様がイエス・キリストに対して希望されたことを希望を実現するための実践の努力を通して開拓しなければなりません。また、信仰を代替する心情の歴史を開拓しなければなりません。そして、愛を代替する思いやりのある生活を実践し、統一の歴史を成し遂げ、全ての人々が栄光に値する人々となるべきです。

 そのため、最後に神様の愛を成し遂げる為には、実践的な希望、心霊的な信仰、心霊的な愛をすべて備えなければなりません。その時、私達は主を迎え、永遠に生きる事ができると言う事、神様を祀って永遠に生きる事ができると言う事です。

 そして、今日の私たち自身は、天国の喜びで満たされ、地上のすべての生き物の前に喜びで満たされ、人間の前にも喜びで満たされるべきです。そのようにして、世界中が同じように感じながら、永遠に生き続けることができる時代を皆さんが建設する必要があります。
   23
 ゆえに皆さんがいる場所ごとに、そこは神の希望の実践の場であり、信仰の実践の場であり、愛の化身的な場であるべきです。そして、神が望まれることが地上で実現され、イエス・キリストを通じて神が達成しようとされた希望が私たちによって実現され、地上のすべてのものにつながらなければなりません。また、神の喜びが人間を通じて万物につながるようになったとき、神が望んでいた統一の歴史が成就することになります。

 それゆえ、今日、皆さんは自分が神の前に希望の存在として立つために、まず天地万物を代表して希望の実りとして喜ぶことができたか自問自答しなければなりません。さらに、今まで地上の数多くの人々が信じてきた信仰の全体を代表して喜ぶことができる存在になり、そして神から愛され、愛するその愛の感覚を感じることができる存在になれたかどうかを問いかける必要があります。

 しかし、全てのものの完成形として現れる存在は誰でしょうか? それは当に再臨主です。つまり、再臨主は全体の希望、全体の信仰、全体の愛を代表して現れる方なのです。しかし、再臨主が現れる時、皆さんは彼の希望、彼の霊的な信仰、彼の愛を所有するために準備をしなければなりません。また、その時には、神の御旨を成すために、行くべき所に行かなければならず、行わなければならないことを行わなければならないのです。ですから、皆さんは今この地上の腐敗した世界に住む人々の感情を超越した希望の実体、信仰の実体、愛の実体として現れなければならないのです。もし、このような存在がこの地上にいるのであれば、再臨主はそのような存在を探しに来るのです。

 それでは、そのような存在を訪ねる目的は何ですか?イエス・キリストが残された使命を実体で完結しなければならない使命の為に訪ねて下さるのです。6千年前から神様が望まれた霊肉を中心としたその御旨を成し遂げようと訪ねて来られると言う事です。

 したがって、そのようなみ旨を条件として隠れた存在がこの地上に現れる様になるとき、どんな存在でも彼を希望の存在として、信仰の存在として、愛の存在として祀る事ができなければなりません。愛を中心に統一の理念が成し遂げられた一つの世界は、希望も過ぎて、信仰も過ぎ去った世界です。ですから今、皆さんには愛を中心とした自分の生活に天上天下が答える日を成し遂げなければならない重大な責任があると言う事です。
   24
 いくら再臨主がこの地上に来るとしても、人間の実践的な足場がなければなりません。いくら永遠の神様の愛に代わる存在であっても、人間、まさに皆さんの足場がなければならないと言う事です。これらの重大な責任が皆さんにあると言う事です。したがって、今日、皆さんの個人は24億人類に代わって、今まで天上にある億兆の先祖に代わっている事を知る必要があります。さらに、私の一人の存在は、天地のすべての存在が望む存在であると言う事です 。

 したがって、今後はそのような気持ちを持って、食べたり飢えたり、病気にかかったり死んだりしても、あなた方は生活の中心を証明し保護することができなければなりません。そして、自然界を通じて神に栄光を捧げることができるこのような歴史をあなた方が果たす必要があります。あなた方は今日、この重大な責任を負っています。

 それでは、皆さんの過去の信仰生活を見たとき、希望を成し遂げる事ができる個体になっているのでしょうか。信仰であると言える実体、愛の完成者であると言える実体になっているかという事が問題です。

あなた方がそうなった時、イエス・キリストの希望、イエス・キリストの信仰、イエス・キリストの愛が、あなた方から神の希望、神の信仰、神の愛に対して一体になるでしょう。ですから、今後はイエス・キリストを通じて残された神の希望、残された神の信仰、残された神の愛を感じることができるようになるべきです。

 その様に感じる人がいるなら、彼は神様の直接の賜物を得ている人です。また、そのような人は神様の願いを示す事ができ、神様の信仰を示す事ができ、神様の愛を示す表現ができる方です。もし皆さんがそのような存在になれば、皆さんがどこに行っても神様の希望を分かち合う事ができ、どこに行っても 神様の信仰を分かち合う事ができます。
   25
また、あなた方がそうすれば、再臨される主を地上で神の代わりに迎え入れることができることを忘れてはなりません。


<祈祷>
 愛するお父様、天地が秘めた意志の世界が実現できなかったのは、全て神の責任だと思っていましたが、人間の堕落によって私達にも責任があることを知りました。

 神の永遠の希望が残っている限り、今日私達にも永遠の希望が残っており、神の永遠の信仰の意志が残っている限り、私達にも永遠の信仰の意が残っており、神の永遠の愛の実践が成し遂げられます。負けない限り、今日私達にも永遠の愛の実体を成し遂げる責任が残っている事が分かりました。

 この日に蕩減的な歴史を受け継ぐ為に、私達は4千年の願いを受け継いで6千年の願いとして、4千年の信仰を受け継いで6千年の信仰として、4千年の愛を受け継いで6千年の愛として表さなければなりません。神様の前に立って6千年の願いを永遠の願いで、6千年の信仰を永遠の信仰で、6千年の愛を永遠の愛として立てなければならない責任が私達に残っているので、今日、私達の不十分と不足をお許しください。この私達の不十分さと不足さを容認してください。私一人自体を高めて立てる事を容認してください。

今、万民の希望を結実させなければならない時となり、万民の信仰を結実しなければならない時となり、万民の愛を一つの実体として表わすべき時となったのですが、その一つの実体がどこに存在していますでしょうか?まともな私達であっても、新しく花嫁に重生しなければならない自分達である事を知って覚醒させてください。
   26
そうしたときに内的な面で完結を成し遂げたイエス・キリストの苦労の歴史が外的な私達を通して結実でき、再臨以降を実践でき、外的な歴史を展開できる事を知っています。

今日、天地の中心的な役割を担当しなければならない人が誰なのかというと、終わりの再臨の歴史を前にしている聖徒達だと思っています。お父様はそのような人々に永遠のお父様の願いを任せたいと考えても、彼らがその望みを引き受ける者になったのか、永遠のお父様の信仰を任せようとしても、その信仰を引き受ける者になったのか 、永遠の神の愛を任せたいと望んでも 、引き受ける者になったのか心配されます。

その全てを主の代わりに引き受けて、お父様の前に永遠に不変な姿として、お父様の愛に属する人になる事で、今は永遠の希望の種族になった者として立たなければなりません。永遠の信仰の種族になった者として立たなければならず、永遠の愛の種族になった者として立たなければなりません。これらの責任が私達に分担されている事を知ってください。

選択されたイスラエルの一つの勝利的な中心実体としておられるイエス・キリストの目的を今日、私達一人一人で成し遂げ、全体に代わる希望の実体を備え、信仰の実体を備え、愛の実体を備えなければなりません。今再臨の歴史の後には、キリストがこの地上に来て行かれたその全てに代わる、すなわちイエス・キリストの希望の実体として立たなければなりません。信仰の後継者にならなければなりません。愛の後継者にならなければなりませんのでこれをよく知ってください。

今、堕落の峠を越えなければならない復帰過程に置かれている私達がお父様の希望を引き受け、お父様の信仰を引き受け、お父様の愛を引き受けますと言えなければなりません。そしてその希望、信仰、愛をお父様の前に返せなければなりません。そうしてお父様の前に愛され得る勝利的な存在になってこそ、最後に最後の栄光に代わる資格者となるのです。今日ここに集まった子ども達に、お父様が皆さんは私の願いの存在、私が信じられる者、私が愛する事ができる者といえる姿になる事を許してください。
   27
さらに、天地万物の前で宣言し、判決の恩恵を受け、和平の条件を設定できる勝利の子どもたちに導いていただきたく、切に願っております。父よ、どうか私達を導いてください。

そのため、お父様の喜びがこの地の喜びに移り、お父様の愛がこの地の愛に移り、お父様の希望と信念がこの地の希望と信念に移される必要があります。再臨を迎える中で、平凡な喜びをお父様の前にもたらすことができるように許してください。そして、お父様の意志が地球を中心とした私達によって達成される栄光を、全ての世界に示すように歴史を導いてください。

私達の生活を通じて、生涯を通じてモーセの栄光を讃えることができるように、モーセの愛によって私達全員が一つになることを許してください。そして、全世界の24億人を含め、天にいる数多くの聖徒たちをも統合して、神の御心を達成することが自慢となるように、達成された希望、信仰、愛を永遠に自慢できる条件として、天地の中心に立てるように許してください。このように祈りを捧げ、全ての御言葉を主の御名によってお祈り致しました。アーメン。





「文鮮明先生の選集1-7:私達は負債を全額返済する人になろう」(1956年6月10日)

聖書拝読 マタイによる福音書18章21-35節

<祈祷>
 お父様の美しさが全てのものに表れ、お父様の手が触れたものは神秘的で輝きに満ちています。人間の美という創造目的を追求し続ける父なる神の心を、私達は共感し、お父様の愛の前に美しさで応えることを許してください。

 私達の心がお父様によって創造された本質的な心として現れることを許してください。私達の体が罪に染まらず、創造直後の純粋な体として美を表現することを許してください。私達の心と体が神の愛と心を代表して、神が動けば私達も動き、神が決めれば私達も決められる完全無欠な本質を持つように許してください。
   28
 これがお父様が今までに復帰説歴史を歩んでこられた一つの基準であったことを知ることができます。

 今私達が求めなければならないのは私達自身の心、達成しなければならないのは私達自身の体です。それを見つけ、実現できるようにお許しください。そしてお父様の本性の美を代表して礼拝できる存在として立たせてください。お父様の前で感謝と栄光の歌を歌うことができるように許し、私達がこれがお父様の目的であったことを骨身に感じることを許してください、お父様、切に願い申し上げます。

 私達は堕落の血統を受け継いで、自分自身が気づかないうちに自分を中心とした生活を送ってきました。天地を離れ、自分を中心に動く存在になってしまったのです。これを振り返り、天地を見据える本来の心の叫びに従って導いてください。本心の動きが私の体を刺激し、天が取り戻せる本来の自我を見つけられるようにお許しください。

 私達は腐敗の血統を継いでいることに気づかず、自分自身が中心となる生活を送ってきました。天運を離れて自分自身が中心となり動く者となってしまいました。このことを反省し、天運に対応するための本質的な心の叫びに従って導いてください。本心の動きが私の体を刺激して、天が取り戻すことができる本質的な自我を見つけることをお許しください。

 そして、私達が喘息する人類のために嘆き悲しんで、天地の全ての嘆きを和らげ、謙虚になってお父様の前で礼拝できるように、私達をお父様の愛する子供たちとして立ててください。愛するお父様、切にお願い申し上げます。
   29
 ここに集まった全ての子供たちを、一人一人手厚くお受け取りください。彼らは1週間中、世界と戦って傷跡が残っているかもしれません。彼らの心と体は、お父様の意志を完全に信じたいと思っていますが、サタンの策略によりサタンの犠牲者になった人々もいますが、それを容認してください。

 彼らが受けた傷を癒すことができるようにお許しください。お父様の慈悲の愛で抱きしめてください。愛の油を注いで、完全にしてください。お父様、切にお願い申し上げます。

 今、私達がお父様に差し出す贈り物がなくても、柔和で謙虚な心をお父様の前に出し、体と心に染み付いている全ての罪を告白して悔い改めることができるように、この時間をお許しください。お父様の前に真っ直ぐに立てる様にこの時間をお許しください。尊厳あるお父様の愛が運行する力に自然に吸収され、お父様と一体化した波動の歴史を体と心で感じることができるこの一時をお許しください。お父様、切にお願い申し上げます。

 今日ここに集まった僅かな群れを育ててくださったお父様、これまで私達が困難な道を歩むときに一緒に歩んでくださったり、孤独な時に友達になってくださったり、争うときに盾になってくださったのは、私達が優秀であったからではなく、お父様の隠された愛の大きな光と大きな慰めが共にあったからです。ですから、今日この命を託してお願い申し上げます。

 お父様、お父様の望まれる意志をこの時、愛で表現してください。お父様が主張される意志を、私達がお父様に代わって尊敬し、称賛することのできる恵みをお許しください。私のお父様、家族があちこちに散らばってお父様に向かって礼拝の祭壇を築き、天の前で祈っておりますから同じ恵みと愛で現れてください。それによって、最後に残され、任命された使命を与えられた場所で遂行することができるように許可してください。全体が繁栄の中心を崇拝できるように許可してください。
   30
 三千万の人々の前に、新しいみ旨を伝えることができるように許可してください。刺激的な新しい衝動を引き起こして、悪い道に行かないように、善い道へと導いてくださりお父様の愛の手を現してください。愛の力の歴史を示してください。私の愛するお父様、熱望し、望んでおります。

 集められた子供たちを一人でも捨てない様にしてください。お父様の愛の腕に抱かれ、許された全体の指導的な歴史を彼らが同じ恵みとして感じることができるようにしてください。愛するお父様、熱望し望んでおります。残された時間をお預けいたしますので、主管してください。
主の御名によってお祈りいたします。アーメン。

   <TOP> <前ページ> <次ページ>

コメント