人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

御言葉選集1(10、11)

2023年06月18日 15時46分45秒 | 学習
文鮮明先生 御言葉選集 1 - 10


「新たに成し遂げなければならない新しい契約(1956年7月8日)」
1956年7月8日(日曜日)、総本部教会
聖書拝読 ルカによる福音書22章14-34節


<祈り(Ⅰ)>
 愛のお父様! 慈悲深い愛を注いでください。私達は頼るべきものがわからず、ただお父様だけを頼りにして、すべてを忘れてここに来ました。私達の心すべてがお父様の姿を描くことを許してください。私達の身体が父のかたちを尊敬することを許してください。それによって天上に閉じ込められていたお父様の愛と私たちが調和し、求めている天国の栄光を現すことをお許しください。愛するお父様、切望し願っております。
お父様、ここに集まった群衆を慈悲で包んでください。彼らの身体と心をお守りください。彼らが持つ概念を、あなたが御導き下さり、意図に沿った概念へと変えてください。そして、終わりの時に、あなたが全人類に対して求める総合的な概念が、彼らの心の奥深くに根を下ろすことをお許しください。また、この概念を終末時代の新たな理念として確立してください。お父様、切に願っております。
お父様、ここに集まった子供達を完全に主管してください。もし死後に欠点があると言えるものがあるなら、お父様! 聖霊の力により、三位一体の力により、それを取り除いてください。炎のような目で洞察し、尊厳ある御前にすべてを差し出すことのできるこの時間をお許しください。お父様の前で贖罪の解放を受け、自由の祝福を受けた者となり、万民の前に立ち、ただ独りでおられるお父様を誇ることができるように許してください。
そうして真のお父様を祀る事ができる様にお許しくださり、そのお父様の前に栄光を帰する事の出来る子ども達として立ててください。
この時間に集まった全体の群れを主管していただき、民族を代表した数多くの祭壇の上、世界人類を代表した全体の祭壇の上に、お父様がおいで下さい! 同じ歴史を示して、その祭壇が終わりに摂理の中心の意志を示す事を許可してください。愛するお父様、切に願っております。


    1
 
私達の心をお父様の祭壇の前に出したので、カインとアベルの立場を見分けてください。そうしてカイン的な供物にならず、アベル的な聖別された供物になる様にお許しください。お父様が摂理が終わるまで万民の前に訴える様に、この時間積み上げる祭壇を全世界に対する皆さんの全体の意志が成り立つまで天上を訴える代表的な祭壇として立てて下さる事を、愛するお父様、切にお願いを致します。
この日のすべての恩寵を主宰されるお父様、御旨のままに現れてください。御許可いただける恩寵を許してくださいし、避けるべき場所を避けさせてください。そうして、あなたの永遠の御心に適う不足のない子供となるように導いてください、お父様! 切望しております。すべての言葉を、あなたの御名によってい祈り致しました。アーメン。


<祈り(Ⅱ)>
お父様!ご指示を受け入れたいと思う者に対して許可されるべき意志を示し、お父様のお考えを理解し求める者がその目的を達成できるように、お父様が歩んでこられた道の意味を明らかにしてください。お父様、心からお願いいたします。
今日下さる御言葉は、今現れた御言葉ではなく、長い歴史を経てきた御言葉である事を知っています。また、この御言葉には、イエス様と彼の愛する弟子達の間に結ばれた忘れられない悲しい事実がありましたので、歴史的に私達の先祖達もそれを考え、死の道も気にせず行ったという事実を知っています。
残された新しい契約を受ける為に、イエス様の使徒達とそれ以来、これまで2千年間イエス様を信じてきた聖徒達は、涙の道も厭わず、残された約束の意志、悔い改めた願いの意志を地上に成し遂げる為に戦ってきたと言う事も私達はよく知っています。

    2

お父様、私達を哀れに見てください。今心を開いて2千年前にイエス・キリストに出会った使徒達の心に代わる事ができる様にしてください。私達が、昔の使徒達が抱えていた困難の事情を通して立ててくださり、終わりに残った全体摂理の目的を成し遂げる事ができる様にしてください。

その後の全てを主管してくださり、聖なる全体の意志を成し遂げて喜びの一日を迎える栄光を味わってください。御言葉を主の御名によってお祈り致しました。アーメン。


<御言葉>
今日お伝えしたい話題は、「達成すべき新しい契約」についてです。このタイトルを持って、少し話をさせていただきます。

4千年間、復活の摂理を通して救いの働きをしてきた神様は、イエス様を復活させる摂理だけでは天上と地上の御意を合わせて完結する事ができないので、新しい契約を立てておき、これによって天上と地上の御心を合わせて約束された本来の園を探す摂理をしてきた事を皆さんはよく知っているはずです。

ここで述べられているように、イエス様が授けてくださった杯とパンは新しい契約そのものです。イエス様がこの世を去った後、私達はイエス様の身体と血を受け取りました。これは、私達が代わりに生命全体を受けたことであり、また真理全体を代わりに受けたことを皆さんは理解する必要があります。

    3

イエスの血とイエスの肉を受ける事は何を象徴していますか? それはイエス・キリストの肉と血を語るものではありません。言い換えれば、天と地を意味し、小さく言うと中心と個体を意味します。また、肉は真理を象徴し、咲きほこる神霊を象徴します。
これら全てはイエス様が私達に無条件に与えられました。その様に主なる神様とイエス様の一体化した内容は、それ自体に限られた問題ももちろん問題ですが、彼を中心にしている天上天下のいかなる存在する問題も全て彼の問題であった事を皆さんは知らなければなりません。
神と人間の間にある問題は何ですか? 天の意が地上に現れ、地上全体の状況が天の意に帰結し、一つの目的で動かなければならない事、これが問題です。そうして愛の主人公であったイエス様は、勝利的な天の栄光に代わって現れるその一つの意志を表象し、これまで苦労しておられます。
神が4千年間働いてイエス様を立てたのは、天全体を所有する事ができ、地全体を所有できる事を表わされたのです。ですから、イエス様を信じる人は天の全てを所有する事ができ、地全体を所有する事もできるのです。ところが、その様に所有したものを自分のものだけに帰結するのではなく、所有して再び天の前に返さなければならない全体的な摂理の意を私達には委託されています。
イエス様が新しい契約を立てて行かれたので、彼が亡くなった後、霊的な世界と肉的な世界が人、すなわちイエス様に従う使徒達を中心に連絡しなければならない条件が残りました。イエス様が亡くならなかった、イエス様を中心に天と地が連絡された事でしょう。

    4

それでは、天と地の中間の立場に立ってイエス様の御心に代わる事ができる人、聖霊の意志に代わる事ができる人は誰でしょうか。今まで地上で新しい約束の言葉を信じて出てくる使徒達か私達である事を皆さんは忘れてはなりません。
イエス様の願いはどこにあるのでしょうか? その願いは天にはありません。人間の願いはどこにあるのでしょうか? それもまた地上にはありません。イエス様の願いは地上の意志と結びつき、地上にいる人々の願いは天上の意志と結びつくべきです。従って、皆さんは天を中心に据えてイエス様から分け与えられたその身体と血を代わりとし、天地に代わる一つの供え物となるべきです。
そうは言っても、イエス様と聖霊は永遠に一つになることはできません。聖霊はそのまま地上で歴史を続け、イエス様はそのまま天上で歴史を続けるしかありません。
イエス様が弟子達に言われた「あなたがたは私の血を飲み、私の肉を食べなさい」という御言葉は何を意味しているのでしょうか? それには、「私が去っても天上の摂理の中に入っている全てを完全にあなたがたが受け取り、私の願いを達成してください」、というイエス様の切実な思いが含まれています。これを皆さんは忘れてはいけません。
弟子達がイエス様から受け取った血は、イエス様の霊的な側面を象徴し、肉は肉体的な側面を象徴し、それはすなわち聖霊を表します。それによって、イエス様と聖霊はその血と肉によって一つの体を持ち、一つの目的に向かって進むための中心存在とされたのです。また、イエス様の血は天を、肉は地を象徴していました。従って、皆さんはそこにイエス様の大きな希望と志が表れていることを理解する必要があります。

    5

今、皆さんは聖霊を通して聖なる身体となった後、心がイエス様の体と結びつく必要があります。これは帰還の過程を象徴しています。神様がアダムとエバが創造されたとき、先ず体を形作られ、後から鼻に命を吹き込んでアダムとイブを創造したことを思い起こしてください。このように、二つの条件の原則を結合して一人の人を造り出したのと同様に、帰還の摂理の中でもイエス様を中心にした聖霊が新しい契約を確立し、その後の天上と地上が結びつく歴史が進行しているのです。
これを考えると、今日私達にはどれだけ重要な責任が課せられているかを皆さんは理解する必要があります。
取るに足らない使徒達、取るに足らない私たちの行動によって天が左右されることを知るべきです。使徒達に代わる皆さん! イエス様の体を受け取った皆さんには、神様に代わって奉仕できるイエス様の生命力が現れなければなりません。天に代わって感動的な聖霊の歴史が現れなければなりません。そして、イエス様の意志に従って全世界を復帰するために、皆さんが一致して進んでいくとき、あなた方が左に向かえば天も左に向かい、あなた方が右に向かえば天も右に向かうでしょう。天があなた方の動きに応じて動くでしょう。
天が人間を通じて動くことができる基準を皆さんが確立しない限り、イエス様と聖霊は皆さんに訴えるでしょう。イエス様が残された宇宙的な使命が皆さんを非難するのです。今日、これを考えると、取るに足らない不足な私達を通じてイエス様が天を左右し、地上を左右する絶対的な意志を成し遂げようとしていることを感じる必要があります。
イエス様には人間なしに決定できる権限はありません。聖霊にも決定する権限はありません。決定の権限はただ私達人間にあるのです。
ここまでの福音書の歴史は、天が与えて下さいましたように、私達の希望の範囲内での歴史でした。限界を超えることができない場所にとどまっていたのが福音書の歴史でした。私達はその福音の言葉を超えなければなりません。限界を超えて、天の賜物を受け取ることを知らなければなりません。自らが考える様に天と地のすべてを主管しようとしたイエス・キリストの全体的な価値観を持ち、それ以上の福音書の限界を超えるように、「お父様、私に新しい約束を与えてください」と言える人にならなければなりません。

    6

イエス・キリストの血に訴え、十字架で肉体を引き裂かれながら訴えられた訴えを、今日皆さんは生活に現さなければなりません。私達が天に向かって進むためにも、完全に果たさなければならない人間の責任は、イエス・キリストによって約束されています。しかし、それが約束に終わることは許されません。ここまでのすべての恵み、すべての希望、すべての命を私の一つの実体が所有し、私の一つの生命の理想を持ち、その限界を超えて、問題無い基準を地上に確立できなければ、イエス・キリストの願いは果たされないことを知らなければなりません。
私達は現在、希望の達成過程にとどまっています。目標を見据え、その希望を実現する過程にいます。この過程で動くならば、皆さんは立てた信仰の約束を果たさなければなりません。そのような限界を超えた存在は、最後の時に主の血と肉を受けたことに応える存在であることを皆さんは知らなければなりません。
このような意味で、私はどのようにすべきでしょうか? イエス・キリストの前後左右、聖霊の前後左右、神の前後左右を代わりにすることができるほどの覚悟が必要です。天の御意と同時に地上の意志となっている人間を通じて結実する日を地上に確立できないと言えるならば、イエス・キリストの意志も、神の意志も成就されることは無い事を知らなければなりません。そして、そのような意志を考えると、今日の不足な私たちの価値がいかに大きいかを知らなければなりません。
イエス・キリストは、弟子達に対して血と肉を与え、一つのことを求めました。イエス様は杯を取り、彼らに示し、言われました。「これを取って、互いに分かち与えなさい」(ルカ22:17)。この御言葉を忘れてはいけません。私達はイエス・キリストの血と肉を受けたのですから、イエス・キリストの使命を代わりに果たし、天の問題にも責任を持ち、神の御心が成就されるよう努めるべきです。これこそが天の希望です。
現代の私達には、イエス・キリストの血と肉を受けるという条件で、私達同士の関係を築き、勝利の祭壇を目指すための最終的な責任があります。このような私達の責任を皆さんは痛切に感じる必要があります。

    7

天から降りてくる原則は変わりません。では、この変わらぬ上下の原則と、左右につながるべき関係は誰が見つけるのでしょうか?  皆さんが見つける必要があります。イエス様と聖霊は、歴史や時代が変わろうとも変わらない中心を向かう一方向に進んできました。イエス様と聖霊が交わしたように、私たち自身もそのような関係を結ぶ必要があります。もしもそのような関係を築けなければ、神が働かれる祭壇は地上で実現することができないことを皆さんは理解する必要があります。
イエス様が御自分の血と肉を分かち与えてくださったイエス様の心情をご存知ですか? それは言葉では言い表せないほど悲痛な心情でした。現代の世界でも、意図を理解し、その意図のために尽力する人は、悲痛で哀れな立場で孤独に試練を乗り越えながら、意図を表現しようとします。従って、それを感じることのできない人々や、このような意図に対処する知識がない人々を見つめるイエス様の心情がどのようなものか、皆さんは知る必要があります。
このような歴史的な状況を理解できないというならば、皆さん同士での水平的な聖餐式も分かち与えることができません。そのため、今日の私たちには、イエス様が神と通じ合うとき、またイエス様が聖霊と通じ合うときに分かち与えていたあの愛の心を私たち同士で分かち合うことができる、つまり聖体の愛を示す生活が必要です。
個々人を結びつけ、教団と教団を結びつけ、そして教団を超えて、どのような形であれ天の愛を中心にした一つの権能の中に入るために、「あなたたちが互いに愛の心を分かち合うように」というイエス様が願われた意味を理解する必要があります。
今日、皆さんの中に、自分自身を捧げ、その代わりに恵みを受け取ることができる仲間を持たない人がいることを、彼は哀れな存在であることを知る必要があります。また、イエス様の前での聖霊は、人は変わるかもしれませんが、聖霊は変わらないため、人々は彼と交わり、彼から出て行きます。したがって、皆さんは彼との交わりにおいて与えられる基準から、霊的な世界の歴史に立ち向かう必要があります。

    8

今、イエス様が私達に残してくださった最後の一つの希望を私達が成し遂げる時が来ました。この一つの希望を皆さんが左右に結びつけるためには、どうすれば良いのでしょうか? まず、地上で仕えることを知る人にならなければなりません。地上で戦い、殉教する人にならなければなりません。地上で正義を奉仕することを知る必要があります。
今日、皆さんはイエス様が言われたことを心に留める必要があります。すべての人に仕える者は仕えられる者となる、と仰いました。自分自身を高めようとする者は低くされる、とも仰いました。これは、今日の私達が平面的な面で感じる生活の中心です。したがって、私達は誰でも奉仕することを知り、皆の友人になることができ、また彼らを守ることも知る必要があります。
新しい契約の言葉が約束された今、私たちはイエス様が指示された彼の内面の心情を感じなければなりません。そして、彼の心を読み解くと同時に、彼の理想や実践的な側面まで理解する必要があります。そのため、イエス様と聖霊の意思を代わりに成し遂げるべきです。もし私達からそれが成し遂げられない場合、終わりの日にはイエス様と聖霊の歴史が結実されます。
イエス様と聖霊の歴史が結実されるその日、一人で立ち、イエス様の望みと聖霊の望みを知り、イエス様が行かれた実践的な使命を代わりに果たせる自分となり、イエス様と聖霊を代表して新たな理想を持ち、それを支持して進んでいけるような立場にならなければなりません。
私達はイエス様の新たな約束の血を受けた者達です。このような私達に残された使命は何でしょうか? それは新しい契約を成し遂げることです。そのためには、私自身が終わりの日においても三位一体の協力がなくても、悪魔に対して勝利できるようにならなければなりません。では、悪魔に対して勝利できる中心とは何でしょうか? それは、悪魔が行えない行動を知っていることです。悪魔ができない行動を実行できるようになる必要があります。

    9

悪魔の本質は傲慢です。悪魔の本質は嫉妬です。悪魔の本質は自己中心的なものです。そのため、イエス様と聖霊の教えは柔和で謙虚であること、犠牲を払うこと、自己犠牲的な生き方であることです。これらはすべて、悪魔ができないことです。悪魔が柔和になるためには、神の前ですべての罪を悔い改め、離れなければなりません。もし悪魔に嫉妬の心がなければ、今日の世界はすべて天の前に早く戻ることでしょう。
従って、皆さんは悪魔に対抗する要素を自己に備えなければなりません。そして、皆さんは自分の限界を超えて新たな契約の領域に入るべきです。それによって、皆さんが変わらない一つの中心を確立するとき、イエス様の血を受けた者として新たな契約の意思を実現することができるでしょう。
もしも皆さんが、神がイエス様と協議できなかったこと、イエス様が聖霊と共有できなかったことを皆さんによって再び協議できない立場に立つのであれば、つまり皆さんが天地のすべての基準を代わりにする中心存在として立てないのであれば、イエス様の約束の意思は達成されず、また神が望む新たな約束の意思も達成されないことを皆さんは明確に理解しなければなりません。
今日、私たちは世界のどんなものを持っていなかったとしても、イエス様の体と心を完全に持つべきです。天地に代わる一つの中心的な価値を天から認められなければなりません。そして、その認められた私たちの価値はどんな限界領域にも留まってはなりません。天上のどんな存在も私たちを歓迎せざるを得ない、そのような価値的存在となることが必要です。
イエス様の血とイエス様の肉は地上だけで有効なものではありません。地上に限定されたものではありません。信仰のあり方が天上でも有効であるように、それらは天上でも有効です。したがって、私達がイエス様の血と肉を完全に受け入れたと言えるならば、私達の願いは天上で完成し、地上でも完成するようになります。そして、それが完成したものが天上でイエス様の願いを代わりに行い、地上で聖霊の願いを代わりに行うことです。

    10

それによって、私達が一つになり、イエス様と聖霊が行っていた御旨を引き継ぎ、イエス様と聖霊に休息を与え、また神様と再び約束を結ぶことができる基準に達しなければなりません。そうすることで初めて新たな神の歴史、全体的な天の計画が皆さんを通じて進行し、勝利の基準が確立されることを皆さんは心に留めておかなければなりません。

<祈り>
 お父様! 私達は地上では真実の戦いが繰り広げられていること、そして天上では愛の競争が行われていることを知っております。
地上での真実の戦いはイエス様の体を象徴し、それを成し遂げるための一つの目的があることを私達は知っています。また、私達が天上を目指し尊敬すること、愛を称えることも、イエス様の御心を完遂するためのものであることを知っております。
愛と真実が交差する一つの基準は、イエス様が宿ることのできる基準であり、聖霊が宿ることのできる基準であり、神が遂行される勝利の基準であることを私達は知っております。お父様の勝利の基準は、イエス様を中心として捉えられるのではなく、聖霊を中心として捉えられるのでもなく、地上にいる私を通して、私達を通して捉えられるように許されることをお願いします。
そして、その一つの基準が永遠に変わらず、一つの結論の終点または原点を描きながら回転する一点に向かって進むべき私達の使命が残っていることを知っております。

    11

お父様! ここに集まったあなたの愛する子どもたちが、今や父の前に立ち、イエス様の前に立ち、聖霊の前に立っておりますので、「おお、父よ!主よ!聖霊よ!」と叫ばせてください。また、その声が天上にまで響くようにお許しください。地上が動くことをお許しください。心から望むことを許してくださり、「お父様!」という声が、天から地上の全てにまで響き渡り、動けるように許してください。お父様、切に望み求めます。
今、私の心にイエス様の血を若々しく注いでください。私の心がイエス様の身体に絡みつけるようにお許しください。私の希望と意志が天上の希望と天上の御意を代わりに果たすことができるようにお許しください。
私達はイエス様を殺害した血縁的な罪の結びつきから解放されておらず、今日も悪魔の本質的な要素を清算することができていません。お父様、このすべての悪の要素を消し去り、命の恵みだけが満ち溢れるようにお許しください。
すべてを主管し、私達が命に代わるイエス様の血の価値を示すようにして下さい。また、イエス様の勝利の栄光の領域を示して下さるようにお願いします。お父様、切に望み求めております。
これらすべてをお任せいただいた恵みに感謝し、主の名によってお祈りいたします。アーメン。

    12










文鮮明先生御言葉選集 1 - 11. イエスはなぜ世の罪を負った子羊になったのか(1956年7月11日)
1956年7月11日(水)元本部教会
聖書拝読 ヨハネによる福音書 1:24-34


<祈り(Ⅰ)>
 愛する私のお父様! お父様の愛を敬いながら、散り散りになっていた子供達がお父様のひざの前に集まり、ひれ伏しました。今、私達の心を主管してください。私達の心には、お父様の聖なる御姿を敬う心だけが残るようにお許しください。また、私達の実体はお父様の御姿の美を備え、どんな状況でも感動的な恩寵に浸ることができる実体となるようにお許しください。お父様、切に望み求めております。
この地は暗闇に閉ざされています。この暗闇に閉ざされた地を責任を持って引き受けなければならない使命も、今日の私たちに委ねられ、残されていることを知っております。
愛のお父様! 慈悲のお父様! 私たちだけでは、私たちの力だけでは決して善と悪を判別し善を高めることができませんが、天に隠されていた善の力と天に秘められていた愛の力を現されて、復活の力によって働いていただき、不足している場所でも善を行う能力を示すことをお許しください。復活の栄光を持ち、お父様に心と身体を捧げて敬礼できるようにし、心と身体を捧げて栄光を示すことができるこの時をお許しください。愛するお父様、切望しております。
今、ひれ伏した多くの子供達の心を、お父様!清めてください。一人一人の心に対して、聖別の手で触れてください。個々の心と体を清めてください。お父様、個々の心を清めてください。正しくない要素を一つ残らず取り除かなければなりませんので、お父様、ご自身が分別の主役となってください。心情の主役でもあり続けてください。

    13

善悪を判別し、悪を取り除き、善だけを持った地の供物として、一つの中心を通じてお父様の前に捧げられるようにお許しください。私のお父様、切望しております。
お父様! 今、集まりましたので、お父様の御前に、不完全な自己を認識できるこの時間としてお許しください。過去の罪と悪の力を受けて死の権限に包まれている自己を見出し、お父様の御前で、善の栄光の祭壇の前で自己を清らかにできるこの時間を与えてください。過去の正しくない習慣や、お父様を信じられない概念を取り除いてください。新たな善の刺激を受けて、お父様の御姿の新たな価値を感じ、心と身体で衝撃を感じることができるこの時間として与えてください。悔い改めと感動の歴史を織りなしてください。愛するお父様、切望しております。
お父様、少数が集まりましたので、主管してください。ここに集まった子供たちの中に、一人でも悪魔の支配を受ける子供がいないようにお許しください。お父様の再創造の労苦の歴史と全能の歴史を経て、今日の低次元の内容を捨てることができる様にこの時間をお許しください。お父様、切望しております。
不適切で正しくないあらゆる罪悪の要素をこの時間、お父様、取り除いてください。ご自身が主管し、主導できる栄光の要素だけが集まった聴衆全体に満ち溢れて働いてください。満ち溢れて主管してください。愛するお父様、切望しております。
お父様、この夜は孤独な群衆が広がり、民族を代表して天の前で礼拝する時間であることを知っております。孤独な群衆を友として受け入れ、交流し、歴史を作り出すお父様、彼ら共に歴史を作り出す私のお父様、彼らが置かれたどんな環境や立場にあっても、お父様、彼らの天に向かった忠誠と献身だけは変わることがないようにお許しください。

    14

悪魔の嘲笑に打ち勝つために、大山のように立ちふさがる障壁を踏み越えることができるように、天の勇者として立てて下さい。最後の使命を果たし、お父様の願いが達成され、残せるものがあるように導いて下さい。闘い続けることのできる変わらない天の力が共にあるようにして下さい。私のお父様、切望しております。
この夜、民族を代表して集まる数多くの祭壇の上にも、人類を代表して集まる数多くの祭壇の上にも、聖三位一体のような歴史として臨んで下さい。終わりの時に果たされるべき使命を彼らの前に予告し、立てて求められるお父様の本来の意志を早くこの24億人の前に明らかにするようにお許し下さい。この地球上に現せるようにお許し下さい。愛するお父様、切望しております。
初めから終わりまでただ一つの使命として、お父様に捧げられる犠牲の祭壇を築き上げて下さい。喜びの体現となる歴史、力、栄光が現れるようにお許しください。主の御名によってお祈り致しました。アーメン。


<祈り(Ⅱ)>

愛するお父様! 私たちを主管してください。私たちが天の意味を代わって現れたキリストの姿を見て、ヨルダン川で天に向かって叫んでいたヨハネの姿の前に立つイスラエルの立場を代表できる環境を整えてください。
私たちの心は歴史の彼方にあるかもしれませんが、お父様を中心にした切ない心情で叫んでいた洗礼者ヨハネの声を私たちが再び聞くことができる感動的な恵みを許して下さい。「見よ、世の罪を取り去る神の小羊である。」と言われた言葉は、確かに驚くべき、畏れ多く、威厳ある言葉でした。

    15

この地上には数多くの人々が行き交い、数多くの聖賢が現れ去りましたが、誰一人として大胆に立ち上がって全人類の罪を代わりに負ったと叫んだ者はありませんでした。しかし、洗礼者ヨハネがイエス様を立証した言葉は、歴史的な新たな再創造の基準を確立したことを私たちは知っています。万民の憎むべき罪を引き受けることができる唯一の存在を求めた洗礼者ヨハネの心情を私たちは知り、私たちのすべての罪をイエス・キリストに委ね、天を仰いで礼拝する喜びの恵みを許して下さい。
今日、私たちの環境を解放の恵みを受けたイスラエルの民族の環境に変えて下さい。彼らの心情を私たちの環境に表現して下さい。自分自身のすべての罪を託せる主人公を見つけた者がいれば、それ以上に幸せな者はいないことを私たちに自覚させて下さい。
私の命と私のすべてを委ね、自由な環境で自ら感謝することができる、天を所有する者の喜びを私たちに感じさせて下さい。そして、イエス様がこの地上に来られて私たちの罪を引き受けたことを、今日私たちが再び認識することをお許し下さい。
今日この時間に集まった者たちのすべての罪をお受け取り下さい。善だけが残り、善だけが満ち溢れるように許して下さい。すべての罪の要素をイエス・キリストに委ね、父の前で栄光を称え、キリストの悲しみを慰める刺激的な衝動が私たちから生まれるように許して下さい。愛するお父様、熱望し、願っております。
今日集まった全ての子どもたちを憐れみ見守って下さい。伝える者の心と受け取る者の心が一つになることを許して下さい。私たちを再び生かすことのできる復活の力を許して下さい。私たちを復興させることのできる再創造の言葉で歴史を創って下さい。私たちの心と身体が罪の鎖から解き放たれ、再創造の言葉に頼って本来の姿に回復する喜びの恵みをお許し下さい。愛するお父様、切望し、願っております。すべてをあなたに委ねましたので、あなたの御旨に従って許して下さい。愛する主の名に寄ってお祈り致します。アーメン。

    16

<御言葉>
 今夕に話そうとするタイトルは、『イエス様がなぜ世の罪を負った小羊となったのか』です。イエス様がなぜ世の罪を負った小羊となったのかというタイトルで、少しだけお話しいたします。
神様は自分の内的な理想を実体的に感じる事ができる一つの中心存在で人間を造られました。それで、それから隠された天の美と隠された天の愛と隠された天の栄光を人間であるアダムとエバの生活を通して、生涯を通して、永遠の命の路程を通して成し遂げ、いつでもギャップのない喜びの世界を作ろうとしました。
人間が堕落する事で神様の御心がこのような本然の意志は根本的に断ち切られ、人間達は望ましくなかった悪魔を神様の代わりに立てておき、その悪魔の主管圏内に住む様になりました。神様に栄光と喜びを与え、神様を祀る生活をしなければならない人間が、神様の代わりに悪魔を中心として、彼を祀って従い守りの働きを重ねて来ていると言う事です。これは皆さんがよく知っている事です。

 そして神様は人を中心として探さなければならない御旨が残っており、人を中心として愛すべき意志が残っており、人を中心として勧告すべき事が残っており、今まで摂理されておられますが、悪魔は逆に神様の栄光を破壊するための戦い、神様の愛を破壊するための戦い、天の命を破壊するための戦い、今日人間を自分の手元に結びつけ、これを神様の側に引き渡さないという戦いを続けているという事実を皆さんはよく知っています。

 ですから、今、神様は人を立てて悪魔を讒訴できる一つの条件を立てなければならず、人を立てて神様に返さなければならない栄光を中心に、悪魔に抗議できる条件を立てなければならず、神様の代わりに人間から愛されている悪魔に対して抗議できる条件を立てなければならないと言う事です。また、神様に代わって悪魔が全体の命の権限を持っているので、神様はこれも抗議できる人を立てておかなければならないと言う事です。この責任は神にあります。

    17

 神様が求める創造本来の人間、悪魔に対して攻撃できる一つの主人公が出なければ、再び神様に栄光を向ける道がなく、愛を為す道がなく、命を回す道がないと言う事です。

 この一つの中心存在を立てる為に、神様は4千年の間ご苦労され摂理をされました。それで、初めて神様が万民の前に探し求められた一つの信仰の中心、人間の代表的な中心、神様の栄光を証し、神様の愛を証し、神様の命を証しする為に立てられた方が誰かというと、イエス・キリストでした。

 イエス・キリストがこの地に来て果たすべき責任とは、神の栄光を回復し、神の愛を回復し、神の命を回復することでした。しかし、その達成を妨げていたものは何だったのかと言えば、それは罪でした。

 罪は、人々が神の前で栄光を帰することができないようにし、神の愛を真に感じることができないようにし、天の命を自分の命として感じることができないようにし、永遠の命の中心を築くことができないようにしました。それは何が原因で起こったのでしょうか? それは堕落によって起こり、血統的な罪と個人的な罪が人間を中心にし、全ての創造物に浸透しているからです。

 ですから、イエス・キリストがこの地に来られて最初に果たさなければならなかった責任とは、神の栄光を回復する前に、神の愛を回復する前に、神の命を回復する前に、全ての人々と創造物の中に存在する罪の根源と戦わなければならなかったことでした。

    18

 そのため、イエス・キリストはこの地に来られて、この罪の根源を取り除くために、人々の罪を自ら負う事を受けられました。

 では、なぜイエス様が罪を代わりに負う必要があったのでしょうか? それは人々が罪を抱えていたからで、そしてさらに重要なのは、人々が真理を知らなかったためです。

 イエス・キリストは、この地上において神の栄光、神の愛、神の永遠の命を持ち、全ての人々を救うために来られました。しかし、彼の道を妨げる条件がありました。それは、人と言う全ての人、集団と言う集団、全ての社会、国という国との間に、網の目のように張り巡らされた罪でした。

 この罪が清算されるまでは、この地上で神様の栄光も見ることができず、神様の愛も見ることができず、神様の命も見ることが出来ない状態でした。

 神様は人々にこの罪を清算するように与えられました。人々がこの罪を清算すると、それによって彼らは神様によって栄光を授かることができ、神様の命を授かることができ、神様の愛を授かることができます。人間の立場から見ると、神が人々にこの罪を清算するようにされたのは、人々にそれまで知らなかったこの世界の主人である事を知らせるための目的でした。

    19

 従って、私達がその主人になり天の栄光を代わりに奉仕し、天の愛を代わりに奉仕し、天の命を代わりに奉仕できるならば、私達はそうなった場合、何も天と私達を分ける力はありません。イエス・キリストが天を中心に立てられた私達との関係を悪魔も断つことはできません。

 しかし、堕落の原因として、この世界が終末を迎えるまで、私達とイエス様、聖霊との間には除去しなければならない罪の重荷が残っています。この罪の重荷は、個人を中心とした家庭、社会、国家、世界、天に残っており、この世界全体の罪の重荷を負うことができる存在が来られることは、何よりも喜ばしい知らせであり、救いと勝利の福音です。

 では、今日私達自身はイエス・キリストの前に罪を委ねたでしょうか? また、私達の家族はイエス・キリストの前に罪を委ねたでしょうか? 私達の社会や国家はイエス・キリストの前に罪を委ねたでしょうか? 私達が生きているこの世界はイエス・キリストの前に罪を委ねたでしょうか? まだ罪悪の支配下にある聖徒がこの地上に何人残っているのかが問題なのです。

 日常の信仰生活において、皆さんがすべきことは何でしょうか。それは、自分自身の罪をすべてイエス・キリストに託すことです。皆さんは自分の罪をすべてイエス・キリストに委ねましたか? 自問してみる必要があります。実際に、「お父様! 私に残されている罪は私自身では解決できません。私の罪をあなたに託します。」と言える存在がこの地上に現れなければ、イエス・キリストの理想は実現されないのです。

 私自身にまだ罪の重荷があり、私の家庭にまだ罪の重荷があり、私達の社会、私達の国、私達の世界、天にまだ罪による嘆きの要素が残っていると言えば、イエス・キリストの十字架の苦しみは延長されることを意味します。

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 皆さんは、この時間もイエス・キリストの十字架の苦しみを延長させることを繰り返しているという事実を知る必要があります。

 今日、私達はイエス様に私の罪をすべて託すという悔い改めの祈りを捧げる必要があります。「主よ、私の罪をお許し下さい」と言わなければなりません。

 私の心と身体を合わせて、イエス様の心と身体を合わせ、イエス様に委ねられた罪の荷物を背負い、イエス様の手を通し、私の手を通して罪の闇を貫けなければ、聖霊を通じて、イエス・キリストによって罪が完全に清算された人とは言えないのです。

 では、イエス様がこの地に来て罪を託されるという意味は何でしょうか? 私達は堕落によって命の主である神を失い、真の両親を失い、私を守り、愛してくれる中心存在を失ったのですが、この中心存在としておいでになったのがイエス様でした。そして、イエス・キリストが世界のすべての罪を許された後、天と地、悪魔はイエス様一人に対して最終的な審判を行う時を迎えるでしょう。

 皆さん自身が自分の罪をすべてイエス様に託し、神に託さなければ、イエス・キリストが皆さんの主として主管して欲しいとしても、主管してくれないことを知る必要があります。このことを理解する必要があります。

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 私達はイエス様の心情を理解する必要があります。この世界においてイエス様が抱かれた心情を理解する必要があります。その心情は、宇宙全体の罪を負いたいという願いであったと言えます。人間的に見ると、イエス様は憐れみ深い方であったことを皆さんは知る必要があります。イエス様がこの地においでになったとき、イエス様と同じく祝福を受けた人はいなかったことを皆さんは知る必要があります。

 イエス様が私達を尋ねるため、恩寵を与えるためにこの地においでになったにもかかわらず、誰一人としてイエス様の願いを知り、イエス様を私達の永遠の理想、不変の主として受け入れる者はいなかったのです。

 民族のためにおいでになり、国家のためにおいでになり、世界のためにおいでになり、天の為においでになったイエス・キリストは、語り尽くせないほどの祝福者の中の祝福者であったことを皆さんは知る必要があります。この地においでになって語られた御言葉や行動を見て、「ようこそおいでくださいました!」と言っても、信じる者は一人もいなかったのです。同様に、人間的に見ると、イエス様個人の置かれた環境は言い尽くせないほど不安定な環境でした。

 イエス様もまた、人間として、皆さんと同じような感情を持つことでしょう。しかし、自らの罪さえ解決できない人類の罪を背負い、全人類の過去と未来の罪を引き受けたイエス様は、苦労を忘れ、孤独な立場で自分の罪を責める個々の人々を慰める立場におられたことを皆さんは知る必要があります。そして、人類の罪をお負いになるためにおいでになったイエス・キリストの内なる努力、苦悩、悲しみを私たちが慰めるべきであることを忘れてはなりません。
もちろん、私達は自分たちの罪を悔いるべきです。なぜなら、この悔しさが直接天に響かないようにするためです。この悔しさを慰めてくださるためにおいでになった方が聖霊です。

 従って、私達はイエス様と聖霊の協力を受けて私達の罪を捨てなければなりません。そうしなければ、私達のために罪を負ったイエス・キリストの苦悩はこの地上でも天上でも解消されないことを意味します。

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 では、皆さんが知るべきことは何でしょうか? 聖霊は私達の罪を天の前で償う役割を果たしています。これは人間が天におられる神様やイエス様と直接的な関係を持っていないためです。従って、地上で活動されている聖霊の協力を受けなければならないのです。

 そして、私達が知るべきことは、イエス・キリストの十字架によって贖罪される道が開かれたということですが、実際に私達の罪を引き受けて労苦されるのは聖霊です。聖霊は私達のために、私達が罪人のようにかわいそうな身の上を代わりに引き受け、仲介者として労苦されていることを皆さんは知るべきです。

 聖霊の労苦とはどのような労苦でしょうか?十字架にお帰りになったイエス様の労苦は私達の罪を引き受ける労苦であり、聖霊の労苦は皆さんが泣けば共に泣き、皆さんが十字架につけば共につかれる労苦なのです。そして、十字架の難関を乗り越える労苦の歴史は今日も皆さんのために続けられているということです。これを皆さんはよく知るべきです。

 したがって、イエス・キリストの労苦と聖霊の労苦が私を仲介にして一つになり、天が求めるその労苦の基準を超えるとき、私達が犯した地上の罪はすべて贖(あがな)われるのです。

 私達は今までイエス・キリストに会うために私だけが労苦したと思っていましたが、私の背後で私以上に労苦されている聖霊がおられることを知るべきです。

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 イエス様が望まれるのは、人間の労苦よりも聖霊の労苦が大きいため、聖霊を立ててイエス・キリストの栄光を代わりに現し、全人類を主管しようとされることです。そのような日が訪れない限り、イエス様がこの地に再びおいでになって万民の主として立つことはできないということです。

 従って、私達が悪に立ち向かうとき、私たちが犯した罪によって聖霊が代わりに地上で労苦され、イエス様が十字架にかかることになったことを知るべきです。また、天のどこに行っても私達は天の怒りから逃れる道理と術のない罪人であることを知るべきです。

 この罪を悟り、私達は今や心と体を捧げなければなりません。そのためにまず、聖霊の労苦に頼ってイエス・キリストの労苦の不足を埋め、その労苦の重荷を取り除かなければなりません。こうして私を通じて聖霊の労苦が終わり、イエス様の労苦が終わり、神の労苦が終わって初めて、私達のために罪を負担し御苦労された天の復帰計画が完了するのです。そして、私達自身がその時にようやく主役を見つけることになるのです。これを皆さんは理解する必要があります。

 イエス様は人間としてこの地においでになりました。イエス様は普通の人間としてこの地においでになりました。皆さんが霊界を通じて見ると、イエス様は私たちと対話する体を持っていますので、皆さんの霊眼が開かれれば私達のために亡くなられたイエス様を慰め感謝することができますが、聖霊に対してはこのようなことはできません。なぜなら、聖霊は具体的な体をお持ちではないからです。

 イエス様は実体を持った天の主役として、霊界の中心としてこの地においでになりました。しかし、聖霊はまだ体を持たないため、直接的に聖霊の労苦を慰めることはできません。このような不和を解消するために、2千年以上の労苦の歴史を経て花婿と花嫁の理念が確立されましたが、現代のクリスチャンたちはこれを知らないのです。

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 では、花婿である天のイエス様の前に花嫁となることができる地上の実体を持つ聖霊はいつ現れるのでしょうか?

 私たちが犯した罪は、イエス・キリストだけでなく、聖霊に対してもその労苦の高みを越えさせたものです。しかし、私自身を通してその労苦の恨みを解消する事で、その喜びと栄光をイエス様に返すことができますが、聖霊には返すことができないということです。

 私達が罪を委ねると、まず最初に聖霊が私達の罪を引き受けます。その後、イエス・キリストが引き受け、そして神様からの清算を受けるのですが、現代の私達はこれをよく理解していません。この使命を知る聖徒達が現れれば、聖霊の感動的な歴史は彼らを通じて全人類に現れるでしょう。

 では、イエス・キリストがこの地に来られた後、今の私達は何をすべきでしょうか? 私達はイエス様と同じ立場の花婿的な主役と、聖霊と同じ立場の花嫁的な主役を見つけなければなりません。したがって、贖罪の恵みを受けなければなりません。そして聖霊とイエス様を迎え、聖霊と聖者と神様に対して、「祝福してください」と言えなければなりません。そうでなければ、イエス・キリストの2千年の労苦や聖霊の2千年の労苦はこの地上で完結することはできないのです。

 イエス様はなぜこの世の罪を引き受けられたのでしょうか? それは私達のために、私達が自由を持つことができるようにするためでした。そして主人を見つけ、人間が本来の姿を持ち、悪魔の支配を受けていた立場から、悪魔を支配する立場に移すためでした。従って、あなた方はその試練を乗り越えて自由の子とならなければなりません。

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 私達を自由にするのは罪です。しかし、罪自体が私達を自由にする事はできません。私達が犯した罪を条件として、悪魔が私達を自由にしない様にしているのです。

 主人を探す事は私達がしなければならない使命であり、罪を脱ぐ事も体と心を中心に戦わなければならないが、自由を探すには悪魔と戦わなければならないと言う事です。

 悪魔と戦うとき、私の一人だけでは悪魔を撃退する事はできません。聖霊だけでも悪魔を撃退する事はできません。そしてイエス様だけでもサタンを撃退する事はできず、神様だけでもサタンを撃退する事はできません。こう言うと、「何も出来ないのか」と言うかもしれません。

 しかし、神様自体だけで悪魔を撃滅できるなら、どうしてこの地に立ってイエス・キリストのご苦労された30余年の命と十字架の犠牲が必要だったのでしょうか。

 今、私達は悪魔との戦いを展開しなければなりません。そして戦いを展開するには、誰の為に戦うのかをよく知らなければならないのです。

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 私達は最初に聖なる父、聖なる者、そして聖霊の為、次に私の為に戦うという事を知らなければなりません。私達の知っているクリスチャンは、天の為に戦っている事を知っていますが、私の為に戦っているという事実を忘れています。それでは、天の為に戦うのは何のためですか? 悪魔の攻勢と侵犯を防ぐためです。

 天は皆さん一人一人が神聖な道を見出すために動員されていることを知らなければなりません。地上もまた動員されていることを知らなければなりません。つまり、天には神様が動員されており、イエス様も動員されており、聖霊も動員されています。そして地上には、皆さんが知らないかもしれませんが、皆さんのために多くの先駆者が動員されているのです。皆さんはこれを知らなければなりません。

 ですから、皆さんはこの様に数多くの方々が天上と地上で動員され、皆さんに自由を与える為の戦いをしているという事実を知り、それに応える事のできる皆様にならなければなりません。

 今日、この時間も皆さんの心と体を自由の場に導く為に多くの方々が苦労していると言う事です。天上で長い間、神様が苦労しておられ、イエス様と聖霊が苦労しておられると言う事です。それだけではなく、千千万聖徒と天軍天使達が苦労していると言う事です。皆さんはこの事を忘れてはいけません。また、人間が拘束されている暗い環境を収拾する為に死を覚悟して責任を果たす聖徒がいる事を忘れてはいけません。

 地上で聖なる使命を果たし、努力することは、私たちの国では栄光を受けるということを私たちは知っています。ですから、私たちは天の前で名誉を保つことができなければなりません。

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 そして、審判の日が近づいてくると、イエス様の努力によってあなた方を自由にするための努力と同じような努力を求められるでしょう。聖霊の努力と同じような努力を求められるでしょう。そして神の努力と同じような努力を求められるでしょう。さらに、あなた方を解放するために多くの賢人たちが努力したような努力を求められるでしょう。

 あなたがたは、自分だけが快適で、自分だけが安穏で、自分だけが楽しく満足する信仰生活を送ってはいけません。そんな生活をしても、自己中心に陥る困難は避けられるかもしれませんが、聖霊、イエス様、神様、そして数多くの信徒たちが要求する苦労の歴史は避けることはできないでしょう。

 ですから、今日私たちが自由を見つけ、自由の一心となり、自己の一心を持って「お父様、感謝します」と言いたいのであれば、イエス様を中心において感謝しなければなりません。天からは聖霊と数多くの信徒たちは自分たちの努力の報いをあなたがたが神の前に返すことを望んでいます。あなたがたはこれを知らなければなりません。

 イエス様の願いは地上のすべての人々が癒されることであり、イエス様の目的は地上のすべての人々がこの目的を成就することです。そしてその目的を地上で完結させると同時に、天からも完結させる使命が人々に与えられているということです。

 イエス様を通じて贖罪し、自由と解放を得たと言う事は、イエス様が望むことを成し遂げることができなければなりません。それが可能な人を見つけることが天の願いであることを皆さんは知るべきです。

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 地が罪に染まり、邪悪であり、背信行為を犯すとしても、神様の心を通し、天倫の心を通し、賢者の心を通し、人類を代表して悪魔の前に堂々と立つことを知るべきです。だから、悪魔に対してどれほど強く攻撃し、皆さんの力が強くても、悪魔を支持しないで堂々と攻撃することを知るべきです。このような自由の心を持ち、あらゆるものの前で誇ることができる人が現れなければなりません。このような主人が出てこない限り、天の栄光と天の愛と天の生命は私たちに結びつかないということです。

 現代は、私達は自由な環境を作り出せなかったことから、神様の理念やイエス様の理念、聖霊の理念が私達と結びついていない状況です。しかし、この理念が結びつかない限り、天から働く神様の命、神様の愛、神様の栄光は私達と関係がないものとなります。

 そこで、現代のクリスチャンたちは自由な信仰によって解放の祝福を受けている立場にあると言っても、なぜ永遠を見据えて前進できないのでしょうか?喜びと自由の環境にあるとしても、それだけでは全てではありません。永遠の命を受ける必要があるのです。現代の皆さんは、その時々によって変化し、数年で終わってしまう自分自身を嘆き悔やみ、不満を抱えている立場にいますか? この立場から脱出できなければ、神の善意の命との関係が遠ざかることを皆さんは知るべきです。

 皆さん自身は貴重ですが、自分たちの貴重な価値を考える前に、まず神様の尊い価値を認めて神様を解放し、天の自由の主人を立てることを地上で責任を持たなければなりません。そのような主人が現れれば、彼はイエス様の前で他に類を見ない特別な新婦にならざるを得ないことです。

 今、皆さんは時間や場所を超えて戦いを通じて神様の内なる愛の基準を見つけて立つ必要があります。そして他人に何かを与えようとする愛の心を永遠を中心に感じることができなければなりません。また、その真の主人に対しては一時的に止まらずに接することが必要です。

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現代には一日の自由と喜びのために生きる人々が多くいますが、皆さんは永遠に変わらない喜びと自由の基準を心の基盤にしっかりと確立しなければなりません。皆さんはその基準を立てることでのみ永遠の命に参加することができるのです。このような永遠の基準と一方への環境ではなく、四方に広がる環境を作ることで聖霊の愛が実現し、聖者の愛が実現し、父なる神の愛が実現するのです。

 イエス様が私たち自身の罪を負い、世界の罪を負われた理由は何でしょうか。 まず第一に、神様の栄光のためです。次に、神様の命と神様の愛のためです。そして人類の主人として、自由の主人として、生命の主人として、愛の主人として、和解の仲介者として、皆さんとともに永遠を規範とし、共有するためです。

 従って、私たちがイエス様を信じ、従うならば、この地上にいる間にも神様の栄光を受け、神様の創造の理念を実現することができるでしょう。そして、皆さんによって創造の理念が達成されれば、神様は自ら悪魔を打ち破った永遠の勝者として祝福し、愛されることでしょう。


<祈り>
 愛するお父様! 天がこのような切望の心情を宣言される際、私たちが通過しなければならない関門がこんなにも多いことに気づきませんでした。今日ここに集まった愛するあなたの子供たちに、心の扉を開いてイエス様を受け入れることができるようにお許しください。また、天からの嘲笑の的にならないように許してください。

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 地上でサタンの前に立ち出る群れとならないように許してください。そうすることで、永遠の命を中心にし、愛を中心にし、栄光を中心にし、私が受け入れることのできる私の主であり、愛することのできる私の主であり、歌うことのできる私の主となり、喜びの栄光をこの地上で受けることができるように許してください。切望し、願っております。

 今日ここに集まった愛する子供たちの心に目を向けて力を与えてください。彼らの身体を癒してください。

 彼らがお父様から力を求めるとき、その力を与えてください。彼らが無限の命を求めるとき、無限の命を与えてください。彼らが無限の戦いの道を歩んで天が歩んできた努力の道が彼らの一生で完成するようにしてください。

 残されたあなたの子供たちを立て、天の軍勢に加え、サタンとの戦いに立ち向かえる子供たちとして立ててください。不足のない子供たちとして立ててください。切望し、願っております。

 お父様、すべてをご存知ですので、すべてのことも成してあげてください。心と心が繋がり、天の絆が彼らの身体にまで繋がるように許してください。
切望してお願いし、主の御名に寄ってお祈り致します。アーメン。


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