それで、神様は、この地上にメシアが来るようになれば、メシアに従って共に上がりうる圏を、個人から家庭を経て準備しておきましたが、それがイスラエル民族です。そして、その思想が選民思想なのです。しかし、イスラエルの国は、まだここに上がれませでした。線に引っかかったのと同じです。それゆえ、選民の希望が何かというと、この線を越えることです。この線を越えるべきであって、越えなければ大変なことになるのです。ですが、この線を越えようとしても、自分たちだけでは越える道がありません。ですから、神様はイスラエル民族にメシア、すなわち救世主を送るという約束をしたのです。神様がこれを国家的に越える為に、数千年間準備されたのがメシアです。メシアを送るという約束をされたのです。
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それで、イスラエル民族の前にメシアが来るようになれば、そのメシアを中心として死ぬとしても共に死のうという立場になって、サタンが離そうとしても離すことができないように完全に一つになれば、そこから個人的に接ぎ木して、家庭的に接ぎ木して、氏族的に接ぎ木して、民族的に接ぎ木して、国家的に接ぎ木して、彼らを一時に皆ここまで引き上げあることができるのです。それゆえ、この世界には、選民思想がなければなりません。そうして、神様が選んだ民族を中心として、神様が選びうる国家を形成しなければならないのです。選民がいるというその言葉自体は、神様がいるという事実を証すものなのです。メシアを送るという預言があるという事は、このような原則で見るとき、神様がいる事を証すものです。
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では、我々がメシアを必要とするようになったのは、何の目的があってか? それが問題です。堕落する事によって、我々は偽りの父母を持ちました。神様と一つになった父母がなくなったという事です。神様と一つになりうる父母の位置を、我々に持ってきてくれる方がメシアです。これが第一です。第二は何かというと、我々を再び産んでくれるのです。結局は、我々の体にサタンの血があるから、その血を抜いてサタンの息子娘でないという立場で、我々を接ぎ木して再び産んでくれるという事です。
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第二は何かというと、メシアは我々人間を、サタン悪魔を僕の奴にして、僕として使うことのできる人に作り上げるということです。すなわち、我々人間たちの前にメシアが来て、我々をしてサタンを屈服させて僕にしうる、サタンを屈服させて彼を処断しうる資格者にしてくれるという事です。
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結局、人間が堕落したために、第一は、父母を失い、第二は、サタンの血を受け、第三は、サタンの支配を受けるようになったのです。ですから、それを復帰するためには、逆さまに上がっていかなければなりません。原理を見ると、信仰基台があり、実体基台があります。信仰基台を成して実体基台を成してこそ、メシアを迎えることができるようになっているのです。これが原理なのです。それゆえ、信仰基台と実体基台まで成そうというのです、外的に。(五四・一八六)
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メシアは、それ自体が信仰の目的体であり、希望の目的体であり、愛の目的体です。信仰と希望が成された目的体です。では、メシアを主として、目的を完成したそのときには、何だけが残るだろうか? 目的が皆達成したので、愛だけ残るしかありません。それゆえに、最後に残るのは愛であると言いました。その愛は、信仰の完成実体を通じた愛であり、希望の完成実体を通じた愛です。その愛一つを完成した代表者として来られる方が、メシアだという事を我々は知っています。(一三・一四一)
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・ メシアの使命
メシアのみ旨は何か? 縦的な基盤完結を見て、横的基盤の出現を成立させる事です。そうであるなら、メシアは何か? 天倫のすべてを、神様と人類が行くべき公の目的を縦的基準に一致させて、個人的な縦的完成標準、家庭的な縦的完成標準、国家的な縦的完成標準、世界的な縦的完成標準を完成させるために、その内的計画を全部掌握して来られる方が再臨主だというのです。(七一・八〇)
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