人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

父の祈り(忠誠の祈り)7ー2

2023年02月11日 19時06分05秒 | 学習
22


お父様!
この場に集ったあなたの子女達の心の中に訪ねてきてください。


私達、お父様を欽慕することのできる懇切な心の土台を備えてはいないでしょうか。
今、私達は心でお父様に侍っても、背を向ける悲しい姿勢を持つようになるのではないかと、恐れなければなりません。


本当の意味でお父様に侍り、ありとあらゆる忠誠を尽くすあなたの息子・娘達がいますでしょうか。
無限なる愛と慈悲と哀れみと許しをもって彼らを祝福の恩賜圏内に抱いてください。


あなたの高く貴い愛の心を無限に感じることができるよう祝福してくださいますことを、
お父様、懇切にお願い申し上げます。


この時間、お父様のみ旨を心配しながら、残されたそのみ旨のために戦場に向かって駆けつける勇士、自分のすべてを無限に投入して、闘いに必要な装備を備えるために努力するあなたの勇士がいるでしょうか。


お父様、
彼らをお守りくださって、その国と世界を守り得る一人の代表者として祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あなたの聖なる祭壇で、多くの生命のために犠牲の祭物を捧げる祭司長の職責を負ったあなたの息子・娘達がいるでしょうか。


また、人が寝る時間に精誠を尽くし、人々が楽しむときに苦難の路程を行き、受難の道を歩みながらも、その道が自ら行くべき道であると知り、民族と人類の背後で祭壇の基台を広げていくために、人の知らない中で数多くの受難とぶつかってきたあなたの息子・娘達がいるでしょうか。
お父様、彼らを祝福してください。


彼らが世の中の根であり、その根の影響を受けて世界は生きているということを、彼ら自らが分かるようにしてください。


人が認めてくれないとしても、お父様に感謝できる心、むしろ誰かが認めてくれることを心苦しく思う心を彼らにお与えください。
あなたと一致し得るその場は、このような因縁を経なくてはならないということを知り、人の知らない中で感謝する心を持ってお父様に侍ることのできる息子達となり、娘達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.3.8)


23


お父様!
今までのすべての日々は、悲しみを抱いてみな流れていきました。
それゆえ、私達は今後来る日々を悲しみを抱いて流れていくようにしてはならない責任を負ったのです。


私達はこの国に悲運が宿るこのときに、その悲運を取り除いてしまい、望みと希望を植えてあげるべき使命を持った統一教会の群れです。


絶望と落胆と悲哀と嘆息が漂う現歴史の思潮におきまして、これを克服することができ、新しい望みと希望を残すことのできる統一の主流とならなければならないという事実を知りました。
その道を行くためには、より公的な価値を探し求めて生活しなければならないということが分かる、あなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今まで統一教会があなたの経綸のみ旨に従ってくる過程には、悲しい事情もたくさんありました。


その誰にも話せない痛々しい事情に追われ、足をばたつかせながら、「お父様はいない」と呪いたいときが一度や二度ではありませんでした。


このような過ぎ去った日々を考える度ごとに、言うに言えずにもどかしく、慌ただしく時間、時間を経てこられたお父様が、どれほどかわいそうなお方であられたかを私達はもう一度感じるものです。


私達のために顔を傷つけ、私達のために手足を傷つけたあなたであられました。
それだけでなく、千万回苦労の公的な因縁を備えられ、私達のために涙と血と汗を流されたお父様であることを知っています。


このようにお父様が私達の生活圏内で私達と共に生きておられるという事実を思うとき、お父様の手をつかみ、永遠に放したくない懇切さが私達の心から込み上げてこなければなりません。お父様の首をつかみ、山道であっても、どのような道であっても従っていきたい心が込み上げてこなければなりません。


そのような因縁を備えて、力が足らないとしても、お父様をおぶっていく生活をしなければならないという心が私を支配し、生涯にみなぎるようになるとき、初めて孝と忠の道理を果たした立場に立つということを知る私達となるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.6.4)


24


父母の恩徳を受けた子供ならばその恩徳に報いるのが道理であり、国の恩徳を受けた者ならば君王のために忠孝を尽くすのが臣下としての道理であるということを、私達は知らなければなりません。


あなたが私達の生命全体をこの地上に残してくださったことを思いますとき、この受けた恩賜に私達が報いるためには、孝の道理、忠の道理を果たし、統一された心情を備えてあなたが願われる世界を身代わりすることのできる祭司長とならなければなりません。
これが統一教会の群れが行くべき道であるのを知らなければなりません。


責任を負った者達の生活は、人が寝ているときに寝ることができず、人が遊ぶときにも遊ぶことのできない生活だということを私達は知っています。


今日、統一教会は自分自体の責任だけでなく、歴史的な責任を負っています。
私達が忙しい歩みを促し、み旨のために駆けつけるその途上におきまして、早く行くことのできない自らの歩みを、恨めしく思う心を抱いて行くべきなのが統一の群れの行く道であることを知りました。


お父様がそうであられたために、お父様のみ旨を奉じる息子・娘たる私達もそうでなければなりません。
私達がこれを残そうとするなら、自らが祭物とならなければならないということを知りました。


それゆえ、私達は出ていっても、そこで悲しみを感じて再び私達のみ旨に向かって歩みを促さなければならないことを感じるものです。


個人を捜し出したときの喜びよりも家庭を捜し出したときの喜びが大きいことを知ったなら、あなたも個人を捜し出されたときよりも家庭を捜し出されたときの喜びがもっと大きいことを知るものです。


また、家庭を捜し出されたときの喜びよりも氏族を捜し出されたときの喜びが、氏族よりも民族、民族よりも国家、国家よりも世界を捜し出されたときのその喜びがもっと大きいことを知るものです。


このようなことを考えるとき、そのような世界を捜し出されたときの喜びを天宙万象の前に表す標示として、歌と踊りで万宇宙を抱いて祝福することのできるその日を迎えることが、あなたの内心でどれほど焦がれた願いであったかを私達は知らなければなりません。


この地上に生きている数多くの群れは、誰も恋い焦がれることができず、想像することもできませんでしたが、これを心だけでなく実際の生活過程に進軍する統一の教団を通して、私達に体恤できる現在の立場を備えさせてくださいました。


このすべてはあなたの愛であり、あなたの哀れみであり、あなたの慈悲であり、あなたのあふれる恩徳であることを知り、もう一度感謝申し上げなければなりません。


このように世界的な峠を越え祝福を持ってきてくださったことを考えるとき、自分の処した立場を誤って知り、そのまま通過しようとするかわいそうでみすぼらしい敗者の悲しみを相続するに似つかわしい姿となってはなりません。


お父様が下さるあまりにも大きな恩徳を、千年万年、自らの後孫万代を通して美しく輝かせ相続させてあげるためには、精誠を尽くし忠誠を尽くして誇らしく伝えようと身もだえすることができなければなりません。
そうでなくては、自分自らお父様の前に威信すらも立てることができないということを知らなければなりません。


自らの過去をもう一度回想し、現在をもう一度批判しながらお父様の恩賜と厚徳の前に涙を流し、お父様の高く尊いことを賛揚することのできる息子達となり、娘達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.10.11)


25


お父様!
今、誰よりも尊いあなたに、私達は心の中において侍らなければなりません。


その誰もが侵犯できない心の座におきまして、絶対者であられるお父様に侍って、お父様と共に相談し、お父様と共に相応的な立場で、主体的なお父様と共に相対的な私自体の無限なる価値の立体性を発見し生きていける人生があるとするなら、世の中がいくら悪いとしても、その悪なる圏内で無限なる価値を倍加させることのできる歴史創造の新しい土台をつくっていく異なった何かを発見できることでしょう。


そのようなことを考えるとき、その人が受ける苦痛は苦痛でなく、幸福として消化させ得るものであり、彼は死亡の波が充満したこの地上において不幸な人ではなく、幸福に生きる人であり、幸福のために生きる人であると、私達は知るものです。


統一教会の群れ達はこのような道を行くべきことを知ったために、今まで歩んできた道は受難の道であり、迫害の道であり、寂しい道でありました。しかし、その迫害と寂しさが行き交う交差路に立つそのときごとに、私達が行くべき道は明白でした。


人間が持つべき価値の因縁を植えるために、自らの行路だけでなく四方に伸びて交差するその道まで流れて越えていける善の因縁を残したいと、四方に身もだえしてきました。そのような統一教会の歴史的な事実を考えますとき、悲惨ではありましたが、その中で人の知らない感謝の心情を持つことのできる立場に立ててくださったことに感謝を申し上げます。


そのような場で根を打ち込み練磨して、世界的な足場を築き、あふれんばかりの希望とともにアジアを眺め、世界を行き来する新しい一つの世界を夢見ることのできる愛国者の心情を持つだけでなく、世界人類の中で誰も持つことのできなかったあなたの愛を中心とした、お父様の家庭とお父様の国に対する愛国心を持って生きようとするのです。
天情に従って、忠臣の道理を学ぼうとし、天情に従って孝行の道理を学ぼうとする、より高い次元の価値を探し求めていくこの者達の行く道の前に、祝福のみ手が永遠に共にあるようにしてください。


その生活において加重された価値は、今日、平面的な世界を中心として生きる人のどのような価値とも比較できない高次的な内容であることを知って進むこの者達の上に、あなたの哀れみと愛がより一層共にあってください。


世の中がいかに悪いとしても、この悪なる世の中を導いていくべき主体的な力はより強くなければならず、弱くては駄目であるということを、私達は誰よりもよく知っています。


寂しいときもお父様の能力を身代わりして、私達は寂しがってはならないことを知っていますので、私達がこの世の中の前に影響を及ぼす群れとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


その誰も分立させることのできない世界を中心として絡み合い得る家庭となり、民族となり、国家となり、世界人類とならなければならないということを、誰よりも強く感じた群れがきょうこの時代の統一の群れです。


過去に怨讐であった日本人達も、食口(=家族)の名前を持つときには兄弟となるのであり、色の違う数多くの人種達も食□という名前を中心として、どの民族の中でも見いだせず、見いだすこともできない兄弟の友愛を持って生きる動きが広がっています。


そのような動きがきょうこの地上において基盤をつかみ、実践的段階に向かって突進していますので、お父様が哀れにお思いになってここに無限の能力を加重してくださり、私達のみ旨の勝利の局面に向かって前進するにおきまして、気の小さい者となるのではなく、勝利者の姿を備えて強く雄々しく直行し、前進する天の勇士達となるように許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.2.11)


26


お父様!
駆けていっているこの世界の流れを誰も停止させられないのを、私達は知っています。


今、世界の終末が私達の前に近づいてきていることを知るものです。
共産世界も既に終末を告げ、民主世界も既に終末を告げました。


この終末の中にお父様がお座りになり得る、直接的でありながらも新しい動きがこの天地の間に現れなければなりません。


そうでなければ、全天地は暗澹たる暗黒世界から永遠に解放され得ず、呻吟と病苦と災いの中に包まれるしかないということを私達は思うものです。


今、私達が失ってしまったお父様を再び捜し出さなければなりません。
私達は歩んだ足取りを振り返り、人本主義や物質主義などすべての思想の体制と、現実的なすべての与件を引っ張って、お父様の前に帰らなければなりません。


そのためには、強力な力の主体であられるお父様を知らなければなりません。
無限なる価値の中心であられるお父様をはっきり知らなければなりません。


あなたとあなたの子女達が一つの内容を中心として、時間、時間の生活圏内でどれほど密接な関係を結んで生きるかが問題であるのを知っています。


第二解放、第三解放を必要とするこの歴史的な環境圏の中で、これを克服に克服を重ねることのできる力と価値を自ら備えていくことができるよう許諾してください。


お父様!
統一教会員達は、今、あなたがおられるということをはっきり知らなければなりません。
生活感情を通して知らなければならず、各自、体の細胞の作用を通して感知しなければなりません。


そうして、私達皆が高貴なるお父様の名を呼び、お父様に侍り、お父様のために血の汗を流すことのできる聖なる息子・娘とならなければならないので、お父様、許諾してください。


あなたが動けば私達も動かなければならず、あなたが静ずれば私達も静じなければなりません。あなたが喜ばれれば私達も喜ばなければならず、あなたが悲しまれれば私達も悲しむ息子・娘とならなければなりません。


平和の国に向かって、平和の天国に向かっていくべき希望の息子・娘が凛々しく活気に満ちた姿勢を備えて進むようにしてくださり、天の勇士達となり、天の精兵達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.8.16)



27


お父様!
この地上を訪ねてくるために、どれほどご苦労されたでしょうか。


誰も分からないこの復帰という悲しい路程を経てくるために、どれほどご苦労されたかを、私達が原理を通して学びましたので、それを忘れないよう許諾してください。


あなたが自ら行われた、その足跡に従いながら、あなたの胸の中に積まれた恨みの土台を私達が闘って克服し、勝利の一路を開拓すべき使命が残っているということがはっきり分かるよう許諾してください。


あなたのために足らない私達が仕え奉り、忠孝の道理を果たすとしても、限られた体であるために、限界線を越えられずにいることを知っています。


しかし、お父様はいつも私達を訪ねてこられ、つかんでくださり、私達に行くべき目的を達成させるために激励なさいました。


しかし、私達が倒れ、お父様の前にご心配をかけたときがどれほど多かったか、言葉ですべてを表現することができません。
そのような度ごとにお父様を悲しませ、お父様の背に苦痛を負わせた事実を、お受け入れくださいますよう懇切にお願い申し上げます。


きょうもあなたのみ旨のために身もだえしながら、ひと日の勝利のために精誠を尽くした家庭があるとするなら、その家庭に千倍万倍、福を施してくださいますよう懇切にお願い申し上げます。
地上で精誠を尽くす群れが天上世界の群れと一致して、天と地が授け受けることのできる勝利の土台を備えられるようにしてください。


そうすることによってお父様の顕現と、お父様の行使なさることが、実体としてすべての横的世界に起こることを知っていますので、そうすることのできる統一の運勢がこの地上に現れるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


(1969.6.29)


28


お父様!
きょうこの場にいる私達、果たしてお父様が慕わしくて涙が先立ち得る個々人となり、統一家の繁栄のために自分の一身を自ら祭物にしようと、あえぐ生活をしている群れとなったかということを反省しなければなりません。


来ては逝く人生の行路におきまして、食べて寝るという日常の生活環境におきまして、善い悪いという感情生活におきまして、善いことはお父様によって善く、悪いこともお父様によって悪く、来ては逝くのも食べて生きるのも、人生の生活一切がお父様によってなされなければなりません。


お父様を抜きにしては、私達自体が存在することができないという立場で生きるべきなのが私達の人生であるということを思うとき、私達はあまりにも私を中心とした所有圏が大きかったことを知るものです。
自ら恥ずかしさを感じ、いつもお父様のむちを受けるべき子供であると感じ、あなたの同情だけでも受けることのできる心の姿勢を備えなければならないということを悟るよう、今、お父様が直接現れてください。


イエス様が愛する弟子達を集めて、彼らを代表し得るペテロに「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人達が愛する以上に、わたしを愛するか」という質問を、二度、三度繰り返されたとき、ペテロが「わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」と言ったその場面は、イエス様が尋ねる回数を加えるに従って、ペテロをして強い立場に立たせるのではなく、自分の足らなさに自責の念を感じさせ、新しい決心を誓わせようという教え諭しの場であったということを知るものです。


今、私達自身にお父様がそのように聞かれたときに、「私がお父様を愛し、み旨を愛することは、あなたがご存じです」と答えられなければなりません。


お父様がそれを問われ、問われ、また問われるときに、自信を持って「はい、あなたを愛しています」と答え、その質問の前に涙を流しながら、過去に足らなかった私自身を考え、なぜそのように問われるのかということを感じることのできる立場に立ったなら、「この姿をもって息子の道理を果たす人となります」と言えなければならないのです。


お父様が私達をお呼びになって「お前は天の息子として世界を代表して責任を果たしてくれ」と願われるとき、「お父様を愛し、お父様の命令を望む息子の立場でその日が来るのを望んでいますが、あなたが願われることを今やっと成就するようになりました」と言いながら、千万回死が行き交ったとしても、祭物として犠牲になる行脚の路程が連結されているとしても、行くべき必然的な運命の道であることを知って行かなければなりません。


倒れてしまう場におきましても、お父様の同情のみ手を望むのでなく、自らサタンの嘲弄を受けないために、お父様の前に忠孝の道理を果たそうと誓い、「お父様、心配しないでください。お父様が協助してくださらなくても、私の個体はサタンの因縁を越え得る自信があります。いかなる受難があるとしても、あなたの協助を必要とせず、その場を私自らの責任圏と知って死守いたします」と決意しなければなりません。


同情を望むのではなく、むしろ天を慰労することのできる息子になろうと身もだえするなら、血を吐き倒れる運命に至ったとしても、その人は滅びないということを私達ははっきり知るものです。


そのような息子がいるなら、彼が倒れた場が怨讐の陣営だとしても、お父様がためらうことなく駆けてきて慰労なさるとき、サタンが讒訴することのできない勝利の圈として残されるということを私達がはっきり分かるようにしてください。真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.10.9)


29


お父様!
今から統一教会の教会員達は行くべきとてつもない新しい時代の騎手の使命を前においています。


すべてがあなたの願うみ旨の前に一致し得る精誠のこもった態度と、すべてのものをあなたの前に捧げ得る犠牲精神だけが、この使命を支えられることを知っています。


ですので、くれぐれもそうすることのできる素心を抱き、あなたが導くその道に従って行き、厳粛にあなたが地上で成就なさろうとするみ旨を引き継ぎ、実践公約をするよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今、私達の姿勢がいかに大切かということが分かるよう許諾してください。
民族の前にあらわになればなるほど、主体的責任を果たさなければならないということを知っています。


そのようなことを考えるとき、一切の行動を注意し、統一教会の歴史を通して立てられた人格的な基準を万民の前に見せてあげ、彼らが行くべき方向と座標をはっきり提示して余りある、あなたが立てて誇り、あなたがいつも称賛することのできる、不足のない子女達にしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今、全世界に新しい運勢の旗を高く揚げ、天国に向かって直行する時がやって来ました。
私達が「天国実現」というとてつもない目標を立てました。
この国この民族は、名実共に私達が行く方向の前にいつも心をもって従ってくることのできる立場に立ちました。


今から、私達は一致団結してこの運勢とこのブームを殺すことなく、一つの懐に抱いて勝利の祭壇をお父様の前に民族と共に結んで捧げるべき重大な責任があるということを忘却してはなりません。


過ぎ去ったすべての歳月を、天のお父様の名前とともに洗い流すようにしてくださり、今まで韓民族が責任を果たせなかったことをお許しくださり、再びこの民族を愛してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


かわいそうな既成教会を抱いてください。
彼らを捨ててはならないということをよく知っています。
二千年の間、お父様が苦労され、キリスト教徒達が血を流して立てたそのキリスト教です。
今、私達と共に舞台裏で手を取り合い、一つの網を張って全世界人類をお父様の懐に抱かせるにおいて、なくてはならない存在であることを知っています。


ですので、主体と対象の基準を備え、お父様の国を建国するのに必要な群れとしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
彼らの将来のすべてを指導してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


万々事の恩賜と愛が、あなたのみ名とともにとこしえに共にあってくださいますことをお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1975.6.8)


30


愛するお父様!
流れていく歴史の中のすべての出来事で、あなたの摂理と関係なく起こるものはありません。


悲しい歴史、サタンを中心としたものを克服するための過程において、個人の壁を壊し、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の壁を壊すべき復帰の運命の道があったということを知りませんでした。


この壁を壊すためには、堕落した愛の種が蒔かれて根が打ち込まれたこの世の中で、理想的愛の起源を通ることのできる心情圏を尋ねていかなければならないということを、そうでなくては復帰することができないということを私達統一教会員は知りました。


イエス様もこのような心情を中心として教えるのに、誰でも私をより愛さなくては私の弟子になれないだけでなく、自分に勝って自分の十字架を負ってついてこないものは私にふさわしくないと通告したみ言は、歴史的な宣言でした。
隣り人を愛するのに、自分の体のように愛さなくては救われないと言われました。


真の父母と真の天に侍る位置にいるならば、世界が隣り人ですので、世界をご父母様以上に愛することを望むのが神様の願いであり、ご父母様の願いであるのを知るものです。


父母に侍る孝子の立場で、父母に孝行する以上の心をもって全体の兄弟達を愛するその子供を天が愛され、すべての相続者の代表として立てようとなさることを知ったので、今ここにいる統一教会のすべての子女達は、父母を愛する以上に人類を愛する孝子・孝女の立場を身代わりしなければなりません。


そうすることによって、天上世界であれ地上世界であれ、サタンの心情圏によって因縁づけられたすべての塀と壁を一時に壊し、勝利の覇権を持って天の国を相続するにおいて恥ずかしくない息子・娘となることをこの時間宣言しましたので、この者達がそのような立場でお父様の祝福を受けるに不足のないよう、自らを磨くことにおろそかにならないよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


ご父母様と世界を愛することのできない者は、天国に入れないということをはっきり知りましたので、このことを中心としてここに反対するサタン世界があるとしても、それを愛し消化し得る立場に立たなければなりません。


そうならなければならないことを知ったので、私がそのような者となるか、ならないかを実験、実践するにおきまして、一片丹心、忠孝の心情の道理を備えるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そのようにする者だけが最後の勝利者であり、最後の栄光に同参できる者であり、すべての愛を中心とした相続権を持つ者であり、祝福を受けることのできる立場に立った者であるということをはっきり知り、その道を行くためにすべてのものを犠牲にし、猛進することができるよう祝福してください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1986.2.1)


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父の祈り(忠誠の祈り)7ー1

2023年02月11日 19時05分35秒 | 学習
1


 神様の永遠なる希望が残っている限り、今日、私たちにも永遠なる希望が残っていますし、神様の永遠なる信仰のみ旨が残っている限り、私たちにも永遠なる信仰のみ旨が残っていますし、神様の永遠なる愛の実践が成されない限り、今日、私たちにも永遠なる愛の実体を成すべき責任が残されるということを知りました。


このひと日に蕩減的な歴史を継承するために、私たちは四千年の希望を継承し六千年の希望として、四千年の信仰を継承し六千年の信仰として、四千年の愛を継承し六千年の愛として表さなければなりません。


神様の前に立ち、六千年の希望を永遠なる希望として、六千年の信仰を永遠の信仰として、六千年の愛を永遠なる愛として立てるべき貴任が私たちに残っていますので、きょうの私たちの未熟さと足らなさを受け入れてください。
きょうの私たちの不忠と不孝を受け入れてください。
私たち自体を高く立てたことを受け人れてください。


今、万民の希望を結実させるべき時となり、万民の信仰を結実させるべき時となり、万民の愛を一つの実体として表すべき時となったのに、その一つの実体がどこに結実しているでしょうか。
取るに足らない私たちですが、新しく新婦として装うべき私たち自身であることが分かるようお諭しください。


今日、天と地の中心的な役割を担当すべき人が誰かと言えば、終わりの日の再臨役事を目前にしている聖徒たちであることを知っています。
お父様はそのような人々に永遠なるお父様の希望を任せようとされますが、彼らがその希望を任せることのできる者となったのか、永遠なるお父様の信仰を任せようとされますが、その信仰を任せることのできる者となったのか、永遠なる神様の愛を任せようとされますが、その愛を任せることのできる者となったのかが案じられます。


そのすべてものを担い、お父様の前に永遠に変わらない姿で、お父様の愛に属する人となることによって、今や永遠なる希望の氏族となった者として立たなければなりません。
永遠なる信仰の氏族となった者として立たなければならず、永遠なる愛の氏族になった者として立たなければなりません。
このような責任が私たちに分け与えられているということが分かるよう許諾してください。
選ばれたイスラエルの一つの勝利的な中心実体であられるイエス・キリストの目的を、今日、私たち個々人から成さなければなりません。
すなわち、全体を身代わりした希望の実体を備え、信仰の実体を備え、愛の実体を備えなければなりません。


今、再臨の役事以後には、キリストがこの地上に来られて行動したそのすべてのものを身代わりする、すなわちイエス・キリストの希望の実体として立たなければならす、信仰の後継者とならなければならず、愛の後継者たちとならなければならないので、これがはっきり分かるよう許諾してください。


今、堕落の峠を越えるべき復帰過程に処している私たちが、「お父様の希望を担います。
お父様の信仰を担います。
お父様の愛を担います」と言えなければならず、その希望、信仰、愛をお父様の前に帰し奉ることができなければならず、ひいては万民の前に不変の愛の中心として立たなければなりません。
そうして、お父様の前に愛を受けることのできる勝利的な存在となって初めて、終わりの日の最後の栄光を身代わりできる資格者となることを知っていますので、どうぞお父様が「お前は私の希望の存在であり、私が信じることのできる者であり、私が愛することのできる者」と言える
者たちとなるよう許諾してください。


ひいては、天上天下、全万物の前に宣布して判定の恩賜を受け、和動の一つの条件を立てることのできる勝利の子女たちとなるようお導びきくださいますことを懇切にお願い中し上げすべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1956.6.6)


2


愛するお父様!
お父様が生命の園を眺めることが創造の目的であり、お父様の栄光を歌う真理の園が理想的な園でありました。
永遠不変の愛を中心として、あなたの性相の前に全体が和動してお父様の内的性相や外的形状を表しながら、それに酔って生きなければならない所が本然の園であったことを知るものです。


愛するお父様!
今日、私たちが願う希望の園を感じることができるよう許諾してください。
本然の園を体恤して心で欽慕すると同時に、体を動かして敬拝することができるよう許諾してくださり、心でお父様のみ旨を高めると同時に、また体が祭物として捧げられるよう許諾してください。


お父様が私たちを捜し出すために苦労なさったそのすべての苦労を、今からは私たちに任せてくださり、お父様は栄光だけを受けられますよう懇切にお願い申し上げます。


お父様!
私たちの一生命もお捨てにならず、まずこの者たちの心がお父様の永遠なる生命に連結されて火がつくよう許諾してください。
そうして、お父様の愛の心と一つになるよう許諾してください。


お父様の生命に私たちの体と心が一つとなり、全体が一つとなって祭物として捧げられるこの時間となるよう許諾してください。
そうして、お父様が喜んで受けることのできる、不足のない祭物となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
私たちをお守りください。
分別の役事において責任を持ってください。
サタンが侵犯する私たちとならないよう許諾してください。
ただ、お父様のみ旨のとりことなって、お命じになるみ旨を中心として応じることができるよう許諾してくださり、ここに心と体で順服することができるよう許諾してください。


そうして、自らのすべての足らなさと正しくないすべての要素をお父様の前にさらけ出し、正直に告白し悔い改めることができると同時に、お父様の愛を受けることができるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


この民族が暗闇の中に捕らわれていますので、これを悟らせても余りあるお父様の直接的な役事を表してください。
お父様が働かれる各教会を通して、あなたの息子・娘たちを通して役事を表してくださることを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


約束された終わりの日が近くなり、許諾なさるべき恩賜の時期が来ましたが、私たちはまだ不完全で未熟で足りませんので、私たちをお導きください。
奉じてさしあげるべきお父様のみ旨を、奉じることのできない私たちとならないよう許諾してください。


不備なる私たち自身を嘆息し、お父様の前にひれ伏そうとする私たちとなるようにしてください。
そうして、真なるお父様のみ旨を奉じる忠節の子女たちがこの民族を身代わりした教団の中に多くなるよう許諾してください。


そうして、散り散りばらばらになった教団を一つに結ぶことができるよう許諾してくださり、お父様の全体的な恩賜を身代わりすることができるよう導いてください。


この民族に天の秘められたみ旨を表してくださり、人類の前に、お父様がお楽しみになることができ、そのみ旨を誇ることのできる祝福の日が早く早く臨むよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


今、心と体に、お父様が願われるみ意以外のものがないよう許諾してくださり、サタンの痕跡がないよう許諾してくださり、罪悪の細い根が残っていないようにしてください。


聖別に聖別を重ねて完全無欠な善を中心として、その心と体がお父様の本性の前に自慢することのない謙遜な群れとして、温柔なる姿でひれ伏すことができるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
この民族のために私たちをお立てになり、勧告なさり、私たちと共にお父様がおられるとするなら、私たちをして生きておられるお父様の息子・娘であることを誇ることができるよう許諾してくださり、生命の中心に立っている息子・娘たちであることを証できるよう許諾してください。


お父様!
あなたのみ手に捕らわれた事実を証し、この民族を覚醒させて、サタンの魔の手からこの民族を救うことができるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そうして、民族的な恩賜を許諾なさろうとするお父様の全体のみ旨の前にこの民族が恥ずかしくないよう、私たちを立ててくださって、お父様の前に導いていくよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1956.11.11)


3


お父様!
お命じになったみ言によって万民の前に越えるべき峠が残されていることを知るようになりました。


今日、私たちはお父様の完全性の前に、私たちの不完全性を除くための闘いをすべき立場に立っていますし、不変の真理の原則基準を越えるべき運命が残っているのです。


今や万宇宙の前に、私たち自身を現すべき時がやって来ました。
完全であられるお父様の性相に似て、被造万物を主管しなければならない歴史的運命が残されていることを思うとき、きょうの私は永遠であられるお父様の嘆息を身代わりすべき私であり、きょうの私は永遠であられるお父様の愛を証すべき私であり、きょうの私はお父様のみ言を暗い世の中に伝播して復帰の使命を成し遂げなければならない私であることを知るものです。


ところが、きょうまで信じてきた私たちの信仰生活は、お父様の前に掲げることのできない生活でしたので、この時間、自ら悔いると同時に悔い改めることができ、自ら覚醒することができるよう許諾してください。


今、私たちが持っているすべての観念と主張、主義を、尊厳であられるお父様のみ旨の前に投げ出し、「私」という実存を完全になくして、永遠なる実存体である本性の私を回復し、完全であられるお父様の性稟に似て、お父様の栄光に浸ることのできる私を復帰すべき闘いの路程が残っていますので、きょうこの闘いの路程から後戻りする者たちとならないよう許諾してください。


一日一日の生活を通してそして生涯を通して、お父様の楽しみと栄光となることができ、お父様がお取りになるにおいてふさわしい、美しい息子・娘たちとなるよう許諾してください。
お父様、懇切にお願い申し上げます。


今は復帰の時期を反映させる時であり、昔のイエス様当時と同じく歴史的な審判の基準を越えるべき時期です。


ユダヤ教の前に新しいみ意を提示し、ヨルダン川の川辺での証の役事、洗礼を与えた洗礼ヨハネの役事が世界的に起こっている時期であることを思うとき、洗礼ヨハネの使命が後代の私たちの使命として残されたことを知るものです。


今、天倫の安息の基盤を私たち各自が備え、洗礼ヨハネが証する中、イエス・キリストが罪とサタンの侵犯のない中でお父様の前に栄光を帰すことができなければならなかった一つの善の園、私たちが手に手を取って、心に心を合わせて歌を歌うことのできる一つの安息の園を建設しなければなりません。


このような責任のために、きょう私たちをお召しになり、このようなみ旨のために、きょう私たちを選んでくださいましたので、選んでくださったみ意の前に、寂しさと悲しみを残す息子・娘たちとならないよう許諾してください。
洗礼ヨハネの失敗によって、千秋の恨みが歴史に深く刻まれたことを知っている私たちは、今、天の召しを受け、天の選びを受けたので、きょう私たちがお父様の玉座の前にいで立ち、万宇宙の全体的な摂理のみ旨を完結すべき摂理の足場を造成することができるよう許諾してください。
そうして、完全な土台の上で残された使命を完遂できるよう許諾してください。


そうして、喜びの園で悦楽の栄光を歌うことができ、万宇宙に対してホザナの勝利の栄光を歌うことができ、来られる主の前に栄光を帰すことのできる息子・娘となるよう許諾してください。
懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1956.11.25)


4

時代を越え、世紀を経て、終末のときまで苦労し摂理してこられたお父様、お父様の摂理のみ旨がこの地上に早く成されることを望む私達が、お父様のそのご苦労に、地上で責任を持っていで立つことができるよう許諾してください。


お父様の聖壇を中心として天的な使命を引き継ぎ、地上でイエス様を身代わりしてサタンと闘うことのできる、凛々しい息子・娘となるよう許諾してくださるよう、お父様、懇切にお願い申し上げます。


自分一個体をお父様の前にあからさまにできるよう許諾してください。
自分一個体を衆生の前に掲げて、世紀末的な神様の使命を身代わりして苦労する者達となるよう許諾してくださり、この時代に天が要求なさる天的な使命と召しのみ言に従順に従う忠僕達となるよう許諾してください。


今、私達が心の門を開いて天の内的な祭壇を築くよう許諾してくださり、私達の体をサタンに対する勝利的な祭物として、お父様の前に自信を捨って差し出すことのできる息子・娘として立ててください。


天は、自信をもった勇猛な勇士をお探しになります。
卑屈で卑劣で怨讐達の前にひざますく者達を願ってはおられないことを知っていますので、ここに集ったあなたの息子・娘達、み旨のためならば生命をも投げ捨てることのできる勇士となることができるよう許諾してください。


今、そのような勇士達が必要な時が来たことを知るものです。
天倫のみ旨に向かい合っていた洗礼ヨハネと彼に従った群れが、天の内的心情に燃え上がり、腐敗したユダヤ教全体と対立して新しい事実を展開させたように、今日私達を通してこの民族の前に哀れみの愛の光を現してください。
どうか、お父様の摂理のみ手を引っ込めないでください。


多くの人々の中から呼んでくださったお父様!
行くまいとしても行かずにはおれずに従ってきてみると、難しい道であることを自覚するようになりました。
開拓者の闘志で闘いの一路を開拓し、天の闘士として進まなければならないことを知っていますので、お父様、私達の行く道がお父様のみ旨の道であるならば、いばらの道も意に介さず、険しい山々をも意に介さずに、体が引き裂かれ傷つくとしても、み旨一つだけを中心としてすべてのことを開拓するようにしてください。
ただ、お父様の勧告の恩賜だけを表してください。


お父様!
み旨のために生命を投げ出し、闘いに闘って勝利のひと日を勝ち取るときまで、変わらない信仰をお与えください。
変わることのない一つの中心を備えて、敵地に投げられた爆弾のように、環境を意に介さずに進み、お父様のみ旨の勝利のために爆発することのできるお父様の息子・娘となるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.12.16)


5


お父様!
この地球上に住んでいる四十億人類が、いつあなたの懐に抱かれ得るでしょうか。


私達の先祖のひと日の過ちが、このようにとてつもない歴史的曲折をつづってきたということを思うときあなたの心情には悲しい涙と悔しい事実しか積まれていないことを悟るものでございます。


「私」という一生命を救うために六千年という長い歳月を一日のように、失った子供を捜そうとされる心情を持って歴史路程を経てこられたお父様、きょう私達を呼ばれる、あなたの心情をつかみ、痛哭する心情でもって、あなたのみ前に立っている私達のかわいそうで寂しい姿を
哀れにお思いください。


私達は何一つお父様の前に表すべきものを持っていません。
ただあなたを慕わしく思い、どのような困難があったとしても、あなたのおられる所に行こうという一念でこの場に出てきました。
あなたの口惜しい歴史的な事情を学んだため、そのような事情の土台の上で倒れることなく、あなたを裏切ることのない真なる姿を慕わしく思いながら、この場に出てきてあなたの前にひれ伏しましたので、哀れみのお父様、私達を愛してくださり、私達の心を慰労してください。


弱々しい私達に勧告してくださり、落胆の境地であなたを恨んでいた自分達を発見し、涙でなければ悲しみのお父様を知ることができず、あなたに対することのできない足らない自分達であることを発見することができる時間となるようにしてください。


また、この民族の凄惨な姿を身代わりして祭物にならなければならない私達であるということを発見するようにしてください。


万民を身代わりして、お父様の訪ねてこられるその道の先鋒に立って、怨讐サタンと対決する天の勇士とならなければならないことを、悟るようにしてくださいますよう懇切にお願い申し上げます。


この時間、各自の体を自分達の体として考えないようにしてくださり、自分を中心として考えないようにしてくださって、ただ天と地を思い、残された復帰のみ旨に責任を負うべき私達であることを発見できるようにしてくださいますよう、お父様、懇切にお願い申し上げます。


自分自身の目的を追求する立場に立たず、公的な目的を追求してあなたのみ旨を身代わりし、あなたの全体的な使命を果たし抜けるようにしてくださり、お父様の聖なるみ前に贖罪の焚香を捧げる祭司長を身代わりする聖なる者達となるようにしてくださいますよう懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1965.10.17)


6


復帰の路程の上にどれほど多くの曲折があったかを思えば思うほど、私達が行くべき心情の峠が残っているということを思わないわけにはいきません。


お父様の路程にこのように曲折が多かったことと、お父様の事情がこのように悲惨だったのは、私達の先祖の罪によるものだったことを知っています。アダムとエバの過ちによるこのすべてのゴルゴタの恨みを私達も踏み越えていかなければならない時が来ました。


あなたが歩んでこられた道に従ってきてみると、十字架の道でした。しかし、人知れないその道を開拓者の心情で身もだえしながら従ってきてみると、その道が滅びの道ではないことを知りました。


人間達は嘲弄しましたが、あなたは激励なさいました。
数多くの人間達は反対しましたが、あなたが慰労してくださいました。
「私がいて、霊界にいる千々万聖徒達がお前の行く道を擁護する」とおっしゃり、何度も勧告されたことを私達は知っています。


私達はあすの黎明を迎えるために、この渦中にも暗闇の道を手探りして行かなければなりません。
この暗闇の道を経ていってこそ、新しい黎明を迎えることができるということを知っているために、統一の役軍達は、人々が嫌だという明け方の道をたどりながら、今まで闘ってきました。


この路程で私達が涙を流すとき、涙を流されるあなたと共にあることを願い、汗を流し飢えるときにも、あなたの苦労の路程を慰労することのできるひと日を立てるために身もだえしたことをあなたは知っていらっしゃいます。


恨み多かった過去を思い出として残し、涙とともに神様を案じる者達となるようにしてください。
恨み多い思い出と、涙でもって歩まれた恨み多い過去を清算してください。
あすの善を探してお笑いになる希望のお父様の姿が慕わしいのです。
きょうの自分のみすぼらしく、かわいそうな姿を忘れたまま、孝子の道理を果たそうと身もだえしようとする、あなたの息子・娘達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1968.12.26)


7


長い歴史を経ながら苦労してこられたお父様に、私達が侍ることができるよう許してくださり、長い歳月私達を心配され、サタンに対して闘ってこられたお父様の事情が分かるよう許諾してください。


未来の希望を置いて選んだ息子・娘達を抱いて栄光の座にお導きになるために心配しておられるお父様の心情を知る私達となるよう許諾してください。


きょうの私達が存在するようになったのは、私達自体の意志ではなく、私達が享受している生の栄光も、私達をして持つようになったものではありません。
きょう私達がお父様の前で喜ぶことができるのも、私達の苦労によるものではなく、すべてが数千年の歴史を経て、苦労してこられたお父様が哀れみを施してくださる恩賜によるものであることを、私達が分かるよう許諾してください。


私達がお父様の恩賜の能力を身代わりすると同時に、世界の人類を身代わりして天倫の全体的なみ旨を示すことのできる息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


人間を立てて栄光を受けることを望まれるお父様であられることを知り、そのみ旨を成してさしあげようとする群れがこの地にいるでしょうか。


そのような群れは、あなたが万民を祝福することのできる足場となり、全宇宙を祝福なさることのできる栄光の土台となるということを、私達がすべて悟るよう導いてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


きょうの「私」を私達一個体の中で探ることがないよう許諾してくださり、歴史を身代わりし、全体宇宙を身代わりし、未来の世界を身代わりして、天倫のみ旨の前に恥ずかしくないお父様の息子・娘となるよう許諾してください。
そのような息子・娘となったことを誇ることのできる、喜びの栄光を私達に許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!きょうここに集ったあなたの息子・娘達、自らをお父様の前に率直にさらけ出したでしょうか。
自らお父様の許諾された祭壇の前にひれ伏したでしょうか。


また、自分達を犠牲にして歴史的な罪悪を蕩減できる生きた祭物となっているでしょうか。


現実の罪悪に責任を持った新しい祭物となって十字架を負い、ゴルゴタを越えていかれたキリストの人格に倣う私達となっているでしょうか。


未来の栄光のためにお父様を身代わりしてサタンと闘い勝利した栄光の実績を、私達は持っているでしょうか。


お父様、このような息子・娘達となって、あなたの栄光を歌うことができるよう許諾してくださり、この一つのみ旨のためにお父様に従い得る忠実な子女達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1957.6.23)

8


お父様!
私達が困苦な立場に置かれているとしても、眠っているこの民族を身代わりして立ったからには、それがお父様の楽しみと栄光になるべきものであることを知っていますし、私達の悲しみと私達の失望と私達の嘆息が、私を中心とするのでなく万物と天宙のためのものであるならば、それ以上栄光にあふれたことはないということを知っています。


天のために心配することができ、地のために心配することのできる心だけが私達に充満するよう役事してくださり、自分自ら、天から任せられた使命を感じまいとしても感じざるを得ないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、私達自体が天上のみ旨に向かい合って立っているということを、はっきり悟るよう許諾してくださり、私達が動ずるのも天を身代わりして動ずるという自覚的な心情を持つようにしてくださり、民族を身代わりしてサタンと対抗して闘い、あなたの任せられた責任を完遂するよう許諾してください。
あなたが許諾された祝福を民族を身代わりして受け、消化することのできる息子・娘となるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


そうして、眠っているこの民族を悟らせるよう許諾してくださり、暗闇にのみ込まれていく全世界人類を救うために、お父様の前に訴えることのできる息子・娘となるようお導きください。


私達が責任を負うといって、私達一個体の生命だけに責任を負う立場に立たないようお助けください。私達の生命をお父様の前に差し出し、民族を身代わりし人類を身代わりした責任者として立ち得る、神様が望まれる私達となれるようお導きくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1957.8.4)


9


本然の真の人を失ってしまったお父様が、長い長い歳月を通して復帰摂理をなさるために、どれほどご苦労なさったかということを知っています。


その本然のアダムとエバをお慕いになりながら、歴史路程の血のにじむ数々の峠を越えてこられたということを、私達が心で、体で体恤するよう許諾してください。


このことを継承して摂理のみ旨を奉じてきた私達の先祖達も、行く所々ごとに十字架の物悲しい路程を歩んできたということを知っています。


今、行こうとして残されているこの十字架の道を、今日終わりの日に処している私達が、残らず行かなければならない歴史的な責任と摂理的な責任が残っているということを知っていますので、あなたの力とあなたの勧告をもって私達に再び衝動をお与えください。


そうして、残されたこの十字架の峠をすべて越え、願われた本然の園の中でお父様の栄光を歌うことのできる喜びの姿となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


このことを成就するために私達が悲壮な覚悟をし、銃剣を取って戦場に出ていくごとくに、出発しなければならない時がやって来ましたので、お父様、摂理歴史の前にふさがっている十字架の数々の峠を蹴散らし、いで立つことのできる天的な覚悟をする私達となるようにしてくださり、その進みゆく道をふさいでいる数多くのサタンに対して、闘っていくことのできる力を私達に許諾してください。
お父様、懇切にお願い申し上げます。


その戦場で勝利した姿として現れ、お父様の栄光の園でお父様に親しく侍って生きることができるよう許諾してくださり、お父様が願われた全体のみ旨を成し、お父様の愛を歌うことのできるあなたの息子・娘達となるようにしてくださり、サタン世界と全万物万象の前に立てて誇ることのできる、お父様が探し求められた息子・娘となるよう許諾してください。


そうして、お父様の前に捜し出された息子・娘としてお父様と永遠に同居することができ、お父様のみ旨とお父様の思想とお父様の願いを成し遂げた者として、喜びと栄光の歌をもってお父様を慰労してさしあげることのできる、真の子供となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1959.2.22)


10


お父様!
カインとアベルの闘いが始まったその日から、死亡の土台が居座ったその時から今日まで、その死亡の世界は消えずにあります。


そして、人間達がこのような環境の束縛を抜け出せない中で、お父様の闘争の歴史が、編まれてきたということを、現在、私達は感じているのです。


今、嘆息の条件が残っているとするなら、その条件を解かなければならず、私達のすべき苦労が残っているなら、それは誤ったこの土台を整備し清算すべき苦労であることをもう一度感じなければなりません。


悲しみの歴史は善を基本として峠を越えながら、今まで起きてはまた悲しみにぶつかって倒れ、倒れてはまた起き、またぶつかる、そのような歴史として連なってきました。
この悲しみの障壁が現世の目前に現れ、世界的な障壁として残っているということを思うのです。


お父様!
この障壁を退けるためには、個人だけでは駄目なのです。
志のある数名の同士だけでは駄目なのです。


そうするために、お父様は個人を呼び集めて家庭を築かせ、家庭を呼び集めて氏族を築かせ、氏族を呼び集めて民族を編成させ、民族を呼び集めて国家を編成させられたのです。


国家を成しても、さらに一つに統一された世界に向かって行軍していくことを望むのが、お父様の願いでした。


ゆえに、お父様の志された目的どおりに罪悪を清算し、あなたのことに責任を負うことのできる個人と家庭と氏族と民族がなくてはならないということを私達は考えなければなりません。


人によって外的な悲しみの歴史となったにもかかわらず、この地上にそのすべてのことに責任を持ち、世界のために身もだえするお父様の息子・娘がどれほどいるでしょうか。


各自の心情を通してもう一度問い返し、お父様の前にいま一度新しい姿勢を備えるこの時間となるようにしてください。
「哀れみの条件と哀れみの態度を持った」とお父様が記憶することのできる自分となったかを、もう一度悟ろうとするこの時間となるようにしてください。


お父様!
あなたは苦しくても私達の要求にお答えになって、あるひとときに福を与えることのできる時を持っておられるお父様であることを、私達は知らなければなりません。


このような日々を連結されて、六千年の間悲しい歴史に対されるお父様の心の傷がどれほどひどく、お父様のそのご心情はどれほどの苦痛であったかと思うものです。


このようにゆがんで積もっている心情的な恨みを解いてあげる者が、どこにいるでしょうか。
真なる孝子でなければならないのであり、真なる孝女でなければならないのです。
しかし、
家庭を中心とした孝子をもってしても駄目であり、氏族を中心とした孝子をもってしても駄目であり、民族を身代わりした孝子をもってしても駄目であるということを知っています。


世界を身代わりし、天と地を身代わりしてサタンの前に表し、誇ることのできる真なる孝子とならなくては、お父様の心の中に深く刻まれている隠されたその心情を現すことができないという事実を、私達が分かるよう役事してください。


このようにとてつもない内的な苦衷を背負った立場におられるお父様を思うことができなかった、過去のことを受け入れてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によって懇切にお祈りいたしました。


アーメン。
(1969.6.8)


11


ここに集まったあなたの子女達を哀れにお思いください。
「私達の責任」というものが、とてつもない歴史とともに相続されたという事実を私達はみ言を通して知りました。


そこには、まだ個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の蕩減路程が残っているということも知りました。


しかし、私達一個体の余生でもってこの道を行くにはあまりに足らないことを感じながら、青春の時代にその責任を果たせなかったことに対し、自ら反省し、自らを責めることのできるあなたの息子・娘とならなければなりません。


私達に負わされた十字架を避けていくのではなく、残されている十字架まで負っていこう、負っていって死んだとしても、「すべてを行って死ぬ」と言うことのできる立場で倒れるようになるならば、その一人によってあなたは三人を刈り入れるという天理の原則に従い、善なる世界の版図を広めてきたという事実を私達は知りました。


あなたはこのように、先に打たれて奪ってくる作戦をし、死んで繁殖させてくる作戦をし、自ら失って全体を取り戻してくる作戦をしてこられたということを知りました。


今日、わが統一教会は、統一教会自体のための統一教会となってはなりません。
国を生かすための統一教会とならなければならず、大韓民国は大韓民国のための国となるのではなく、世界を生かすための大韓民国とならなければならず、世界は世界のための世界ではなく、高貴なる生命の起源であられる神様の愛に接する世界とならなければなりません。
民主主義の生命の道がそこに結びつけられるときに、人間が喜びを迎えることができるというとてつもない事実を、私達は悟らなければなりません。


私達はたとえ低く卑しい身であったとしても、高く貴い、心が指向するその背後には、とてつもない歴史的な因縁が横たわっているという事実を知りました。


このようなことを思うときに、心の孤独さと私達が一つの友となり、心が指向するものに歩みを合わせて進んでいかなければなりません。
外的なすべての因縁を切ってしまうとしても、そこに仲間になって行くことが、私達の行くべき道であることを知りました。


今日、悟りの道を行くためには、心の主体と対象の因縁を尋ねていかなければならないことを、私達は知りました。
ここに集まったあなたの子女達を記憶してくださり、お父様の愛を中心として、対象の位置に立つよう許諾してください。


夜を明かしながら、お父様に向かって大声で泣いて訴えることのできる娘の姿、息子の姿となるようにしてください。


お父様が慕わしくて涙を流しに流す息子・娘がいますなら、その息子・娘の涙は無駄なものではないという事実を、私達が悟るよう許諾してください。


私達が今立つべき位置は、神様の息子・娘の位置であることを知っています。
その位置で私達の個体だけでなく、世界を懐に抱き、世界を生かして死のうという心でもって息子の責任を果たし、娘の責任を果たすよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あなたの望まれることは世界的であるために、この世界を超えて飛翔するのが息子・娘の責任であるということが分かるよう許諾してください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.2.14)



12


お父様が生命の道を開拓してこられた路程はこの上なく厳粛な路程であり、この上なく聖別された路程であったことを私達は知っています。


残された摂理の路程が悲しみの路程であるならば、この悲しみをふさぐべき責任が私達にあることを知っていますし、天の無限なる悲しみを感じることのできない者は、その悲しみに責任を負うことができないであろうということも知っています。


残された天の悲しい心情と残された天の闘いに責任を負わなければならないことを知っていますので、残された天の悲しい心情と闘いに、責任を負おうとする者達となるよう許諾してください。


このみ旨を成就するためには、誰よりも大きな悲しみを体恤しなければならないことを知っていますし、誰よりも悔しい立場の戦場でも落後者となってはならないことを知っています。


お父様!
イエス様が来て逝かれてから二千年の歴史が経過しましたが、イエス様がカルバリ山上で積まれ、天が共に泣かれた真の勝利の祭壇はこの地上に現れていません。


天が動かずにはいられず、地上の人間達が動かずにはいられない、天と地が接する世界的なゴルゴタ山頂が現れるべき時となり、ゲッセマネ山頂が現れるべき時となったことを知っています。
このような責任を消化する数多くの聖徒達がいなければなりません。


しかし、天が訪ねてきて喜ぶことのできる群れがいないのを知れば知るほど、お父様の心情を心配する息子・娘達は、この地を眺めて痛哭せざるを得ない現実であるということを、私達は知っています。


きょう私達が心と体をすべて捧げて、お父様のみ手に捕らわれることができ、お父様の心中に立てられ得る息子・娘となって、歴史的なすべての悲しみを担うことのできる姿となるよう許諾してください。


お父様が親しく役事されるその役事を通して、私達の心と体が新しく復活するこの時間とならなければならないことを知っています。


私達に任せられたところの責任をすべて果たすことができなかったことをお許しくださり、お父様の前に忠誠を尽くせなかったことをお許しくださり、お父様の心情をつかんで、涙ににじんだ生活ができなかったことをお許しくださり、私達一個体一個体を訪ねるために、あなたが苦労の歩みを意に介されなかった事実を忘却してしまったことをお許しください。


新たな覚悟と新たな決意をし、各自が過去のすべての足らなかったことを悟り、お父様の心情を中心として、自らの心をつかんでいで立つことのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


この民族の前に許諾なさった祝福を、この時間を通してお下しくださいますことを懇切にお願い申し上げます。勝利のひと日に責任を負ったあなたの息子・娘達、その使命と責任を果たすことができるよう許諾してください。


このみ旨をなし、お父様の栄光を表すべき責任が、この民族にあることを知るものです。
その責任を完遂していく過程には、無限の試練があることを知っていますので、その試練の路程においても責任を果たして、お父様を身代わりして出発することのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


このみ旨を知ることのできない数多くの人類にも祝福をお与えください。
生命と死亡の波が一度にさらっていくこの時に、お父様をつかんであなたの息子・娘となることのできる群れが、この人類の中に多く現れるよう許諾してください。


人類を審判のむちから逃れるようにしてあげる全体の責任を果たし、お父様の前にいで立つことのできる息子・娘がこの地の人類の中に多く現れるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


このような使命とこのような時とこのような責任を知ることのできない者達がいるとするなら、私達を通して警告させてくださり、彼らをして終わりの日の責任と使命を消化させることのできる息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1959.3.15)


13


お父様!
あなたの懇切な事情と悲しい心情をかき抱き、「自らが責任を負います」と言う娘達がいるでしょうか。
彼女達を激励してください。
そのような息子達がいるでしょうか。
彼らをつかんでください。


あなたがお残しになった最後の戦場で勝利の栄光を勝ち取り、お父様の前に凱旋歌を高らかに響かせ、お父様の栄光を賛揚する誇らしい姿をお見せすることのできる真なる息子・娘達となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
あなたが喜ぶことのできる家族と兄弟達が現れることを、どれほどお望みになられ、その氏族とその民族とその国家をどれほどお望みになられたでしょうか。


そのようになるとするなら、このすべてのゴルゴタの山頂は平地とならざるを得す、サタン勢力は倒れてしまわざるを得ず、天はみ旨のむちを取って打たざるを得ないという事実を私達が知って、残された路程を従順に行くことのできるあなたの子女達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私達にはお父様を愛することのできない恨みが残っていますので、その恨みを解かなければならず、お父様の前に孝行の道理を果たせなかった恨みが残っていますので、その恨みを解かなければならず、お父様の前に忠臣の道理を果たせなかった恨みが残っていますので、その恨みを解かなければなりません。


そのためには闘いの路程で孝行の道理を果たさなければならず、忠臣の道理を果たさなければなりません。
お父様に侍り、親孝行を尽くし、忠臣の道理を果たしながら、お父様に仕え奉ることのできる平和の天国が早く早く成されなければなりません。


その日のために、私達はきょうを誇り、あすを準備しなければならず、喜びの中に行く道において疲れてしまわないようにしてくださり、また天に背反する者とならないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


天が呪う立場に立たないようにしてください。
私達が流す涙は万民の生命の源泉となり、多くの生命がその涙の道を行かざるを得ない生命の動機となるようにしてください。


多くの民が神様の前にひれ伏して忠臣の道理を果たし、感謝することのできる因縁を残す私達の行路となるようにしてください。


私達の逆境の道がそのような道となるようにしてくださり、私達の悲しい生活がそのような生活となるようにしてくださることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
この民族の前に福を施してくださり、世界万民に福を施してください。


天上で再臨のひと日を待ち焦がれている数多くの霊人達の恨みを解怨してくださり、お父様とイエス様の恨みが解怨され、この地に平和の王国が建設されて、お父様が統治することのできるその世界が早く早く成されるようにしてください。
懇切にお願い申し上げます。


万々世の栄光と勝利がこの地上に充満して、お父様と共に喜び、お父様に栄光を帰し奉り得るそのひと日が早く早く来ることを懇切に懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1965.12.26)


14


お父様!
お父様は私達が、真なる孝子孝女となることを望んでおられることを知っています。


今、真なる家庭、真なる氏族、真なる民族、真なる国家、真なる世界を成すべき私達であることが分かるよう許諾してください。


お父様!
今日まで、あなたが足場とすることのできる地がこの天地のどこにあったでしょうか。
そのような氏族があり、そのような国があり、そのような世界があったでしょうか。


お父様はいつも異邦人であられました。
東風が吹いてくれば西の方に追われなければならず、北風が吹いてくれば南の方に追われる、このような流浪の生活を六千年も続けてこられたということを知っています。
私達人類始祖が、ひと日の失敗によってお父様に曲折の歴史を経るようにしたことを私達は知っています。


お父様!
堕落した歴史を再創造、再編成すべき真なる理念を望む統一教会がありますので記憶してください。


歴史的な先狙達のそのすべての失敗が、歴史の路程の上にどのような結果をもたらしたのかということをよく知っていますし、悲しく恨み多い歴史が継続してきたということもよく知っています。


お父様、
二度とそのような歴史が繰り返されてはならないということを、骨髄に染み込むまで体験しました。
神様のために生きることのできる忠誠と孝行の道だけが、私達の生涯の最上の目的となるようにしてください。お父様の前で、忠孝を誓うこのような立場を有り難く考えることのできるお父様の役軍達となるようにしてください。


そうして、ついて来たサタンもこれ以上ついて来ることができず、別れを告げるようにしてください。
これから私達が越えるべき険しい山々を喜びをもって越えていくことのできる、お父様の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
聖なるひと日がこの国、この地上に立てられたことを感謝申し上げます。このひと日が現れるまで、お父様がどれほどご苦労なさり、また嘆息していた万物がどれほど待ち焦がれていたかを知っていますので、このすべてのものを喜んでお受けください。


そうして、この地球上で世界的な勝利を果たし得るその日を早く成すことができるよう役事してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1966.6.19)


15


お父様!
どんなに東奔西走するとしても、私達の行くべき道は既に決定されています。
そこに向かってきょうも行かなければならず、あすも行かなければなりません。


蕩減復帰路程を行きつつ、私達は落胆するときが多くありましたが、落胆せずに耐えるようにしてくださったお父様の恩賜を有り難く思います。


六千余年、長い長い歳月を過ごしてきながら、私達の先祖達がお父様の前にどれほど懇求し、また私達も自ら進んでお父様の前に集ったときがどれほどあったでしょうか。


しかし、お父様はいくら困難であっても、背を向けることができないために耐えに耐えて、信じてきた息子達が侮辱を浴びせる場でも、歯を食いしばり、思いを抑え、耐えなければならなかったお父様の事情に接するものです。


そうですので、私達はお父様のために身もだえする子女とならなければなりません。
そのようになるとき、お父様が私達を「愛する息子だ」と言われるでしょうし、「愛する娘だ」と言われるはずだと思うのです。


そのような群れが一つとなって一氏族を成すようになれば、お父様が愛さざるを得ない氏族であり、そのような氏族が一つとなって一民族を成すようになれば、お父様が愛さざるを得ない民族であり、そのような民族が国家形態を備えて世界の舞台に立つようになるとき、お父様はその国家を祝福せざるを得ないということを、私達が分かるよう許諾してください。


人の知らない蕩減復帰の路程を歩いている私達が、昔はお父様の前に忠誠を尽くすことを願いましたが、どのように忠誠を尽くさなければならないかを知らず、ある日お父様に対し得る位置に立たなければなりませんでしたが、その位置を捜し出せませんでした。


しかし、今の私達はお父様を呼ぶことのできる位置を捜し出し、お父様のために忠誠を尽くし得る環境の基盤の上に立っています。
お父様のために働くことができるということを栄光に感じ、有り難く思い、進むことのできる天の勇士の姿を備えたあなたの子女達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達は、漠然と信仰生活をするのではなく、お父様のみ旨の前に定められた行路をたどって、一歩一歩進まなければなりません。
これが復帰路程を行く私達子女の行くべき道であることを知ったものです。


み旨が成されるその日までは、私達が平坦な道を行ってはならないということを知ったので、感謝する心で各自任せられた責任を果たし、お父様の前に忠誠を尽くし、足らない自らを責めながら進むことのできる、あなたの息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様と私達が望む理念の世界が早く早く全天地間に成されることを懇切にお願い申し上げます。
そのためには、私達各自が蕩減的な祭物過程を経なければなりません。


今の力では足らないとしても、忠誠を尽くしていつかはお父様のみ旨を成してさしあげる、あなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1967.6.8)


16


お父様!
あす、あさってになれば新しく月初めを迎え、あなたの愛する娘達がみ旨のために南韓の各地に出ていきます。
この者達の行く道を、お父様、お守りください。


この者達のためにあなたが前もって準備なさり、お命じになった決定的な日が近づいていますので、この者達の行く道をあなたが担ってくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この日を中心として、新しい天の運勢がこの国に訪ねてくるよう許諾してくださり、寂しい統一の群れが訪ねていくことのできる一つの契機が備えられるようにしてください。


この者達が活動をして、追われ、追い回され、一人残るようになっても、お父様の前に心からの感謝と栄光と賛揚を帰し奉ることができるようにしてくださり、その期間が聖なる期間となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
人々が眠るときに、家庭を飛び越えて敵軍に向かって立つその歩みを、お父様、お守りください。


この者達が寂しい立場に処すのは、あなたの寂しさを身代わりするためであり、この者達が凄涼なる立場で闘うのは、あなたの戦場を相続して、あなたに近づくことのできる安息の場を見いだそうとするためですので、この者達が寂しいときには友となってくださり、この者達が悲しいときには同行してください。


そうして、この者達がお父様のみ旨を成就することができるよう、毎日、内外においてお守りくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この者達は平和の国を相続しようという女性達として、新しい旗を高く掲げ、天の国の光復のために血涙を流しながらも、お父様に感謝することのできるあなたの愛らしい娘達ですので、あなたがつかみ、役事してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この者達が通っていく所ごとに、この者達が流す血と汗と涙の跡の残される所ごとに、生命が復活することのできる源泉となるよう許諾してください。


そうして、あなたの恩徳によって勝利の土台を獲得し、奪われた群れをしてこのように愛され得るひと日があるということを万天下に誇ることのできる期間となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達はかわいそうと言えばかわいそうな立場に立ちました。
国を持てなかったかわいそうな私達であり、民族を持てなかったかわいそうな私達です。


今まで数多くの宗教者達が民族を分けてくるために行った凄惨な最後の障壁に決着をつけ、この地上に天国を創建すべき厳粛な使命を背負っているということを知っています。


地上のもののためにも生命を捧げる、この地の実相を目撃し得るこの時ですので生命を捧げ、自分の家族を祭物として捧げるとしましても天の国を建てるために身もだえすることのできる聖なる婦女子達となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この者達が全国を縫っていく一歩一歩に、あなたの悲しみを根絶やしにするための心が滲み出るよう許諾してください。


また、この者達が望む基準は、勝利の旗を掲げ、天に向かって勝利の凱歌を歌うことですので、お父様のみ名とともにそれに徹した心を持ち、そのような心に埋もれ得る生活となり、そうすることを信条とするよう許諾してくださいますことを、わがお父様、懇切にお願い申し上げます。


今、お父様を思慕した足取りが、お父様の国のために限りなく泣くことのできる足取りとならなければなりません。
お父様のひざと裾をつかみ、生涯をかけて進んでいかなければなりません。


そうして、過ぎし日に編んできた誤った歴史を、お父様を身代わりして一刀のもとに切って、復帰してさしあげられる勝利の日を待つよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


この国に対するお父様の願いが成される日が、私達の前に近づいてくるのが分かりますので、白い衣を着てひざまずき、世界をお父様の前に導くために誠心誠意を尽くす統一の役軍達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(197011.29)


17

お父様!
昔から数多くの聖人・賢哲達が天国を語るとき、怨讐と闘う激しい場で、自分の憤怒と自分のすべての血気をあらわにして怨讐と争う場で語ったのではなく、怨讐の刀の前でも自分自身を忘れ、静かに天を慕い参拝する場、安らかに天の懐に抱かれる場、怨讐の環境を超越する場で語ったということを知るものです。


今日、罪悪が入り乱れて、サタンの群れが周囲を包囲しているこの現実において歴史的な怨讐が私達を狙うこの場において怨讐を物ともせず、あなたの聖さを賛揚し、あなたの気高い貴さに酔って千年万年生きたいと思いながら心の喜び、体の喜びを持って進む者がどこにいるでしょうか。


私が持った選民の権限を奪う者がどこにいるかと言いながら、堂々と立つことのできる群れだけが天国の一員であることを、私達は知らなければなりません。


十字架の患難の道において、孤独単身で寂しく涙された物悲しいイエス様のみ意に従うために、先烈達は飢饉と飢えが連続する生活の中でも、自分一身が悲惨な淵に追われる立場でも、天地の苦難にもへし折られなかった歴史的な事実を私達は知らなければなりません。


イエス様は天国を建設されるためにすべてのことに耐え、むちを受け殺される場でも、その決意がへし折られなかったという事実を知るものです。


そのような場で耐えて残され、勝利の盾を取っていで立つ者だけが、天国と因縁を結ぶことができ、天国を所有することができるという事実を、私達は本当に学ばなければなりません。


どんなにいら立たしく、どんなに物悲しく、どんなにかわいそうな立場に置かれている私達だとしても、私達よりもっとかわいそうなお父様がおられることを思うとき、その前に私達が祭物となり、私達よりもっとかわいそうなお父様を慰労してさしあげるべきであることを知りました。


そのお父様に侍り、孝の道理を追求するにおいて、お父様の威信とお父様の立場とお父様の事情を私達を通して通告することのできる……。
父母の心情を備えた一人のお方が私達に対して孝子になれと言うのは、死の道を行けということであり、忠臣になってくれと言うのは、裂かれに裂かれるいばらの道を行けということであると思うとき、父母の立場におられるお父様が地を訪ねきた歩みが、どれほど物悲しい姿であっかを私達は感じなければなりません。


そのようなみ旨を抱いてこられながらも、そのみ旨を成してくれと言うことのできないお父様であられることを知り、私達の心情の奥深くに甚だしい痛みを感じなければなりません。


その内情の一片を引き継ぎ、お父様を慰労することのできる姿となり、三百六十度、どの方向においても真なる一人の姿を備えて、お父様だけが必要とすることのできる子女となろうと、身もだえする私達となるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.9.28)


18


お父様!
私達をこの場に立てて、私達を通して解怨成就なさろうとするお父様の聖なるみ旨があることを知るものです。


あなたが解怨成就なさろうとするそのみ旨の前に忠誠を尽くして、なくてはならない子女達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


きょう私達が存在するようになったのは、私達自身によるものではないことを知っています。
始まりもあなたであり、終わりもあなたであることを知って、あなたの前に全体をお任せいたしましたので主管してください。


私達によって勝利の個人と、勝利の家庭と、勝利の国と、勝利の世界を復帰なさり、さらには勝利の天国を成してくださって、お父様お一人が栄光をお受けになられますことを懇切にお願い申し上げます。


犠牲になり、祭物となられたあなたのすべての悔しい事情を、私達が身代わりに担い、必すあなたの恨みを解いてさしあげ、喜びと栄光を帰し奉り得る子女達となることをお誓い申し上げます。


お父様!
私達を中心として、三時代の因縁が結ばれていることを知っています。
過去に来ては逝った数多くの先祖達が、私達によって解怨成就され得ることを懇切に望み、世界中に散らばっている人類が解放のひと日を待ち焦がれ、未来の後孫達が解放のひと日を待ち焦がれていますので、彼らを解放してあげることのできる私達となるようにしてください。


そうして、天のみ旨を奉じ、地のみ旨を奉じて人類の道理を探し立てることのできる息子・娘達となるよう許諾してください。
懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によって祝願いたしました。


アーメン。
(1969.10.19)


19

お父様!
お父様の道は、個人と家庭、民族と国家、そして世界を通して行かなければならない旅人の道です。


お父様のその道を守ることができ、その道を歩まれるお父様の前に、孝子孝女となり得る真なる子供がここにいなければならないため、お父様、ご照覧くださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様が行かれる家庭の十字架の道を、私達がついて行かなければならず、氏族の十字架の道を私達がついて行かなければならず、民族の十字架の道を私達がついて行かなければなりません。
国家を経て世界、ひいては天宙復帰のとてつもない課題を背負ったその十字架の路程を私達がついて行かなければなりません。


その道を行くにおきまして、お父様を先頭に立てて行ってはなりません。
お父様の前に立って、お父様の前に置かれた十字架を、私が身代わりして背負っていこうと言える天の孝子と忠臣の姿になるよう許諾してください。


そのような姿とならなければならないことを私達は知っています。
そうならなければならないことを私達が学びましたので、私達をして、そうすることのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達にとって最も貴いことは、お父様が行かれる道をお父様と共に行くことであり、お父様が生活される生活の舞台で生きることであり、お父様が行かれるその道で死ぬことです。


これが私達の一生の目的であり、人間としての最大の幸福であるということがはっきり分かるあなたの子女達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達の心は完全に空とならなければなりません。空となって、お父様の前に完全にお捧げしなければなりません。
私達自体の主観、私達自体の一念全体を一掃してしまい、お父様の観念と思想だけが私達の心の中に注入されるようにしてください。


そうして、お父様によってつくられた心となって、その心が体を主管し得る新しい姿として、お父様のみ前からもう一度出発できるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1969.12.14)

20




お父様!
私達がお父様の息子となるために、お父様の前に不孝の因縁を残さないようにするには、不幸であったあなたより一層不幸な道を尋ねていかなければなりません。


そうして、お父様の立場に代わって立ち、お父様を身代わりして実を結び得る子女となって、お父様と共に残り得る追憶を持つようになるとき、それが孝の中の孝であり、忠の中の忠ではないでしょうか。
そのような道に向かって私達は直行しなければなりません。


あなたが十字架を負えば、その十字架を身代わりして負おうと身もだえすることのできる孝の姿と忠の姿を備えるようにしてくださり、自らの生命を失っても感謝することのできる立場に連結されるようにしてください。


私達は生命を捧げてお父様の前に孝行をしようという立場にいたのであり、お父様はそのような孝行息子・娘を捜し出そうと今まで身もだえしてこられました。


私達がお父様に対して忠の道理を果たそうと生命を捧げることを願えば、お父様がその道を開拓してくださるということが分かるようにしてください。


妻がこの道を遮るなら妻を捨ててもでも行かなければならないのであり、子供がこの道を遮るなら子供を捨ててでも行かなければなりません。
また、親戚、氏族、民族、国家がこの道に反対したとしても、それらを捨てて行く私達とならなければなりません。
お父様が死の峠から私達を導いてくださるので、私達も死を覚悟しなければならないということを知らなければなりません。


お父様は、私達が自ら祭物となる場に出ることを願われるのです。
私達はその場が父子の関係において、愛をつかんでくる場だということを知らなければなりません。
子供が死の場にいれば、父親が先に死のうとするのが愛の道理であることを知っています。
そのような場に残されるようになるとき、お父様はそのような追憶の日を永遠に記憶なさることでしょう。


そうなり得るひと日が統一教会の群れを中心として成されますので、残されたその日を、お父様、お忘れにならないでください。


追憶の日として残すために闘うこの者達は、その日が長く長く残されることを望んでいます。
その息子が進む道を伝統として相続しようとするあなたの子女達もいます。
その場の因縁を相続することのできる息子・娘になるようにしてください。


復帰路程において永遠にお父様と共にあり得る追憶の日をお父様の前にお捧げすることなくしては、忠臣の因縁をもってお父様の国に行くことができず、お父様の息子・娘として決定され得ないということを私達は知っています。
ですので、孝の道理を立て、お父様の前に追憶のひと日を残すことのできるお父様の息子となり、娘となるようにしてください。


そのような場において私達が追憶の因縁を残すことができるなら、死の場に置かれるとしてもその場は喜びの場であり、お父様の前にプラスとなり得る場であることが分かるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.2.15)




21


大韓民国で統一祭壇が進んでいく道の前におきまして、今まで密使の進路を開拓してきた愛する息子の事情を知っておられるお父様、あなたが今までどれほどもどかしく気をもんでこられたかということを私達は知っています。


お父様!
私達は生命を懸けて考えざるを得ないときが多くありました。
自然の微妙さを見つめながら、お前(=自然)が私の言葉を聞かないかもしれないというそのような心で蕩減の道を経てきました。


このようなことを考えるとき、私よりも歴史時代にお父様が威信を立てることができず、そのような場においてどれほどご苦労なさったかを知るものです。
百年にも満たないこの生涯は、歴史時代を経てきたお父様の犠牲と比較することができないということを知るものです。


私達の日常生活全体が密使の使命で始まり、絶対的に自らの犠牲で終わるとしても、当然そうであるべき自分であることを知り、お父様の前により一層忠孝の道理を果たそうと、身もだえし、気遣うことのできるあなたの息子とならなければなりません。


食べるのも、これが最後になるかもしれないと考えつつ、天の前に怨讐の条件を残すのではないかと心配しながら食べ、いい服を着、いい物を食べることができなくても、お父様のみ旨を思い「心配しないで」と祈る姿があるなら、お父様がご覧になるのにどれほど愛らしいことでしょうか。


けれども、密使の行路圏内にいる息子であるために、その愛を天上世界では気高く表しても、人間の世の中では隠すしかないということを知らなければなりません。
今まで統一教会が歩んできた道は、そのような道でした。


お父様、
あなたがご苦労された功績によって大韓民国に愛する息子を立てたい時が来るならば、過去に責任を果たせなかったことによって悲しまれたお父様の心を深く胸に刻み、心自体で恨みとなり得る要件を完全に取ってしまい、お父様に侍ることを願っています。


お父様!
日陰で生きてきた男の姿も凄涼でしたが、お父様がそれほどまでにご苦労なさっているとき、お父様のために忠孝の責任を果たせなかったことをもう一度、呵責を感じることのできる時間とならなければなりません。


歴史的なこの時間が存在するまで、お父様が開拓してこられたことを考えてみるとき、きょう私達が立っているこの場は、誰も持つことのできなかった福なる恩賜の土台であることを知るものです。


お父様!
密使の使命と責任を引き継ぎ、国家と世界に向かってその責任を果たすことのできる息子になろうと、お父様の前にもう一度深く約束するようにしてください。


このたびの機会を通して各自の胸に新しい決意をして帰ることができるようにしてくださり、お父様の認定を受ける息子達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.2.16)


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コメント

父の祈り(信仰の祈り)5ー2

2023年02月11日 18時57分23秒 | 学習
22

けさは、一九六五年の新年に入って初めて迎える安息日であると同時に、主の降臨、一九六五年目を迎える日です。
数多くの人々は、メシヤの誕生日を自分達の思いどおりに決めて祝い、メシヤがこの地に来て人類と共に、世界と共に、宇宙と共に、どのような因縁と価値を決定したのかも分からず、その方の名声だけを記憶して、メシヤの誕生日を祝いました。


しかし、きょうこのように集まった少数の群れ達は、今から二千年前にあなたの広く高いみ旨と尊厳なる経綸によって送られたイエス様でありながら、かわいそうな立場に置かれていた彼の事情に、心で同情しながら、その時にイスラエル民族が使命を果たせなかったことを、骨身に染みて考えないわけにはいきません。


この地上にあなたの貴い息子として生まれたその方は、天地創造の理念に背いたアダムを失ってしまった悲しみを解怨するため、送られた方であったことを知るものです。
彼を通してみ旨を成し遂げられ、彼を通して栄光をお受けになり、彼を通して幸福の世界を築こうとなさった望みを成就させるため、あなたがお送りになったメシヤであるイエス様は生まれるその日から悄然たる姿でお生まれになりました。


数多くの人々がメシヤを待ち望みましたが、実際にメシヤとして来られたその方が分かりませんでした。
そのメシヤは独りで神様の心情を抱き、神様の望みを持って生きるべき生活的な事情を持たれ、人知れず、みすぼらしい姿で現れ、哀れな身の上で十字架に掛かり、涙と血を流して逝かれたということを考えるとき、私達の先祖達が足らなかったことを、私達がこの時間に謝罪しないわけにはいきませんし、責任を負ったユダヤ教が使命を果たせず、神様に背いた罪悪を、私達が謝罪しないわけにはいきません。
数多くの歴代の私達の先祖達に血を流させた罪の歴史を、神様に背いてきた数多くの人類の罪悪を、私達がもう一度、心深くたどって考え、悔い改める時間となるようにしてください。


お父様!
あなたの悲しみを私達が察しなければならず、イエス様の憤懣やるかたない事情に私達が同情しなければならず、今まで血の路程を歩んできた彼の弟子達の凄涼で、悲惨な事情を悟ることのできる私達とならなければなりません。


歴史的な恨みを抱き逝かれたイエス様を、個人的に慰労し、家庭的に慰労し、民族的に、国家的に、ひいては世界的に慰労してさしあげることが、きょうメシヤの誕生日を記念する全体的な目的であることを、私達が忘却しないようにしてください。


二千年の歴史は過ぎていきました。
その間、悲しい事情がどれほど多かったでしょうか?
お父様も悲しく、イエス様も悲しく、聖霊も悲しく、キリスト教徒達も悲しかったことを知るものです。
また、このように悲しかった恨みを解くための最後の終わりのひと日、すなわち皆が待ち望む審判のその日が、近づいてきているということを知っています。
積もりに積もったお父様の恨みを解くために来られるメシヤを、再び迎えるべき立場にあるこの終わりの日の聖徒達は、メシヤを待ち望んだイスラエル民族のように、来られるメシヤに追われて仕える心と準備を備えられずにメシヤを待ち望むだけではいけませんので、私達各自がこのようなことを自覚するようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1965.1.3)

23
お父様!
二千年前にイスラエル民族をお選びになり、彼らをして心で体でお父様の心情を体恤させようとしましたが、そのみ旨はまだ成されていないということを私達はよく知っています。


不信する人はたくさんいましたが、摂理のみ旨に対する天の生命を抱いている人はいなかったことを私達は知るものです。


イエス様はこの地に来られて、天の生命を表そうとされたのに、彼に従う人がなく独り行かれましたが、きょう私達が全人類のともしびとなって、イエス様の使命を引き継ぐことができ、イエス様のみ旨を引き継ぐことのできる群れとなるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今まで堕落した不信の社会環境とその実情を眺められながら耐えてこられ、今、この世の中を心配されて私達を選び、世の中が悪くなれば悪くなるほど、いつも天の前に立てるよう許諾してくださった恩賜に感謝を申し上げます。


イスラエルの不信によって悲しみを被るしかなかったイエス・キリストの立場を思わないわけにはいきません。
彼は天の悲しみを身代わりして語られ、彼の行動は信仰によるものであり、お父様を中心としたものであったことを私達は知るものです。


今、終わりの日において、私達が人類の罪を蕩減復帰し、お父様の心情と連結され、私達の体と心でお父様に侍るよう導いてください。


この地上には数多くの信じる人々がいますが、イスラエル民族の中でお父様に心から従った人がいなかったのと同様に、きょう新たなイスラエルを身代わりすべきキリスト教が、お父様のみ旨を知ることができず、摂理の全体のみ旨を担うことができなくなってしまいました。
お父様、そのみ旨を私達が成すようにしてくださり、私達を導いてくださって、お父様の召命を受けて永遠に残され得るよう許諾してください。


お父様が私達を選ぶときには、私達だけのために選んだのではなく、民族のために、世界のために選んだということを私達が知っていますので、お父様、み意のままに導いてください。


袋だたきにされ、引き裂かれ、迫害を受けるとしても、お父様が期待される一つの生命を持つことができるとするなら、いつまでも耐えていき、お父様に勝利を抱かせてさしあげ得る私達となるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様! 今、私達の心情を天の心情に連結して、お父様のみ旨を成してさしあげようと誓う貴い時間となるようにしてくださり、摂理のみ旨を許諾し、愛をもってお父様のみ旨に責任を負っていけるよう許諾してくださり、天の心情を体恤して、ただみ旨の道だけを行くことができるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様のみ旨ならば死のうが生きようがお父様をつかみ、私達の心はあなたの生命を求め、私達の体はあなたの生命の道を求め、ただお父様のみ旨を中心として生きていくことができるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.4.6)
24

お父様!
統一教団が今まで歩んできた道を思い返してみるときに、その教団は、その誰もが愛してくれなかった教団でした。
国が反対し、既成教会が反対し、父母が反対し、個々人が反対したその立場は、ちょうどイエス様が十字架の道まで追われたのと同じ立場でした。


イエス様は、追われて十字架で亡くなられた後、二千年の路程において、個人を捜し、家庭を捜し、氏族を捜し、民族を捜し、国家を捜し、世界を捜しましたが、霊的基準においてのみ捜してこられました。
この霊的基準を受け継ぎ、実体基準にまで連結させるのが、あなたの望まれた願いの一念であり、あなたが六千年間苦労されたその苦労の結果となることを考えるものです。


今日、統一教会が歩んできたのは、イエス様の恨めしい内情の因縁を相続して、実体的にこの民族の前で追われながらも、死なずに、個人と家庭と氏族と教会をもう一度捜すためでした。
こう考えるときに、この国、この民族におきまして、教団同士、互いに同じ基準をつくり、かえってユダヤ教よりも優位に立つことのできる時代圏を迎えたということを知るものです。
イエス様を反対したユダヤ教の群れより、イエス様の福音を通して一つとなった群れがより強い立場に立ったのと同じく、現在私達をそのような立場に立ててくださったことを考えるときに、心から感謝を申し上げます。


教会を超えて民族基準まで上がらなければならない終生の使命が、私達に残っていることを知り、どのような困難にぶつかり、どのような犠牲を支払うとしても、この道を越えてこそ、初めて私達の生きる道があり、定着することができるということを、はっきり知らなければなりません。
寝ても覚めてもこのためにだけ、私達があらゆる精誠を投入しようと、もう一度決意できるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、私達の遠くない将来に、必勝のひと日が訪ねてくることを考えるときに、私達はイエス様が与えられなかった愛を与えなければならず、イエス様が受けられなかった愛を受けなければなりません。


このようなことが統一教団で起こることによって、私達を通してお父様の恨みとイエス様の恨みが解怨されるという、このとてつもない歴史的事実を有り難く思い、一生に一度しかないこの貴い機会を失ってしまわないよう許諾してください。
このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.12.25)

25

お父様!
ユダヤ教団と数多くの祭司長達は、自ら天をあがめ、天の内情的因縁を生活に表し、天の規範を立てると言いながら出ていった群れでした。
しかし、生命の中心であり、生命の結晶体であり、愛の中心であり、愛の結晶体として現れたイエス・キリストに対しては、冷淡に知らないふりをしました。
イスラエルの国の精神的な責任を負ったユダヤ教団の中で、イエス様の側に立った者がたったの一人もいなかったという事実を知っています。
それが無念なるお父様の四千年の受難の結果であったということを思うとき、私達は涙でもってお父様に対さないわけにはいきません。


お父様!
最後の道に向かう恨み多いイエス・キリストの側に立って、生命を懸け、泣き叫びつつ、悲しみと恨みの歴史に立ちはだかった兄弟が一人もいませんでした。
母さえもイエス様の死の道を「私が身代わりして行こう」と言えなかったという事実を見るとき、本当にかわいそうなイエス様でした。


イエス様の最期が、こうも憤懣やるかたなく悲惨だった事実を思い返すとき、私達は恨みに達した心で過去のイスラエルの国とユダヤ教を呪いたい気持ちです。
しかし、イエス様は彼らを呪われず、むしろ神様が四千年間苦労し、積み上げておかれたイスラエル圏が崩れそうだといって、死の道を行きながらも、彼らの福を祈ってあげなければならなかったので、そのようなイエス様の無念なる心情を、私達は間違いなく知らなければなりません。


死の道でも、同情を受けられなかったイエス様は孤独な孤児の身の上だったということを、私達が切々と感じなければなりません。
このような、イエス様の友とならなければならず、このような、イエス様の親戚とならなければならず、このような、イエス様の教団とならなければならず、ひいては、このようなイエス様の姉、または弟妹になるべき立場に立った群れが、まさにこの歴史時代にぽつんと残された統一教団であり、私達だということを、はっきり悟るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今日数多くの人々は、クリスマスになればイエス様が万民を救わなければならないメシヤの使命を持って誕生された方だと口から口ヘと伝えながら、賛揚しています。
しかし、実相を知ってみると、このようにイエス様が歴史的悲しみの中で独にお生まれになった方だということを考えるとき、私達は痛哭し、そのようなイエス様の悲しかった内心の情景を、痛哭しながら慰労することのできる者達とならなければなりません。


お父様!
私達はみ旨を知ったその日から、イエス様の悲しい恨みを解いてさしあげるべき責任があるということを知り、お父様の悲しい恨みを解いてさしあげなければならないことを知ったので、この日まで闘いきて、今日この統一教団を形成したものです。
このように悲しかったお父様の事由をあらわにして、教えてあげることができ、聞くことのできる因縁と土台が、この地球星に歴史始まって以来初めて現れたという事実を考えるとき、ここは、それこそお父様の望みに対することのできる所だということを、私達が忘れてはならないので、お父様の心情が、ここで再び結びつけられるのを願っているということを、私達が忘れないよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.1.3)


26


愛のお父様!
お訪ねくださって感謝です。
きょう喜びでもって訪ねてこられましたが、あす発たれるお父様の姿が、歓喜の頌詠(ほめたたえる意)の日を約束して発つことのできるお父様の姿となれないのではないかと気がかりです。


会うには喜びでもって会いましたが、別れる日には悲しみでもって別れるのが、人間に対してこられたお父様の曲折の路程であったことを知りました。


きょうよりもあすがお父様の前に慕わしくなるよう許諾してくださり、青春期よりも老年期に入るほど、よりお父様を慕わしく思えるよう許諾してください。


そうして、心の深く高い世界に一歩一歩進んでいこうとする息子・娘となるよう許諾してください。
さらにお父様の恨みの心情を慰労し、イエス様の恨みを解怨し、歴史上の先祖達の恨みを解怨するよう許諾してくださり、今日、終末的な使命、天的な解怨を私達によって成し、お受けくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今日私達は、開拓者の心情で来られたイエス様であることを知りました。
栄光の位置に立つべき者が変わって開拓者とは何たることでしょうか?
洗礼ヨハネが背反したがゆえであり、教団が背反したがゆえであり、民族が背反したがゆえであり、世界のすべての人々が背反したがゆえでした。


これが今日キリスト教史に残された史実であることを知るならば、イエス様が準備期間から実践時間を通して完成基準に向かって越えていったその内的決意の心情が、私達の心の土台の上にわき上がるよう許諾してください。


イエス様は民族的な怨讐、国家的な怨讐に対しましたが、今日私達には民族を越え、世界的な怨讐、宇宙的な怨讐に対すべき責任、すなわち最後の開拓者の使命を果たさなければならない責任がありますので、お父様、私達に能力をお与えください。
この責任を一人負い、世界的なゴルゴタの道を最後まで凛々しく歩いていき、勝利する栄光の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.2.1)


27


天を見つめながら、万物を見つめながらお父様が願われる望みを成してさしあげるため、そのお呼びになる声に従って戦場に走っていこうとする、お父様が喜ぶことのできる子女達となるよう、許諾してくださいますことをお願い申し上げます。


お父様の物悲しい歴史的な恨みを私達が知らなければなりませんし、この世界を訪ねてこられた歩みがどれほどもどかしく、悲痛かという事実を私達が知らなければなりません。


私達の体がお父様の行かれる踏み台となり、平坦な道を築くにおいて材料となるということを思うとき、いばらの道だといってひっくり返り、身もだえし、血を注ぐようになるとしても、この道を開拓すべき使命が、私達のなさなければならない真正なる使命であり、責任であることを知るものです。


私達の心と体を捧げてこの民族の行く道を築くよう許諾してくださり、この民族をお立てになって、万民がお父様に向かって進むことのできる直行行路を立てられるようにしてください。
このような愛の恩賜を受けられるわが民族となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
私達は人知れず、人の歓迎しない道を歩いてきました。
悲しい時も多くありましたし、寂しい時も多くありました。そうではありますが、お父様が行かれた道であるがゆえに、感謝の心で涙をもって歓迎し、心情のこもった声でお父様を呼ぶことが千万回あったことを知っています。
お父様を呼んだ私達の声と共に、私達の涙と共にお父様も涙ぐんだというその事実がどれほど貴いかということも私達は知っています。


このような道であることを知ったがゆえに、その道を行くために生きる統一の役軍達は苦労の道も意に介さず、苦行の道をたどりながらお父様を呼ぶことのできる喜びのひと日を迎えるため、世界的なゴルゴタ路程を基準として訪ねてきた、懇切で、けなげなその者達を記憶してください。


きょうお父様のみ旨のために忠誠を尽くすのに疲れた者がいるでしょうか?
再び哀れみの心をお広げになって、愛してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、残った恨み多い復帰の道をまた行かなければなりませんので、その歩みを貴く思ってくださり、その姿をお父様が記憶してください。


お父様の保護と権威が共にあり、どこに行っても百戦百勝の勝利を収めてお父様の前に栄光の基盤を築いてさしあげることによって、お父様が親しく多くの民の前にお立てになって、これは私の息子であり、娘だと称賛することのできる息子・娘となれるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


残された復帰の道の上に、お父様が計画されるみ旨の前に、勝利の栄光だけが残されることを懇切に願いながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1965.12.26)

28


お父様!
きょうここに集まったあなたの子女達を哀れにお思いください。
この子女達はみな、本郷の国を訪ねていかなければなりません。
本郷の国を訪ねていくこの道が、このように険しい道であると誰が知り得たでしょうか?
お父様!
恨み多い嘆息の世界の上でこの怨恨の土台を踏みつけ、これを退け新しい境地に向かって誘導弾のように飛んでいくことのできる新しい心の爆弾を備えるよう許諾してください。
心情の爆発力と推進力を持つよう許諾してください。


そのためには、お父様の愛を持たなければならないことを知っていますので、このような人々となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
誰がこの道をふさぎ、反対するとしましても、それが問題ではないことを知っています。
行くべき足どりがあまりにも忙しいがゆえに、休もうとしても休むことができず、自分をむち打ちながら行くべき運命に置かれている統一の子女達であることを知っていますので、どうかこの者達の前途を平坦にしてくださり、行く道の前に一つひとつの峠において闘いを誓わせてください。


上がっていって、どうか落ちることのない者達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
数多くの歴史路程で悲しい胸を押さえながら、耐えてきたこの者達を記憶してくださり、この者達が顔に憂いと失望と敗者の色がこもらないよう許諾してください。


お父様、そのような過去を持ちましたが、希望にあふれ、喜びにあふれ、あすの希望の中にあふれんばかりの心を抱き、進んでいくことができますよう許諾してください。


お父様!
理想世界から脱線しない立場で報告することのできる心情を持ち、一日の生活におきまして勝利者となるよう許諾してください。
一年の生活の勝利者となるよう許諾してください。


私達、生涯路程の勝利者となるようにしてくださいまして、父様が私達に許諾されようとする幸福の土台である本郷の国を創建することができる、建国の勇士達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


その平和の王国を創建して、お父様に侍って千年万年生きたいと言うことのできるあなたの息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


残されたその日の上に平和があるよう許諾してくださり、子女達の幸福の路程の上にお父様の加護があるよう許諾してください。


ありとあらゆる忠誠と犠牲を覚悟して進むにおきまして、お父様の同情がいつもこの者達の生活の中にあふれるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.3.10)

29
お父様!
私達はお父様の息子ならば良いとだけ考えて、それに該当するだけの十字架を負わなければならないという事実は忘れて生きてきました。


お父様!
けれども、今、私達がこの世の人々とは、これだから違うのであり、お父様の愛を受けることができるのもこのような内容があるがゆえであり、歴史を背負うことができるのもこのためだという事実を知りました。


今日、サタン世界を眺めますとき、第二の出発を模索するためのお父様の愛が歴史路程と共に今、この時に深く同伴しているという事実を知るのでございます。
これを感謝しようとするあなたの息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、私達が行くべき必然的な路程を前にして、個人的なアベルの道を行かなければならず、家庭、氏族、民族、国家、世界的なアベルの路程を行かなければなりません。


私達がこの道を行き終わるまでは、とても忙しいということが分かるようにしてください。
食べようとしても食べる時間がなく、眠ろうとしても眠る時間がないくらい忙しい私達の行路に、共にあってください。


私達だけでなくカイン世界まで救い、お父様の前に帰るようになりますとき、お父様は初めて私達を見て、安息することができるという事実を知っています。


このような責任を果たす私達となり、お父様の悔しさを蕩減するのに不足のないよう努力し、精誠を尽くし切る私達となるよう許諾してください。


私達のすべてのことにあなたが親しく共にあってくださいますことをお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.4.5)


30


お父様!
数千年の間キリスト教歴史を編んでこられたお父様は、内心の変わりない強固なる基盤でもって歴史に対してこられました。


その過程で罪悪なる要素の複雑な段階は蕩減の代価を支払いながら縮小させてこられたのが、お父様が今まで摂理してこられた歴史的な事情であるのを私達はよく知っています。


歴史を縮小させた一つの起点で「これだ」と言い得る起源を備えるために、数千年の間、善なる人々を犠牲にさせてきたのが、お父様のみ旨の道であるのを察します。


その道で数多くの人々が血を流しましたが、心からお父様が願われる立場に立って血を流した人はいないということを、私達は知るものです。


それがお父様の恨みでありましたので、お父様はその決定的な起点を解決するためにイエス様を送られましたが、イエス様さえも地と霊界を中心としてその起点を見いだせない悲しみを抱き、死んでいったということを私達は知っています。


そうして、歴史を延長させていきつつ摂理なさったお父様の苦労の歴史は、加重された十字架の悲惨なる道に落ちていきました。
ですので、お父様はもう一度歴史的な終わりの日にこれを解決するために統一家を立てられ、このような、とてつもない一つの起点をお備えになることを知るものです。


ところが、その起点は無謀なる立場では絶対成されないということを、私達ははっきり知らなければなりません。
強固なるある原則に従い、変わりない内容を備えて初めて、成されるということを知らなければなりません。


この時点でお父様が私達に何を要求なさるかを思うとき、それは外的な勢力基盤を広げることではなく、強固な基盤の上で原理化された一つの個人と一つの家庭と一つの氏族を形成することだということを思うのです。
その運動が何よりも貴いという事実を私達は知らなければなりません。


このようなことを思うときに、今まで私達が原理と一致する生活観をどれほど重要視したかということをもう一度反省してみると、お父様の前に不忠なる自らであることを悟らないわけにはいきません。


原理は原理のまま捨て置いて、生活は生活のままにし、自分は自分のままで行くという立場で今まで歩んできたことを思うとき、私自身のために苦労されたお父様の前に不忠であり、不孝であったことを、私達各自がもう一度自認するようにしてください。


原理と自らの生活が一体化した立場で、お父様と一体となり得る主権を持てなかった過去の悲しみを受け入れてください。
また、このような現在に置かれている私達自身を爆破させてください。


そうして、お父様が一つの起点上にとどまることができると同時に、私達が永遠にお父様を身代わりすることに対して、自信をもつ原理的な内容を備えた人とならなければならないことを、もう一度悟るようにしてくださいますことを懇切にお願いしながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.4.26)


31


愛するお父様!
永遠なる主体であられるお父様の前に、春夏秋冬の因縁を経ることのできる実体を備え、春の節気の文化世界をその胸で十分に追求しながら、あすの勝利の栄光を賛美する勝利の王子王女をお父様が捜しておられるということを知りました。


この聖なる宿命の前に召された自分自身の姿が、どれほど偉大かを自覚しようとするあなたの子女達となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


人は一度、来ては死んでいくものです。
この生がいくら貴いと言っても、青春の時期に比べることができないことを知っています。
お父様、私達が壮年になれば荷を背負わされるようになり、壮年の時期に闘ってもちこたえられなくなるときには、その結実された後孫が悲惨になることを知っています。


それゆえ、壮年の時代を力強く過ごし、老年の時代を経て新しい春を迎え、新しい夏の節気を見ることのできる後孫を、自分の懐の中にもった家庭であってこそ、その後にやって来る秋の節気を無難に克服できるということを知るものです。


これが人生というものであり、世界の歴史時代においても、象徴的な現象であることを眺めるようになるときに、お父様のみ旨もやはり同じであるのを知るものです。


堕落による絶望のどん底の前で、三十億人類が今、最後の運命を計る線上に立っていることを知れば知るほど、ここにはあすの春を身代わりし、あすの夏を身代わりすることのできる天の王子王女がいてこそ、この人間の世の中で冬の節気を克服することができるということを知るものです。


この事実を推し量ってみるときに、神様の摂理はここから因縁に因縁を連結させて、死亡圏から勝利することのできる決定的起源を成すという事実を私達は知るものです。


お父様!
私達自体が長い歴史路程に悲しみを残していった先祖達の恨みを退け、堕落による運命の中で呻吟する人類の恨みの積もったこの怨讐の根拠地を退け、あすの希望を抱くことのできる姿となるようにしてください。


私達は春の節気と夏の節気を経て、秋の節気の結実的な実体ですので、未来の希望世界を相続するのに不足のない者とならなければなりません。


そうして、近づく冬の節気を恐れず、お父様の勝利の座標として残され得る、天の王子王女の姿を備えた息子・娘とならなければなりません。


ここに集った取るに足らない群れがそのような息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願いしながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.5.3)


32


お父様!
お命じになったあなたの声がお慕わしいです。
最高の善に向かって行けとおっしゃった悲壮なその声が、この時間私達の心を再び動かすようにしてください。


主がお残しになった迫害の道、苦痛の道、患難の道、ゴルゴタの山頂を越え、歴史的な悲運の道を行けと勧告なさった切ないあなた様の事情が慕わしいです。


お父様!
自分勝手に育ち、自分勝手に生き、わがままになっている私達をお集めになって、この上なく高い主の性相に似ろと言われる、おそれ多い恩賜に頭を下げますので、哀れにお思いください。


本質や性稟をすべて分折してみても、あなたの前に示す何ものもない、罪悪に満ちた私達を呼び集め、限りない祝福の恩賜を施してくださったあなたに感謝をお捧げ申し上げます。
ただ、懇切に信仰と心情だけを要求されるお父様の切ないその事情と心情を、私達が体恤し、実証するようにしてください。


お父様!
私達は、どのような人の言葉も聞くことを望んではおりません。
既に多くの言葉を聞き、多くの人に出会いました。
多くの人を見、恵み多いという場を訪ねてみましたが、達自身と関係を結ぶこともできないまま、すべて通り過ぎてしまいました。
恩恵は恩恵として過ぎ去り、人は人として過ぎ去って、残ったのは一人しかいない、歴史的な孤児のような私達です。


ゆえに、私達は新しい春の風が吹いてくることを願っています。
お父様も、そのような恩賜を許諾し得ることを、どれほど待ち望んでおられるでしょうか?
私達、渇き焦る心と、ありのままに報告したい心情をもち、お父様の性相の前に集まる群れとなるようにしてください。
お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達が何を語りましょうか?
語る前に、心の中に自分も分からない徹した感激を体恤するようにしてくださり、自分でも知らずに胸が詰まって、涙を流しながら痛哭することができるようにしてください。
天が動いてくださらなければ、そのような心は起こらないということを知っていますし、千万の言葉よりも一度の体験がより貴いことを知っています。


今、不足な者達がお父様の前に出てきましたので、幼子の心に帰るようにしてください。
人間が学んで知っているといっても、どれほど知り、誇るべき何かを自ら備えたといっても、天上に掲げるものがどれほどあるでしょうか?
何もないことを知っています。


弁明よりは事実事実よりは心情の体恤が、私達の死んだ後に刈り取られるものであり、残されるものであることを知っていますので、歴史的な主人公となるべき私達の上に自ら顕現してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.6.5)


33


お父様!
心と心に橋をお架けになり、心情と心情を連結させて、お父様の事情を通過することができ、お父様の心情を体恤することができるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


歴史路程において、数多くの先知先烈達が生まれては逝きましたが、天の事情がどうだということを知らず、天の心情がどうだということを知らずに逝きました。
終わりの日が近づけば近づくほど、議論し、解決すべき問題は天の事情であり、天の心情であることを、私達が分かるよう許諾してください。


この問題を解決するためには、すべてのものを犠牲にしても喜びの心で出発しようと、私達自身が覚悟し、祭物とならなければならないことを、もう一度悟り、天の前にひれ伏す時間となるよう許諾してくださり、お父様の能力を望む時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


天がすべての準備を整えておられるとしても、私達自身はその準備に対応して、心と体に準備の土台を整えなければならないことを知っています。
私達の心の中に、今までのその何ものをも残すことがないよう許諾してくださり、幼子の心情に帰り、お父様の、ほのかな心情の感触を通して、もう一度、天と因縁を結ぶことができるよう許諾してください。


私達が、お父様の命令なさる恩賜に浸って、天と共に和することができ、お父様が自ら私達と共に議論し、私達と共に新しい約束を立てることのできるこの時間となるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


新しい約束のみ言を通して、お父様の前にもう一度覚悟と誓いをすることのできるこの時間となるよう許諾してくださり、過去のすべてのことを悔いて、お父様の前に聖別された一つの基準を立てることのできるこの時間となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.10.11)


34


愛するお父様!
私達の心は千態万象ですが、私達の生活の中にお父様の性稟が現れるようにしてくださり、お父様が動じれば私達も動じることができ、お父様が静ずれば私達も静ずることができる、義の実体となるよう許諾してください。


軟弱な私達がお父様の前にひざまずき、天性に向かっていることをお父様がご存じであられるので、たとえ私達の体が俗なるところに捕らわれ、永遠であられるお父様の恩賜を遮っているとしても、私達の体が、世俗的なすべてのものを屈伏させ、あなたの形状を私達の心と体を通して表すよう許諾してくださり、またそのような摂理のみ旨と、摂理の恩賜と摂理の愛が、私達に連なっていることを心で感じ体で感知することができますよう、お父様、役事してください。
私達の心は、きょうも絶対的な善に向かって走っていますが、体は世俗的なものを得ようと、心に対し絶え間なく反撃を加えているということを感じるものです。


そうですので、お父様、私達の心と体が、お父様のみ旨を中心として一つとなるよう許諾してください。
そうして、お父様と私達との心情のすき間を打開してくださって、サタンが運行することのできる足場を、私達の心と体から完全に除いてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


天は今日まで、私達の心を中心とした体を抱き締め、愛そうとされましたが、私達は今まで心情がこもったお父様の性相と形状の前に、完全な美の対象体として現れることができずにいます。


お父様の前にひざまずくしかない私達の心と体であり、罪悪に染まった心と体であり、お父様の満ち満ちた恩賜を望む、不足な立場の心と体ですので、今、心と体全体をお父様が捕まえてください。
そうして、お父様の性相の前に喜びを帰し奉り、お父様の心に呼応する一つの姿として現れることができるようにしてください。


今、私達は、お父様が六千年の間願われたその望みの基準を備え、お父様のみ前にひざまずき、お父様に栄光を帰し奉れるよう許諾してくださり、お父様が安息できるよう、あなたの性相を表してさしあげるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


人間がもっているすべての主義主張と、人間がもっている権利、このすべてのものが失われてしまうという事実を知るものです。
ですので、私達の心と体が、永遠に存在することのできる根本の立場に入り、新たに爆発する力と復活の目を私達の心に備えることができるようにしてくださり、自分自身を中心とした生活を捨て、天宙を中心とした生活として取り戻してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様の心を私達の心として、お父様の心情を私達の心情として体恤できる私達となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
すべてのことをお任せしましたので、み意のままにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.3.9)

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父の祈り(信仰の祈り)5ー1

2023年02月11日 18時56分50秒 | 学習

1

お父様!
愛する弟子たちを残しておき、十字架の峠を越えて永遠なる世界へ行かなければならないイエス様の心情を分からせてくださり、三年間、喜怒哀楽を共にしながらついてきた愛する弟子たちを、あなたのひざの前に集めておき、案じられ、懇切に請われたイエス・キリストの心情を体恤することができるよう許諾してください。


心で酌み取り、体で体恤し、それに応えることのできる心が天に染みわたり、地上の人間を動かし、その心が動けば共に動き、一つのみ旨に対して謙遜なる祭物として捧げられる愛する子女たちとなるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


苦海のような環境で従ってきた数多くの群れはみな離れ、十二使徒だけ残りましたが、その中にも間もなく自分合裏切るユダがいるということを感じていたイエス・キリストの心情を、私たちが体恤できるよう許諾してください。
人を信じて役事した三年公生涯の路程が、このように寂しい環境で残るようになった時のイエス・キリストの心情を、今日、私たちが体と心で体恤できるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
十字架の死の道を前にして、天と一問一答されたイエス・キリストの切ない心情を、今日、私たちが体恤するようにしてくださいまして、お父様の前にひれ伏した生きた祭物として、その心に慰めの対象になり得る子女たちとして立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.5.23)



2


愛するお父様!
イエス様はご自分を信じてくれないイスラエル民族に対し、パリサイ人とユダヤ人達に対し、悔い改めることを何度願われたでしょうか?


追われ追い回され、安らかに眠ることができなかったイエス様の路程が私達の心と体に染み通り、イエス様の心情を感じまいとしても感じずにはおれず、その心情に似まいとしても似ずにはおれない私達となるよう許諾してください。
また、そのような心が私達の中に現れなければならないのが、お父様の願われるみ旨であり、また私達が望む願いではないでしょうか?


今、イエス・キリストが歩んだその路程を、イエス・キリストが残して逝かれたその福音のみ言を身代わりして背負い、億千万のサタンと闘って、勝利の栄光をお父様の前に帰し奉るべき責任が私達にあるということを、感じるよう許諾してください。


天を信じ集まった全体の群れに対し、堂々と立たれたイエス様の凛々しい態度のように、私達もお父様の生命のみ言、真理のみ言を信じ、堂々と立つことのできる態度を備えた子女達となるよう許諾してください。


今日の私達自身を、イエス様の前に誇ったり、今日の私達の事情をお父様の前にさらけ出したりしないようにしてください。
イエス様と同じ立場を取ることができ、お父様の心を身代わりすることができるようお導きください。イエス・キリストのみ旨を身代わりし、万民の前に、いつどの時間にもためらわず現れるのを願うことがお父様の望みであられるなら、お父様、一つ一つ尋ねてくださり、一つ一つ命令してください。
お父様のみ旨を成すために、イエス・キリストを身代わりして闘い行くことができ、お父様のみ旨の前に動じ静ずる聖徒達となるよう導いてくださいますことを、わがお父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達、お父様のみ旨を万民の前に堂々と叫びますので、お父様、天の勇士として立ててくださり、お父様の子女として立ててください。
命令してくださり、勧告してくださり、尋ねてくださり、誇ることのできる立場に立ててください。
愛してくださり、導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.5.27)


3


復帰の生命を天宙的に因縁づけるため、天倫の法度を立てられ摂理してこられたお父様の苦労の歴史を、私達は心で感じるものです。
お父様、あなたが「生」の価値を立てるため、六千年間苦労してこられたことを切実に悟る私達となるよう導いてください。


個体から全体に至るまで、関係を結ばない宗教は、神様が干渉できないというのが天法であることを知ったので、今、私達がイエス・キリストの望む人生を生きるよう許諾してくださり、イエス・キリストの愛の価値が分かるよう許諾してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


イエス・キリストがお持ちになった覚悟を、私達も持たなければならないということを知ったので、私達の個体の人生の価値を探すことのできる戦場で、サタンの侵犯を退け、勝利できるよう共にいてください。


イエス・キリストが残された「生」の価値の復帰路程を、私達が身代わりしていくにおいて、サタンの讒訴があるということを知ったので、私達個人の生涯から世界、宇宙の「生」にまで、伸びていく路程において、サタンの讒訴を受ける私達とならないよう導いてください。


堂々とサタンの讒訴を一日の生活で防ぎ止め、歴史的な面で防ぎ止めようという覚悟を持ち、その責任を完遂できるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達が永遠なる生命の価値を持った世界的な「生」を成すためには、地上で万物を主管されたイエス様の完全なる人格に似なければならないことを知っていますので、愛するお父様、キリストの人格に似ることができるよう導いてください。
また、私達は誰に限らず、実際に闘いの路程を歩むべき立場に置かれているので、お父様、社会生活や人格的な面で、あるいは愛の面において、サタンの讒訴を受けないよう導いてください。


永遠なるお父様の愛が成されることを懇切に望んでいた、キリストの愛を実現させることができるよう、共にいてください。
キリストが立てられた生命的な価値を私達が備え、その価値をこの地で実現させられるよう主管してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.1.6)


4


お父様!
私達は、現在の自分の足らなさを案じて、泣くことのできる者にももちろんならなければなりませんが、まずイエス様が志される結実を案じて泣くことのできる息子・娘となるよう、導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
私達自体の不完全さを案じて泣く者とならなければならないと同時に、神様のみ旨が成されず、悪なる世の中となってイエス様に対してわめきたて非難するサタンの籠絡を見て、涙することができ、懺悔することができる私達となるよう許諾してください。


イエス様が、彼の生涯路程でいつも神様が眺められる視線を感じながら、蕩減復帰の路程を完結するため、亡くなられる瞬間まで復帰の祭物として自らをお捧げになったように、私達も、いつイエス様が私達を尋ねてこられるとしても、私達を眺められる視線と尋ねてこられたその歩みを忘れないよう許諾してください。
今まで私達が、イエス様の視線と歩みを排斥した時が、到底口では言い切れないほど多かったことを悟らせてください。


お父様!
私達が一度ならず二度、三度裏切るとしても、変わりなく私達人間達を尋ねてこられたイエス様の心情を、どれほど慰めてさしあげ、どれほど天の前に涙を流したかということを、悔い改める私達となるよう許諾してください。


お父様!
寂しいあなたの息子・娘達、世界的な審判の時が遠くなく、宇宙的なゴルゴタの園が私達の目前に近づいているということを知っていますので、私達が自分を中心とした信仰路程を歩まないよう導いてください。


私達の生命は私達のものではなく、私達の生活する生涯も私達のものではなく、私達の望む願いも私達のものではありませんので、私達のために生きる生涯とならないように導いてくださり、私達の能力と私達の要求と私達の欲望、このすべてのものを自分のために持たないよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


私達がイエス様を身代わりして十字架の死の道に行くとしても、結局イエス様の変わりなき信仰を、(私達が)知りペテロが心で嘆息し、神様を信奉する同志として、イエス様が十字架を背負って行かれるのを見て涙したように、ゴルゴタの審判の日が来る前に私達がイエス様の前に悔い改めの涙を流すことができ、宇宙的な悔い改めを引き継ぎ、お父様の前に泣くことができ、自分の過ちを吐露することのできる息子・娘達となるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
私達がイエス様の歩みを身代わりして歩みますので、お父様が私達にこの地の哀れな人達を救うことのできる使命をお任せくださり、残されたゴルゴタの道を私達が歩むよう許諾してください。
そうして、私達が世界至る所のサタンを打ち破って勝利の栄光の土台を築き、私達が死ぬまでに、復活されたイエス様に侍ることができるよう導いてくださいますことを、懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.2.10)


5

お父様!
人間の先祖の堕落によって遠くなったあなたとの距離を縮めるために、永遠なる善の主管者として、また永遠なる理想の主管者としてイエス・キリストをこの地に送られましたが、お父様を身代わりして実体で来られたイエス様を主として侍ることができなかった人間達を受け入れてください。


イエス様を悲しませてしまったことは、先祖達の足らなさによってなされたことであるのを知っていますし、今日私達が足らず、いまだにイエス様の悲しみが残っているということを知るものです。
ですので、善なる牧者の偉業を相続し、万物万象の前に堂々と立つことを願う、お父様の望みを果たしてさしあげられる私達となるよう許諾してくださり、イエス様の望みを果たしてさしあげられるよう許諾してくださり、お父様の生命とお父様の愛とイエス様の生命とイエス様の愛を持って現れることのできる私達となるよう許諾してください。
そのような私達になれないとするなら、善なる牧者として来られたイエス・キリストの悲しい事情を今後、人間世界で永遠に解いてさしあげられないということを悟るようになりましたので、私達の心の門を開いてくださり、私達に向かって叫んでいる善なる牧者の声を聞くことができるよう導いてください。


悲しいお父様の事情を知り、寂しい事情を知り、ご苦労されるお父様の事情を知りましたので、身の置き所がありません。
お父様、どうか私達の悲しみと寂しさを、苦労と苦痛を、イエス様に押しつけるために伏して哀願する、悲惨な者達とならないように導いてください。


私達は今、サタンのすべての秘密とお父様の内的事情とイエス様の内的心情まで知って、お父様のその事情を受け取り、イエス様の悲しみと寂しさと苦痛と不自由さを受け取って、億万サタンと闘うことができるよう力を下さいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
私達の事情を案じられ、物思いに沈み働かれるイエス様の姿を、私達が眺められるようにしてくださり、イエス様は今日も私達の哀切なる事情によって、十字架に掛かる苦痛を感じておられる主であるということを、私達が悟るよう許諾してください。


私達が天に対して悲しみ天に対して嘆き、天に対して寂しい立場となるとき、これを慰めるために、イエス様はより大きな寂しさとより大きな悲しみとより大きな苦痛を感じられるということを、知らずにいた私達です。


今、イエス様の苦痛よりも「私」の苦痛が大きく、イエス様の悲しみよりも「私」の悲しみが大きく、イエス様の困難よりも「私」の困難が大きくとも、むしろイエス様の悲しみを除去してさしあげるために哀願し、案ずることのできる真の息子・娘の姿となり得るようお助けください。
そうして、善なる牧者の後に従い、善なる牧者の身に染み渡った心情を慰めることのできる私達の姿となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


見えないサタンが私達の生活の中に直接的に侵犯し、患難と恐怖を呼び起こすとしても、これに敵して、黙々と闘い勝利することのできるイエス様の代身使命者達となるようにしてくださり、イエス様の使命を身代わりして続いて行くことのできる息子・娘として、私達を新しく立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.3.31)


6

アダム以降、四千年間苦労してこられたお父様が送られたエス・キリストは、涙と汗と血の結実として、お父様の実体として、お父様の涙を身代わりし、汗を身代わりし、血を身代わりすべき使命と、お父様の恨みを解いてさしあげるべき使命を帯びてこられたことを私達は知るものです。
そのようなキリストが天を身代わりして涙の道を歩み、万民を身代わりして休む間もない苦労の道を歩み、汗を流す公生涯路程を歩んだことを考えるときに、お父様、私達がそのようなキリストに対することができる姿となっているかを、心から反省するこの時間となるよう許諾してください。


そして、四千年間苦労してこられた数多くの先知先烈達の血の祭壇を連ねて、その実体で尋ねてこられて、血を流しながら行かれたその姿をたどり見ることができる私達となれるようお導きください。


イエス様が十字架を背負い、ゴルゴタの山頂に向かって登っていかれるとき、遠くで彼を眺めながら哀悼する弱い女性達を見て、「エルサレムの娘達よ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供達のために泣くがよい*」と語られた(*ルカ二三・二八)
懇切なるキリストの心情を、今日この時間、私達が体恤できるよう許諾してください。


十字架の正しい意味を知ることができない者は、十字架の救いを受けることができず、十字架に向かうときのイエス様の心情を体恤できない者は、真理の場に立つことができないということを知っていますので、お父様、この時間集まった息子・娘達を哀れにお思いください。


私達が、お父様に捧げる物がないとしても、ゲッセマネの園の寂しいキリストの姿を心の中に刻みつけ、侵犯してくる怨讐達を迎えて闘う、善の警備軍となれるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


イエス様がゲッセマネの園で叫んだその最後の訴えを、私達が今日、荒れ地のようなこの世に向かって叫びながら、世界的なゴルゴタ山頂を越えるべき時が来たことを知っていますので、キリストを遠ざけ自分のために生きる息子・娘とならないよう導いてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
イエス・キリストの心情を身代わりして、困難がある時に自分がまずその困難に責任を持ち、悲しいことがある時にも自分がまずその悲しみに責任を持ち、自分が苦痛にぶつかり倒れようとも、天が願われるみ旨なら、これを喜んで甘受しながら闘い行くことのできる者達となるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.6.30)


7

愛するお父様!
お父様が静ずれば私達も静じ、お父様が動ずれば私達も動じ、ただ一つの心、一つの志となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


イエス様が当時、不信の地に対して案じられながら、神様の切ない心情を慰労されながら、やるせなかったその心情を感じるよう許諾してください。
そうして、私達の心がただこの時間にとどまらす、お父様の心情と歴史的なイエス様の心情と連なり、動ずることができるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


やるせないお父様の心情を、私達の心に感じるよう許諾してくださり、人類をお救いになるため、切なかったイエス・キリストの心情を、私達が体恤するよう許諾してくださり、心の中に残っている闇のすべての罪悪を清算するよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


いつも私達の前には、お父様の恩賜を遮ろうとするサタンの役事があることを知っていますので、いつどのような立場でお父様の恩賜が臨むようになるのかを悟ることによって、サタンの侵犯を逃れ、お父様の永遠なる愛の懐に抱かれ得る私達となることができますよう、お父様、許諾してください。
六千年間摂理してこられながら、愚かで足らない私達をお捨てにならず、尋ねてくださった哀れみのみ手を感じられるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.1.12)


8

愛するお父様!
私達は、到底言い表すことができない悲劇を、悲しみを残した歴史の事実を知っていますし、エデンの園を眺めながら喜ばれたお父様の心情が、アダムとエバの堕落によって悲しみの心情と化し、それが六千年という長い長い歳月を通じ、歴史的な悲しみとなったということを私達は知っています。
また、私達が心と体を尽くし、お父様の案じられる心情をつかみ、失われたエデンの園を回復してさしあげるべき歴史的な責任を背負っていることも知っています。


お父様!
失われたアダムとエバを再び捜し出すために、お父様が四千年間苦労した果てに、アダムの形状を備えてこの地に送られた方がイエス様であったということを私達は知っています。
イエス様が誕生する時までのお父様の苦労が大きければ大きいほど、その苦労によって誕生されたイエス様の姿は、天の自慢の種にならなければならす、被造万物と人間の誇りとならなければならない姿でした。
そのような事実を天は知っていましたが、地は無知で知らず、天はこれを歓迎しましたが、地は知らずに歓迎できなかったことを、今日、私達が恥すかしく思わないわけにはいきません。


苦労されたお父様の望みの視線が、飼い葉桶に横たわったイエス様の哀れな姿にとどまらなければならなかったこの物悲しい事実を、私達が回想しながら、先祖達が不信し、先祖達が不忠であったことを痛切に感じるものです。
アダムとエバの堕落の過ちを、人類達が再びその場で表したというこのような事実を知っていますので、今日私達は歴史的な物悲しい事実を心で感じ、ひどく悲しむしかないものです。


昔、お父様を慰労してさしあげられなかったそのイスラエル民族、選ばれた選民を身代わりして、私達がお父様の悲しみを慰労してさしあげられるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


イエス様が来られ逝かれてから、いつの間にか二千年が経過しましたが、心情の世界は時間を超越することを知るものです。
歴史を超越しておられるお父様、悲しい心情を抱かれ、天の城に行かれたイエス・キリストの心情を抱き、この時間慰労してさしあげられる私達となるよう許諾してください。


イエス様が来られ逝かれた以後の二千年の悲しみを、きょうこの時まで天と地に残された染み渡った恨みを私達が知り、イエス様が誕生されたその当時の姿を、私達が心で仰ぐことのできるこのひと時となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


きょうその日を記念するこのひと時を、お父様、祝福してくださり、イエス様が願われたその喜びの栄光を表してくださり、二千年前に来て逝かれたイエス様の悲しまれたことが、このひと日によって解怨されるよう許諾してください。
すべての内的心情を知っている私達が、この日を記念しようと思いますので、人間達が知ることができずに残されたすべての過去の悲しみが、このひと時によって蕩減を受けられるよう許諾してくださり、私達がお父様の前に立つことができるよう許諾してくださり、イエス様が喜ばれ、お父様の慰めを受けられますことを懇切にお願い申し上げます。


私達が心を束ね、お父様にお捧げすることが歴史的な解怨の祭物となるよう許諾してくださり、残された天宙の恨みを私達によって解怨することをもって、幸福の起源を尋ねることができる聖なる時間となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.1.3)


9

お父様!
地上のすべての人々はこの日を知ることができず、胸にこびりついた天の悲しみを悟ることができず、限りなく悲しいあなたの心情はもっともっと分からないのです。
その日の嘆かわしい事実を知らない私達に、お父様、この日を許諾してくださり、万民が理解できないこのひと日を、キリストの誕生日として祝うことのできる栄光の恩賜を許諾してくださったことを感謝せざるを得ないものです。


今、この日を祝うことが、二千年間悲しまれたイエス様の心情を慰労することのできる契機となるよう許諾してください。
悲しい立場で誕生し、三十余年の生涯を捧げ、ゴルゴタの道を意に介されず行かれたキリストを回想しながら、彼の戦跡を遺業として受けることのできるこの時間となるよう許諾してください。
その方が生前お残しになった遺業を、私達の使命として引き継ぐことのできるこの時間とならなければならないということを私達が知っています。


お父様!
イエス様が残された恨みが地上にまだ残っているということを、この地上にいる人間達が知らずにいます。今、ここに集まったあなたの息子・娘達、その体と心があなたの心情に捕らわれるよう許諾してくださり、こもったイエス様の心情を知り、死の境地に陥ったイエス様の心情を悟り、慰労してさしあげるよう許諾してください。


貴重なこの日、私達が新しいみ旨をあがめるとしても、一つの条件を立て、お父様の前に勝利の標的を残さなければならない重要な日ですので、この日を記憶してください。
喜びをもって顕現なさることを懇切にお願いし、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.1.3)


10


お父様!
愛する弟子達を前に置いて、遠からず地上での生涯を終結し、お父様の国へ行くことを語らなければならなかった、イエス様の物悲しい心を洞察することのできる私達となるよう許諾してください。


時間的に見るなら、イエス様と私達の間には二千年という間隔がありますが、心情の世界では時間を超越することができることを知っていますので、きょうもイエス様の悄然とした姿と物悲しい心情に涙ぐみ、一言一言懇々と戒められた聖なる姿を眺めることのできる、直接的な体恤の役事を呼び起こしてください。
このような場面は、人間たる私達として慕わざるを得ない場面です。


この地上の誰がイエス様の心を知ったでしょうか?
物思いに沈んだその姿を見て、心深く染み渡ってくる天の悲しみを体恤した人がー人もいませんでしたので、天はこのような人間達を置いて嘆息するしかなかったことを知るものです。
天の心情を知って「主よ!」と呼ぶ弟子の一人も持てなかったイエス様が、疑心で点綴(一つひとつをつづり合わせる意)された生涯路程を行かなければならず、また疑われ、その物悲しい生涯の終末を迎えなければならなかった悲しみを、この時間私達が心で同情できるようにしてください。


イエス様が懇切なる天の心情を抱き、天のすべての遺業を抱き、人間を尋ねてこられましたが、人間達はそのようなイエス様に自分勝手に対応し、排斥し放題に排斥したものです。
寂しい立場に追い込み放題に追い込んだものです。
しかし、悲しみに沈み嘆息の立場を余すところなく経てこられながらも、イエス様はそのような人間達をお捨てになることができず、生命の圏に向かう一つの道を開拓なさるために、彼らを引っ張りゲッセマネの園に向かわなければならないということと、ゴルゴタの十字架の道を行かなければならないということを思われるイエス様の悲惨なる心の前に、頼もしい弟子一人いなかったやるせない心情を、私達が分かるようにしてください。


きょう私達がこのような事実を考えながら、天上に対することができ、孤児のような立場であったイエス様の心情を持って「お父様!」と訴えることができ、その時に心情と通じることができるようにしてください。
この者達をして、心を開き、信じることのできる弟子達となるようにしてくださり、イエス様を証すことのできる存在となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


イエス様の悲しみがどれほど大きかったかということを知ることのできなかった弟子達、このような弟子達を残しておいて一生涯を終結すべき立場にあったイエス様の心情、生涯のすべてを人間のために生きたにもかかわらず、その生涯の結実をみることができず、懇切な心情に沈んで天を案じられたイエス様の心に、私達が同情できるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.1.11)



11


お父様!
時が近づけば近づくほど、復活の主に出会うのをためらう心がわき出てきます。
時が近づけば近づくほど、死の悲しい因縁を抱かれたイエス・キリストの姿が連想されるようにしてください。


刑具に掛けられ亡くなられた彼は、恨みを抱いて逝かれた方であったことを知りました。
彼が徘徊されたゴルゴタの山頂は、因縁の涙の峠であることを知りました。
彼が流された血と汗は、今日まで因縁の歴史に生き残り、人類の一人ひとりの心中に復活し、入っていくことを知りました。
このすべてのものが、因縁の歴史的な摂理のみ旨の中で流された血と汗があったがゆえに、その因縁が存在する間、その血と汗によってすべてのものが動いていくことを知っています。
今日、そのような心情に徹する私達、そのような境地にいる私達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


このように行かれた主、新郎であられる主は、因縁の歴史を経て再び訪ねてあげようとおっしゃいました。
主が自分の心、体を傾け、私達を訪ね立てようとする心情が懇切であられることを知っていますので、私達自身を備え、万民の前に装った姿を誇りたい心が懇切でありますよう許諾してください。


その道を行こうとしても、悪なる世の中であり、主が行かれたその道が残っているので、耐えに耐え、また耐えて、民族の残った峠を歩まなければならず、世界の残った峠を歩まなければなりません。
今、地に残された十字架の峠を越えることのできる殉教の歴史を耐えることによって、持ちこたえなければならないことを私達は初めて知りました。


今、新しい心で因縁を感じ、新しい心で待ち望み、新しい心で耐えながら、お父様につかまり痛哭することのできるその日まで進むことのできる私達となるようにしてくださり、積もった悲しみの因縁を越えることのできる私達となるよう許諾してください。
喜びの因縁を誇ることのできるその時間まで、耐えて残され、死亡の権限を押さえ、復活の栄光を歌うことのできる息子・娘達とならせてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.29)



12


お父様!
三十余年間、荒野でいなごとはちみつを食べて修道した、洗礼ヨハネが抱いた願いは何であったでしょうか?
彼の願いのすべては、来られるメシヤを迎えることであったことを知っています。


メシヤを証した彼は、メシヤと一つにならなければならない天倫の因縁でございましたが、彼が私の心にあり、私が彼の中にあって、彼のものは私のものであり、彼の心情が私の心情であり、彼の生涯が私の生涯だという、すなわちイエス様のすべてのものが洗礼ヨハネの心中に反映され、一体をなさなければならなかったのですが、彼はそのようにはできませんでした。


ヨルダン川の多くの群れの前で手を挙げ、天の息子だと証した記憶を持っていた洗礼ヨハネは、悲しく寂しい姿で獄に閉じ込められ、自分の物悲しい身の上を嘆息せずにはおれない立場で、自分が証したメシヤ、天が証し立ててくださったメシヤに弟子達を送り、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。
それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか*」と(*マタイ一一・三)聞き返した場面は、歴史的な悲しい場面であり、天が越え難い悲しい場面であったことを私達は知りました。


歴史の流れの中に、洗礼ヨハネの路程はそのまま残っています。
新しい理念を見つけるためにあえいでいる私達、新しい歴史を待ち望みながら準備するという私達が、今、洗礼ヨハネを自分と交換して考えることのできる者達となるよう許諾してください。


天の民が天のみ旨を排斥した事実を、歴史を通して知りましたので、今日私達がそのような歴史的な二の舞いを再び踏む私達とならないよう主管してくださり、荒野で装わせ準備をさせられた、そのみ旨を失う者達とならないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


きょう私達の体と心が、お父様の前に面目ないことを悟るよう許諾してください。
お父様の勧告なさるみ言を聞くことができ、イエス・キリストの悲しい心情を引き継ぐことができるようにしてくださり、天的な悲しい心情を抱き、人間達が知ることのできない新しい理念の主人公を迎えることのできる心と体となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


この時代を守りいく主人公は誰であり、この時代に残ることのできる民族はどのような民族であるかを案じ、そのような姿を慕いながら悲しい心情に徹することのできるこのひと時となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
聞こえてくるみ言と聞こえてくる声に耳を傾け、そこに同調し反応する生活をする私達、今、私達が歩んできた道を振り返り、新しく目覚めるべき時が来ました。


混乱と混沌の中に置かれ、生死を決めるべき立場にある自分自身を案じる立場から、私達が抜けられるようにしてください。
信じることのできない社会であり、信じることのできない世界であることを知り、信じることのできる理念の世界に浸り、その理念の世界と因縁を結ぶことができるよう自ら目覚め、自我を認識し天をつかむべき時となり、心の変革を起こさなければならない時になったということを知っています。


このような環境に置かれている自分であることを肝に銘じ、新しい「私」を追求することができるよう導いてください。
恨みの染み渡った悲しみの峠を越えに越えて、歓喜の姿を迎えることのできる私達とならせてくださり、その姿を慕い、その世界に引かれ、その世界と和することができるようにしてください。
今日この社会環境が自由であり得ず、悲しみが染み渡っていることを悲痛に感じて、これを遮って闘うことのできる力を、勇猛さをお与えください。
永遠であられ絶対的なる天がおられるなら、罪悪の一切を押し出すことのできる能力を加えてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.4.12)



13


お父様!
二千年前のイエス様の聖なる姿が慕われます。
み言をお伝えになったイエス様の前には、索漠たる世の中が置かれていて、自分を主とし、自分を高くしようとする群れがいましたが、そのような群れを眺められたイエス様の視線に、限りなく悲しい心情が流れていたことを知るものです。


ユダヤ教団は教派同士で闘い、信徒達は信徒達同士で争う実情を眺めておられたイエス様!自分の粗は隠し、人の粗を探して、自分を主張するためにあえいでいたその時の時代相を私達が回顧するとき、やはり世の中と時代に責任を持って来られたイエス様の心が、無限に悲しかったことを知るものです。


それでも、「求めよ、そうすれば、与えられるだろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう*」と叫ばれた(*マタイ七・七)イエス様の心情が推し量られます。
求め、捜し、たたくべき者達は民族であり、教団であり、個人でしたが、求めるべき者達が求めようとせず、捜すべき者達が捜そうとせず、たたくべき者達がたたこうとしないのを眺められるイエス様は、人間を身代わりして求めなければならない立場におられ、人間を身代わりして捜さなければならない立場におられ、人間を身代わりしてたたかなければならない立場におられたので、お父様、悲しいのはこのことでした。


人間が訪ねてくれるのを待ち望んで送ったメシヤが、むしろ訪ねるべき立場におられ、人間達が侍ってくれるのを望みながら、天は長い歴史路程を準備したのに、人間達から侍られない立場におられたイエス様の物悲しい心情を、私達がこの時間感じるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


イエス様は地の人間に対するとき、涙して嘆くしかない事情でしたが、むしろお父様が祝福してくださることのできる地となることを待ち望まれました。
イエス様のその聖なる姿が、きょう私達の目前に顕現するよう役事してくださり、私達が彼の命じられる声を聞き、黙々とその内心に流れる天的な心情を思慕し、体恤して、涙しながら敬拝を捧げることのできる群れとならせてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達はお父様に向かって手を挙げ裸同然の姿で現れましたので、哀れにお思いください。
私達の心には、お父様しかいないよう許諾してくださり、私達の望みと私達の欲望と私達の一切の要求条件は、お父様のこと以外にはないよう許諾してください。
無限なるお父様の心情に染み渡ったその心をつかんで生き、その心を体恤しながら生き、その心と共に闘いながら生きることのできる息子・娘とならせてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.4.26)




14


侍ちに待った望みのひと日を迎えるために摂理してこられたお父様、不信した人間達をお捨てになることができず、数多くの寂しい群れを抱かれるために、イスラエル選民を祝福しておき、歴史を導いてきて、約束していた一存在を送られたその日は、お父様の栄光が天に染み渡らなければならず、万民の歓喜の心情をもって天上にも地上にも喜びが充満しなければならなかったのに、四千年の悲しみがイエス様お一人に対して加えられたという歴史的な恨めしく悔しい事実を、お父様、私達は知っています。


馬屋で誕生して生きられた三十余年の生涯は、それほどまでに悲惨であり、それほどまでに寂しく、それほどまでに頼る所もありませんでした。地上にそれほどまでに信じる者がいなかったイエス様、地上で自分の胸襟を開いて、その懇切なる心情を伝えることができないまま、恨みの主人公として逝かれたイエス様であったということを、今日私達は知っています。


勧告すべき天的なみ言が残っていましたが、受けるべき人間が信じることができないことにより、そのみ言をすべて語れず、抱き逝かれた悲しみ、二千年前のイエス様の悲しみを知らずにいる万民をお許しください。
それでも、天に従った弟子達を集めて勧告なさり、期待されたみ言と祈祷を私達は聞きました。
あなたの因縁と天の因縁が相合うその瞬間、天の喜びが現れなければならず、ひいては地上に新しい国が建設されなければならなかったのに、その瞬間喜びは消え去り、嘆息と悲しみが始まり、恨みの十字架の道が生じた歴史的な恨めしく悔しい事実を知っています。


私達の先祖達は天の前に負債を負い、私達も天の前に宇宙的な負債を負っているのに、それを蕩減しようとせず、自分の安逸のためにあえぐ群れとなったことを受け入れてくださいますよう、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
悲惨なる心情を体恤し、地を案じ、天を案ずる心を持った息子・娘達が、この地上にどれほどいますでしょうか?
お父様、とても珍しく貴重であるということを知っています。
哀れな万民を救われるため、数多くの苦労も意に介することなく、寂しい私達に勧告なさるために月日を経てこられたお父様、私達の前に新しい約束をお立てください。
この者達に新しい約束と、新しい時代の使命を任せようとなさる天的なみ旨があるとするなら、お父様、役事してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.5.17)


15


今日私達は、歴史上に来て逝かれたイエス様を知り、信じていますが、その当時イスラエル民族に追い回された悲惨なるイエス様、この村で追われればあの村へ、この都で追われればあの都へと彷徨したイエス様の心情を知って、信じる者はいませんでした。
天の心情を身代わりして現れたイエス様の姿を知る者は、歴史上で見いだすことができませんでした。


メシヤを待ち望んだイスラエル民族が、メシヤを迎える望みを抱き、数千年間耐えながら闘ってきて、メシヤはいつこられるのかと言いながら待ち望んできましたが、いざその望みの的が現れた時には、自分達の事情と自分達の置かれた環境に偏ったあまり、天の心情を知らないまま深い眠りに陥っていたことを、私達は思い起こさずにはおれません。
このように嘆かわしい歴史があったことを思い起こし、きょう私達に、お父様の心の中に染み渡っている恨みを解いてさしあげるべき責任があるとするなら、来られたイエス様を見間違えたイスラエルの罪状を、私達が身代わりして担当し、解いてさしあげられるようにしてください。
イエスを悲しませたイスラエルの失敗に責任を持ち、身代わりして悔い改めることのできる私達となるよう許諾してください。


イエス様は悲しい三十余年の生涯をお送りになられました。
その上に自分のすべてのものを捧げた三年公生涯がありましたが、誰が彼の心情を知り、誰が彼の事情を知っていたでしょうか?
一人もいませんでした。
甚だしくは、喜怒哀楽を共にし、悲しい時、共に悲しみ、寂しい時、共に寂しがり、師と侍っていた弟子達も知りませんでした。
師が死の道を行くことを案じ、懇切なる心情で天をつかみ訴えるべき弟子達が、かえってイエス様が誰であるかと言って問い返す立場にあったので、三年の公事が無駄であったことを感じられたイエス様の心情、悲しみがあるとするならこれ以上の悲しみがどこにあり、悔しいことがあるとするならこれ以上悔しいことがどこにあるでしょうか?


権能をお使いになったイエス様をあがめ侍ることのできるクリスチャンはいますが、踏まれ押しつけられたイエス様のその足跡をつかんで生きようとするクリスチャンはいません。
お父様、かわいそうなイエス様の心情をつかんで立ち上がることができる息子・娘達が、この万民の中にたくさん現れることを私達は血涙で訴えないわけにはいきません。


生きておられ、歴史の背後を操られるお父様!私達に、ほのかに行く所を教えてくださることを知るものです。
お父様、
過去のイエス様を慕う私達とならないようにしてくださり、時代的なイエス様を証すためにあえぐことのできる私達となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、私達、お父様の前に行かなければならなかったイエス様の心情に同情し、その心情の前に頭を下げられるようにしてくださり、イエス様が喜ばれ、願われた何かがあるとするなら、それを成し遂げてさしあげることのできる私達となるよう許諾してください。
二千年前、人類の生命問題を解決しなければならなかったイエス様の心情に徹することができ、彼の心情と関係を結べる息子・娘となるよう、お導きくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.7.19)


16


選民の権限を誇り、選ばれた民であることを誇りながら、祝福圏内に生きたイスラエルはどこに行ったのかと嘆息なさるお父様の悲しい涙が、この地に残っているということを私達は知っています。


お父様が四千年の間、歴史的な悲しさに耐えながら、選んだイスラエル民族をつかんでこられたのは、メシヤお一人をお送りになるためであったにもかかわらず、彼らはメシヤをほうっておき、サタンの懐に抱かれたがゆえに、それを見つめておられたお父様の悲しさは、その時だけの悲しさではなく、億千万年歴史の悲しさとして残されたという事実を知るものです。


当時、選ばれたイスラエル民族はこのような事実を知ることができなかったということを私達が回想するとき、きょう体をかがめ、心を整理して歴史的な犯罪性を暴露し、その歴史的な罪悪を身代わりして悔い改めるべき責任が私達にあることを、私達は悲しく思わないわけにはいきません。


イエス様は天の物悲しい心情を抱き、倒れていく民族を訪ねてくださり、彼らをかわいそうに思い、自らの生命をも惜しまず、彼らを訪ねてくださいましたが、選ばれた民族であると自称していたイスラエル民族は、天がお送りになったメシヤと準備された洗礼ヨハネを、自分達の勝手に扱い、歴史的な悲しみの陰に隠してしまったという事実を、今日、私達は知っています。


きょう、ここに集ったあなたの息子・娘達をして、その時のイスラエルの人々が私達よりも劣っていて天に背反したのでなく、天のために生きる心情が私達よりも劣っていて天を忘れてしまったのではなかったことを知るよう許諾してください。


新しい時代に対する希望が足らず、新しいメシヤの理念を持ってこられる主の姿が大きいだろうと思っていたのに、いざ現れたメシヤが、あまりにも悄然としてかわいそうで、小さな姿であったがゆえに、彼らが排斥したのだという事実が分かるよう許諾してください。


今、私達自体がどのような立場に置かれているかを察するよう許諾してくださり、今日、私達はよく歴史的なイスラエル民族を誹謗し、当時の事情を批判することがありますが、その時の事情や今日の事情に差がないことを知るようにしてください。


私達がその時にいたなら、彼らと同じ群れであったことでしょうし、私達がその時代にいたなら、彼らと同じ立場にいたであろうことを自認する心を持つようにしてくださり、そのような歴史的な罪の痕跡をもっている自らだということと、サタンの魔の手が私達の体をにらんでいるということを知るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.2.22)


17

今日、私達の生涯路程は悲惨なる路程であり、生活環境は複雑で、私達は善と悪を分別できない混沌状態で生きています。
このような地に一つの生命の道を開拓してくださるために、天は骨折られ、人類の前に一つの真なる人の姿と、真なる理念と天宙の真の姿を紹介するために、数多くの先知者達がこの地上に来ては逝ったのを知っています。


その中でも万民のメシヤとしてこの地上に現れ、十字架上でわらくずのように消えながらも、万民のために福を祈ることのできたイエス・キリストの尊厳なる人格と彼から流れ出たその心情、染み通った彼の理念を慕うべき時が来ました。


自分を軽視すべきこの時であるにもかかわらず、自分を高くし、万物万象を蔑視し、天を蔑視した罪深き自分であったことを受け入れてくださいますよう、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達が真なる心、真なる善に向かい動こうとするなら、天地の前に負債を負った者であり、人類歴史路程で、言うに言えない険悪なる痛手を負った罪悪の氏族であることを悟らせてください。
今、私達にはお父様を尋ね、捜し歩くことのできる心、本然の自我を尋ね、捜し歩くことのできる忠節、それだけが必要ですので、お父様、それを備えるよう許諾してください。


イエス様が生きてきた生涯路程が悲惨なる涙の道であったことを、私達は否認することができませんし、経てきた歴史のひとこまひとこまも、血のにじんだ血みどろの闘いで綴られたことを、私達は知っております。
そうして私達は、歴史的な何かを解明することができず、時代的に誇るべき何ものをも持てなかった宇宙史的な落伍者の立場であることを分からせてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


それゆえに真なる指導者、真なる生命と真なる心情を持った指導者が必要であり、天が人間の前に送られた方が救い主であり、メシヤであると私達は信じています。


しかし、私達がメシヤたるその方の前に出るために、彼にふさわしい志操と忠節と心情を備えたかを、自らたどって調べるようにしてください。
天はメシヤを迎えるにおいて、人間が最高の情熱と最高の忠誠と最高の真心を、すべて傾けるのを待ち望まれることを知っていますし、サタンを相手にしない最高の至誠と燃える心情を要求されることを知っています。
今、私達がそのような立場に達することができなくともその立場を慕う心だけでも持ってひざまずき、贖罪の恩賜を願うことのできる謙遜な幼い息子・娘達となるよう導いてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.7.19)



18


お父様!
きょうこの時間は、イエス様と歴史的な距離のある時間です。
歴史には距離がありますが、心情の世界には距離がないということを知っています。
歴史的なイエス様を信じる私達とならず、心情を通して直接的にイエス様を知り、信じることのできる私達とならせてください。


み言を語られたイエス様の悄然とした聖なる姿を慕いながら、心で悲しみ、その前に頭を下げることができ、訴えたその時の声を聞くことのできる徹した心、懇切なる心、恐れかしこまる心が、私達の体と心にこもるよう許諾してください。


自分でも知らずに「お父様」と呼ぶことができ、知らない間に主の恍惚たる恩賜を感じて感謝を申し上げます。
送られたメシヤの聖なる姿は天上が擁護し、敬うべき存在でしたが、地上に現れ、悲惨なる道を行かれたことを悲しみ、彼の苦労を案じ、彼の悔しさを悔しく思う私達となるようにしてください。
その時の先知達が行えなかったすべてのことを、きょう私達が心情的に引き継いで、彼らを身代わりしてイエス様の慰労者となり、慰安者となるようにしてくださいまして、その方の前に望みの相対となるようにしてください。


イエス様はどれほどかわいそうな方でしょうか?
民族を眺める彼の心は嘆息せずにはおれず、教団を眺める彼の心情は痛哭しか残っていませんでした。
天倫の摂理に責任を持たなければならなかった彼の事情を、人間は知りませんでした。


事情に通じるべき人間達、心情を分かつべき教団、共に生きるべき民族を後に置き、独り夜中に山中をさまよわれた彼の心情を知る者がいませんでした。
きょう私達は、イエス様を知らずに従い、イエス様を知らずに信じる者達と同じにならないよう許諾してください。
かわいそうな彼の心情をつかみ、限りなく泣いてあげることができ、限りなく心配してあげることができ、彼のために死の立場も意に介さない私達となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.10.18)


19


お父様!
二千年前に寂しく来て逝かれたイエス様の事情がどうであったかを、私達が察するようにしてください。
彼はこの地上に人間達を救うため、自分のすべてを祭物として捧げて倒れようとも、案ずる心をお持ちになって、その厳しい困難も甘受され、寂しい立場も喜んで行かれました。
そのようなイエス様の寂しい姿を、私達が同情するようにしてください。


イエス様は個人の目的を成し遂げるために闘われたのではなく、罪人である多くの衆生を救うと同時に、死亡圏内にあるこの世界を天の世界、すなわち光明の世界へと導こうという、天的な使命を背負って闘われたことを私達は知りました。


その当時、イエス様のすべての生活環境は、どれ一つとして喜ばしいものがありませんでした。
行く先々でも迫害があり、行く先々で憤懣やるかたないことが、前に横たわっていましたが、彼は嘆息しませんでした。落胆する立場に置かれても、決して落胆しませんでした。


望みの世界のために未来の天国のために、お父様の経綸を眺めながら、耐えてこられたそのみ旨を私達は知るものです。
ここに集まった息子・娘達、たとえ二千年という歴史的な距離はあったとしても、心情的には二千年前のイエス様の心情と通じることができ、天的な責任を背負った立場で、お父様に対することのできる息子・娘とならければなりません。


そうして、お父様の寂しい心情を抱きしめ、この地上の人類を身代わりしてお父様を慰労してさしあげ、この民族と世界人類の前に訴え、彼らをお父様と因縁づけてあげられる息子・娘とならせてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.6.12)


20


お父様!
天を抱き地に対する救援摂理のみ旨を抱き、三十余年の生涯を生きられたイエス様が、自分を救い主として対してくれる人、一人を見いだせず、救い主として侍ってくれる一家族を見いだせず、救い主として従う一民族を率いることができないまま、恨めしい運命の日を迎えなければならなかった歴史的な悲しみの日が思い返されるものです。


願わない時に十字架の道を行かなければならず、時ならぬ時に使命を終結しなければならなかったイエス様でしたので、語るべきこともすべて語れず、立てた悲壮なる覚悟と決心の行使もできないままに恨みを残し、また抱いて逝かれましたが、その心情を知る者がどこにいるでしょうか?


お父様!
天を仰ぎ見るイエス様の目には、万民に対する切ない涙がたまり、死を前にした彼の悄然たるお姿は、人類を身代わりした姿であったことを、今日、私達も骨身に染みて分かることはできませんが、当時の人々の中でも、それほど凄絶なる困難にぶつかる人が、神様の息子であることを知っていた人はいませんでした。


イエス様を知って侍るべき民族が、むしろ彼に反対して死の道に追い立てるために跳梁したので、み旨を抱いてきたイエス様は、どれほどかわいそうだったでしょうか?


天の心情に通じ、イエス様の心情に通じるべき民族であるにもかかわらず、むしろイエス様が民族を案じなければならず、怨讐に引かれていくイエス様の悲しみも知らず、怨讐の手のひらの中で戯れている、死亡圏にいる民族を眺め、「アバ、父よ、彼らの罪をお許しください」と言って、祈らなければならなかったイエス様の心情を、私達がたどって感じられるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


十字架と言えば、私達は名前だけで知っていました。
イエス様が行ったゴルゴタ山頂が、イエス様にとっては地獄であり、死の刑場であったことが私達には分かりませんでした。
ですので、今から私達が十字架を考えるときには、イエス様の体が裂かれる痛みより、四千年間積もってきた神様の恨みの心情が裂かれる悲しみが、どれほど大きかったかを知るようにしてください。
イエス様が十字架上で肉を裂かれ血を流したことが悲しいのではなく、心情を絞り出さなければならなかったことがもっと悲しかったことを、知り得る私達となるようにしてください。


きょうここに集まった群れの中に、真なるあなたの息子・娘がいるでしょうか?
イエス様の流した血を無視し、天の福を受けることを願うものがいるでしょうか?
イエス様の心情に倣って、天のみ旨に対そうとする者がいるでしょうか?


泣いて、泣いて、また泣いても恨みの解けない悲しみのひと日を憶え、イエス様の死に対して、果てしもなく痛哭することのできる群れとならせてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.21)


21


お父様!
四千年間苦労して導いてこられたイスラエルの終末を眺めながら、その民族に対して祝いの言葉を語れず、かえって嘆息の言葉を語らなければならなかったイエス・キリストの心情が、どれほどもどかしく、恨めしく、悲しく、どれほど苦しかったでしょうか?


お父様!
死亡線上で身もだえしている数多くの民を眺めるイエス様の心中には、勧告しても聞かず、諭してあげても悟ろうとしない無知な群れに対して、天のもどかしさがその一身に染み渡ったということを知っています。
そのもどかしさが染み渡れば染み渡るほど、地に対し、恨みたい心も共に高まっていったことを私達は知っています。
しかし、これを抑えて耐えられたキリストの心情を知る人は、地上に誰もいませんでした。


寂しい路程を開拓するため、苦労されたキリストの聖なる姿を、兄のように、父のように侍りながら、彼と一つの心になり、彼が涙する立場にいるなら、共に涙し飢える立場にいるなら、共に飢え、ぼろをまとう立場にいるなら、共にぼろをまとい、むち打たれる立場にいるなら、共にむち打たれ、追われる立場にいるなら、共に追われる立場に立つべきでしたが、そうできなかったのが歴史的な恨みであったことを私達は知りました。


心情の世界は、歴史的な距離を超越するという事実を私達は知りました。
それゆえ私達は今、心情の根本を尋ね入り、キリストの聖なる姿を抱き締め、彼の事情に通じることのできる心情の友となって、イエス様を身代わりしてゲッセマネの園で祈ることができ、イエス様を身代わりしてカルバリ山頂に向かって走っていくことのできる、あなたの息子・娘達となるようにしてください。
そのような息子・娘であるとするなら、彼はキリストの友であり、歴史を超えて天の息子に侍った者であるということを、私達が体恤するようにしてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


イエス様はこの地上に来て、数限りなく涙を流されましたが、誰もそれを知らず、血涙の出る哀痛の心情を持って天に対して訴えましたが、それを知る者もいませんでした。
お父様、今日統一の信徒達をかわいそうな立場に追いやり、鍛えてくださったことに感謝を申し上げます。
飢えの中で団結させてくださったことに感謝を申し上げます。
お父様、ぼろをまといながらもみ旨を案じ、むち打たれながらもあなたを案ずる息子・娘となるようにしてください。


これがお父様の願いであり、このような姿を立ててこの民族の前に誇ろうとなさるのが、お父様のみ旨であることを知るものでございます。
今、そのような姿を捜し立てる使命を果たす時が来ましたので、この使命の前に私達が卑屈にならないようにしてくださり、この使命の前にためらわないようにしてください。
私達にあるすべての情熱と誠心を尽くして、あなたの前に実績を残し、あなたの心情に記憶され得る息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.7.17)


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父の祈り(復活の祈り)3ー2

2023年02月04日 14時54分12秒 | 学習

22


一つの生命がこの地に生まれ、間違いなく逝かなければならないのが、人間共通の路程であることを知っています。
人として生まれ、神様を探し求めていくとき、自ら悟っていくことのできる善を備えることができない、哀れな人々とならないようお許しくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


私達が、他人が手にすることのできない宝物を手に入れるためには、他人が経ることのない試練の過程を経なければならないことを知るものです。
涙と苦衷を経ずには、自らの基準を高められないことが、社会生活や被造世界の因縁を通し、事実であるということを私達は公認しています。


私達が神様のご心情を中心として歴史全体を代表し、天宙的な価値を代表して残され得る宝物のような位置を占め、お父様のみ前に孝行の道理をすべて果たすことをもって、歴史に輝き得る聖なる孝子の名前を有するようにしてください。


私達の胸の中には、木も草もありません。空虚な中でも特に空虚であり、空っぽの中でも特に空っぽであり、乾いている中でも特に乾いたものです。
しかし、一つだけもっているものがあります。
それは「アボジ」と呼びたい心、アボジに会いたい心、アボジに侍りたい心です。
その心だけは、天と地を与えても、取り換えられない貴いものだということを知っています。
私達が最後まで、そのすべての価値ある者になろうという心をもつよう、許諾してくださいますことを切にお願いいたします。


私達は、それが至極貴く価値あることであるということを知っていますので、そのためには、悲壮な心と血のにじむ闘争と血のにじむ努力を傾けなければならないという事実をも忘れないよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1966.12.11)

23


お父様!
尊厳であられるお父様のみ前に、ひれ伏し祈祷するごとに、喜んでおられるお父様のお姿でないことを思えば思うほど、心苦しく申し訳なさを禁じ得ません。
お父様、あまりに広いこの天地の中で、私達韓国の民より劣った民族はありませんが、お父様はこの民族をお選びになり、数多くの人類の中でお父様は私達を尋ねてこられました。
頑是なく振る舞っている私達を、百遍、千遍保護されながら、大事にしてくださったことを思ってみるときに、お父様はこの民族を愛してくださっているということを、私達を無条件に愛してくださっているということを、再び感じるのです。
無知で世間知らずの者達を尋ねてくださって、成し難い天地の福の理念を私達に賦与してくださり、人々が、夢にも思えない聖なる恩賜の土台の上に、無限にほとばしる心情をもって「お父様」と呼び得るひと日を迎えるようにしてくださったことに感謝申し上げ、このすべてがお父様の愛のみ手であることを感じるものです。


お父様が今まで私達をどのように育て、お父様の命令を奉ずる旗手となるようになさったかを考えるとき、また、冷たい霜が吹き寄せるその悲しく過ぎ去った日にも耐えられながら、復帰の道を立てるために行かれたあなたの道が、どのようなものであったのかを考えるときに、千万遍不肖をなした過去を、もう一度、悔やまざるを得ません。
今日まで、あなたが越えてこられた最後の勝利の基準まで、追われながらも進むことのできるこの群れを、この国、この民族の前に立ててください。


自分の体をかがめ、自ら恥ずかしさを感じながら、むち打つことのできるこの者達となるようにしてください。
あなたがとても大きなみ旨に徹してこられたという事実を、こと新しく悟るときに、私達は千万遍お父様のみ前に、感謝に感謝を、賛美に賛美を、栄光なるお父様のみ前に帰す道しかないということを、自ら感じるよう許諾してくださることを切にお願いいたします。


お父様!
私達は国のない民でした。
国を失った亡命者でした。失った国を探し求めるための飢えた乞食でした。
お父様のみ旨が、新しい故郷、本郷の地を探し立てる、真なるものであることを知ったので、私達は失った本然の家庭と本郷の地を探し、サタンにあだを討たなければなりません。
それだけでとどまるのではなく、サタンが付け込まない天的な福の機関である私達のすべての相続権を加え、歴史的な怨讐であり、時代的な怨讐であり、未来的な怨讐であるサタンに対して、どのような困難とどのような苦痛があったとしても、私達はあだを討ち、蕩減しなければならないことを知っていますので、お父様、私達に力を与えてください。
あなたのために忠孝を尽くすことのできる能力を与えてくださいますことを、切にお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1966.12.18)




24


お父様!
お父様がお慕いになった本然の創造理想世界は、お父様のみ愛を中心として、真なる子女と真なる家庭が楽しむことができ、すべての万物が和動することができ、幸福がにじみ出るところであることを知っています。
しかし、堕落によって本然の世界、本郷の地が私達人類の前に望みとして残るようになったことを思うとき、これがどうして痛嘆せずにおられるでしょうか。


堕落によってお父様を失い、本郷の地を失い、本然の真の父母を失い、本然の真なる理想的な家庭、理想的な氏族、理想的な国家、理想的な世界、理想的な天宙を、すべて失ってしまいました。
お父様を中心とした権威の世界が、自由な環境で成されなければなりませんでしたが、堕落という悲しい運命にぶつかることによって、人類はお父様と何の関係もなくなってしまい、理想とされたお父様の世界とは関係のない世界となってしまいました。


私達の主人であられるお父様は、主人となることができず、あなたの怨讐であるサタンの血統を受け継ぎサタンが主管する暗黒圏内に私達が引きずられ下りてきたという事実を思うとき、これがどれほど口惜しく、悔しい事実であるかをもう一度私達は回顧しながら、この地球上から数多くの霊人達がとどまっている霊界に至るまで、億千万代にわたり怨讐となったサタンを追放することが、お父様の願いであり、真なる人類の願いであったことを、この時間、私達は肝に銘じなければなりません。


お父様!
サタンの権威と権勢の土台がどれほど残っているかを、生活の中で感じることのできない私達です。
時間、時間を送りながらも、一日一日を過ごしながらも、サタンの権勢と権限が私達の生活圏内にどれほど浸透していて、私達の生活舞台にどれほど浸透しているかを、今まで感じることのできなかった私達の信仰生活であったことを、お父様、思うものです。


汚されたものを清算せずには、お父様のみ前に到底出ていくことができないのが、天理原則であることを考えれば考えるほど、私達は涙の道の中に立って、お父様のみ前に泣き叫びながら、あなたの救いのみ手を願わなければならない、物悲しく哀れな立場にいるということを、再び思うものです。


このような立場にある私達であることをよく知っておられるお父様!
哀れみの心を広げてくださって、私達の行くべき道をもう一度守ってくださり、私達の周囲を清くしてくださって、サタン圏内から私達を分別してくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


お父様!
私達の体と心は神様と直接関係を結ぶことができません。サタンが支配することのできる罪悪の根が、いまだに残っていることを知っています。
心で願う善を行うことができませんし、願わない悪の行為を楽しむ私達自身と、そのような生活圏内を逃れることのできない私達自身を受け入れてくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


お父様!
私達は生涯路程において、サタンと隔離されなければなりませんし、また復活路程においても、サタンと隔離されなければなりません。
お父様と一体となって、お父様が願われる生活と生涯を送らなければ、天の民となることができないという事実を、私達ははっきりと知ったので、ここに集まったあなたの息子・娘達が、体と心のすべてを捧げ、新たな生活と新たな生涯を目指して走ることができるようお許しください。


この時間、もう一度お父様のみ前に決意することのできる群れとなるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によって切にお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.1.7)




25


お父様!
あなたのみ愛が各自の心に宿るようにしてくださり、愛をもって永遠なる真の人間の姿が天地間に現れるようにしてください。
すべての万象がそのような存在を中心として動じることを待ち焦がれているという事実を、私達は知るものです。
また、お父様がその真なる人間と一つとなって、きらびやかな文化の世界、栄光の世界を創建なさることを知るものです。
しかし、お父様のみ愛が宿ることができなくなったことが恨みであり、そのみ愛を私達が探せども、探せども、出合うことができないことがまた恨みであることを知りました。


堕落の後裔として生まれたために、お父様との真なる愛の因縁を探そうとしても探すことのできない悲しみを抱き、歴史路程を歩んできた私達ですので、哀れみのお父様、本然の愛の心をもち、私達を尋ねてくださり、あなたのそのご心情の前にひれ伏すことのできる子女となるようにしてくださいますことを、切にお願いいたします。


人類が数千年の間、お父様に対する反逆者の後孫として生まれ、またお父様のご心情に反逆する群れとして生きてきたことを受け入れてください。
そのような実体の姿をもってお父様のみ前にひれ伏しましたので、哀れみと愛をもって私達を捕まえてくださり、慈悲のみ手をもっていたわってください。
過ぎし日の不足なることと、過ぎし日の不忠なることと、過ぎし日の不孝なることを、一つ一つお父様のみ前に告げ、悔い改めるこの時間となるようにしてくださいますことを切にお願いいたします。


あなたは、私達が永遠に侍るべきお父様です。
お父様と私達は、その因縁を永遠に切ることのできない本然の関係にあることを、私達がはっきりと知るようにしてください。
ところが堕落して、お父様を失い、お父様との永遠なる因縁が切れてしまいましたので、それが私達の悲しみです。
きょうこの場に、私達がひれ伏しましたのは、失ったお父様を再び捜し出し、切れたお父様との因縁を再び結ぶためです。
しかし、これはお父様の愛でもってなされなければならないことを知っていますので、お父様の愛による復活の恩賜を私達に許諾してください。
直接的な愛の因縁をもって私達を束ねてくださって、一つの統一された祭壇として、お父様のみ前に捧げることができるようにしてください。
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.3.31)



26


お父様!
物静かな中であなたのご心情をくみ取り、私達自身を発見できるよう許諾してください。
私達は、考えれば考えるほど、お父様のみ旨の前から懸け離れている自分自身を発見せざるを得ません。
人間始祖がお父様に背き、敗亡した堕落の道を行く事により、永遠に滅びてしまうべき後孫として生まれた自らである事に嘆息しながら、お父様を探し求めていくのに、縮めるのがとても難しい一つの間隔が残っているという事実を悟るとき、私達としては、到底どうする事もできないという事を、再び発見するのです。


このように死亡の根から繁殖して生まれた自らを、過去においてもそうであり、現在においても死亡の世界にもつれて、押し流されていく自らを考えてみますとき、お父様に属するには、あまりにも懸け離れている自らを発見せざるを得ません。
それゆえ、お父様の愛のみ手が必要であり、お父様の能力のみ手が必要である事を私達は知っています。


お父様!
私達は心の奥深くに本性の因縁をもっています。
これだけはあなたから受け継いだものであり、これによってお父様に通じなければならない因縁が、私達には残っている事を知っています。


この因縁を立てるために、お父様は歴史過程を通して、私達を覚醒させてくださり、きょうこの時間も、そのためのお父様の役事が継続していますので、その事実を私達が忘却しないようお許しください。


私達の本性が切実に泣き叫ぶ願いを、私達が分かるようお許しくださり、本性が実際に、お父様と共に関係を結ぼうとする事が分かるよう許諾してください。
また本性に対立する怨讐の苦々しい罪悪の根が私達を取り囲んでいるという事実を知るようお許しください。


本性は神様の力を身代わりして私達に現れなければならないという事を知るようにしてくださり、私達が神様の能力のみ手によって、もつれたすべての死亡の因縁を踏んで立つ事のできる生命の出発をなさしめてくださいます事を、お父様、切にお願いいたします。


お父様!
私達各自を通して、すべての罪悪の要素を除去させる事のできる、新しい役事を巻き起こしてください。
そうして私達は、お父様のご心情に一致し、生活の中で事情が一致し、願いをもった立場で永遠なる未来と一致する事のできるそのような場で、お父様が探し出されたかった真なる息子・娘の姿として、お父様にお捧げできるようお許しください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.7.7)



27


お父様!
万有の主人であられるあなたのみ前に、全天地万物は永遠無窮に賛美を帰し奉る事を願うのです。


あなたの因縁と無関係に造られた存在は一つとしてありませんので、お父様によって、お父様のご心情を通して造られた全天地万物は、お父様の栄光を高め、お父様の神聖さと深奥さを表し、お父様の無限なる価値を示しているという事実を私達は知っています。
その中でも、すべての万物の中心として人間をお造りになるときは、お父様の内性的なすべてと外形的なすべてを兼ねて、万物を代表する事のできる息子の形状、娘の形状としてお造りになった事を私達は知っています。


人間は本来、お父様のお心の中に永遠に残る存在であり、お父様との因縁から離れる事のできない存在でした。


万物もそのような因縁の中で、人間とは相対的な関係をもち、共に神様を中心として、永遠に自由と平和と幸福が宿る事のできる天国で存在しながら、お父様に侍り、永遠なる勝利の座で喜ばなければなりませんでしたが、人類の始祖が堕落する事によって、このように悲惨な歴史の起源となったという事実を知っています。
その結果として、人間だけが悲惨になったのではなく、創造主であられる神様も悲惨な立場に立たれるしかなかったという、このとてつもない事実を私達は知りました。


お父様!
このように悲しみの歴史を出発するようになったすべての要件を、完全に除去しなければならない事が、人間が完遂しなければならない責任分担として、残っているという事を私達は知りました。


この責任分担過程を経ていくために、天上世界にいる数多くの善なる霊人達が、アダムとエバの創造当時に協助した善なる天使世界のように、第二の土台を願いながら、望みの心を合わせ持ち、この地を身代わりして闘ってきているという事も知っています。


お父様もやはり今まで、悲しみの歴史をさかのぼってきておられますが、このようにご苦労されるようになった原因は、私達の先祖が過ったせいでした。しかし、過った事だけで終わるのではなく、これを復帰して、解放をご覧になるためにご苦労なさるので、これがお父様の労苦の歴史である事を私達は知っています。


このように悲しみの歴史を残した先祖から受け継いだ、悲しみの痕跡をもった私達が、きょうお父様のみ前に再び集まりました。
しかし、私達はお父様を「お父様」と呼ぶ事のできない不足な者達です。
このように不肖な罪人の後孫だという事を、私達はよく知っています。


天の生命の因縁を結ぶ事ができず、復活の恩賜を受ける事のできない、悪逆無道で非常識で、あなたのみ旨の前に到底立つ事のできない私達です。
しかし、あなたは哀れみ深く、慈悲なる愛の本体であられるがゆえに、このような私達を、今も召さなければならない立場におられるという事を知りました。


私達はそれを知ったので、不足なる体と心を取り直せないまま、恥ずかしい姿勢で、お父様のみ前にひれ伏しました。
お父様のみ前に、私達は悔い改めの涙と共に心の奥深くお父様のご心情に通じて、「お父様」とお呼びしたい心情をもって出てきましたので、お父様、尋ねてきてくださって、哀れみのご心情で私達を立ててくださり、お父様の生命の因縁を通して「お父様」と呼ぶ事のできる特別なる恩賜を許諾してくださいます事を切にお願いいたします。


私達が生活していく歴史の一部分において、いかなる環境においても、私達の個体の解寃成事をして、勝利の土台を準備しなければ、お父様のご苦労の前に、自らの面目を立てる事のできない不肖なる姿になるという事実を悟る事のできる、あなたの息子・娘達となるよう許諾してくださいます事を切にお願いいたします。


お父様!
私達は何ももっていません。
また、もつ事を望みません。
私達は、今までサタンの血統を引いてきた痕跡によって、汚れた血と肉をもっているだけであり、私達に属しているすべては怨讐のものとして、あなたの嘆息圏内にあるため、あなたのみ前に祭物として立つ事のできない者達です。


そうですので、私達がこのすべてを忘れ、裸の体と幼子のような心をもち、お父様に抱かれる事のできるあなたの息子・娘達となるようお許しくださいます事を切にお願いいたします。


今まで私達がもった観念と、私達が知るすべてのものを一切除いてください。
私達の知識が、目的が、生活が完全にあなたのためのものとなり得るようにしてください。
そうして、そのような立場でお父様に仕え奉り、敬拝を捧げる事のできるこの時間、この場となるよう許諾してください。
お父様が親しくお命じになるとき、私達のすべてを切り捨てる事のできる心をもち、ひれ伏すこの時間となるよう許諾してくださいます事を切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.7.7)



28


お父様!
私達が行く道は、誰かのために行く道ではありません。
それは私達自身のための道であると同時に、世界、国家のための道である事を知るようにしてくださり、ある個人のために生きるのではなく、世界のために生きていくのである事を知るようにしてください。
「私」が生まれたとき、「私」という存在が、金なにがしなら金なにがしだけのために生まれたのではない事を知るようにしてください。
「私」なにがしは、この道を行くために生まれようとしたと、自ら誇り、それが「私」の生活の道理である事を証していく事のできる者となり、その価値を知るようにしてください。
この問題を明示し、解決して、その価値をより価値化させられる一つの核心的な実体を探し出す事が、統一教会の教会員となった目的である事を知るようにしてくださいます事を、お父様、切にお願いいたします。


お父様!
この世の何ものよりも、この道を行く事が切実でなければならない事を知りました。
私達が誰のために集まったのかというとき統一教会の先生のために集まったのでもなく、統一教会の何かのために集まったのでもありません。
国のために行こうとするので、統一教会が必要なのであり、また統一教会が願う国と世界があるがゆえに、信じ従っているのであり、またそこに近い道がこの道であるがゆえに、この道に従ってきたのです。
そうですのでお父様、統一教会を通して国に、統一教会を通して世界に、統一教会を通して天宙に前進しようという不変の心情が傷つかないようにしてくださり、その心情が大切に大切に伸びていくようにしてください。


心臓から流れ出る動脈の鼓動の音と、天情の心臓を通して響いてくる動脈の鼓動の音が、私達の体と一致して、私達自身が生活感情を動かし帰る、静脈の役割を果たす事ができるようにしてください。
そうして、その静脈の脈拍が、歴史と共に青史にとこしえに輝く事ができ、生活において万民の同志となる事ができるようお許しください。
これが私達の願いではないかと、お父様が今、この時間においても尋ねておられるという事を、私達が分かるようにしてください。


今、私達の心は、どこに流れていっているでしょうか。
私達の体はどのあたりにとどまっているでしょうか。
過去のよこしまな心の位置にとどまらないようにしてくださり、過去に滅びるしかないものに体を隠し、罰を受け得る位置にとどまる自らとならないようにしてください。


お父様のお心を担い、地上の人類の心を芽生えるようにする事のできる位置に、体と心を備えられるようにしてくださり、お父様のみ前にひざまずいて忠誠を誓い、歴史上に光となり得る「私」を慕いながら、お父様の王子と王女の姿を備える事ができるようにしてください。
お父様を慕う欽慕の情熱が芽生え得るその「私」の立場、あるいは思慕の情熱に輝き得るその「私」の立場が、大切に大切に立てられ、大切に大切に育つ事のできる私達自身となるようにしてください。


私達は輝くあすを望みとし、決起しなければなりません。
輝くあすの「私」を望みとし、決起しなければなりません。
輝く新しい天国のために、決起しなければなりません。
そうするために、私達はそこに合う器とならなければなりません。
輝き得る私達の姿を内外共に備えなければなりません。
また、天情の因縁の前に謹んで頭を下げ、お父様の息子・娘とならなければならず、心から「お父様」と呼ぶ事のできる真の子女とならなければなりません。
そうですので、その愛の中で一日の生活を謳いその事由の中で一日の仕事を神聖に賛美する事のできるあなたの息子・娘に、みながなれるようにしてくださいます事を、愛のお父様、切にお願いいたします。


残された時間が栄光となるようにしてくださり、この場が「私」を賛美するにおいて、真実の場となるようにしてください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.8.31)



29


お父様!
私達は悪から生まれた体であるため、善として再び生まれなければなりません。
二度生まれるべき運命、これは悲惨な事です。
この世でも、継子として生活する事は、この上なく悔しい事ではないでしょうか。
私達は養子の程度ではなく、怨讐の子として生まれたがゆえに、本然の父母を探し出さなければなりませんが、その道は決して平坦ではありません。
それゆえ私達は、サタンの矢とサタンの槍と剣の攻撃を無数に受けています。


しかし私達は、このように体を縛りつけているひもを切って行かなければなりません。
□で切るとしても、力で切るとしても、縛りつけている者達とぶつからなければなりません。
そのためには血を流さざるを得ない、悲惨な歴史過程を越えなければならない事を知るものです。


これを眺められながらも、勧告する事もできないお父様、私達のような息子・娘をもたれた恨みがどれほど大きい事でしょうか。
お父様のそのようなご心情を私達は知らなければなりません。罪を犯した息子が裁判官に引っ張られ、絞首台に立つとき、言うに言えない立場で、哀切な心情をもって息子の死を見つめ、悲痛に心を焦がさなければならない父母の心情、お父様のご事情を体得する事のできる息子・娘とならなければなりません。


栄光の息子・娘として生まれた万有の中心価値として、その何ものをもっても身代わりする事のできないその者が怨讐の手に引っ張られ、露のように消えていくのを見つめられ、黙々と望みのひと時を待ち焦がれてこられたお父様のその悲惨なご心情を、私達は感じる事ができなければなりません。


そのように望みの息子を願われるご心情の前に、焦燥したお父様のご心情の前にひれ伏し、数千年、数億万年を経たとしても、失った息子・娘を捜すため、身もだえされるお父様の悲惨なお姿を思うものです。
その悲惨さが歴史路程に事実として展開するときにも、その場においてすら同情をお受けになれなかったお父様であられる事を考えるならば、私達は永遠に呪われるべき立場にいます。
しかし、お父様が私達を呪われれば、お父様が子を呪う立場に立たれるようになるため、そのすべてを耐えて許してこられた事を知るのです。
そうですので、私達はそのようなお父様の許しと忍耐を見倣わなければなりません。


地上にいる誰よりもかわいそうな境地において、天を探し行く人が歴史の中に残された事を知るものです。
この道を知り、この道を行く人々は、やはりかわいそうな人です。
この世の寂しい孤児達です。
誰にも訴える事のできない事由を抱いた者達です。
国があっても、その国を信じる事ができす、世界があっても、その世界に望みをもつ事ができません。
そうして、行く場所ごとに怨讐の槍と矢を受ける立場に立ってこそ、お父様を探し出す事ができました。
これほどにお父様と心情的因縁を深く結ぶ事ができるのは、私達だけがもつ事のできる悲惨な内容である事を知っています。


そのような立場から、お父様の無念なるご心情を相続した息子・娘として、お父様のみ前に、心から「お父様」と呼ぶ事ができなければなりません。
そうですので、血を流さなくては、お父様の道を行く事ができないという事を私達は知っています。


それゆえ、アベルが流した血の歴史を私達は考えながら、お父様のために血の塀を築いて一つのとりでとなり、お父様の同情を受ける事のできる一つの都、永遠なる安息の土台を準備しなければなりません。
そうして、お父様の悲惨さを慰労し、永遠にお父様を防衛してさしあげる事のできる天の真なる子女達となるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.12.7)




30




お父様!
今まで歴史過程では、お父様を中心として、一人の男性と一人の女性が結合する事はありませんでした。
今までなかったこのような事が、この統一教会で成されるようになったのは、すべてお父様のご苦労の功労と恩徳によるものである事を私達は知っています。


今までの歴史過程が、一人の男性を探し求めるためのものであった事を思うとき、統一理念を中心とした家庭をもって初めて、新しい宗教の土台を備え、新しい世界に行く事ができる道を立て、新しい歴史の門を開く事ができるようになった事が、天の祝福である事を知るようになりました。
お父様のご苦労によって、私達にこのとてつもない祝福を受けられるようにしてくださった恩賜に、心から感謝をお捧げいたします。
今、この者達が、自らのすべてをお父様のみ前にお任せするようお許しください。


結婚という事を考えるときに、私達はアダムとエバの堕落と直結した問題を連想せざるを得ません。
堕落した父母の血統を受けて生まれた私達において、「お父様を中心とした祝福」という事が、どれほどすばらしい事であるかという事を考えるときに、私達は心から、あなたの恩賜の前に感謝をお捧げ申し上げるものです。
このような私達、真なる善を中心とした祭物の実体として、お父様のみ前にまず捧げられる男性と女性にならなければならないという事実を知らなければなりません。


しかし、個人的にはそのような位置に行く事のできない立場にある、私達自身だという事を考えるのです。
このような位置は、堕落した後孫の立場では到底立つ事のできない位置であるという事を知っています。
しかし、今この者達は、真の父母の因縁を通す事のできる子女の名分を備えましたので、そこにお父様が、主導者となってください。
真の父母の因縁を通じてみ業が始まるこの位置においては、そのような恩賜の土台が築かれざるを得ないという事実を、はっきりと悟る私達となるようにしてくださいます事を切にお願いいたします。


今、一人の男性なら男性、女性なら女性が、自らのすべてをお父様のみ前にお捧げしましたので、お父様のものとして永遠に所有してください。
この者達をして、権威を備えるようにしてくださって、サタン世界にあなたの愛の秩序を立てるにおいて、標本となる事をもって善なる先祖となるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.3.23)




31


お父様!
私達はお父様のみ前に裸になった幼子と同じですので、あなたが着せてくださらなければならず、あなたが食べさせてくださらなければならず、あなたの懐に抱いて育ててくださらなければなりません。
しかし、私達は今までそのような息子・娘の姿として、お父様に対する事のできるひと時をもつ事ができませんでした。
このような私達の心と体が、そのような立場に立つようにしてくださり、私達がお父様の息子となり、娘となる事ができるよう祝福してください。


私達はこの世でもっているものがなく、何一つ備えたものがない者であり、その何を取っても誇るべきものがない者達ですが、あなたの懐に抱かれ育つ事のできる息子・娘の因縁をもっている事を感謝いたします。
このような因縁は、勝利の権限を身代わりする事のできる特権である事を知り、ここにおいて感謝できる私達自身とならなければなりません。


私達は、見た目には何でもない者達ですが、お父様が誇らしく思う事ができ、貴く感じる事のできる息子・娘となるよう許諾してください。


私達が困難な道を行くとしても、お父様と共に行き、悲しい事にぶつかったとしても、お父様と共にぶつかりつつ、困難な立場に立ったとしても、お父様を慰労してさしあげる事ができるよう、お父様、お導きください。
希望と望みのひと日を、より一層私達の胸深くに抱き、あすに向かって前進に前進を重ねる事のできるお父様の真なる息子達となり、娘達となるよう許諾してください。


私達の行く道がいくら険しいとしても、あなたが行くべき道の前に、絶対に荷物となってはならないという、新たな決意をもつようにしてください。
私達はお父様を知り、お父様の行かれる方向を知りました。
ゆえに、傷を負い、加重された十字架の道を行くとしても、あなたを慰労してさしあげられる時間はほんのひと時しかないという事を知り、精誠の限りを尽くして行く、あなたの子女達となるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.4.19)




32


高く貴いあなたの性相を欽慕し、お慕いする心情を、あなたのみ前にすべて束ねてお捧げしながら、過去を反省し、現在を批判し、あすの真なる姿を慕い求めますので、あなたの息子となり、娘となる証をお父様が賦与してください。


お父様が探してこられた息子の姿、お父様が願われ、望んでこられた息子の姿となるようにしてください。
私達が宇宙全体の価値を身代わりし、中心の価値を身代わりする存在となる事により、あなたがお慕いになる事ができ、あなたのすべての感情と感覚、あなたの□を通して、私達を「息子」と言い、「娘」とおっしゃる事のできる、真なる子女の姿となるようにしてください。
取るに足らない私達を通して、あなたがそのような息子・娘達の姿を感じる事ができますよう、私達は願っています。


そこはかとなく私達を愛されるお父様、私達の生命の土台を開拓するためにご苦労されるお父様、真なる息子・娘に出会うためのひと日の願いをもって、長々とした歳月を耐えてこられたそのお姿の前に、私達は感謝をお捧げいたします。
私達の心は、ただあなたを根源としていますので、あなたの心が行かれるところに従って、あなたが望まれる世界において、一つの価値を備える事のできる真なる息子の姿、娘の姿を、この時間においても慕うのです。


私達は、神聖で慈悲深く尊厳であられるお父様の前に、呼ばわれる息子・娘となる事を願いながらここに出てきました。
お父様のほのかな依頼のみ言と勧告のみ前に、あすの望みとあすの使命を誓う決意に満ちたあなたの息子となり、娘となるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.12.13)



33


お父様!
私達は置かれている位置を確定づけ、あなたの指定される目的地に向かって直行する事のできる、み旨と共に一致する事ができ、あなたの心と共に一致してあなたが願われる真なる息子・娘の姿を、成さなければなりませんので、その事を願いながらこの場に出てきました。
この場は人間だけではなく、天がこの上もなく大切な使命を任せていて、歴史的な新しい起源を誓う事を願っている場である事を思うとき、この場は天が注視する場であり、人間達が注視する場であり、天の側と人間の側の中央で、天に侍り、人間らしい道を行く事によって、偏らずあなたのみ旨に向かって、直行していくべき責任を背負った場である事を知るのです。
そのためお父様、私達ははっきりとした目的観をもたなければなりません。
その目的に対して、一日一日の生活において間違いのない方向性を選んでいかなくては、真なる人生の航路を行き切る事ができないという、この厳然たる事実をはっきりと知る私達とならなければなりません。


数多くの日々を過ごす中において、ただその姿のままで過ごしてはなりません。
何かが変化して、あなたの心性に帰一し得る姿をお慕いする事のできる、またその場に立つ事のできる、あなたの創造理想の一つの実体の姿を代表する事のできる、神聖なる群れとならなければなりません。
このような群れに、お父様があなたのみ旨を通して出会い、探そうとなさるという事を、私達は既に知っていました。
私達が「お父様」とお呼びするとき、そのお父様が漠然としたお父様となってはなりません。


お父様を直視して、お父様が行かれる方向に私達が従わなければなりません。
この道が平坦な道だといって喜ぶのではなく、受難に次ぐ受難の道だといっても、必ずや天が行かれた、父母の道であったので、その道に従う事が子女の義務だという事を感じる事のできる私達となるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1972.10.8)



34


愛するお父様!
天と地の大主宰であられるお父様の栄光と尊敬と賛美が、お造りになった全万物と共に、あなたのみ前に捧げられる事を願うものです。


お父様!
あなたが多くの歴史過程を通過されながら、私達人間始祖が過った事を復帰なさるために、どれほど、どれほど受難の再創造歴史を経てこられたかという事を、私達はよく知っています。
私達個人個人において、僕の僕の道を越え、僕の道を越え、養子の道を越え、子女の道を越え、真の父母の因縁を越えて、本然のあなたの位置まで帰っていくために、どれほど悲惨で受難に満ちた歴史的蕩減を払ってきたかという事を考えるとき、罪を犯したので、当然罰を受けるべき人間として、恨み深い受難の悲惨な路程を歩んできましたが、あなたはそれと関係のないお方として、全体に責任を負われ、先頭に立って、ありとあらゆる困難を克服する立場で再創造の偉業を加重してこられたそのご苦労の前に、私達は心から感謝をお捧げいたします。


お父様!
私達それぞれに、あなたのみ手を経なかった者のいない事を(私達は)知りましたし、いかなる国であっても、あなたの願いの中で、今まで導きを受けなかった国のない事を知るようになりました。
さらには、万民をあなたが理想とされた本然の世界に導くために、国境を越えに越えながら、現時点までお父様がご指導してきてくださった事を、私達はよく知っています。


最後に残されるべき世界には、あなたと愛する息子・娘、そして天使天軍しかいないという事を考えるとき、この地上には、サタンの権限とサタンの群れがあまりにも多い事を目にするのです。
この事まで、私達がお父様のみ前に、清算していただく事を願う事のできない立場である事を、統一の群れは知っています。


真の父母の名と真の子女の名を備え、その家庭を賛美し、その家庭に侍る事のできる天使世界の本然の姿を、地上と霊界に完成させなければならない、重大な責任が統一教会の群れにあるという事実を考えるとき、私達は息子・娘の偉業を相続すると同時に、父母としての立場の偉業を相続すべき立場にあり、天の本然の創造理想を相続すべき立場にある事を考えるものです。


お父様!
幼い子女達、あなたのみ前に再創造の材料となって、あなたのみ手を経なければなりません。
あなたのみ意のまま造る事ができ、またそこに順応する粘土のような存在にならなければならないという事を、私達は既に知りました。


絶対的な信仰、絶対的なあなたの愛を欽慕する心と、全体的なあなたのみ旨の前に忠僕となろうという心しか、私達にあり得ないという事を知ったので、お父様、引き受けて主管し、あなたが願う器としてお造りください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1975.2.1)



35


愛するお父様!
あなたが願われる世界がどのようなものであるかを知りました。
あなたを慈しむ愛がどのように行くべきかを知りました。
私達が置かれている現象世界がどのようなものであるかを知り、自分が自分のために生きる事のできない人間である事を知り、自分の家庭が自分の家庭だけのために生きる事のできない事を知りました。


今日、統一教会が、統一教会自体のために生きる事のできない統一教会である事を知りましたし、世界の統一教会の群れは、世界各国の統一教会だけのために生きる事ができない事も知りました。


ただ、一つの世界、ただ、一つの天国のために生きなければならないという、とてつもなく、また驚くべき事実を知ったので、今、私達の意識構造においては、民族を超越し、国家を超越し、世界を超越して、神様の意識が自らの意識として変えられていかなければなりません。
そうなる事のできる「私」自身を発見した事が偉大な発見であると同時に、偉大な息子の資格を賦与され得る、一つの基礎となる事を知りました。


全天宙の大主宰であられる神様が、まさに私達の家庭においてのお父様であり、国家においてのお父様であり、世界においてのお父様であり、天の国においてのお父様である事を知りました。
そのお父様の位置を身代わりして歴史時代を経てきながら、家庭の父母が必要であり、国の国王が必要であり、世界の聖人が必要であった事を知りました。
それゆえ、数多くの悟りの道を経てきた事を知っています。


私達は、心から知ったので、今、一つの公式的基準のように、父子の因縁を結び、私達の家庭において、お父様と私達が実際に生活しなければなりません。
国を中心として実際に生活しなければなりません。
世界を中心として実際に生活しなければなりません。
全霊界を合わせて、実際に生活する喜びを探し求めてこそ、お父様と息子の権限をもつ事ができ、お父様と息子の権限をもてなければ、堕落圏を解消させる事ができないという事実を知りました。
それゆえ、お父様と息子の権限を、個人から、家庭、民族、国家、世界のあらゆるところに拡大させる事のできる勝利圏が絶対必要だという事を知ったので、お父様、祝福してください。


神様をお父様としてもつ以上に貴い事はないという事を、私達は今知ったので、お父様との因縁を永遠にもつ事ができ、お父様と永遠に暮らす事ができるようにするために、私達自らが、きょうこの時間、もう一度徹頭徹尾、お父様の息子・娘になろうと、お父様のみ前にお誓いいたしますので、許諾してくださいます事を切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によって祝願いたしました。


アーメン。
(1978.10.28)


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コメント

父の祈り(復活の祈り)3ー1

2023年02月04日 14時53分32秒 | 学習
1

愛なるお父様!
愛のみ手を広げて、不足なる私たちの手を取って、お導きください。
私たちが体と心を合わせてひれ伏しましたので、お父様、捕まえてお導きくださり、起こしてくださって、私たちの心を天の心に変えてくださるよう許諾してくださいますことを、切にお願いいたします。


今日、私たちがもっているすべての現世の観念を、お父様のみ前にすべて差し出し、温柔謙遜な幼子の心情をもち、お父様のみ前に出てきましたので、お父様、恩恵のみ手で再創造の役事を巻き起こしてください。
聖霊の炎を表してください。
秘めていた愛を表して、この者たちをして終わりの日に、ふさがっていた死亡圈の門を開き、お父様の勝利の栄光を表すことができるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


空の器があるならば満たしてください。お父様の十分なる恩賜に酔って感謝を捧げられお父様に栄光を帰すことのできる生きた子女たちとして立ててくださり、お父様が愛することのできる子女たちとして、尋ねていただく恩賜を許諾してくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。
天の動きに私たちの心が動じ、天の動きに私たちの体も動いて、お父様の形状(お姿のよう)に心で、体で倣い、似ていくことができるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.7.1)




2


生命の復活を約束されたお父様!
私達の中に、お造りになった本来の形状を再び探し出してください。
そして、その美をご覧になって、お父様が楽しむことができ、天上天下のすべての被造物の前に堂々と立つことができ、誇ることができる息子・娘として立ててくださいますことを愛するお父様、切にお願いいたします。


お父様!
永遠の昔から約束された祝福のみ旨を、私達の心に納めることができますようお許しくださり、私達を天倫の前に立ててください。
悲しみを刺激させる哀れな息子・娘とならないようお許しください。


お父様のお心に涙ぐみ、お父様の稟性に涙ぐんで、お父様が立てられた全体のみ旨を、心と体を通して、あなたが語られる前に成すことができ、あなたが願われる前に行動することができ、あなたが願われる前に実践することのできるあなたの息子・娘達となるようお許しください。


万民にお父様のみ旨を教え悟らせてくださり、万民の生命の土台を高くしてくださって、その上に平和を表すことができるようお許しくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。
今、ひれ伏した息子・娘達が、新しい気持ちでお父様のみ愛と祝福を受けることのできる子女達となるよう許諾してくださり、私達の体がお父様の祝福なさった栄光の美を備え、その愛と美を備えることができますようお許しください。


お父様のみ前にそぐわず、悲しみを生じ得る罪悪の苦い根を抱いている息子・娘達ではないでしょうか。
お父様、この時間に運行され現れてください。
そうして、直接的なみ手をもって再創造の役事を巻き起こしてください。


すべてを、愛する主のみ名によって心からお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.2.25)




3


お父様がエデンの園で「良し、良し」と言われた善のみ言の実体が、地上にないことを嘆息しておられることを知るものです。
失われた善のみ言を再び探し出すべき条件が残っている以上、善の実体を探し出すことができないことを私達は知っています。


お父様!
善のみ言を表してください。
探し出された善のみ言をもって再命令してくださって、善の実体を立てることのできるお父様の特別な再創造の役事が、私達の体と心を通して起こるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


お父様!
私達を尋ねてくださって、み言の中心をお立てになり、条件の役事を巻き起こしてくださって、サタンの権限に勝つことができるようお許しくださり、私達の体と心がサタン圏内に捕らわれているならば、み言を通して分別して、お父様の聖別の印を受けることができるようお許しくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


お父様!
私達の心を新生させることのできる力が必要なことを知っていますので、力で役事してくださり、能力で役事してください。


悪の全観念を除去し、復活し得る生命のみ言を表して、再創造の復活の役事を巻き起こしてくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.12.2)


4


我がお父様!
太初にお父様は善のみ旨を置かれ、被造万物を造られ、本質本性の基準として不変の姿でおられましたが、人間達がそのようなお父様の善の相対となってさしあげることができなかったがゆえに、お父様の理想を成してさしあげることができず、善の良心の基準から遠い距離に処するようになったということを知っていますし、またそのことが天と被造万物の嘆息であったということも知っています。


お父様!
私達には永遠の生命を捧げても、探し出さなければならない摂理的な運命の道が残っていて、この道を最後まで行くべき使命が残っていますので、多くの努力をもってこの道を行くことができるようせき立ててください。


体を通して侵犯してくる悪の要素が、善を指向する心の道をふさいでいますので、お父様、この闘いで善を指向する私達の心が、体の制裁を受けて敗北する者達とならないようにお導きください。


(私達が)ひたすら心を導く善の力と愛の力に導かれ、お父様を尋ねて不変の姿で和動することができ、分離できない永遠の実存体として、お父様の形状に似て、永遠にお父様に侍り生きることができるよう、(私達を)つかんでくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


長い歴史過程を経て罪悪と闘ってきながら、私達は傷だらけとなり、罪悪の根が私達の骨肉に打ち込まれています。
これを除去すべき責任が私達にありますが、私達はあまりにも不足ですので、生命の権限をおもちになったお父様、能力の権限をおもちになったお父様、創造の権限をおもちになったお父様、取るに足らない私達の心と体に、もう一度能力のみ手を差し伸べてくださって、死亡の陰に捕らわれているすべての悪の要素を除去してくださり、その最も中心の刺激を受け、勝利の心を生じさせることのできる天の直接的な生命の役事を表してくださいますことを切にお願いいたします。


そうして、私達自体から復活の権能を生じさせてくださり、私達が置かれた環境でその最も中心を身代わりして、復活の役事を巻き起こすことができる、あなたの息子・娘となるようお許しくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


「不完全な立場にいる」と言って、嘆息する私達とならないよう導いてくださり、完全な立場に向かって走っていく路程において、この道をふさいでいる怨讐サタンとの闘いで勝利することをもって、お父様の真の子女の資格を備えることができるようお許しくださり、億万のサタン達の前に誇ることのできる息子・娘達となるよう導いてください。


そうして、天の天軍天使がもっていた武器を私達が身代わりしてもち、億万のサタンと闘い勝利できるようお許しください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.3.6)




5


お父様!
恨み多い六千年のすべての内容とお父様の内的なご事情を悟ることができるよう許諾してください!
そして、心に悟るところがあるならば、これに最後まで責任を負えるよう許諾してくださいますことをお願いいたします。


お父様のみ言を与える者の責任が貴重であることを感じると同時に、受ける者の責任も、それに劣らず貴重であることを悟るようになり、むしろ与える者よりも受ける者の責任が、もっと重いことを知るようになりました。


与える時はひと時ですが、受ける時は永遠を置いて受けなければならないことを知っていますので、天からひと時受けたその真理を、永遠に保存することのできる私達となるよう許諾してくださり、ひと時受けた生命を、永遠に保存することができるよう許諾してくださって、ひと時受けた愛を、永遠に保存することができる私達となるよう許諾してください。
そのような私達となってこそ、神様の真の子女達となれるということが分かるよう許諾してくださいますことを、また切にお願いいたします。


この時間、私達の心が空っぽですので、空虚な私達の心を満たしてくださり、今まで何十回も天に背反したことを、この時間に悔い改めますので、受け入れてくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


そして、真理の鍵を探し出し、生命と愛の鍵を探し出して、残っている宇宙的な真理と生命と愛の門を開き、天宙の中心としておられる神様の内的ご事情を解いてさしあげることのできる子女となるようにしてくださり、あなたが信じることのできる真の子女の座まで進むことができるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


残されたすべてのものを分別してくださり、不完全なすべてのものを満たしてくださり、永遠なる天国が完全に築かれる日まで、私達をお導きくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.3.17)




6


愛するお父様!
私達の前に残っているのは、ただ天倫のみ旨だけだということを私達は知るものです。
そしてそのみ旨の中心がお父様と真の父母であるということを知っていますし、また地上に生きている人間達は真の父母の真の息子・娘となるべきだということも私達は知りました。


それだけではなく、お父様が私達に願われることは、万民が一つの兄弟となることであり、万民がお父様の真の息子・娘となることだということを私達は知っています。


お父様!
私達は、またあなたが願われる息子・娘の立場に立とうとする人々を遮り、被らを蹂躙する罪がこの地上のいかなる罪よりも大きいということを知っています。
人間の真の誠実さを蹂躙することも、受け入れられない罪ですが、真の兄弟愛を失わせることが天倫の前にもっと大きな罪となるということを知っていますので、これを忘却しない私達となるよう、導いてくださいますことを切にお願いいたします。


お父様!
深い眠りの中から起こしてくださろうとする天倫の前に、ある兄弟ゆえに起き上がれないと言うならば、どうして牧者の引導を受けて動じる自分だと言うことができるでしょうか。
私達がそのような立場に立たないようにしてください。
その兄弟の分までも、自分が責任を負い、天倫を身代わりして隠れた祭壇を築き得る息子・娘となるようお許しください。


そして、あなたが願われる永遠なる息子の理想を立てるようにしてくださり、いつも見つめておられるお父様の視線があることが分かるようにしてください。
お父様の愛のみ手を感じるよう許諾してくださり、お父様が呼びかけられるみ声を聞くことができるように許諾してくださって、戒めのみ言を語られ、切ないお父様のご心情を体得し、お父様のご心情に似て、お父様の性相に倣って、そのみ旨の前に千万遍死んでも敬礼を捧げ、感謝することのできるイエス・キリストの一番弟子となるようお許しくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


お父様!
この道を遮っている数多くの怨讐達に対して、天倫を身代わりする公義の心情と公憤の心情をもって闘うことができるようにしてくださり、お父様のみ前に勝利のひと日を帰し奉るために、耐えに耐えて前進させてくださって、勝利のその日を迎え、その間耐えてきた私達の恨みをお父様に申し上げることができるようにしてくださり、お父様の貴いみ手をつかんで、慰労を受けることのできる立場まで行くことができますようお導きください。


眠っているこの地上のすべての人類を目覚めさせるようお許しくださり、創造されたすべての世界が嘆息圏内にいますので、私達を動員してこれを回復するようにしてくださって、人類に対して各自が責任を完遂して、すべての者が天国人となることができますよう、天の知恵をお与えください。


どのような闘いの路程であっても、意に介さず、立つことのできる息子・娘となるようにしてくださり、自分のすべてのものを放棄したとしても、み旨のためのみに立つことのできる天の精兵となるようお許しくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.5.19)




7


私達はお父様にお捧げする何ものももっていません。
お父様のご心配の対象として現れましたので、哀れみのお父様、能力のお父様、愛のお父様、私達を現在の私達として、残しておかないでください。
私達を引き受けてくださらなければなりません。


億万のサタン達が私達を包囲し、私達の生命をねらっていますので、お父様、私達をお守りください。
今日、私達の個体がお父様の深いみ愛の中に浸り、お父様の栄光を心から謳うことができるようお許しくださり、ここにひれ伏し、敬拝することのできるこのひと時となるよう許してくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


私達の生活の中に、(お父様が)許諾なさらない行動が残っていますし、お父様のみ旨の前に示し得ない要素が多くあることを知っていますので、哀れみのお父様、能力のお父様、勝利の権限をもって現れてくださり、再創造のみ手を施してくださいますことを切にお願いいたします。


お父様のみ前にすべてを依託しますので、生きた祭物としてお取りくださり、一つの生命だにお父様のみ旨を外れることのないようお導きください。
サタンの攻撃を受けたとしても、屈せずお父様を「私の父」と呼ぶことのできる真の息子・娘となるよう許してくださいますことを切にお願いいたします。


きょうも困難な闘いを闘っている孤独な息子・娘達がいますので、お父様の再創造の権能を現してくださり、お父様の息子・娘であることを証すよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.9.15)


8

お父様のみ前に出てきたとき、愛を感じられなかったことを受け入れてくださり、世のために苦労できなかったことを受け入れてください。


お父様のご苦労とお父様の悲しみとお父様の困苦の路程を推し量るとき、私達の心が悲しみを感じられるよう許諾してくださり、私達の心が困苦を感じられるよう許諾してくださって、痛みを感じることのできる息子・娘となるようにしてください。


このような息子・娘とならなければならないことを知っていますので、愛のお父様、神様の生命を備えることができるよう許諾してくださり、生きて天を尋ねるために集まった息子・娘ですので、自分達のすべての罪悪相をもってお父様のみ前に立つことができないとしても、お父様が六千年間闘われながら血の祭壇を積んでこられた復帰の恩賜を見つめ、ひれ伏した者達ですので、受け入れてください。


そうして、私達の心がお父様を喜ばせてさしあげられるよう許諾してくださり、私達の体がお父様を喜ばせてさしあげられるよう許諾してくださって、お父様のものとしてすべてを捧げることができるようお許しくださいますことを、愛する我がお父様、切にお願いいたします。


今、個々人の心中をお父様が洞察してくださり、自分の心の中心に染み通っている要求の目標と望みの中心が何かということをたどり探ることができるよう許諾してください。
自己を中心とする、その何かがあるとするならば、摂理のみ旨の前に、天の中心を探し立てることができない自らであることを悟るよう許諾してくださり、自分自ら察して、天のみ旨に逆らうことがないように導いてください。


ただ罪人であることを自認しながら、自らお父様のみ前にひれ伏して、すべてのことをありのままに報告し、お父様のみ前に涙の悔い改めをすることのできる切実なる欽慕の心情だけが、あなたの息子・娘の心と体にあふれ流れるよう許諾してください。
そうして、その心を中心として復活のみ業を巻き起こしてくださいますことを、我がお父様、切にお願いいたします。


私達はお父様のおひざの前にひれ伏しましたので、お父様、あらゆる心の門を開き、天のみ旨に浸ることができるよう許諾してくださり、お父様のみ愛の懐に浸れるよう許諾してください。
そうして、お父様のご心情を体得するよう許諾してくださり、お父様が願われる栄光の姿で現れるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.1.19)




9


お父様!
私達の心を探るよう許諾してくださり、私達の体を推し量るよう許諾してくださって、心と体がお父様のご心情に合致することのできる息子・娘となるように導いてください。


天上のすべての聖徒達は、摂理のみ旨を奉じてきながら、堕落の子孫となりましたゆえ、お父様のみ前に頭を上げることができず、心苦しいということを私達は知っています。
地上の私達は、お父様のみ前に頭を下げて、お父様のみ意に備えるために努力すべき者達ですので、私達の心の中に高慢さがないよう許してくださり、私達の態度が、お父様のみ前に不忠実とならないようお許しくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


お父様のみ前に近づいていけばいくほど、頭を下げざるを得ませんし、自分の罪を、自らありのままに報告せざるを得ないことを感じるものです。


自ら罪人であることを認め、お父様の哀れみと愛のみ手を待ちながら、頭を下げ、お父様のご心情をお慕いすることのできる切実な心をもつようお許しくださり、私達にもし暗い罪悪の根が残っているならば、お父様、それを除去してくださいますことを切にお願いいたします。


そして、私達が、この時間お父様の命令によって、新しい道を開拓していくことができるよう役事してください。
新しい権能を受けて、新しい行動を起こすことのできる、天の源泉的な力を備えるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


私達がもっているある理論や、私が知っているある知識・主義・主張・観念があるなら、お父様、それをすべて忘れ去り、ただお父様をお慕いすることのできる、心を同じくする者となるよう許諾してくださり私達の体と心に備わっているすべてのものを祭壇の前に、黙々と捧げることができるようお許しください。
そうして、私達を新しいみ言で、再び造ってくださいますことを切にお願い申し上げ、お父様の愛の懐に抱かれる直接的な再創造の役事がここに現れるようにしてくださいますことを、切にお願いいたします。


そして、お父様の悲しみを解いてさしあげ、お父様に喜びと栄光をお返しすることのできる、真実の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.3.2)




10


お父様!
お父様に向かって、私達の心情が無限にわき上がるよう許諾してください。
そのような心情の中で、お父様が万物を創造されたその創造理念を伝えてくださって、お父様が動ずれば私達の心が動じ、お父様が静ずれば私達の心情が静ずることのできるもの達となるようお許しください。


今、私達の心と私達の心情が、お父様によって動じ、お父様のものとしてのみ用いられるようにしてください。
そうして、お父様のもののみをもって和することができ、お父様のもののみをもって本質世界に染まることのできる、私達の体と心となるよう許諾してくださいますことを切にお願いいたします。


今日私達の心は、本然の心情がとても慕わしく、(私達の心は)創造本然の本性となることを求めます。
そのためには、お父様の新しいみ言が必要であることを知っています。


お父様がお喜びになるために造られた人間が、たとえ堕落して邪悪な世の中に生きているとしても、本性は本然の世界に向かって動いています。
本性を呼び起こすための本然の再創造のみ言を待ち焦がれること六千年、そのようなみ言を思慕し尋ねること六千年……。


今や、死亡の都が審判のひと日を目前にしています。
お父様、このような時に際して恐怖の世界であえいでいるこの人類、行くべき道を知らずに彷徨しているこの人類、中心を失ってしまい、処すべき立場を知らず、とどまる所を探し出すことができないでいる人類を哀れにお思いくださっ、
あなたの懐に帰ることができるようお導きください。


ここに集まった子女達は、お父様がお尋ねになることのできる聖殿であり、本質的な土台であることを知っています。
お父様が運行なさらなければ、この地上のすべての被造万象は、審判のひと日を迎えて限りない苦痛を味わいますので、お父様、再創造のみ手を差し伸べてください。


愛するためにアダムとエバを造られた、本来の創造原則があるではありませんか。
その原則に頼って、この人類をお父様のみ前に再び探し立てるために、疲れも意に介されず、憤懣も悲しみも意に介されず、悔しさと涙の道も意に介されず、血の祭壇も意に介されず「私」を捕まえてくださっている、お父様のご心情を知ることができるよう許諾してください。
そうなさるしかないお父様の歴史的なご事情が分かるようお導きください。
お父様の焦るご心情を(私達が)察して、この時間謹んで、お父様のものとしてのみ和するようにしてくださり、お父様のもののほかは一切除去させてください。
お父様が楽しまれるならば、私達も楽しむことができ、お父様が動じられれば、私達も動じることができるよう許諾してください。
そうして、万象の前に、一つの美の栄光を備えた本然の姿として現れ、新しい声をもって伝播することのできる者達として回復してくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


今、「私」の心が「私」の心でないことを知り、「私」の体が「私」の体でないことを知り、「私」が暮らしているこの地が「私」のものでないことを知りました。
この宇宙が「私」のものではなく、お造りになったすべてのものが「私」のものではないという事実を知りました。
このすべてのものは、お父様から由来し、お父様のみ旨と連結されたものとして、お父様のために造られたことを知っています。


このように造られた一つの中心に対して、万民が喜びの栄光を探し出さなければならないのが、創造の本性であることを知っています。
お立てになった中心の栄光に和して、心が動じ、全宇宙が動じることのできる、そのような和動の実体、本然の実体として回復してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.12.21)




11


み旨の前にお立てになって子女の名分を教えてくださり、私達の本然の価値を教えてくださったお父様のみ前に、この時間、感謝申し上げざるを得ないものです。


今、私達の心をお父様のお心と連結させ、お父様のお心を身代わりすることのできる心となるようにしてください。
私達が心で感じるすべてのことが、お父様を身代わりした感覚となるようにしてくださり、私達が体得するすべてのことが、人性を越え、天性を身代わりして体得することのできるこのひと時となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


お父様!
お父様と離別した私達は、再びお父様と出会わなければなりませんので、私達の歩みが、お父様を探すためにあえぐ、切実なる歩みとなるようにしてください。
切実なる心情と切実なる忠節と、そこからわき出る品行を備えなければならないということを知っていますので、お父様、私達が新しい覚悟をもち、出発するようにしてください。


このひと日、私達の心中が、お父様のみ前に一つとならなければならないということを知りました。
私達は、お父様のみ手に捕まらなければなりませんので、お父様、親しく尋ねてくださって、私達の心をなだめてくださり、私達の体を抱いてください。
お父様、切にお願いいたします。


今、私達がお父様のみ前に、一つの生きた祭物とならなければならないということを知っていますので、このひと時から、お父様のみ前に生きた祭物として捧げられる私達となるようお許しください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.1.11)




12


目を上げて、天を見つめなければなりません。私達の目は悪くなるだけ、悪くなってしまいましたが、昼でも夜でも、休まず、何が現れるかを見つめなければなりません。
アダム以後の歴史において、散り散りに残されてきたすべてのものを見つめなければなりません。


このようなことが、私達をして生命の中心と理念の基準を探し出すことができないようにしましたので、これを克服し、天を再び見つめることのできる心、人情を超越して天情に徹することのできる心をもつようにしてください。


私達は、失われた本然の園、失われたお父様の理念を探し出して、万物を主管し、守るべき者であり、万物と共に愛の因縁を結び、それを束ねてお父様のみ前に帰し奉るべき者であり、お父様が天地を創造されたご心情を通して、お父様の愛の花を咲かせ、結んでさしあげるべき全体的な責任を負っているということを知っています。


そうですので、一歩も踏み出すことができないまま、深い眠りの中に入っているすべての世界人類を目覚めさせてくださって、新しい光明の朝を迎え、天を見つめ、再び目覚めることのできる群れとなるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


新たに目覚め、天を見つめ、世界歴史の前に新しい意志を示すことのできる、第二の群れとなるよう許諾してくださり、新しい理念と新しい心情でもって結び合う、新たな氏族を動かす私達となるようお許しくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


天に向かって、再び目覚めるようにしてください。
人類が望むことのできない新しい所を、探して立つことのできる群れとなるようにするため、この民族の行くべき道がまず遮られたということを知っていますので、失望することなく、疲れも忘れ、今日もあすも、たゆまず進むよう導いてください。


再び目覚め、天を見つめられる群れが現れてこそ、この地がよみがえるのであり、その動きによって世界がよみがえることを知っていますので、これに責任を負う群れとなるようお許しください。
切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.2.15)




13


お父様!
私達の心と体を主管してください。
私達には心がありますが、私達のものではないことを知りましたし、体がありますが、私達のものではないことを知りました。
心は善なる方向を指向しますが、体は悪なる方向に進もうとしますので、その間であえいでいる自らであり、天の嘆息圏を脱することができずにいる私達であることを、お父様もご存じで私達に対してくださっているということを知っています。
お父様、このような私達を哀れにお思いになって、私達に天の生命の恩賜を加えてくださり、私達の心中に、強力な復活の力を加えてくださらなければなりません。


体は心を屈服させようとしますが、天のみこころは心が体を打って、心の前に体を永遠に屈服させることのできる、勝利の一基準を探し出すことです。
このような基準を今日、私達自身を通して成就しなければならない必然的な闘いが残っていることを、私達は知っています。


このようなわけで、私達の前に相次いで現れる闘いは、私達が恐れる闘いではなく、このような闘いの環境でぶつかってくるあらゆる悲しみが大きな悲しみではなく、心と体の闘いにおいて、心が体の主管を受けているという事実が、もっと大きな悲しみだということを、今日私達が感じるよう許諾してください。


お父様!
強い心を生じさせてくださり、強い恩賜を加えてください。
私達の心が、体を屈服させることのできる能力を所有できるよう助けてくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


このことが私達から成就されなければ、全体の生命の復活を成すことができないということを、私達は心を中心とした生活を通して知っていますので、お父様、私達の心がわき上がらなければなりません。


生命に対する心、恩賜に対する心、復活の役事に和することのできる心、その心に受けた衝撃と感激が、私達の体を包み、私達の環境を包むことができるよう許諾してください。
そのような天的な再創造の役事が、私達の体の中に現れるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


私達の心は、お父様の栄光に向かって無限に燃え上がっていますが、お父様に向かう私達の体は、無限に疲れ、あえいでいる立場にいますので、お父様、このような環境を調節して、心が願うとおりに体を動かすことのできる喜びの園が、この地の万民の前に早く早く現れるよう許諾してください。
そのような息子・娘達がいるなら、歴史に永遠に残してくださいまして、彼らをしてこの地を主管し、天を動かすことができるよう祝福してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.4.26)






14


お父様!
悲しみに疲れ果て、困難に疲れ果て、行くべき方向すら分からずあえいでいる私達を、哀れにお思いください。すがるところを知らず、彷徨する私達を捕まえてください。
あなたが私達に許諾された恩賜が、素晴らしく、大きいことを感じる私達でしたが、その恩賜を受けても、お父様のみ前に栄光を帰し奉ることができない、不忠なる私達を、お父様、受け入れてください。


お父様は悲しい世の中から、その悲しみを避けていくことのできる道を、私達に前もって提示してくださいましたが、その予告されたみ旨を奉じるのに十分でない私達であったことを受け入れてください。
苦しい行路を行くべき私達でしたが、これを避けることのできる一つの道を、私達に立ててくださったということを知りながらも、お父様のみ前に感謝して、その道を行くことができなかったことを受け入れてください。


今、残された生涯をお父様の喜びとお父様の栄光のために、お父様の意中に任せて生きることを望んでいますが、地上には死亡の権限と罪悪の権勢が、あまりにも強く私達の周囲を取り囲んでいます。これを脱することが困難なことを、お父様もご存じですので、哀れみのお父様、この時間、顕現してください。


いまだに解放された立場でお父様の栄光をほめたたえ、お父様のみ前に喜びを帰し奉る私達となっていないことを、お父様、受け入れてくださり、新しい能力のみ手を差し伸べてくださって、暗やみの権限を制圧してください。
私達が勝利の姿をもって復活の栄光を謳うことができるよう、再創造の役事を巻き起こしてくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


死亡の権勢が私達を襲っていますので、生命の感触と生死の判別を経て、これを蹴落としていくことのできる自動的な力と自発的な能力が必要ですので、お父様、それを念願するあなたの息子・娘達がいるならば、彼らに親しく能力を加えてくださり、復活の権限を許諾してくださって、あすの望みを抱き、一日一日の生活を開拓していく天の精兵となるようにしてくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


今まで、歩んできた生活のすべてが足りなかったとしても、お父様、受け入れてください。あすの新たな約束に対して予告し、私達に衝撃を与えようとするお父様のみ意があるとするならば、そのみ意とその理念とその望みを見つめながら、今日もあすも開拓者の責任を果たすことができるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


お父様!
お父様のために生きたく、お父様に従っていきたく、お父様のご心情に倣いたい心ですので、これを基盤としてお父様が役事してください。
お父様が動じてくださって、私達に復活の栄光を示してください。
そうして、解放の恩賜圏内に私達を移してくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.7)



15


数多くの人々が心で慕い憧憬するものは、望みの園、理念の園でしたが、お父様を抱きしめ、この園が望みのすべてだと賛美する人はいませんでした。
お父様、
今日ここに集まったあなたの息子・娘達に、今何か感じることがあるとするならば、お父様に対する感情を感じるよう許諾してください。


お父様が理念のすべてであり、お父様が生命のすべてであり、お父様が愛のすべてであることを分かるようにしてくださり、お父様のすべてのみ意を身代わりすることのできない私達でありますがゆえに、今日お父様がその威信を立てられる環境で、私達に対することのできないことが悲しみであることを、分かるようにしてください。


今、お父様の威信を立ててさしあげられる私達となるようお許しくださり、イエス様の威信を立ててさしあげられる私達となるようお許しくださいましたので、地上に悲しみがあるならば、それを「私」のものとして引き受けられる者とならなければなりません。
地上に苦痛があるなら、これは「私」が引き受けるべきものであることが分かるよう許諾してください。


地上にいる私達は、本当にお父様のお心に通じなければならず、イエス様のお心に通じなければなりません。
「お父様の悲しみと困難は、私が引き受けよう」という覚悟をさせてくださり、すべてのものを蹴落とし、お父様の生命の恩賜を感じなければならない、歴史的な転換期に置かれているということを知っていますので、今、私達が新しい心の本質をもつよう許諾してください。


今、私達が新しい理念と新しい心情を備え、お父様と関係を結ぶことのできる一つの基準をもつことができなかったとするならば、歴史の審判とともに清算される運命を免れないということを、この時間悟るようにしてくださいますことを切にお願いいたします。


イエス様もこのことのために生きられたということを(私達は)知っていますし、三十年余りの生涯を自分のために生きられず、民族と堕落した人間達のために生きられたということを知っています。
今、イエス様ご自身のために生きることのできる天国の時代が来たということを知っていますし、その国の民として、その時代の選んだ者として立つためには、地上でイエス様が経験された十字架の山また山の道をすべて越え、勝利した実体の姿として、復活の栄光を許諾していただかなければならない最後の課業が、私達に残されているということを知っています。


このような内容を知ったからには、その実体とそのみ旨に自分を符合させ、そのみ旨の目的を成就させるための一つの実体的な祭物を準備しなければならないことを知っていますので、お父様、共にいてください。
お父様が認定できる勝利の祭壇を造成し、本然の聖殿を備えられる息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.7)




16


行けども行けども終わりなき復帰の路程であり、恨みが残されたまま、回りに回らなければならない私達人間であることを知っています。
しかし、ご苦労されたお父様の心情世界に通じるようになるとき、回っていた悲しみの歴史が、今日、私達と関係を結ぶようになり、今日の闘いの関係は、未来の因縁を造成し得る土台となることができ、無限なる望み、無限なる幸福、無限なる慕情の園を建設してみせるという、この心情の因縁を私達が知らなければなりません。


お父様がアダムを引き連れ、あちらこちらと回られながら、誇ることのできるその山川がどこにあるでしょうか。
アダムと共に誇りたかった、咲きゆく花がどこにあり、育ちゆく樹木がどこにあり、青々とした草原がどこにあり、流れゆく小川がいったいどこにあるでしょうか。


そのようなご心情に通ずる境地で、お父様に伴った立場に立つことができたはずのアダムは、堕落して、お父様のそばから離れましたが、今、私達自身はお慕わしいお父様の横に侍り、万象と共に、万民と共に、全天宙と共に楽しむことのできる喜びの姿となるようにしてくださいますことを、我がお父様、切にお願いいたします。


お残しになった十字架の怨恨も、慕わしさをもって行かなければ因縁を結ぶことができず、お残しになった栄光の座も、慕わしさに徹して理念の園を欽慕する心がなければ、因縁を結ぶことができないことを私達は知ったので、慕わしい心情をもち、本然の人間として、本然の園で万物に対することのできる息子・娘、堕落の因縁を結んでいない、お父様の祝福を受ける勝利の息子・娘達となるよう許諾してくださって、人類の真の先祖達となるよう導いてくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.28)



17


あちらこちらと歩き回り、生命の道を求めてお父様のみ前にひれ伏した私達であることを悟らざるを得ません。


今日、お父様を「アバ、父よ」と呼ぶことのできる立場に立ててくださった恩賜と、私達が知らない間に無限の苦労を意に介さず、私達を保護し、分別してくださって、この立場まで導いてくださった恩賜の前に何をもって報いましょうか。
報いる何ものも備えられませんでした。
体を捧げてもその恩賜に報いることができず、心すべてを捧げても、お父様のご苦労の功績の前に、頭を上げることのできない不足なる者達であることを、この時間に感じざるを得ません。


ここまで導いてくださったお父様に、私達を生かすべき責任もございますが、私達を通して栄光のひと日をご覧になるべきお父様のご事情があり、願いがおありだということを知るものです。
また、このような私達をご覧になり、慰安を受けようとなさるお父様であられることを思うとき、足らない私達に望みをもたれ、歴史路程の山また山を耐えてこられたお父様のみ前に、面目がないことを感じざるを得ません。


私達の血肉がお父様のご心情を思いやることを知り、私達の骨が一つの人格を構成することのできる形態を備えたとするならば、それ自体がお父様の不変の姿を証すことのできる、一つの構成体となるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


細胞の一つ一つまでもお父様に属し、栄光を帰することのできる、神聖で、栄光なる実体をどれほど待ち焦がれられたことでしょうか。
歴史路程において、私達の先祖達は、そのような姿をもってお父様に侍ることができませんでした。
天に従いながらも、時には恨みもし、時には背きもし、選民権を誇りつつも、それを放棄してしまうこともあった歴史的な事実を知っています。


お父様!
このような恨み多い血統を受けた私達であるがゆえに、今日は神様を自信をもって信じると言っても、あすには天に背き得る、悪なる世界に近い立場にある者達です。
このような私達を、お父様、哀れにお思いください。
お父様、捕まえてください。
私達の渇いた心に、お父様の生命のご心情を接ぎ木してくださり、新しい生命に躍動する復活の役事を巻き起こしてくださいますことを、切にお願いいたします。


今日まで、地上に生まれ逝った人も多く、今も生まれ逝く人がたくさんいますが、お父様のご事情をつかみ、痛哭する人がいませんので、今日私達が、お父様のご事情とお父様のご心情をつかみ、痛哭することのできる者達となるようにしてください。
天と地を恨み、歴史を恨み、堕落した先祖を恨むことができ、お父様に「私」が侍ろうという、お父様のために生きようという気持ちに徹した息子・娘達が、地上に多くなるようにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.9.6)



18


お父様はあるうわべの形態を要求なさるのではなく、心中深く染み入っている本然の自分自身を覚醒させ、お父様を欽慕する心を尋ね、お慕いになるということを悟るようにしてください。


歴史路程と、時代的に複雑な闘いの路程を経てこられながら、願われる望みの姿を探し出そうと、ご苦労なさったお父様のことを今日の「私」が、「私」一人きりではなかったということを、感じざるを得ません。


私達がこの地上に生まれたときには、上下・前後・左右の因縁を中心として生まれました。
この因縁が何となく、完全無欠な一つの目的の価値、あるいは全体的な対象の価値を追求するよう、私達をせき立てているということが分かるようにしてください。
このような自我の姿を中心として、上には天があり、下には善の歴史が天倫と共に動いていることを分かるようにしてくださり、前には望みの世界と左右には私達の同志と民族と同胞がいることを感じ、本然の心情をつかみ、このすべてのものを観察することのできる、上下・前後・左右と因縁を結ぼうとする息子・娘達となるよう許諾してください。


自らのすべてのものを忘れてしまい、これが慕わしくてたまらない人がいるとするならば、彼らが時代的に受け入れられず、生活的に反対を受ける路程を歩んだとしても、終わりの日には必ずや天性の前に立てられることを知っています。
お父様、今、お命じください。
お話しください。
私達が心でお父様のご心情を待ち焦がれ欽慕しますので、お父様、悩み苦しまれることがありますなら、私達に体得させてくださり、悲惨で切ないことがあるなら、私達の体を通して実証させてください。
私達の体をもって実証する場で、お父様の実存を感じ、お父様のみ前に頭を下げ感謝を捧げることのできる、望みの息子・娘となるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.9.27)


19


今日、取るに足らない私達が、驚くべきお父様のみ旨の前に現れるようになるとき、まず私達自身が足らないということをはっきりと悟り、天のみ前におそれ多くも立つことのできない堕落した後孫であることを、骨肉に染みて感じなければなりません。
どう見ても、天のみ前に立てて誇るべき何ものももつことのできなかった私達であることを知りました。
先祖から伝わってきた血統も、あなたに背反した血統であり、先祖の血と骨と肉を受け継いだすべての先知者達も、あなたが喜んで、永遠なる愛のご心情をもって、広いそのみ愛の懐に抱くことのできない罪悪の苦い根をもっていたために、今日の私達も天のみ前に受け入れられるにふさわしくない者達であることを、あまりによく知っています。あなたがこの上なく善に造られた者達が、あなたが嫌いになるしかない部分と要素をもち、この地上で生きるというこの悔しい事実を知るとき、私達は痛嘆せざるを得ません。


今、私達の血と肉と細胞の一つ一つに、悪の根性と悪の要素が潜在しているという、このぞっとするような事実をかき分け、踏みつけ、無慈悲に切ってしまうべきことを知りました。お父様の聖なる本性と因縁をもつことができず、本性の心情と本性の血統と本性の骨肉を受け継ぐことのできなかった恨み多い後孫であることを、私達は告白せざるを得ません。


このような私達の中で、あなたが永遠無窮に遺業として残すべきエデンの園に立てて、祝福することのできる息子・娘がどこにいますでしょうか。
しかし、この不足な者達に赦罪の条件、受け入れの条件を立ててくださり、あちこちご覧になって、「罪がない」と言うことのできる立場に立ててくださろうとするあなたの大きな恩賜の前に、身をかがめ、頭を下げ、涙することのできる息子・娘達となるようお許しください。


天を知れば知るほど、お父様のみ前に心苦しい自らであることを悟らざるを得ず、行けば行くほど、頭を下げてお父様のみ前に自らの姿をさらけ出すのに恐ろしさを感じざるを得ませんが、これが天に従っていく道であることを知るものです。


今日ここに集まったあなたの息子・娘達が、息子・娘と呼ぶにはふさわしくないことを知っていますがそれでもこの者達をお捨てにならないあなたのみ意があることを知っていますので、思いやってください。


険しい立場で傷を負いながら生きてきた、この者達のすべての傷を、お父様が覆ってください。
いくら血と肉の因縁が切れた子供でも、本然の心情を通しては、「知らない」と言うことのできない立場にあるがゆえに、あなたはこの者達を真の子供として記憶しようとされるということを知るものです。
お父様、この日を祝福してくださり、記憶してくださいますことを切にお願いいたします。


今日この日を、私達が新しい歴史的な一日として立て、体と心と心情のすべてをお父様のみ前に捧げて、子女の栄光と子女の名分に接することができるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(196011.27)



20


お父様!
今日は、イスラエル民族が、荒野で行くべき道を見いだせず、彷徨した四十年期間と時を同じくし、彼らの不信により、イスラエル民族史が天のむちを受けて終わったのと、時が同じであることを知るものです。
いかなる面から見ても、今がそのような時であることを知るものです。


このような時を、収拾することのできる役事が起こることを、私達も望んでいますが、私達自ら心を収拾し、方向を定めて、ある道を行かなければならないと決心できなければ、(お父様が)行くべき方向を教えてくださり、そこに行けと言われても、(私達は)行くことができないことを知っています。


問題は、この地のすべてがばらばらになっていることではなく、「私」の心の中心がばらばらになったことであり、処すべき位置と進むべき方向を失ったことにあるということを知るものです。
このように自分が処すべき位置を知らず、進むべき方向を知らないまま、終末の現象を見つめる私達は、今お父様が中心であることを知ったからには、お父様が願われる位置と基準に合わせるために、自らひざをつき頭を下げて精誠を尽くさなければなりません。


終わりの日には、頭に油を塗り、密室にこもって祈祷しなければならないことを知っていますので、お父様の心情基準と私達の心情基準が一致する立場に自分を立て、生活において勝利の条件を見いだして、その価値を論ずる私達となるようにしてくださり、そうできないとするなら、お父様のみ前に立つことができないということを、私達が分かるようにしてください。


このような立場に置かれている私達であり、このような社会とこのような世界の現象を眺めている私達であり、このような環境の中で、体と心が苦痛を受けている私達ですので、このような私達を再びお造りになって、心情の基準を立ててくださり、お父様の中心的な役事を提示してくださり、私達の心の中心を聖別してください。
私達の体と環境を聖別して、あなたと出会うことができるようにしてください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.12.11)



21


万世の栄光を賛揚すべき数多くの存在が、お父様の懐に抱かれ、お父様の栄光と共に、お父様と共に生きなければなりませんでしたが、人間の先祖のひと日の失敗が、このように悲しみの歴史を編み、凄涼とした峠道を越え、涙と血と汗をにじませるようにしたことを思うとき、お父様の恨み多い悲しみを慰労してさしあげる何ものももっていないことを、受け入れてくださいますことを切にお願いいたします。


堕落の後裔として生まれたことを悲しまざるを得ない自分達を、哀れにお思いください。しかし、捨てることのできない因縁をもって尋ねてこられたお父様のご心情の前に、感謝を捧げられる子女となるよう許諾してください。


数多くの民族の中で、韓民族を尋ねてこられたことに感謝をお捧げし、数多くの民の中で、取るに足らない私達を先に呼んでくださったことに感謝をお捧げいたします。


このような福は「私」ゆえのものでないことを知り、多くの民と多くの人類の前に、その福を分けてあげる福の機関の使命を果たす立場、そのような天的な因縁を感じることのできる立場に立てられましたことを、心から有り難く思うものです。


私達が知らない間に、お父様が因縁を結んでくださった因縁の実として、この立場に召命を受けた自分達であることに感謝し、私達が担った責任が私達の一個体にとどまっているという事実を分かるよう許諾してください。


民族を越え、人類と世界の前に影響を及ぼすべき使命が、私達個人個人の双肩にかかっているという事実を自ら肝に銘じ、お父様のみ前に一歩を踏み出して、責任を果たすことを誓うことのできる、愛を受ける息子・娘となるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたします。


アーメン。
(1965.12.26)


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父の祈り(統一の祈り)12ー2

2023年02月02日 12時41分05秒 | 学習

26


お父様!
足らない孝行の心であなたを慕っています。
足らない忠誠の心であなたの真正なる生命と因縁を結ぶことを願っています。
安らかにお抱きになって、受け入れてください。


息子たる私達はイエス様より劣ってはなりません。
お父様のみ旨を中心としては、死ぬべき場に行くとしても、その死を感謝で迎え得る息子となり、娘とならなければなりません。


そのような決意をしなくては、北韓の地に散らばっている悪の徒党を、サタン世界の中心型として現れている北傀を屈服させることができないということを知っています。
これは「統一思想」の結束によってのみ成すことができるということを、ここに集った私達ははっきり知っています。
この思想を民族的に宗教的にキリスト教的に適応させなければならないことを知っていますので、この期間を通して早く早くこの使命を果たすよう許諾してくださいますことを再三お願い申し上げます。


北韓の地を解放して、天が求めてきた願いの国、お父様が祝福した勝利のイスラエル主権国家を整えるようにしてください。
そうして、万邦に本然の姿勢を整えて、国家的統一の運勢圏内で勝利の栄光を賛揚することができるようにしてくださり、天の前に抱かれ得る世界を成すことのできる時代として祝福してください。


お父様!
内的な事情の責任を果たさざるを得ないあなたの立場を私達は感謝に思っていますので、どうか同情と慈悲の心情をいつも私達の前に施してください。
行く道をお父様と共に、勝利の賛揚と栄光の恩賜を全世界と霊界と共に整えていくことのできる統一の動きが、以後から本格的に展開されるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.1.3)



27


お父様!
私達は大韓民国が歩んできた歴史的な過程とともに、その因縁の中に生まれた一個体としてこの国の運命を背負わなければならない希望の実体とならなければならないということを知っています。


この国はあまりにもかわいそうで悲惨な歴史を経てきました。
誰をも見いだせず、誰にも頼ることができず、あなたが運行なさるその方向さえも見失ったまま、自らあえぎながら闘ってきたこの民族の凄惨な歴史をあなたがご照覧ください。


あなたのそのみ旨をこの国の歴史にお置きになり、この民族の背後をたどってこられたお父様の厚遇なる愛があったということを私達は考えるものです。


朝になって光明なる日の光が差す度ごとに、この国の希望もそのように光が差し得るその日が来ることを、志ある私達の先祖達がどれほど待ち焦がれたかという事実を知らなければなりません。


この国のために心を砕き憂えた数多くの愛国の志士達は、あなたの願いが照らされることを望みましたが、照らしてあげることのできるその日々をもどかしく待ちながら、涙とともに推し量ることのできない真っ暗な心情で夕日を送り、夜を迎える悲しみの歴史を歩んできたことをお父様が記憶してください。


この夜が夜として連続するのではなく、朝が来ることを知っていますし、退屈で誰もが願わざる歳月がすべて過ぎ去り、歴史的な新しい光明の時がこの天地に訪ねてくることを知っています。
この国をお守りください。
外的基準を誓う現実的な時点で新しい精神的革新を誓い、新しい春の日を迎えるべき時が近づいていることを考えるときに、この民族のあすに、お父様が責任を負ってくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あなたが責任を負っているものを、私達が中心たる基業として相続するためにお父様の前に誓い、お父様がご覧になるに頼もしく望ましい息子・娘となって、新しい世界と新しい天国に向かって行進することのできる隊列に立てるようにしてくださり、お父様がすべてのものを相続させてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今、私達が集う場は寂しい場となってはならず、悲しみが宿る場となってもいけません。
お父様がいつもおられる所、お父様がいつも干渉せざるを得ない所、お父様と共に生き、お父様と共に行く運命の一祭壇となるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.4.4)


28


お父様!
かわいそうなこの民族の前に、私達の持てるすべての精誠を傾けなければならないということを知っていますので、お父様、かわいそうなこの民族をお守りくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様が完全にお守りくださり、あなたのみ旨とともにこの民族が生きられるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


南北が分立された責任は誰にあるのかと問うときこの民にあることを知っています。
この民を中心とした数多くのキリスト教団にあることを知っています。
この教団達の負った責任を私達が負わなければならないことを考えるときに、私達は自信を持ちながらあすの開拓者の使命に張り合いを持って誓わなければなりません。
今日、先駆者の行脚路程におきまして、自ら落胆する者達となってはなりませんので、お父様、諭し励ましてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


南北が統一されるその日、数多くの民族達が賛揚をし、あなたがお喜びになることのできるその日が早く来なければなりません。
三千里半島にあなたの解怨成就が成される勝利の天国を建設することのできる日が来なければなりません。


悪がいくら強いとしても、あなたのために生きる孝行の者が残っていて、忠誠の者が残っている所には、悪が侵犯できないということを知っています。
ここに集ったあなたの子女達、孝行が足らず、忠誠が足らないことに恨を持たなければなりません。
多くの人ですが、一つの体のようにならなければならず、一つの心とならなければなりません。
み旨を中心として一つとなる日には栄えるのであり、分立される日には滅びるということを知っています。


統一というその名は今まで受難の名として呼ばれてきましたが、今からは栄光の名として残されなければなりません。
栄光に向かって行くべき道が、既に定まっていることを考えるとき、今日私達自身が統一の基盤を確保しておかなければならないという重大な使命を感じなければなりません。


この教会が一つとなり、南韓各地に散らばっているあなたの子女達が一つとなり、世界に散らばっているあなたの子女達が一つとなって、最後の教団として統一教会がこの時代の前に、この世界の前に、歴史の前に恥ずかしくないように責任を果たすことができるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.4.11)




29




お父様!
この国の現情勢を悲しくご覧になり、記憶してください。今後の大韓民国の運命に、お父様、責任を負ってくださらなければなりません。


誰もこの国を導くことができず、誰もこの国に責任を負うことができず、あなただけがこの国を天運の方向に一致させることができますので、見守りの中で私達各自の心とこの民族の心情を結び付けてくださり、あなたが願われるみ旨の前に一致するようにこの民族がその方向を備えることができるよう、お父様、役事してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


いくら優れた人であったとしても、天運を阻み得る者はいないのであり、天運の法度に従って、その軌道に順応しなければならないということを私達が考える度ごとに、この国を指導している数多くの人々の心にあなたの心がこもって、最後の決定的なこの情勢の前に、あなたの摂理のみ旨の前に、必ずや帰結すべき一点をお父様が提示してください。このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.9.5)




30


今、韓国をあなたがお引き受けください。
このようにかわいそうなこの民族を訪ねてこられたお父様、この民族の将来をあなたの掌中に束ねて一つに立てられなくなるときに、あなたは一層かわいそうなお父様とならないでしょうか。


不肖な私達、一つの個人を中心としては心と体が分かれています。
男性と女性が分かれていて、家庭と家庭が分かれていて、氏族と民族と国家と世界が分かれていて、天と地が分かれていて、人と神様が分かれているこの間に、誰が橋を架けるのでしょうか。
個人個人が互いに離れようとしても離れることのできない金城鉄壁のように、あなたと私が一つの食口を成し得る結合が必要なことを知っていますが、その使命を誰が果たすのでしょうか。
堕落した人間は、なすことができません。


それゆえ、私達は霊界にいる千々万の聖徒達の協助を願っています。
お父様がおつかみになり、これを混ぜに混ぜて統一させてくださる前には、統一される道がありません。
既に洪水で流される人と同じ運命に立っている私達の力だけでは到底なされませんので、天に向かって「お父様」と呼び、天に向かって「先祖」と呼んでいる私達を、かわいそうにご覧くださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あなたがお訪ねになることのできる家庭がどこにあるのかと言うとき、ないことを知っています。
そのような道、そのような家庭を探し出すために、統一教会は新しい意味の家庭を編成しました。
これはこの地上に、ある民族と国が行く前に、あなたが前もってお行きにならなくては民族と国が行けないことを知るためです。
目新しい家庭を編成したのも、あなたが統一的な道を要求なさったがゆえであることを、あなたはご存じのはずです。
二つになったものを一つにして、あなただけのものとして所有なさるためのものではないでしょうか。


このような家庭を集めて氏族を編成しました。
その氏族の中にはアベル氏族とカイン氏族がいることを私達は知るものです。
アベル氏族はカイン氏族を復帰しなくては、父母の理想圏を受け継ぐことができず、神様の愛の理想世界を相続することができないのが原理原則ですので、私達は一生の力を尽くし、ありったけの力を振り絞り、身もだえしながらカインを復帰することのできる氏族圏に向かって駆けていますので、この統一の群れ達を記憶してください。
祝福家庭達を記憶してください。


そうして、一つとなった氏族を成したのちには、それを中心として一つの民族を編成し、アベル的民族としてカイン的民族と一つになるようにすべき責任があることを知るものです。
そうして、この国の独立を、この国の統一を、この国の第二解放を成すのが私達の願いであることをよくご存じであられるお父様、今後の韓国をあなたがお引き受けください。
誰も主人となることができませんので、あなたが共にいてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様は明らかに生きておられるので、あなたが経綸なさるみ旨のままになることを信じ、知り、出ていくこのかわいそうな群れの側にあなたが立ってくださり、あなたが要求するみ旨を成すようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1972.8.20)

31


お父様!
全世界の万民が失った本然の世界を捜し出すために、復帰の道を開拓していくべき、歴史的な恨みの路程と悲しみの路程を私達は知っています。


私達人類始祖の堕落によって、このように嘆息の世界は、霊界と肉界が分立し、私達個人においては体と心が分立し、全世界がサタンを中心として分立に分立を重ね、数多くの国と数多くの民族に分かれるようになりました。


そうして、神様の懐を離れ、神様と因縁を結ぶための愛の基盤を失ったまま、サタンの愛を中心として血統的因縁に縛られたまま、恨みと悲しみの歴史的な血縁を結びながら、繁殖して分立の世界をつくってきました。


このような実情をお父様は収拾して、一つの世界にまとめてこられるためにどれほどご苦労なさり、どれほど恨みの心情を抱きサタンと対峙しながら、希望なる一つの統一の世界を捜し出されるためにご苦労されたでしょうか。
私達人類がお父様の前に面目のないことを、お受け入れくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


しかし、お父様は私達をお捨てにならず、分かれていくすべてのものを一つの世界にまとめて、今正に全世界がお父様の胸に抱かれなければならない、世界的に分立された共産世界と民主世界、カインとアベルの形態を備え、左翼と右翼という世界的分立の姿を、今、お父様のみ旨を中心として一つにするためにこの地に真の父母をお送りになり、左右がその真の父母を中心として一つとならなければならない摂理のみ旨をお父様が立ててこられました。


第二次世界大戦直後に統一された一つの国を立て、万国を連結させようとするお父様のみ旨があったということを私達は知っています。
キリスト教を中心として、アメリカを中心として、さらにはこの世の中を統一の圏として抱くことのできる最後の勝利の版図を備えてこられたお父様の願いが、この人類の中にあるということを思うものです。


カイン・アベルを蕩減し、その基盤の上に新しい国、新しいご父母様の国、新しい祖国の出発、世界的な進出を韓国のキリスト教とこの地が新しい救国理念をもって成すべき歴史的な使命を、今から四十年前、その時に失ってしまいました。


そうして、民主世界はまたサタンの支配下に入っていき、分立された状況に陥るようになり、このような状況下においても、お父様は統一教会をして個人的に家庭、氏族、民族、国家、世界的な蕩減の路程をさかのぼらせました。
この混乱状態から、お父様、民主世界の分立が起こりました。


民主世界自体をもってしても、天のみ旨は収拾することができず、共産世界自体をもってしても人間を引っ張っていくことのできない、今すべてが整わなければならない最後の終着点に至りました。
このような基盤を中心として、今日、統一教会をお立てになって、今後整えるべき、整備の状態にとどまっているすべてのものを左右に再び、カインとアベルを中心として蕩減したのち、父母をお立てになって世界を収拾なさろうとするお父様のみ旨が、今、最後の勝利を誓うこのような瞬間を迎えました。


キリスト教を中心としてこの国が一つとなれませんでしたが、アメリカのキリスト教を中心として一つとなることのできる蕩減の運勢に乗って、今ようやくこの大韓民国に新しく四十年前の運勢の基準を備えました。
統一教会を中心として見るとき、今やっと民族を越えて世界と共に連結すべき民族的勝利の版図を、お父様、備えましたので、ここに中心となってくださり、南と北が分かれたこのすべての韓国の実情をご照覧ください。


ご父母様を中心とした統一教会の群れ達が和合してこれを完成することにより、全世界の勝利の版図を定着させ得る起源となることを知り、私達は新しいみ旨の使命をおいて南北統一運動国民連合というとてつもない新しい仕事を始めました。


ここにお父様が中心となり、真の父母が中心となり、祝福を受けた家庭が中心となって、今このすべてのものを束ねてお父様の前に蕩減してさしあげなければならないとてつもない使命を前にして、祝福を受けたすべての家庭が集いましたので、私達の心と体を一つ一つ一体化させてください。


今、家庭を一つにし、父母を一つにし、民族を一つにすると同時に、世界的運勢圏を蕩減基準と連結させることにより、宇宙の新しい勝利の版図を中心としてお父様の国に礎石を置くことができるよう祝福してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
四十余年間、お父様がご苦労されたそのすべての苦労と恨みを解き、今、統一の群れ達が勝利と栄光の双手を挙げて万国に賛揚することができ、誇ることができるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私達の前に許諾されたこのすべての運勢を私達が受け継ぎ、お父様の前に復帰してさしあげるにおいて、真なる祭物の使命を果たすことができるよう祝福してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今、この民族の願いである南北の恨みを解くよう許諾してください。
お父様の願いであるご父母様を中心として南北が統一されることにより、世界的なすべての開門が始まるのです。


お父様、祝福なさった韓国の地全体を支えて、勝利の天国の開門まで一致化させ得る因縁を結ぶようにしてくださり、今実践するすべての動きの上にお父様の永遠なる保護が共にあり、勝利の盾がとこしえに共にあるようにしてください。


私達が行く所ごとに、お父様の生きておられることを現し私達の動きが民族的統合を成すのに少しも不足がないよう、お父様、役事してくださることを懇切にお願い申し上げます。


そうして、お父様に侍り、ご父母様に侍り誇ることのできる天の国の民として姿勢を備え、お父様に地上で侍り、お父様を中心とした万国の統治圏をこの地上に成就させられるよう、最後の目的を私達が完結することができるよう祝福してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様を中心としたすべてのみ旨が日進月歩することにより、民族と全世界人類の解放圏が成されるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


残されたその日とその時の前に、恥ずかしいところがないよう使命を完遂し、お父様の息子・娘となり、お父様の懐に抱かれて愛し愛されるに不足のない幸福なる子女と家庭となるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


残された使命の前に恥ずかしくない姿勢を備え、前進を誓い、勝利を誓う動きとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、このすべてを真のご父母様のみ名によって祝願いたしました。


アーメン。
(1987.5.17)








32


愛の園に向かうことのできる理想の起源がなくては、幸福、理想、平和の世界は存在できないという事実を知りました。本来、神様を中心とした統一的な起源に一致化し得る愛の理想は、神様とアダムとエバと万物が連結されなければならないことを知りました。


この時代におきまして、個人や家庭を中心としてももちろんですが、氏族、民族、国家、世界型にこれを連結させ、祭物的な過程を経て世界の堕落圏、嘆息圏を脱しようとする統一の群れの身もだえを、お父様、哀れにお思いくださって、今後動いていく歴史を、お父様、指導してくださり、世界的な活動を保護なさって、あなたの所期の目的達成に必要要件として登場する民族、国家となることができるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
南韓、北韓が分かれてはならないということを知っています。
これを統一することは大韓民国の民族的使命ではなく、歴史的な使命であることを知りました。
摂理史に必ずこのような基準を中心としてアベルがカイン圏を消化させ、天の前に統一的愛の一つの圈を成さなければならないということを知る統一の群れ達が、先頭に立ち、新しい伝統を繁殖させるために努力するのに不足のないよう、総決起することができるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、すべての個人的生活、家庭的生活をするにおいて、氏族、民族、国家、世界、天運の役事に従っていく伝統的思想を受け継ぎ、愛の代理者となり、代表者となって、家庭、氏族、民族、国家、世界をそのような立場で愛し、天の愛の相対理想圏を受け継ぎ、神様のものであると同時に全世界のものであり、世界のものであると同時に私のものであり得る愛を中心とした統治圏、統一の圏を成すことができるよう、祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


残された世界とすべての被造物の前に恥ずかしい主体的人間になるのではなく、堂々と誇ることのできる主体者となって、神様の懐に抱かれるのに不足のない息子・娘となるよう許諾してくださり、その家庭とその国とその民となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


残された時代と責任の前に恥ずかしくないようにしようと誓うすべてのことが、お父様の素心(=平素の心)の中で一体化することができるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、このすべてを真のご父母様のみ名によって祝願いたしました。


アーメン。
(1987.9.20)






33


過ぎ行く歳月が真なる人を呼んでいるという事実を知らずにいるこの死亡の世界を眺めるとき、今日解放圏を備えて誇る私達においては、南北が行き違っているとしても、これは間違いなく解放されるだろうということを、私達は知っています。


東西が分立されて文化的背景がいくら相反しているとしても、真なる生命と真なる愛を中心とした統一的な血縁の基台の上では、このすべての塀が撃破され、崩壊するだろうということを知っています。


南北の貧富の格差がいくら大きいとしても、兄弟であることを知っていますので、愛の心を持ち、多く持った人は分け与えなければならないということを知っています。


愛を中心とした平和の世界を成すにおいて、生命を根幹としているそのような民族的因縁を、お父様の愛で同化させることのできる驚くべき道を知りました。
この全部が真の父母の因縁によってもたらされたことに、心から感謝を申し上げなければならないことをよく知っています。


神様から、真の父母から、今、新しい文化の世界を創建しようとする驚くべき歴史時代の前に、勝利のすべての基準は既に朝日を望む時代に入ったという事実を知っています。
誰が正しく、誰が間違っているかを見ることができ、誰が悪なる人かも知ることのできる時代となりましたので、全世界の人々が生死の圏を踏み越えて、解放の基準を克服することができ、超越することができるよう導いてくださいますことをお願い申し上げます。


そうして、万民が共にお父様の眷属として、お父様が統治する民として天の国に属することができるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


残されたその時とその時間の前に、解放に責任を負った者達が果たすべき責任の前に恥ずかしくない群れとなれるよう指導鞭撻してくださいますことを再三お願い申し上げながら、このすべてを真のご父母様のみ名によって祝願いたしました。


アーメン。
(1987.10.4)






34


愛するお父様!
流れていく歴史時代に一つの姿として存在しているという事実は、過ぎていく歴史過程をおいて見るときは悲しく悲惨なものですが、永遠に中心としておられる神様を中心にするなら、お父様と体化され、同化され得る場があるということを考えるとき、感謝しないではいられない事実を知りました。


南北の分断も神様に侍り、よく見てみました。
ここにも思想対決ではなく、ために生きる交流的思想理念を中心として南北が通じなければならないことを知りました。
相互いが受難の道に自ら責任を負って兄さんの立場で弟のために生きるように、夫の立場で妻のために生きるように、父母の立場で子供のために生きるように、この全天地の中心である神様の立場で私達のために生きるように、そのようなために生きる心情圏の世界でだけ南北統一が可能だという論理をはっきり知りました。


私達が見つめるこの目にも二つの種類があります。
自己のためにという視線と全体のためにという視線があります。
言葉にも自分のためにしようとする言葉と全体のためにしようとする言葉があります。
五官のすべての内容が前後を分かち、全体のために生き得る環境をもって包括し、消化させるべき私達の生活圏にできなかったことを嘆息しながら、自らを分析し、自らこれを除去させて主体的立場に立つことのできる中心存在の使命がどのようなものかということを知り、その道に従って出ていくことができるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様のために生きる変わりない因縁を通じた道において、いつも再創造の力の顕現が可能だということを、歴史時代を通してたくさん見て感じました。
お父様、心の門をいっぱいに開け、自分自らを東方、西方、南方、北方、上下を中心として立ててみるときに、どこに行ってもために生きられる自己の生活の要素、生涯の要素だったということを発見するときは、神様と共に同参することができると同時に、すべての相続権を受け継ぐことのできる特権を持てるという自負心を持ち、万宇宙の中心に向かっていくことのできる、恥ずかしくない者達となるようお導きください。
このすべてを真のご父母様のみ名によって祝願いたしました。


アーメン。
(1988.2.21)






35


お父様は真なる種を蒔いたので、真なる実を探しておられることを知りました。
この地上に私達人間が生まれた立場がどうであれ、お父様が探そうとなさる人は、その国が必要とする国民とその国を治める王宮に住む皇族と王子と王女だという事実も知りました。


そのような立場に到達することのできる人がどのような種類の人であるかと言うなら、知識が豊かな人でもなく、権力を勝ち取るために闘う人でもなく、金持ちでもないということを知りました。
ただ愛の一念を中心として、一国の片隅で騒乱が起これば、それを、私ができなかったために、私が行って収拾できなかったためにあのようになったと心配し得る人から始まるということを知りました。


南北が分かれたこの悲痛な運命を見つめる私達におきましては、この歴史的起源がどうであれ、これを収拾し元どおりにすべき責任があります。
また、
そのような国民となるべき運命的路程が残っていることを知っていますので、この路程は自分達が提示する方向と手法によってなるのではなく、天理の大運勢と連結されなければなりません。


一つの種があって根を下ろし、その根が茎として育つことのできる芽と連結されれば、花が咲き実を結ぶようになります。
そのような木全体の要素を合わせて結集させ得る愛の実体を結ばなければならないという事実を知りました。


南北を収拾して世界に行くべき道を堂々と行くことのできる、間違いのない天の国の民となれるようにしてください。
天の王宮に属した皇族であり、皇太子であり、王女の権利を備えることのできる、愛の代身者だと称賛を受けることのできる群れとなることを願うのが、お父様の願いであることを知っています。
また、歴史時代の背後で摂理してこられたお父様の願いは、この方向に向かって夜も昼も促したものであったことをきょう私達は知りました。


それゆえ、今からの私達の生活と生涯の方向は、ここに焦点を合わせていくにおいて、間違いのない天の愛の同役者となれるよう許諾してください。
そうして、世界的な混乱時代において天の縦的な核を中心として理想的天上世界と横的な地上世界が一つの球形に統合され得るよう、愛の理想圏を主導していくことのできる群れが統一教会の群れであることを自覚させてください。


その行く方向の道を間違いなく守っていくあなたの立て札となるようにしてくださり、番兵達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によって祝願いたしました。


アーメン。
(1988.3.13)


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