22
お父様!
この場に集ったあなたの子女達の心の中に訪ねてきてください。
私達、お父様を欽慕することのできる懇切な心の土台を備えてはいないでしょうか。
今、私達は心でお父様に侍っても、背を向ける悲しい姿勢を持つようになるのではないかと、恐れなければなりません。
本当の意味でお父様に侍り、ありとあらゆる忠誠を尽くすあなたの息子・娘達がいますでしょうか。
無限なる愛と慈悲と哀れみと許しをもって彼らを祝福の恩賜圏内に抱いてください。
あなたの高く貴い愛の心を無限に感じることができるよう祝福してくださいますことを、
お父様、懇切にお願い申し上げます。
この時間、お父様のみ旨を心配しながら、残されたそのみ旨のために戦場に向かって駆けつける勇士、自分のすべてを無限に投入して、闘いに必要な装備を備えるために努力するあなたの勇士がいるでしょうか。
お父様、
彼らをお守りくださって、その国と世界を守り得る一人の代表者として祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
あなたの聖なる祭壇で、多くの生命のために犠牲の祭物を捧げる祭司長の職責を負ったあなたの息子・娘達がいるでしょうか。
また、人が寝る時間に精誠を尽くし、人々が楽しむときに苦難の路程を行き、受難の道を歩みながらも、その道が自ら行くべき道であると知り、民族と人類の背後で祭壇の基台を広げていくために、人の知らない中で数多くの受難とぶつかってきたあなたの息子・娘達がいるでしょうか。
お父様、彼らを祝福してください。
彼らが世の中の根であり、その根の影響を受けて世界は生きているということを、彼ら自らが分かるようにしてください。
人が認めてくれないとしても、お父様に感謝できる心、むしろ誰かが認めてくれることを心苦しく思う心を彼らにお与えください。
あなたと一致し得るその場は、このような因縁を経なくてはならないということを知り、人の知らない中で感謝する心を持ってお父様に侍ることのできる息子達となり、娘達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1970.3.8)
お父様!
この場に集ったあなたの子女達の心の中に訪ねてきてください。
私達、お父様を欽慕することのできる懇切な心の土台を備えてはいないでしょうか。
今、私達は心でお父様に侍っても、背を向ける悲しい姿勢を持つようになるのではないかと、恐れなければなりません。
本当の意味でお父様に侍り、ありとあらゆる忠誠を尽くすあなたの息子・娘達がいますでしょうか。
無限なる愛と慈悲と哀れみと許しをもって彼らを祝福の恩賜圏内に抱いてください。
あなたの高く貴い愛の心を無限に感じることができるよう祝福してくださいますことを、
お父様、懇切にお願い申し上げます。
この時間、お父様のみ旨を心配しながら、残されたそのみ旨のために戦場に向かって駆けつける勇士、自分のすべてを無限に投入して、闘いに必要な装備を備えるために努力するあなたの勇士がいるでしょうか。
お父様、
彼らをお守りくださって、その国と世界を守り得る一人の代表者として祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
あなたの聖なる祭壇で、多くの生命のために犠牲の祭物を捧げる祭司長の職責を負ったあなたの息子・娘達がいるでしょうか。
また、人が寝る時間に精誠を尽くし、人々が楽しむときに苦難の路程を行き、受難の道を歩みながらも、その道が自ら行くべき道であると知り、民族と人類の背後で祭壇の基台を広げていくために、人の知らない中で数多くの受難とぶつかってきたあなたの息子・娘達がいるでしょうか。
お父様、彼らを祝福してください。
彼らが世の中の根であり、その根の影響を受けて世界は生きているということを、彼ら自らが分かるようにしてください。
人が認めてくれないとしても、お父様に感謝できる心、むしろ誰かが認めてくれることを心苦しく思う心を彼らにお与えください。
あなたと一致し得るその場は、このような因縁を経なくてはならないということを知り、人の知らない中で感謝する心を持ってお父様に侍ることのできる息子達となり、娘達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1970.3.8)
23
お父様!
今までのすべての日々は、悲しみを抱いてみな流れていきました。
それゆえ、私達は今後来る日々を悲しみを抱いて流れていくようにしてはならない責任を負ったのです。
私達はこの国に悲運が宿るこのときに、その悲運を取り除いてしまい、望みと希望を植えてあげるべき使命を持った統一教会の群れです。
絶望と落胆と悲哀と嘆息が漂う現歴史の思潮におきまして、これを克服することができ、新しい望みと希望を残すことのできる統一の主流とならなければならないという事実を知りました。
その道を行くためには、より公的な価値を探し求めて生活しなければならないということが分かる、あなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様!
今まで統一教会があなたの経綸のみ旨に従ってくる過程には、悲しい事情もたくさんありました。
その誰にも話せない痛々しい事情に追われ、足をばたつかせながら、「お父様はいない」と呪いたいときが一度や二度ではありませんでした。
このような過ぎ去った日々を考える度ごとに、言うに言えずにもどかしく、慌ただしく時間、時間を経てこられたお父様が、どれほどかわいそうなお方であられたかを私達はもう一度感じるものです。
私達のために顔を傷つけ、私達のために手足を傷つけたあなたであられました。
それだけでなく、千万回苦労の公的な因縁を備えられ、私達のために涙と血と汗を流されたお父様であることを知っています。
このようにお父様が私達の生活圏内で私達と共に生きておられるという事実を思うとき、お父様の手をつかみ、永遠に放したくない懇切さが私達の心から込み上げてこなければなりません。お父様の首をつかみ、山道であっても、どのような道であっても従っていきたい心が込み上げてこなければなりません。
そのような因縁を備えて、力が足らないとしても、お父様をおぶっていく生活をしなければならないという心が私を支配し、生涯にみなぎるようになるとき、初めて孝と忠の道理を果たした立場に立つということを知る私達となるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1970.6.4)
24
父母の恩徳を受けた子供ならばその恩徳に報いるのが道理であり、国の恩徳を受けた者ならば君王のために忠孝を尽くすのが臣下としての道理であるということを、私達は知らなければなりません。
あなたが私達の生命全体をこの地上に残してくださったことを思いますとき、この受けた恩賜に私達が報いるためには、孝の道理、忠の道理を果たし、統一された心情を備えてあなたが願われる世界を身代わりすることのできる祭司長とならなければなりません。
これが統一教会の群れが行くべき道であるのを知らなければなりません。
責任を負った者達の生活は、人が寝ているときに寝ることができず、人が遊ぶときにも遊ぶことのできない生活だということを私達は知っています。
今日、統一教会は自分自体の責任だけでなく、歴史的な責任を負っています。
私達が忙しい歩みを促し、み旨のために駆けつけるその途上におきまして、早く行くことのできない自らの歩みを、恨めしく思う心を抱いて行くべきなのが統一の群れの行く道であることを知りました。
お父様がそうであられたために、お父様のみ旨を奉じる息子・娘たる私達もそうでなければなりません。
私達がこれを残そうとするなら、自らが祭物とならなければならないということを知りました。
それゆえ、私達は出ていっても、そこで悲しみを感じて再び私達のみ旨に向かって歩みを促さなければならないことを感じるものです。
個人を捜し出したときの喜びよりも家庭を捜し出したときの喜びが大きいことを知ったなら、あなたも個人を捜し出されたときよりも家庭を捜し出されたときの喜びがもっと大きいことを知るものです。
また、家庭を捜し出されたときの喜びよりも氏族を捜し出されたときの喜びが、氏族よりも民族、民族よりも国家、国家よりも世界を捜し出されたときのその喜びがもっと大きいことを知るものです。
このようなことを考えるとき、そのような世界を捜し出されたときの喜びを天宙万象の前に表す標示として、歌と踊りで万宇宙を抱いて祝福することのできるその日を迎えることが、あなたの内心でどれほど焦がれた願いであったかを私達は知らなければなりません。
この地上に生きている数多くの群れは、誰も恋い焦がれることができず、想像することもできませんでしたが、これを心だけでなく実際の生活過程に進軍する統一の教団を通して、私達に体恤できる現在の立場を備えさせてくださいました。
このすべてはあなたの愛であり、あなたの哀れみであり、あなたの慈悲であり、あなたのあふれる恩徳であることを知り、もう一度感謝申し上げなければなりません。
このように世界的な峠を越え祝福を持ってきてくださったことを考えるとき、自分の処した立場を誤って知り、そのまま通過しようとするかわいそうでみすぼらしい敗者の悲しみを相続するに似つかわしい姿となってはなりません。
お父様が下さるあまりにも大きな恩徳を、千年万年、自らの後孫万代を通して美しく輝かせ相続させてあげるためには、精誠を尽くし忠誠を尽くして誇らしく伝えようと身もだえすることができなければなりません。
そうでなくては、自分自らお父様の前に威信すらも立てることができないということを知らなければなりません。
自らの過去をもう一度回想し、現在をもう一度批判しながらお父様の恩賜と厚徳の前に涙を流し、お父様の高く尊いことを賛揚することのできる息子達となり、娘達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1970.10.11)
25
お父様!
今、誰よりも尊いあなたに、私達は心の中において侍らなければなりません。
その誰もが侵犯できない心の座におきまして、絶対者であられるお父様に侍って、お父様と共に相談し、お父様と共に相応的な立場で、主体的なお父様と共に相対的な私自体の無限なる価値の立体性を発見し生きていける人生があるとするなら、世の中がいくら悪いとしても、その悪なる圏内で無限なる価値を倍加させることのできる歴史創造の新しい土台をつくっていく異なった何かを発見できることでしょう。
そのようなことを考えるとき、その人が受ける苦痛は苦痛でなく、幸福として消化させ得るものであり、彼は死亡の波が充満したこの地上において不幸な人ではなく、幸福に生きる人であり、幸福のために生きる人であると、私達は知るものです。
統一教会の群れ達はこのような道を行くべきことを知ったために、今まで歩んできた道は受難の道であり、迫害の道であり、寂しい道でありました。しかし、その迫害と寂しさが行き交う交差路に立つそのときごとに、私達が行くべき道は明白でした。
人間が持つべき価値の因縁を植えるために、自らの行路だけでなく四方に伸びて交差するその道まで流れて越えていける善の因縁を残したいと、四方に身もだえしてきました。そのような統一教会の歴史的な事実を考えますとき、悲惨ではありましたが、その中で人の知らない感謝の心情を持つことのできる立場に立ててくださったことに感謝を申し上げます。
そのような場で根を打ち込み練磨して、世界的な足場を築き、あふれんばかりの希望とともにアジアを眺め、世界を行き来する新しい一つの世界を夢見ることのできる愛国者の心情を持つだけでなく、世界人類の中で誰も持つことのできなかったあなたの愛を中心とした、お父様の家庭とお父様の国に対する愛国心を持って生きようとするのです。
天情に従って、忠臣の道理を学ぼうとし、天情に従って孝行の道理を学ぼうとする、より高い次元の価値を探し求めていくこの者達の行く道の前に、祝福のみ手が永遠に共にあるようにしてください。
その生活において加重された価値は、今日、平面的な世界を中心として生きる人のどのような価値とも比較できない高次的な内容であることを知って進むこの者達の上に、あなたの哀れみと愛がより一層共にあってください。
世の中がいかに悪いとしても、この悪なる世の中を導いていくべき主体的な力はより強くなければならず、弱くては駄目であるということを、私達は誰よりもよく知っています。
寂しいときもお父様の能力を身代わりして、私達は寂しがってはならないことを知っていますので、私達がこの世の中の前に影響を及ぼす群れとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
その誰も分立させることのできない世界を中心として絡み合い得る家庭となり、民族となり、国家となり、世界人類とならなければならないということを、誰よりも強く感じた群れがきょうこの時代の統一の群れです。
過去に怨讐であった日本人達も、食口(=家族)の名前を持つときには兄弟となるのであり、色の違う数多くの人種達も食□という名前を中心として、どの民族の中でも見いだせず、見いだすこともできない兄弟の友愛を持って生きる動きが広がっています。
そのような動きがきょうこの地上において基盤をつかみ、実践的段階に向かって突進していますので、お父様が哀れにお思いになってここに無限の能力を加重してくださり、私達のみ旨の勝利の局面に向かって前進するにおきまして、気の小さい者となるのではなく、勝利者の姿を備えて強く雄々しく直行し、前進する天の勇士達となるように許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1971.2.11)
26
お父様!
駆けていっているこの世界の流れを誰も停止させられないのを、私達は知っています。
今、世界の終末が私達の前に近づいてきていることを知るものです。
共産世界も既に終末を告げ、民主世界も既に終末を告げました。
この終末の中にお父様がお座りになり得る、直接的でありながらも新しい動きがこの天地の間に現れなければなりません。
そうでなければ、全天地は暗澹たる暗黒世界から永遠に解放され得ず、呻吟と病苦と災いの中に包まれるしかないということを私達は思うものです。
今、私達が失ってしまったお父様を再び捜し出さなければなりません。
私達は歩んだ足取りを振り返り、人本主義や物質主義などすべての思想の体制と、現実的なすべての与件を引っ張って、お父様の前に帰らなければなりません。
そのためには、強力な力の主体であられるお父様を知らなければなりません。
無限なる価値の中心であられるお父様をはっきり知らなければなりません。
あなたとあなたの子女達が一つの内容を中心として、時間、時間の生活圏内でどれほど密接な関係を結んで生きるかが問題であるのを知っています。
第二解放、第三解放を必要とするこの歴史的な環境圏の中で、これを克服に克服を重ねることのできる力と価値を自ら備えていくことができるよう許諾してください。
お父様!
統一教会員達は、今、あなたがおられるということをはっきり知らなければなりません。
生活感情を通して知らなければならず、各自、体の細胞の作用を通して感知しなければなりません。
そうして、私達皆が高貴なるお父様の名を呼び、お父様に侍り、お父様のために血の汗を流すことのできる聖なる息子・娘とならなければならないので、お父様、許諾してください。
あなたが動けば私達も動かなければならず、あなたが静ずれば私達も静じなければなりません。あなたが喜ばれれば私達も喜ばなければならず、あなたが悲しまれれば私達も悲しむ息子・娘とならなければなりません。
平和の国に向かって、平和の天国に向かっていくべき希望の息子・娘が凛々しく活気に満ちた姿勢を備えて進むようにしてくださり、天の勇士達となり、天の精兵達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1970.8.16)
27
お父様!
この地上を訪ねてくるために、どれほどご苦労されたでしょうか。
誰も分からないこの復帰という悲しい路程を経てくるために、どれほどご苦労されたかを、私達が原理を通して学びましたので、それを忘れないよう許諾してください。
あなたが自ら行われた、その足跡に従いながら、あなたの胸の中に積まれた恨みの土台を私達が闘って克服し、勝利の一路を開拓すべき使命が残っているということがはっきり分かるよう許諾してください。
あなたのために足らない私達が仕え奉り、忠孝の道理を果たすとしても、限られた体であるために、限界線を越えられずにいることを知っています。
しかし、お父様はいつも私達を訪ねてこられ、つかんでくださり、私達に行くべき目的を達成させるために激励なさいました。
しかし、私達が倒れ、お父様の前にご心配をかけたときがどれほど多かったか、言葉ですべてを表現することができません。
そのような度ごとにお父様を悲しませ、お父様の背に苦痛を負わせた事実を、お受け入れくださいますよう懇切にお願い申し上げます。
きょうもあなたのみ旨のために身もだえしながら、ひと日の勝利のために精誠を尽くした家庭があるとするなら、その家庭に千倍万倍、福を施してくださいますよう懇切にお願い申し上げます。
地上で精誠を尽くす群れが天上世界の群れと一致して、天と地が授け受けることのできる勝利の土台を備えられるようにしてください。
そうすることによってお父様の顕現と、お父様の行使なさることが、実体としてすべての横的世界に起こることを知っていますので、そうすることのできる統一の運勢がこの地上に現れるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
(1969.6.29)
28
お父様!
きょうこの場にいる私達、果たしてお父様が慕わしくて涙が先立ち得る個々人となり、統一家の繁栄のために自分の一身を自ら祭物にしようと、あえぐ生活をしている群れとなったかということを反省しなければなりません。
来ては逝く人生の行路におきまして、食べて寝るという日常の生活環境におきまして、善い悪いという感情生活におきまして、善いことはお父様によって善く、悪いこともお父様によって悪く、来ては逝くのも食べて生きるのも、人生の生活一切がお父様によってなされなければなりません。
お父様を抜きにしては、私達自体が存在することができないという立場で生きるべきなのが私達の人生であるということを思うとき、私達はあまりにも私を中心とした所有圏が大きかったことを知るものです。
自ら恥ずかしさを感じ、いつもお父様のむちを受けるべき子供であると感じ、あなたの同情だけでも受けることのできる心の姿勢を備えなければならないということを悟るよう、今、お父様が直接現れてください。
イエス様が愛する弟子達を集めて、彼らを代表し得るペテロに「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人達が愛する以上に、わたしを愛するか」という質問を、二度、三度繰り返されたとき、ペテロが「わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」と言ったその場面は、イエス様が尋ねる回数を加えるに従って、ペテロをして強い立場に立たせるのではなく、自分の足らなさに自責の念を感じさせ、新しい決心を誓わせようという教え諭しの場であったということを知るものです。
今、私達自身にお父様がそのように聞かれたときに、「私がお父様を愛し、み旨を愛することは、あなたがご存じです」と答えられなければなりません。
お父様がそれを問われ、問われ、また問われるときに、自信を持って「はい、あなたを愛しています」と答え、その質問の前に涙を流しながら、過去に足らなかった私自身を考え、なぜそのように問われるのかということを感じることのできる立場に立ったなら、「この姿をもって息子の道理を果たす人となります」と言えなければならないのです。
お父様が私達をお呼びになって「お前は天の息子として世界を代表して責任を果たしてくれ」と願われるとき、「お父様を愛し、お父様の命令を望む息子の立場でその日が来るのを望んでいますが、あなたが願われることを今やっと成就するようになりました」と言いながら、千万回死が行き交ったとしても、祭物として犠牲になる行脚の路程が連結されているとしても、行くべき必然的な運命の道であることを知って行かなければなりません。
倒れてしまう場におきましても、お父様の同情のみ手を望むのでなく、自らサタンの嘲弄を受けないために、お父様の前に忠孝の道理を果たそうと誓い、「お父様、心配しないでください。お父様が協助してくださらなくても、私の個体はサタンの因縁を越え得る自信があります。いかなる受難があるとしても、あなたの協助を必要とせず、その場を私自らの責任圏と知って死守いたします」と決意しなければなりません。
同情を望むのではなく、むしろ天を慰労することのできる息子になろうと身もだえするなら、血を吐き倒れる運命に至ったとしても、その人は滅びないということを私達ははっきり知るものです。
そのような息子がいるなら、彼が倒れた場が怨讐の陣営だとしても、お父様がためらうことなく駆けてきて慰労なさるとき、サタンが讒訴することのできない勝利の圈として残されるということを私達がはっきり分かるようにしてください。真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1971.10.9)
お父様!
駆けていっているこの世界の流れを誰も停止させられないのを、私達は知っています。
今、世界の終末が私達の前に近づいてきていることを知るものです。
共産世界も既に終末を告げ、民主世界も既に終末を告げました。
この終末の中にお父様がお座りになり得る、直接的でありながらも新しい動きがこの天地の間に現れなければなりません。
そうでなければ、全天地は暗澹たる暗黒世界から永遠に解放され得ず、呻吟と病苦と災いの中に包まれるしかないということを私達は思うものです。
今、私達が失ってしまったお父様を再び捜し出さなければなりません。
私達は歩んだ足取りを振り返り、人本主義や物質主義などすべての思想の体制と、現実的なすべての与件を引っ張って、お父様の前に帰らなければなりません。
そのためには、強力な力の主体であられるお父様を知らなければなりません。
無限なる価値の中心であられるお父様をはっきり知らなければなりません。
あなたとあなたの子女達が一つの内容を中心として、時間、時間の生活圏内でどれほど密接な関係を結んで生きるかが問題であるのを知っています。
第二解放、第三解放を必要とするこの歴史的な環境圏の中で、これを克服に克服を重ねることのできる力と価値を自ら備えていくことができるよう許諾してください。
お父様!
統一教会員達は、今、あなたがおられるということをはっきり知らなければなりません。
生活感情を通して知らなければならず、各自、体の細胞の作用を通して感知しなければなりません。
そうして、私達皆が高貴なるお父様の名を呼び、お父様に侍り、お父様のために血の汗を流すことのできる聖なる息子・娘とならなければならないので、お父様、許諾してください。
あなたが動けば私達も動かなければならず、あなたが静ずれば私達も静じなければなりません。あなたが喜ばれれば私達も喜ばなければならず、あなたが悲しまれれば私達も悲しむ息子・娘とならなければなりません。
平和の国に向かって、平和の天国に向かっていくべき希望の息子・娘が凛々しく活気に満ちた姿勢を備えて進むようにしてくださり、天の勇士達となり、天の精兵達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1970.8.16)
27
お父様!
この地上を訪ねてくるために、どれほどご苦労されたでしょうか。
誰も分からないこの復帰という悲しい路程を経てくるために、どれほどご苦労されたかを、私達が原理を通して学びましたので、それを忘れないよう許諾してください。
あなたが自ら行われた、その足跡に従いながら、あなたの胸の中に積まれた恨みの土台を私達が闘って克服し、勝利の一路を開拓すべき使命が残っているということがはっきり分かるよう許諾してください。
あなたのために足らない私達が仕え奉り、忠孝の道理を果たすとしても、限られた体であるために、限界線を越えられずにいることを知っています。
しかし、お父様はいつも私達を訪ねてこられ、つかんでくださり、私達に行くべき目的を達成させるために激励なさいました。
しかし、私達が倒れ、お父様の前にご心配をかけたときがどれほど多かったか、言葉ですべてを表現することができません。
そのような度ごとにお父様を悲しませ、お父様の背に苦痛を負わせた事実を、お受け入れくださいますよう懇切にお願い申し上げます。
きょうもあなたのみ旨のために身もだえしながら、ひと日の勝利のために精誠を尽くした家庭があるとするなら、その家庭に千倍万倍、福を施してくださいますよう懇切にお願い申し上げます。
地上で精誠を尽くす群れが天上世界の群れと一致して、天と地が授け受けることのできる勝利の土台を備えられるようにしてください。
そうすることによってお父様の顕現と、お父様の行使なさることが、実体としてすべての横的世界に起こることを知っていますので、そうすることのできる統一の運勢がこの地上に現れるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
(1969.6.29)
28
お父様!
きょうこの場にいる私達、果たしてお父様が慕わしくて涙が先立ち得る個々人となり、統一家の繁栄のために自分の一身を自ら祭物にしようと、あえぐ生活をしている群れとなったかということを反省しなければなりません。
来ては逝く人生の行路におきまして、食べて寝るという日常の生活環境におきまして、善い悪いという感情生活におきまして、善いことはお父様によって善く、悪いこともお父様によって悪く、来ては逝くのも食べて生きるのも、人生の生活一切がお父様によってなされなければなりません。
お父様を抜きにしては、私達自体が存在することができないという立場で生きるべきなのが私達の人生であるということを思うとき、私達はあまりにも私を中心とした所有圏が大きかったことを知るものです。
自ら恥ずかしさを感じ、いつもお父様のむちを受けるべき子供であると感じ、あなたの同情だけでも受けることのできる心の姿勢を備えなければならないということを悟るよう、今、お父様が直接現れてください。
イエス様が愛する弟子達を集めて、彼らを代表し得るペテロに「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人達が愛する以上に、わたしを愛するか」という質問を、二度、三度繰り返されたとき、ペテロが「わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」と言ったその場面は、イエス様が尋ねる回数を加えるに従って、ペテロをして強い立場に立たせるのではなく、自分の足らなさに自責の念を感じさせ、新しい決心を誓わせようという教え諭しの場であったということを知るものです。
今、私達自身にお父様がそのように聞かれたときに、「私がお父様を愛し、み旨を愛することは、あなたがご存じです」と答えられなければなりません。
お父様がそれを問われ、問われ、また問われるときに、自信を持って「はい、あなたを愛しています」と答え、その質問の前に涙を流しながら、過去に足らなかった私自身を考え、なぜそのように問われるのかということを感じることのできる立場に立ったなら、「この姿をもって息子の道理を果たす人となります」と言えなければならないのです。
お父様が私達をお呼びになって「お前は天の息子として世界を代表して責任を果たしてくれ」と願われるとき、「お父様を愛し、お父様の命令を望む息子の立場でその日が来るのを望んでいますが、あなたが願われることを今やっと成就するようになりました」と言いながら、千万回死が行き交ったとしても、祭物として犠牲になる行脚の路程が連結されているとしても、行くべき必然的な運命の道であることを知って行かなければなりません。
倒れてしまう場におきましても、お父様の同情のみ手を望むのでなく、自らサタンの嘲弄を受けないために、お父様の前に忠孝の道理を果たそうと誓い、「お父様、心配しないでください。お父様が協助してくださらなくても、私の個体はサタンの因縁を越え得る自信があります。いかなる受難があるとしても、あなたの協助を必要とせず、その場を私自らの責任圏と知って死守いたします」と決意しなければなりません。
同情を望むのではなく、むしろ天を慰労することのできる息子になろうと身もだえするなら、血を吐き倒れる運命に至ったとしても、その人は滅びないということを私達ははっきり知るものです。
そのような息子がいるなら、彼が倒れた場が怨讐の陣営だとしても、お父様がためらうことなく駆けてきて慰労なさるとき、サタンが讒訴することのできない勝利の圈として残されるということを私達がはっきり分かるようにしてください。真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1971.10.9)
29
お父様!
今から統一教会の教会員達は行くべきとてつもない新しい時代の騎手の使命を前においています。
すべてがあなたの願うみ旨の前に一致し得る精誠のこもった態度と、すべてのものをあなたの前に捧げ得る犠牲精神だけが、この使命を支えられることを知っています。
ですので、くれぐれもそうすることのできる素心を抱き、あなたが導くその道に従って行き、厳粛にあなたが地上で成就なさろうとするみ旨を引き継ぎ、実践公約をするよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様!
今、私達の姿勢がいかに大切かということが分かるよう許諾してください。
民族の前にあらわになればなるほど、主体的責任を果たさなければならないということを知っています。
そのようなことを考えるとき、一切の行動を注意し、統一教会の歴史を通して立てられた人格的な基準を万民の前に見せてあげ、彼らが行くべき方向と座標をはっきり提示して余りある、あなたが立てて誇り、あなたがいつも称賛することのできる、不足のない子女達にしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様!
今、全世界に新しい運勢の旗を高く揚げ、天国に向かって直行する時がやって来ました。
私達が「天国実現」というとてつもない目標を立てました。
この国この民族は、名実共に私達が行く方向の前にいつも心をもって従ってくることのできる立場に立ちました。
今から、私達は一致団結してこの運勢とこのブームを殺すことなく、一つの懐に抱いて勝利の祭壇をお父様の前に民族と共に結んで捧げるべき重大な責任があるということを忘却してはなりません。
過ぎ去ったすべての歳月を、天のお父様の名前とともに洗い流すようにしてくださり、今まで韓民族が責任を果たせなかったことをお許しくださり、再びこの民族を愛してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
かわいそうな既成教会を抱いてください。
彼らを捨ててはならないということをよく知っています。
二千年の間、お父様が苦労され、キリスト教徒達が血を流して立てたそのキリスト教です。
今、私達と共に舞台裏で手を取り合い、一つの網を張って全世界人類をお父様の懐に抱かせるにおいて、なくてはならない存在であることを知っています。
ですので、主体と対象の基準を備え、お父様の国を建国するのに必要な群れとしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
彼らの将来のすべてを指導してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
万々事の恩賜と愛が、あなたのみ名とともにとこしえに共にあってくださいますことをお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1975.6.8)
30
愛するお父様!
流れていく歴史の中のすべての出来事で、あなたの摂理と関係なく起こるものはありません。
悲しい歴史、サタンを中心としたものを克服するための過程において、個人の壁を壊し、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の壁を壊すべき復帰の運命の道があったということを知りませんでした。
この壁を壊すためには、堕落した愛の種が蒔かれて根が打ち込まれたこの世の中で、理想的愛の起源を通ることのできる心情圏を尋ねていかなければならないということを、そうでなくては復帰することができないということを私達統一教会員は知りました。
イエス様もこのような心情を中心として教えるのに、誰でも私をより愛さなくては私の弟子になれないだけでなく、自分に勝って自分の十字架を負ってついてこないものは私にふさわしくないと通告したみ言は、歴史的な宣言でした。
隣り人を愛するのに、自分の体のように愛さなくては救われないと言われました。
真の父母と真の天に侍る位置にいるならば、世界が隣り人ですので、世界をご父母様以上に愛することを望むのが神様の願いであり、ご父母様の願いであるのを知るものです。
父母に侍る孝子の立場で、父母に孝行する以上の心をもって全体の兄弟達を愛するその子供を天が愛され、すべての相続者の代表として立てようとなさることを知ったので、今ここにいる統一教会のすべての子女達は、父母を愛する以上に人類を愛する孝子・孝女の立場を身代わりしなければなりません。
そうすることによって、天上世界であれ地上世界であれ、サタンの心情圏によって因縁づけられたすべての塀と壁を一時に壊し、勝利の覇権を持って天の国を相続するにおいて恥ずかしくない息子・娘となることをこの時間宣言しましたので、この者達がそのような立場でお父様の祝福を受けるに不足のないよう、自らを磨くことにおろそかにならないよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
ご父母様と世界を愛することのできない者は、天国に入れないということをはっきり知りましたので、このことを中心としてここに反対するサタン世界があるとしても、それを愛し消化し得る立場に立たなければなりません。
そうならなければならないことを知ったので、私がそのような者となるか、ならないかを実験、実践するにおきまして、一片丹心、忠孝の心情の道理を備えるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
そのようにする者だけが最後の勝利者であり、最後の栄光に同参できる者であり、すべての愛を中心とした相続権を持つ者であり、祝福を受けることのできる立場に立った者であるということをはっきり知り、その道を行くためにすべてのものを犠牲にし、猛進することができるよう祝福してください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1986.2.1)
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