人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

御言葉選集1(17、18)

2023年07月28日 11時25分09秒 | 学習

今、皆さんが知っておくべきことは、イエス・キリストが憐れみ深いマリアの体を通して生まれたと言う事です。冒険的な生涯を持ち、私達の前に現れたイエス・キリストが、聖母マリアのような人物がいなかったら、神様の意志はどうなっていたかと言う事です。聖母マリアのような憐れみ深い女性がいなければ、イエス・キリストの誕生はありえなかったでしょう。地上にマリアのような冒険的な犠牲の土台がなければ、イエス様の新しい命が誕生することはあり得なかったのです。

従順なマリアに天使が現れ、「あなたはみごもり、男の子を産みます」と告げたとき、マリアは「私は男を知らないのに、それはどう言う事ですか?」と尋ねました。天使は再び、「全能なる神があなたを選ばれました」と答えました。その時、マリアは「主よ、私ははしためです。みこころが成るように」と答えました。この一言が天宙的な冒険を示す言葉でした。

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その当時、処女が妊娠する事実が明るみに出ると、モーセを通して立てられた律法により、即座に石打ちにされることを知りながらも、マリアは現実の環境を超えて、「主よ、御心が成るように。はしためなので、御心が成るように。私は死んでもあなたのもの、滅びてもあなたのものです。御心が成るように」と言ったのです。天はこのような地上の存在であるマリアがいるからこそ、イエス・キリストを誕生させたのでした。

しかしそれだけではありません。皆さんが今日信仰生活を送る中にも、未知の冒険の道がたくさんあります。婚約者であるマリアが懐妊したという事実を、夢を通じて予告されたヨセフは、さまざまな人間的な困難により、マリアとの結びつきを解消しようともしました。自分と婚約していた処女が妊娠しているという事実は、ヨセフにさまざまな人間的な苦悩をもたらしました。しかし、ヨセフはすべての出来事を自分の責任とし、マリアを救おうとしました。それは簡単なことではありませんでした。超現実的なことでした。

そのため、今日の皆さんにも、ヤコブが歩んだ道、ヨセフが歩んだ道を進む使命があり、イエス様が歩まれた道、マリアが歩んだ道を辿る使命が残されています。だからこそ、こうした超現実的な場面が皆さんには待ち受けていること、超現実的に通り抜ける冒険的な峠が皆さんの前にあることを知らなければなりません。

4千年の歴史の憂いを抱え、死ぬか生きるかを問わず天の御意のために犠牲になろうと覚悟して立ち向かったイエス様に人々は気づきませんでした。彼が万民の救い主、メシアであることを知らなかったのです。これらの事実を見ると、イエス様は生まれた瞬間から超現実的で、新しい理想的な冒険の人生を過ごされていたことが分かります。現在、この人生は未完成のままで、再臨に要求される御意として残っていることを皆さんは知るべきです。

イエス様の生涯を見ると、ヨセフとマリアの家庭で生活し、成長される過程でも天の御意に対する悩みや心配がありました。兄弟達からの非難や嘲笑も受けました。イエス様の30年以上にわたる生涯は、ヨセフが最初に持った心情とは一致しませんでした。ヨセフはイエス様よりも自分の息子をより愛していたのです。そのため、イエス様も当時の社会形態に適合した家庭環境を持つことができませんでした。

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そうして義理の息子のように暮らしながら、最後には十字架にかかることになったイエス様の全ての生涯は、非現実的なものでした。そうした環境で、すべての家庭的な葛藤に直面しながらも、イエス様は沈黙の中でそれを乗り越えました。最終的に天の御意を持って現れ、万民のメシアであることを証しした後の出来事もまた、現実的ではありませんでした。

長い歴史の中でユダヤ教の教えを超えて新しい天の福音をもって立ち上がったイエス様は、どこに行っても、どこに滞在しても、現実的に歓迎されたことはありませんでした。そのような、自分を慰めてくれる場所を見つけたイエス様ではなかったことを理解する必要があります。

神様の御心を知っているイエス様は新しい新約の福音を宣言しました。最初、洗礼者ヨハネがイエス様を証言した時は、ユダヤ教のすべての祭司や書記達が理解できる環境が整っていました。しかし、3年間の公生涯を経てイエス様の立場はますます低下し、最後には漁師達と貧しい女性達だけが従う立場に置かれることになったのです。

神様の使命を遂行するためには、永遠の約束が必要であり、自らの意志としても永遠となる意志が必要でしたが、現実的にはそんなものを見つけることはできませんでした。イエス様が荒野で5000人以上の群衆を集め、彼らのために天に向かって祈りをささげた心情、ラザロの墓前で懇願の祈りをささげた心情は、地上の誰とも比べられないほどの深い悲しみに包まれていたことを皆さんは理解すべきです。

4千年の歴史の中で数多くの先賢達が神様の御心のために冒険的な生活をし、覚悟と内なる悲しみを抱えて戦ってきましたが、その中でイエス様の内なる悲しみには及びもつかないものでした。イエス様は4千年の歴史の中でのすべての怨みや心情を乗り越え、天に昇って神様の内なる悲しみを満たすことが求められました。

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イエス様を追従する人々はユダヤ人達に歓迎される人々ではありませんでした。ユダヤ教の聖徒達に認められる人々でもありませんでした。

イエス様は社会的に、教会的にどこを行っても誰も歓迎してくれない道を進む事になりました。どこに行っても自由な環境にとどまることができない立場にあったイエス様でした。

モーセがイスラエルの民60万人を導いて出て行く際、彼の前には紅海が立ちはだかり、後ろにはパロの戦車が迫っていました。モーセは死を恐れる60万人の代わりに、そのような死の試練に打ち勝ち、残るための一つの信念を持って立ち向かったのです。それは60万人の民を生き返らせることのできる道であったことを皆さんは知るべきです。

イエス様も同様に、5つのパンと2匹の魚で5000人の群衆を満腹にしたことも同じです。夕暮れ時に野原に広がる数多くの群衆を見つめるイエス様の心情は、実際には地上のどの人からも理解できない心情でした。まさに天の前に現れなければならない一大冒険の心情でした。イエス様がこのような心情を持ち、父なる神様の前に叫ばれたことによって、冒険的な創造の歴史が起こったのです。

生まれながらにして冒険的に生まれ、生きる間に冒険の道を歩まれ、最後には十字架に釘付けになるまで冒険的な基準で戻られたイエス様であることを私達は感じる必要があります。このようなことを見ると、イエス様の生涯は単なるありふれたささいな生涯ではありませんでした。地味でも素晴らしいような、そんな生涯ではありませんでした。

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今や皆さんは、信じている自分を再分析し、イエス・キリストの生涯に合わせて見直す必要があります。もし皆さんがイエス・キリストの花婿となることを望む心があるとしたら、皆さんはイエス様の誕生から30年の冒険的な生涯を経て、ゴルゴダ山の運命の道、試練と逆境の生活から十字架に至るまでの運命の道、冒険的な死の道を歩まれたその生涯を知る必要があります。

まさにイエス様の生涯は冒険として始まり、冒険として終わる生涯でした。花婿として来られたが、孤独ながらも死の道を歩まれたイエス様、私のために帰られたイエス様、私を救うために帰られたイエス様の骨肉にしみる悲痛な心情を私達は心に感じ取る必要があります。

今日の終わりの時代において、皆さんがイエス様に捧げることができる贈り物があるとしたら、それは何でしょうか? 生涯をささげて冒険的な過程を経てきたイエス・キリストの哀れな心情を胸に秘め、全世界に向けて、全天空に向けて、誰よりも素晴らしい犠牲、全天宙を動員しても見つけることができない唯一の天宙的な冒険の犠牲となることです。

したがって、今までの歴史の過程を経てこられた神様の遺恨の心情を理解し、天と地の位置から上がって行かねばなりません。喜ばしい地位から何かを担当したいと思ってはいけないと言う事です。御意のために死ぬ覚悟を持って生活しなければなりません。考えてみてください。地のために死んだイエス・キリストが地を非難すれば、それ以上非難できる人はいないでしょう。

しかし、イエス様は自分のためにこられませんでした。最初は歴史の復帰のためにこられ、イスラエルの教団のためにこられ、イスラエルの民のためにこられました。従っている弟子達のために来られ、さらには民族と国家、世界そして天のために来られました。彼の生涯は民族と国家と世界そして天のための生涯であり、死に至るまで自分のための死ではなかったと言う事です。

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しかし、このようなイエス様の足跡を誰が正しいと言ったでしょうか? 死の山頂でさえ愛する弟子達からも裏切られ、一人取り残され、すべてを負担し、立ち向かわなければならなかったイエス様を思い起こしてください! もし人間達に対して憂いを抱き、恨みを持とうとしても、地を打ち鳴らして泣いても、30年の遺恨を解消することはできず、受けた苦しみを報いる方法はないでしょう。しかし、イエス様は当時の人類が悪魔の支配下で苦しむことを心配し、憐れみの心情でありながら、十字架に釘付けになる死の場所でも裏切られた民族、裏切られた弟子、裏切られたすべての人類のために祈る方でした。

人類への憂いを持たれたイエス様であったため、彼はこの地上の祖先達の4千年の歴史に訴えても、当時のすべての人間に訴えても、彼らの友人になることができましたし、反対した民族のために自分を打ち、反対する敵対者のために祈ることができました。これは4千年の人類の歴史において存在し得なかったことです。また、これは天と地に悔恨した罪の壁を取り壊すための天宙的な冒険の行為であったことを、皆さんは知るべきです。

イエス様が全能の王ならば、皆さんはその全能の王の王妃となるために、その約束を信じて死んでも生きても、すべてを御意に委ねて生活しなければなりません。

イエス様はこのような道を歩まれました。イエス様の生涯はそのような生涯でした。イエス様の希望は御意のために生き、御意のためにそのように死ぬことでした。

今、私達に求められることは何でしょうか? そして、私達が知るべきことは何でしょうか? 死の座においても人類のために祝福を祈って下さり、内面の悲しみを抱えて歩まれたイエス様を理解しなければなりません。地上で一つの意志を確立し、冒険の道を進んだイエス様の心を私達の心とし、イエス様の死を理解して、今日、私達が天宙的な冒険の道を通してイエス様の心の中にあった憎しみを解き放たなければなりません。

イエス様を信じる人々の中には、父なる神様に祝福を願う人々がたくさんいます。しかし、祝福を願う前にイエス様の胸中に秘められた悲しみを理解しなければなりません。さらに、イエス様の生涯と十字架の路程を知るべきです。人類が知らない、イエス様と神様だけが知っている冒険的な路程の悲しみがあったことを、今日、皆さんが知り、イエス様が語ることのできなかった内なる悲しみの心情を理解しなければならないのです。

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ですから、「主よ!私達があなたと歴史的な全ての憎しみを解き放ちますように、私達を鞭打ってください。歴史的な全ての民族を通じて成し遂げようとされた、あなたの御心を成就できるように導いてください。そして、私達が倒れることなく、天宙的な歴史を代わりに成し遂げ、数多くの先祖が残した憎しみを解消する冒険的な献身となるように導いてください。」と言えることが求められるのです。

今、私達が望む希望は、イエス・キリストが地上に遺した御意を成し遂げることです。極限に達したイエス・キリストの御意を再び成就しなければならない運命が私達の運命であると言う事です。歴史は個々の冒険的な使命を経て、家庭を通じて、社会を通じて、国を通じて、世界を通じて進んできました。そのため、キリスト教徒の中で個人がその意志を成し遂げようとする際には、その個人の行程に冒険的な試練が加えられてきました。家庭も同様であり、社会も同様であり、国も同様であり、世界も同じでした。今、そんな冒険的な試練が皆さんの前に置かれていることを皆さんは知らなければなりません。だから、今日、皆さんは冒険的な生死の分かれ道と天宙的な審判の前に立っている私の一心の冒険、私の一心の生命を代わりに、民族の生命を代わりに、世界の人類を代わりに冒険的な献身として捧げることができなければなりません。

そして、過去の先祖達の歩んできた生涯の道とイエス・キリストが歩んだ生涯の道を、今日私達がどんな時代、どんな状況でも見習って歩めるようにしなければなりません。さらに、どのような人がどのような条件を提示しようとも、超現実的な自己を立てて天宙万象の前に訴えることができ、天の御心を代わりにする者として立ち上がる覚悟と度胸を持たなければなりません。

今や再臨の日が近い現代において、あなた方は6千年の歴史の最後に残された唯一の天宙的で冒険的な使命を果たさなければなりません。その使命が天宙的であるなら、あなた方も相対的に天宙的な存在とならなければなりません。ここで冒険的、内面的な覚悟を持たなければ、その使命を遂行することはできないと言う事をあなた方は理解しなければなりません。

神様の御心が私達の信仰生活とは異なる場合、どうなるでしょうか? 今までの超現実的な冒険の努力によって、神様の歴史は進展してきました。

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このような天宙的な冒険の関門を通らなければ、最後の勝利の旗を掲げて父なる神様の前でホザナを叫び、天宙的な花嫁の立場に代わる存在となることはできません。そして、どのような条件にも縛られず、またどんな環境であっても迫害や非難に耐えることができる唯一無二の天宙的な冒険の基準を築く天の王子王女にならなければなりません。

このような王子王女になる覚悟を持った者こそが神様の計画を最終的に勝利し、その栄光を顕示できるキリストの花嫁であることを、皆さんは理解すべきです。一緒に祈りましょう。









「文鮮明先生御言葉選集 1 - 18. 希望の天国を所有する者たち 1956年12月16日(日曜日)、前本部教会。
聖書拝読 マタイによる福音書11:1-15


<祈祷(Ⅰ)>
 愛のお父様! 一週間、貧しいものを受け入れ、細やかに心配してくださったお父様、私達の一日一日が自分達の思い通りにならないようにしてください。私達が願うことも、私達の意のままになることはないように、賜わった恵みを思い起こすとき、お父様、心から感謝いたします。

今日、幼い姿でお父様の前に出て参ります。まず第一に、私達の心と身体が東方の三博士が捧げた金や乳香や没薬のような供物にならなければならないことを知っております。最初に、私の心と身体を差し出させてください。聖壇の前で嫌われる姿にならないようにお許しください、愛するお父様、心から願っております。

これらのことを呼び起こすために努力されたお父様は、6千年の長い道のりを経てこられたことを知っております。

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私達一人一人が重い使命を持ち、人類の前に立たされたといえるでしょうが、私達一人一人が天の全体の信仰を代表して喜びを示さなければならないことを知っております。


選ばれた目的は、ますます理解するにつれて、足りないものを再び求めたことを思い起こすほど、私達の不十分さをお父様の前で告白せずにはいられません。私達のあらゆる意識や概念、自己主張をすべて捨てて、お父様の前にへりくだっていますので、お父様、お支えください。

死の波は時を超えて動いていますが、その中で子女達を探し求めておられるお父様、お父様が私達に恵みを与えてくださるのは私達が立派だからではないことを知っています。お父様の悲しみがキリストが再びこの地においでになる日まで続くことを知っています。

お父様、全てを委ねますので、心と体を完全に主管してください。

この集まりがただ人々が集まるだけのものにならないように許してください。6千年の歴史を背負い、お父様のお辛い心情を慰めるような姿になることを許してください。私達が一つの供物としてすべての聖道と共に喜びをもって崇拝できるように、三位一体が私達の心と体を完全にお預かりください。愛するお父様、心から願い求めます。

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お父様、この三千万の民族を憐れんでください。この民族を愛するために長い歴史の中で努力されたことを知っています。私達を選んでくださる時には知らない苦労があると知っています。

祭壇を築き、お父様と深い縁を結ぶ中で、民族を代表して訴えるあなたの子供達がいることを知っており、彼らに感謝せずにはいられません。彼らの前で新しい世界の歴史を起こし、衝動の歴史を起こしてください。一つの民族を代表して一人で責任を持ち立ち上がれる、天の前に責任を負う革命家として立ててください。愛するお父様、心から願い求めます。

民族の怨みが天に掲げられていることを知りますし、地上の人類の怨みも天に掲げられていることを知っています。この天の悲しみを代わりに背負う者がいないことを天が嘆いていることを知るならば、今日ここに集まった子供達に、この地上、この全ての天地にたたえられた怨みを代わりに解放して差し上げるために、お父様の前で懇願する子供達となることをお許しください。悪魔の前でお父様の代わりに戦うことができる子供達となることをお許しください、お父様、心から願い求めます。

心と体が一つとなり、調和しながら一つの意志を持ち、お父様の恩寵を歌うことができるように許してください。解放の恩寵に感謝し、礼拝することができるこの時をお許しください、私のお父様、心から願い求めます。

新しい御言葉を持って各地で戦う子供達がいますので、どこにとどまっていても、お父様と共にあってください。頼るべきはこの地上に何もありません。ただ天の許された恩寵に頼ることしかできません。多くの敵から嘲笑されながら戦わなければならない天宙的な運命に入ってしまったのです。お父様、激励してください。

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この日も同じ恩寵として、ここに集まった人々の心と体に満ちあふれるほどの天の恩寵を注いでください、お父様、心から願い求めます。あなたの志を代わりにして孤独な場所でお父様の前で心配の祈りをしている子供達もいますので、彼らの心を守ってください。

分け与えていただくこと、許されることの恩寵を下さいますように、切にお願いいたします。この一時ここに臨んでください。主の御名によりお祈り致しました。アーメン。


<祈祷 Ⅱ>
時代を経て世紀を渡り終末の時まで努力しながらご苦労されて来られたお父様。お父様のご苦労の志がこの地上で早く成就することを望む私達が、お父様のその努力を地上で引き継ぎ担うことができるようにお許しください。

お父様の聖断を中心にして敵対的な使命を引き継ぎ、地上でイエス様に代わって悪魔と戦う勇敢な子女となるように許してください。お父様、熱望しております。

この日与えられた御言葉を読みました。イエス様のために歴史的な使命を帯びて地に来た洗礼者ヨハネがイエス様の前に証し的な使命は果たしましたが、敵対的な人々の心を終えるようにして差し上げられなかった事実を私達は知っております。

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この場に集まった聴衆、ひれ伏すあなたの子供達、自らの一つ一つを省みさせてください。自らの一つ一つをお父様の前に明らかにすることをお許しください。自らの一つ一つをすべての人々の前に掲げて、世紀末的な神様の使命を代わりに果たす姿になるようにお許しください。そして、この時代に天が要求される敵対的な使命とお召しの御言葉に従順な、忠実な者達になるようにお許しください。

御心の時は限られておりますが、人々は悲しいことにこれを知らず、無限に希望を抱いています。また、今日のこの瞬間で生死が決まるということを知らない哀れな人々が多くいます。お父様、初臨の際に洗礼者ヨハネが現れて証言した時の残された内容をここに集まった子供たちが心に刻むことをお許しください。

今、私たちが心を開いて天の内的な祭壇を築けるようお許しください。そして私たちの体を悪魔に対する勝利の供え物としてお父様の前に自信を持って差し出せる息子娘達にしてください。天は自信に満ちた勇敢な勇士を求めておられ、卑屈で卑劣な者が敵の前でひざまずくことを望んでおられないことを知っております。ここに集まったあなたの息子娘達が、御心のためであれば命さえ投げ出すことのできる天の勇士となれるようお許しください。今やそのような勇士が必要な時が来たことを知っています。

天倫の御心を担った洗礼者ヨハネと彼に従った群衆が天の内的な心情に燃え上がり、堕落したユダヤ教全体と対立して新しい事実を展開したように、今日私たちを通してこの民族の前に哀れみの愛の光をお示しください。どうかお父様の摂理の御手を引かないでください。

この民族のために築かれている数多くの祭壇を、お父様、祝福してください。また、すでに確立された教団に固執し、新たな供物とならずに隠れた祭壇を築く、あちこちにいる多くの子供達をお許しください。

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多くの人々の中で孤独な群れを呼び寄せてくださったお父様。いえ、行きたくて行くのではなく、行かねばならず、それゆえに厳しい道であることを自覚致しております。開拓者の志で戦いの一路を切り拓き、天の戦士として進まねばならないことを恐れることなく、お父様、あなたの御座に跪いている幼い子ども達を抱きしめてください。

彼らの歩む道が、お父様の志の道であるならば、荒れ地の道も恐れず、険しい山頂も恐れません。体が引き裂かれ、傷を負うことさえ、ただ一つの志を中心にし、すべてを切り拓くことができるようにしてください。彼らの心にはただお父様の導きの恩寵だけをお示しください。

この時、多くの言葉は必要のない時です。心を動かして天情に到達すべき時であり、心が動いてお父様の心情を中心にし、全体の家族が調和する時です。お父様、ここに伏しているあなたの子供達を、自ら内外を備え、お父様の心情を代表する本来の人々として立ち上がらせてください。それを切に望み、願っています。

お父様! 孤独な道を辿っているかわいそうな群れに慈悲をおかけください。民族のすべての不十分な点を許し、お父様が背負われた使命を完全に果たせないことをお許しください。熱心に集まったお父様の子供達を励まし、お父様がお立てになったのですから、どうか戦いの最前線で疲れることをなくしてください。

お父様! 彼らが御志のために命を捧げ、戦って戦って勝利の日を勝ち取るまで、変わらぬ信仰を与えてください。不変の一つの中心を備え、敵に投げ捨てられる爆弾のように、環境に動じず、お父様の御旨の勝利のために敵の前で爆発できるようなお父様の子供としてください。お願い申し上げます、お父様、熱望しております。

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今、御言葉を持って出て行きましたので、お父様、共に有ってください。一つの心を中心にして動くようお許しください。天を心配しながら、自らお父様の心情を見つめる中で、性別を超えて自己を捨て、すべてをお父様の前にささげることができるよう、私達をお許しください。お父様が許容できない人間的な要素や個人的な関心と心情が今も生活の中で何を支配しているか、もし何かあるならば、お父様の力で、再創造の御手でお導きください。

お父様の前に自己を糾(ただ)して、謙遜な献身として伏して自己を告白できる喜びの時をお許しください。心からお願いいたします。すべてをお任せしましたので御心に従って主管してください。あなたの御名に寄ってお祈り致しました。アーメン。


<御言葉>
「希望の楽園を所有する者達」というタイトルで、皆さんと共に考えたいと思う内容をお伝えします。神様の創造理想を考えると神様自身も非物質世界の楽園を望まれたでしょうが、皆さんが直接的に体感できる具体的な世界での楽園を望まれ万物を創造されました。これは皆さんがよく知っていることでしょう。つまり、神様は天国と地上の世界が神様とアダムと太陽を中心にして成り立つことで、霊的な楽園と物質的な楽園の栄光を見るために物質世界を創造されたと言う事です。

しかし、人間の過ち、すなわち人間の堕落によって神様がこのように望まれていた天国と地上の楽園は痕跡もなく消えてしまったことも皆さんがよくご存知の通りです。このような天国や地上の楽園は神様のために造られたのではなく、人間のために造られたものでした。

アダムとエバを中心にして地上で楽園を築き、地上で楽園の生活をしていた人々が永遠の天国の世界に入り暮らせるようにすることが神様の天地創造の目的でした。しかし、アダムとエバの堕落によって、霊的な天国と物質的な地上の楽園は失われ、天国の世界と地上の世界は悪魔によって神様の前で非難される悲しい世界になってしまいました。

堕落後、地上はもちろんのこと、天上の玉座の下まで悪魔の活動範囲となりました。だからこそ、悪魔は霊と肉の世界の人々を讒言してきたのです。現代の人々の中には、悪魔がこのような権限を持って動いてきたことをよく知らない人もいます。

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アダムとエバを中心にして、神様の栄光の万物創造を歌い楽しむべきだった地上の楽園が、人間の過ちにより悪魔の前に完全に陥落してしまったことは創造された私達人間の堕落はお父様である神様の前で悲しみを引き起こす結果となりました。この事実を皆さんは骨身に感じるべきです。

神様はこのように汚れた地を再び回復するために、残された天使達を通じて人間との関係を築く救済の計画を進めておられます。堕落によって聖なる神様を背信した立場にある人々、万物に比べても比べ物にならないほど遠くにいる人々に対して、神様は再び向き合ってくださるために救済の計画を進めておられるのです。悪魔に支配され、讒言される人間を神様が主管されるために、歴史を辿り、旧約時代を経て新約時代を経て、今も進めておられます。

旧約時代では、主に神様が自ら歴史を進め、神様の栄光によって自ら人間と対話する時代でした。しかし、その計画が完遂されなかったため神様は悲しみを抱えられ、第二段階として天使達を通じて人間を導く道を開拓しました。これが旧約時代の救済の歴史であると言えます。

旧約時代では使徒のような立場の使命者としてノアやアブラハムが立てられ、神様の御意を伝える使命を果たしました。この闇に覆われた地上の諸民族を親なる神様が直接対話できる場所に導くために、アブラハム一族を選び、イスラエル民族を興されました。こうして、イスラエル民族を通じて、人々が徐々に神様に近づける道を開拓していったのです。

そして霊界では、天使達が歴史を進めるための一つの基準を定められました。アダムとエバに対する神様の意志を完成させる基準を持つことで、父なる神様と直接に対話できる勝利的な領域を築くために、イエス様が来るまで4千年にわたって努力されたのです。皆さんはこれを理解する必要があるでしょう。

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使徒の立場の使命者しか相対できない立場にある人間を神様の御子が相対できる立場に高めて下さった方がイエス様であり、授かった福音が新約の御言葉です。そのため、イエス様以降の人々はイエス様を通して神様に相対できる立場に置かれるようになったのです。神様の愛を直接受けるべき人々が堕落して神様の愛を直接受けることができなくなった結果、6千年の歴史を経て今も私達が望んでいるのは、息子としてのイエス様の愛を受けた後に神様の愛まで受けられる位置に立つことなのです。

御子(みこ)の愛を受けて創造世界を実現し、愛を中心に幸福を得ようとされた神様と同じ境遇であり、実体を持った息子娘となる必要があるのです。霊的な側面だけでなく、この実体が神様が直接愛し得る位置にまで進むべきなのです。このような使命は人間が堕落した結果、私達に残された使命であると言う事を皆さんは理解すべきです。

イエス様はこの地に来て、人々を神様の愛を受け得る位置に置く使命を持っておられました。それも霊的な側面と肉体的な側面を含めてイエス様と同じような御子の立場から神様の愛を受けることができるようにするためでした。このような使命を持ってイエス様がこの地においでになったのですが、人々が信じなかったために、イエス・キリストは人々を霊的にも肉体的にも神様の愛を受ける位置まで導く使命を完遂することができませんでした。ただ霊的な面で私達を息子、娘として立てる位置にまで開拓されたのです。

それでは神様の復帰の最終的な目的は何でしょうか? この地上において、霊的で肉体的な実体を持つ人々が神様の愛を受けて生きることができる心情基準を完成させることです。

この目的を達成するために、イエス様が帰られて後の2千年間にわたってイエス様に代わって歴史を進めてこられている方が聖霊です。聖霊はイエス様が帰られた後も今も歴史を進めておられますが、神様の創造理想の御志を完成させる目的において、地上に直接的な足場を築く歴史を進めるのではなく、私達が彼を通じて天に向かい進むことができるようにする橋渡しの役割を果たしていると言う事です。これを皆さんはよく理解する必要があります。

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それでは、地上で天国の生活をすることができる人々はどのような人々なのでしょうか? 無限の霊界、天上天国で暮らすことができる霊的な存在はどのような存在なのでしょうか? 地上でイエス様と聖霊の愛を受け、それを超えて直接お父様の愛を受け、お父様と共に生きながら愛の理想を中心にし、和合の勝者となった人だけが住むことができる場所が地上天国であり、永遠の天上天国であると言う事を皆さんは知っておく必要があります。

神様の創造の基準から見ればそんな心情的位置が希望の天国というものです。これを私達が認めるならば、今を生きている皆さん自身はどの程度に神様の創造目的だった希望の天国を望んでいる姿なのかを考えてみる必要があります。

ヨハネの黙示録14章1節には、小羊がシオンの山に立っており、彼と共に14万4千人が立っているが、その額には小羊の名前と父の名前が書いてあるとあります。

今日の世界にあるクリスチャン達が望む天国の恩恵は何を基準にしているのかと言えば、花婿と花嫁の恵みを基準にしているようです。それだけがすべてだと思っていることです。しかし、それと共に14万4千人が立っており、その額には小羊の名前と父の名前が書いてあるというように、父の名前が問題です。

今日、皆さんが花婿となったイエス様を信じ、花嫁の資格を備えた後にはイエス様の愛に留まることではなく、そのイエス様の愛を基盤として、6千年間自ら人間を愛することができなかった神様が直接愛されるその愛を受け取る事が出来る心情的位置にまで進まなければなりません。

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これこそが神様の摂理の全体的な目的であり、イエス・キリストを送って2千年間御苦労して来られた目的であったにもかかわらず、今日の聖徒達はこれを知らないでいます。

それでは、今日の私達はいつ、花婿と花嫁の立場を超えて勝利した永遠の実体として地上から天上、すなわち永遠の天国に行きお父様の愛を中心にして交わることができる実体となるのでしょうか? 皆さんはこのような愛の縁を持たなければなりません。これこそがイエス・キリストの目的であり、神様が摂理される目的です。

皆さんは今まで花婿と花嫁の愛を望み、信じながら進んできました。これからは、イエス・キリストの手を握り、お父様の前に立ち『お父様!望まれた6千年の御意を私達が成し遂げた立場でお目にかかります。』と言うような立派な存在にならなければなりません。神様の創造の目的がこれであると思えば、「お父様!自ら愛してください」と言うことができる皆さんになるべきです。このような人々を霊的世界で見つけるだけでなく、実体の世界で見つけるまで神様の摂理は終わることがないことを皆さんは知るべきです。

イエス・キリストがこの地に来て、霊的な子としての愛の権限を得られる希望を創り出したため、地上の人々がイエス・キリストとの関係を結び、一つに和し、その愛の権限を引き継ぐならば、霊界で人間の罪を条件にして非難していた悪魔達も、地上で人間の罪を条件にして非難できなくなると言う事です。

神様が創造されたアダム・エバを悪魔が奪い去りましたが、霊だけを持ち去ったのではなく、霊と肉を合わせて持ち去ったため、天の側からはこの霊と肉を合わせたアダム・エバを悪魔から取り戻して、神様がご自ら愛される道を開拓するために、今日私達、信仰する聖徒達を立てられたことを皆さんは念頭に置かなければなりません。

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イエス・キリストは、この驚くべき宇宙の創造的理想を中心基準として、この地において姿を現しました。そしてイエス・キリストは最後の戦いの基準をどこに置いたのでしょうか?  それはイエス様を追った聖徒達が神様の霊的な愛だけを受け取ったに留まっていたために、彼らが霊肉をあわせて神様の愛を受け取ることができるところに置いたのです。霊肉をあわせて神様の愛を受け取ることが希望であるため、霊的な救いの摂理だけを行ったイエス様は天に行っても地上の私達人間のために祈らなければならないのです。

このように、イエス・キリストの希望がまだ地上で完全に実現されていないため、イエス様を中心にした12使徒以下の楽園にいる多くの霊的な存在がこの一つの希望を基準に総動員されていると言う事を皆さんは知るべきです。

今日、終末に直面している私達には、摂理の中で協力していた天使達の努力の成果が残っています。その他にも、多くの使徒達の努力の成果が残っています。このような歴史的な努力のすべての成果と条件を私達は今日責任を持って受け止めなければなりません。過去の神様の摂理の心情に代わって努力し、協力した無数の聖徒達と、イエス様以下の霊界にいるすべての霊的存在の怨恨も私達が解怨してあげることが必要です。

終末に直面した私達は、過去の歴史を代表して神様の前に立つとき、イエス・キリストの認めを受けなければならず、聖霊の認めを受けなければなりません。そして、イエス様と聖霊の認めを受ける段階を経た後、三位一体が皆さんが神様の前に進むことを許可するかを決定することになるでしょう。このような段階まで歴史が進んでいるのが新約摂理だと言う事を皆さんは理解する必要があります。

ここでの「認定(承認)段階とは何かと言うと、 結婚式の婚約の段階と言えます。 決定段階とは何かと言うと、 私達が花嫁として祝福式に出る資格を備える段階と言えます。 それでは最後に残る段階は何でしょうか?  それは「判断(判定)段階 」です。 この段階は、神が人間たちに対して、私の愛する者、永遠に共にする者、創造以上を望み願っていた永遠不変の存在として、神様の愛を受ける存在として、神がご自身の手を上げて万物の前に宣言される日を迎える段階です。 これが「和の判断の段階 」です。

     54

神様は今まで6千年間を秩序を立てていらっしゃいましたが、まだ天宙的な審判の日を迎えることができませんでした。 この一日を基準として下さることが審判です。

皆さんはこのような審判の門を通って、神様がアダムに「万物を統治せよ」と祝福されたその祝福を継承しなければなりません。 そして、天の民として立ち上がり、「お父様!愛しております。 私のこのような歴史的な状況をご覧になり、キリストの希望の志、聖霊と神様が望まれる志を知りました。 お父様、祝福してください。」と言える皆さんでなければなりません。 このような人物が終わりの世に現れなければならないと言う事です。

そのような人を導き出し、判断された後に、万物も私達を神様の子供として仕える必要があることを知るでしょう。神様と神様の子の関係を築いた後には、悪魔は服従します。

このような歴史的な経緯を前にした皆さんには、自らを判断し、どのような位置に立つべきかが問題です。最初にイエス・キリストの認知を受け、次に聖霊の認知を受ける立場に立つ必要があります。これを歴史的な経緯に照らしてみると、認知の段階は旧約時代であり、決定の段階は新約時代であり、判断の段階は(再臨)成約時代です。

今日まで歴史は数多くの段階を経て、縦的に進んできましたが、今度は縦横に広がる歴史がやってきます。6千年間にわたって認知的な経緯、決定的な経緯を経て、判断的な経緯に向かっている私達は、縦的に流れてきた歴史と世紀末的な横的な歴史を経て進んでいかなければなりません。

     55

神様の歴史は悪魔との戦いの歴史でした。6千年間、悪魔と戦ってきましたが、まだ決着がついていません。多くの先志先駆者たちが来て努力しましたが、地上で神が要求した志を達成することはできなかったのです。このようにして達成されなかった多くの先志先駆者たちの意志が地上で実現されています。皆さんは適切な時期に立ち上がらなければなりません。

終わりの時代には、皆さんには知り得ない数々の奇妙な現象が起こります。私はエリヤです。と言う人物も出てくるでしょう。そのような時が訪れるでしょう。私はエリヤです。私はモーセです。私はパウロです。と言う人物、またはサムエルと言う人物も現れるでしょう。このような現象が起こる理由は、再臨の原理によるものです。つまり、彼らが遺した使命を完了させるために、再臨をしなければならないからです。

彼らが再臨の過程で神様の志を中心にして悪魔と戦いましたが、勝利の基準を確立できなかったため、彼らの使命は後代にまで延長されています。そのため、彼らの使命を引き継いだ人々が現れるのですが、彼らは自分がパウロだ、エリヤだと言う事を知らずにいるため、そう名乗っているのです。

今、終わりの時代に立っている私達が理解すべきことは、6千年間の認識的な経緯と決定的な経緯、そして判断的な経緯をすべて一挙に超え、霊と肉が融合した一つの実体として通過しなければならないと言う事です。そうでなければ、歴史の過程で捕らえられた悪魔の讒訴条件から逃れることはできません。それによって、天の前に進むことができる出来ないが決まるのです。

いまこそ皆さん、終わりの日の聖徒たちは心情を広げなければなりません。天の無限の世界、私達が理想として創造された永遠の理想天国を、現代の地上の人々が見つけなければなりません。天にいるイエス・キリストを通して探すのではなく、地上の人間を通して探すことを理解しなければなりません。イエス様と聖霊は天上に存在し、物質的な存在ではないため、その天国の理想を地上で実現することはできないのです。ですから、物質的な実在を持つ神様の子女たちが地上において永遠の理想天国を実現しなければなりません。6千年にわたる歴史的な過程を経て、悪魔が讒訴していたそのすべての条件からも解放されなければなりません。

     56

アブラハムが三つの犠牲、つまり鳩と子羊と子牛を捧げる際、子羊と子牛は切り分けたが、鳩は切り分けなかったため、天が受け入れることができなかった。皆さんはこのようなことを繰り返してはいけません。

皆さんは最後の聖別の門を通過しなければなりません。自分の肉体の罪、すなわち道徳的な罪や遺伝的な罪、血統的な罪、歴史的なすべての罪を正確に認識し、踏みしめて上昇しなければなりません。そのような人にならなければ、万物を支配すると語られた神様の志を成し遂げる、神様の子である息子や娘にはなれないと言う事です。

皆さんは、天川繁星(てんせんはんせい)運行の歴史をよく知っているでしょう。現代の皆さんは個体的な存在ではありません。神様は皆さん一人一人を大切にし、皆さんを愛していますが、その愛は皆さん一人のための愛ではありません。6千年にわたる帰還途中で労苦した先祖達の成果として捧げられる愛なのです。

今この終わりの日に皆さんが、神様が直接自分を愛しているという声や命令を受けたとき、それが自分個体に留まる愛だと思っていたら、大きな誤解です。皆さんがその愛を受けるまでには6千年もかかったのです。ですから、その愛は歴史的な愛であり、6千年の歴史の成果を目的とした愛なのです。皆さんはこれを理解しなければなりません。

従って、その存在は神様の資質に似ており、歴史的な目的の前に残ることのできる愛の性格を持つ必要があります。このような基準に従って、神様は闘争の歴史を展開してこられたと言う事です。

     57

「イエス・キリストは、4千年の帰還の歴史が経過した後、1つの愛の実体として現れるとき、多くの宗教や多くの民族を統合し、成果を上げることができる1つの実体として天が神を立てられたことを知りました。そのため、イエス様はユダヤ人達に福音を伝える際にも自らの主張を述べなかったと言う事です。」

イエス・キリストは、4千年にわたる復帰の歴史を経た後、愛の実体として現れ、数多くの宗教や民族を一つにまとめて結実させる存在として、神によって選ばれたことを理解していました」。そのため、イエス様はユダヤ人達に福音を伝えるとき、自分自身の意見を伝えたのではありませんでした。イエス様が語った福音は、4千年に渡る歴史の中で多くの先知先烈たちが苦労されたことを背負い、その代わりとして実体として語ったものでした。

そしてイエス様は、福音を一時的な立場で伝えませんでした。イエス様はその時の全ての人々だけでなく、未来永劫の人々まで神様の愛を受け取ることができる福音を伝えようとしました。そのため、人々が永遠に神様の御旨を継承していると言うならば、その継承されているすべてのものはイエス・キリストにより為されたと言う事を皆さんは知らなければなりません。

皆さんの働きは天地に代わる働きです。皆さんが神様の真の子女となることは、イエスと聖霊の希望であり、天上の無数の聖徒達の希望でもあります。彼らは真の子女が地上に現れ、一つの勝利の基準を確立することを望んでいます。また、そのような基準を確立した神様の子女、真の実体が現れることを願っています。これらの事実を私達は理解するべきであり、自己を極微々たる存在として考えてはいけません。この観点から、皆さんはイエス・キリストが「全世界を得たとしても、自らの命を失えば何の利益があるでしょうか」、と言われたことを理解する必要があります。

信仰を持っているクリスチャン達、今ここに集まった信仰者の皆さん。皆さんはどれだけこのような天宙的な価値を感じてきましたか? 自己が変わらない神様の子であることをどれだけ認識してきたでしょうか。この意味で、イエス・キリストが「私は神様の子です」と自信を持って叫んだことは、今日のキリスト教徒が見習うべきひとつの標語です。

歴史の終末期である今日、自らを「変わらない天の子である」と宣言できる存在、天の前でも悪魔の前でもどんな人の前でも変わらない神様の子、神様の娘であると言える存在をイエス様は求めています。このような存在をイエス様が要求しているのです。

     58

皆さんはこれまで数十年間、信仰生活をしてきながら、信仰的な生き方の基準を築こうとしてきました。しかし、天は歴史の舞台で天宙的な使命を果たすことができる人、神様の子であると自信を持って言える人を探し求めています。自信を持って堂々と神様の前に立てる息子や娘を求めているのです。

無謀な悪魔の中傷にも屈せず、天使がやってきて押し出そうとしてもそれを阻止でき、イエス様や聖霊がやってきて押し出そうとしてもそれを防げる人を探し求めています。

イエス・キリストは4千年の歴史を代わりに背負って十字架を担いで血が流れ、運命を受け入れる瞬間まで、「私は神様の子である」と変わらぬ心を持ち続けました。運命の時、天が自分を知らないと言っても、イエス様は4千年の帰還の歴史を深く感じていたために変わりませんでした。

神が造られたすべての被造物の中で、神様の子であり、霊と肉体の両方を備えた神様の子女はそれまで存在しませんでした。イエス様はこの世界の悲しみにぶつかり倒れ、また倒れる中で自らは「神様が愛される子である」という認識を持っていました。この認識を持ってイエス様はどんな困難にも立ち向かい、堂々と戦い続けたのです。皆さんもこれを知るべきです。

このような希望と志を持ってこの地においでになったイエス・キリスト、この希望と志を人間の世界で実践すべきイエス・キリストはどうなったのでしょうか? 考えもしなかった十字架がどうして起こったのでしょうか? 皆さんがもしイエス・キリストの心情に共鳴できる立場から、どれほど地を打ち鳴らし、万物を呪っても、その悲しみは解消されないでしょう。

     59

長い歴史を経ても、人々は神様の心情を無視し、神様の御心を捨て、神様に対して背信してきました。そのため、神様の帰還原理により、イエス様は人間の代わりに神様からも捨てられた立場に置かれました。

イエス様は「アバ、父よ、どうして私を捨てられましたか」と仰られ、十字架に向かわれたのは、私達の先祖アダムからその後4千年間、人間が神様に対して背信し犯した罪の償いのためでした。人間が神様を背くことによって、帰還原則により、神様はイエス様を捨てるしかありませんでした。

しかし、イエス様は天に背くことはありませんでした。神様の子は悪魔の世界に捨てられても神様の子であり、神様の子は地獄に行くとしても神様の子です。このような中心を持ち、30年以上の生涯を捧げて労苦されたイエス・キリストでした。

今、このようなイエス様を信じている皆さん。花婿となるイエス様の前で花嫁となるために信仰を持って進んでいる皆さん。皆さんは6千年の歴史を代わりに果たす神様の子として立つべきです。神様の前で悪魔を見事に打ち破ることができる人を天が求めていることを知らなければなりません。

これまでの歴史的な多くの聖徒たちは、なぜイエス・キリストや聖霊までもが悪魔の試練を受けなければならないのかと考えるかもしれません。それは、霊と肉体を備えて完結させなければならない使命がまだ完結されていないからです。

     60

では、これまで2千年間、イエス様と聖霊が悪魔と戦ってきたこの闘いはいつ終わるのでしょうか? 神に対する悪魔の中傷がいつ終わるのでしょうか? それが終わるためには、イエス・キリストの様に実体を持ち、地上で4千年の歴史を代わりに果たして罪と悪魔を打ち破った神様の子であると自信を持って語る心情を持った人が現れなければなりません。そうでなければ、6千年間神に対して中傷してきた悪魔を打ち破り、またイエス様と聖霊が悪魔と戦ってきた闘いが終わることはありません。これをキリスト教徒は知らなければなりません。知れば、そのようなことなのです。

楽園にいる哀れなイエス・キリストは、今日まで罪深い人々を見つけ出さなければならない運命に置かれています。あなたが祈る事をしない時でも、イエス様は祈らなければならないと言う事です。聖霊も休むことができません。神様も休むことができません。このように少しも休む時間のない歴史を経て現在に至っているのです。

今、私達は神様の子であるという意識を持ち、「神様の威厳とイエス様の威厳と聖霊の威厳が私によって立ち上がれるように」と祈るべきです。皆さんは神様の威厳を立ち上げなければなりません。イエス様の威厳を立ち上げなければなりません。聖霊の威厳を立ち上げなければなりません。

人類を愛すべき天倫の縁を持ちながらも、人類を愛せない悔しい立場にある神様は、内面的にまさにそのような条件に囚われていたのです。

もしも、神様が天の世界を代わりに誇示できる資格を備えた私の子供であると、神様自身が仰ることができる存在が現れるなら、ただ現れるだけでも、その時には悪魔は訴えることができません。その時には悪魔は訴えることができないと言う事です。

     61

イエス・キリストが「私は神様の子です」という意識を持っていたように、今、イエス様と聖霊の労苦を受け継いで、6千年の歴史の終わりの時代に、天宙全体に向けて、神様とイエス・キリストの望む志がこれです。私は歴史を代わりにする神様の子です。私だけが神様の子であると言える聖徒たち、このような観念を求めて進んでいく聖徒たちが、この国、韓国に多数いるのならば、そのような聖徒たちが世界のどの国よりも韓国を中心の国にするでしょう。

今や私達は神様の子としての意識を完成させ、勝利の日をお父様の前に披露し、悪魔の前で自慢できる存在、天がこのような存在を求めておられることを知らなければなりません。

現在までに6千年の歴史が経過してきましたが、神様は肉と血が完成された唯一の存在を悪魔の前に立たせ、「あなたがこれまで反対してきた人々の中で永遠に反対できない私の真の子を立てる。真の娘を立てる。あなたはこれに屈服しなければなりません。」と、それを言う存在がいなかったと言う事です。

天はこのような人を探しています。この使命を果たすために再臨主が来られると言う事です。このようなことを言う人は狂っていると言われるでしょう。考えるべきことは考えないで… しかし、これは事実です。皆さんはこれを知る必要があります。

6千年の歴史が経過した今日、私達は6千年の歴史的使命を決定し、判定することができる神様の権限を持ち、神様の代わりに審判する権限を持ち、鉄の杖を持ち、主が審判される時、主を受け止めることのできる人とならなければなりません。

     62

イエス様は自らが神様の子であることを知りました。その後、イエス様は神様の御志のために戦ったのです。「私は神様の子である。今まで気づかなかった、誰も主張しなかった神様の子である。」という自覚を持っていたのです。

「神様の子となった私は、神様の仕事を代わりに担うと自覚し、自信を持って立ち上がることができました。」と、今日までの歴史の中で数多くの先駆者がいましたが、その様に神様の子として神様の仕事をすべて引き受けようと語る人は一人もいませんでした。イエス様以外にはいなかったのです。それゆえにイエス様が救い主となったのです。

今日、終わりの時代にあたって私達は6千年の歴史を導いて来られたお父様の前に、「6千年の歴史を代わりに成し遂げる父の子である、娘である」として立ち上がることが必要でしょう。イエス様をご覧ください。お父様の仕事をする際には、失敗しても、死んでも諦めませんでした。

失敗しても、死んでも気にせず進まなければなりません。条件はありません、条件はありません。イエス様をご覧ください。悪魔を屈服させる道であれば、体はどうであれその道を進みました。これが神様の子となること、神様の仕事を担うことができる忠誠の精神だと言う事です。悪魔を屈服させる道があるなら、死も気にせず進んでいかれたのがイエス様でした。

この終わりの時代において、神様の仕事を担ったイエス・キリストが遺した遺産を私達が受け継いだと言うならば、私達は死んでも生きていても、悪魔を屈服させる道であれば、体が切り裂かれようとも気にしません。悪魔を屈服させる道を知り、その道に一気に進むことができる聖なる一団が現れたなら、この世界は神様の世界になり得るでしょう。

     63

神様の子として神様の仕事を担った後でようやく、神様の愛を受け入れることができます。神様の愛は戦いをして手に入れるものではありません。皆さんはこれを知る必要があります。

神様は平和と愛の楽園を創るために万物を創造されました。楽しみの中で万物と関係を持つために万物を創造され、楽しみの中で人間と関係を持つために人間を創造されました。人間が争い、悪魔が争う天地になることを望んで創られたわけではありません。それは天理法度の原則に反することです。そのため、人間を愛で引き上げるために、その愛の役割を神様が代わりにしているのです。そのため、人間はイエス様と神様を通じて天を目指し進むことができました。

「聖なる神よ!イエスよ!神よ!私に恵みを授けてください。」と言って祈り続けるだけでは恵みが奪われると言う事です。終わりの時代には神様の恵みが降りてくる時ですから、イエス様が再臨するのです。

今日の道の世界では登る道を開拓し、永遠に登る道を探し求める人々だけがいます。しかし、登ることだけを知っていてもいけません。その時期を通じて上りながら、再びその恵みを見つけて降りて来て成し遂げることができる人とならなければなりません。

今、私達は天の賜物を求め、神様の子であるイエス様を中心にして神様の使命を代行しようとしています。しかし、イエス様と聖霊に対して悪魔が戦っていたことは何かを理解しなければなりません。その悪魔を屈服させる手段を知らなければなりません。

     64

そして私達が特に越えなければならない頂きとは何かというと、神様とイエス様と聖霊に対抗して戦っていた悪魔を屈服させることです。そのためには、悪魔が戦っていた盾が何か、悪魔がどのように条件を立てて侵入してきたのかを理解しなければなりません。それを知ることで悪魔を自然に屈服させることができると言う事です。そして、それによって神様はあなたがたに対して「私の永遠の子である」と言えるでしょう。

では、悪魔はどのような存在なのでしょうか? 悪魔はどのような姿をしているのでしょうか? ここにも悪魔に似た人々が多いようですが…

私達の前には、私達が生きて進むことができなければ、死んで進むべき天宙的な運命の道があります。何億千万年かかっても私の魂が死なない限り、その魂によって進むべき道があります。永遠の命の境遇で生きてこの道を通り抜けなければ死んで進まなければなりません。過去の先駆者達も永遠の生を求めて一時的な問題を考えずにその道を進みました。

イエス・キリストも悪魔と戦うために荒野に立った時、一日断食するだけでは叶わないと思い、二日断食し、十日断食し、二十日断食し、四十日断食したのです。皆さんは一度撃たれた銃弾のような運命、爆弾のような運命、戻れない運命に置かれています。イエス様もこれを自覚し、その道から引き返すことはできなかったのです。統一教会に入られた皆さんも、戻れない道に入られたのです。これを心に留めてください。

イエス様も死の壁が立ちはだかるときには惨めでした。全ての民が背を向け、全ての人々が背を向け、イエス様を追っていた使徒達さえも背を向け、すべての人が背を向ける中で、哀れと言えばそれ以上の哀れはあり得なかったでしょう。しかし他の人々は引き返すことができるが、死の道からも引き返すことのできないイエス様の立場を皆さんは理解しなければなりません。

     65

今日、皆さんがイエス様を信じて天の意志を受け入れて進むことにおいても、このような決意を持ち、教会を導き、民族を導き、世界のために訴えるならば、神様の子女でないわけにはいかないでしょう。そのような覚悟で皆さんは神様の意志を代行し、神様の仕事をしなければなりません。

イエス様は霊界に行かれたからといって、休んでおられるわけではありません。霊界に行かれても、十字架の苦しみ以上の困難があろうと、私達を探すために、この地を探すために悪魔と戦っているのです。このような天宙的な試練と戦いが行われているとき、皆さんは「悪魔よ、来るなら来い、去りたければ行け。私は変わらず行く。」という気迫を持ち、試練を恐れることなく進まなければなりません。そのような人が神様の民であり、神様の子女なのです。

今、私達は神様の子女としてお父様を中心に家庭を築き、民族を築き、お父様が愛することのできる国家と世界を築き、さらには神様の前にふさわしい地上天国まで築かなければなりません。これこそが神様の永遠の御心であると言う事です。

このような歴史的なすべての事実を皆さんが知り、前後左右に悪魔が中傷できないように防御して、悪魔の侵入を撃退し、そして更には悪魔を屈服させることができる皆さんにならなければなりません。

創造の概念から見れば、ようやく実体を持ち、神様の愛を受けた子女となり、人間の前に支配される存在を堂々と主管できる人はどこにいるのでしょうか?そのような人になるまでは天国に行くことはできないと言う事です。それゆえ、まだ天国に行った人はいないと言う事です。楽園とは中間段階の霊的領域です。

     66

このような天宙的な運命の壁を乗り越えるためには、攻撃してくる悪魔を完全に撃退できなければなりません。そのような人にならない限り、神様の労苦は皆さんを通じて達成されないと言う事です。それゆえ、神様は今日までに悪魔を完全に撃退できる人、労苦の心情を理解してくれる真の子女を求めておられるのです。

もし人類が神様のこの一つの苦労を永遠に理解しないのなら、この地上での天国は実現できないと言う事です。霊的な領域でも天国は実現できないと言う事です。

もし皆さんが、お父様の前に進みたい願いがあるというのであれば、 自分だけで「何億もの悪魔よ、私のところへ来い。私が進む道を24億人の人間が反対しようとも、天地が反対しようとも私は進むであろう。」と言う事ができなければなりません。皆さんはこのような覚悟の下で、お父様の前に誓いを立てて進んでいかなければなりません。

自分の家族に苦しみがあろうと、民族に苦しみがあろうと、国家に苦しみがあろうと、全ての人類に苦しみがあろうと、何十億もの人々が統一教会を壊そうとしても、私はそこで崩れることができないという覚悟を持って進まなければなりません。行くか、行かないかを迷ってはいけません。進む道があり、行かざるを得ない立場にいる私達であることを皆さんは心に留めておかなければなりません。

今、悪魔と戦うために立ち上がったと言う皆さんは悪魔を打ち倒し4千年の歴史を代表して第2の勝利のアベルとして立てられたイエス・キリストが持っていた誓いと覚悟で神様の仕事を担い、戦うという責任感を皆さんは見習わなければなりません。イエス様がそのような覚悟と誓い、そのような責任感を持って戦ったからこそ、悪魔を屈服させることができたのです。

     67

今や肉体を持ち、実体を持った私達が悪魔を屈服させなければなりません。この地上にそのような山のような存在が現れることで、やっと6千年にわたる神様の労苦の心情も、イエス・キリストの労苦の心情も解放できるのです。

そして神様が主管される天も私達のものであり、神様が主管できる地も私達のものとなるのです。これは神様の創造目的なのです。皆さんはこのような神様の創造目的を達成するために地上で責任を持ち、戦って勝利する人だけが天国を所有できると言う事を知らなければなりません。


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御言葉選集1(16、17)

2023年07月22日 12時44分47秒 | 学習
文鮮明先生の言葉選集 1 - 16. 「世界の罪を背負って行かれた神の小羊を見よ」(1956年11月25日)
1956年11月25日(日曜日)、前本部教会。
聖書拝読 マタイによる福音書5:43-48、ヨハネによる福音書1:19-34


<祈祷(Ⅰ)>
 生命の復活を約束されたお父様、愛の恵みを許されたお父様、永遠の命を与えられたお父様! この日、遠くにおいでにならず、私達の心においでになり、私達の身体においでになり、私達の周りにおいでになるお父様! 私達はお父様の愛を崇拝する心を持っており、お父様の愛に浸りたい心を持っており、お父様の栄光を歌いたい心を持っております。

この時間、私達を訪ねてくださったお父様、喜ばしい栄光を示してください。そして私達も喜べるように、自己を輝かせて本心本性で動くことができ、万物とも調和できる栄光の雰囲気によって、この時間において各自の身体と心を正すようお願いいたします。

約束のお父様! この時間に臨ませてください。能力のお父様! この時間に現れてください。取るに足らない私達ですが、お父様の命令に従って進む時には、永遠の生命の領域を開拓できる力が湧き上がることを知っております。愛のお父様! この時間にためらわず、まず私達の心を通じて命じてください。私達の身体も通じてお命じください。

創られた本来の姿を再び見つけ出してください。そうしてその美をご覧に入れてお父様が楽しむことができ、天地万物の前に堂々と立ち向かうことができ、誇りに思える息子娘としてこの時間を守ってください、愛するお父様、切望しております。

    1

本日は聖なる日です。万民の生命を責任持たねばならない日ですし、死の権限にある敵の手に捕らわれているすべての生命の心と身体をお父様の前に導かなければならない日です。

この業務を責任持って遂行される方々は、イエス様と聖霊であり、この業務に協力する者達は天にいる無数の聖徒です。ですから、今日、地上にいる私達も団結してその一つの意思のために協力しなければならない残された使命があることを知り、お許し頂きますようお願い申し上げます。

お父様! 残された使命を果たせる力のない立場にいると言うならば、永遠に約束された祝福の意志を私達の心に持つことができるようにお許しください。また、私達を天の裁きの前に立たせてください。

悲しみを引き起こす哀れな子どもにならないように許可してください。お父様の心に幼く、お父様の徳性に幼いので、お父様が築かれた全体の意志を身体と心を通じてお父様がお話しになる前に成し遂げることができ、お父様が要求される前に行動することができ、お父様が望まれる前に実践できるお父様の子ども達となるようにお許しください。

お父様! まずはこの民族を祝福してください。民族を代表する団体を祝福してください。そしてここに集まっているあなたの子ども達を祝福してください。

    2

この御旨を万国の生命ある者達に告げ知らせてください。新たな生命の祝福をお許しください。すべての民にお父様の御意を悟らせ、民の生命の基盤を高めてください。その上で平和を齎すことができるようにお許しください、お父様! 切にお願い申し上げます。

ここにひれ伏した子ども達が、新しい心でお父様の愛と祝福を受けることができるようにお許しください。彼らの身体がお父様の祝福された栄光の美しさと、愛の美しさを備えることができるようにお許しください。

お父様の前にふさわしくないために悲しみを引き起こすことのある罪の苦い根を持つ子ども達がいるでしょうか? お父様、この時間に臨み、現れてください。そして直接的な御手で再創造の歴史を成し遂げてください。お父様、切にお願い申しあげます。

この一時、集まった子ども達の上に、お父様の豊かな恵みを示してください。地方に散らばって孤独な祭壇を築いている子ども達に、あなたの言葉を証明する同じ恵みとして、この時間において働いてください。私のお父様、切に願い、お望み致します。

個々の心の主となってください。個々の身体の真の主となってください。私達の身体を聖別し整えてください。許された恵みをこの時間に私達の身体と心に十分に満たしてくださり、全体の上に臨んでください。切に願い、お望み致します。
すべての御言葉を愛する主の御名においてお祈り致します。アーメン。

    3


<祈り(Ⅱ)>
  私達を集めて纏めるために努力されたお父様、私達は今日、この一つの聖殿を中心に集まりました。恵まれた私達の心と身体が一つになり、お父様の命令を代わりに果たせるようにお許しください。ひれ伏した私達の身体が神聖な聖殿とならなければなりません。

長い間ため息をつきながら探し求めてきた希望の姿が私達であることを悟ると、お父様は本当に哀れな立場におられることを知るようになります。これまでの摂理の歴史を通じて様ざまな試練を受けられたお父様の事情も理解する事ができます。

様々な試練を受けられたお父様であり、様々な苦難を経験されながらも希望の子ども達をお望みになり、真実に現われたお父様であることを思うと、私達は非常に微々たる存在であることを悟るのです。しかし、その御心に向かって謙虚な心を持って出てきました。お父様の意志を果たすために忠実な節操を持って出てきました。

そのような経緯から、昨日も今日も明日も戦いの任務を持って歩んでいかなければならない立場にある私達です。私達が進む道はただお父様の栄光のためだけの道であることを、お父様がご存知であることを信じておりますので、この時間においでいただきますようお願い致します。天を中心にして私達を導いてください。

信じがたいこの地上で、お父様だけを信じ、頼る場所のないこの地上で、お父様の命令を頼りここまで来ました。お父様、今日の摂理を心配せずにはいられませんし、明日の摂理を心配せずにはいられません。今日の感謝が永遠の感謝となり、今日お父様を呼ぶ声が永遠にお父様を呼ぶ声となるようにお許しください。また、万物と共に栄光の歌を歌うことができるまで、お父様ご自身が直接的に保護し、見守ってください。愛するお父様、切に願い、お望み致します。

    4

お父様、時期が遠くない中で、天からの促(うなが)しを受けているお父様の子ども達、時期が切迫し、急がれるあなたの心情も悲しいですが、闇と不信の世界で立ち上がり、新しい使命を開拓しなければならない新しい時代のお父様の子ども達も哀れでございます。

お父様! この時間、ご心配の心を解かれてください。天のご心配が非常に大きいことを知り、私達がそのご心配を代わりに背負い、残された復帰の意志のために戦い力を尽くすことを願っています。お父様! 私達をご覧いただき、慰められる様にしてください。民族の悲しみや団体の悲しみを私達を通じて癒される様にしてください。

お父様、喜びを感じる一筋の生命の光に向かって進むことができるように、あちこちに散らばっているあなたの子ども達を早く一つの場所に集めてください。勝利の祭壇と栄光の祭壇、そして正義の祭壇を築くことをお許しください。民族を通じて、この世界の人類を通じて、お父様の一つの意志を成し遂げることをお許しください。愛するお父様、切に願いお望み致します。

この場に出てきた子ども達の中に、まだまさに悪魔の中傷条件に引っかかったり、恨みの心を抱いている子ども達がいるでしょうか? お父様、そのような子ども達がいないようにお許しください。もしその様な彼らがいるのであれば、この時間、力の歴史として、彼らの心に悔い改めの感動的な恵み、復活の恵みをこの時間にお許しください。お父様! 切に願い、望んでおります。

残された時間をお託し致しますので、悲しみを除いて栄光の中で私達を導いてください。あなたが直接主導できるし、誇れる喜びの恵みだけが私達の頭上と心と身体に満たされるようにお許しください。切に願い、お望み致します。すべてを託しまして、主の御名において祈りました。アーメン。

    5

<祈り(Ⅲ)>
 お父様、御言葉によって、まだ万民の前に頭を垂れるべき姿勢が残っていることを知るようになりました。今日の私達は、お父様の完全性の前に私達自身の不完全さを克服するための闘いをしなければならない立場にあり、不変の真理の原則を超えなければならない運命が残っています。

今こそ、万宇宙の前で私達自身を示す時です。完全なるお父様の御姿に似て、万物を主管しなければならない歴史的な運命が、私達一人ひとりに残っていることを思い知るとき、今の私は、永遠なるお父様の嘆きを代わり持つべき私であり、永遠なるお父様の愛を証明しなければならない私です。更に今の私はお父様の御言葉をこの暗い世界に伝えて復帰の使命を果たさなければならない私です。

しかし、今日まで信じて歩んできた私達の信仰生活は、お父様の前に示すことのできない生活でしたので、この時間、自ら悔い改めることができ、自ら目覚めることができるようにお許しください。

今、私達が持っているすべての概念や主張や自己の意志を、尊厳なるお父様の御心の前に捧げ、自己存在を完全になくし、永遠なる存在である本性の私を取り戻し、完全なるお父様の御姿に似て、お父様の栄光に浸ることができる私を取り戻すための闘いが残っておりますので、今日この闘いの場で退く者にならないようにお許しください。

日々の生活を通じて、そして生涯を通じてお父様の喜びの栄光となりうるし、お父様の御心にふさわしい美しい子ども達となれるようにお許しください。お父様、切に願いお望み致しております。

    6

今は復帰の時期を反映する時であり、昔のイエス・キリストの時と同じく、歴史的な審判の基準を超えなければならない時です。ユダヤ教の前に新たな意味を示しながら、ヨルダン川での証しの歴史、バプテスマを与えたバプテスマのヨハネの歴史が世界的に起こっている時、バプテスマのヨハネの使命が後の私達の使命として残っていることを知りました。

今私達が持っている一人ひとりが天倫の安息の場を備え、バプテスマのヨハネの証しの中でイエス・キリストが罪と悪魔の侵略を受けずにお父様の前で栄光を讃えることができるべきその一つの善なる地、私達が手を取り合い、心を合わせて歌うことができる安息の地を築かなければなりません。

このような責任のために、今日私達を召されましたし、このような仕事のために今日私達を選んでいただいたので、選ばれた意志の前に悲しみと憂いを残す子ども達にならないようにお許しください。

バプテスマのヨハネの失敗によって天宙の怨恨が歴史に横たわっていることを知りながら、私達は今、天の召しを受け、天の選びを受けました。今日私達がお父様の御座の前に立って万宇宙の全体的な摂理の意志を完成させるための摂理の足場を築くことができるようにお許しください。

従って、喜びの園で栄光の楽しみを歌い、宇宙全体に向かってホザナの勝利の栄光を歌い、おいでになる主の前で栄光を讃えることができる御子となるようにお許しください。切に願い、望んでおります。

    7

歴史の悲しみを解消するためにおいでになったイエス・キリストを、この日、許された日を記念して思い起こすことができるようにお許しください。イエス・キリストの進まれた道がイエス様だけの道でなく、終わりの時に私達が進むべき見本の場所であることに気づくとき、私達の心が重くなり、身体が心に従属することを感じずにはいられませんので、皇公(こうこう)なる尊い御心の前に、自ら身を捧げ、この御心を受け入れるためのお父様の忠臣となれるようにお許しください。お父様に対する誠実な忠臣となれるようにお許しください。
お父様、切に願いお望み致します。

すべてを委ねますので、伝える者の心や受ける者の心が一つになるように許してください。この時も、疑いを抱く者の心を通じて悪魔が働くことを恐れるので、まずはその疑いを拭い去るようにお許しください。

自分自身も知らないうちに、もしかすると悪魔の力が作用して、御父様のご指図に心が動かず、聖霊の恩寵に満たされず、自ら闇の中に引きずり込まれる者がいるとすれば、慈悲の恩寵として悔い改めることができるようにお許しください。

そうして、お父様の愛に触れ、永遠のいのちの理想に浸るようにお許しください。この一時、御言葉と共にお父様のいのちの歴史、御言葉と共にお父様の愛の歴史、御言葉と共にお父様の権能の歴史が現れるようにお許しください。切にお願いいたします。
すべての御言葉を主の御名によってお祈り致しました。アーメン。

    8


<御言葉>
 堕落以降、イエス・キリストがおいでになるまでの4千年の歴史は、善の歴史ではなく、罪悪の歴史でした。数多くの預言者がこの地上に現れ、4千年間にわたって摂理の意志に従い罪と戦ってきましたが、残った罪を完全に清算することはできませんでした。それゆえに罪と戦いながら失敗し、また失敗して4千年まで摂理は延長されてきたのです。

神の摂理の目的は、この罪を完全に清算することです。従って、この罪が完全に清算される日まで戦いの歴史は止めることができず、帰還の歴史も止めることができません。そして神は愛する子ども達を摂理の使者として送り出すことができないのです。

それゆえに神は、御心を成し遂げるために堕落したアダムの家族の代わりにノアの家族を立てられました。しかしノアの家族も再び失敗したために、アブラハム、イサク、ヤコブを立てられ、そして民族の代わりとなるモーセを立てられました。その後、サウル王、ダビデ王、ソロモン王を経て、4代預言者と12使徒を経由してバプテスマのヨハネまで至りました。

今、天の前に人間として果たすべき使命が残っていますが、その使命は何でしょうか? 人間は堕落の原因となった罪の根を植え付けてきたので、人間によって罪の根となる悪魔を従わせ、神様の前に立って栄光を帰すことです。このような人々を見つけて立てるために、神様は4千年間の歴史を経て現れました。

では、洗礼ヨハネがこの地上に現れて果たすべき使命は何だったのでしょうか? イエス・キリストを証しし人々を導くことでした。

    9

イエス・キリストは堕落していない完成されたアダムの立場に立たされていたため、生まれながらにして天の前に栄光を帰すことのできる方でした。そして彼自身によって神が喜ぶことのできる方でした。神は全人類の前で自慢し、悪魔の前で自慢するためにイエス・キリストを送られたのです。

ですから、イエス・キリストは生まれながらにして苦難の道を歩むべきではありませんでした。生まれながらにして人間を代表して神に喜びを帰し、栄光の仲介者となるべき方であり、愛の仲介者となるべき方であり、善の仲介者となるべき方でした。しかし、このようなイエス・キリストをこの地上の人々が受け入れる事はありませんでした。

そのため、罪とは無関係で、ただ善と喜びだけが彼の生活に満ちるべきであるにもかかわらず、洗礼ヨハネがイエス様の前に責任を果たせなかったため、悪魔がイエス様に侵入したということを皆さんは原理を通じてよく知っています。

では、終末に立たされた今日、私達にはどんな使命が残っているのでしょうか? 洗礼ヨハネの使命を果たすべき使命が残っているということです。つまり、4千年の歴史に代わって来られたイエス・キリストの前に勝利の栄光の子として、イエス様と共に喜びを分かち合える善の人とならなければなりません。これが私達の使命であり、皆さんはこれを忘れてはなりません。

神様の憂いは、イエス・キリストを悪魔が引き連れて試みたことにありました。そしてイエス様が来られた後の2千年間、悪魔と闘うことになったのは、当時のユダヤ人が不信心だったからであり、また新たな証しの使命を持って来られた洗礼ヨハネがミスを犯したからであったことを皆さんは知っているでしょう。

    10

今、終末の時期が再び目前に迫っている中で、皆さんは罪と闘わなければなりません。そして皆さんは、4千年にわたり神様と対立して戦ってきた悪魔に立ち向かって戦わなければなりません。私達は6千年の間、洗礼ヨハネの使命を代わりに果たし、悪魔を従わせなければなりません。そして、我々自身から悪魔の痕跡を無くさなければなりません。そのような責任が皆さんに残されているのです。その責任を果たさない限り、再臨する主は皆さんに接することはできません。

もともと神様の創造理念の園は、悪魔の痕跡のない園でした。ですから、神様の創造理念をこの地上で実現するためには、私達は悪魔を従わせ、堕落しない完全なアダムのレベルに上らなければなりません。ですから、神様の栄光に代わり、悪魔の前で誇ることのできる姿にならない限り、イエス・キリストが悪魔の前で試されたその恨みを解放することはできません。

人間が堕落したため、悪魔は人間を虐待し、全地を支配しています。これを変えるためには、復帰の原則に従う必要があります。人間が悪魔に虐待されたため、イエス様が助けてくださらなくても、聖霊が助けてくださらなくても、神様が助けてくださらなくても、人間自身の力で悪魔を従わせることができなければなりません。人間が悪魔が提示する罪の条件を克服できるようにならなければなりません。そうすれば、勝利の子となることができます。

宇宙的な悪魔と一人で闘って勝利できる子とならない限り、皆さんとイエス様との関係はなくなってしまいます。

このような道は本来私達には辿るべき道ではありませんが、生きて行けないと言われても、死んででも進まなければならない運命の道です。

    11

イエス・キリストは、自分自身が達成すべき意志で生きて達成できなくなったため、死んでもその意志を達成するために2千年の歴史が経過した今日まで、自らの実体を代わることのできる栄光の息子娘を待ち望んでおられます。

これを考えると、6千年の歴史は栄光の歴史ではなかったことがわかります。神様の前での栄光の歴史ではなかったのです。また、今もなおイエス様と聖霊が悪魔と戦っている限り、イエス様と聖霊の意志に従う息子娘達が悪魔の試練にさらされている限り、神様の創造本来の理念がこの地上で実現したとは言えません。

そのため、地上で起こった怨みは神様の怨みとして残り、地上の怨みを解消するための新たな歴史は、神様の十字架、イエス・キリストの十字架、聖霊の十字架、そして今日信じる人々の十字架として残されました。

これまで私達は聖霊の保護と命令を受け、イエス様の保護と命令を受け、神様の保護と命令を受けて生きてきました。しかし、今後の私達はむしろ聖霊を慰めるための存在であり、イエス様を慰めるための存在であり、神様を慰めるための存在とならなければなりません。

聖霊の意志、イエス様の意志、そして神様の意志は、個人に対する意志ではありません。この意志は個人を通じて、世界を通じて、天地まで広がる意志です。このような意志を代わりにして宇宙的な天の心情を慰めることのできる宇宙的な息子娘には誰がなるのでしょうか? 天はこのような息子娘を見つけるために、秩序を整えて現れたのです。皆さんはそれを知る必要があります。

    12

私達はこのように歴史に結びついた罪の負債を清算するために、今日も戦い続けなければなりません。生涯を捧げてでも超えなければならない、つまり全力を尽くし、命を捧げてでも超えなければならないその罪の頂上へ向かって、皆さんは新たな覚悟を持って立たなければなりません。

イエス様はユダヤ教の律法主義者や多くのユダヤ人達が反対しても、その中心は変わらずに天を証しし、新たな洗礼を与えられたのと同様に、今日の私達もそうでなければなりません。ここで私達は最終段階で教派を超えなければなりません。そして教派を超えると同時に、世界人類のあらゆる思想を超越し、孤独でも悪魔と戦える存在とならなければなりません。

そうして皆さんがすべての悪魔達との戦いで勝利するならば、天の栄光は皆さんとともにあり、また天の喜びも皆さんと共有できるでしょう。

今日のこの時点でも、皆さんの前には罪の重荷があります。その重荷はどのような罪の重荷でしょうか? 4千年の間に神様を愛し、予言者達が犠牲になった罪、イエス・キリストを十字架に掛けた罪の重荷です。したがって、皆さんがその罪を清算できないならば、皆さんは罪のない善の天国とは関係がなくなります。その罪の重荷を取り除けなければ、天国に入ることはできません。これを皆さんは知らなければなりません。

今日、皆さんが神様の意志に従って宇宙的なセヨンの立場を代わりにして立つのであれば、宇宙的な罪を知ることができるようにならなければなりません。そして、神様の怒り、イエス・キリストの怒り、そして聖霊の怒りを一人で背負い、罪によって苦労されてきたイエス・キリストと聖霊、そして神様を皆さんが慰めなければなりません。そして、安息の日まで導くことができるその姿が皆さんの中に現れなければ、この地上に主が再び来られても何の意味もありません。

    13

私達は終わりの時代に、セヨンの立場を代わりにして罪と戦わなければなりません。6千年の歴史を代わりにして、宇宙的なセヨンの使命を果たさなければなりません。さらに、それに加えてイエス・キリストの戦いの苦労を体験しなければなりません。

イエス・キリストが来られた後に残ったものは、十字架の道です。バプテスマの道を通して、十字架の死の道を経て、永遠の勝利の基準を築こうとしましたが、霊的な面でしか築けませんでした。

今日、私達には肉体と霊を結びつけて、洗礼の道理を代わりにし、天宙的な、天倫的な使命を果たさなければなりません。皆さんはこの地上においてイエス・キリストが人間から受け得なかった栄光を思いやり、その栄光を解放しなければなりません。このような使命が人間にあったため、イエスと聖霊は2千年にわたって人間に対して歴史を作りました。しかし、今日の信徒達はこの事実を知らず、イエスと聖霊をただ人間のための僕として信じてきました。

では、悪魔の正体は誰でしょうか? 天使長です。エデンの園で万物を支配するはずの人間の支配権が天使長に奪われ、行使できなくなったことが堕落です。そのため、私達が復帰の過程において、悪魔まで主管するという立場を経験しなければなりません。

では、そのような道を進むために私達はどうすればいいのでしょうか? セヨンが示した生涯、イエス・キリストの生涯を見習い、彼らと同じ道を歩むことを学ばなければなりません。

    14

それでは、イエス・キリストがこの罪の壁を崩すためにどのような道を進まれたのでしょうか? 終わりの時代にある今日、皆さんは自分達の人生の道程でイエス・キリストが進まれたその道を再び辿らなければなりません。

イエス・キリストが悪魔と戦ったとき、天宙的な罪を引き抜くためにその罪を攻撃する立場に立ちませんでした。イエス・キリストは罪を消し去るために、罪に対して攻撃する立場に立たなかったのです。罪を無くすために、罪を屈服させるために、その罪を自ら背負う立場に立ったのです。これがイエス・キリストの精神であることを皆さんは知るべきです。

罪は悪であり、悪いものです。私達が持っている創造の本性に反対する作用をするものが罪です。イエス様はこの罪を清算するためにその罪を背負ったのです。そして、イエス様が罪を背負ったということは、個人から家庭、社会、国家、世界、人類、天界にいる霊的存在の罪まで背負ったということです。創世以降の4千年の歴史において、数多くの霊的存在の罪を背負ったイエス・キリストであったことを皆さんは知るべきです。

さらには地獄にいる霊的存在の罪まで背負わなければなりませんでした。なぜなら、イエス様は完全なアダムの立場でおいでになったからです。アダムの堕落によってその怨恨は天界まで巻き込まれたため、イエス様は堕落によって生じたすべてのものを引き出し、埋める必要があったのです。

したがって、イエス・キリストの生活は、悪魔の世界の生活とは正反対でした。悪魔の世界の要素と本質には希望がないことを知っていましたが、それに対抗して柔和さと謙遜の道理を教えました。したがって、キリスト教の真理は世界から離れる真理でした。キリスト教の真理は、世界に対して抵抗することで特徴付けられています。

    15

イエス・キリストは未来の罪と直面せずに後ろを振り返り、それを引き受けるべき理の事情があったため、困難な人生を送られました。イエス・キリストは天宙的なすべての罪を引き受け、勝利の時まで十字架の苦しみを受けたかわいそうな存在でした。今でも彼は霊界におられますが、休むことができません。地上の誰かがそのすべての罪を引き受けることを望んでおられるのです。

私達が人間の罪を引き受けるためにおいでになったイエス・キリストの一生を考えると、この地上においでになって帰られるまでの30年以上の生涯で、人々が経験するすべての困難な状況をお受けになったことがわかります。かわいそうな人々の罪を背負うためにかわいそうな立場に身を置かれ、飢えた人々の罪を背負うために飢える立場に身を置かれ、孤独な人々の罪を背負うために孤独な立場に身を置かれたのです。

そのため、イエス様は個人の罪を引き受けられる立場に立った後、家庭的な罪を背負おうとしました。そのために家庭の前に現れましたが、その家庭はイエス様に反対しました。自分の愛する両親さえも反対し、兄弟達まで反対しました。

さらにイエス様はユダヤ教の指導者達からも疎外されました。それは家庭的な罪を背負うと同時に、教派的な罪を背負わなければならなかったからです。また、ピラトやヘロデ王さえもイエス様を拒絶しました。彼らはイエス様の意志が彼らの望みと異なるためにイエス様を十字架につけました。しかし、イエス様は帰られるその日まで、そのような敵対者達を恨まず、むしろ彼らのために祝福を願いました。このようなイエス様の姿を今日の皆さんは心に深く刻まなければなりません。

イエス様は馬小屋で生まれました。イエス様は最も卑しい状態から始まり、神の子としての最高の地位に至るまで進みました。イエス様はこの地上の人々のために来られ、この地上で神を信じる人々のために来られたのです。

    16

しかし、イエス様の友人といえる人は誰でしょうか? ゲツセマネの園で祈る時、愛する三人の弟子さえも眠ってしまいました。十字架の山上に向かって進む時、心と心を合わせなければならない立場にありながら、三人の弟子はそのような事情とは無関係な立場を取っていました。

イエス様は天宙のすべての罪を負担する使命を自覚し、鞭打たれても感謝し、非難や嘲笑を受けても感謝したのです。

皆さんは、イエス様が罪を清算するためにその罪を打ち砕いて排除しようとはせず、悪魔に関連するすべての天宙的な罪を自分が引き受けようとされたことを知らなければなりません。しかし、まだ罪が完全に清算されていないため、イエス・キリストはその罪を清算する歴史を進めているということです。

このようなイエス様を救い主として崇拝している皆さんに言えることは、皆さんは自分達が救い主の前でどの程度罪を背負ってきたのか、どの程度罪を負うことを試みたのかを考えなければなりません。そして、イエス様が生きた環境と同じような状況に身を置くことができるようにならなければなりません。

皆さんが今、個人的な罪と家族の罪を背負わなければならない世紀末的な運命にあると言うならば、いつかは個人的に迫害される時が来るでしょう。また、家族的に迫害される時が来るでしょう。イエス様が個人的な反対や家庭的な反対、教団的な反対を受けたように、終わりの時にある今日のキリスト教徒達も同様の反対を受けることになるでしょう。社会的に反対され、国家的に反対され、世界的に反対されるひとつの宗教が現れるでしょう。

    17

そして、人間の罪を清算するためのイエス・キリストの戦いがまだ完全に終わっていないのに、イエス・キリストに代わって地上で天宙的なすべての罪悪を背負うため、個人から家族、社会、国家、世界、さらには霊界の霊的な存在からも非難を受ける信仰者が現れるでしょう。また、彼は父なる神、聖なる者、聖霊からも非難を受けることになるでしょう。これは一つの難局に向かって歴史が進んでいるということです。これを皆さんが理解しなければなりません。

旧約を信じて出てきた人々がイエス様の前で敵となったように、同様に今日、イエス様を信じて出てきた人々が新しい神様の摂理の前で敵の立場に立つことは容易ではないということです。

イエス・キリストが「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか?」(マタイ27:46)と言われたのは、最後の審判の場で神様がイエス・キリストを知らないと宣言されたからです。

同様に、今日の皆さんがこれまでのすべての罪の歴史を負う覚悟をし、自分の体をささげようとしても、神様は皆さんを知らないと言うでしょう。しかし、イエス様が十字架上でも変わらなかったように、変わらない信仰を持たなければなりません。皆さんが一つの身体を目的のためにささげたと考えるなら、既に皆さんは死んだ人と思わなければなりません。このような革命的な信仰を示すことが、キリスト教徒の使命であると言えます。

では、今日の皆さんを反対する人はいますか? 彼らに感謝する必要があります。また、皆さんを反対する家庭はありますか? その家庭に感謝しなければなりません。そして、皆さんを反対する教団はありますか? その教団に感謝しなければなりません。国家や世界が反対しても感謝しなければなりません。さらに、霊界や肉体界が反対し、天が皆さんを知らないとしても、永遠に変わらぬ心を持つべきです。不動の信仰を持つべきです。

    18

アダムが堕落させた悪魔が反対し、イエス様や聖霊、神さえも知らないとしても、変わらぬ信仰を持つ信徒が現れなければならないということです。これが最後に残された使命ですが、現在、24億人の人々、イエス・キリストを信じるクリスチャン達はこれを明確に知らないでいるということです。そして、そのような信仰を持つ個人になったからと言って終わりではないということです。そのような家庭や社会、国家、世界を創り出さなければなりません。皆さんがこのような信仰を持つ聖徒にならなければ、皆さんは神様の意思とは無関係になります。イエス様が皆さんの前に花婿として現れるその道が閉ざされてしまうでしょう。

イエス・キリストの愛は神様の愛を代表したものです。そして神様の愛は天宙のどんな存在に対しても抗(あらが)えない愛です。皆さんはこの神様の愛を受け入れる必要があります。そのためには、この世界のあらゆる罪を自己に帰する覚悟を持ち、悪魔が皆さんを試みようとも、堂々と受け入れ、それを乗り越える勝利の子とならなければなりません。そうしなければ、宇宙の力の中心、存在の中心として歴史の中で活動している神様の愛とは関係がなくなってしまいます。

そのため、イエス・キリストはこの地上の人々のために冤罪を受けながらも、彼らを憂い、涙を流されたように、終わりの時には信じる聖徒の中から多くの人々がそのような境遇に立たなければなりません。そうした聖徒達が増えれば、教派の分裂はあり得なくなるでしょう。そして、殉教しなくても、良心の働き、真理の働き、天の力の働きが大きいため、全天宙がそのような聖徒達に従わずにはいられなくなるということです。

そうした立場に立てば、はじめて勝利の道標を立てることができ、勝利の家族、勝利の祭壇、勝利の世界を築くことができ、勝利を天にまでつなげることができます。そのような責任が皆さんにあることを忘れてはいけません。

そして、今日の皆さん個人を中心に起こる戦い、皆さん個人を中心に行われるすべての出来事は、皆さん個人に限定されたものではありません。したがって、皆さんは注意が必要です。もし皆さん個人が間違えると、それは全体に影響を与えることになります。

    19

今、皆さんは神様の御心に邪魔になる人となってはなりません。全体のために犠牲を払う道を歩まなければなりません。

そして善良な人がいれば、彼らを大切にしなければなりません。悪意のある人がいても、その人以上に心配し、同情することができなければなりません。そのような個人となり、そのような家族や社会、世界を築くために、十字架の苦難さえも背負って前に進まなければなりません。イエス・キリストの心を代わりにし、神様の御心を達成するために真の勝利者とならなければなりません。







『文鮮明先生御言葉選集 1 - 17. 神の摂理と超現実的な冒険性 (1956年 12月 2日)』
1956年12月2日(日曜日)、全本部教会。
聖書拝読 ルカによる福音書22:24-46


<祈祷Ⅰ>
天上に怨恨を抱いた壁を崩すべき使命を負った全人類のために、この日まで努力の歴史を展開してこられたお父様! 今、私達は心から天上の怨恨を崩すべきであることを知りました。そして、その怨恨を地上で解き放つことによって天上との縁が結ばれることを私たちは言葉を通じてよく知っております。

本日、私達をお父様がお呼びになっていることを心に留めさせてください。

今日、生きている私達自身を、お父様の代わりとして立てられ、全人類の前にお父様の子として立てられました。ですから、今、私達の一身からお父様の栄光だけが現れるようにお許しください。私達の行動からお父様の善と義だけが現れるようにお許しください。

    20

こうして私達が集まる場所ごとにお父様の愛を中心にして活動することができ、お父様の前に栄光を捧げる勝利の歌が天地に満ちるようにお許しください。愛するお父様、切望いたします。

天はこの時も私達を忘れず、私達を呼び、私達に対して願われる意志を命じておられますが、本日、私たちはその呼びかけに応えることができる存在となり、お父様の前に活動の供物となる存在となっているか考えると、そのような存在となっていないこと、まだまだ未熟で不完全であり、足りない立場にあることをお許しください。

これから私達は心の扉を開き、改心して聖別の供物となることによって天上に存在する怨恨が私達を通じて解消されることを許してください。また、そのような喜びに満ちた日を迎えることができるあなたの子供達となることをお許しください、お父様、切望いたします。

終わりの最後の困難な壁が私たちの前に立ちはだかっており、生死をかけて戦わなければならない試練が立ちはだかっておりますが、この戦いの試練の中で天上の怨恨を抱いて倒れる愚かで卑しい者とならないようにお許しください。お父様、切望いたします。

私の心はすでに覚悟しており、供物として捧げさせていただこうと思っておりますので、不足なく受け取ってください。捧げられた供物として、すべてをお父様に委ね、お父様の命令を求めることができる子供となることを許してください、愛するお父様、切望いたします。

    21

お父様、この時間は神聖な時間です。お父様、この日は神聖な日です。お父様、この年全体が神聖な年となるようにお許しください。この民族を代表して集まるあなたの子供たち、どこに集まっても祝福してください。天に隠れていた聖霊の炎を燃やし、終わりの時に約束された聖霊の働きを注いでください。水のように注いでください。

お父様、怨恨の壁を崩すことができる子供達が多くなるようにお許しください。そして、集まる場所ごとに隠れた祭壇と同時に現れる祭壇となり、天宙的な闘いで勝利することができるように、お父様、お許しください。また、天からの直接的な命令に応じて天宙的な闘いで勝利し、勝利の烽火をお父様の前に上げることができる私たちとなるようにお許しください、お父様、切望いたします。

お父様、ここに集まったあなたの子供たち、今私達は集まりましたので、それぞれの体と心を主管してください。まだ自己中心的な妄想から抜け出せない子供がいるのであれば、それをすべて捧げさせてください。お父様の前に立つ供物となるように許し、穏やかで謙虚に供物として差し出されるこの時間をお許しください。喜びの賜物を分かち合えるように許し、調和の賜物を分かち合うこの時間をお許しください。私のお父様、切望いたします。


戦いに疲れ傷ついた子供達がいます。お父様、慈悲をもって彼らに勧め、この一時の恩寵が彼らの生涯を導くようにお許しください。生命の試練の基準を失わないように許し、生命を刺激する力と衝動が起こるように許し、深く隠されていたお父様の愛を感じ、お父様の愛に浸ることができるようにお許しください。そして、私達全員が感謝し、地上の数え切れない聖徒達を調和させ、彼らが天の御座の前で感謝を捧げる勝利の祭壇を築くことができるようにお許しください。お父様、切望いたします。

示された御意志、望まれる御意志が取るに足らない私達を通じてでも成し遂げられるようにお許しください。私達はすべてをあなたに委ねましたので、お父様、主管してください。主の御名によってお祈り致しました。アーメン。

    22

<祈祷 Ⅱ>
 天の代わりに立ち上がりましたが、お父様、私達は非常に不足な者達です。何も持っていない私達がお父様の前に残ることを望むならば、この民族のために躊躇わずに立ち上がり、叫ぶことができるようにお許しください。この日、この時まで他人が知らない神様の心に似せるために、自らこの道を辿るために、様々な傷を受けた私達の体と心を、お父様、慈悲深くご覧ください。

我々は知らず知らずのうちに涙を流し、天に怨みを抱いたこともありました。遠くない未来のある日を私たちの前に約束してくださり、摂理の最後の実りを求め導いてくださったのですが、今日、私たちがこれを背負っていくことができるのか心配しています。お父様の前に進んでいく心構えを持つことができないのです。お父様、この日、ここに集まったあなたの息子娘たち全員を導いてくださいますようにお願い致します。

私たちの心と身体に、お父様の喜びの御意が現れるように許してください。お父様の威光と御旨によって、私たちの誤った考えや悪しき心、誤った概念を取り除いてください。こうして私たちによって天命に煩わされてきた恨みが、この時点ですべて解決される感動的な歴史が全体に起こるように、お父様、お許しください。

悔い改めの歴史が私たちの心に起こるようにお許しください。能力の歴史として、私たちの体を治め、悪しき要素は除かれ、善い要素だけが永遠に存在するお父様の前に正しく現れるようにお許しください。こうして私たちは本質と本性によってお父様の徳と導きに応えることができ、お父様の愛の前に順応することができます。こうした美徳そのものをご覧いただき、お父様が楽しまれると同時に、天上の聖徒たちまでがこの時、私たちによって喜び、栄光の賛歌をお父様の前に捧げられるように祝福してください。お父様、切に願い求めます。

    23

お父様の前に進んでいく心構えを持つことができないのです。お父様、この日、ここに集まったあなたの息子娘達全員を導いてくださいませ。

この時間も罪悪の暗い波がそれぞれの心と身体に侵入しようとしていますので、力と能力を許してください。集まった息子と娘達が多いほど、その中にカインとアベル的存在があることを知るようにお許しください。私達がカイン的な立場に立たないようにお許しください。

アベル的な犠牲となり、自ら実体の犠牲としての責任を果たせるようにお許しください。アベルを代わりにしてカイン的な存在達を父の前に服従させることができるようにお許しください。父の能力と権能の歴史がこの時間全体の前に現れるようにお許しください。お父様、切に願い求めます。

お父様! 今日のこの時間、私達に託された使命が、私の一個人の救済と解放のために託されたものではないことをこの時間に心に留めるようにお許しください。今日の私達にこの民族の運命がかかっていることを知るようにお許しください。今日の私達を通じて全世界24億の人々が天地に呼びかけの条件を築くことができるようにお許しください。

お父様、厳かで重大な生死の道に立つ私達が、右手には天を掴み、左手で悪魔を打ち破り、勝利を収め、両手を掲げてホサナの栄光をお父様の前に捧げることができるように、お父様、お力添えをお許しください。この時、集まったすべての息子と娘達をお父様が導いてください。参加した息子と娘達の中で、まだ悪の苦い根を心に抱き、悔い改めたくない者がいないようにお許しください。能力をもって現れ、心に抱えたすべての罪の苦い根を取り除き、爆破させてください。

    24

この時、悪魔のものは悪魔のものとして、天のものは天のものとして区別され、喜びの犠牲としてお父様の前に捧げられるこのひと時をお許しください。お父様、切に願い求めます。

この時、孤独なあなたの息子と娘達、新しい福音の言葉を持ち、各地に散らばっているあなたの息子と娘達、一人でひざまずき、天の前に犠牲の道を代わりに進むのが難しいと知っているので、お父様、共になしてくださいませ。

時ならぬ時の意を受けるあなたの孤独な息子娘達、悪魔との戦いで疲れ果てないようにお許しください。これまで守ってくださったお父様、この時以降も守ってくださる恵みを願っていることを知っていますので、どこにいてもあなたの御意を代わりに遂行し、あなたの天命に従いつつも自由でいられるようにお許しください。

私達がみな、生命を犠牲にしてでもお父様の恨みの心情を抱き、天の前で感謝と敬意を捧げることができるようにお許しください。私達を父が喜ばれるような、ホサナの栄光を捧げる美しい存在として立たせ、迅速に天の御意を成し遂げられるようにお許しください。愛のお父様、切に願い求めます。

この日、民族を代表してお父様のひざの前に集まった祭壇が多く存在しますので、彼らが意志を誤解して悪の祭壇を築くことがないように、お父様、共になしてくださいませ。一人一人の心を結び合わせ、教派を結び合わせて、世界的な勝利の祭壇として父の前に捧げられるように、天のお父様の感動的な歴史がこの時、この民族を代表して集まった教派に起こるようにお許しください。お父様、切に願い求めます。

    25

この一時、すべてをお任せして、ご主管いただけますように。この一時に喜びの心情だけが運行するようにしてください。喜びの心情だけを示してください。心よりお願いし、主の御名によってお祈り致します。アーメン。


<祈り(Ⅲ)>
 お父様、この御言葉は再創造の御言葉です。お父様がエデンの園で「善」と仰った善の御言葉の実体が地上にないことを嘆かれているのが分かります。

失われた善の御言葉をもう一度見つけなければならない条件が残っている限り、私達は善の実体を見つけることができないことを知っています。

お父様、この聴衆の中に善の御言葉を示してください。見つかった善の御言葉で再命令して、善の実在を成し遂げられるお父様の特別な再創造の歴史が体と心を通じて聴衆の中で起こるようにしてください。お父様、切に願い求めます。

あなたが今、御言葉を語って下さっているので、伝える者も受け取る者も、その心が一つになるようにお許しください。相対的な基準に立って誇ることができる姿になったとき、全体はその中を通して築かれることができる原則を知っています。だからこそ、ここに立っているあなたの息子娘を導いてきて、御言葉の中心を築き、条件の歴史を創り出して、悪魔の力に打ち勝つことができるようにお許しください。私の体と心が悪魔の支配下に捉えられている場合は、御言葉によって分別し、断ち切って、あなたの聖別の息を受け入れることができるようにお許しください。お父様、切に願い求めます。

その時、多くの御言葉は必要ありません。これまで私達は多くの御言葉を聞いて、知ってきましたが、お父様、私の心が重生することができる力が必要だと知っています。力をもって歴史を創り出してください。能力をもって歴史を創り出してください。

    26

悪のすべての概念を除去し、復活できる命の御言葉を示してください。再創造の復活の歴史を創り出してください。お父様、切に願い求めます。

何よりも、思いやりのある心、思いやりのある感覚、思いやりのある概念、思いやりのある悔い改めを通じて、この時、一つの美の完成を望まれるお父様の心を理解できる人となれるようにしてください。一つの犠牲として捧げることができる時間になるようにお許しください。心よりお願いし、すべての御言葉を主の御名によってお祈り致しました。アーメン。


<御言葉>
今日の説教の中には、イエス様が最後の十字架を前にして大胆な覚悟を示された御言葉があります。そのため、本日のメッセージのタイトルは「神の計画と超現実的な冒険」となります。神の計画と超現実的な冒険という題目でしばらくお話しいたします。

現代の私達は天宙的な審判の日を前にして絶え間ない闘争の戦場に立ち向かっています。この戦場は平坦な道ではありません。ですから、皆さんが大胆な中心心情を定めて残された天宙の憎しみの審判を退ける勝利の中心心情を持たない限り、皆さんは歴史の戦場において敗者となり、人生の闘いにおいて敗者となるでしょう。

最後の天宙的な審判は、終末の時代の到来を意味します。多くの宗教や神話で、個人と全世界の存在が自らの行いと選択に対して評価を受ける瞬間が描かれています。この審判は宗教的な観点では霊的に浄化され、救われる時期であり、道徳的な側面では自分の行動と責任を背負う時です。

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自己認識は個人が自分自身を理解し把握する能力を意味します。個人の性格、感情、行動、能力などを認識し理解することを含みます。自己認識は成長と変化に貢献し、自己の成長と発展、達成のための出発点となります。また、自己認識は他者との関係においても重要な役割を果たします。健全で肯定的な自己認識があれば、自分と周囲の人々との関係がより健康的に形成されることができるでしょう。

最後の天宙的な審判と自己認識は相互に関連していることがあります。宗教的な審判の観点では、個人の行動と選択が自己認識と結びついて決定される場合があります。また、自己認識が個人の道徳的な選択と行動に影響を与えることもあります。これらの理由から、多くの宗教や哲学は自己認識を向上させ、自己の人生と省察を追求することの重要性を強調しています。最後の審判に備えて自己認識を通じてより良い生活を追求することが重要と言えるでしょう。

ですから、神様の計画の歴史は冒険的なスタートを切り、冒険的な終わりを予告する計画の歴史であることを皆さんは心に留めておかなければなりません。

現代において、私達が信仰生活を自由に送ることができる環境と様々な条件が整っているのは、皆さん自身が築き上げたものではありません。私達が自由な立場から神様を呼び、自由な立場から信仰生活を送ることができるようになったのは、私達の先祖達が数多くの冒険を乗り越えてきたからです。皆さんはこれを知らなければなりません。そして、皆さんが生活や信仰の中でこれを骨身にしみて感じないのであれば、最後の天宙的な審判の過程を超えることも理解できないでしょう。

その前に、皆さんはなぜ天が今日の自分自身を呼び立てたのかを知る必要がありますし、6千年の歴史的な因縁を乗り越えている自分自身がどのような存在なのか、自己の説明ができるようにする必要があります。

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また、今日の自分自身は天との因縁や悪魔によって妨げられた天宙的な因縁の過程を超えることができる自由の中心を築いているのか、そして未来に残る因縁の審判台を自信を持って超えることができる勝利の中心心情を持っているのか、といった問題を考える必要があります。現代の皆さんの信仰はどの段階にとどまっていますか?

皆さんは歴史的な過程を経て、現実的な過程を経て、未来的な過程を通して全体的な天の計画が完成するまで、天と関係を持ち続ける自己としての過去、現在、未来のさまざまな問題を考える必要があります。

そして、今や天が私を立てて終わりの全体的な使命を委託し、私を立てて勝利の栄光を示そうとしている意図があるとするならば、その意図は6千年の計画の意図を代替した意図であるでしょう。そして天が私を探し求めて立てようとしている目的は、最後の審判の過程を超えることです。つまり、新天新地の新しい基準であるということです。

従って、もしも皆さんが永遠に存続する新天新地の基準と勝利的な自由の環境を備えていなければ、歴史の進行に従って来られた神様の計画の前には勝利者として立つことはできないということです。

今、過去を振り返ってみると、天が現代の私を立てたのは私一人を救うためだけに立てたのではなく、歴史的な因縁を解明するための結実としての存在として立てたのです。皆さんはこれを心に留めて、アダムから結ばれた堕落の因縁を解いていかなければなりません。またノアの冒険的な因縁の心情を解いていかなければなりませんし、ノアの冒険的な生涯を解いていかなければなりません。

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その後、アブラハムからイサク、ヤコブ、そしてモーセなど、歴代の先知先哲が歩んできた冒険的な生涯、彼らが残した遺産を皆さんが受け継ぎ、それを一つの足掛かりとして未来に残る審判台を自信を持って超える堂々たる中心心情を持たねばなりません。そうしなければ、悪魔との歴史的な闘いで敗者となることを皆さんは心に留めておかなければなりません。

ノアは聖書に登場する人物で、彼の物語は創世記に記されています。彼は神様の命に従って大きな箱舟(方舟)を建造し、家族や動物達と共にその中に避難させました。その後、大洪水が起こり、地上の全てが水に覆われたとされています。しかし、ノアと彼の家族、そして箱舟の中の動物達は生き延び、洪水の後に新たな始まりを迎えました。

ノアの物語は、信仰と従順さによって困難を乗り越え、神様の指示に従いながら冒険的な旅をした姿が描かれています。ノアは神様の意思を理解し、周囲から異なる存在として取り囲まれながらも、その信念を貫いていきました。彼の忠実さと決意は、神様が地上を再び新しい始まりへ導くことに貢献しました。

ノアの物語は、信仰、勇気、そして困難を乗り越える力に対する称賛と尊敬を表しています。彼の例は、人々にとって勇気づけられる教訓となっており、冒険と信念の旅路において希望と力を見出すことができるかもしれません。

今、過去の私達の先祖を振り返ってみましょう。まず、ノアの生涯を見ると、平坦な生活ではありませんでした。神様から120年後に世界を水で審判するという命令を受け、アララト山の頂上に箱舟を建てるように言われた時、ノアの心情はいかばかりだったでしょうか? わずか12日でもなく、12年でもなく、120年もの間……アララト山の頂上に箱舟を建てるという御言葉は、その当時の現実とは合致しない御言葉でした。

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神様のそのような命令を受けて実行に移すノアの当時の状況を見ると、まさに狂った人であり、その時代には到底合致し得ない人物でした。神様から莫大な命令を受けたノアは内面的に固い覚悟と決心を持ち、そして1日でもない120年という期間を着実に一日を見据えて生活しました。そのようなノアこそが、1600年の歴史の過程には存在しなかった、1600年の歴史を代わって天の前に立った冒険的な先駆者だったことを皆さんは理解すべきです。

そのようにして決めた心を抱き、神様に従っていただろうか、世の人々に罵られようがどうだろうが、一度下された命令を変えない約束の意志を信じて進んでいくノアにとっては、それらのすべての条件は問題ではありませんでした。既に意志のために出発した基準、生命を覚悟し、生涯を捨てて進んだ彼の足取りの前では、それらのすべては問題ではなかったということです。だから、ノアは120年という長い期間を通じて、繰り返される努力の労苦を無言で歩んだのです。

そのようなノアには家庭的な非難があったことでしょう。社会的な非難も大きかったことでしょう。しかし、人々が知らない道、誰もが行ったことのない道、1600年の歴史過程で誰もが見たことのない道、ただ天の道をたどるために立ち上がったノアの足取りは誰にも阻(はば)まれることはありませんでした。ノアは当時の社会的な状況が邪魔をして、世界中の人々が彼を拒絶しても、それを堂々と打破することができる冒険的な人物であったことを皆さんは心に留めておくべきです。

そうしてノアは自分の前にどんな試練や困難が迫ってきたとしても、それを必ず乗り越えてきました。120年が経った後、アダム家族が失った還(かえ)された一つの家族を見つけ立てたのです。このようなノアの歴史的な立場を皆さんは理解すべきです。

アブラハムも同様でした。神様からカルデアのウルを去れという命令を受けたアブラハムはそれが簡単な問題ではありませんでした。神様が定めた故郷を後にし、家族や近所とすべてを捨ててカルデアのウルを去れと言われた時、アブラハムの心情は非常に迷い混んでいました。人間的に考えるとあり得ないことでした。

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しかし、神様の命令を受けたアブラハムは、これまでのすべての環境を超越しました。家族を超越し、これまで節約してきた生計をすべて捨てて荷物を持って旅立ちました。アブラハムの足取りは当時の現実では考えられないことでした。神様の意志を持って感じる人、神様の意志を持って考える人がいたとしても、誰もがアブラハムの側に立ち、「あなたの行く道は正しいので、どうか私を導いてください。」と言うことはできたでしょうか?

アブラハムは世界が認めようが認めまいが、意志を持った一心の心で永遠にカルデアのウルを去る決心で出発したのです。そして、天が導くままに足を進める際に、どんな冒険が続こうとも、大山を越えるような高峰が立ちふさがろうとも、死の山が立ちはだかろうとも、辛抱してそれらを乗り越えていったのです。

アブラハムの信仰は、非常に特異であると言えます。彼は神様からの命令に従って、自分の生活や環境を超越することを選びました。家族や財産を捨てて旅立ち、神様の導きに従って進んでいったのです。これは現実的な思考では理解し難い行動であり、アブラハム自身も多くの困難に直面したことでしょう。

アブラハムは神様の声に従って絶対的な信仰を持ち、天命に従うことを選びました。彼は自分がどれほど大きな試練に直面しても、神様の約束を信じて進み続けました。神様の意思に従い、約束された地へと向かう旅路は、人間の理性では計り知れない選択でありました。

このようなアブラハムの信仰は、彼の非凡な精神力と決断力、そして神への深い信頼によって支えられていました。彼の信仰は後世にも多くの人々に感銘を与え、模範となる姿として讃えられています。アブラハムのように、我々も時には非現実的に思える選択をすることがあるかもしれませんが、信念と決意を持ち、困難に立ち向かうことで新たな成長と発見が得られるかもしれません。

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神様はアブラハムを偶像崇拝者の父であるテラから選び出し、その地位に立たせられました。このように立てられたアブラハムは、「どんなに愛する両親や友人、兄弟が引き止めても、私の中心心情は変わらない」という固い決意をしました。それだけではありません。アブラハムは神様の祝福を実現するために、百歳で初子のイサクを犠牲として捧げるように命令を受けた時も、その命令に従いました。この命令は歴史上に存在しなかった冒険的な条件となるものでした。それは天国を代表し、天上の出来事や地上の出来事を左右する条件でありましたが、それを知らないままアブラハムはイサクを犠牲として捧げることを試みたのです。

愛する息子を犠牲にしようとするアブラハムの姿を想像してみてください。それは確かに非現実的な意識でした。その当時、誰がアブラハムの信仰を認めることができたでしょうか? アブラハムが示したこの冒険的な行動は、アブラハムとその家族が天国に属する者であり、アブラハム自身も家族も全ての財産も神の命令に従わなければならないことを表していたのです。アブラハムはこの事実を、ただ一人の息子を犠牲にする過程で理解したのです。

だからアブラハムは「この子は私が生んだものですが、あなたのものですから差し出します」という心でイサクを犠牲としようとしたのです。そして現実的な状況を乗り越えたのです。このような歴代の先祖達の信仰の中心を、皆さんは理解しなければなりません。

ヤコブも同じようであり、モーセも同じようでした。神様は彼らを立てる際に平坦な道を歩ませることはありませんでした。ヤコブは生まれた後、エサウから長子の権利を奪う闘いをしなければならず、モーセも幼い頃から戦いの環境にありました。

モーセはイスラエル民族が懐かしい土地の敵国で4百年にわたる苦難を経験していたときに、神様によって選ばれました。彼はファラオの恐ろしい迫害の下で3ヶ月間母親に守られ、その後はファラオの娘に引き取られて宮廷で40年間過ごしました。皆さんはモーセの宮廷での生活が豪華で快適な環境だったと思われるかもしれません。

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しかし、モーセは宮廷にいる間もイスラエルの民を代表する特別な存在であり続けました。それは彼の心に刻みつけられたものでした。そして40年間孤独にイスラエルの未来を胸に抱きながら生きる中で、宮廷を去った時にイスラエル人が宮廷の人々の前で不当な扱いを受けるのを見て、彼の憤りと正義感が爆発し、宮廷の人を殺してしまったのです。

その後、モーセは宮廷を去り、残されたイスラエルの祝福の意志を心に抱いてミディアンの羊飼いとして生活を始めました。彼の生活は快適なものではありませんでした。その時代の誰もが、豪華な宮廷を捨てて羊飼いになるモーセを理解してくれませんでした。しかし、モーセは失望することなく、神様のために知られざる祭壇、イスラエルのための隠れた祭壇を築いていきました。こうしたモーセが80歳になる頃、神様は彼を選び、民族の悔い改めを成し遂げる主役として立てたのです。

その後、モーセの歩んだ足跡はすべて冒険的なものでした。彼は現実を超越した神様の計画の中心的心情を持っていたため、彼の生涯全体が超現実的で、見据えることも、戦いに臨むことも超現実的なものでした。

神様からの命令を受けてモーセがファラオの宮廷に行く時、神様はむしろモーセの進む道を遮り、彼を殺そうとしました。神様はなぜ自分の命令を受けて進むモーセを遮り、殺そうとしたのでしょうか? 現実的には到底あり得ないことでした。ここには私達人間には理解できない内容があるのです。

現実的に考えると、到底越えることができない難関でした。しかし、モーセは既に覚悟を決めていた身だったので、生きようが死のうが、ただ一つの意志が成就することを心から願う気持ちで、神様が遮り、悪魔が遮る試練の条件を乗り越えたのです。そしてファラオの宮廷で超現実的な神の存在を確信し、10回以上の奇跡を起こしたモーセは、4千年の歴史の中で見られなかった天宙的な冒険の革命者でした。こうしてモーセはどんな反対にも屈せず、超現実的な信念で60万のイスラエル人を導きました。これを見ると、モーセの生涯全体が超現実的な冒険の道であったことを皆さんは理解する必要があります。

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モーセの後、民族の回復を代表する者としてイエス様が世界の回復の使命者として現れました。イエス様は、過去の4千年の歴史的な過程において、神様の御心を達成するために多くの先祖達が非現実的な生活を送ってきたことを理解されていました。そして、自らが先祖達が神の計画を達成するために来られたが、達成されなかった使命を完成させる責任を負う一人の存在であることを痛感されたのです。

歴史を振り返る中で、イエス様は多くの先祖達の未解決の問題が残っており、復帰の使命がまだ終わっていないことを理解し、それを終わらせねばならないと決意されました。

まさに4千年の開拓を成し遂げるための非現実的な冒険の使命を歩む覚悟をお持ちになりました。多くの先祖達の冒険的な歴史の使命を総合した使命を果たす覚悟をお持ちになったイエス様であったことを、皆さんは理解しておかなければなりません。

イエス様は、天宙的な冒険の歴史を清算しなければならない使命を負っていたため、彼は生まれながらにして冒険の道を歩まれました。彼の生涯もまた、非現実的な冒険の生活でした。そして最後には、十字架にかかる死の道まで非現実的な冒険の道であったことを理解しなければなりません。

それでは、イエス様の生涯は何を基にした生涯だったのでしょうか? 4千年の歴史を総括する生涯であり、それまで天の怨念に対峙していた冒険的な使命を終える生涯であり、新しい勝利の場を成し遂げるための地上に存在しない非現実的な勝利の生涯でした。


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御言葉選集1(14、15)

2023年07月15日 14時53分17秒 | 学習
文鮮明先生御言葉選集 1 - 14. 1956年10月7日 神の永遠の理想を求めよう(1956年10月7日)
1956年10月7日(日)、元本部教会。
聖書拝読 コリント第一13:1-13


<祈祷>
 愛するお父様、天上の怨恨として残っている闘いの歴史を終わらせる人物が存在しないことが、お父様の嘆きであることを知っております。人類によって植え付けられた堕落の根源を、人類自身が取り除くべきですが、長い歴史が経過してもなお、人類はその罪の根源を抜くことができず、お父様、それを抜くことができるように許可してください。


 今集まった聴衆の皆さん全員がお父様の心情に感じ入り、一体となって許可して頂けることを切望しております。


お父様の悲しい心情を受け継ぎ、お許し頂き、お父様が望まれるその望みを私達に新たに与えていただけますように、お願い申し上げます。残された怨恨の歴史を担いで、数百万の敵である悪魔と戦うことができる、天を代表して現れる勇者達となることをお許しください。また、地を代表して立ち上がる勇者達となることをお許しください。


残された戦場において、永遠なるお父様の愛の心情を互いに分かち合う喜びの楽園が実現するまで、それぞれがお父様の意志を担いで立ち上がることができるよう、お許し頂けますようにお願い申し上げます。一人一人がお父様の全体的な意志を代わりに果たし、悪魔と戦うことができる勇敢な息子や娘となることをお許しください。愛するお父様、切望致しております。

私達の心が天の目標を向いており、私達の体が宇宙全体の目標に向かっていることに気づかせて頂けるよう、お許し頂けますようにお願い申し上げます。

     1

お父様の怨恨を解き放つ喜びの子供達となることをお許しください。お父様、切望しております。

私達の体と心はまだお父様の腕の中に収まっていないため、お父様、導いてください。能力をもって歴史を解き明かし、私達の心の方向を正せる様にお願い申し上げます。私達が本性に向かうように心の方向を正してください。お父様が望まれる希望の道を私達が進むことができるよう、お許し頂けますようにお願い申し上げます。

お父様の喜びの恩寵を私達の体と心が実践できるよう、お許し頂けますようにお願い申し上げます。私達を中心にして再創造の歴史を起こして頂けますように。そうすることで罪悪の根を断ち切り、戦いに勝利し、お父様の愛を体現し、お父様の前で栄光を捧げることのできる子供達となれる様にお許し頂けますように、愛するお父様、切望しお願い申し上げます。

愛するお父様、集まった子供達が、数百万の悪魔の罠に陥ることがないよう、お許し頂けますようにお願い申し上げます。お父様の祭壇に栄光の献身として捧げられることができるよう、お許し頂けますように、愛するお父様、切望し、お願い申し上げます。

今、お父様の前にひれ伏した私達は、お父様の尊厳なる御姿を目の前にし、自らの不足を自覚し、懺悔(ざんげ)することができるよう、お許し頂けますようにお願い申し上げます。温和で謙虚な献身として、お父様の贖罪の恵みの前に屈する子供達となり、お父様のもとに辿り着いた子と同じ姿となれるよう、お許し頂けますように、切望致します。

     2

苦悩の涙を流させずにお許し頂けますように、悪魔が嘲笑する足跡を辿らせないようにお許し頂けますようにお願い申し上げます。心と体がお父様の前に捕らえられたままこの一時でも共にすることができますように、永遠なる命の恵み、復活の恵み、愛の恵みに触れ、お父様、喜ぶことのできる理想的な献身となることができるこの時を許して頂けますように、愛するお父様、切望しお願い申し上げます。

今日は聖なる日であり、万民に祝福を与えるための約束の日です。24億の人々を代表して集まった聖殿ごとに喜びの恵みが共にあることを願い、祈ります。終わりの時代に入った今、聖霊の炎を水のように注いでください。お父様が選ばれた子どもたちが一つにまとまり、この暗闇の世界と対峙できるようにし、6千年の憎しみの心情を代わりにしてあらゆる悪を打ち破り、お父様の子となれるように許可してくださる様にと切に願っております。

まず、3億人の民族を代表するために、3千以上の祭壇を祝福してください。祭壇を代わりにして、お父様に心を尽くして生きる息子と娘達が、永遠のお父様の献身となれるように許可してくださいます様にお願い申し上げます。

今残された戦場で、お父様に負債を作らないように許可してください。永遠の勝利の恵みに耐えることができるように許可してくださる様にと切に願っております。

お父様、 お父様の祝福の心情が地上に表れる理想的な地を築くまで屈しない勇士の心情を持ち、父の意志を確立し続けることができるようにお可しください。お父様、切に願い求めます。

     3

今夜、この場に参加できなかった多くの子供達がいます。どこにいようと、父が一律に働いてくださり、終わりの時に成し遂げたいと望む貴方の意志を全世界に宣言し、天地が喜びの祭壇となるようにお可しください。

持っている力と心と努力を捧げて、ただ父の意志を達成するあなたの子供達になるように許可してください。切にお願い申し上げながら、すべての御言葉を主の御名においてお祈り致しました。アーメン。


《御言葉》
 これからお伝えしたいメッセージのタイトルは「神様の永遠の理想を求めよう」です。しばらくの間、神様の永遠の理想を求めようというテーマでお話しいたします。

 神様は暗闇の地上において、ご自身によって創造の歴史を始める際に、一つの基準を立てられました。それは、内なる心情に残った理想的な姿を永遠の実体として確立することでした。この一つの実体を設け、その永遠の喜びを感じながら、二人ではなく一人の相対的な理想を備えて生きるために、創造の歴史を始めたことを皆さんはよくご存じだと思います。

神様は創造の苦労を経て築いた創造物の中で、人間一人をすべての理想の中心に立てられました。しかし、その一人の人間が神が本来求められた望みとは反対の立場になったことにより、その後の長い歴史が経過しましたが、神様が望まれた理想とは関係のない人間たちとなってしまいました。

     4

その一つの理想を実現するために、一人の人間を再び訪ねて見つけ出す歴史的な計画は、秩序の計画であり、救済の計画であり、開拓の計画でした。

神様の内的な心情として望まれた一つの理想は、全ての被造物に及ぶ理想でしたが、一人の人間の過ちによってその理想は全ての被造物の中で見つけることができなくなりました。

それゆえに、神様は現在までの開拓と救済の歴史を通じて、秩序を確立しようとする一つの中心的な意図が何であるかを探求したいのです。それは、人間を通じて神様の内的な心情として描かれた理想を実現することによって、神様御自身が喜ぶだけでなく、その喜びの理想を人間の永遠の理想とし、栄光の条件として返還されることを望まれるからです。そのために、神様は歴史を進める様に働いておられます。

そのため、私達は今、天の神様が皆さん一人ひとりを呼び、皆さんの存在を知っていることを理解しなければなりません。天の神様は、皆さんが自分自身の理想を実現する一つの中心体となることを望まれており、これまで努力してきておられます。

しかし、私達が不完全な存在である限り、私達は神様の意志と人間の意志、そして悪魔の意志を区別することができない限り、神様が望まれるその理想を実現することはできません。

     5

左を見ても右を見ても上下を見ても、達成しなければならないものは神様の理想です。ですから、左側に属している群れであろうと、右側に属している群れであろうと、また地上に存在する全ての存在や天にいる無数の聖徒達でさえも、その一つの理想が何であるかを知らずに崇拝していることを皆さんは原理を通じてよく理解しています。

この暗い世界において、神様の新たなる輝かしい理想が現れる日はいつの日であり、その時はいつであり、その時はいつの時期であるのかと問われるとき、数多くの聖賢や先知達は自らも知らずに知らない道を切り開いてきたことが今日まで続いています。

したがって、今は皆さんが神様の輝かしい理想の心情を通して彼らに対して、「あなたが心から描いていた希望がこれであり、あなたが求めていた理想がこれである」と言える、不変で永遠の理想の要素を持っている必要があります。それによって、皆さんの心を通じて、身体を通じて、環境を通じて実現される喜びの場所を築かなければなりません。そのような喜びの場所を皆さんが築くことができないならば、神様の理想はこの世界で見つけることはできないということです。

では、ここで最も重要な問題はどこにあるのでしょうか? それは想像された万物にあるわけではなく、霊的な領域にあるわけでもありません。また、天上の天使にあるわけでもなく、全体の中心であり、一つの基準であり、万物の主役である皆さん自身にあるのです。したがって、皆さん自身が神の理想を左右する中心であり、基準であることを皆さんは認識する必要があります。

死に直面しているこの世界において、その一つの基準点、その一つの中心点が現れる日の喜びは、今日の歴史の進行における私達の希望であり、数多くの悪霊と戦いながら進む神様の摂理の意志であることを私達は心に留めておかなければなりません。

     6

したがって、今私達が神様の理想を尊敬する心を持って生きるためには、まず自己の内に神様の内的な心情と調和し得る存在を確立しなければなりません。自然が法則に従って進んでいくのと同様に、私達自身の心が神様の心を中心にして動く必要があります。そして、これを天の宇宙的な終着点まで到達することができる心の中心として確立しない限り、神様の永遠の理想は有限の世界と永遠の関係を結ぶことはできないことを皆さんは知るべきです。

では、今私達自身の心と体を見つめるとき、私達の心と天との間に障壁はありますか? 私の心と体の間に障壁はありますか? 私の体と万物の間に障壁はありますか? そのような障壁がある限り、永遠なる神様の理想は既に皆さんとの関係を切っていることを意味します。

今、私達は心の扉を開かなければならず、体の中のすべての罪悪を取り除いて、調和することができる基準を確立しなければなりません。そうすることで、天国的な性格を感じずにはいられず、行動しなければ為される事の無い自然な才能を受け取り、神様と共に神様の理想を実現していかなければなりません。

しかし、堕落した人間はその基準から遠く離れているため、その基準に引き上げるための努力の歴史が生じます。それがまさに復帰の理想の歴史です。その意味を実現するための復帰の歴史が、今まで先進者達を送り出し導いてきた歴史であることを、私達は心の底で深く肝に銘じなければなりません。

今、皆さんは前進しなければなりません。そのためには、まず万物を象徴し、与えられた身体の価値、天性を代表し、身体の中心として与えられた心の価値を持つ必要があります。そして、全てを包括する中心である神様の内的な心情、全体の中心から湧き出る神様の内的な心情が私達の心を通り、身体を通り、私達の生活の舞台を通って、万物の存在まで一つの運動として現れなければなりません。これらすべてを私達の一つの身体で成し遂げなければなりません。

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神様は、堕落によって神様の主管圏から離れた人間を本来の位置に引き上げるために、6千年にわたって歴史を進めてきました。その歴史はどのようなものだったでしょうか?  神様は創造の原理に従い、象徴的な実体として万物を創造し形象的な実体として人間を創造しました。ですからそのような存在が私達の心の理想的な基準である限り、私達は神様と切り離されるのではなく、一体性を持つ関係を持つことになります。

人間の持つ関連性を妨げ、連絡の道を断ち切って歴史を進める存在は誰でしょうか? それは皆さんの敵、悪魔です。この悪魔と戦い、永遠の勝利の絆を築かなければ、悪魔に従われることはありません。しかし、今日も明日も神様の理想の王国が私達の体と心を通じて実現しない限り、神様が望まれる希望の理想が個人間や宇宙全体で実現されずに、サタンは排除されないということです。

しかし、神様には私達の心のための理想、私達の体のための理想、そしてすべてのもののための理想があります。しかし、悪魔はこれに逆らって戦っています。したがって、悪魔を世界的に責任を持って屈服させる希望の日が現れなければならないということです。

その悪魔と結びついた条件があるため、それを除去する前には、神様の理想は私達と関係がないということです。ですから、神様は自らの理想を実現するために、悪魔と対立して勝利することができる主人(マスター)を立てられました。その方こそがイエス・キリストでした。

しかし、今日ではすべてのものから身体を通じて、身体から心へ、心から天上まで連絡路が遮られています。この要求する心と身体、要求する対象との遮られた連絡路を突破し、通じる歴史をもたらしてくださったのは、イエス・キリストと聖霊です。

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では、イエス・キリストがこの地においでになった不変の目的は何でしょうか? それは、必ずや神様の理想を実現することでした。まず、人間の心を復帰し、体を復帰し、そして万物の世界まで復帰することでした。イエス・キリストはこのような総合的な理念と理想を持っておいでになりましたが、信じるように選ばれたイスラエル民族が信じなかったため、神様の心の姿に代わって立てる心的な理想だけを打ち立ててお帰りになったのです。そのため、今日、私達はその心的な理想、すなわち霊的な理想を打ち立てるまで、イエス・キリストの生涯とイエス・キリストの歴史を知らなければなりません。

イエス・キリストは、神様が望まれるその理想を実現するための心的な勝利の道、つまり悪魔に対して勝利する道を私達に示してくださいました。ですから、私達はイエス・キリストに依って理想を追い求めることは、ある特定の時間枠内の理想ではなく、神様の永遠の理想を追い求めることです。

イエス・キリストは、人格、希望、信仰、生命、愛など、すべてを達成するための使命を持ち、それは一時的な使命ではなく、永遠を代表する使命でした。私達は、イエス・キリストがそのような使命を果たすために戦われたことを知る必要があります。

では、私達が神様の理想を追求し、その理想を達成したいとする場合、今日私達が持つべきものは何でしょうか? 私達は神様の永遠の要素を持つ必要があります。なぜなら、時代や状況が変わっても、神様の永遠な実体は変わらないからです。

したがって、神様が持つ理想も永遠の理想であることを理解する必要があります。その結果、今日の人々が追求すべき残された最後の理想は、神様が望まれる永遠の理想です。今あるいは明日であっても、自分自身が神様が望まれるその永遠の理想を達成するまで戦わなければなりません。人生を捧げて戦っていかなければなりません。

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イエス様はこの地上において、神様の永遠なる理想を追い求めるために来られ、信じることのできなかったイスラエルの民の代わりに永遠なる信仰を確立するために戦われた方です。歴史の過程で多くの人々が神様を信じてきました。しかしその彼らが信じる希望や信仰の限界は、個人的な範囲に留まっていました。しかしイエス様だけは信仰や希望を自己中心的なものとして確立しませんでした。彼はそれが神様の永遠なる理想に立てられている限り、それ以上の要素を持つ信仰、つまり永遠なる信仰を確立するために一生を捧げました。

イエス様が30年以上の生涯を通じて望まれた中心は何でしょうか? それまでの4千年の歴史の中で、多くの先人たちが信仰の基準を確立しましたが、彼らの信仰は民族的な限界を超えることができず、世界的な限界を越えることができませんでした。そのため、イエス様はそうした基準を超えて神様の永遠なる理想を実現すること、永遠なる信仰を確立することが彼の生涯の中心内容であったと言えます。


そのためイエス様の信仰は自己の救いを目的としたものではありませんでした。また、この地上だけを救うことを目的としたものでもありませんでした。イエス様は歴史の始まりから終わりまで神様の計画をご存じであり、その計画に基づいてすべてを復帰されようとされました。


また、イエス様は神様の永遠なる理想を確立するために、歴史上前例のない永遠に変わらない基準を打ち立てるために、悪魔と戦われました。イエス様はそのような理由から神様の永遠なる理想を求められ、永遠なる信仰の条件を確立することができました。

そのため、皆さんがイエス様を慕い求めるならまずイエス様一人には歴史的な全人類への内容が包括されていることを知る必要があります。彼は4千年の歴史の中で数多くの信仰者や当時の人類全体の信仰を統合できる唯一の方でした。また、天地創造から終末までの未来の歴史を代表し、全人類の信仰を統合できる基準であり、永遠に変わらない中心を持ってこられた方でした。

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そのため私たちはイエス様の信仰を見習わなければなりません。そして個人を超え、社会を超え、国家を超え、世界を超え、天地を超え、永遠なる神様の希望の基準、永遠に変わらない確かな信仰の礎を築くためにこの地上で30年以上を過ごされたイエス様であったことを知る必要があります。私たちはイエス様を信じるならば、全く新しく唯一無二の永遠なる信仰の基準を打ち立てたイエス様に似なければなりません。

そして、私たちはイエス様の希望を受け継ぐ必要があります。イエス様の希望は、彼自身の個人的な希望ではありません。過去の数多くの祖先が長い間抱いてきたあらゆる希望を包括した希望でした。また、天と地に根ざしている永遠なる神様の希望を代わりに持たれたのです。そのため、イエス様は歴史上誰もが持つことのできなかった神様の永遠なる理想を実現することができる希望の中心を確立したため、私達の希望に代わることができたのです。

それだけでなく、イエス様は天に向かった信仰を築き、希望を持ち、また生命の絆と愛の絆を持ちました。そして彼は自らの希望を永遠の希望とし、生命も永遠の生命として確立するために30年以上にわたる闘いと努力を費やしました。

しかし、イエス様が自分の人生の過程で生命の価値を感じたのは全人類を代表して永遠に実在し、生命の中心として存在する神様の永遠なる生命の要素を受け継いだからです。イエス様はこのような永遠なる生命の所有者であったためいかなる悪魔の力も彼に及ぶことはありませんでした。またイエス様が確立した愛は現代の人々が持つような自己中心的な制限の中でとどまる愛ではありませんでした。それは永遠なる神様の理想を実現するために死をも厭わない変わらぬ愛でした。


そのため、今や天の神様を愛するイエス様の心はすべての民を代表することができました。天上と地上において、やっと神様の永遠なる理想に代わり、天宙の人類全体を代表して変わらぬ愛の心をイエス様は持っておられたことを皆さんは知る必要があります。

     11

イエス様は信仰と希望と命と愛によってこのような秩序を確立し、私達は今日それを受け継いでいます。私達は彼が努力を経て築き上げた救いの計画を理解しなければなりません。また、自己犠牲の基準として自らを犠牲にし十字架の盾となって立てられた彼の業績を見習わなければなりません。

さらに、今日地上で限りある存在である私達は、無限の神様からの信仰によって無限の神様の希望、無限の神様の命、無限の神様の愛を慕い30年以上の生涯を悲しみながら過ごされたイエス様の生涯を思い起こさなければなりません。万宇宙の主役であり、万民の救い主であり、地球の主であるイエス様は希望と信仰と命と愛の全てにおいて神様の永遠の理想を実現する条件を確立するために生涯を捧げたことを皆さんは知らなければなりません。

そして、皆さんはそのようなイエス様の心情で万物を見る必要があり、イエス様が感じていた感情を共感しなければなりません。またそのような志とそのような希望、そのような理想を称えながら闘ってきたイエス様であったことを知らなければなりません。彼を単に2千年前に現れた歴史的人物として考えてはいけません。

今日、皆さんの心の中におり、皆さんと共に一つとなっているイエス様を感じなければなりません。永遠の神様の理想を実現できる生命的な要素を再認識しなければなりません。それによって、皆さんの信仰がイエス様の信仰に匹敵し、皆さんの希望もイエス様の大いなる希望に匹敵し、皆さんの生命と愛もまた、イエス様のものと同等でなければなりません。

皆さんは、神様の全体的な理想を具現化したイエス様の心情を見習う必要があります。イエス様は信仰や希望、命や愛などを全て確立するために戦ってきた中心の心情を、今日の皆さんが受け継いで実現しなければなりません。その意志を実現する人がいないとすれば、イエス様が十字架で犠牲になられたことによってこの地上で達成されるべき意志は叶わなくなります。イエス様の未完の業績が残されているため、摂理は今日も私達の中に存在しています。

     12

そのため、私達は身体を通してイエス様の姿を感じる努力をし、万物を通してイエス様の姿を感じようとしなければなりません。それによって、イエス様の姿と私達の姿が合わさり、全宇宙を代表する永遠の神様の理想に合致することができなければなりません。

今、皆さんはイエス様が十字架にかかっておられたことが何を予告していたのかを知る必要があります。その十字架は永遠の信仰を達成した十字架であり、永遠の神様の希望を共感させ、奨励していた十字架であり、神様の永遠の命と永遠の愛を私達も持つように勧めていた十字架です。そして、十字架を通じて達成された救いの道は、イエス様の永遠の信仰、永遠の希望、永遠の命、永遠の愛を私達に伝えるための条件となることを皆さんは知らなければなりません。

しかし、宇宙の全人類を代表しておいでになったイエス様の信仰が全体に現れなかったため、つまり世界的に実現されなかった希望はイエス様が十字架で訴えた結果だったのです。命と愛も同様でした。もし当時イエス様が望まれた信仰、イエス様が望まれた希望、イエス様が望まれた命、イエス様が望まれた愛が現れることができたならば十字架の結果としての訴えはなかったでしょう。

したがって、今私達が十字架を通じて備えるべきものは何でしょうか? それは、イエス様が持っていた永遠の信仰、イエス様が抱いていた永遠の希望、イエス様が持っていた永遠の命、イエス様が慕っていた永遠の愛を持つことです。今日、私達は十字架の前に立たれた永遠の信仰、永遠の希望、永遠の命、永遠の愛を単にイエス様のものとして考えてはならないということです。

 私達はその十字架を背負い、その永遠の信仰を私の信仰として、その永遠の希望を私の希望として、その永遠の命と愛を私の命と愛として所有しなければなりません。さらに、イエス様が人類のために十字架を背負いながらも与えてくださった神様の理想の要素を私達は持つ必要があります。その後、イエス様が永遠の信仰、永遠の希望、永遠の命、永遠の愛を伝えることができる弟子を持っていたように、私達もそのような心情を持つ人となる必要があります。

     13

イエス様から受けた信仰の責任、イエス様から受けた希望の責任、イエス様から受けた生命と愛の責任が皆さんがその条件を果たせなかった場合には最後の審判の条件として現れるでしょう。

終末において神様は皆さんに問いかけ、イエス様が遺した永遠の信仰の債務を果たしたかと尋ねられるでしょう。イエス様が遺した希望の債務、生命の債務、愛の債務を果たしたかと尋ねられるでしょう。そのような立場に立つ時、イエス様が十字架上ですべてを成し遂げたと述べられたように、皆さんもそうでなければなりません。今日、私たちはイエス様の前で、「私はあなたが残してくださった永遠の神様の遺産を私の人生で完遂しました」と言えるべきです。そのような人物がこの地上に現れない限り、神様の終局的な計画は完了しないことを皆さんは知らなければなりません。

4千年の歴史の中で、永遠なる神様はその理想の中心的要素をイエス様によって確立されました。霊的で内面的な救いの条件を広げ、世界的な基準にまで拡大するために、今日までイエス様と聖霊は歴史を通じて働いてこられました。ですから、今日、私達が外的に内面的な神の理想の要素を実現できる永遠なる信仰、希望、命、愛を築けなければイエス様の2千年にわたる摂理の意志は無駄になります。皆さんはそれを理解する必要があります。

今、皆さんはイエス様に倣って神様の心さえ感じたいという信仰の道に入っています。しかし、皆さんは自分がどれだけ信じているのか、自己の信仰の枠組みの中で信じていませんか? 宇宙全体を代表したイエス様の信仰と比較して差異がある場合、その差異は終末における審判の条件となるのです。

あなたが今日持っている希望は何ですか? あなたが概念的に持っているその希望は、自分自身のための希望ではないでしょうか。あなたはイエス様の希望をあなた自身の希望として証ししなければなりません。それによって、あなた自身を超えて神様の永遠なる理想を具現化したイエス様の希望を持つ必要があります。しかし、もしもあなたの希望がイエス様の希望と異なる場合、その差異が終末の審判の条件となることを理解する必要があります。

     14

生命も同様です。今日、私たちがイエス様を信じて生命を得たとしたら、その生命は自分自身のためにある生命ではありません。その生命はこの民族を回復し、数多くの聖徒達を動かすべき生命です。十字架の前に立ち、悪魔の攻撃に直面しながらも神様の永遠なる存在を具現化したイエス様の謙遜な心を代わりに持つことができる生命です。

イエス様は十字架で自分の生命が失われる立場にありながらも、敵の攻撃に対して一言も呪わずにいました。

イエス様は、彼らが通常知っているような存在ではありませんでした。彼は、4千年にわたって神様が人間のために悪魔と戦われる中で感じられた神様の永遠の愛を理解しようとする方でした。皆さんがイエス様の無限なる心情を憧れるようになると、それが信仰の基盤となることを感じるでしょう。

ですから、イエス様が感じた天の愛に対する感動は、地上のどんな非難や困難も超えることのできる永遠の神様の理想を代わりにできるものでした。そのような立場に立っていたイエス様だからこそ、悪魔の誤りによって死の道を歩むことも忘れ、人類のために祈ることができたという事実を皆さんは知るべきです。

今日、皆さんがイエス様を信じて、無限なる神様の愛を受け、無限なる命を受けたと主張する場合には、その命がどの範囲にあるのかを反省する必要があります。

     15

イエス様は、神様の愛、つまり全宇宙を創造し、その中に満ち溢れる永遠で理想的な神の愛をご存知でした。そのため、彼はこの地上で自分自身を愛し、自分の家族を愛し、自分の民族を愛し、世界を愛するよりも、まず神様を愛されました。

そのため、イエス様はすべての愛の中心となる神様の愛を胸に、歴史の中で数多くの先志先烈たちを代わりにして、彼らが果たせなかった神様の計画を成し遂げるためにやって来られました。困難な試練に直面しても、それを忘れて人類を愛し、神様を愛する心情を持ち続け、それを私達に伝えてくださったのが十字架の愛です。皆さんはそれを考えてみる必要があります。

終末の審判があるとするならば、神様から流れ出てイエス様によって示された神様の愛が皆さん自身に届いたとき、皆さんはその愛を受け入れ、皆さん自身の内に永遠に持ち続けることができる心の基盤を持たなければなりません。もしもそのような心の基盤がないとすれば、皆さんは終末の審判の時に神様の前に自信を持って立つことができません。

ですから、今私達は私たちの前にキリストの偉大で高貴なる希望と理想があることを知る必要があります。その偉大で高貴なる理想は、イエス様によって初めて地上に現れたのです。

ですから、今私達はイエス様を信じ、彼に倣おうとするのです。イエス様は霊的な領域においても、世界を代表して悪魔と闘っておられます。永遠なる神様の理想を達成するために、聖霊と天の数え切れないほどの天使達と共に、私達を代わりに悪魔と戦っておられるのです。

     16

私達に残された信仰、私達に対する希望、私達に求められた命、私達に願われた愛を今私達は私自身の愛として、私自身の命として、私自身の希望として、私自身の信仰としてだけでなく持っていくべきではありません。もし私達がそれを私のものとしてだけ持っていると言うならば、永遠なる神の理想は私とは何の関係もないものだということを皆さんは心に留めておくべきです。











文鮮明先生御言葉選集 1 - 15. イエス様は宇宙的な革命の主人公(1956年11月11日)
1956年11月11日(日)、元本部教会。
聖書拝読 ヨハネによる福音書 14:1-21




<祈り(Ⅰ)>
愛するお父様! お父様が生命の園を眺めることが創造の目的であり、お父様の栄光を讃える真実の園が理想的な場所であり、永遠に変わらぬ愛を中心に、あなたの姿の前で全てが躍動し、お父様の内面的な姿や外的な形を明らかにしつつ、それに取り憑かれて生きるべき場所が本来の園であったことを知っております。


愛するお父様、今日私達が望む希望の園をこの時感じることができるようにお許しを与えてください。本来の園を思いやり、心で敬愛すると同時に、体を動かして礼拝することができるようにお許しを与えてください。心でお父様の意思を高くし、同時に体が生け贄として捧げられるようにお許しを与えてください。


お父様が私達を見つけるために努力されたすべての努力を今は私達に委ね、お父様は栄光を受けることを熱望しております。


お父様、ここに寂しく集まったあなたの子供達です。一つの命も捨てずに、まず彼らの心がお父様の永遠の命に燃え上がるように許しを与えてください。そうしてお父様の愛の心と一体になるように許しを与えてください。お父様の命に私達の身体と心が一つになり、全てが一つに結ばれて供え物となるこの時をお許しを与えてください。そうしてお父様が喜んで受け取ることのできる不足のない供え物となるように許しを与えてください。父よ、熱望しております。


     17


お父様なる神よ、私達を保護してください。分別の歴史を負うてください。悪魔が侵入することのないこの時をお許しを与えてください。ただ父の意思に捧げ従い、応えることができるようにお許しを与えてください。ここで心と体を従順にすることができるこの時をお許しを与えてください。


そうして自分の不足と間違った要素を全てお父様の前にさらけ出し、正直に告白し悔い改めることができると同時に、お父様の愛を受けることのできるこの時をお許しを与えてください。愛するお父様、熱望しております。


お父様、この日は聖なる日であり、祝福を与えられ、約束された日です。この民のために集まる数多くの祭壇を祝福してください。孤独な祭壇で戦っている子供達にも一斉に恵みを与えてください。


あなたが予告し、示し、証明された事実が彼らを通じて明らかになるようにお許しを与えてください。この民が闇に囚われていることに気付き、他の人々をも目覚めさせるために、直接的な歴史を示してください。あなたが働かれる教会を通して、あなたの子供達を通して、この時を現わしてください。愛するお父様、熱望しております。


約束された終わりの日が近づいており、許された恵みの時が来ておりますが、私達はまだ完全ではなく、不足していて、未完成です。私達が受け入れるべき父の意志を受け入れない者にならないようにお許しを与えてください。


     18


お父様、私達が自らを嘆き悔いながら、お父様の前にひれ伏すことができる者達となれるようにお願いします。孤独な祭壇で戦っている子供達も多くおりますので、彼らにも均一な恵みをお与えください。


お示しいただき、お見せいただき、お証しいただいた事実が、最後の日を迎えることによって明らかになるようにお願いします。この民が闇に囚われていることに気づき、他の人々をも目覚めさせるために、直接的な歴史を示してください。お父様が働かれる教会を通して、子供達を通して、この時が現れるようにお願いします。愛するお父様、心から願っております。


性別や立場を超え、完全で純粋な心と身体を持ち、謙虚な姿勢で父の本質の前に立つことができる者達となり、そのような時を柔和な姿勢で受け入れることができるこの一時をお許しいただきたく、切に願っております。


お父様、あちこちで言葉を持って闘う子供達がお父様の前で謙虚に立つことを知っておりますので、彼らを守ってください。このような時と同様の恵みを与えてください。


お父様、この民のために私達を使命し、勧め、共に協力されたならば、私達に生きているお父様の子として誇りを持てるように許してください。生命の中心に立っていることを証明できるようにお許しください。


     19


お父様、あなたの手に掴まれた事実を証明し、この民を目覚めさせて悪魔の罠から救い出すことをお許してください。


そのようにして、民族的な使命を許されようとするお父様の全体的な意思の前に、この民族が恥じることのないように私達を立てて、父の前に導いてください。切に願っております。


初めから終わりまで、お父様と聖霊が喜ばれる御心に私達の心と身体が共鳴できるようにお許しを与えてください。この全体の集まりを栄光の供え物として受け取ってください。切に願っております。


初めから終わりまで、全てを主管してください。あなたの名においてお祈り致しました。アーメン。




<祈り(Ⅱ) >
お父様! シオンの中心を築くために、多くの先祖達が血を流し、お父様の前で心配事を引き起こし、負債を減らすために今まで戦ってきました。


     20


お父様! この時、私達の心にシオンの栄光が注がれるようにお許しください。永遠にお父様が居て下さるシオンの喜びが私達の心に満ち、溢れるようにお願い申し上げます。


私達がお父様に心と体を委ねることができる栄光の子となるならば、私達にはそれ以上望むものはありませんし、それ以上の希望はないことを知っております。


しかし、永遠なるお父様の愛の手にとらわれなければ、この地上に私達と同じように孤独で哀れな存在はなく、悲惨な人々も存在しないでしょう。


お父様! 戦いに疲れ、迫害に疲れ、困難な環境に苦しんできたあなたの子供達を、この時生命と愛で守って育んでください。


この時、傷ついた私達の傷を癒すことができるように、お父様の前に現れたこの傷だらけの身体と心を、お憐れみください。この時だけでも、お父様の心の中に秘められた愛の味を知ることができるように、お許しください。


     21


そうして、天の心に似て、天の栄光を中心に全てが歌い、天の栄光を中心に全てが楽しむことができ、天の意志のために全てが頭を垂れることができるこの時をお許しください。私のお父様よ、心から願い求めます。


お父様! 孤独な私達をあちこちに追いやられたのもお父様であり、悲惨な状況で天に向かって語りかけさせられたのもお父様です。この時、彼らが慰めを受けることができるようにお許しください。


今日、この場に広がるお父様の子供達が歩んできた苦労の後には、まだ幼い足跡が残っており、悲しみの涙が彼らの祈りを支えています。お父様、彼らを憐れんでください。


この日から抱く希望、この日から抱く願い、そしてこの日から感じるお父様の愛に感動し、希望を持って明日の戦いに立ち向かえるようにしてください。私達の人生の旅において、数々の敵の呪いの壁を乗り越えることをお許しください。そうして平和の心だけが私達の心の中心となるようにお許しください。勝利に向かう渇望の気持ちだけが私達の生命の中心となり、この民を代表して戦いの旗を掲げることに不足がないようにお許しください。


天が許された勝利の言葉を盾として立ち上がることに不足がないようにお許しください。今日も明日も、悲しみを抱えた者にならないようにお許しください。お父様の永遠の愛に燃え、現れている敵悪魔を打ち破り、残ることのできる子供達となるようにお許しください。愛するお父様、切に願い求めます。


     22


この孤独な段階を導いてくださるお父様、あなたの後に続いている子供達も孤独で哀れな場所にいます。今日もお父様が彼らの生命の全体となり、善の全体となり、希望の全体となり、彼らを慰め、導き、愛してください。


この時は終わりの時であり、人の言葉は必要ではありません。人を介した言葉も必要ではありません。人を中心とした意図も必要のない時であることを私達は知っています。ただ、永遠の命の鼓動を通じて生まれるお父様の愛の言葉だけが必要なのを私達は知っています。今日集まったあなたの子供達が愛を感じられない不安定な場所にいるとしても、お父様、測り与えてください。炎のような眼差しで見守ってください。私達の心に秘められた喜びの核が現れるようにしてください。私達はさまざまな恐れに捕らわれた私達ですが、お父様の前に出て悔い改める子供達となるように許してください。


お父様の手にとらわれて、お父様の恵みを感謝することを知る者があれば、変わることなくその心を抱くようにお許しください。聖なるお父様の前に愛の子供達として生まれ、なお残る子供達となるように許してください。お父様、切に願い求めます。


今日もこの民のために集まる数多くの祭壇の上に祝福を与えてください。意図を知らずに熱心に天に訴える聖徒達の声が天に届いたことを知っていますので、彼らの怨恨を解き放ってください。彼らの心を支え、彼らを導いて、最後にお父様の望まれる意志を受け入れ、成し遂げることができるように導いてください。


また、目的のために人々が知らない孤独な道を切り開き、闇と戦っている隠れた兄弟達がこの民の中に多く存在しています。その闇がこの民の前から退く時が早く訪れるようにしてください。


     23


生命の動きも一つであり、恵みの働きも一つであり、栄光の現れも一つでした。お父様、彼らを通じてあかしを示し、散らばった祭壇を囲い、お父様の意志を中心に据えて立ち上げ、この民が一つとなる喜びの祭壇を形成してください。お父様、切に願い求めます。


今日も孤独な子供達が地方で御言葉を持って戦っているので、そこにも共にあってください。彼らは6千年の歴史の最後の敵と戦って勝利しなければならないという精神で勝利の祭壇を築き、お父様と子供達が共に楽しむことができるその時を待ちながら、お父様の命令に従って戦っています。お父様、共にあってください。彼らが滞在するあらゆる場所にお父様の直接的な歴史を示してください。そんな環境を通じて全体にまで及ぶことができるようにお許しください。切に願い求めます。


今、この一時にお父様、喜びの恵みを与えてください。私達を受け入れてください。すべての御言葉を愛する主の名においてお祈り致します。アーメン。




<御言葉>
 今日のこの時、イエス様は宇宙的な革命の主役というタイトルで少し話したいと思います。


新しいものが創造される過程を見ると、それは革命的なプロセスと見なすことができます。たった六日間で作られたすべてのもの、つまり微小な昆虫から人間までのすべての創造物を見ると、神はより新しく、より優れた存在を創造し、最後に人間を創造されたのです。


     24


人間の創造によって、神はより高い神の内面的な性質と外見の形を完全に備え、それが父なる神が永遠に誇りに思える新しく変わらない実体であることを望んだのは、創造主の理想であったことを皆さんは知っているでしょう。


こうして人間は神が楽しむことができる永遠の新しさの実体として、万物の支配者となり、どんな創造物と比較しても美しく、素晴らしい存在となるために造られたのです。こうして造られたものが万物を統べるアダムと呼ばれたのは、皆さんもご存知でしょう。


アダムは神の本来の善意と内なる栄光を実践的な生活を通じて楽しむ存在として存在したかったのです。しかし、アダムは堕落によってその意味を理解することができませんでした。神が創造されたすべてのものを代わりにして新しさの栄光を示すことができない存在に堕ちてしまったのが、堕落した人間です。


しかし、人間が堕落した状態であっても神の意志は不変の意志として必ず完成されなければならず、神としての威厳を保ち、権能を示すことができるため、それを再創造するためのものが回帰の歴史、救済の歴史であるということを皆さんは原理を通じてよくご存知でしょう。


しかしこのような立場から、宇宙の万物に対して天は直接介入しません。天と地の間で見つけることも、他の被造物の中で見つけることもできない貴重な存在は、神自身です。神は自身の内に隠された全体の姿を、より高次元の新たな形で顕現させることができる主人公として現れるのです。それが実現される日はいつでしょうか? この感動的で衝撃的な一日を迎えるために、今日まで神はこの目的を立て、回帰の計画を通じて絶えず努力しながら歴史を進めているのです。


     25


創世以降、神はすべての被造物を与えても変えることのできない、今までになかった喜びを味わわせる新たな宇宙的存在を見つけるその日はいつ訪れるのでしょうか? 神はその一日、その存在を切望しておられるのです。




神は、神自身と人間、そしてすべての創造物が共に楽しみ、喜び、調和することができる創造理想世界を既に計画し、構想し続けておられます。したがって、内的な象徴である天と外的な象徴である地が共に喜び合い、楽しむことができる主人公を中心にして楽しむ時、天と地が共に喜び得るということです。このような基準を見つけるために、天も努力されていることを皆さんはよくご存知でしょう。




では、父なる神が求められる意志とは何でしょうか?天地を破壊し尽くすかのような状況でも、手放すことのできないただ一つの意志があるとすれば、それは完成された人間です。人間が完成されるまで、原理的な創造の原則を経て真理の実体となるべきですが、堕落により原理にそぐわない実体となってしまいました。そのため、人間は人間の形を備えていながら、内面的な性質と外的な形が神の永遠なる実体を代わりうる分身として現れることができませんでした。




そのため、堕落した人間は人間の形は持っていますが、創造理想の形を失ってしまいました。しかし、神はこの人間に対して再び創造理想の形を注入し続けておられます。天が新たな実体を見つけるために努力される歴史を、皆さんもよくご存知でしょう。




では、この一つの中心的な存在であり、希望の存在としておいでになった方は誰でしょうか? それはイエス・キリストでした。イエス・キリストを送られるまで、神は4000年もの間努力されました。


     26


創造の後、初めて調和できる新たな存在として、万物の前に現れることができる存在として、イエス様をお送りになりましたが、人々はイエス様を神の意志の指針として受け入れることができず、逆に堕落した歴史を繰り返しました。


失われた善の基準を見つけるため、努力された神は4千年の歴史を通じて、悪魔の誘惑に陥った人々を呼び集め、民族的な基盤を築いてこられました。したがって、この民族的な基盤は、神と万物を代表し、天地のすべての存在を代表することができるイエス様のための基盤となるべきものでしたが、イエス様はイエス様のまま、民族も民族のままに去ってしまいました。ここで私たちの使命と神の使命が決定されたのです。


神を中心に宇宙を新たなる世界として再構築するために、全体の代わりとしてお遣わしになったイエス・キリストを全体の主人公として受け入れるべきユダヤの民は受け入れず、全体の主人公となる使命を持つイエス様はイエス様のまま、民は民のまま消えてしまいました。その結果、神の悲しみはさらに深まったことを皆さんは知るべきです。


イエス様自身が当時のユダヤの民に対して述べられた言葉や示されたすべては、自身の意志ではなく、だれの意志だったのかというと、それは天の意志でした。イエス様は神の摂理の意志を代わりになさったのです。しかし、イエス様を通して神の意志に対立しなければならない堕落した人々との間で矛盾する論争が起こりました。


堕落したこの世界に神の御言葉が現れるとき、その御言葉が民族の前に現れれば、民族を革命させる御言葉となり、個人に現れれば、個人を革命させる御言葉となり、世界の中に現れれば、世界を革命させる御言葉であり、また天地を新たに革命させる御言葉として現れることを、当時のユダヤの民は知りませんでした。


     27


イスラエルの民は、4000年の間にわたってモーセを通じて下された律法とヤコブに下された契約が彼らの理想を成し遂げ、全体を代表できるものだと信じていました。しかし、神は低い位置から徐々に引き上げる歴史をなさっていました。受育的な旧約時代を経て、成人的な新約時代に至り、完成の段階まで進む天地創造の原則的な経路を再び進んでいる歴史を、イスラエルの民は知らなかったのです。


そのため、イエス様の言葉は当時の人々が容認できない、生命の言葉でした。それは旧約の律法よりも高い新たな言葉であり、従来のものよりも高い新たな価値とのつながりを求める言葉であったことを、当時の人々は知りませんでした。


イエス様が望まれたことは、神の全体的な創造理想を実現することでした。ですから、天地を代わりにして宇宙的な使命を遂行しようと、絶えず革命的な過程を経て現れられたのです。したがって、イエス様がこの地に現れて宇宙的な意志の道を歩まれる時、堕落した人間を本来の位置に引き上げる過程があり、その過程には数多くの戦いと革命的な進展があったことを、皆さんは現代においても知るべきです。


では、この革命的なイエス・キリストの希望はどのような希望なのでしょうか? それは、皆さんが今生きているこの地上の希望ではありません。それは世界を超え、無限の神の国とつながることができる希望です。


この希望はイエス様の希望であり、同時にイエス様と一体化した神の希望でもあります。ですから、神はイエス様に希望を寄せ、イエス様を通じて神の意志を現そうとされたことを人々は知らなければなりません。


     28


では、イエス様がユダヤの民の前に現れて述べられた言葉や神の全体的な意志を代表した実体とは、どのようなものだったのでしょうか? それは歴史上に存在しなかった新たな真理の主人公として現れたのです。多くの人々が真理を叫んだかもしれませんが、それは個人的な真理にすぎませんでした。彼らはそれを民族や国家を代表する真理だと主張したかもしれませんが、実際にはそのような真理にはなり得ませんでした。


ですから、天地を再び照らし出すことのできる真理を具えて現れたのはイエス・キリストでした。それゆえ、イエス・キリストが述べられたその言葉は、その時代や世界において最高の価値を持ち、新しく革命的なものでした。


もしユダヤの民がこの革命的な真理の言葉が神の意志であることを知っていたならば、これまでの自分たちの生活を捨ててこの真理を追い求めたでしょう。


このような立場に立つユダヤ民族が実現しなければならない一日を破ってしまったのですから、私たちはこれを超えていかなければなりません。結ばれたものを解き放つ使命が私たちにはあります。イエス・キリストの真理を受け入れなかったことにより、犠牲が生じているのです。


神は一つの民族を立て、その民族の中で一つの中心を確立し、その中心を通じて宇宙的な真理の言葉で神の内的な思いを表現しようとされました。しかし、イスラエルの民はこの事実を知らなかったのです。


     29


イエス様は30年以上にわたり、永遠の真理の言葉を示すべきであったが、彼らの不信心によってイエス様は捨てられてしまった。そのため、人類は言葉の実体を見つける瞬間まで、イエス・キリストが神の意志と思いを代わりにこの地上に伝えようとした宇宙的な新たな真理を追求する必要がある。


今日の信仰する聖徒たちは、イエス・キリストの希望を実現させなければならない。イエス様が証しした言葉は、当時は民族的な言葉として、また世界的な言葉として現れるべきであった。しかし、世界的な言葉として現れることができなかったため、キリスト教は苦難の宗教となったのです。


もしイエス・キリストの言葉が当時、この地上を救う中心的な言葉として現れていたならば、神の力を示すことができたでしょう。個々の人がイエス様の前に従い、イエス様の前に従う民族があり、イエス様の前に従う世界があったとしても、神の意志を担うイエス様はこの地上でその意志を成し遂げたでしょう。しかし、イエス様の前にはそのような個人や民族、世界は存在しませんでした。


そして、イエス様の言葉を中心に据え、イエス様に代わって愛する弟子たち、愛する家族、愛する教団、愛する国家が一体となって神の思いを共有し、神の意志を受け入れるべきでしたが、彼らは自分たちの教団的な枠組みで自分たちが知っている真理を持ち、イエス様に接する立場にありました。そのため、イエス様の御言葉は御言葉通り、彼らは彼ら通りに分かれてしまったのです。


では、今、イエス様が終わりの時の聖徒である皆さんに求めているものは何でしょうか? 私たち自身に恥じることなく、宇宙的な存在となることを望まれ、宇宙的な真理を宣言されました。


     30


イエス様はこの地上に一人の個人としておいでになりましたが、彼はただの一般の個人ではなく、天下万物の創造の全体を代表した方でした。全ての創造の原理的な真理を代表した方であったのです。


イエス様は、このような価値ある存在として私達のもとに来られましたが、その価値の主人公、宇宙の主人公にはなられませんでした。ですから、皆さん自身がこのような宇宙的な価値の目的を達成しなければなりません。ですから、私達がイエス様を信じると、私達は個人的に真理と出会うことができます。皆さんが霊的な歩みを進めるとき、無限の恩寵が降り注ぐと、それを個人的な神恩としてだけでは理解してはいけません。それは時間をかけて環境的な神恩、教派的な神恩を経て、世界的な神恩にまで広がっていくべきです。そうすれば私達は再び帰還することができます。


神恩が私達に降り注ぐと、個人的な思考から自己の神恩としてだけでは見なしてはいけません。皆さんが個人的な立場から恩寵を受け、個人的な立場でイエス・キリストを通して真理を得たと言うなら、それを私自身のものとして消化すると同時に、この真理を責任を持って世界にまで広めていくべきです。こうして世界と共に進んでいくなら、それは私の神恩となると同時に、天の恩寵となるのです。しかしもし皆さんの信仰観念が、皆さん一人を救済しようとするものであるなら、皆さんは個人的な救済観念にとどまってしまい、そこで終わってしまうでしょう。


いまや皆さんの心に満ちる神恩が個人的なものに留まっていると言うなら、かつてのユダヤ民族がイエス・キリストを十字架につけた過ちを再び犯すことになるでしょう。


私が得た真理が私一人の命を救済するための宗教にとどまっていると言うなら、イエス・キリストの希望を実現することはできません。


     31


個人を通じて、家庭を通じて、社会を通じて、世界を通じて天の摂理に達する希望の中心を持って語られるイエス・キリストの言葉は、皆さんの個人的な神恩を通じて復活と新たな生命の歴史を成し遂げさせるためのものです。個人的であり、民族的であり、国家的であり、世界的な救済を皆さんを通じて行わなければならないのです。


皆さんは、個人的な救済、民族的な救済、世界的な救済、宇宙的な救済が残っていることを明確に認識する必要があります。


皆さんが父なる神に感謝するとき、個人的な感謝だけでなく、家庭的・社会的・国家的・世界的な次元での感謝を捧げることを知っていなければなりません。また、皆さんが悔い改めると言うなら、個人的な悔い改めから家庭的な悔い改め、国家的な悔い改め、世界的な悔い改め、天の国を巻き込んだ悔い改めをすることが求められます。


いまや個人的な救済観念を超えて、家庭的な救済観念を超えて、社会や国家的な救済観念を超えて、世界的な救済観念を超える時です。そうすることで、皆さんを通じて世界的な回心が始まるのです。もしユダヤ民族が民族的な救済観念から世界的な救済観念まで持っていたなら、イエス様はこのユダヤ民族を通して世界人類を救済されたでしょう。


歴史の過程を経て結実したイエス・キリストの福音の御言葉は真理の御言葉です。それは先祖達が経験し生きた全体の歴史を超越し、皆さんに救済をもたらす御言葉でした。このようなイエス様の御言葉こそが宇宙的な革命の御言葉であったことを皆さんは理解しなければなりません。


     32


イエス・キリストがこの地においでになり、それまで信じられてきたすべての律法に異議を唱えました。「私を通して、すべての律法は完成されなければならない」と宣言されたのです。このようなイエス様の宇宙的な信仰の中にある御言葉、宇宙的な価値の御言葉の意味をイスラエル民族が理解していなかったために、イエス様を殺したのです。


その御言葉は当時において宇宙的なみ言葉でした。また、愛の面でもイエス様は宇宙的な革命の御言葉を述べられました。


イエス様は「だれも私を愛さない者は私に値しない。また、だれも私を愛さなければ私の弟子になることはできない」と述べられました。これを見ると、神が創造の理想を追求される際には、宇宙的な旅を通して真理を追求していく必要があることがわかります。


人間と人間との関係、そして人間と神との関係を結ぶ際に非常に重要なのは宇宙的な愛です。しかし、人間が宇宙的な愛によって神との関係を築けなかったために、使徒の愛との関係を結ぶこととなりました。そのため、人間は神との理想的な愛を中心に据え、愛の門を突破して上に上る力を失ってしまいました。再びこの愛の門を突破するためには力が必要です。


イエス様は「私を他の何よりも愛せよ」とおっしゃった目的は、イエス様自身が愛されるためではありません。人々がその言葉を信じてイエス様を愛すれば、イエス様は人々を悪霊の支配から解放し、神との真の愛の関係に引き上げるために、悪霊の力よりも強い力で人々を引き寄せるのです。だからこそ、「他の何よりも私を愛せよ」とおっしゃったのです。このみ言葉は預言的な革命の御言葉でした。


     33


イエス様はこのようにして真理の革命を起こし、また十字架の死によって敵愛の革命を起こされたのです。これは個人対個人の愛だけでなく、家庭的・社会的・国家的・世界的な真理を代表する愛でした。それは宇宙を超える愛の革命でした。


しかし、現代の世界では愛はしばしば自己中心の愛や国家を中心とした愛に囲まれています。今までは自分の国を愛したり、自分の家族を愛したりする程度でした。国家以上、国家権を超えることができる愛は存在しませんでした。


しかし、神とイエス様の希望は一つの民族や国家に限定されません。それは神を中心にして天と地が一つになる理想的な世界を持つことです。ですから、イエス様が示された愛は、自己中心の愛や国家中心の愛ではなく、世界を超えて天に繋がる愛なのです。


イエス・キリストは、福音の御言葉を通じて確立された真実の道は何でしょうか? 


今日、皆さんはどの程度の愛を持っていますか? イエス・キリストは個人の前に立たれませんでした。家族や国家の前に立たれませんでした。宇宙的な愛の主人となり、花婿となられたイエス・キリストは、家庭的な迫害や国家的な迫害を受けられました。


     34


天地の創造主より、今まで神の愛を感じることができなかった全ての被造物がイエス・キリストを通じて初めて愛の絆を結ぶことができました。このような絆を結ぶ責任はイエス様にあったのです。


そうですね、イエス・キリストが開拓し、見つけ出して確立された愛はどのような愛なのでしょうか?


それは世俗的な愛とは正反対の愛です。人間の愛はせいぜい国家のための愛ですが、イエス・キリストの愛は宇宙的な愛です。つまり、個人を超え、民族を超え、国家を超え、世界を超え、天に至るまで響き渡る愛なのです。


それでは、神の愛はどのような愛なのでしょうか? 両面を持つ愛です。自分だけを愛するのではなく、敵すらも愛するのです。ですから、私達は神を愛すると同時に、敵までも愛することができる存在とならなければなりません。


イエス・キリストの愛とはどのような愛なのでしょうか? それは悪魔さえも思いやる愛です。悪魔までも愛することが神の愛であることを知ったからこそ、イエス・キリストは「しかし、わたしはあなたがたに言います、敵を愛して、迫害する者のために祈ってください」という基準を立てられたのです。(マタイ5:44)


     35


だからこそ、私達はこの宇宙的な愛の基準をこの地上に築き上げなければなりません。私達が死ぬまでにこの使命を果たせなくても、私達の子孫を通じてでも、この基準を確立する意志を持たなければなりません。


そして、今では感謝の生活を送らなければなりません。私達はキリストの恵みと愛によって生かされており、天からの恵みと愛によって生かされていると考え、キリストと天の前で感謝の生活を送らなければなりません。私が救われたことに感謝するだけでなく、イエス・キリストの宇宙的な使命を代わりに果たすことにも感謝し、イエス・キリストの愛を完成させるために生きることにも感謝しなければなりません。


家族を代表し、民族を代表し、国家を超えてイエス・キリストが十字架にかかりながらも敵を許し愛したその宇宙的な愛を皆さんは知らなければなりません。そして悲しみに打ち勝ち、愛の心で敵を見つめたイエス様の心を皆さんは知らなければなりません。


イエス・キリストは十字架で「成し遂げた」と言われました(ヨハネ19:30)。そう仰るまで、イエス・キリストは自分の悲しみや不正な扱いさえも忘れて、天の御旨を達成するために苦労されたことを皆さんは知らなければなりません。自らの一生を通じて宇宙的な命を取り戻すために、イエス・キリストは自分の苦しみや不正な扱いを忘れ、あらゆる苦難を乗り越えられたのです。だからこそ、イエス・キリストの生涯は自分だけが生きるための生涯ではなく、民族や国家はもちろん、神の国を築くための生涯であったということです。


今日、皆さんはイエス・キリストの命を求める運動をしており、民主主義の世界ではイエス・キリストの名を復活させるための運動をしています。大きな恵みを受け、大きな責任を負っている民族であろうとそうでない民族であろうと、同じです。この地上にはイエス・キリストの福音が残っており、この地上に存在しなかった新しい宇宙的な真理、愛、そして命が残っています。そんな宇宙的な真理、愛、そして命は、皆さんのものになることができるということです。


     36


この地上の人類を救うために努力された方として、哀れだとすればイエス様よりも哀れな人はいません。イエス様の言葉は世界を代表する言葉でした。地上にまかれるべき真理の言葉であり、地上に受け入れられるべき天の言葉であり、地上に植えられるべき宇宙的な命の言葉でしたが、地上で受け入れられず、おいでになったイエス様は否定されました。イエス様の言葉を当時の人々が信じなかったために、イエス様は孤独になられたのです。


神は6千年にわたり努力されてこられましたが、この神の努力を理解することができる生命の主人、真理の主人がこの地上において現れるならば、地上のすべての良心的な人々は彼を敬愛するでしょう。真理の道を歩む人々がいるならば、生命の道を歩む人々がいるならば、彼と共に歩むでしょう。


このようなことが天が望む基準でありながらも、現代の人々は個人的な愛の基準、個人主義を持って生きています。昔のユダヤ人達もこのような心を持って生きたためにイエス・キリストを十字架につけたのです。このようなことがイエス様の後も続いているという事実をよく認識しなければなりません。


今、私達には天を代表できる新しい言葉、新しい命、新しい愛が必要です。しかし、単に理念的な言葉だけではなく、具現化できる言葉が必要です。


だからこそ、終わりの時代である今日、皆さんは目覚めなければなりません。皆さんは新しい真理、生命、愛を持って民族を救い、世界を救い、天の6千年の怨恨を解消しなければなりません。


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コメント

私記3 (随時更新)

2023年07月05日 01時23分59秒 | 日記
日本の領土

最近、ある中国人女性が沖縄県近海にある無人島を買ったと言う事で話題になっている。

領土は日本の領土である事に変わりは無い訳で、中国人が日本の土地を日本の法律に則って一部購入した事である。

従って日本国の法律の範囲中で利用するには問題の無い事だが、違法が行われるならば取り締まる事になるのは当然である。

中国管轄の土地になった訳では無く、何でも好きな様にやって良い訳ではないし、中国の干渉は受ける事は何も無い。
当然ながら先ずこれをきちんと理解すべきである。

何を考えて購入したのかは分から無いが、他国から日本政府の入国許可無くして勝手に島に出入りする様な事があれば処罰される事は言うまでも無い事だし、ましてや日本に被害を齎すような違法行為が有るならば厳正に対応されるべきで有るでし、増してや違法行為は決して有ってはなら無い事である。

日本はきっちりと現実的な対応をしなければならない。

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機能しない国際連合

第二次世界大戦後に創設された国際連合が本来の機能が効力を発揮できずに世界中が多大な被害を被っている。

国連が大国と言われる一部の常任理事国に支配されている状態で有り、たった一国の為に全世界の人々が存続の危機に有るのである。

この状態はやがては各国の存続へと繋がって行くであろう事が見えていますが、しかしこの状態からは抜け出す事は10年や20年では先ず不可能であろうと考えられます。

仮にロシアの問題が済めば次は中共が同じ様に行動する可能性が高いです。
中共が済めば次は北朝鮮と言う線がアリアリと見えます。

彼等の因縁を付け狙い自己の行動を正当化する道理はヤクザと同じです。

なので、自由主義国家群はこの無駄と無用な判断と行動しか出来ない組織から一斉に脱退すべきと感じています。税金の無駄遣いをすべきでは有りません。

今後は時が過ぎれば更に混乱して行くでしょう。未だ問題が小さい内に、時が過ぎないうちに、新しい国連を作る事を模索する道を選択すべきだと強く感じています。

共産主義思想は全ての人類の幸福を見出せない思想である事は歴史が証明し過ぎるほど為されて来ていますが、全ての人類はこれに早く気付かなければ成りません。人類を引き連れて不幸になろうと言う思想ですから。

彼等の思想には独裁の仕組みしか有りませんから、信頼、平等、自由等の人類が幸福に繋がる道一切が存在し無いのです。有るのは人類滅亡へと引き込む入口位です。

また、彼等共産主義国家は民主主義国家への依存無くして存続も出来ないのです。しかし民主主義は彼らの敵ですから民主主義国家を敵視し滅ぼそうとしていますが、結果的には自らの首を絞めている事と同じです。
更に彼らだけでは信頼し合える道が無いので自滅の道しかありません。一時的には協力し合う姿勢も見栄の為であり、内実は敵対し合う国同士で有る事は変わりません。

全ての共産主義国家は中国を筆頭にして、言わば国民を人質にとっている事で国を成り立たせています。中共は共産党員が非共産党員を人質に取っているのです。ウイグル族は同じ国民であるにも関わらず、同一国民としての扱いを受ける事が出来ずに、民族の滅亡への道を強いられています。

こう言った状況を踏まえると、先ず自由主義国家自身が本来の自由へと解放されなければならないし、かの共産主義思想に絡められている国民を解放してあげる必要があると強く感じます。

そしてそれが出来る思想はメシアによる統一思想以外には有りません。現在の民主主義国家には共産主義思想を越える事が出来ずにいます。神による統一思想を学び、どの様に越えるべきなのか、彼らの問題点は何処に有るのかを理解して取り組む事をすべきです。

そして連携して共産主義思想の除去を行える事を知るべきです。この思想無くては発展を望む事は難しいでしょう。すなわちそれは「神の愛による統一」である事と信じます。

こうした事を踏まえると、全ての国連加盟の民主主義国家は傷が深くならない内にアメリカ日本を中心にして神様が臨まれる「新しい国連」を創設するべきです。

其れを考えると、NATOが新しい国連の土台になる可能性も有る事を感じます。

アベル国連はその為に文鮮明師が以前より準備された新しい「人類一体化」への道への指針となる事でしょう。
('23.02.23)

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隣国

 彼の人達は素直なんだけど、裏付け無く語る人間の都合の良い嘘を教育させられ、嘘を信じ込んで、プライドだけを持って生きてる、と言うか、そうやって生きて行かざるを得ない、気の毒な民度の低さの上に、愛も知恵も無い、更に極めて短気な民族である。

個人が独自に物事を考えて連携出来ないし、上からの指示には脆く抵抗できない人種である事は世界中が理解している。自分達を客観視出来ず冷静な視線のない民族である事をもである。

更にやる事はアバウトで真面目な民族とは思えないし、7,000人余の日本人が嫁に行っていなかったら今日の経済的な発展も無かったであろう。

2011年の震災が起こった時、真っ先に日本から抜け出したのが隣国人達であった。しかも職場を勝手に捨てて行ったとんでも無い輩である事が明白になった震災であった。
また最近では慰安婦問題解決の為の日韓協定を勝手に一方的に破棄した出鱈目民族でもある。そんな欺瞞に満ちた無責任な民族を誰が信じるのか!

この国が彼女らの悲惨な犠牲の上に現在の経済が成り立っている事は決して否め無いと思っている。彼女ら故に日本と交流が出来る様になり、経済がそれなりに盛り上がった事は事実である。
(実質彼女らは人質に近いかも)
文鮮明師はそう言う民族である事を良く知っていた訳である。

にもかかわらず神様は彼らを激励しなければ成らない為に苦労され愛された訳であるが、その結果、弟子に裏切られ、子供にも裏切られると言う事態になった事はメシアの責務であろうか。
痛ましい限りであると同時に、会員達の資産をも奪われ対応できる能力も無かった訳だ。

自分の親をも裏切りその資産をも強奪して行くと言う、そんな民族や人種が世界中にあるだろうか?
私は見た事も聞いた事も無い!
これほど民度の低い民族であったとは思いもしなかった。
一つだけあった。それは中国である。
いずれにしても情けない民度の低い民族に変わりはない!

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【歴史的師が生きた苦痛、神様の歴史的苦痛を流し去ってしまってはならないのです。私の心の深い愛を大切にしまい、あの世に行って出会ったら首を抱いて「あなたが悲しかった事情をみな知り、その度数に合わせて生きようとしましたが、及びませんでした。これを許してください」と言いながら涙をのんで痛哭する心が先立つときは、神様にすがって痛哭するとしても神様も共に泣きながらかき抱いてくださるのです。そのような日をもてずしては解放できないと考えている人です。妻の愛がどんなに大きいとしてもその立場に及ばず、父母の愛がどんなに大きいとしてもその立場に及ばないのです。それを知っているので、解放のためによそ見も寄り道もできずに歩んできたのです。
            *
 また会うときまで昼夜を分かたず、御飯が食べたければ先生のことを思い、御飯を食べないでみ旨のために先生がしていることをしなければならず、眠たくなったら眠らない先生を思ってみ旨のために闘っていかなければなりません。非難を受けながらも弁解せずに忍耐してきた師を考えなければなりません。それ以上の心をもち、あすの勝利に対する欲望をもって、自然屈服する怨讐の群れを見るために自らの実績をもって行こうという心をもたなければなりません。そうした努力をしてこそ、皆さんが生きる道があり、この民族が生きることができるのです。
            *
 ある時には、死刑宣告を受けたという連絡を受けたこともありました。そのようなときに統一教会の教主であるこの私が、どうして涙なしに夜を明かすことができるでしょうか。哀れにも私という人を知らなかったならば、そんなことにはならなかったのに。国境を越えに越え、一度も会ったこともない師に従って歩み、最後に東方の韓国に向かって「私は行きます」と両手を合わせて祈り、最後の道を行く彼らを、かき抱いてあげることもできず、助けてあげることができない心情を皆さんは分かりますか。悪魔の前に受難を受け、苦痛を受けて捕虜となっている彼らを哀れに思う天の心情を知りながらも、昼夜を分かたず前進しなければならないと追い立てたのです。】
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ただ残念ながら、彼女らの間に生まれてきた子供達には不具者が異常な程に多いのが現状だ。

またアジアのユダヤ民族と言われる所以である所の融通の効かない、頑なな思想が民族の底流に在る事も踏まえる必要が有る。

最近は隣国から握手を求めている様ですが、もう一方の手にある物は何かを見逃してはなりません。何かの問題が有れば元の状態に戻す事を考えて置くべきでしょう。増してや無条件という言葉は彼等には有ってはならない言葉です。

・レーダー照射の問題は如何なったのでしょうか?
・gsomia を一方的に破棄した問題は?

これらの事も無かった事にするのも極端に安易に過ぎる事で、きちんと問題を解決してから動くのが筋であろうと考えます。

アメリカの仲介を受入れる事も勿論大事でしょうが、過去に学べない国家は如何なるかを踏まえてからでも遅くは有りません。
('23.03.18,26)
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この国を良く知る方の一人に歴史家の宮脇淳子さんがいます。
宮脇氏は1900年頃からの日韓史も非常に良く研究しておられる様で、隣国の新日派と嫌日派も良く知っています。

伊藤博文元首相の活動当時の活動の経済、政治、文化の背景も良く知る事が出来ますし、隣国が日本を利用しようとして来た背景が良く理解できます。

やはり隣国人は以前からそうなんだと解る背景も良く理解できます。

この文鮮明師の御言葉を利用して、日本の人と経済を利用する輩がどれだけこの活動に力を入れるのかも良く解る気がします。
全員とは言わないが、少なくともかなりの数の隣国人はそう言う政治的姿勢であろうと考えられます。

片や現状の日本人スタッフの方々は理由は兎も角、御言葉の価値を純粋に見つめて参画している方が殆どでしょう。

この文鮮明師の御言葉の原理講論の中には、日本の軍閥はクリスチャンを迫害して満州に追い出して、住処を見つけては焼き殺したとあるが、殺害したと言うその記録は無く、彼らが逃げ出したと言われる満州の地は両班たちが内密に持っていた土地であった事から、両班が彼らを追い出す為に行った事であると言われ、日本の軍閥が行ったと言う事実は出て来ていない。
虚実かき混ぜられた物になっている事を記載している事が解る。

第一に文鮮明師が元々記した原理講論にはこのような記載は存在していないのであり、版を重ねて行った中で史実の根拠なく書き加えられた事が解っている。従ってこの手の記載は事実でなく嫌日派による嫌がらせの入れ知恵であろう事もわかる。

彼らはまるで見て来たかの様に文言を加えてメシアたる文鮮明師の品位を貶めているが、このような事は決して在ってはならない事であるが、後の原理講論には他にもこのような箇所が散見されるのである。

決して歴史を捏造し罪を創るような誤ちが在ってはならない。
('23.04.09,  '23.07.18)

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隣国起源説を語る隣国人

この話も情け無い話ではあるが、隣国に取って都合の良い事は、隣国が起源であるとする小中学生レベルの話を意図的に作り上げて自国に有利に他国を見下す事を仕向ける事を仕事にしている輩の集団がいる様である。

今に始まった事では無いが「隣国起源説創作集団」である。
多分彼らは北からの支援を受けているか、北の嫌日思想を持ってやっているのであろう。

可哀想なのはそれ等の根拠の無い偽情報に踊らされている隣国人達で有る。
主に政治文化面を中心に捏造活動を行っていると考えられるが、その最も先端が慰安婦問題で有る。

最近では隣国の過激派達の言う様な慰安婦問題は如何調査しても「無い」の結論で全世界の知識人の意見が一致しているのであって、強制と言う強弁は一切通用しないと言う事である。作り話に世界が載せられた時期が有ったが、歴史は正直で有る。

これと同様にありと凡ゆる色々な面で隣国起源説と言われた嘘が発覚し始めていることの様だ。
それを仕事にしている北由来の輩の集団がいる事を忘れずにおく事だ。
最近ではそれ専門に実しやかに流説するyoutuberもいる事もわかってきている。

何とかは隣国が起源だと聞いたら、またやってる位に聞き流すが良い。煽動が目的である故に相手にするのは時間の無駄で有る。特に日本との関係を潰す目的でやっていると考えられる事は明白となっている。
それ等は殆ど根拠が無いか、調査出来ないなどで出所が曖昧な所落ち着くのがせいぜいで有る。

彼等の目的は時間をかけさせ混乱を起こさせる事に有る。曖昧にして煙に巻いて判断を誤らせる事にある。そして間違った方向に行かせる事が目的で有る。
これは悪魔がエバを嘘を言って誘惑し堕落させた原理と完全に一致するので有る。

共産主義者の従兄弟や再従兄弟らの騙しのテクニックも同様で有る。彼等は今は自信の無い騙しには断言せずに相手に判断させる様だ。詰まり責任を相手に持たせる様にしている訳だ。

歴史は変わったものだが、基本的に原理は変わらないと考えている。
(23.04.23)

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TikTok

同じSNSなのにアメリカを中心として禁止命令が広がっているTikTokが何故問題になるのか?

其れはTikTokの背景が中国🇨🇳共産党の支配下に置かれている事に不信が払拭されない事が明白になっていて、共産主義への無知から来る隙に漬け込む彼らの巧みな覇権思想が有るからです。

一般の人はほぼ共産主義の危険な体質を理解出来ていません。
その上に中国の漢民族の民族性を理解出来ていません。

この2点に加えてマスコミ出演者らの中国の間違った理解の拡散が為されている事が問題ですが大方理解されていないと考えて良いでしょう。

これらは人権に関わる非常に大きな問題ですが、中国🇨🇳共産党は表面化させない様にしている事を考えても、特権階級の格差と人権問題、更に覇権と独裁の実態には触れさせない情報操作も有り、中国🇨🇳共産党の体質が全くのブラックボックスで有る事が全てを物語っています。

この象徴がロシアの一方的なウクライナ🇺🇦侵攻でしょう。
こんな事があってはなりません。
(‘23.03.21)

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中国とは

現在の中国をあなたはどれ程に信用出来ますか?
この質問に信用出来ると答える人は一体何%いるだろうか?

この記事を書いている時にもニュースが入って来て、日本人の企業マンが中共に拘束されたと言う。

こう言う時の拘束理由は何でも良い訳で、国内にいる人間は誰でも有無を言う事が出来ずに拘束される状態だ。まるで飼われた人畜の様だと言えよう。

まあ人権無視の国である事よ。悪魔たる権力者には天国であろうが、人質たる国民は針の筵と変わらない居心地の悪い事この上無い事だろう。

この中国が金で世界を買っている訳だが、民主主義国家群はこうした中国の動きには特に注意を払っている。

しかし原理的には中国共産党は世界制覇は決して出来ないであろう。
其れは共産主義は7数を超える事が出来ない原理が有るからである。
詰まり全世界で210の国と地域が有るならばおよそ140の国と地域を奪う事が限界であるからである。
だが其れからは維持出来る事は出来ずに崩れていくしか無い思想である。更に崩れていく事には限界が無い。
(‘23.03.27)

 『人体の不思議展』(初代) の名称で開催) が、2002年頃から出現したこの中国系の海賊版人体展では、世界的な問題となった事もある。

 共通しているのが、中国から来た死体の出所も死因も献体の意思の有無も人体展主催者が把握されない、又は把握していると断言しながらその証明なされず、書類の捏造を行なう例もあるなど、中国系の人体展の主催者が死体の出所の証明を行なった例が未だかつて一度もないと言う事が起こっている。
 また米国とフランスの例では主催者が人体の出所を全く把握できないで、中国側の主張を鵜呑みにしている様だ。人体供給元の業者の住所も知らず、その相手が実在する組織かどうかも把握できないと言う事態が起こっている。

 2007年以降には米国各地で批判運動が起こり、労改基金会などの人権団体や、欧米の報道、メディアや司法機関の調査により、中国公安局発の人体闇市場の存在が明らかになって来た。

 中国人は遺体を傷つける事は不吉と考えるために医学献体や臓器提供が殆ど出ない状況で、医大の実習用献体も慢性的に不足しているため、死刑囚を用いられており、移植用臓器の95%が死刑囚から取られている事は2005年のWHO会議で中国衛生局が公式に認めている。

 そして欧米メディアや司法機関の調査では、公安局が死体ブローカーを介して各医大に「身元不明死体」を配布しそれが人体工場に転売されている事が明らかになっている。
 その日の朝に死んだという、腹が切り裂かれ臓器が取られた銃殺死体が人体工場に配布されたという証言もあるが、これはつまり処刑死体から臓器を取られた余りが人体工場に配布されているという事の様だ。
 これらの活動は、人身売買や死刑囚の使用、死体盗難、殺人、医療献体の無断転用などの犯罪組織絡みの可能性すら払拭出来ずに倫理的に問題大ありと言う事態になっている。

 展示会場に表示されている「故人の意思による献体」には、中国の刑務所を管轄する中国公安局発の闇の人体売買の世界規模のネットワークがあり、今世界ではその疑惑の展示会を法的に禁止する動きが活発化していると言う事だ。
('23.05.27)

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統一教会歴代会長

初代会長 久保木修己
 最も尊敬する方です。驕らず高ぶらずの方とお見受けしました。
文鮮明師をして、「たとえ酔って女性と肩を組んでいたとしても信じるよ」と言われる信頼の方です。
 この頃は久保木会長は私の信仰の的でした。もっとお近くでお話をしたかったと今も考えています。

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安倍首相暗殺事件2

 安倍元首相が奈良西大寺駅近くにて暗殺された事件は今だに記憶に新しい、最近の日本では大変大きな事件である。

翌日にはお焼香をしに行った。
山上の銃撃で亡くなったものと思っていたが、その事件は時間が経つ程に疑惑へと変わって行くのを感じる。何故か? 其れはこの事件が今だにスッキリと解明されていないからである。

そしてこの事件を確りと説明するべき責任が政府に、警察に、自民党に有るのでは無いかと思うが今後も有耶無耶に内に時間だけが過ぎそうな気配である。

警察と病院の医師の説明が一致しない事から始まって、謎が解明されないまま、意図的に問題が統一教会問題にすり替えられて、元に戻らずにいる状態だ。

この流れを作り出したのは、被害弁連の弁護士が声を上げて、其れにマスコミが食いついてからである。これはまるでシナリオが有ったかの様なスピードだ。

その後その勢いは自民党と統一教会離反の動きへと進む訳だが、そこに更に元教会員などによる教会批判が始まり、マスコミが其れを押し始めた事で、流れは更に別の方向へと向かって行った。

ここで整理したいが、安倍元首相の暗殺事件は解決した訳では無い事である。

youtuberらが盛んに事件の真相へと迫ろうとしているが問題となる決定打が出せていない。

山上氏は語っていないが、銃弾の方向から考えて、別方向から狙った共犯者がいた可能性が高いと殆どの人が思っているのでは無いだろうか。

しかし、何故今だに裁判も始まらないのだろうか?
動機も語っているし、精神鑑定は時間をかければ正確になる事でも無い。
ほぼ全ての国民はそう思っているに違いない。

更に事件現場が中国の武漢の様に様相が変えられている事にも疑問が残ることだ。これはまた意図的なものを感じるが、その対応が早い事。
まさかとは思うが、山上が犯人では無いとなるなら真犯人は誰か?

思うに、この事件一連の事で得をする者は誰かを考えたら出て来る輩はほぼ想像出来る。

安倍元首相が亡くなって喜ぶ者+自民党が弱体化して喜ぶ者+統一教会が沈静化して喜ぶ者達が得をしていると言う事です。

それと左翼の人達は良くデモと署名をするなあ、デモと署名が大好きな人達だ。

収監中の山上を応援する者がいると言う演出付きとなったが、コレもまたシナリオが有ったかの様に運んでいると思えるのは筆者だけでは無いと思う。

それと事件は終わって居ない事は確かである。

岸田首相は何故事件の明確な早期解明を指示しないのだろう。マスコミに完全に屈している感じだ。
だから他で点数を稼ぐしか無いのだろうが、その殆どの時間がズレている事にしか使われていないのが良くわかる。薄っぺらく感じさせる人だ。国民のための政治家で無く、見栄で政治をする政治屋の象徴か。
日本が霞んで見えるのは事実であり、安倍元首相とは比較すら出来ない。


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教会本部の不正への姿勢

会員の不正を指示する体質が未だに変わっていない様だ。

また叩かれる可能性が有る事を知っているのに、その指示を受ける側も受ける側だが、指示する方も当然ながら問題が有るし、言われた側は従うしか無い様だ。
そしてもう既に同様の不正は隠れて行われているのだろう。

「不正献金はしていない」というアピールと実績は良いと思うが、他の不正は本当に行っていないかどうかは、その現場、当人でしか分からない事もある。
それと会員が不正な献金をしているかいないかは、申告でしか分からないのではないだろうか?

さらに国は献金以外のその他の不正は問わないのだろうか?

会員の公的機関に対しての不正な申告などは国や会としては其々どの様に確認するのだろう?
小さな事などはどうでも良いのか?

一般的に守られなければならないルールが守られなくともどうでも良いと言う事は無いと思うが、そんな事は教会としては無視するのか? 調査し確認する側の国も同様か?

更に言うならば、国は一般の人はどうでも良く見逃してて、会員の不正は見逃さないと言う極めて不公平な事態になる事は国は無視するのか?

そんな事がまかり通るのか? と思うとそれは間違いなく「基本的人権の侵害」の所以である。

呆れた話だ。

この良し悪しを判断するのは極めて偏った人選をなす岸田政権は都合の良い事を取るだけのイエス様当時のピラト政権の再来では無いか。

何と知恵の無い、自己満足に偏った政権であろうか!

この事件は間違いなく日本人の歴史に禍根を残す事になるだろう。

人権侵害と差別の助長、そして宗教迫害、更には暴力的拉致監禁とその流れの中での棄教の強要と言うこの事実は今も続いている。

全国統一教会被害対策弁護団に寄る事実無根と言われる報道も有るが、これは客観的に見ても相当数の弁護人がいるとは思えない程度のお粗末過ぎる顛末になっている。弁護士らのお金と偏った思想ゆえで有る。

これに対する家庭連合の対応は確りと行われた結果でしょう。この対応はとても良い対応かと思います。
国際的にもこう言った法律の専門家らの宗教迫害と人権侵害への支援の様な活動には問題とされている事が挙がっているのも当然でしょう。

先進国なら尚更にこの様な大規模な人権侵害が行われている事が異常である。まるで今の日本には信仰の自由が無いかのようだ。

これらの迫害は即ち左翼思想者のなせる事で有る。
全世界、日本全国の全ての人にこの間違った思想に気付いて欲しい。
('23.04.12,05.21)

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LGBTQ

 左翼者が異常な位に取り上げるこの方々の事が何故やたらに話題となっているが、海外では「放っておけ」と言ったレベルで存在は否定されてはいないがそれ程話題では無いのです。

左翼者が騒ぐ事が異様であって放っておいて何の問題があるでしょう。

人権を否定している訳でも無い。個人差が目立つ事を必要以上に触れる必要性を感じません。

ただ異様な雰囲気を感じるのは日本人だけでは無いでしょう。でもその感覚が普通であっておかしい訳では無いと思います。

必要以上に不必要に接する必要は無いと思っています。個人の趣味をどうのこうのは言いませんが、その姿勢をどうのこうのを言われる事も異常だと感じます。

強いて言うならば、「自らの使命を悟れずに人類の滅亡への一歩を確実に進んでいるな」と言った印象です。

自然の摂理とはかけ離れた存在感を強く感じざるを得ませんし、それが普通の感覚である事を忘れない事ですね。

彼等は左翼者等の自己の存在の為のアピールに利用されているだけです。
それ自体が異常である事を知るべきです。

LGBTQの事で最近も話題になっているが、男性的な女性もいてもおかしく無いし、女性的な男性がいてもおかしく無い。
おかしいのはその存在を揶揄する輩がいる事で有って、本人では全く無い。
そして更に問題なのはそう言う事が有って弱い者虐めをするなとばかりに自分の思想を背景に其れらを擁護して話しを膨らませていく輩がいる事が最も問題なので有る。
彼らの存在が異常に事態を実態以上に大きく取り上げて、自分が味方で有るかの様に作り上げる事で社会と本人自身の判断を徐々に扇動されていく事となり、仕舞いには最悪の事態を招いていると考える。

結果的に彼らは何も出来ないのにで有る。

これを考えると当人が何を考え何をしようと犯罪をする訳では無い限り、余計な擁護、必要以上の擁護をするべきでは無いので有る。

多文化を認め、多様性を認めるなら本人の自由を認めてあげれば良い訳で、必要以上に関わる必要は無いと考えている。
多分海外では日本ほどに関わっている事は無いと思われます。
多文化を認めればそうなって行くのでしょう。

その中で彼らは自分で気が付いて行くのでは無いかとも思っています。
どんなに思想家の言葉があっても男性は男性として、女性は女性としてそれぞれの在るべき姿を自分で感じ取って、自分で考えて行く道を自分で見つけて行けるのが普通の多様性を認めると言う文化の筈。
増してや人を活かす様な思想でも無く、寧ろ人を傷つける行動や思想家などの輩の話を聞いたり押し付けられても、幸せを見つけられる筈が無いので有る。

共産主義者やその従兄弟はとこ等の輩の限界はここに有る。彼らは人を活かす事は出来ないので有る。
(23.07.15)

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中国秘密警察

アメリカ政府が中国が世界中の国で自国に不利な活動をする中国出身者を威圧し活動をさせない様に監視している「秘密警察」なる組織を摘発した。

この様な秘密警察の組織は日本にもあると言われていて、マスコミも動いている様だがまともに取材に応じる訳が無いだろうに、まともに取材している事が愚かしく思える。

中国の秘密警察だと言うなら、一切を公にする事は無い事は推測して余り有る。取材に応える筈が無いし、アメリカでの逮捕は裏付けあっての内容で、中国の報道役人の言い訳も歯切れが悪い。

何処の国もそうだろうが、勝手に外国の警察が自国内で活動するなど在ってはならない事であり、他国の主権を侵害する行為であるので、当然ながら中国もその様な組織の存在を認める訳が無い。

だが中国が自国に取って都合の悪い人物を監視し、威圧する理由は我々が思う以上に有ると考えられる。

中国に取って都合の悪い人物の存在は居てはならない存在という訳である。

これを踏まえれば、外国人で有っても同様と言う事であろう。

アメリカで逮捕された二人の人物には相当の実績が有っての事で有る事をアメリカ政府は明言している訳で、この様な中国のスパイを日本でもその様にのさばらせたままにしていて良いのだろうか?

この様な中国共産党の人間を人間とも思わない思想がよく現れているこの事件は世界中で、人物の監視をしてまで習近平独裁者を作り上げたいのであろう。独裁者の思想が良く示された事件である。

日本ではこの様な活動は決して許してはならない。
(23.04.22)

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御言葉選集を訳しながら

ようやっと御言葉選集を翻訳する時期に入ってきました。

翻訳しながら思う事を時々記載していきます。

 まずこの時期1956年の頃の文鮮明師は、後に語られる内容から踏まえるとイエス様の事をそう詳しく知っていた訳では無さそうに思えます。
意図して語っておられないのかも知れませんが、その当時のイエス様の心情を語る熱い思いは強く伝わってきます。

何よりも扇動的な話は多いと言う所が印象が強いです。
それと表現も荒っぽい感じですし、べらんめえ口調に近い感じがして、人格とかは二の次三の次と言った所でしょうか。

そうかと言って丁寧な所が無い訳ではありませんので、ノリで語られている感じがします。神様を上げながらかなり独裁的な表現もありますね。
('23.05.19)
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次回の衆議院選

まともな事を言ってくれているのは、参政党事務局長の神谷氏かな。
きわめて国民に寄り添って貰ってる感じです。
国民目線で見て頂いていて、気持ちが最も近いと感じてます。

国内、国外の事を良く勉強している感じがしますね。
代替案もしっかり提案している感じですので、意見は確りしています。

方針がほぼ同じ方向を向いている感じです。

政治、経済、防衛、教育、メディア 身近に感じている事を代弁して頂いている感じがします。

世界のTOP50には日本の企業は無い、52位のトヨタになってしまった。
GDPは31位になってしまった。
LGBT、国際利権で儲かったのは誰か?
国家破壊、文化破壊の共産主義。

どれをとっても日本の縮んだ姿だ。
( '23.06.15)


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自民党の役割は終わった

自民党はLGBT法案の背後にある文化共産主義思想を全く理解していない。

日本にこの法律を通した時点で、戦後自民党が守り通さなければならなかった自由と人間の尊厳を全て崩す事になったと思われます。

アメリカも同様そんな雰囲気を醸し出している所十分です。

これはまるで2000年前にイエス様を銀貨30枚で売ったユダの様に、岸田氏はバイデン氏に広島訪問をさせて人気取りをする為に共産主義者である在日米大使の口車に乗せられてこのLGBT法案を通してしまった。

この時点で日本の大きな柱が倒れたと見て良いでしょう。
今左翼勢力はしてやったりと考えているに違い有りません。悪魔達がどれだけほくそ笑んでいる事か。左翼弁護士やらその従兄弟はとこ達も同様だ。

世界各国の歴史を見て推測するに、原理的に見ても今後日本国家勢力は大きく二分されて行く事なると言う事でしょう。

それに連れて今後日本は急速に落込みが始まっていく事になるでしょう。
一時的には良いかもしれないが、悪魔の戦法は日本を手始めに文化面から引き摺り落として行く事でしょう。

岸田氏は現代のユダとなってしまった。自分の人気取りの為に日本を悪魔に売り渡したわけですから、まさにユダそのままです。

現にもう既に自民党とタッグを組んでいた公明党に亀裂が入って来始めている状態で、今後はその溝は更に広まって行く一方でしょう。

原理的に見ても自民党は更に細分化されて行くでしょうね。

しかし摂理は未だ終わったわけでは無い。我々はこれを踏まえて何を行うかです。
(23.06.29)

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韓鶴子氏

先日韓国で日韓の責任者達を集めて、韓鶴子氏は会員でも無い日本の岸田首相を呼び捨てにして「教育するように」と語ったそうだ。
ビデオも残っているので間違い無い様だが、日本人にして見れば日本のトップである人物を呼び捨てに出来るほどの実力も実績も残せてもいない立場の人間が全く赤の他人を上から目線で物を言う事がどう言う意味かも解らないのだろうかと思ってしまう。

更には日本人は同じ様に上から目線で見られている事も感じられて非常に不快で有る。

話の流れや勢いもあろうが、この様な話で教育を受けなければならないのは韓鶴子氏の方であろうと感じている。

仮にも岸田首相は世界に知られている人物で有り、ましてや犯罪者でも無い。ならば普通にリスペクトされるのは当然であるが、この方には其れらしき敬語も無い。
ましてや小さいとは言え宗教団体のトップであるならば敬う行為は当然であろうが、この方はそう言う知恵は無い様だ。

宗教者はその性質上相手を愛することや敬う事は必然的な行為かと思うが、この様な姿勢ならばこの団体は誰を敬えと教えているのだろうか。トップを敬えと言う事であろうか? そんな団体はゴメンだ。
人格は教えられるのでは無く、自分で作る事が大事であるがこの方は其れすら欠けている様にも感じる。強いて言えば朝鮮人全員で有るかも知れない。

ついでに何時も思うのだが、隣国にこの会の会員が日本より少ないのは如何してか? この程度の原理では納得が行かないから会員にすら成ら無いと言う事かと思っている。朝鮮半島に善人が多いと考えるのは早計の様だ。寧ろ隙有らばと言った荒んだ人の方が多い気がしている。だから家庭連合を宗教ビジネスだと思っている人は相当にいる様で有る。勿論良い方も沢山おられるでしょう。

日本を未だに戦争犯罪国扱いすると言う間違った教育を受け、其れを鵜呑みにして言葉も選べずに話しをする責任者は愚かしく見えてしまうものだ。

岸田首相は好き嫌いは兎も角、日本の今の代表者である。ましてや犯罪者では当然無い人だ。その首相を呼び捨てにしたこの方は全ての日本人を敵に回したとも言えるだろう。
マスコミが煽るわけだ。

 日本の自民党の家庭連合への仕打ちは本当に酷いとは思う。人権侵害と差別を引き起こして宗教迫害を行いその被害者も出ている事は事実で有る。其れだけを言うならば怒りも込み上げると言うものだ。

会員が其れを堪えている中で、日本の政治は潰れるとも語っている様だが、かつて夫である文氏を応援したのも日本の政治家であった。其れをそんなに簡単に扱われる事も不快である。
親心では有るのかも知れないが、何でも思う様にならなければ周囲の会員や他人に当たり散らすと言った姿勢は、愚かしい学習の足らない人の姿其の者で有る。
世界には70億からの人が生きて生活しているのだ。とてもでは無いがその全ての人を活かさねばならないと言う神様の事を指導する事を説ける様な人物では無いと言う事だろう。
其れより自分達が今を如何生きるかでアップアップなのか。
こうなると世代交代は望ましい事であり止むを得ないことであろう。
(23.07.05)

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安倍元首相殺害一周忌と二つの銃口の有無

今更と言いたいが、この事件の真実を見る目が日本人には無い様だ。

山上被告は安倍元首相を狙って手製銃を発砲した事は事実であるが、6Mの距離から狙っても誰も被害者が出なかった。そして二発目の発砲がなされたが疑問は発砲された方向以外の方向からの銃弾があったと考えられる事で有る。

奈良県警は射入口と射出口の区別が付かなかったのであろう。
そして調査しての結果で未だ疑問が残っている事は多くの人の頭の中に残ったままで有る。

流言には惑わされてはならないが、真実は誰もが知るべきで有るし、知らされるべきで有る。

ただハッキリと言える事は、安倍元首相が家庭連合と接点が有ったが故に山上容疑者の殺害行為を擁護する事等あってはならない事は当然で有る。

更には同様に政府が家庭連合に対して度を越して解散請求もあってはならない事で有ることも当然で有る。
そして何より安倍元首相と奥様の心情が解かれて行きます様にと願っています。
(23.07.08)

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日本を愛する事は変わらない

この団体が何を考えて日本に対して文句を言っているのか解らない所もあるが、要は金をよこせと言う事か。

金をよこさなければ日本は滅びると言う掛け声はかつて文鮮明師が良く言われた事であった。

韓国の御旨を手伝わなければ滅びるとの話であった。

今までもそうだったし、いつもそうだが、いつまでやれば良いのか、他国の恵みを横取りするような位なら自分が恵まれる様になれば良いのでは無いかと思うのだが、自分達は何もしない、やらない事を何も反省もしない、説明もしない、文句は人に言うと言う構図と頭の中は変わっていない。

しかしその後実際に1997年に経済破綻をしたのは韓国であった事は忘れない。これを考えると神様の為一生懸命に取組んで来た筈のメシアの国だったのでは無かったのか? 父の国と言うのは名ばかりか。
他人に私を助けないと滅びるぞと言いながら、言った相手に助けられながらも滅んだのは自分の国であったと言う笑えない話で有る。
そして母の国にしてやった事と言う事は言うが、当時誰かお願いした訳でも無い。自分達がお金を欲しいが故に勝手にそのように決めてお金を巻き上げるためのATMとして来た訳だ。この組織の責任者達は何の疑問も持たなかったのか、情け無い話で有る。
更に何度も側近がお金を持ち逃げしても公表も出来ずにいる組織でもある事を考えれば、なんと杜撰と幼稚で反省の無い、無責任と傲慢な組織であろうか。
ましてや自分の子供に巨額を奪われても信徒に対して謝罪も無いし、神様に対しては如何なのか。
「自分のお金だから謝罪もしない」と言ったところでしょうかね。
だが片や他人には数十年前の事の謝罪を要求すると言う、この自己矛盾の厚顔無恥な姿はもはや世界中に知れてしまった。この団体の恥の上塗りになった形を思えば、悪魔も悪魔の眼で見ているかの様だ。この教団は変わってしまった感が有る。教団内部には踏み絵が常に行われている状態を否めないでいる。だがそんな踏み絵は幾らでも踏んで行かなければならないだろう。
他人の金も自分の物と言う事は、自分の金は他人の金でも有ると言う事を忘れてはならない。
親心とは言え信徒も成長するのだ。(朝鮮人はともかく)
世界の事を言うならばそれ相当に対応をするべき責任と信徒に対する説明が必要でもあると思うが、それも無い。教団にはイエスマンしかいない様だ。
御言葉にもある様に「国を愛せない人間は世界を愛せない」の原理に則れば日本の食口には日本を愛する義務も権利もある。
日本人は奴隷ではないし、同じ御言葉を受け、同じ神様の御旨を為す為の同志では無いかと考えて来たが、奴隷扱いにもほどが有るのではなかろうか。
ここに反日教育の楔が見える。
まあ人として現実に間違いを理解出来ないなら知恵が無いとしか考えられ無いこの民族である。
その同志の扱いもしない朝鮮民族の間違った反日教育と考え方を変えられない理由とは一体何なのか。
まあ考え方を変えられるなら既に変えているだろう。
そうやって日本や他国の袖を引っ張るしか出来る事が無いのか。
しかしこれほど都合の良い民族が他に有るだろうか。
そう言う恩を仇で返す様に思い込みを日本に向けられての事も迷惑で有る。
歴史の中には神の指示として戦え、滅ぼせの指示がかなり垣間見られる。その結果として凄まじい血みどろの歴史を作ってきたので有るから。日本の島原の乱等は心から気の毒に思えてならない。

日本政府もまだ韓国の反日教育に対しては誰も何も苦言を言っていない事にも疑問が有る。

何故はっきり言わないのか。

これはすなわち対応できる人材が居ない事に尽きるようだが、それにも原因があるのである。

(23.07.08)

更に未だ未解決の問題が有る。
過去から現在も続いていると言われている一部の牧師らを加えた一般成人に対する宗教迫害も兼ねた暴力的な拉致監禁、強制的棄教行為が行われて来た事が何故見過ごされているのか、大きな疑問が有る。これは人権侵害としてこれから問題として解決されなければならない事で有る。
人が亡くなり、牧師によるレイプも行われた人権侵害による強制棄教の被害者が4,000人以上この日本で存在している事は事実なので有る。

これは今後の信仰の自由という問題に対して決して無視出来ない大きな問題だと思います。
家族以外の牧師や弁護士ら第三者の手が加わっての事件で有る事、4,000人以上の被害者がいると言う決して些細な問題では無いと言う事です。
(23.07.10)

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山上容疑者に利用された家庭連合

安倍元首相が殺害されてはや一年になりますが、漸く本来の事が語られ始めている事を感じています。

それは山上容疑者の様に世の中に不満があれば人を殺害してまでも個人的に鬱憤ばらしをして良いのだと言う認識で有る。

しかも一部の偏った思想家達がこの山上容疑者の行動を支持するかの様な言動が有るが、これは非常に危険な考えで有り、自己正当化でとんでも無い行動に繋がる考え方になる訳で有ってはならない事で有る。

こう言った考え方は元来共産主義の闘争方法の中に組み込まれている物で仲間の取込みと情報の撹乱が目的とされていると考えられている。

山上容疑者は安倍元首相を狙った何故なのかも疑問が残る。元来国会議員は行動範囲が広く狙い難い筈、片や家庭連合の責任者は以前にも言った様にかなり居処も突き止めやすいし、建物の住所も明示されているので、狙いやすい筈だ。ましてやその恨みの対象の筈だ。

にも関わらずだから尚更おかしいのだ。
だから目的が他に有ったとしたらどうか、で有る。

元々支援者の発生も織り込み済みか、もっと突っ込めば計画はそっちが源泉で、安倍氏への反対派の喜びそうな事案となる。
しかも山上容疑者が不遇な状況下で被害者的立場で犯行したら、情状考慮の点もある訳であり、家庭連合は彼らのおまけ状態で騒動の中に引き込める事も出来ると言う訳だ。

詰まり家庭連合は利用された訳だ。
元々齟齬は多々有るものの、其れが膨らんだ状態で、おまけに自民党の評判落としにも繋がって一石四鳥と言うものになった訳だ。

しかしこのリバースは大きいぞ。
(23.07.11)

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福島県原発処理水放出

今日から処理水の放出が始まった。

周囲の水の放射能数値を調査する10箇所の調査値に異常は見受けられていない。

だがこれらの処理水放出に反対する輩達の中心にいる中国周辺の海には常に放射能値の異常値が見出されている。

少なくとも日本の数倍と言う数値が見受けられている様だ。

自らが汚染水を出しながらであるにも拘らずこの騒ぎは非常に無責任そのものである。

対して日本は問題ある場合は政府が保障を行う事を明示している。

つまり中共政府は反対の為の反対行動をしている事を表している訳で放射能値は2の次、3の次という事で有る。

中共国民は中共政府のこう言った的外れの言動を無視している様だ。放射能被害が起こってもいないこと知っていながら日本を非難したいが故の非難であって、現実はどうでも良い訳だ。

2019年11月に南シナ海で起こった原子爆発事故は中共の潜水艦で有ろうが中共はこの事故を認めようとはしない。詳細まで判明しているにも拘らず被害の責任も取ろうともしない。

こんな無責任の政府を持った国が国連安全保障理事会の常任理事で有るなど考えたくも無い。現状を無視して駄々を捏ねている子供の様である。

こう言う政府としての頭を持った中共国民はどれだけ不幸であろうか!

隣国も似た様なものであるが、今はそう騒いではいない様だ。トップが騒ぐのを控えている事から焚き付け役の北朝鮮は隣国から中共政府にターゲットを変えた様にも思える。

つまりこの騒動の黒幕は今回もやはり北朝鮮という事だ。

そして日本と福島県のイメージを落とす為の風評被害作りを行なっている訳である。

ロシアのチェルノブイリには何も言わずに日本には言うと言う、この奇々怪界で有り、当に偏った批判である所以である。

またトリチウムは殆ど無害とも言える元素である事は良く知られているし、問題が有れば被害者が出ていても良い頃でもあるが、聞いたこともない。

こんな日本へのヤッカミの状況は世界的な一体化と発展への妨害であり、人類の幸福作りの壁となっている事を感じるべきである。

世界は今後は彼らに揚げ足を取られない様になって行く事だろう。しかし決して萎縮する事が有ってはならない!

頑張ろう民主主義、自由主義!
(23.08.26)

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人類の主張

- 絶対的な神様、あなたの権限を中心として考えると、悪魔は人類と神様の前に許されざる罪を犯したのでこの悪魔を完全に除去して下さい -

'23.08.27

コメント

御言葉選集1(12、13)

2023年07月01日 14時48分00秒 | 学習
<祈り(Ⅰ)>
 愛するお父様! ここに集いましたあなたの子供達を親しく主管してください。私達が持っている命が本当に私達が持っている命なのかどうかを知らない人にならない様にしてください。許された天の大きな恩恵を受けましたが、民族の前に残してあげる事ができない者にならない様にお許しください。

 愛するお父様。この日、孤独な道を行く少数の集団がここに辿り着き、お父様の前に参り伏せております。彼らがあなたの愛によって一つになる様にお許しください。人間を見つけるためのあなたの愛の手が、6千年の歴史に代わるこの場所で、私達と結びつくことを許してください。こうして心が心を、体が体を結び、私たち全員が一つになるようにお許しください。

許可された恩恵は私たちだけのものではありません。それは全体の恩恵です。この恩恵が民族を通じて24億人の人類にまで広がることができる恩恵となるよう、お許しください。お父様。私たちの命の中心となり、私たちの愛の中心となり、私たちの希望の中心となって、お父様の恩恵の手に満たされ、今からずっと私たちの心情にあることを願っています。愛するお父様、切望しております。

お父様! たくさんの人々がこの日、お父様に敬意を表し、お父様に向かって礼拝していることを知っております。集まる場所ごとに、お父様の愛の手が共にあり、私たちに触れてくださいますようにお願いいたします。集まった者達が彼らの全体を代表し、お父様の深い心情の前にひれ伏すようにお許しくださいませ。

お父様の秘められた愛を彼らの前に示し、明らかにしてくださいませ。そして、終わりの定めを代わりに全世界の人類の前に現れるために、不足のない団体となるように許してくださいませ。お父様の力強い御業をこの時に許してくださいませ。私のお父様、切望し、願っております。

    1

この日、私たちの心情をそのままお父様の祭壇に捧げます。相応しくない要素をすべて除いて、完全にお父様の聖なる御存在を讃え、感謝の心だけで満たされるように許してくださいませ。私のお父様、切望し、願っております。

それによって集まった、お父様の愛する子ども達の中に、一つの命でも、お父様の前に相応しくない命がないようにして下さる様にお願いいたします。自己中心的な罪の痕跡を残す息子や娘がいる場合、お父様! 炎のような聖なる霊の歴史を現して、罪の跡を持つ者達が恥じ入り、自ら悔い改めることができるこの時間を許してくださいませ。そして、四海民族を代表し、完全なお父様の前に、謙遜なる献身としてささげられる私達に再び形作られることができるように許してくださいませ。愛するお父様、切望し、願っております。

お父様、この日に参加できなかった家族もいますので、どこにいようとも同じ恩寵によって主管してくださいませ。あちこちに集まり、民族を代表し叫ぶ孤独な教団を祝福してくださいませ。お父様! その聖なる御手を通じて、檻の火がこの民族の前に現れるように許してくださいませ。そして、お父様の聖なる御意志が、お父様を敬慕する者達を通じて全世界の前に喜びの御意志として現れるように許してくださいませ。愛するお父様、切望し、願っております。

この一時を完全にお任せいたしましたので、三位一体の聖霊が主宰してくださいますようにお願いいたします。切望しながら、お父様の御名においてお祈り致しました。アーメン。


<祈り(Ⅱ)>
 この地の審判を早く実現してください。今日ここに集まった愛する兄弟たちをお父様だけが守ってくださり、お父様だけが主管してくださいますように。ただこの一時でも、私を中心としたものが何もない時間をお許しください。

    2

私の生命も私のものではありませんし、私の知識も私のものではありません。私の概念全ても私のものではないことを知るこの時間をお許しください。ただお父様の前に託されたものとして、天が動じれば私も動じ、天が決めれば私も決めるようにお許しください。

お父様、傷つき悲しい心で悩む兄弟たちがいますので、彼らの立場と状況をご存じのお父様にお願いします。彼らの身体と心に、天から降り注ぐ永遠の命の炎が灯るようにお許しください。お父様の前で、再生の歓喜が戻ることのできるこの一時をお許しください。

世界のどんなに概念が偉大であると言っても、天倫に比べることのできないものである事を知らせてください。世界の無知がこの地上に蔓延していることを知らせ、その罪深い影が全世界と関係を結んでいることを知らせてください。

それによって自己の不足を悟り、天倫の動きに感動し、全体に対して「皇恭な心」を感じることのできるこの時間をお許しください。愛するお父様、切望しております。

お父様、傍におりますので命令を下してください。集まって座っておりますので、お父様のご意志に沿った御言葉をお下しいただきますようにお願いします。復活の力を示し、阻まれた障壁の闇を打ち破り、進むことができる力と能力が爆発するように許してください。切望しております。

    3

心は願いだけであり、肉体は弱いため、この弱い肉体を打ち砕くことができる力を示し、権能の手で導かれ、再創造の恩寵を与えてくださるお父様の手の前に、真実に負債を返すことのできる地となれるようにお許しください。栄光の姿に造り出される、柔和で謙虚な者となれるように許してください。愛するお父様、切望しております。

今日、不足な私達をお父様がお呼びくださったので、お父様の希望を成し遂げることができるようにお許しください。滅びゆくこの民族、途方に暮れているこの民族、哀れなこの民族の生きる道を見つけるために、祭壇を現すことをお許しください。今日、私一個体をお父様の前に立て、質問と回答ができる場に立たせてください。私の一個体が天倫が要求する使命を受け、果たすことができるようにお許しください。

すべての悪と戦い、区別することができるようにお許しください。善と悪を区別し、善の立場に立つことを許してください。善のものが残り、悪魔の悪事は清算されることを信じ、正しい道に進んで、お父様の栄光の中で生きる者となれるようにお許しください。お父様、切望しております。

お父様! 三千万の民族を憐れんでください。この民族のために涙を流す神の子女たちの涙が天に響くように許し、この民族が悔い改めることのできる天の感動的な歴史を示してください。悔い改めることのできる復活の歴史が、この民族全体を通じて現れるようにお許しください。そうして、お父様の望まれる新たな意志を新たな心で受け入れる民族となれるようにお許しください。お父様、切望しております。

ここに集まった、お父様の愛する子どもたちを一人ずつ呼び出し、個々の個性で区別してください。お父様、まずは心と身体、そして生活を永遠の理想に干渉させてください。この時間だけでも全体の意志の前、お父様の望まれる目的の前に、すべてを捧げ、お父様だけが受け取ることのできる供物として礼拝する時間となるようにお許しください。お父様、切望しております。

    4

すべてを主管してください。主の御名においてお祈り致します。アーメン。


《祈り(Ⅲ)》
 愛のお父様、哀れな民族に天の心情を伝えようとするものの、この地上に生きる人々はまだその心情を知らずにいます。彼らは天の内的な心情が地上とは全く関係のないものと考えているため、哀れな人々の無知をこの時間にお許しください。

お父様! 今日ここに集まった少数の子供達が天が彼らに大きな使命を求めていることを知り、その責任を果たす心を持てるようにお許しください。意志の前に立たせ、行動によって彼らを明らかにしてください。

意志に捧げる心情を持った子どもたちは何人いますか? 愛するお父様! 言わなくてもお父様の心情を理解できる人は何人いますか? 呼ばなくてもその意思を察し動く人は何人いますか?

お父様! 彼らが天から得たいとするものは大きいですが、天が私たちに対して求めることも大きいことを知っております。お父様! この時からでも少数の家族がお父様の意志を受け入れるため、不完全な身体をお父様の祭壇に差し出したいと願っておりますので、受け取ってください。傷ついたものを傷つきのままと見なさず、愛によって受け入れてください。

お父様が直接愛される私達でなければ、サタンの嘲笑を免れることはできないと知っております。お父様、全体を容認してください。天が秘めていた生命の出会いを分かち合えるお父様の恩寵を、この時間にお許しください。

    5

ここに集まった人々を見つめるとき、不足な人々であることを知りました。お父様! 溢れる力を与えて下さり、彼らの力の不足なことを忘れ、罪の意識を完全に忘れ去ることをお許しください。彼らの前にはただ生命だけが現れることができるこの時間を、直接的に体験出来るようにしてください。

お父様! この日に集まった群衆が受け取る者の心で、からの器を持ち、お父様の前に逆さに返して差し出すことをお許しください。生命の水を注いで、からの器を満たし、真実を立ち上げてください。天に向かって、お父様の前に身を起こし、手を上げてすべてを捧げることができるこの時間をお許しください。愛するお父様、切望し、願い求めます。

この時間、彼らの前に立っていることで、伝える言葉が一生に一度しかない、歴史の過程に欠かせないキリストの重要な御言葉であることを悟らせてください。重い罪の重荷を負っている彼らが、御言葉の基盤の上で復活の力によって勝利の実績を持つことを知っております。

今日、私たちもイエス様の前に全てを委ね、十字架によって復活の条件を確立したその基盤の上で、天から再び生み直されることをお許しください。愛するお父様、切望し、願い、求めます。

この時間、全てを主管してください。主の御名によってお祈り致しました。アーメン。

    6

<御言葉>
今日お伝えしたい言葉は、 「神様が知って下さる栄光に参加しましょう。」です。このタイトルでお話しします。

 天輪の意味を証明すべきだった洗礼ヨハネは、全世界の前に自らの使命を果たせなかった事を原因として、イエス様は悪魔と戦わなければならない困難な関門の前に立つこととなりました。イエス様の状況を理解すべきイスラエル民族は、イエス様の事情を理解せず、悪魔がイエス様の前に立ちはだかる困難な苦難の道へと追い立てる立場となる中、天上のあらゆる存在があってもまずイエス様を理解するべきでありながら、誰も理解しない立場でイエス様は一人立ち、天の意志を知らない民族に対してその意志を伝えようとしました。

自らが知り得る内なる内容をこの無知な民衆の前に伝えなければならない使命を感じたイエス様は、自らの神を万民の前に立てるとともに、神だけが理解してくれるという一つの心を頼りに、新たな覚悟と新たな希望と新たな決心を民衆の前に宣言するために立ち上がったのです。今日の御言葉は、このような内容として重要な御言葉です。

人の幸福はどこから来るかと言えば、自分を理解してくれる人を持つときにやって来るものです。さらに、自分の過去を理解し、現実を理解し、さらには自分の未来まで理解してくれる友人、仲間、または師といった存在があれば、その人は幸せになるでしょう。

そして、人の安息の場は、そうした人々の膝元で形成され、またそうした人々が存在する環境を通じて喜びと幸福を感じることができるのです。

    7

イエス様は天上におられる神が歴史を通じて自分を知り、30年の生涯を通じて自己を知り、永遠なる神のみ旨を通じて自己を知ることを悟られました。

イエス様は、神様が自分を知ってくださった様に、全ての人類に歴史を通して知らせなければならなかったし、彼らの生活を通して知らせなければならなかったし、未来を通して知ってくれる立場に立たなければならなかったのです。この事を知ったイエス様は、人間に神様を知らせるべき中心的な存在がまさに自分自身である事を感じれば感じるほど、どんな形でも民族の前に神様を証ししなければならなかったのです。

まず、イエス様が証明しようとしたことは、自分が神の意志の前に4千年にわたって経てきた神様の摂理と断ち切れない関係の縁を代表する存在であるということでした。4千年の摂理を通じて神様がイエス様を理解されたように、全てのイスラエル民族が神様に導かれるべき責任を感じたイエス様は、自らの生涯の経緯から神様の御旨を民族の前に示そうとしました。

また、彼の30年の生涯の摂理の中で、人類が自身の将来の理想と一体とならなければならないことを悟った時、イエス様は天から地上の人々が自己を理解する理想的な世界まで、自らの神様を通じて人々に知らせなければならない責任を感じました。

過去から現在へ、現在から未来へと続く永遠の天上界や地上の出来事、そしてどんな存在であれ、無限の時間を経てイエス様一人に至る摂理の歴史が残されていることを考えると、この摂理を天の前で明らかにすることはイエス様だけの使命ではなく、何千万もの聖徒たちの前で明らかにすることもイエス様だけの使命ではなく、歴史的な先祖たちの前で明らかにすることもイエス様だけの使命ではありませんでした。

    8

イエス様は全体を代表して御旨の前に立つ存在として、神様が自分を知っていただくことと同様に、神様を代表して国民を知って頂かなければなりませんでした。イエス様が神様の代わりになるように、国民がイエス様を代わりにしなければなりませんでした。さらに、イエス様が神様を知っていただくように、国民がイエス様を知って貰う関係を築かなければ、イエス様は人生で真の幸福を感じることができないということです。イエス様は天上では神と共に喜びを感じることができましたが、地上では人々に知られずに喜ぶことができない立場にありました。

イエス様の御言葉は、天上だけを知ってほしいという御言葉ではなく、天上だけのための福音ではありませんでした。彼の言葉や努力、そしてすべての困難な闘いは、歴史的な国民のためであり、将来の国民を導くためのものでした。しかし、当時の人々はこのような事実を知りませんでした。もし地上の人々がイエス様を知り、彼の生涯を理解していたならば、それほど悲しみに満ちたものにはならなかったでしょう。

では、神様はイエス様をどの程度理解されたのでしょうか? 神様はどのようにイエス様を理解されたのでしょうか? 創造の始まりから人類の歴史の進行、歴史の関係を通じて、その時代の社会全体まで、さらにはイエス様の未来の理想までをも神様は理解されました。

無知な人々の前に現れたイエス様は、天の使命を受けて自身が神の子であることを証して労苦を重ねました。そして、歴史の舞台で神様が無限に労苦された悲しい思いに共感し、戦いました。また、歴史の中でご苦労された先祖たちを慰め、その悲しみを和らげようとしました。神様はイエス様をそのような存在として立てられたのです。

イエス様には神様のための心があり、その心を人々の前で伝えたいという悲しい思いがありました。このような悲しい心がイエス様に残っている以上、イエス様を扱われる神様の心も悲しい思いにならざるを得ません。人間が責任を果たせなかった結果として、神様が悲しみと悲嘆の中におられることを私達は知る必要があります。

    9

それでは、神様はイエス様をどの程度までご存知でしたか? 神様はアダムとエバを中心とした夫婦の理念を通じて、子供たちの栄光を全世界に現す為の存在としてのイエス様として考えておられました。

では、イエス様は神様をどの程度ご存知でしたか? 自身が歴史を代表する存在と考える一方で、神様がマリアを中心とした家庭生活から現実の人生の経過まで、夫婦の信仰を自身を通じて地上に示し、善の栄光まで地上に現したいと望んでいることをイエス様はご存知でした。そのため、イエス様の言葉は歴史の怨みを解消する言葉でした。

イエス様はマリアの従順を神様がご存知であることを知っていました。マリアの状況も神様がご存知であることも知っていました。より謙虚な立場から出発点を築かなければならない夫婦の信仰が神様が望んでいることを知っていたのです。また、悲劇的な出生の中で善の期待を望まれていることも知っていました。このように、イエス様が神様を知る知識を人々が理解していれば、イエス様の愛の意志と人々が関係を築くことができたのですが、当時の人々はそれを知らなかったのです。

従って、イエス様は神様と話ができましたが、人々との話はできなくなってしまったのです。イエス様の知識と神様の意志、そして地上での救済計画を伝えることができる人がいなかったため、イエス様の悲しみは全世界を失った悲しみよりも大きなものであったことを皆さんは理解する必要があります。

愛は最初に天倫の愛を経て、親の愛を経て、夫婦の愛に至ります。私たちは堕落と人間の繰り返される過ちのために回帰の道を辿っているのです。

    10

したがって、成人になるまでの人生では、親の愛を受ける時期です。その時期が過ぎた後は、自己を中心とした愛の時期であり、夫婦の時期です。その後は子供に対する愛の時期が訪れます。

では、神が6千年の歴史を経ておられる中で、イエス様が現れるまでどのような愛の時期であったでしょうか? イエス様を通して、神様が直接的に親として愛を与える時期でした。その後、イエス様が親の愛の領域を超えて自身の家庭生活を築く時期が夫婦の時期です。

では、今後進むべき時期はどのような時期でしょうか? それは夫婦の理念を地上で成就させる時期です。そのためには、地上でイエス様が内なる神様の意志を中心にし、家庭的な期待を展開する必要があります。そのためには、まず霊的な夫婦の生活を地上で展開しなければなりません。霊的な天の家庭生活を地上で展開し、地上で歴史を代表する家庭の形を形成する必要があるのです。

イエス様の後、2千年の歴史を経て、今は天と地が結びつき、内的な形と外的な形が結びついて一つの実体を形成し、それと関係を築く時期です。皆さんは自己を中心にし、新しい親の子供となるべきです。この時期、親は新しい子供を育てることができなければなりません。そして、その新しい子供を通じて新しい夫婦の理念を地上に確立するのです。これが歴史の中で残された理想です。

それでは、イエス様が来られた目的は何ですか? 内的な家庭型と外的な新郎新婦の理念と子供の生活を総決算する事でした。外的な基盤だけでなく内外が開いて相対的な基準を終結させる事で、天倫の願いは、誰にでも内的なものから一つの基準を立てる事ができる歴史的な家庭形態の復帰路程を経ていけるのです。誰もを通して現実と歴史的な事実だけでなく、決定的な事実として、皆さんは神様がイエス様を立てるまでの家庭的な生活様式を立てなければなりません。

    11

イエス様が新約聖書を中心に2千年間摂理してきた信頼できる新郎新婦の実証的な内容を皆さん自身が持っていなければ、新郎新婦の基準を堂々と見つけ出せないでしょう。

皆さんが存在し、実在できる一つの具体的な善の子どもを地上に置き、恥じるべき子どもではなく、罪悪の歴史から完全に解放され、どんな敵もあざ笑えない子どもを立てた後、隠していた天上の秘密の心情を知り、実体である私を立てて天からの愛を受け、天と相談し、交わりを持つことができるでしょう。

皆さんが今日の信仰生活を通じて信じているイエス様、神様が知っておられたそのイエス様の目的は何でしょうか? 皆さんがイエス様を知る程度はどの程度でしょうか? 皆さんは夫婦の姿をイエス様と聖霊だけで知ることではいけません。

皆さんが一生を通じて家庭の具体的な愛を通じて、内面的な愛を経て永遠の命の基盤、永遠の救いを達成する勝利の基盤を残せなければ、天の理想や天の希望は皆さんとの関係を持たなくなります。さらに、それは神様のものになり得るし、イエス様と聖霊のものになり得るが、私のものにはならないということです。

そのため、皆さんはイエス様を知るためには、イエス様自身を知るだけではなく、イエス様を中心にして調和できる人である必要があります。そのような人は、神様がイエス様を知っておられた様に神の子として、イエス様と同等の存在となり得ます。彼は地上で歴史を代表し、現世を代表し、未来を代表して堂々と立ち向かうことができるでしょう。そのような存在がこの地上に現れるとすれば、彼自体が歴史を知り、イエス様の教えを知り、イエス様が望む世界を代表することができる存在であるでしょう。

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そのような存在となるためには、どのような条件を提示しても神様の前で感謝できる人であり、どのような環境でも希望を失わない人となる必要があります。イエス様は、私が何を愛するかよりも強い神様の希望と愛が共にあるべきだと感じたのです。

そのため、環境が変わり、歴史が変わり、天地が混乱する中でも、最後の瞬間までイエス様が考えていたのは、人間でした。人間のために断ち切れない永遠の関係を結び、永遠の命と中心の心情を代わりにしようとしたのです。そのため、十字架もあるのです。そして、死も早く来ると言えたのです。

今日、皆さんが生活を通じて、人生を通じてそのような感覚を感じることができないと言えるならば、皆さんはイエス様を知っていても知らないことと変わらないでしょう。

ですから、皆さんは今後、御旨の全体的な歴史形態を代表し、全体の歴史を代表し、永遠の歴史を代表することで、永遠の神様の動的な心情と静的な心情にまで通じる関係を築かなければなりません。そして、歴史に結びついた罪を解消し、万民の前に現れなければなりません。そのような人として現れることができないと言えるならば、イエス様が求めている、つまり天が認める子どもではないことを皆さんは知らなければなりません。しかし、もしもそのような人が存在するとすれば、彼は自分が口にする一さじの食事でも神様に感謝し、息をするその一息からも神様の愛を感じることができるでしょう。

天地の運勢が無言で巡り行くのと同様に、私の心も新たに無限に巡りたいと願っていますが、なぜそれが叶わないのでしょうか?  天地の力と愛が結びついて天倫の原則の基準が連動していることを私達は忘れているからです。

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ですから、今日の私達は自分の生活の中で、イエス様が神様を知ったように、イエス様を知らなければなりません。そしてイエス様が神様の心を知り、イエス様の唯一神の栄光が天に還っていったように、私を通じて私の栄光をイエス様に帰すことができるように、イエス様に従って行く心を持つ必要があります。イエス様が神様に従い、神様の愛の心を知っているのに、私達がイエス様を知らなければ、イエス様の使命的な願いはどこで成就されるのでしょうか? 今日、皆さんはこれを考えなければなりません。

今日、皆さんはイエス様のために瞬間瞬間を生きていると言えるでしょうか。皆さんは全ての国々と全ての民族のために存在できなければなりません。歴史の終末時代までその流れと天倫の心情を永遠に感じながら、万物の主役として天の栄光を讃え、天に栄光を帰すことができる集団とならなければなりません。

これこそがイエス様の希望であるならば、私自身がイエス様に代わって天の前で栄光を帰すべきです。したがって、皆さんは夢のような事実を夢ではなく現実で実践できるようにならなければなりません。神様の願いはそのような意図を成し遂げることです。神様とイエス様の心情に通じていたその要求と望みが皆さんを通じて現れています。

もしもこのようなイエス様の心情を通じて神様の内なる心情に従い、父の代理者となりイエス様の代理者となることができる、地上で真にイエス様を信じる人がいるならば、イエス様を知ってくれたことと同様に神が知ってくれるでしょうし、神様が知ってくれると同時にイエス様と聖霊も知ってくれるでしょう。また、イエス様と聖霊が知ってくれる同時にイエス様と聖霊と結びついている天使達も知ってくれるでしょう。しかし、今日の人々はこのような栄光の賜物を賜物として認識していないのです。

イエス様は神様だけを知ってくださったが、私達は神様も知ってくださり、イエス様と聖霊も知ってくれるでしょうし、天にいる無数の聖徒達も知ってくれるでしょう。ですから、私達は地上で神様を知ることができれば、イエス様と聖霊を通して霊界でも認められることになります。それゆえ、私自身がこのような認識の中で立ち、イエス様を通して2千年間も支配された神様の心を知ってくれる人々とならなければなりません。

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神様の主管の理念は皆さんを通じて現れなければなりません。このことを考えると、私達は恵まれた群衆です。イエス様が十字架に向かわれた時よりも、より恵まれた立場にあることを知らなければなりません。

イエス様は神様のために独りで死に向かわれました。しかし私達は神様のために、またイエス様と聖霊のためにも死ぬ覚悟をしなければなりません。そして、無数の聖徒達は私達の進む道を支え、私達を歓迎する存在とならなければなりません。

私は悟りました、お父様の御働きによって無数の聖徒達が今日私を通して慰めを受けることができるようにお願いします。私達はできる限りの事を行う者とならなければなりません。その時、皆さんは天の主管全体を代表し、勝利の栄光を示すことができるということを知らなければなりません。


≪祈り≫
 お父様! 信じる者達は、お父様の前で悪臭を放ちながらも自己を悟りませんでした。お父様! 天上の心を通じて私自身を知ることをお許し下さい。また地上にて私自身を知ることをお許し下さい。

天上と地上が結びつく栄光の一つの意味を、私自身が知ることを許して下さい。また、お父様、今日ここに集まった子ども達を愛して下さい。そして、お話したいお父様の悲しい心さえも理解できるようにお許し下さい。お父様を中心に天を向かう心をお許し下さり、永遠なるお父様の人生の道を私達が知り、天を知り、天の栄光を崇拝する子ども達となるようにお許し下さい。熱望して願っております。

    15

この日に集まった全ての子ども達が、お父様から流れる愛の力を受けて、お父様が動かれるならば私達も動き、お父様が定められるならば私達も定めることができる相対的な祝福をお許しください。私達が通じて、お父様の全体的な心配を軽減し、歴史的な支配を代わりに果たすことができるようにお許しください。

また、天上と地上を左右することができるお父様の永遠の王国を築き上げることによって、神様が知り、イエス様、聖父、聖子、そして全ての聖徒が知り、地上の全ての聖徒まで知ることをお許しください。

お父様の知識の栄光を勝利の条件とし、悪魔の支配を打ち破り、勝利の舞台を形成することができるようにお許して下さい。熱望しお願い致します。
すべての御言葉を主の御名においてお祈り致します。アーメン。










文鮮明先生御言葉選集 1 - 13. 復帰の価値を示す(1956年7月18日)
復帰の価値を示す 1956年7月18日(水)、元本部教会。
聖書拝読 使徒行伝1:6-11


<祈り(Ⅰ)>
 愛するお父様! 3日間、お父様の愛の庇護の下で過ごした後、この夕方再びお父様の前に身と心をかがめ、礼拝するために集まったすべての子ども達の頭上に、お父様の栄光が共にあらんことをお願いいたします。

耐えられながら、摂理されてこられたお父様の愛の手が同様に現れ、彼らには人々がお父様を礼拝せざるを得ない心の感動が生じるようにお許し頂き、そしてそのために柔和で謙虚な心でお父様にひれ伏し、礼拝することができるこの一時となるようお許し頂きますように。

    16

愛するお父様! 慈悲深いお父様! 私たちだけでは、私たち自身の力だけでは善と悪を判断し、善を高めることはできません。しかし、父が天に隠された善の力と、天に秘められた愛の力を復活の力として示し、私たちが善を行う能力をお許し下さい。復活の栄光を備え、心と身体を捧げてお父様に敬意を表し、心と身体を捧げて栄光を示すことのできるこの時をお許し下さい。愛するお父様、熱望し、お願い致します。


今、伏せたすべての子どもたちの心を、お父様、聖別して祭壇の供え物になる様に主管して下さい。それぞれの内面に応じて聖別の手を差し伸べて、個々の心と身体を明らかにできるようにして下さい。一つ一つ聖別して下さり、正しくない要素を排除しなければなりません。お父様、自ら判断の主人となって下さり、心情の主人となって下さい。

善悪を判断し、悪を処し、善だけを持った犠牲として、一つの中心を通じてお父様の御前に捧げられるように許して下さい、私のお父様、熱望致します。

お父様! 今、集まりましたので、顕現するお父様の姿の前で、不完全な自我を認識できるこの時間をお許し下さい。過去の罪悪の力を受けて死の中にある自我を発見し、お父様の前で、善の栄光の祭壇の前で自己を明らかにすることのできるこの時間をお許し下さい。過去の正しくない習性や、お父様を信じない概念を排除して下さい。新たな善の刺激を受け、お父様の御姿の新たな価値を感じ、心と身体で衝撃を受けることのできるこの時間をお許し下さい。悔悟(かいご) と感動の歴史を繰り広げていける様に、愛するお父様、熱望し、願っております。

お父様、少数の集まりがここにありますので、主導していただきますようお願いします。ここに集まった子どもたちの中で、悪魔の支配を受ける子どもがいないようにお許し下さい。お父様の再創造の苦労の歴史と全能の歴史を経て、今日の世俗的な思いを捨てることのできるこの時間をお許し下さい、お父様、熱望し、お願い致します。

    17

合理的でなく、正しくないすべての罪悪の要素をこの時間、お父様、除去してください。直接介入し、主導することができる栄光の要素だけが集まった聴衆全体に満ちに満ちて働いてください、満ちに満ちて主管してください、愛するお父様、熱望し、お願い致します。

お父様、この夜は孤独な集まりが各地に広がり、民族を代表して天に敬意を表する時間であることを知っております。孤独な集まりを友として受け入れ、彼らと共に働くお父様、彼らと供に働く私のお父様、彼らが置かれたどんな環境や立場においても、お父様、彼らの天に対する忠誠と献身だけは変わらないようにお許し下さい。

悪魔の冷笑に困惑することが山のように立ち塞がっても、それを踏み越えて進むことのできる天の勇者として立てて下さい。終わりの時に託された使命を果たし、父の願いを達成した後にも残り続けるように導いて下さい。戦い続けることができる変わらぬ天の力を共に与えて下さい。私のお父様、切に願い求めます。

この夕べ、われわれの民を代わって集まる数多くの祭壇の上にも、人類に代わって集まる数多くの祭壇の上にも、聖三位一体が同じ歴史として臨まれますように。終わりの成就を彼らに予告し、立てられ、求められなければならないお父様の本来の御旨を早くこの24億の人類の前に明らかにされるように、この地上に現れることをお許しください。愛するお父様、切に願い求めます。

最初から最後までただ使命に委ねられた献身として、お父様がお供えになれる祭壇を築き、喜びの体現となる歴史と能力と栄光だけが現れるようにお許しください。主の御名においてお祈り致します。アーメン

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<祈祷(Ⅱ)>
 一つの目的を達成するために努力し、多くの人々が知らない孤独な旅路であったことを知った時、ヤコブが歩んできた21年の生涯が私たちの信仰の道として残っていることを考えると、その苦労の足跡ごとに涙とため息が湧いてくることを感じるでしょう。

お父様、今日ここに集まった方々も、ハランの荒野を前にラバンの家に向かって歩んでいたヤコブの道を見本とし、御旨の道を歩むために立ち上がった集団でありますので、彼ら心情を知り、彼らの友となってくださる様にお願い致します。彼らの道を守ってくださる様にお願い致します。

私達の進む道の前には多くの悪魔が立ち塞がっていることをご存知でしょうか? 闇の支配が妨げとなっていることをご存知でしょう、愛するお父様! ヤコブが歩んだ道を見本とし、歩もうとする子供達の心に、揺るぎない中心だけが残るように許してください。一途に天徳の御旨だけを心に抱き、肉体のあらゆる条件を忘れて駆け出す子供達になることを許してください。

そして、最後の戦いの勝利をお父様の前に差し出すまで辛抱しながら戦い続けなければならない道が残っていることを知るのです。お父様! 力を与えて下さい、能力を与えて下さい。ヤコブの孤独な心情を受け継ぐ、大地から天の果てまで降り立った階段を、天の天使達が上り下りするその栄光を見つめる恩寵を、この場にお許し下さい。

この方々が最後まで協力し、天にいらっしゃることを知らせて下さい。お父様の忍耐の心情を知らせて下さい。お父様の永遠の御意が成就するその日まで、戦いの勇者として戦い、勝利を収めさせて下さい。愛するお父様、切望致します。

    19

今、全てをお任せしました。私達がお父様に願い求めた切望の心をお分かり下さい。心からお受け取り下さい。心身を一つに結びつけ、献身的な犠牲として捧げることができる恩寵をお許し下さい。お父様、切望しております。

お父様! 今、この時間全てが許された恩寵に感謝できる時間となるようお許し下さい。私達の個人的な主張を防いで悲嘆の群れとなり、悪魔の陰謀を抱えることがないようお許し下さい。勝利の栄光を受け入れ、温和で謙虚な献身の犠牲として、心身を捧げて天の勝利の犠牲となることができる時間となるようお許し下さい。愛するお父様、切望致します。

心と体を完全にお父様の前に差し出しましたので、全体を勝利の栄光の下に統率して下さい。喜びの恩寵をこの時間で分かち合えるようお許し下さい。切望しお願い致します。主の御名によってお祈り致しました。アーメン。


<祈り(Ⅲ)>
 お父様! 一人の心が天の前で中心を失った時、その影響が集まった人々に大きく及ぶことを、各自が認識できるようにお許し下さい。もし私の一身が不完全であり、悪魔に惑わされると言われるならば、準備された祭壇全体がお父様の前に捧げられないことを知らせて下さい。

もし天の歴史が現れ、区別の歴史が生まれると言われるならば、中心を失った者はカインの道を歩むことになり、中心を保った者はアベルの道に立つことを知っています。この集まりの中に多くのアベル的存在をなせる様にお許し下さい。カイン的な立場に加わることができないようにして下さい。

    20

お父様!この時、区別された歴史を創っていかなければならないので、今、各自が自らの心を明らかにできるようお許し下さい。私達の心に中心を築き、天の右側に立つことができるようお導き下さい。

左側に立ちながら右を見て迷う心を持たないよう許して下さい。天が喜ばれる場所に向かい、温和で謙虚であり、何ものにも屈しない姿勢で父の前に謙遜である者になれるようご協助下さい。天上の中心と調和するために、全力を傾けることをお許し下さい。お父様、切望しお願い致します。

この夜、お父様の愛する子供達が命の御言葉を受け入れることができるようにして下さい。身と心に天からの新たなる炎の御言葉を伝え、私達一人一人が自らがどの位置にあるのかを悟ることができるようにお許し下さい。

そうして天が喜ばれるその日の心を見つける事が出来るようにお導き下さい。適切な姿勢を立てるようにごお許し下さい。お父様の祭壇の前に喜びの存在として立つことができるようにお許し下さい。切望し、お願い致します。

本日の夕食の時、幼い子供達の前で許しを得てお話をさせて頂きたく思います。お父様、ふさわしい御言葉をお示しいただき、御心と御望みがこの一時に実現されるようお許し下さい。

    21

私達にあるあらゆる邪悪な心を取り除き、善い心の基盤の上に喜びの栄光の霊を受けることができるようにお許し下さい。

この時間、御言葉を伝える者の心や受け取る者の心がお父様の姿に似て一つの姿を備え、交わる時間となるようにお許し下さい。そうして天が私たちを通じて動くことができる貴重な時間となるよう、お許しを願います。

聖霊の炎によって全体を導いていただけるよう、切望いたします。愛に満ちた主の御名によってお祈りいたしました。アーメン。


<御言葉>
「使徒行伝」1章6節以下の箇所を中心に、「復帰の価値を示す」というタイトルでお話しいたします。

神様が堕落した人間を救いたいと思われる目的は、皆さんがよくご存知のように、人間に創造本来の状態を回復させるためにあります。神様の御意志を先に悟った数多くの先知聖賢たちは、その時代時代を経て出てきながら、このような復帰の目的を担い、その意志を成し遂げるためにこの一つの目標に向かって努力してきました。

    22

すなわち、イエス様がおいでになる前までの約4千年の歴史もまた、そのような歴史であり、イエス様がこの地においでになり30年以上の生涯を闘った労苦もその目的を達成するための労苦であり、お亡くなりになった後の約2千年間、聖霊と共に闘いの歴史を展開されたこともまた、この一つの目的を達成するための闘いの労苦であったということです。

イエス様がこの地上においでになった目的は、歴史の復帰のためであり、また自己の復帰を超えて世界の復帰の使命を持っておいでになったということです。ですから、イエス様がこの地上においでになられて伝えられた福音の御言葉は、過去のイスラエルの歴史を復帰するための御言葉であり、30年以上のご自身を復帰するための御言葉であり、さらには世界人類を復帰させるための御言葉であったのです。

その経緯から、現代まで人々はイエス様が遺してくださったその御言葉を通じて復帰の使命を分担しながら、歴史の過程を経て出てきているのです。

そして、今日の皆さんは、2千年前にイエス様が授けてくださった新約の御言葉を中心にし、過去6千年の歴史を蕩減し、また未来の永遠の生涯に代われる忠臣の姿勢を備えて、自己を復帰しつつ、歴史を復帰し、未来を復帰することができる勝利的な価値を見つけなければなりません。そうしなければ、イエス・キリストがこの地においでになり、4千年の歴史に代わりご自身の30年以上の生涯に代わった福音の御言葉や万民を復帰するための生命の御言葉として遺されたその福音の御言葉は何の成果も結ばないということです。

今日の皆さんは、4千年の歴史に代りイエス様の恨みを解いていく子ども達にならなければならず、30年以上の生涯を通じて万民の前に新たな復帰の理念を確立し、天の勝利的な基盤を築こうとしたイエス様ご自身の復帰の使命、また聖霊と共に2千年間努力されたその使命を完成させる子ども達にならなければなりません。

    23

そして、皆さんは歴史を代行した立場から勝利的な復帰の栄光をお父様の前に差し上げ、勝利的な生涯を過ごされたイエス様時代の価値を超えた価値として、お父様の前に栄光を差し上げなければなりません。

また、イエス様が新たな福音の御言葉を宣言することで2千年の救済の使命を果たされたように、今日の皆さんも再び天から新たな御言葉を引継ぎ、全体的な復帰の使命を終結させ、それを後世に長く伝えていかなければなりません。このような使命が今日の皆さんに残されていることを、皆さんは一瞬も忘れてはいけないのです。

イエス様自身が神様の復帰の歴史を達成するために、人類の前に完全な立場で現れて歴史を進めてきたかと言われれば、そうではありません。イエス様は具体的な復帰の内容を示すことはなく、復帰の歴史を進めてこられたという事実を私たちは原理を通じてよく知っています。

自らを隠し、象徴的な証の御言葉を通じて天の意志をこの地上に実現するための復帰の歴史を遂行され、天の栄光も完全に人の前に示さずに復帰の使命を果たされたということです。そのため、私達は使命の具体的な内容を明確に示さずに復帰の歴史を推進してこられたイエス様の内的な心情を知らなければなりません。

では、皆さんが今日復活の栄光を得るためには何を知る必要があるでしょうか?

    24

まず、皆さんはイエス様が示せなかった隠された復活の価値を生活を通して知る必要があります。次に、心を通してイエス様が表せなかった隠された復活の価値を知る必要があります。その後、永遠の命の価値をイエス様が示せなかった隠された復活の内容を知らなければなりません。

そして、神様が天倫の復活の栄光を完成させようとされる時、私たちは何を知る必要があるでしょうか?

イエス様が30年以上の生涯の中で心の奥深くに隠しており、全ての人々の前で語り明かせなかった内容は何であるかを知る必要があります。

もし、このような内容を皆さんが知らなければ、皆さんを通じて天上と地上の全ての復活の価値の内容を示すことはできません。

今日、私たちがイエス様が明らかにした福音の御言葉を見てみると、その中にはイエス様の具体的な生活内容は全く書かれていません。では、イエス様は何を暗示したのでしょうか。それは奉仕の生活を通して、自身の隠れた生活の一面を暗示したのです。つまり、自らを高められる栄光の子であったにも関わらず、栄光を受けた自己の身を低くし、すべての罪人の足元に入り奉仕する生活を通して、隠れた一面を示したのです。また、イエス様は誰にも話すことができない心の中に隠れた一面を言葉ではなく生活によって示したのです。イエス様は自身の周りにいる12人の弟子達にさえ、自身の内面を明かせなかったのです。

    25

そのような秘密を公表できなかった理由は、天上の秘密を心に秘めていても、その秘密を理解し受け入れる人がいない場合、その秘密を公表すれば悪魔に利用される可能性があるとイエス様はご存知だったからです。つまり、イエス様は父なる神から知らされた真実を独りで抱えていて、人々に伝えるべき悲しみと情熱を持っていましたが、そのような心を理解し受け入れる人がいなかったため、天上の秘密を人々に公表することができず、隠した心の一面を人々に示すことができなかったのです。

そのため、イエス様は最終的に十字架の最高峰に至り、公会堂の指導者やピラトの前で自分自身をユダヤ人の王と称する罪で尋問を受けることになりました。その時、イエス様は黙っていましたが、ピラトが「おまえはユダヤ人の王か?」と問われた時にようやく自身を明らかにされたのです。

善良で正義を重んじる天の側の人々がイエス様を彼らの王として受け入れ、彼を永遠の栄光として礼拝すべきであったのに、イエス様はピラトの前で囚人として尋問を受ける立場になりました。このように避けられない状況で悪魔の尋問を受けることになった時、神様の悲しみに代わる立場から、黙っていた口を開いて真実を証言されるようになったのです。

これを見ると、どれほど天の歴史であっても、悪魔が天の側に対して真実を明らかにし、疑問を投げかける場合、天の側でも隠された心を明らかにすることが避けられず、また悪魔の側でも神の側にある聖徒たちが悪魔の隠された秘密の心を暴き出すと、それを明らかにして非難せざるを得なくなることを私たちは理解できるようになります。

イエス様は、自身の内に誰にも明かされなかった復帰の内容を持ち、日常の生活の中で奉仕を通じて天の法則を実践し、その実践の面でも他の誰よりも先駆者の立場に立って隠された復帰の内容を示されました。ですから、皆さんはこのような復帰の理念を代わりにできるイエス様の心に触れ、「あなたの心もそうでなければならないのではないか」と問いかけることができる人にならなければなりません。

    26

もしもそのような人が現れないのであれば、歴史がどれほど経過しても、イエス様の心に隠された法則の秘密はこの地上に明らかにされることはないということを皆さんは確かに知る必要があります。

そして、今日の皆さんはイエス様が生活を通じて示された再臨の秘密を知る必要がありますし、心の中にある再臨の内容を知る必要があります。その後に、皆さんは神様に自信を持って立つことができるし、サタンに自信を持って立ち向かうことができる人、つまり一つの勝利的な生命を再臨によって完成させた人になることができるということです。

イエス様は30年余りの生涯を通じて、4千年の歴史を総括し、天上と地上のすべてを代わりに再臨の中心を完成させました。しかし、今日までにこのようなイエス様の完成された価値、つまりイエス様が持っていた心の中の秘密や明らかにされていないイエス様の生活の価値を引き継ぐことができる人がいなかったのです。

従って、そのようなイエス様の内的な秘密や生活の秘密を誰が代わりに持ち、現れたのかというと、それは聖霊であったと言えます。

今日の皆さんはイエス様の福音の言葉を信じていますが、その言葉自体を信じるだけでは再臨することはできません。そこに必要なのは、聖霊が私たちの生活に協力し、私たちと共に共同生活しなければならないということです。

    27

従って、イエス様が奉仕と犠牲の道を通って十字架の頂点に至ったように、皆さんも同様の道を進んで、聖書の中に秘められたイエス様の生活の秘密がイエス様と聖霊を通じて初めて明らかになるのです。そして、内なる秘密も同様に現れるのです。

そのため、今日の私たちは聖霊が協力する生活を通して、聖霊の心と一体化し、心と生活が一つになり、イエス様と聖霊が一つになるつながりを私自身を中心に形成しなければ真の生命は存在しえないことを理解しなければなりません。

このように、私たちは今日、聖霊の協力を受けて、イエス様が生活の中で隠されていた復帰の秘密や、心に秘められた復帰の内容を実現する重要な過程にあります。従って、私たちはそのような過程にあるとき、私たち自身がイエス様と聖霊と一つになり、聖霊と私が中心となって三位一体の形を持つ基準を持つことが、この地上で神の勝利の基盤を築くための平面的な期待を実現することを知る必要があります。

また、私たちは真の生命の内容を探求する上で、イエス様と聖霊の協力を受けた生活をしているとしても、その生活は全体的な生命の復帰において一部に過ぎないことを認識しなければなりません。なぜなら、全体的な生命の復帰の秘密はまだ天上の秘密として残っているからです。従って、イエス様と聖霊を通して生命の価値の内容をある程度まで完成させたとしても、それだけでは完結しないということです。まだ神様がイエス様と聖霊を通して明らかにしていない生命の隠された部分があるということです。

今日、私達が達成すべき全体的な復帰の価値を完結させるためには、イエス様の生涯の秘密の価値をすべての人に示す必要があります。また、イエス様が持っていた秘密の価値を代わりに引き受け、イエス様と聖霊が合わさった宇宙的な生命の価値を再び神から認められなければなりません。

    28

では、現在の皆さんはどのような状態にありますか? 皆さんはイエス様を愛したいという心は持っているものの、十分に愛することができていないということです。

ですから、イエス様と聖霊が協力して人々が神様を愛するために奉仕と仕える生活を続けてきたこと、そしてイエス様が全宇宙を代表して苦労されたその価値に相応するだけの愛の内容を学ぶ必要があるということです。

今、皆さんがその愛の内容を知り、実践しなければ、天のみ旨を解き明かし、神様の残された復帰の歴史をこの地上で完結させることができないということです。

ですから、イエス様の3年間の共生の使命と十字架の使命、そして昇天から2千年にわたり、イエス様と聖霊が共に努力してきた協力の使命を通じて、生命の復活と完成の目的に向かって進んでいる私達にとって、今必要なものは何でしょうか?

それは、神様がイエス様と聖霊を愛され、6千年間にわたり宇宙全体を包み込み愛されたその善の基準の心を見習い、私達の心とイエス様と聖霊の心が一つとなり、愛の中心を確立することです。もし私達がそうできないのであれば、生活的な復帰、心的な復帰、生命的な復帰を成し遂げ、全体の命と栄光の価値を完結させるために神の愛との関係を築くことはできません。

    29

今日の私達が神との愛の関係を築くためには、どのようにすればよいでしょうか? 私達はイエス様が歩まれた生涯の中心的な内容を経て、2千年以上にわたり人類のために努力されたその心を知って歩む必要があります。

つまり、歴史の過程で万民に対して憐れみをお持ちになったイエス様の内面的な思いを通じて、イエス様の昇天後に至るまでの歴史を通じて明らかにされた聖霊の内面的な思いを通じて、創造以来6千年にわたり秩序を保たれてきたし、また将来訪れる理想的な世界を実現するために努力される神様の慈(いつく)しい内面的な思いを理解し、共感することが重要です。もし私達がそうできないのであれば、私達は永遠に続く生命の栄光を代わりにすることができる神の愛を中心に置いて、全体的な復帰の価値を完結させることはできません。これを心に留めておく必要があります。

したがって、皆さんはイエス様が歩まれた道と同じく、聖霊がなされたことと同じ道を歩むべきです。そして使徒達が歩んだ道、つまり自己の意識を忘れて、ただ神様とイエス様と聖霊のために生きる使徒達の生活を見習わなければなりません。

そのような道を歩むことによって、初めて私達は自分の心と生活を主管することができ、私達の生命が溢れ出て神の愛との関係を築くことができるのです。また、イエス様の愛が私を通して現れ、聖霊の愛が私の生活の領域にまで臨むことになります。皆さんはこれを確かに知る必要があります。

<祈祷>
 愛するお父様! 涙と涙が交わるその場所で、断ち切れない天倫の調和が通じるようにお許し下さい。

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天倫の道が通じる場所には、生命の縁が結ばれており、それは天上に隠されていた愛の縁が現れることであるを知っております。また、その縁が地上を通じて続く必要があることも知っております。

天が望む復帰の園は、愛の園であり、勝利の園であり、栄光の園であることも知っております。そのような園を築くために、今日私達の一心が奉仕の生活を通じて神が喜ぶ生命と愛と栄光を再び見つけ、自己を磨かなければならないことも知っております。

心の中に天倫の意志を抱きながらも、人々にその意志を十分に示せず、伝えるべき悲しい心を持ちながらも、人々の前で言葉にできないままであり、人間にその悲しい心と事情を解釈してもらいたいと願うイエス様の心情や聖霊の心情を知らなければなりません。

イエス様と共に話さなければならない部分を残しておられるご心情を理解している集団でなければなりません。

しかも、これを知り、解釈し、伝えることによって、天の前にそれがお父様の隠された秘密の意志ではないかと明らかにしなければならない、残された歴史があることを私達は知らずにおりました。

    31

従って、今日私達は、イエス様が地上に残していった使命までをも完遂しなければならない責任が私達にとどまっていることを考えると、聖霊もイエス様も、そして今日の人々も、これまで目的を成し遂げるために犠牲になってきた人々も、知らないまま神の内に隠された内的な心の願いを三位一体で協力しながら明らかにしなければならないことを知っております。

そして、私達がお父様が語れなかった熱望がこれではなかったかと発見し、明らかにするとき、お父様の心の中に抱かれた至高の愛を受けることができ、それによって私達がお父様から与えられる愛の中心を人々に示すことができる人とならなければなりません。

お父様、今私達はお父様の愛を受けていることを知り、感謝しております。この使命を私達が引き受け、果たすことができるようにお許し下さい。私のお父様、熱望し願っております。

この使命が達成されることで、イエス様の心に秘められた願いが成就され、6千年にわたって御旨を導かれたお父様の願いも実現されることを知っています。

ですから、お父様、創造以来抱えてこられた復帰以上の基準を私達を通して確立して下さい。そして、その基準を土台にして千年王国を建設し、父の理想圏に到達することを目指し、数え切れないほど永遠に続く父の内なる心情がこの地上の人々に完全に伝わるようにお許し下さい。

    32

私達が天と地を代表する存在として、悪魔の前で嘲笑されるような条件を残さずに、完全な復帰を達成し、全うするために導いて下さい。私達を通して、父の全体的な価値の栄光を完全に回復できる子女達となることをお許し下さい。愛するお父様、熱望し願っております。

これまで私達は非常に卑しい立場で苦闘してきました。他の人を相手にしても自己を主張するために戦う存在であり、集まりの中でも自己を示すために争ってきたのです。しかし、イエス様は全てをご存じで、自己を示せなかったことを知り、神の体面を考えて謙虚な心で頭を下げました。また、敵の前で模範を示すために進んだことを知っています。ですから、私達もそのような道を喜んで進むことができるようにお許し下さい。

お父様の心に残された憤りを人々が解放できなかったことを知るイエス様であったからこそ、自己の利益よりもお父様を慰めたように、今私達もそのようなイエス様の心を知り、慰めることができる真の孝子・孝女とならなければなりません。愛するお父様、私達を導いて下さい。熱望し願っております。


お父様、6千年間隠されていた悲しいその心を、イエス様と聖霊を通して私達に知らせ、明らかにして下さい。そして私達がその心を慰め、勝利の栄光を代わりに果たすことができる復帰の主役となるように導いて下さい。お父様、熱望し願っております。


人間が知らない生活の中で、心の中で、生命力の中で、愛の労苦の中で勝利の主役とならなければ、そのような事が完結されないことを悟らせて下さい。無縁の王にならない限り、この事が完結されないことを悟らせて下さい。また、悪魔との闘いで最後まで勝利しない限り、この事が完結されないことを知る様にして下さい。

    33

今、私達は一から全体の闘いの過程を経て、神様の前に立ち、お父様の心を私達の心に伝えるために祝福の御言葉を宣言することができるように導いて下さい。勝利の絆を築き、お父様の意志を代わりに果たせるようにお許し下さい。

私達の全てを父のものに返し、悪を私のものとし、悪魔に対して闘い勝利することによって父の栄光の遺産を継承できる者、万物を完全に復帰し、勝利的な主役の資格を備えた者になるまで、お父様、守ってくださいませ。聖三位一体で協助して下さい。

すべての御言葉を、主の御名によって祈ります。アーメン。

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