■ 2024年02月02日 西金砂山~地割~荷鞍山~寺入沢
先週に引き続き茨城県常陸太田市にある西金砂山周辺を訪れました。天下野公民館のハイキング・登山者用駐車場に車を置き、西金砂神社~西金砂山(西金砂神社本堂)~地割~荷鞍山~寺入沢~天下野公民館に至るルートを歩きました。
天下野公民館から西金砂神社とその先の四等三角点岩本(常陸国県北ロングトレイルC-73)までは先週歩いたコースを辿り、今回は四等三角点岩本を越えて気になっていた地名の「地割(じわれ)」へ進むと本当に地割でした。事前にヤマレコ記事等で調べて写真は見ていたが、実際に見ると何とも言えない光景でした。その後にあるいた寺入沢は沢沿いの歩きやすい所かと思っていたらさにあらず、ピンクテープの目印や周囲をよく見て踏み跡や地面と同色化したロープ・鎖を探しながら歩くルートファインディング能力と多様な地形に即した踏破能力を試されるルートで緊張したけど楽しかったです。
▼ ルートマップ
天下野公民館のハイキング・登山者用駐車場~西金砂神社~西金砂山(西金砂神社本殿)~四等三角点岩本~地割~荷鞍山分岐~荷鞍山~林道割石線分岐~寺入沢コース~寺入~天下野公民館に至る10Km
▼ 天下野公民館ハイキング・登山者用駐車場
▼ 西金砂神社へ
▼ 西金砂山へ(県北ロングトレイルC-77)
▼ 天下野口鳥居(県北ロングトレイルC-76)
▼ 「まつり山を下る」と彫られた石のある安龍ヶ滝分岐
▼ 金砂城址・・・西金砂山は「頼朝の金砂攻め」として史上名高い金砂城址。城とはいえ城郭を構えたものではなく、天険の山そのものが城であった。治承4年(1180)、源頼朝の佐竹氏討伐後に、三代佐竹秀義は太田の本城を捨てて西金砂山に籠城・応戦、要害険阻なこの山に籠った秀義軍は、数千の強兵を愛艇に一歩も退くことなく奮戦したが、味方のスパイ行為によって落城した(説明板より抜粋)。
▼ 西金砂神社・・・大同元年(806)創建
▼ 西金砂神社本殿(西金砂山)・・・県北ロングトレイルC-75
▼ 本殿裏手を下って諸沢口鳥居へ・・・県北ロングトレイルC-74
▼ 四等三角点岩本・・・県北ロングトレイルC-73、ここまでは先週歩いたコースと同じ、今回はここから地割方面へ
▼ 登山道を歩いていくと目の前に現れる地割(じわれ)
▼ 地割れの奥はこんな感じ
▼ 地割れの上に向かうと県北ロングトレイルC-72の標識がある
▼ 上から見た地割
▼ 地割れを後に進んで、荷鞍山分岐・・・県北ロングトレイルC-71、ここは右手の荷鞍山方面へ進む、この前来たときは木の枝に「荷鞍山」の札があったのだけど?
▼ 荷鞍山山頂の三角点・・・この前来たときは山名板があったのだけど?
▼ 林道石割線分岐を寺入沢コースへ・・・荷鞍山分岐からここまでは以前のおかめ山から鷹取場へ向かうルートと同じ
▼ 林道を歩いていくと「寺入沢コース」の標識があり、ここから寺入沢へ
▼ 鎖場の急な下り
▼ 寺入沢
▼ 天下野宿へ
▼ 沢の中を進む
▼ 天下野宿へ
▼ ロープ場
▼ 天下野宿へ
▼ 沢の中の岩を越えながら進む
▼ 沢から離れて上を進む
▼ 沢沿いを進む
▼ 天下野宿~鷹取場
▼ ロープ場・・・沢横の岩に上る
▼ ロープ場・・・岩場のトラバース
▼ この標識が出てくると終わりが近い
▼ 天下野宿へ
▼ 天下野宿へ・・・右手は砂防ダム
▼ 寺入集落へ
▼ 集落内にある地蔵尊
▼ 天下野公民館まで戻ってきました