つらつらきもの

着物屋の日々の営業の中で、感じたことをつらつらと。

「蔓文様」色々。「むかご」の蔓で思い出すお客様。

2017-09-22 21:42:18 | 日記


"暑さ寒さも彼岸まで”というが、彼岸に入り、すっかりあたりが秋めいてきた。

着物の文様で、秋の柄の一つに「蔓」がある。

「蔓」というと、「蔦」や「葡萄」の文様がすぐに思い浮かぶ。



「蔦文様」は古くから染織品などには蔓草と合わせて「蔦葛」(つたかずら)としてよく使われてきた。

また、「葡萄文様」は西方から中国を経て日本へ伝えられたというが、他の文様と組み合わされてよく使われる。
例えば「葡萄唐草」は、蔓、葉、実が装飾され、ゴージャスな文様で、元々仏教とともに中国から伝来した模様らしい。

そもそも「蔓草文様」というと一般的には「唐草文様」と同じ意味になるが、「唐草」、「牡丹唐草」、「宝相華唐草」(ほうそうげからくさ)、「アラベスク」など、たくさんの種類がある。

このように「唐草文様」は古く海外から渡ってきた文様であっても、着物の文様としてだけでなく、絵画や装飾品を始め様々なものに、日本人の代表的なデザインとして定着している。それは、紅葉の季節、蔓が他のものに絡みついた姿、古くからその風情が日本人に好まれたからだろう。

なぜ今「蔓」の話かというと、毎年この時季になると、この「蔓」が、あるお客様のことを思い出させるからだ。

実はもう随分前から、この時季になると弊店の竹垣の植え込みのあちこちから蔓が生えてきて、木々に巻きつくようになった。不思議なことだと思っていたら、その訳が後で分かった。

遠方からご夫婦で来店されたお客様のご主人が、いたずら心で植え込みの何か所かにわたって「むかご」の種を植えられたらしいのだ。今度来た時に、「むかご」が成長した姿を見るのが楽しみでなさったということだった。

今年もしっかりと樫の木に巻きついている。「むかご」は山芋の一種で食べられるらしいが、私自身とりわけ食べたいとも思わない。しかし、所かわって料亭などで出されれば、「美味しいですね!」などと言いながらきっと珍しがっていただくことだろう。

これからも毎年「むかご」の蔓を見るたび、そのお客様のことを思い出すに違いない。

美味しいコーヒー、よい着物って、いったい誰が決める?

2017-09-09 13:29:50 | 日記


先日、出張先でコーヒー屋さんに入った。いつもの通り満席で、入り口の予約リストに名前を書き、待合で待つことになった。

近くのラックには色々な雑誌が挿してあったので、その中から何気なくコーヒーについての小冊子を取り読んでいると、興味深い記事があった。

「コーヒーはいくら上質の豆を使っていようと、そのコーヒーが美味しいかどうかを決めるのは、お客の方だ」という内容の記事だった。

なるほど、コーヒーを提供する側が、これこそがうまいコーヒーだと思って出していても、人それぞれに好みのコーヒーの味がある。だから、そのコーヒーをうまいと感じるかどうかは、お客によるという意味で、至極ごもっともなことだと思う。

ともするとこだわりのコーヒー店の店主とか、確かに押しつけがましい雰囲気があるのは否めない。自分の店のコーヒーの味に自信を持つことは当たり前のことだけれど、必ずしもすべての人が美味しいと感じるわけではないことをどこか忘れないでほしいものだ。

このようなことは何もコーヒー屋に限ったことではなく、着物の生地を製造する丹後の機屋においても同じことが言えよう。

作り手がこれこそが最高の品質のちりめんだと信じ、情熱を持って製品を製造し、自信をもって製品を市場に提供する。しかし、実際にその着物を着用する人に、その生地の肌触り、風合い、着心地などがどのような受け入れられ方をしているかは分からず、必ずしも満足されているとは言えないのである。

例えば同じ着物にしても、”お茶”など座る機会の多い人が着られる場合と、留袖のように結婚式など限られた席にしか着られない着物の場合では、着物の傷み方も全然違ったものになる。したがって、お茶や、仕事で膝をつくような機会の多い人には、前身頃が擦れるので刺繍や縫い取りのない生地の方がお薦めだし、結婚式やパーティーなどに着られる着物は、より優雅に見えるよう光沢や風合いなどに優れた生地がふさわしいだろう。

だから本当は、最初から着物を着る側の人々のことまで考えたモノづくりができれば一番いいのだろうが、生産者側にに今までそのような想像や心配りが希薄だったように思える。

さらに、生産者だけでなく、実際その辺のことまで考えて着物をお薦めする販売員も少ないだろう。

そういえば、今までに自分自身も同じような過ちをしてきた。

お客様から黒留袖の別注品の注文をいただいた時など、着物の表地、裏地、比翼、おまけに長襦袢に至るまで、それぞれ一番重くて、品質がよいとされる生地を使用した。それがお客様に喜んでもらえると信じ、同時に自分も満足していた。

しかし、今から考えると、結婚披露宴でこの黒留袖を着たお客様は、さぞかし重かったことだろうと思う。あの当時の自分は、”量目の重いこと”イコール”高級・上質”と思い込んでいた。事実ちりめんの量目は、生糸がどれだけ使用されているかということであり、ちりめんの値打ちを決める大きな要素だからだ。

しかし、着るお客様のことを考えると、そこまですべてに重い生地を使用することはなかった。お客様が着やすい着心地がいい着物をお届けすることを一番に考えるべきであった。

昔に比べ着物を着る人が減り、着物を着る機会が減ることで、今まで当たり前だった着物の知識や、よい生地、よい着物について知る人も少なくなってきた。と同時にお納めした着物についてのお叱りもなくなってきた。

だから昨今の着物業界においては何でもありの風潮があるが、そういった時代にあっても、お客様にとって一番よい着物は何かということを常に念頭において、着物づくりをしていかなければならないと思う。