つらつらきもの

着物屋の日々の営業の中で、感じたことをつらつらと。

温もりの学生時代から暴れ馬の時代へ

2018-11-01 22:54:48 | 日記


先日ある大学の応援団から、”羽織紐の別誂え品”の注文があった。

この品物の詳細について、学生さんと電話やメールでやり取りをしていると、私自身、京都の某大学体育会で、プレイング・マネージャーをしていたこともあり、自分の学生時代のことが思い出された。

年齢のせいか、このところ学生時代のことがよく思い出される。

古くから京都は学生のまちと言われるが、あの時代の京都は、今とは違い、学生に対して随分優しいまちだったような気がする。

ある時、卒業生に贈る「ペナント」の額縁を買いに寺町の額縁屋さんに行った。レジで額縁代を支払おうとした時、店の奥で店主と思しき人が学生服姿の私を見つけ、「学生さんやから、安くしといたげ。」とレジの人に言ってくれた。また、よく行く食堂で、閉店間近には、帰り際に「下宿のみんなで食べ。」と、巻きずしを持たせてくれることも珍しくなかった。

下宿生なら親元から離れ仕送りでぎりぎりの生活をしているだろうから、少しでも助けてやろうという思いやりだったのだろう。事実、切り詰めた生活をしていても今のようにアルバイトをする学生も多くなかったので、そのような好意は皆ありがたく感じていた。

ひどい風邪をひき寝込んでいると、下宿のおばさんは、お粥を作って持ってきてくれた。下宿している学生たちを家族同然に心配してくれる親心が身に染みた。また区の運動会には、町内を代表してリレーの選手で出たこともあった。この町内の人が同じ地域の住人として自分たち学生を受け容れてくれていることが嬉しかった。

思い返せばこのようなエピソードはまだまだいくつもあるが、当時の京都のまちには学生を大切にはぐくんでくれる伝統がまだ息づいていた。

今、昔はよかったと懐古主義に浸っているわけではないが、良し悪しは別として、最近、時代は明らかに変わったと感じる。色々なことにおいて人々の考え方が変わり、大義が無ければ他人と関わることを嫌う。世の中の変化も恐ろしく速い。

かつて"青春時代"(死語?)をそのようなゆるやかで温もりのある時代に育った自分にとって、現代はさしずめ”暴れ馬”のような時代と映る。

しかし、いい歳になった今、そんな暴れ馬に、何とか振り落とされまいと一生懸命しがみついているのも楽ではない。


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