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移転しました(2014/1/1)

幕末⇔明治

2009-01-18 | ヒストリ:広瀬武夫
広瀬武夫の交友関係の中で、昔からうっすらとこの人知ってるな~という人がいました。
山県小太郎という人。岡藩士です。
広瀬の父・重武と浅からぬ関係があったようで、勝比古兄ちゃんも広瀬も上京した頃はこの山県の家で世話になっていた。
広瀬は山県家から講道館に通い、攻玉社に通っていますね。
もっとも攻玉社には寄宿舎があったようで、のちにそちらに移ったみたいですが。
広瀬の手紙をみると割と厳しく訓導されたようです。

で、この山県氏。
どこで名前見たかな~とつらつら思うに幕末なんですよねえ…
幕末で岡藩士?
う~んあんまりピンとこないなあと思いながら、雑多な藩が出てくるのは王政復古以後、戊辰戦争辺りかと当たりをつけて、家にあった「戊辰戦争」(新人物往来社・歴史読本)をめくってみる、と。
いた!いたよ!
あと幾つか事典あたってみても名前がありました。
幕末の早い時点で竹田を出ています。脱藩したのかなあ…もう少し調べないと詳細がわかりませんが。
鷲尾隆聚(たかあつ)なんかと関係を持ち、戊辰戦争の時には三条実美の部下(軍曹)、さらに鷲尾侍従付ということで会津戦争に参加している。
そんでさ会津の鶴ヶ城が陥落した後の降伏式に、中村半次郎らと官軍代表として出席。

中村半次郎らと官軍代表として出席

…。
……。
…………。

聞いたことある筈だよ… orz

あー知ってる知ってるその人…
あれでしょ?よく山県有朋と間違われる人でしょ?
若き日の山県有朋であるとか言われる人でしょ?(笑)

いやー
幕末と明治で全然回路つながってなかった!(大笑)
そんでさ、さらに「軍神広瀬中佐詳伝」めくってたら山県さんの経歴載ってたわ(笑)
確かにあのあたりは読み飛ばしてたな~
とんだ灯台元暗しでした(^^A
いや~ということは広瀬兄弟は父から山県の経歴もある程度聞いていたでしょうから、桐野の話なんかも聞いていたかもしれませんね。

山県は維新後新政府に出仕し、病院の監察官や県知事などを歴任した後、11年間ほど海軍で勤めている。
また鷲尾侍従や三条実美と関係あったことから彼らと近かった土佐の田中光顕や香川敬三なんかと仲が良かったようです。
岡藩のあった豊後竹田は本当に山の中で(大分市から電車で1時間内陸部)、海とのなじみが全然ない所です。
そんなところで生まれ育った広瀬兄弟が何で海軍にはいったのかというのが結構な疑問なのですが…
山県は田中光顕から親しかった坂本龍馬や高杉晋作などの海運/軍艦での活躍を聞いていた可能性はありますし、広瀬重武が山県からそんな話を聞いていた可能性もある。
さらに山県自身が海軍で働いている(笑)
いろんな偶然が重なっての「海軍」という選択だったんでしょうかね。
重武は兄が海軍に行ったので弟は陸軍のほうに行かせたかったという話を何かの伝記で読みましたが、なんにせよ「なんで海軍だったのかな~」と思う話ではあります。
でも陸軍の広瀬武夫というのも想像しにくいですねえ。

…という話を去年書きたかったのですよ(^^ゞ
忘れてたのを思い出した(笑)


 
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拍手ありがとうございます♪

>なかむらきりのさん
いや、この手の話なら桐野かな~とふっと浮かびまして(笑)
なんとなく幸吉君と変わりたい(私が)と思うような話ばかり書いてるような気がします…(笑)
お読みいただいてありがとうございました♪


>17:36 「南天」読みました!! ~の方
そうですね~;最近はずっと広瀬ばかりでしたので(笑)
書いていて私も楽しかったので、嬉しかったと言って頂いて私もうれしいです(^^
短編ではまた西南Wの方も書いていこうと思っていますので、よろしくお付き合いくださいv
お読みいただいてありがとうございました♪


そ~いや今日は9時から「ゴールデンアイ」がありますね~
みなちゃん!006でショーンが出てるアレですよ!(笑)
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