③アパート訪問~ 新宿ガード下

2021-10-08 12:00:00 | 
翌日 午後の2時か3時ころだったか

アパートのプッシュフォンが鳴った。ちなみに留守電機能もナンバーディスプレイもなかった時代。

椎名君? 俺だけん。

いやいや、俺ってだれよ・・と思いながらも、電話口の向こうにいるのは、夕べコタンで一緒に飲んだ彼だとすぐわかった。

彼は武蔵境からそう遠くはない街のアパートに住んでいる
ただ僕は中央線、彼は西武線 お互いの最寄り駅を直通では移動できない位置関係だった。
自転車なら割と気楽に、特に若者なら行ける距離だが

キミの自慢のヤマハAPX,持って遊びにおいでよ!

ヤマハAPXとは当時バイト代をはたいて買ったエレアコ。エレアコとはアンプに繋ぐことが出来るアコースティックギターのことだが

すなわちギターケース、それもハードケースを持ち歩くわけで自転車は無理・・。
というわけでお気楽学生はバスの路線を調べ
買ったばかりのエレアコギターを抱え、武蔵境北口から田無駅に向かって出発したのだった。


バスの路線・・ いまならスマホでささっと検索できるが
当時は、しかも、乗ったことのない路線を探すのは結構大変で
しかも乗ってからも 本当にこれで合ってるのかよ・・という不安を載せて
バスは走るものだったのだ。

やがて西武新宿線のとある駅から徒歩10分くらいの場所にある、
2階二部屋 1階二部屋 の1階の奥の部屋に着いた。
部屋の中は、長渕剛で溢れていた。見たこともないポスターや雑誌
聴いたこともない音源を記録したカセットテープ。
自分の周りに熱心な長渕信者がいなかったので
それまで自分が「かなり詳しい」側のファンだと思っていた僕は
実はかなりライト層の部類だったのだと痛感した。
衝撃をうけながら
TBSラジオ「スーパーギャング」の録音テープを聴き、
ステレオコンポの前で釘付けとなり固まっていたら
背中越しに「そーんなにステレオを睨んでも剛は出てこねえぞ(笑」
と言われたのを覚えている。

遊びにおいでよ、とは言いながら何度か「俺、夕方から用ある」ようなことを
言ってはいた。だから まずは数時間の滞在で「これからもよろしくな」となるものだと
ばかり思っていた。

日暮れの部屋で彼は身支度を始める。
ジーンズ
ネルシャツ
革ジャン
アクセサリー
サングラス
たくさんあるブルースハープの中から必要なキーのものを選び・・
エピフォンのビンテージギターを茶色いハードケースに入れ・・
玄関でブーツを履く。
下駄箱の上にあった小箱には、さっき選んだモノ以外にもたくさんの
サングラス・コレクションがあった。

僕も自分のアパートに帰るので玄関でスニーカーを履く。そんな僕に
「お前は・・・そうだな、これがいいかな」
とサングラスを渡す。

ん?

「かけてみ」


ん?

玄関から駅に向かうふたり。彼は電車に、僕はバスに・・のはずが電車に・・・


ん?

とりあえずついてきな、と言ったのかどうかは記憶が曖昧だが
その夕方僕が自室に帰るという選択肢はないようだった。そういう流れだった。
会話が、足取りが、すべてのベクトルが「こっちだぜ」と
言っているような・・・・

彼にしてみれば わざわざギター持ってこさせておいて そのままは帰せないだろ?
なんて思っていたのかもしれない。

電車のなかでも色んな音楽談義をしたような気がする。
でもその前に、僕は、僕らはどこへ行くのですか・・
説明を小出しにするのはなぜですか・・

到着したのは西武新宿線の終点。そこは新宿駅。
中央線から降りてスタジオアルタ前にしか出たことのなかった自分には、新鮮な
風景だった。
彼はガード下でギターケースを開き、譜面台を立て、チューニングを始める。

路上で歌う人を間近で見たのは初めてだった。
見ず知らずの人が大勢行き交う中、大声で発声する人を見るのは初めてだった。
しかも通りすがりではなく、自分の身内がそれを演るのだ。


Lonely Friday Night
新宿の片隅で
etc….

同じ歌を何度も歌うわけでもなく
著名なカバーを演るわけでもなく
ひたすら自作の曲を奏でる彼は、後で聞けば
毎週末 終電から始発までここで歌っているのだと。



宣伝できるぜ
練習になるぜ
勉強になるぜ

と言っていたな。

それからあとひとつ
度胸がつくぜ だよね。なぜ度胸かつくか、それはまて別の機会に記そうと思う。


続く

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