革命的桜乙女JSSR  こんなブログ読む暇あったら家族と話し合えよ。(´ω`)

このままだと日本国は終わるかもしれない。しかし散り行く花なら、運命なのか。

擬似宗教化した「国民性」「民族性」「お国柄」という情報。

2011-06-28 18:14:57 | 日記2(東日本の総革新)
参照記事:ビン・ラディン?の海上投棄、ムスリムを水葬にする不見識


所謂「県民性」とやらが、テレビなんかで流行っているらしい。
しかし、県民性番組もいい加減なもんで、ヤラセや偏見も多い気がするんですよ。


京都府は南北に長く、
舞鶴またいな丹後地方と中丹地方、南丹地方、そして京都市は言語も風習もかなり違う。


それを分かりやすく、
単純な統計により、県民性を決めつけるのはかなり杜撰な気がする。


京都府の一部地域の風習を府民性と決めるのは、単なる偏見だろう。


国民性・民族性という概念も同じで、
確かに、国民性・民族性という概念は存在する。

しかし、現在ネットで吠えられている国民性や民族性という概念は、

1人の評論家の意見や
数冊の本を真実だとした上の精神論に近い場合が多い。


ネット運動家が唱える、国民性・民族性とは学問というよりも、
単なる主義主張の正当化のために行われている気がしてならない。


個人の主観や感情が全面に出た、「国民性」や「お国柄」という議論に偽装したプロパガンダが溢れる中、


右派はますます、
スピリチュアル化するのか。