Voljushka 微可動

「ヴォーリュシカ」 目覚め中です。

夜更かし回帰

2009-10-01 01:04:24 | 映画
健康的な生活をしようとしたら
おもいっきりバイオリズムが
乱れてしまった者です
こんばんは

早く寝ると、真夜中に目が覚めて、
そのまま眠れなかったり、
夕方には意識朦朧となり、
数時間も午睡してしまったりと、
とんでもない副作用が起こったので、
夜更かし派に戻る宣言。

そんなダメダメなことをしている間に、
白銀週間もとっくに過ぎて
(お彼岸のお墓参りは行きました。
お盆から後のことでも、ご先祖様に色々と
謝ることがあったので; バチアタリ者です)、
今年ももう3/4が終わったんだなあ。噫ト嘆息。

先日は映画を見て来ました。
「幸せはシャンソニア劇場から」

1936年のパリ、
ミュージック・ホール「シャンソニア劇場」は
借金のカタに悪徳不動産屋の所有となり、
閉鎖を余儀なくされ、支配人以下全員が解雇される

しかも支配人ピゴワルは妻にも去られてしまう。
そんな彼を支えてくれるのが息子のジョジョ、
父の好きなワイン代を稼ごうと、街頭で得意な
アコーディオンを弾いたりしている健気な子。

この少年がまた可愛い(半ズボンだし・笑)
ハーフパンツの長さだけど、あのだぶついただらしなさがない、
全体のコーディネイトも下町風ながらなかなかお洒落。
やはり欧羅巴は良いなあ(と熱心に語ることではない;)

ジョジョの養育権は元妻が得る。
ピゴワルが息子と暮らすためには職に就かなければならない。
そのため彼は一緒に解雇された芸人や裏方たちに、
田舎からやって来たドゥースをアナアウンス嬢に加えて、
劇場を再開しようとする…

全然ウケないものまね芸人、無愛想で喧嘩っ早い左翼活動家の裏方、
美貌だけが取柄だと思われていたドゥース。
ちょっとしたきっかけから、この三人は声良いし、歌がすごく
上手いことが分かるのも面白い趣向。
劇中の小粋な歌って踊るショーがなんとも楽しい。

でも件の不動産屋は、ファシスト団体の幹部で、
お偉方とコネを作ったりして名士気取りだが、 
どう見てもおフランスの地回りが成上がった風な嫌な奴。
他にも左翼が扇動するストライキや、ゴロツキまがいを雇っての
スト破りなどのシーンが挿入される。

映画全体が明るくて楽しい一方のミュージカルっぽい展開を
期待していたから少し戸惑った。
人民戦線内閣成立して左右が激しく闘う1936年のパリを舞台に
しているから自然な気もするが、もう少し弾んで欲しかった。
でも敵役や人情というのは万国共通だな。

ロビーのモニターで、
近日公開の「ヴィヨンの妻」の予告編を流していた。
影響されて早速、「ヴィヨンの妻」と「パンドラの匣」を購入。
後者もこの秋に映画化される。二冊とも(新潮文庫)
映画の方は見るか微妙だけど。

太宰治は、大昔に「晩年」で挫折。
内容も覚えていない、ただ処女短編集に「晩年」という題名を
付ける屈折振りには感心した。
「右大臣実朝」は読了したけど、「平家ハアカルイ」というフレーズに
惹かれて雰囲気だけで読んだ気がする。

久世さんの
「ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング」(文春文庫)も買った。
ベスト版ではなく、「マイ・ラスト・ソング」5巻を全部
文庫化してもらいたかった、と文句言いながらも
早速目に付いたページから読んでいますが。

「海ゆかば」「月の砂漠」「インターナショナル」などの
バランスも巧み。ここに載っている歌の多くが、
びっくり箱のようなマイ・パソコンに入っているので、
聞きながら読むのも一興。

今日もちょっと出掛けたので電車のお供に。
本を買い過ぎて死ぬほど重かった。
トートの手提げの部分が千切れるかと思った…汗
古書買いの時はやっぱりリュックか。

では。また。

蜻蛉ノ神國ノ一齣

2009-09-06 22:29:46 | 読書
もう九月というのに
週末の夕方にちょっと出掛けたら
あまりの蒸し暑さに閉口
汗だらだらでヘロヘロに
なってしまった者です
こんばんは

前回は酩酊ブログだったので、
ユニ萌え云々などとついいらぬことまで…

「萌え」なんて三次元では全く使わない言葉だけど、
先日あるサイトさんで見かけた、「ふぁし☆すた」と
書けば萌えアニメみたいだの文言には不意を衝かれた。
ウケた。それで嬉しがって使ったミーハーです。

吉田修一「パレード」(幻冬舎文庫)読了。
実は初めて読む作家さん。

都心の2LDKのマンションでルームシェアしている
大学生の良介(21)、ワケあり恋愛中で無職の琴美(23)、
雑貨屋店長の未来(♀)(24)、映画配給会社勤務の直輝(28)。
この四人と、途中から加わるサトル(18)が、
一章ずつ語り手となって物語がリレー形式に進行する。

良介が語り手の第一章。
比較的暇な彼と、全く暇な琴美が、テレビを見ながら、
マイ・ベスト・ドラマや、隣室の不審な人の出入り
(あれは売春クラブに違いないと素人推理中)とかの
他愛もない話をしている。

「ナースのお仕事」「エロダコ」「ポア」等をはじめとして
固有名詞や一時流行った言葉がやたらと出てくるので、
執筆時点を切り取った風俗小説風のものかと思っていると、
すぐに間違いだと気付いた。

出身も境遇も全然違う多くの友人を作って貰いたい
という父親の言葉に、東京の大学へ行く決心をした良介。
そして先輩の彼女との臆病な浮気中の朝食の場では、
突然涙が止まらなくなり、泣いているのは自分の中の
もう一人の自分だという奇妙な感覚にとらわれる。

別れた恋人ともう一度恋愛で苦しみたい(!)と
天啓のような思いが浮かび東京へやって来た琴美。
若手俳優として売り出し中の彼とはめったに会えず、
だらだらと日を送りつつ、呼び出しの電話を
ひたすら待っている。

そんな雑多のエピソードに接しながら、
各人の人物像が少しずつ浮かび上がってくる。
彼らは一様に共同生活での自分は、
自分のほんの一面に過ぎないと考えているのだが、
では本当の自分はというと即答できないもどかしさがある。

ある日酒癖の悪い未来が、オニチョの公園に立っていたウリ専
のサトルを連れてくる。そして彼も一緒に住むことに。

サトルからみると、四人はそれぞれ、「ふぬけの大学生」
「恋愛依存気味の女」 「自称イラストレーターのおこげ」
「健康おたくのジョギング野郎」 で普段なら関わりたくない人物。
それなのに、彼らといて楽しくて仕方がないと独白する。

「それなのに」でなく「それだから」じゃないだろうか。
そんな四人だから、あやしい夜のお仕事に勤務中で、 
「自分の偽史」語りの天才(虚言とはちょっと違うと思うが)
である彼も心地良く混じれるじゃないのかとも思う。

またサトルには、見知らぬ留守宅に上がり込み、
まるで自分の部屋に居るみたいな自然な感じで2.3時間を
過ごすだけという奇癖がある(勿論金品は拝借しない)。
ちょっとだけ理解できて、切ない気分になるエピソードだ。

小説は第五章でショッキングな記述に行き当たる。
解説にもあるように確かにこわい小説だ。
でも私には、こわい以上に、さまざまな解釈を繰り返し、
当て嵌めてみたくなるような、行間の広さがある。

例えば直輝を占った高名な占い師の言葉
『変化を求め、世界と闘っている』
『あなたがこの世界から抜け出しても、そこは一回り大きな、
やはりこの世界でしかありません』も、

読了後には、
この世界とはワールドや宇宙のような大きなものではなく、
ミクロコスモスつまり人間…直輝自身ではなかろうか。
一回り大きな世界というのも、卵の殻を破ったつもりが、
外側にはほんの少しだけ大きな殻が張り付いており、
これを破ってもまた次の殻がと無限に続いているような、
そんな息が詰まるようなイメージを浮かべてしまった。

まさに
『あなたと世界との闘いでは、完全に世界の方が優勢です』
【*】『・・・』は引用。以下も同様。

軽そうに見えて思わぬ質量がある小説。

表題は、今ではすっかり忘れ去られたイタリアの作家が、
日本の読者のために書いた見事な日本語の手紙から一部拝借。
改造社版の世界大衆文学全集第80巻「有効期間十日間」
(昭和6年)の冒頭にその手紙の写真が載せられている。

私の稚拙な字(汗)よりもはるかに上手で、
旧仮名遣いの折り目正しい文章が綴られている。

まだ日本には行ったことがないが、
『私は驚異すべきこの蜻蛉の神國を敬慕してゐる』
新聞漫画雑誌枕草子地図統計絵葉書切符などが、
私の日本学の教授だったとある。

長くなってしまったので、以下は略して最後の署名のみを。
『フアッショ第九年十二月 羅馬において トッディ』
フアッショ9年って西暦何年?と思いつつ、

では。また。

早寝始めました

2009-09-02 23:58:33 | 読書
といっても月曜の夜からで
零時半頃就寝といったものですが
こんばんは

これまでの午前3~4時に比べると随分早くなったかと。
処方されているのにあまり服用していなかった
抗不安薬をきちんと飲むようにもなった。
(具体的・即物的なものではなく、あやふやなふわふわと
した不安が昂進中なんです;)
幾分多めに飲んでしまい、なんとなく眠いのですが、
気分は凪いでおります(苦笑)

ところで先日の衆院選、
私には選択肢のない無意味な選挙だった。

しかしやはり自民の大物はしぶとかったなあ。
もし有能な中堅若手が残って、古狸が落ちていれば、
もっとマシな党になった自民が、
民主がだめだったときの立派な受け皿になって
先進国並みの二大政党制になる可能性があったのに。

名は挙げないが、落選して目出度い人も・笑
小泉チルドレンのおっちゃん風オバハンの落選の弁は
何を言ってるのかさっぱり分からなかった。
悔しいのは分かったが…

いけ好かない議員落選に、
こんな政治ジョークを思い出した。
あのいつだったかイカレタ(?)奴が天下り役人を
続けざまに殺害しようとしたときにも思い浮かべたが。

「スターリン・ジョーク」(河出文庫)のあとがきに載ってるお話、
『ある議員が同僚に言った。
「死体が川をプカプカと流れて行く、パイプを咥えて、
背中にナイフがぐさりと刺さっているんだ」
「で、それから?」
「それだけさ、だけど、気持ちが良いだろう!」』
*『…』内はいくらかはしょった引用です。以下も同様。

当時の聞き手だったら、この死体がドイツの政治家ヴェーナー
のことだとすぐ分かるとか。

編者の平井吉夫によると、
アネクドートの一部には、『「陰湿な性格」「攻撃的傾向」があり、
中立的な聞き手を、「共同憎悪者」「共同侮蔑者」に変えるべく、
語られるものであると』
うんうんとうなずける分析。

最近読んだ本。
三浦しをん「風が強く吹いている」(新潮文庫)

流石は しをん女史の小説、
熱血が苦手なσ(^_^;でもじ~んと来る場面が多かった。
でも決して暑苦しくはなく、押し付けがましくもなかった。

個性豊かな下宿生たちが住むおんぼろアパート「竹青荘」(通称アオタケ)。
足の故障により強豪校には進学しなかった寛政大の清瀬灰二(ハイジ)
の箱根駅伝を走りたいという思いは募るばかり。
そんなとき天才的ランナー蔵原走(かける)が入学して、
ひょんな偶然からアオタケに住むことになった。

全住民十人を巻き込んでの箱根駅伝挑戦。
(まず予選会に合格しないと本レースには出れないのだ)

速さばかりにこだわり、一生懸命走っているタイムの遅い人間を
否定するような発言をする走に、ハイジが放った台詞が良い。

『きみの価値基準はスピードだけなのか。
だったら走る意味はない。
新幹線に乗れ! 飛行機に乗れ! 云々』

走が畏怖するほど人間操縦術に巧みながら、
決して策士風の冷たさは無く、
懐が深いハイジが魅力的…
自分の弱点や痛みを良く知り、神経が細やかで、
他人の心情も良く理解して、良い方へ導いていく。
多少強引なところやはったりもあるのだが。

走ることにしか興味が無く、自他を傷つけてしまう走が、
アオタケの住人たちに触れることで、他者を意識して、
少しずつ自らが変わっていく過程も良い。

圧巻はやはり箱根駅伝のシーン。
アオタケの面々とともに往路復路を伴走しているような
気分になれる。描写が素晴らしいのだ。 
テレビ中継で走者を見ているような臨場感があり、
ランナーの内面にまで入り込んで、その心の動きや
これまでの仲間とのつながりや家族や自分の人生
が走馬灯のように回想される。

ちなみこの秋、映画化されます。 
映画館に行くかは微妙だけど、DVDはぜひ見たい。

「DIVE!!」みたいなアイドル映画だったら、
チト見にに行き難いなあ~

神戸市民つながりの飲み友達によると、
ほぼ全身露出のDIVEは反ってエロくはなかったとか。
σ(^_^;酔ってたから、もし半ズボンだったら?とか
混ぜっ返したような…

華奢な子が着るサッカーや野球(半ズボンじゃないけど)
のユニホーム姿に萌えたりします
ってシモネタ失礼。ご容赦m(__)m

吉田修一「パレード」(幻冬舎文庫)。
これも来年、映画公開で、購入して読書準備中。

では。また。

手を上げろ!

2009-08-30 23:52:50 | 映画
空が秋らしくなり
夜になると虫の音が聞こえてきたりと
もうすっかり晩夏の風情ですね
こんばんは

第45回衆院選。
今朝までは「与党」か「野党」か「棄権」かと
迷いに迷っていたのだけど、
自民の大きな新聞広告「日本を壊すな。」を見て、
投票する気が急に失せてしまい棄権。
お前が言うな!盗人猛々しい! が正直な感想。

前回の「郵政選挙」では家族全員が投票したのに、
今回は誰も行かなかった…う~ん隔世の感が。

今ちょうど各局の選挙特番を見ているけど、
民主だったらこんなのでも通るのかという候補もいれば、
自民でも落ちて良かった(当然!)と思う大物小物が多数
(比例でのゾンビ復活に懸念)、といった塩梅。
レバレッジの効く小選挙区だけで十分なのに。

もうだいぶ前になるけど
今年まだ三回目の映画館に行って来ました。
「人生に乾杯!」鑑賞

ハンガリー映画でマイナーな作品にしては結構な入り。
年金暮らしの、エミル81歳と妻へディ70歳は、
生活が苦しく、電気を止められ、差し押さえに遭う。

夫の大事な蔵書が持っていかれそうになったとき、
妻は自分のダイヤのイヤリングを差し出す。
これは二人を結びつけた思い出の品でもあった。

エミルは大事に整備していた'58年型チャイカを駆って、
古いトカレフ拳銃を携え郵便局へ入る。
「紳士的」に静かに現金を要求してみると案外簡単に成功。

ちっとも颯爽とはしていない、ご本人はぎっくり腰だし、
ガソリンまで隣の車からホースで無断拝借する始末、
その素人っぽさに好感(苦笑)
何しろある銀行に押し入ったら行員がルーズで誰もいない、
留守なら仕方が無いと何も取らず帰ってしまうくらい。

さらに妻をも巻き込み、夫婦での強盗及び逃避行となるが、
深刻度や悲壮感はほとんど感じられない。
警察も老夫婦を本格的に追い詰める敵役とは描かれていない。
あまりにも間抜けだし、ヘリコプター飛ばしたり狙撃班を
投入したりするもののハリボテのようで緊張感無さ過ぎ。

互いの愛情や思いやりを取り戻すエミルとへディに
シンクロするように、捜査側の女性警部補と部下の同棲相手
との破綻寸前のカップルの仲が修復していくところも良かった。

後味の悪くない、好きなタイプの映画だった。
ややベタで泥臭いところもあるものの、
くどくど説明せずあっさりとした描写が好感。
特に冒頭と終了間際に短く挿入されたエミルとへディとの
なれそめは、二人が生きた時代を上手く表現していて秀逸。

ハンガリーの田園地帯の風景が綺麗でした。
おとぎの国の「ボニーとクライド」といった趣きだった。
余談ながら、図体がデカくてあんなに古いチャイカが、
急勾配の坂をものともせず上っていくのにはウケた。

好きではないけど、あまりに印象が強かったのが、
ケーブルで見た大島渚の「絞死刑」。とにかく驚愕!
死刑・在日・少年犯罪を問題にした制作意図を、
遥かに超える黒い笑いが全体に横溢している怪作。

記憶を失った死刑囚Rを正気に戻すために、
拘置所職員たちが演ずる正気とはいい難いドタバタ。
Rの前で、彼の家族関係の寸劇をやる。

兄弟喧嘩で、兄役の医務官(戸浦六宏)が「金日成将軍の歌」
を突然歌いだし、教育部長(渡辺文雄)に追い出される。
何故か演出に熱心な部長は、母役の拘置所長(佐藤慶)の
泣き方にダメ出しする。「所長、お母さんはmuteでKorean
なんですよ。それでアイゴーという感じを出して下さい」
(一部英単語に変えています。ご容赦)

そんな演技指導に困った所長は、古代人が神を拝むみたいに、
土下座して両手を上下させながら「イッヒーン」という何とも
奇妙な声を出す。虚を突かれたような表情でOKを出す部長。

その馬鹿騒ぎと対比するようにRの顔にライトが当たり、
太陽を仰ぎ見るように、昂然と顔を上げる。
バックに本物(?)の「金日成将軍の歌」が流れる。
日本の役人の愚かさと「かの国」の明るさや未来を比較させる
つもりのシーンだろうけど、それまでのドタバタの黒い笑いに
すっかり飲み込まれ、無力なプロパガンダにしか感じない。

「かの国」の惨状を知る現在の目から見たせいだけではないと思う。
役者が芸達者過ぎるのも拍車を掛けているといった感じ。
酔い覚ましに深夜見たんだけど、ホントぶっ魂消た。

24hTVのマラソン、来年はナベ○ネに走って貰いたい。
案外、あの苦虫の表情のまま平気で完走しそうw お元気ソウダシ

では。また。

片腹痛シ、ミサイルと言え!

2009-04-05 23:58:13 | 映画
今日は起きたら
既に飛翔体とやらが
日本列島を飛び越した後でした
こんばんは

バカな国のために、
我が国がバカ騒ぎするなんて
まったくバカバカしすぎる (#`д´)凸

先日、三宮であった古本市に行って来ました。
三年振り。本ではなくCDに思わぬ収穫あり。
古書や中古CDもネット通販全盛だけど、
こういうところが古書市ならではで好き。

見付けたのは「タンゴ・エン・ハポン」という
8枚組(+ボーナスCD)のBoxもの。
数年前に購入リストには入れてたんだけど、
二万円弱だったので後回しにしていたら品切れに。
それが定価の1/3以下になっていたので即買い。

1940年から68年までの日本のタンゴバンドによる
演奏と歌の集大成。全180曲!

どこかアルゼンチン風な「小さな喫茶店」や、
藤沢嵐子がスペイン語で歌う「碧空」など、
コンチネンタルの名曲の変貌ぶりが新鮮だった。
早速パソコンに取り込んでBGMに使ってます。グート

古本漁りの後はシネ・リーブルへ、
今年初の映画館で映画。
「フィッシュストーリー」鑑賞。

以前レンタルで見た「アヒルと鴨のコインロッカー」
と原作者と監督が同じだったので、
心地良い「ダマサレタ感」に再び浸りたくて…
大きなスクリーンの効果もあってか、
こちらは更に面白くて大満足。

2012年、彗星衝突が数時間後に迫る地球。
青空にはりついた大きな尾を靡かせる彗星の姿が不気味。

数十~百メートルの大津波が予想され、人々は高所に避難。
静まり返った街で営業を続ける中古レコード店。
「地球が滅亡する日でも好きなレコードを聴いていたい」と
いう店長(大森南朋)と音楽談義にふける若者の客。

そこへいかにも怪しげな男(石丸謙二郎)が入って来て、
二人の様子に呆れてねちねちと絡む、目は全然笑っていない。
彗星衝突は10年以上前に予言していたと嘯く男、
末期がんで余命わずかな自分と一緒に人類が滅ぶのが
嬉しそうな様子さえうかがえる。

店長と客の間では一枚のレコードが話題になる。
1970年代、時代に先行しすぎて全く売れなかった
パンクバンド「逆鱗」の最後の曲「フィッシュストーリー」。

画面は次々と変わり謎を深めていく。
その幻の曲の無音部分に気味の悪い声が聞こえる
という噂に本気で怖がる'80年代の気弱な大学生(濱田岳)

ノストラダムスの予言の1999年。
海岸に集まる胡散臭い宗教団体。

修学旅行で寝過ごしてフェリーから降りそびれた女子高生
(多部未華子)が巻き込まれる2009年のシージャック。
「正義の味方」としか役名のない森山未來が、とてもそうは
見えないのに驚くほど強い、撃たれても平気(!)
森山が多部に、穏やかな口調で生い立ちを語るシーンも良い。

映画の後半で、バンドの解散に至るまでのメンバーの
人間模様が丁寧に描かれている部分も見応えあり。
自分たちの歌が素晴らしいのには疑いは持っていないけど、
売れないだろうことは分かっている。
リーダー役の伊藤敦史がサマになってて存在感があった。

時代色はあまり感じなかったけど気にならず、
笑えてホロッとさせられるこの辺りが特に気に入った。
彼らがキャバレーで「長崎は今日も雨だった」を歌うところや
最後の録音シーンでの挿話なんか良かったなあ。

私パンクなんて聞かないのに、
作中で歌われた「フィッシュストーリー」にすっかりハマる。
歌詞の「僕の孤独が魚だったら…」にさえダマシがあって、
かえって爽快だった。あり得ない法螺話の連続。

まさかこんなことと思いながらも最後まで醒めない映画。
人間や人の思いがちょっといとおしくなるような映画。
エンドロールの前、走馬燈のように短いシーンを連ねて、
種明かしがされる部分はまさに快感だった。

小ネタでは、普通の天気予報みたいに波のマークがあって
50Mとか書いてあるのにウケた、地球壊滅の瀬戸際でも
普段のテンプレートを使うのかと。
役名の「ハーフじゃなかった男」「ハーフじゃなかった男の妻」
「ハーフじゃなかった男の子供たち」にも笑

後味の悪くない爽快な嘘と一滴の真実が混ざったような御伽噺。
見た日は寝つきが良くて、色彩豊かな夢が見れそうな作品。
私の夢が実際どうだったか忘れたけど…

では。また。

ちょいとあやし

2009-03-31 02:11:42 | 映画

もう日付も替わって三月も終わりですね
相変わらず気が滅入り気味ですが…
鬱々が常態なのでこれで普通です キット
むしろ躁状態の方が周りに迷惑を掛けて
しまいそうな者です ペコ
こんばんは

先月と今月の二回、家族が一人ずつ、
母→父→私の順番で風邪をひいてしまった。
家の中でもマスクをするくらいの配慮が欲しかった
ですよ、特に二度目は。

まあσ(^_^;は一番軽くて、最初は花粉症に、
次はウツに紛れて、知らない間に治ってしまった。
神経質で普段からハンドソープでやたらと手洗いを
しているおかげなのか、馬鹿は風邪をひかない
という諺(?)がやはり正しいのか…
どちらでもいいけど 苦笑

発売前のDVDをamazonで予約したら、
案の定、発売日に品切れになってしまい、
一週間近く待たされた。
数時間差での出荷だったのに何故か分割配送にされ、
しかもメール便は翌日に着いたのに、宅配便は翌々日
到着なんてなんだかよく分からない。

まあ文句を言いながらも重宝して一番良く使う通販は
amazonですけど、マーケットプレイスは品切れ・絶版本の
探索にはホント便利だし。

買ったのはエイゼンシュテインの二作品。
アレクサンドル・ネフスキー
イワン雷帝

このメーカーのはあまり好きじゃないんだけど、
他からは出てないし、ワンコインのDVDに対抗してか、
ベスト・セレクションと銘打って、三千数百円のものを
1890円で再発売しているから、まあ買ってみた。
このシリーズでは「會議は踊る」にも食指、手元に置きたい。

まず「アレクサンドル・ネフスキー」を。
13世紀のロシア、一部はモンゴルに支配されている。
さらに東からドイツの騎士団が侵攻する。
プスコフは占領され、ノヴゴロドも風前の灯、
ノヴゴロドの市民は確執があって一度は追放した
アレクサンドル公に救援を求める。
一都市のためではなく、祖国ロシアのために戦うと
宣言するアレクサンドル。

氷結した湖に敵を誘い込んで、挟み撃ちにするロシア軍。
重装備のためかご都合主義か、ドイツの騎士団の足元の氷
だけが割れて、彼等は湖の藻屑と消える。
この戦闘シーンはなかなかの迫力。

日本刀の殺陣の鋭さとはまた違って、重い剣や斧(?)のような
武器を相手に叩きつけて、押し潰すような感じの、
重々しい響きが印象的。まさに力と力のぶつかり合い。

製作は1938年。エイゼンシュテインの初トーキー。
同監督作品は「十月」「ストライキ」「戦艦ポチョムキン」(見た順)
に続いて四作目の鑑賞。
サイレント風な表現が残っている一方、プロコフィエフの音楽は
コーラスも含めて、映像と一体感があってなかなか魅力的だ。

ナチスとの緊張が高まった時代の産物か、ドイツの騎士団は
不気味で残虐で、典型的な悪役として描かれているが、
妙に滑稽で嘲笑されるような存在でもある…
彼等は金属のバケツをさかさまにしたような奇天烈な兜をかぶり、
十字架(ハーケンクロイツを想起)の付いた白いマントを羽織っている。
表情はそのバケツもどきに細く切り取られた穴のなかの
邪悪そうな眼差しくらいからしか窺えないのだ。

傑作なのは彼等の従軍司祭たちで、キリスト教徒というよりも
生贄でも捧げていそうな妖術師みたいに見せている。
「ストライキ」での資本家や警察の密偵たちの描写を思い出した。

一方のアレクサンドル公は勇猛果敢だが寛容さも持ち合わせ、
彼を支えるロシア人たちも同様な好人物になっている。
捕虜となったドイツの騎士団員たちさえ身代金を取って
解放している。但しロシア人の裏切り者は罰せられる。

でもこの映画が作られた頃のロシアの支配者は、
寛容さのかけらもない猜疑心の化物スターリンで、
映画完成後まもなくドイツと不可侵条約を結ぶと、
ソビエトに亡命中のドイツ人をナチス当局に引き渡すような
えげつない奴だから、国策映画の中でも自分の芸術を表現しよう
と苦心したエイゼンシュテインやスタッフが痛々しくもある。

1部2部で三時間以上ある「イワン雷帝」はまだ通しで見ていない。
ところでコスミックの500円DVDの「雷帝」は第1部のみの
収録なのでご注意を。

不思議なことに最近よく脳内で「元寇」という歌が
鳴り響くことがあるのだけど…
うん、ホントは黒澤明の「一番美しく」を見て影響されただけです 笑
こんな歌ですが…(^^;


では。また。


堂廻目眩

2009-02-25 01:23:12 | 読書
すっかりご無沙汰です
相変わらず安穏としております
こんばんは(^^;

昨夜からアカデミー賞で話題の「おくりびと」、
あまり知られていない職業を笑いと涙を絡めて
紹介するみたいなこのテの映画は結構好き。
これも昨年の秋、見ようかどうしようかと迷って
結局スルーしたもの。これはDVDレンタル鑑賞だな。

今年に入ってから一度も映画館に出向いてなかった、
やや食指が動くものはあったものの億劫だったのだ。
「パソコン映画劇場」が一番楽。老体ナノデ;

先月だけど「夢野久作 ドグラマグラ幻戯」(学研M文庫)に
収録されている映画「ドグラ・マグラ」の脚本を読んでみたら、
あの鵺のような原作を巧く纏めたまっとうなものだった。

実はDVDジャケが酷くもろエログロなんで敬遠してたけど、
とにかく急に見たくなって購入。
最近夜中にネットショッピングすることが多いけど、
これって一種の買い物依存症なのかとチト冷汗。  
ところでコレ数日前にamazon見たら品切れになってた。
ギリギリだったみたい。幸運なのか、それともこんなことで
運を浪費してしまって悪いのかは疑問(苦笑)

「ドクラ・マグラ」といえばミステリー三大奇書の一冊、
読めば十人に一人は発狂するなんて宣伝文句もあった。
まあもともとオカシイ私にはあまり影響ありませんが。

映画は1988年度の作品。
今は亡き桂枝雀(正木博士)と室田日出男(若林博士)のお二人が、
対立する医学者というかマッド・サイエンティストを怪演。
一人の記憶を失った少年を廻っての、
風貌も言動も明らかに変人の正木博士と、
一見謹厳なのにどこか人を食った若林博士の、
狸と狐の騙し合いのような見事な駆け引き。

原作小説のコアである、胎児の夢、○チガイ地獄外道祭文、
「脳髄はものを考えるところにあらずということを考える
のも脳髄である」「トリックを弄するのも、そのトリックを
見破るのも脳髄」という脳髄論も巧く取り入れられている。
○チガイ・テイスト満載でなかなか素敵でした。

正木のフルネーム正木敬之(まさき・けいし)は、
「正気けえこれ」から作られたという説があるとか。
「明治」を、下からは「治まるめい」と読む、
というのを思い出した(笑)

前回書いた「オトラント城」は擬古文訳で読み、
分かりにくい部分があれば他の二つの訳を参照する、
ことに決めたもののまだ読み始めていない無精者デス。

今だらだらと頁を繰ってるのは、
三島由紀夫対談集「源泉の感情」(河出文庫)
堂本正樹「男色演劇史」(出帆社)などなど。

小林秀雄に「金閣寺」は抒情詩(!)だと言われた
三島が少々お気の毒。
「罪と罰」と違い、犯行後が書かれていないから、
対人関係も対社会関係も出て来ない。
そして登場人物は全部「主人公の告白の世界」の人間に
過ぎないからだと…う~む何ともな理屈。

堂本正樹は「回想 回転扉の三島由紀夫」の著者。
三島との関わりも含め、どこか品のある洒落た文章で
綴られていたのが魅力的だった。

この演劇史でもその印象は変わらない。
さらに若書きのやや気負った感じが加わって、
なかなか好ましい。例えば…
男色と女色を自然に共存させていた江戸時代の日本人は、
自分たちを健康だと気付かない程、それ程に健康だった、
と言い切ってしまうところなんて良い。

男色を素材にした狂言・能・歌舞伎(既に廃曲になったり、
上演されなくなったもの多し)が次から次へと紹介される。

「八尾」という狂言。ぶっ飛んだ!
閻魔様がお地蔵さんに宛てた艶書をネタに亡者に脅され、
本来は地獄堕ちのその男を極楽にまで送って行ってやる
というトンデモなあらすじ。

では。また。

迷っています

2009-01-24 21:46:06 | 読書
テレビのオバマブームも一段落の週末
ところで饅頭は売れてるんですかね?
と葉っぱばかり見て
木や森が目に入らない者です
こんばんは

ご無沙汰中に
またひとつ馬齢を重ねてしまった(^^;

ウォルポールの「オトラントの城(オトラント城綺譚)」を、
平井呈一の現代語訳(新人物往来社)と擬古文訳(学研M文庫)、
井出弘之訳(国書刊行会)の三つのうち、
どの本で読むかという、至極どうでもいいことを思案中。

平井訳は古風でちょっと癖あり。
井出訳もゴシック小説であることを意識してか、
「芳紀」「衆庶」なんて語が使われていて、
時代色を出そうとしているような印象。

どれもそれなりに良さそうだけど、会話の部分が
カッコで括られてる平井訳の方が読み易いかな。
奇天烈な擬古文にも惹かれる。コレニシヨウカ
文庫本で字が大きいし(老眼かもしれない…汗)
まあさっさと読めよという話ですが…

「文豪怪談傑作選」シリーズ(ちくま文庫)
小川未明集が予想外に拾い物だったので、
二冊目の「室生犀星集 童子」を読了。

失った家族を巡る幻想風なもの、江戸時代の怪異談や
昔話をモチーフにしたもの、都市の場末での貧窮生活
にまつわる怪奇小説、などバラエティに富んでいる。
でも私には、文章は未明の方が読み易かった。

「後の日の童子」亡くなった幼い息子が毎夕訪ねて来て
束の間の一家団欒を楽しむ。ありえない出来事を平然と
受け入れている両親の心情や、童子の姿がだんだんと
薄れていくところが悲しい。

「みずうみ」曖昧模糊な何とも判然としない話だけど、
上の短編の逆パターンのようにも読める。
陰鬱な湖のほとりは幽明の境のような場所で、
輝かしく見える桃花村は生きている人間の世界。
娘が生者で、手放したくない両親が死者のような…

「香爐を盗む」夫の浮気を障子に透視してしまう妻は、
日に日に痩せ衰えていく。夫には従順だが危うい均衡が
今にも崩れそうな緊張感が漂う。
さらに程よく気色の悪い文章が味を添える。

「幻影の都市」失業者らしい主人公が毎夜目的もなく、
場末の町をやみくもに歩きまわる。所謂「群集の人」もの。
触れると感電する電気娘や屋上から飛び降りの誘惑に
駆られる浅草の十二階などが印象的。
ちなみに十二階はこの小説発表の二年後の関東大震災で
途中からポキッと折れてしまう。

「しゃりこうべ」文中の「かれ」がしゃれこうべなのか、
しゃれこうべになる前(つまり生きている人間)なのか、
分からなくなってしまう薄気味の悪い一編!

このシリーズ、あとは「百物語怪談会」とか
「川端康成集」「吉屋信子集」などに食指。

恒川光太郎「雷の季節の終わりに」(角川書店)も読了。
この世界とは別次元に存在するらしい町「穏(おん)」
に暮らす少年が主人公。
ここには雷の季節があり、人が消えたりする。
ある年の雷季に少年の姉が居なくなり、
自身も「風わいわい」という物の怪に憑かれる…

「体を車とすると、精神が運転手で誰かが助手席にいた」
という「風わいわい」の形容や、少年を助けながら、
徐々にその正体が判明していくところは巧み。 

墓町という悪霊が巣食う区域があり、
町を魔物や亡者から護る闇番は、「古道」のレンを
思わせるなかなか魅力的なキャラ。

架空の世界の詳細な設定や、事件に巻き込まれた少年の
こちら側の世界への脱出行のサスペンスフルな展開など、
今回も読み応えがあった。

しかし「穏」は家柄が幅を利かし、村落になじめない
人間を間引いたりととてもユートピアとはいえない。
典型的なムラ社会で日本の戯画みたいだし、
主人公やその数少ない友人や闇番を除くと
尊大と卑屈の入り混じった性格の悪いのが多い。

さらに主人公の敵役のへらへらしながら人を平気で殺す
薄っぺらサイコ野郎が登場するとゲンナリしてしまった。
(「古道」のコモリも似たような奴だったけど、
あれはさっさとおっ死んでくれたから…笑)

そんなところが前作ほどは物語に入り込めなかったのかも。
三作目の短編集「秋の牢獄」はしばらく間を置いてから
読んでみよう。

相場がはっきりしないので、
だらだらとあれこれ本読みしています。
では。また。

もう六日ですが

2009-01-06 00:46:17 | 読書
明けましておめでとうございます。
早いものでもう平成も二十一年なんですね。
今年も間遠な更新になると思いますが、
どうぞよろしくお願いしますm(__)m

ちっとも正月気分の起こらないお正月だった。
当然初詣には行かず。
まあ年越しそばはいただき、
おせちも食べワインも飲んだけど…
それから頂き物の半生きしめん美味でした。

年末~正月はわりと読書が進んだ。
レビューの気力はないので、
覚え書き風のコメントでも…

【1】恒川光太郎「夜市」(角川ホラー文庫)
妖怪たちが営む不思議な市場を巡る表題作。
若い男女のありふれた会話からさっと
あやかしの世界へ入っていく展開が巧み。

同書収録の「風の古道」はさらに良かった。
常人には見えないし入ることも出来ない
「道」が日本中に張り巡らされている。
そこに迷い込んでしまった二人の少年。

この街道を一生の栖とする人々(含妖怪)もいる。
ここで生まれたもの、ここで死んだものは、
この道から抜け出せないのだ。
ひとつの世間がある。
こんなひとつひとつの詳細な設定が、
物語にふくらみと魅力をもたらしている。

【2】「文豪怪談傑作選 小川未明集 幽霊船」(ちくま文庫)
邪な者が報いを受ける話でも教訓臭をあまり感じないし、
陰鬱な話が多いものの不思議と読後感はそう悪くはない。
読んでいる方さえ、凍え押しつぶされそうな心地になる、
雪に閉ざされる北国の冬の描写も印象的。

百合に化身する子供、吹雪で道に迷い轢死する少年、
村を訪れるごとに人が死ぬ怪僧、金の輪を廻す同年輩の
少年に夕焼けの向こう(=死の国)に誘われる少年、等々。

「点」の主ストーリーはちょっといい話といえなくもない。
ところが一挿話のぶっ飛び具合が凄い。
偏屈な牧師の変貌振りを描きたかったのか?
それにしても牧師でも、亡くなった信者の娘の
遺体を十字架に釘で磔にしたりするはずがない。
『キリスト様もこうやって死なれた』って…オイ。
ここだけスプラッターしている。手足だけでなく額まで…
発表当時(明治42年)の読者はどう受け取ったのか気になる。

【3】正宗白鳥「人を殺したが」
東都書房「日本推理小説大系」の「明治大正集」所収。
以前からこの面妖な題名が気になっていた。
「殺した」ではなく「殺したが」、それでどうしたと
思わず聞き返しそうになるタイトル。

今に露顕するのではないかという怯えと、
自分にもこれくらいのことは出来るという優越感が、
奇妙に入り混じる。
罪悪感に苛まれるでなし、ただただ途方にくれ、
呆然としている結末。
「が」のあとに「……」が無限に続いているような感じ。

大正14年に「週刊朝日」に連載。
乱歩がこの作を毎号愛読してたとか。
確かに異様な力作だ。
旧字旧仮名遣いが心地良かった…
どれだけ年寄りなんだ、自分(苦笑)

【4】中村仁志「プガチョフの反乱」(平凡社)
副題「良きツァーリはよみがえる」
我こそは死んだとされるピョートル三世であると、
コサック・農民を率いて蜂起したプガチョフ。

当時多くの農民は貴族・地主の所有する農奴であった。
ツァーリの「奴隷」(国有地の農民)になることが、
彼らにとっては「解放」だった。

あるロシア貴族の言葉が象徴的。
「ミラボー(市民革命)は怖くないが、
プガチョフ(僭称者)は恐ろしい」

【5】泉鏡花「春昼」「春昼後刻」(ちくま文庫)(岩波文庫)
春の真昼間にうっとりと酔ったような夢幻小説。

「秋の夕暮れよりも春の日中の方が心細い」など
という如何にも鏡花の登場人物らしい神秘的な女人。
まるで時間差心中と呼びたくなる最期だが、
形代にされたふうな角兵衛獅子の子供が哀れ。

【6】稲垣足穂「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」
(河出文庫)(ちくま文庫)

稲生平太郎少年の屋敷に起こる怪異の数々。
臼が飛んで来たり、畳が舞い上がったり。
猫又だ狸だと騒ぐ周りの武士たちが不甲斐ない。

それに比べて平太郎が豪胆。
天井が下がってきて頭を通り抜けて、
埃まみれの天井裏を平然と眺める場面は愉快。

ついに正体を現す魔物の大将、流石の貫禄。
二人の対話が良い、『山ン元サン、
気ガ向イタラ又オ出デ!』の惜別(?)の辞も。
カナの部分はカタカナ。【以上『…』内は引用】

しかし相変わらず脈絡のない乱読だなあ。
では。また。

尖端

2008-12-31 23:18:53 | 読書
寝ても寝てもふらふらと眠たい年の暮れ
今日も三時間ばかり午睡してしまい
大掃除もほとんどパス(汗)
こんばんは

テレビは特番で普段に輪を掛けてツマラナイ。 
今はぼうっとQさまを見ています。

ちょっと読んだ本を…
内堀弘「ボン書店の幻」(ちくま文庫)
副題は「モダニズム出版社の光と影」
著者は現役の古書店店主。

1930年代に北園克衛・春山行夫など、
モダニズムやシュルレアリスムの詩集や文献を
次々と発行し、やがて彗星のように消えていった
小さな出版社「ボン書店」とその刊行人「鳥羽茂」の
足跡を丹念に追ったもの。

簡素ではあるが、紙や印刷にこだわり、
瀟洒な書物を廉価で少部数発行していたボン書店。
実は土間に印刷機を置き、鳥羽ひとりで活字を組み、
さらに生活費捻出のため一般の印刷も引き受けていた。

数十年前の同人誌や投稿雑誌の片隅にその名を発見したり、
鳥羽が通っていた旧制岡山一中の昭和5年卒業生(!)
約100名にアンケート調査を行ったりと、
気の遠くなるような作業だと思われるのに、
筆致は軽快でなんとなく楽しげにさえ感じられる。
詩人たちの同人の離合集散をYMOに例えたりしてるし。

鳥羽は慶応の予科を中退したあと一時洋服屋に勤める。
そこで元の級友たちがコートを仕立てたことに関して、
『これは、洋服屋の丁稚への同情ではない。
むしろディレッタントな生き方をなんなくやってのける
少し風変わりな友人への羨望かもしれない』
と書く。このような視線が好ましくて共感できる。
【『…』内は引用】

著者は表題の言葉がお気に入りなようで盛んに登場する、
「尖端的」「大胆尖端」「尖端少年」等々。
わたしも「先端」よりも「尖端」の方が好きだ…
切っ先のような語感が良いのだ。

この本は1992年に単行本として刊行されたもので、
2008年10月発行の文庫本には、
「文庫版のための少し長いあとがき」として
新たに判明した幾つかの事実が綴られている。

何と鳥羽の姪から連絡があり、
茂の妹と息子が健在であることが分かり対面する。
茂は「しげる」でなく「いかし」と読ませたことや、
曖昧だった最期の模様が詳しく知れる。
相手の心情を慮って茂の息子との対面をためらう
ところの慎みもまた好ましい。

現在読みかけの
「文豪怪談傑作選 小川未明集 幽霊船」(ちくま文庫)
がかなりの当たり! 素晴らしい陰鬱さ(賛辞!)

去年の「偽」に続き「変」の年だった今年。
私的には「壊」「終」「了」「逝」のイメージだったけど、
来年はもっと暗く、ロクでもないことが世間を
騒がせそうな悪寒もします…
まあσ(^_^;単なる厭世趣味者なのでご容赦を。

皆様は良いお年を。

では。また来年。